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2011年9月28日 (水)

「悠々とした生き方」

    
私は今、5冊ほどの本をほぼ同時に読んでいます。わーい(嬉しい顔)

だから気づきが一杯です。(笑)

その中からご紹介します。


本のタイトルは 「悠々とした生き方」 

私たちは毎日を忙しく生きている、だけどそれは目の前に現われている現象が目まぐるしく変化しているだけであって心が平穏であるならば、なんら慌てることはないのです。

朝早く起きて煎りたてのコーヒーを読みながら新聞をゆったりと読む 富士山 コーヒー 

私たちはそんなことさえ出来ていないのではないでしょうか?

生きていることの苦しみとは心が乱れていることにあると思うのです。

それは今も昔も変らないことなのかもしれません。

人間の心(魂)を救ったお釈迦様は何を伝えたかったか?

そこに答があると思うのです。





 
本文

お釈迦さまは、老人を見て、人は年をとって体がきかなくなり汚くなってゆく “老” の苦しみを感じた。

病に冒されて苦しんでいる病人がいる。

それらを見て、生老病死という苦しみを解脱するために、どうしたらいいかということを考えて瞑想したわけですね。

そして、生老病死の四苦を解脱する路を悟って、それが仏教になったわけですね。

どういうふうに悟ったかというと、悟ったから環境がすぐ直るというんじゃないんです。

お釈迦さまの悟りというのは、悟ったといってすぐに病気が治り、貧乏が直せる、すぐ地位が上がるというのではないんです。

いかに病身であろうとも、いかに貧乏な環境にあろうとも、いかに追い詰められた環境にあろうとも、地位が低かろうとも、心がそういうことに把われないで、そういう外界の想念波動を超越して、心がいつも豊かで明るく美しく生きられる方法を悟られたわけです。




      

          「悠々とした生き方」 五井昌久 白光出版





 
感想

お釈迦さまもやっぱり心の持ち様大切だとおっしゃっていたのです。

心が穏やかで豊かで明るく美しければ、心を侵すものはなにもない

すると調和がとれてきて、結果的に病気が治ったり、貧乏が直ったりする、心が豊かになればいるものは自然と整ってくるのです。

だからすぐにどうこうしようとせずに、まずは心を整えなさいと説いたわけです。 

整えるのには、整える対象となるものがいる

しっかりとした基盤となるものがいる

完全に完璧に整った世界とは

肉体界にはない・・・

それは自分の心の奥にある本心だ

本当の自分の心は神界というずっと奥にある

そこに意識を合わせると、つながると(天と地が繋がる)

もう外界の出来事に惑わされることはない

そのために心を無にして

坐禅観法して本心と繋がらせたのです。

でも今はそんな時間もないし

その方法ではなかなか悟れない

悟るとは本心と吾(肉体人間のこと)がつながるということです。

そのために降ろされたのが

世界平和の祈りであり、印であり、マンダラなのです。


 


世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


  
 
   
 

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