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2012年3月24日 (土)

幸せの種の育て方 4


  
原因をつきとめても仕方がない
 


常に因果律を恐れてビクビクしながら生きていても仕方がない。すでに時遅く、種を蒔いてしかったのなら、仕方がないではないか。

いつその結果が自分に現われてくるか、恐怖や不安を抱いてオドオドしながら生きるのはつまらない。

それらはすべて、自分の過去世の因縁が現われて消えてゆく時に起こる姿であって、消えれば必ずよくなるのであるという強い信念を持って、今現われている現象にとらわれないで生きるべきである。

私の説くところの果因律は徹底した光明思想そのものである。

常に心の中に無限なる可能性を持ちつづけ、無限なるものに心を合わせ、全知全能なる神の姿に限りなく近づくための方法なのである。

このように私の説く果因律は実に簡単なことである。

一例を挙げると、彼は幸せではない(結果)。なぜ幸せではないのか。母親に愛されなかったから(原因)、これが因果律である。

次に、なぜ彼は愛されなかったのか(結果)。反抗ばかりしていたから(原因)。なぜ反抗ばかりしていたのか(結果)。

母親の心が他の兄弟にばかり向いて、彼を無視したから(原因)。なぜ母親は他の子どもを可愛がり、彼を無視したのか(結果)。

彼は子どもたちの中で特に陰気だったから(原因)。彼は子どもの時になぜ陰気だったのか(結果)。それは、自分の欲するものを何も与えられなかったから(原因)。なぜ彼の欲するものを何も与えられなかったのか。(結果)。彼の家が貧しかったから(原因)。

なぜ、彼の家が貧しかったのか(結果)。彼の両親が仕事に失敗したから(原因)。なぜ彼の両親は仕事に失敗をしたのか(結果)。・・・・・・・・

このように原因結果をつきとめていっても因果律は果てることがない。

しかも、ある一つの原因で、その結果が現われたと断言できるものでもなく、いくつもの原因が重なりあっているのであるから、どこまでさかのぼっても簡単に原因を究明出来るものでもない。

最終的には、赤ん坊の時の状態までさかのぼり、なぜ、そのように生れてきたのかと更に原因を究明してゆくと、前生にまでさかのぼってゆく。

前生を更に突きつめてゆくと、その前生のまたその前の世の生き方に及び、更にその前の世とさかのぼってゆくと、今の我々には、その真の原因を突きとめることは不可能なことになる。

因果律と言っても、このように単純ではないのである。


一つの原因があって、それによって一つの結果が生じてくるといったものではないのである。

要は、本当に幸福になりたかったらならば、本当に健康になりたかったならば、本当に成功したければ、本当に繁栄を求めるならば、あなたの心を今すぐに、これらの求めるものに焦点を合わせつづければよいだけでなのである。

今までのように、過去に原因を探し求めても、結局は、今までと同じことを繰り返すのみで、不幸の原因を根本的に解明しない限り、全く意味のないことなのである。

人間本来神の子としての真理に目覚めて生きることが、何よりも大切なのである。 徹底した光明思想で生きない限り、あなたの現在の状態は決して変らないのである。

たとえ、原因を探り当て、結果が変わったように見えても、それはほんのわずか外側の部分が変化しただけで、根本的には、何も変わっていないのである。

根本的に変わるためには、まわりの条件や原因を変えただけでは駄目なのである。 一番肝心なことは、自分自身が変わらなければ、何も変わらない、
ということに尽きるのである。

幸せになりたい、健康になりたい、調和したいと思って、一所懸命励んでみても、自分自身が徹底した光明思想家に変らない限り、よくなるわけがないのである。



            

               西園寺昌美



   

 

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