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2011年10月24日 (月)

夫婦問題の解決

  
  
  
高校時代の同窓会などをしていますと、男子はともかく女子の離婚がまあ多いことに驚かされます。(笑)

私たちの年代(52~53歳)は特に強い女性が多発したのか?

自立出来る人が多かったのか?

我慢が足りないのか?

相手に恵まれなかったのか?

・・・・・・・・・・・いろんな理由があるでしょうが

一方、離婚していないからといって

必ずしもうまくいっているとは限らないようです。(旦那さんへの愚痴が多い)

私は夫婦とは魂を磨き合う相手だと思っています。

自分の言っていることをわかってくれない!

遠慮が無くなってくるととげのある言葉をズケズケと言う。

もっと思い遣りが欲しいと思う。(お互いに)

これくらい自分の想念をかき乱す人がいるでしょうか?げっそり

そんな相手といつの日かわかり合い、赦し合い、認め合いが出来たなら

どれだけ素晴らしいことでしょう。

家庭の外でどれだけうまくやっても

楽しいことがあっても

他人に尊敬され

「あなたは善い人だ」

と周りから言われたとしても

家庭の中がぐちゃぐちゃだったら

それは、幸せとは言えないのかもしれません。(私の考えですが)

別れるにしても

お互いの魂にとって

納得の出来る別れをしたいものだと思うのです。(理想かもしれませんが)


夫婦っていったいどんな魂的なつながりがあるのでしょうか?


前回の家庭平和の秘訣に続き夫婦の問題の解決法を五井先生の教えから抜粋してみようと思います。


  

 


夫婦問題の解決
 


━ 離婚は罪だとある宗教者がいうけれど ━


私は結婚を二つ面から考えています。

一つは神によって結ばれたもの、一つは過去世の業想念、つまり因縁の消滅のためのものとの二つの面の結婚があるということなのであります。

勿論、業想念の消滅という底には神のご意志が働いておることは違いありませんが、前者は、神が結婚の姿そのままを祝福なさっておられるという結婚であり、後者は消えてゆく姿として神の認められている結婚なのであります。

ですから前者は、そのまま光を輝き出すプラスそのものの結ばれであり、後者は、消えてゆく姿があった後、はじめて二人の光が現われてくるという結ばれであるわけです。

この差別なくして、なんでもかんでも、離婚は罪だ、といい切られては、後者の結ばれによる男女にとっては、実にやり切れぬ程辛く苦しいことであるろうと思われます。

理想論は勿論結構でありますが、理想をあまり押しつけますと理想通りにはゆきかねるこの世の人々を、かえって苦しめ傷つけるようになることが多いものですから、その点に気をつけぬと、宗教というものが人間の自由を縛る鎖のようになって、宗教本来の使命である、自由解脱への道を閉ざしてしまいかねません。


私は人間をすべての縛りから解き放つ、ということを使命づけられてきていますので、善悪双方の把われから、人間を解き放つことを第一の主眼にしているのであります。

それが、自分を赦しという、一切責め裁かぬ教えとなってきているのです。

人間の生活の中には、自分ではそのようにしたい、理想通りの善なる道をゆきたいと思っても、なかなかそうはゆかなくて、自分の理想とは反対の方向へいってしまうことがなかなか多いのであります。

こうした人々に追い打ちをかけるように、それは罪である、そうしたことは神への不信行為である、と責めたてることは、私のような心のものには、到底できることではありません。

ですから私は、その人が自己を責めている場合、責めながら悔いながらも、その時その場の環境で、どうにも離婚なら離婚をしなければならぬ、ということになった時には、その人の心の痛手が回復するような言葉で、その人の離婚を認めてやることにしているのです。

人によっては、他から責められても裁かれても、離婚しなければいられないような因縁をもっている場合があるからです。

過去世からの因縁というものは、そう簡単に消滅するものではなく、再婚なら再婚の運命にあるものは、もって生まれたままの性質なり、想念行為では、その運命をくつがえすことは不可能なのです。

