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2012年1月28日 (土)

「お釈迦様がおっしゃったことを私はこのように聞いた」

  
  
  
短くてもズシンと心に響く言葉があります。

如是我聞とは「お釈迦様がおっしゃったことを私はこのように聞いた」 という意味だそうです。

私が尊敬してやまない五井先生は空の人です。

空とは自分という我がまったくない人のことです。

我がない(自分というものがない)と心は自由自在心、宇宙大に広がっていきます。

そして宇宙大に広がった心の中にはお釈迦様やキリスト、老子様が入ってきます。

そして五井先生の器を通して(使って)お釈迦様等が語り始めるのです。

巷には、「我は○○の生まれ変わりなるぞ」とか「私の背後には△△が付いておる」

などと似非宗教者がいますが(笑)

それは空とは違う幽界のオバケちゃんに取り憑かれた人たちなのです。

いつも申していますように

目にみえない世界で幽界、霊界、神界(大きく分けて)がありますが、神界が一番波動の細かい本当の自分がいる実在の世界なのです。(あとの世界は消えていきます)

霊界は波動は細かいのですが霊界の下部は迷いの部分があります。

仏教では霊界の下部と幽界、肉体界を三界といって迷いの世界、つまりこの世界をグルグル廻っている状態が輪廻転生(りんねてんしょう)です。

人間は意識が神界(天国)にいかない限りずっと迷ったままなのです。

肉体を持って生まれ変わり死に変って、修行をして悟りの境地に至るまで輪廻を繰り返すのです。


私はお釈迦様の言葉も五井先生のお言葉も同じだと思っています。


意識が神界(宇宙)まで至った人は、キリストであり、お釈迦様であり、老子でもあるからです。

宗教とは弟子たちによってかなり歪められてきました。

だから

「これほんとにお釈迦様がおっしゃったのかな?」

「キリスト様の言葉なのかな?」

と疑いたくなるような言葉(経典)が結構あるのです。

それに比べ、五井先生のお言葉は新しいし、歪められていることはまず考えられません。

それが証拠に私の心に響いて来ますし、清涼感があります。

スカッと爽やかになる ぴかぴか(新しい)

エネルギーが流れるとでもいうのでしょうか?

そのエネルギーは私を通してもきっとわかってもらえるものだと思います。

前置きが長くなりました(笑)。


久しぶりに読んだ続・如是我聞から抜粋します。





  

・ 組織(会社・党・組合等)の中で発言するのではなく、宇宙の法則、人間の本質、原則によって発言せよ。そうすると自然に人はついてくる。




  
・ えらいとほめて認めてくれるのは他人。うまいですね、といってくれるのも他人。





・ 自他の想いにとらわれず、想いを自由自在にできる人を悟っている人という。



 

・ 自分を愛するとは、神さまからきた自分の生命を大切にすることである。自分の心、自分の生命を汚さないことである。つねに自分の心をきれいに磨いておくことである。



 

・ 言葉と行動を一致させよう。



  

・ 自分自分と思っているものは、単なる想いに過ぎないのである。水泡(うたかた)の如くあらわれては消えてゆくものである。真の自分とは、内奥で光輝いているものである。この真の自分を把握し、自覚できる時、人は真に幸福になれる。



  

・ 人間は肉体だけのもの、としか考えられない人は不幸だと思う。たかだか長くて百年という短い期間の中で、人をあざむいたり、人をおとしいれたりして栄華を尽して何になろう。

ふみつけられ通しの一生だとしても、苦しみの連続の生涯だったとしても、生命を汚さず、生命を生かしているものは、永遠の生命をすでに輝かしているものなのだ。





・ いかに自分が正しいことをやっていても、他の人に不快な感情を与えるようでは、まだその行為は本ものとはいえない。






・ 表面だって働くこともよいだろう。しかしそれよりも自分を浄め、深めることがもっと大切なのだ。





・ 調和とは自分がなくなることである。




・ 人間大きくなりたかったら、自分の責任を他に転嫁するな。




・ 三界(迷いの世界)をこえるには空になることが必要である。 しかしくうという言葉はむずかしいし、わかりにくい。 そこでわかりやすくいうと、命を捨てるということになる。 これでもまだわかりにくいならば、現われてくるすべてのものに “ありがとうございます” といえることである。 そういえるようになれば、三界をこえているのである。




・ 頭をカラッポにして天の霊気で一杯にしよう。






・ 自分の体というのはないのです。 神さまが創った体なのだから、神さまの体なのですよ。 それを自分の体だと思うから、そこに執着が生じ、執着から迷いが生まれてくるわけです。 はじめから 「自分」 なんていうものの所有物は一つもないのです。





・自分に酔うな。 自分の言葉に酔ってはいけない。自分の研究に酔ってはいけない。 自分の芸に酔ってはいけない。 酔うと進歩が止まる。






・世界の三分の二亡びてから救世主が現われる、そんなのろまな救世主は役に立たない。 三分の二亡びるということは、三分の一残った人も苦しむのです。 恐怖で苦しむのです。

そんな時に現われるのろまな救世主はいらない! と私はいうのです。

そんなノロマでどうするんだい。 だからみな各々が救世主になって、世界を平和にしなければならないというんです。

今に大救世主が現われ、奇蹟の力を現わしてくるだろう、とそれだけを生甲斐にしていてはいけない。

キリスト教の人の中では、キリストが再臨して世を救うと想っている人が多い。

キリストの再臨とは皆さんの本心開発のことなのだ。

本心を開発したとき、その人はキリストとなるのだ。

皆さんが本心を開発したとき、世の中は救われるのだ。

そのために、世界平和の祈りが生まれたのです。

世界平和は必ず出来ます。









   続・如是我聞 五井昌久 白光出版




 


世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  




  

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