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2011年10月20日 (木)

人は何を気にして生きていけばいいのか?

  
  
  
実は、義父が亡くなって葬儀を行なっていたとき、喪主であった義兄や義母は、親戚や近所の人たちに葬儀の段取りが悪いとか、やり方が気に入らないだとか、順序が違うとか、しきたりがどうだとか、いろんなことを指摘され、きつく非難されていました。(妻の実家は田舎で人間関係が難しいのです)

それでなくても一家の大黒柱が亡くなって悲しみに沈んでいるのに、他人(他人だけでなく身内までも)は容赦なく責めて来ます。


人間は本来は神であり、今はその神の姿が現われていないのだ。

業やカルマがその人の心を被っているので神性が顕われていないだけなのだ。

と真理はわかっていても

人間の非情なところや優しさに欠けているのを見るにつけ


“人間なんてしょうもない生きものだ”


と思ってしまうのです。げっそり


そして落ち込んでいる義兄や義母をどうやって慰めていいやら困ってしまいました。

責めて来る人たちの悪口を云ってしまえば

自分も同じ穴のムジナになり

スッキリしません。

かと言って

一休さんのように

「気にしない、気にしない」

では気休めにしかならない・・・・・。


人の目や人の言っていることを気にしない方法はあるのか?

そもそも何に対しても気にしないなんて出来っこないのではないか?

偉い人、悟った人は何を気にして生きていたのか?

そんなことを考えていたら

ふと

釈尊(お釈迦さま)の言葉を想い出したのです。わーい(嬉しい顔)電球

日記には自分が落ち込んだ時にこの言葉を何度も書いてきたのですが

やっぱり心に沁みるのです。涙

みなさんも人の目人の声が気になったり、非難や誹謗(ひぼう)中傷、そして理不尽なことをされたときに是非、想い出してみてください。


きっと心が洗われたようになると思います。







 

 

私は釈尊の言葉が好きである。


「沈黙しているのも非難され、多くを語るのも非難され、少しを語るのも非難される。世に非難されない者はいない」


この世に生ある限り、何をしても人は非難の目、嫉妬の目をもって他人を見つづけるのである。

人の目を気にして生きていたならば、自分の身が持たない。

天の目を気にして生きてゆくことだ。




  

     「日々の指針」より 西園寺昌美 白光出版






  

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