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2011年9月 9日 (金)

どれもこれも神様に見えてくる 4

  

  
宗教ってよくわからないけれど、簡単に言えば把われを無くすということだそうです。

把われとは、執着のこと

お金に執着、物に執着、愛情に執着、健康に執着・・・・・・・・人間の心にしがみついている、この執着、欲望という心が無くなったら


どんなに楽に楽しく生きていけるだろうって思います。

しんどいとき、苦しんでいるときって

たいがい何かに執しています。

しがみついています。

キリストがおっしゃいました。



空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。



聖書にあるこのお言葉が心に響きます。



執着、把われを無くすにはどうしたらいいか?


少なくするにはどうすればいいか?


五井先生が教えてくださっています。





 
本文



誰だって病気の人は病気が治りたいのは当たり前だし、お金がない人はお金があったほうがいいに決まっているし、地位が低いよりは高いほうがいいんだし、これは当たり前で、本然の姿なんです。


高きを求め、完全円満なものを求めているんだから、形の世界でも良い生活を望むのは当たり前ですよ。

良い生活より貧乏生活がいいってことはないんだ。

負け惜しみなんですね。 

金がないより、あったほうがいいんです。

私だってそうなんだから。

そんなにないけれども、ただ把われないことよね。

思うのは結構です。

思うのさえいけない、と思う人があるんですよ。

銭にあんまり把われちゃって

“ああ私は金が欲しい、ああいけない、金が欲しいなんて思うのは業だ”

なんて苦しんでいる人がある。

そんなことはない。

思ったら思ったでいいですよ。

ああ恋人が欲しいな、と思ったら思ったっていいですよ。

思ったのをいちいち悪いと言ってちゃ生きられないから。

思うなら思うでいい。

思った途端に、世界平和の祈りの中へ入れちゃうんですよ。

ああ思っても詮(せん)ないことだ、世界人類が平和でありますように、と唱えたほうがいい。

想った現象利益になんか把われない、ということです。


思ってはいけない、ということはないんですよ。

イエス・キリストは思っちゃいけないと言った。

思うだけでそれは行なったことだというふうに。

仏陀(お釈迦様)もそう言いました。

昔の聖者はそういうふうにむずかしく真理を説いています。

それだから救われなかったんだよね。

想念を説いたけれども人類は救われていなかった。

戦争はたくさんあったし、飢餓や飢饉や大地震もあった。

みんな苦しんでいます。


なぜ苦しんでいるかというと、心の目が開いてきたからです。

お釈迦様の言葉を聞き聖者方の言葉を聞いて、心の目を開いた人が随分あります。

心の目が開けてくると、善悪がハッキリわかってくる。

ハッキリわかってくると、悪いこの状態、現象の世界というのに耐えられなくなってきます。

それで昔の武士は殺生のこの世界にたまらなくなって、出家して、山に隠遁したりした。


その時代はもう過ぎたんです。

自分だけが山に籠もって安心しているという時代は過ぎた。

山に籠もっても原爆が落ちればお終いなんだから、一人だけが救われたってしょうがない。

自分の救われが同時に人類のためになるような、そういう教えが現在なければならないでしょ。


それが世界平和の祈りなんです。




 「自分が光る人類も光る」 五井昌久 白光出版





  

  

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コメント

私のほうこそ、ありがとうございます。    happy01


  

いつも読みに来てます。ありがとう!!

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