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2012年3月18日 (日)

人間は大馬鹿者なのか?・・・・終章

  

  
根本原理の要約 (ここに私の一番言いたいことが書かれています)



本来は平和であり、調和であるこの世界を、今日のような闘争にみちた世界、悪想念に満ちた世界にしてしまったのは、地上人類が神のみ心を離れてしまったからであるので、神を否定する想念、つまり悪や不調和を認める想念をも諸共に、神様の世界に投入させるための祈りなのであります。


業想念を神様の世界に投入すれば、神様の世界は大光明の世界であり、調和した世界なのでありますから、地上人間の業想念は、太陽にとける雪のように解け去ってしまうのであります。

神様の世界をこの地上に現わす邪魔をしているのは、自己をはじめ人類の業想念、神性の否定の想いであるのですから、この業想念を神様の世界に投げ入れて、この業想念にとらわれなくなってしまえば、とらわれなくなった人や場所だけ地上天国が出来るのです。

それが人類全般にひろがれば、地上人類に大平和が出来るのです。

こうした根本原理を聞いた、あるいは読んだあとで、先生はそんなことをいうけれど、そんなことで世界が平和が実現出来るものではない、と又否定してくる人もあるでしょうが、その否定が出たら、すぐその否定の想念を世界平和の祈りに切りかえてしまうのです。

そうすることを度重ねることによって、いつの間にか、その人の心は、世界平和の祈りを全肯定する立場で祈ることが出来、自己の安心立命をかち得るのです。




自己を否定したり、人類の完成を否定したりする想念は、神の力を度外視した、人間は肉体なりという立場からはうなづける考えであって、私も肉体的立場としては、全否定の立場をとっているのであります。

しかし、肉体人間の力を全否定した瞬間に、神の力、神の完全性を全肯定する立場に心を切りかえしてしまっているのです。

肉体人間の力では、この世はどうにもならぬ、という否定があってはじめて、神の力に全託する世界平和の祈りが生まれたのであります。





自己の力、肉体人間の力に幾分でも依存しながらの祈りでは、とても世界は平和にならないのです。

何故ならば、この地上界を救おうとして働いておられる守護の神霊団体、いわゆる救世の大光明が、そうした人間や、そうした人類世界では、その力を全面的に働かせるわけにはいかぬからです。

人間に働いている力が、すべて神の力である、という考えが根底にあれば、神をはなれた自己の力などというものがある、ということの誤りに気づかぬ筈がないからであります。

このような真理に気づいた人が多ければ多いほど、守護の神霊の救援の力は強まってくるのです。

そのような、神一筋の人々を一人でも多くつくるための祈りが、私の提唱する世界平和の祈りなのであります。





            
              五井昌久




  

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