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2012年3月25日 (日)

幸せの種の育て方 5

 
  
  
何事も原点、元が大切だというのは、そこに素の答(本当の答)があるからです。

答は単純明快ですごくシンプルなのに、そこに余計なものがくっついてくるので原型をとどめなくなってしまう。

本来の姿がわからなくなってしまう。

そこで人間の原点とはなんぞや?ということになってきます。

今の人間の姿を見ていたらとても神の子なんて思えない。

悪魔の子、罪の子だと思ってしまいます。

でもそうでしょうか?

元(素)の人間とは、罪の子なのでしょうか?

神の子なんでしょうか?

その原点がわかっていないと、糸がこんがらがった毬(まり)の塊のようになってしまい(あーでもないこーでもない)と、迷路に入って行ってしまうのです。

答が見つからなくなってしまうのです。

人間とはいったいなんぞや?

自分とは何者なのか?

わかっていて当たり前なのに

ほとんどの人がまだわかっていない疑問?

ここらでビシッわーい(嬉しい顔)手(チョキ)と答を出そうではありませんか(笑)?




 


人間神の子に立脚した果因律

 

人間の心というのは大変に複雑に入り組んでいて、自分自身のことすら判らないのであるから、ましてや夫や妻や子供たちの真の心が判るはずもない。

このように、人間同士お互いに本心が覆い隠されたまま付き合っているのであるから、うまくゆくはずがないのである。

人類の歴史が始まって以来、どこかの時点で真理から大きく外れてしまった人間たちが、この世をうまく生きてゆくためにルールづくりをせざるを得なくなった。

そして、人間が人間を規制するために、ルールを創り、その中に人間をはめ込もうとしたところから、人類の苦悩が始まったのである。

所詮、一人の人間が他の人やルールによってコントロールされて生きられるはずがないのである。

人間、本来自由に生れてきた以上、何らかの束縛に耐えながら生きてゆけるはずがないのである。

また、どんなのすぐれたルールでも、それについていけない者や、そのルールに違反する者が出てくることも致し方ないことである。

長い長い人類の歴史の中で、人間の手で生み出されてきた因縁因果説が、人々の行動を規制するのには大いに役立っていると言うことも出来る。

しかし、反面、その因果律によって苦しんでいる人々が多くいるということも事実なのである。

善人であればあるほど因果律に縛られやすい。

側でみていて、そんなに自分を責めなくとも、そんなに自分を裁かなくとも、そんなに自分をいためなくともよいのではないか、と思うほどに、因果律にとらわれ、縛られている人々が多く見られるのである。

人々を幸せに導くはずの因果律が、逆に善人を光の世界、幸せの世界から遠ざけてしまうのである。

因縁因果の法則は悪人に対しては有効に働くかも知れないが、善人にとっては、それを超えた果因律のほうが有効であり、自然であると思うのである。

人間罪の子観では救われない。

人間神の子観でなければならないのである。

因縁因果説は人間罪の子観から出ており、果因律は人間神の子観から出ているのである。

人間が罪の子であったならば、人間の生そのもの、存在そのものが罪意識から脱け出られない。

どんなによいことをしても、どんなに人類のために尽しても、原点である罪の子に立ち戻れば、真の喜び、真の幸せ、真の自由が得られるわけがないのである。


だから私の説く人間観は、人間は本来生まれながらにして光り輝いている神の子なのだ。

そしてこの世に必要なものはすべてすでに自己の内部に無限に存在しているのだ。

だから今どんなに苦しくてもつらくても、必ず救われるのだ。

自分が神の子であるという真理に目覚めさえすれば、必ず神の姿が自己の肉体の上に現われてくるものなのだ。

この神の姿の中には、無限なる供給、無限なる繁栄、無限なる幸せが包含されている、というものである。

人間は本来生き生きと輝いていなければならないものなのである。

人間は本来幸せでなければならないものである。

人間は本来生命さわやかにして健康そのものなのである。

人間は本来愛深く、思いやり深く、優しいものなのである。

人間は本来自由自在なのである。

人間には本来不可能などないのである。

このような状態が、あなた本来の姿なのである。

あなたが今苦しんでいる状態、悩んでいる状態、傷つき悲しんでいる状態、病気であえいでいる状態、挫折感に打ちひしがれている状態は、本来の姿ではないのである。

本来の姿でない状態をとらえて不幸だ、地獄だ、死にたいなどといっても始まらないのである。

それよりも何よりも、今の状況から一刻も早く脱け出すことに心を傾けてゆかなければならない。

そこから脱け出す唯一の方法は、人間神の子としての自覚からはじまり、光明思想に徹することである。

自分は神の子なのだ、光輝いているのだ。

神の子が苦しむはずはないではないか。神の子が判らないことや出来ないことがあるはずがないではないか。

神の子が病気で苦しむはずがないではないかと、徹頭徹尾、光明思想に心を転換させてゆくのである。

今まで自分の心が百%近く苦しい状態、悲しい状態、無能な状態にむけられていたものを、逆に百パーセント近く神の心にむけかえるのである。

人間本来神の子観を自己の内部に徹底的に入れ込むのである。

そうすると、今まで潜在意識の底の底まで固定観念に縛られていた心が徐々に解き放たれ、自然と明るいほうへ、前向きの方向へむかってゆくエネルギーが湧いてくるのである。





          
                  西園寺昌美



  



  

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