その人が、もし易者や観相家にそうした運命の予言をされたりした場合には、即座に、自己のもっている性質(性癖)なり想念を変える方向に自己を向かわせなければならないのです。

それは自分一人ではとてもできるものではありません。

それは真実の宗教の道でなければならないのです。

その宗教とはどういうものかというと、自己の想念思想をすっかり変えてくれる程の強力なものでなければなりません。

それは、私の提唱している世界平和の祈りのような、自己の想念を、世界平和の運命を祈るという、大きい広い想念に変化せしめるようなものでなければ、いつまでも、もって生まれた性癖や想念傾向の波にもてあそばれてしまっていつしか結婚適齢期になり、またたく間に失敗してしまうような結婚に、業想念の波の中にもっていってしまわれます。


そうした人はまず、自己というものを捨て去る訓練をすることです。

その訓練に最もよいのが、やはり世界平和の祈りなのです。

そう致しますと、想念行為の波が光明の波に変化してゆきまして、暗い運命をひき出すような結婚生活には入らないようになってゆくのであります。

結婚はなんといっても一度で済むに越したことはありません。

そうした結婚生活に入るよう、相性の善い妻なり夫なりが自己に選ばれますように、守護霊守護神の加護を願うことが必要であります。

その祈りも同時に含めたものが世界平和の祈りなのであります。

理想通りの結婚とは、一つの魂が二つに分かれて、その二つがこの肉体界で結ばれる、というものでありましょうが、そうした百点満点の結婚というものは、この世であまりないようです。

いかにもよさそうに見える結婚でも、どこかに幾許(いくばく)の喰い違いがあるものですが、その喰い違いの少ない程善い結婚といえるのでしょう。

しかしこの喰い違いを、かえってお互いの欠点の是正、長所の交流というようにもってゆくことが、夫婦の間の正しい生き方であろうと思います。

他人の誤りや失敗は赦せても、夫や妻の非はなかなか赦せないのが一般人の心ですが、一番身近に生活しているお互いこそ、過去世からの最も縁深い人であることを知って、その縁をいよいよ善き縁となすように神に祈る気持ちこそ、尊い夫婦愛であると思います。

そこにも私の説いている業想念所業は、過去世の誤りの消えてゆく姿という真理の言葉が大事なことになってくるのです。


愛と赦しの生活はまず夫婦相互の消えてゆく姿の体得と世界平和の祈りによることが、一番やさしい方法であると思うのです。

私のように日々夫婦間の問題の相談をうけているものは、種々様々な家庭状態を知っておりますので、ただ単にこちらが善であちらが悪というような裁定は下せないと思っています。

その一事については妻が善い場合でも、結婚はじめからのいきさつを細かく知りますと、どちらがどちらともいえない場合が随分多いのです。


 相性、つまり魂の波の合う合わぬ、性格の相違ということは結婚するものにとっては重要なるものでありまして、相性が非常に悪い場合にはお互いが、お互いお心を傷つけ合い、精神と肉体を損ない合ってゆき、社会人類の調和の波を乱してゆくという、大きなマイナスになることがあるのです。

ですからそうした相性の悪い夫婦は、離婚させて、お互いにもっと相性のよい、異性と結び合わせるようにはかってやることが、人生指導者としても宗教者としても必要であると私は思っているのです。

そうしてやることによって、一挙に四人の男女の生活が正しいものになり、社会人類の波が、それだけ調うことにもなるのであります。

ですから私は、理想だけに凝り固まった宗教観念は、人類を救うどころか、人類の真の自由を宗教という名の下に縛りつけてしまうものである、と痛切に思うのです。


人間相互の因縁因果の波がわからぬような宗教者なら、観念論だけの説教で、消えてゆかんとする業をひきとめるようなことをしないで、個人個人の想いの自由にまかせて置いたほうが、かえって早くその人たちが救われの道に入るのではなかとさえ、私は思うのであります。





       「家庭調和の四つの鍵」 五井昌久





  

    




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