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2012年3月30日 (金)

私を変えた体験談 2

 


   
仕事への誇り


フィリピンの看護学生はかなり大変な状況にあります。

卒業後に待つ、何千人という求職者と競争する就職難のことを考えておかなければならないからです。

看護学校を卒業してもまったく就職できなかったり、失業してしまう人がたくさんいます。

こうした事情から、悲しいことに、不名誉な烙印を押されてしまいます。

専攻を聞かれ、看護学と答えるたびに、まるでだめだというようにみんな首を振るのです。

私が就こうとしているこの職業を、軽んじる人たちもたくさんいます。

ある時は、友人たちから

「四年も勉強したその挙句が、病人用の便器を洗っただけじゃない?」と軽口をたたかれました。

この偏見を持った発言はさすがにこたえました。

自分自身を取るに足らない存在だと考えるようにもなりました。

学校に行ってもやる気が起こらず、勉強にも身が入らなくなりました。

「君はどのみち、看護学生に過ぎないのだから」と彼らは言いました。


しかし、三年生のある日のことです。 私はまったく思いがけない場所で、人生を変える出来事に出あいました。

その年の4月、友人たちから論文の手伝いを頼まれました。

友人たちは高齢者の孤独について研究しており、老人ホームの入居者へのアンケートの手伝いを頼まれたのです。

私は高い塀に囲まれた人里離れたその施設を訪ねました。

とても穏やかで静かなところでしたが、管理が行き届いているとはいえない状態でした。

廊下は鼻をつく臭いがし、憩いの間はひどい状態でした。

世話役のスタッフは、施設の管理に最善を尽くしていましたが、人手不足と資金不足は明らかでした。

面談を通して、入居者のそれまでの経緯などを知るようになりました。

大半は路上生活から保護されたか、家族に捨てられた人たちでした。

特に記憶に残っているのは、ある老女との面談です。

彼女の話によれば、数年前まではホームレスで、たまたま家族と離れたときに当局に「保護」され、老人ホームへ連れて来られたということでした。

それ以来、家族とは一度も会っていないそうです。

その後の自分の状況と体験も話してくれました。

ずいぶん前から高血圧とひどい関節炎であるにもかかわらず、施設では一貫した医学的な管理や助言がなく、治療がほとんど施されていないこともわかりました。

家族との再会を手助けしてもらえる方法はないかとまで尋ねられました。

正直なところ、どのように対応したらよいかわかりませんでした。

家族との再会を手助けしたいのはやまやまでしたが、資金や頼りになる手立ても限られており、とても無理でした。

私はただ黙って彼女の話を聞くしありませんでした。

そして自分でできる高血圧と関節炎への対処方法として、生ニンニクを食べたり、痛みのある部分に温湿布をするとよいと教えてあげました。

看護学生として、それが私にできるすべてでした。

その後も雑談を続けました。 そのうちに彼女の気持ちが明るくなってきたことに気づきました。

すでに私たちは何度か笑い合っていました。

面談が終わる前に、彼女は私の名前と専攻を再び尋ねてきました。

「ダンと言います。看護学を勉強しています」と答えました。

その時です、今も私の心の中に刻まれている言葉を彼女が口にしたのは。

「ありがとう、ダン。あなたのために祈っているわ。あなたが無事、看護学を修められるように」と。

それから私は、ほかの面談者の話にもできるだけ耳を傾け、健康面のアドバイスをするように努めました。

私が、自分という存在や自分がしていることの重要性に気づけたのは、この日のことがきっかけでした。

私は、ただ面談をしているだけでなく、実はケアを施していたのです。

看護師はケアを行う訓練を受けますが、話を聞くこと、そして健康についてアドバイスすることもケア行為の一つであることに気づきました。

私は自分の職業を新たな視点で見るようになりました。

考えなればならない最も大切な問題は、

「卒業後、どのようにうまくやっていくのか」ではなく、「結果としてどれだけの人の手助けができるのか」 だと気がついたのです。

その日の経験は、

「人の人生に影響を与えるのは、優れた学位でもたくさんのお金でもない。必要なのは、人の話を聞く耳と、共感できること、そして実用的な基礎知識」だということを教えてくれました。

その夏以降、私は学業にいっそう励み、様々な団体に積極的に参加するようになりました。

私たちの赤十字部門で活動を開始し、医療ミッションにも参加し始めました。

さらには、卒業したら老年に関する研究を専攻しようと計画しています。

将来いつかまた、あの老人ホームに戻って研究をしたい、少なくとも入居者の生活が改善されるように何かをしたいと考えています。

入居者の方々のおかげて、こうして自分自身の話を書く強さと決意を持てたのですから、そのお返しがしたいのです。

私は、ただの看護学生に過ぎないのではありません。

「看護学生です」 と、胸を張って言えるようになりました。

そう言える誇りを私から奪うことは、もう誰にもできません。





  
 ダン・アーウィン・バガポロ(20歳)フィリピン・マラボン市 サント・トマス大学   <若者の部> 文部科学大臣賞(最優秀賞)

五井平和財団・ユネスコ主催 国際ユース作文コンテスト選集

世界の若者からのメッセージ 「私を変えた体験」 五井平和財団編



    

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コメント

 
そうでしょう(笑) いい話って気持ちがいいですよね。

いい話ですね~

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