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2011年8月20日 (土)

偽善者になりたくない 3

  
   
  
何が自分を判断するのかというと、自分の好みとか自分の習慣の想いで、自分を判断し、人を判断するわけです。

習慣の想いは何かというと業想念という。

前の世、前の世の過去世からのいろいろな想いや行ないがありまして、それが幽体に積もって、習慣になり、習慣の想いというものが積もり積もって業になるわけなんですね。

そういう目から観じますと、人間というのは、業想念の、相対的な自分の善悪、いわゆる自分の都合で変わってくるわけ。

去年まで付き合って、あんないい人はいない、と言っていたのが、何かの都合で、自分に都合の悪いことを言ったり、やったりすると、あんな意地の悪い、あんな悪い人はない、と言ってきますものね。

この間まで、誉めて誉めて誉めちぎっていた人を、今度は、あんな悪い人はありませんと言う。

自分に都合が悪くなると、途端に悪くなっちゃうんですよ。

それほどに人間の頭の判断力というものはお粗末なもんです。

政治家なんかそうですよ。

昨日の友は今日の敵で、昨日は何々派だったと思うと、今日は何派に変わっちゃう。

年中変わっています。 自分の仲間だと思って 「やあ君、一緒にやろう」

と言っているうちに、いつの間にか勢力にいいほうにいいほうに移ってゆく場合が大分ある。

肉体人間というものは、おおむね自分の利害関係で動くものなのですよ。

だから他人(ひと)も利害関係で動いているから、あのヤロウはバカヤロウだ、ということを強く言える。

自信のある人は本当はいないんです。

自分の都合が悪くなれば、平気で動きます。

イエス・キリストの弟子にペテロという人はとてもいい人で、純真な偉い人です。

もう師がいなくては生きていられないような、そんなような人なんだけれど、そのペテロでさえも、自分のいのちが危うくなると

「あの人とは関係がありません」 と嘘を言ってしまう。

そういうふうに人間というものは、自分の不都合になると、嘘でもなんでも言うんですよ。

それが業想念なんです。

それは絶対にいけないかというと、いけないとかいいとかいうもんじゃなくて、そうなっちゃうんだから仕方がない。

咄嗟にそうなっちゃう。

たとえば五井先生についていけば、大丈夫だと思っている。

ところが、先生がやっている仕事を進めていったら、ハリツケになるとかいうことになるとしますね、おどかすわけじゃない。

そんなことは実際にないけれど。 たとえばの話です。

ハリツケになってしまう。 一緒にやっている者はみんなハリツケになるということに、サァついてくる人が何人あるでしょう?

なかなかついて来られないものなんです。

いざ命を捨てて、ということになると、ついて来られないもんです。

私はそれが悪いとも思わない。

仕方がないと思っているんですよ。

たとえば自分がついてゆくとしても、今度は子どもなり妻だとかがやられるという場合があります。

自分は生死を賭して、正義のために、やるんだ、と固い決意を持っていて、自分だけが出来ても、妻だの子どもだのがやられるという場合は、いっぺんに悲鳴をあげてしまうもんね。

大石蔵之介の忠臣蔵の芝居では、天野屋利兵衛は男でござる、という人がいたけれど、あの場合、子どもがやられるんですよね。

でもあの人は偉い人で白状しなかった。

あんな人はまれにみる人であって、大抵の人だったら子どもがやられたら、いっぺんに音をあげちゃう。

「私のいのちはどうなってもかまわないから、子どもだけは・・・」と命ごいをするでしょ。 

じゃ白状しろ、と言われれば白状しちゃうと思うんですね。

そうしたら、その人はダメな人間か?

そこまでしなければダメな人間だということになると、この27億ある人類のうち、ダメな人間でない人は何人いるかというんです。

ごく少ないです、そういう人は。

27億ほとんどダメだと思うんです。






   「自分も光る人類も光る」 五井昌久 白光出版



 
  



 
感想
 

判断するというのは、今生だけでなく前世の前世・・・もっとさかのぼったものがそうさせる。

「なぜ自分はこうなのだろう? なぜ、こんなことを想ってしまうのだろう?」

と考えてもわからないはずです。(笑)

ましてや他人(ひと)の前世なんてもっとわからない。

だから自分の判断力や他人の判断力に

期待するのは違うんですね。

肉体人間はその辺がまったくわかっていない

ついつい自分や偉いと思っている人の判断力に期待をしてしまう。

だけどいつも裏切られる げっそり

お釈迦様は肉体人間を超えるために

空になることを説いた

空にならなければ人間はいつまで経っても

まともにはなれない (人間は空になったときから本当の意味での第一歩が始まるとおっしゃっておられます)

おバカちゃんのままだというのです。

アセンション(次元上昇)というのは

人間が空になって

まともになるということです。

そうなるために

天から世界平和に祈りや印が降ろされた

これから本当の世界がやってくる

人間が本当の幸せをつかむときが来たのです。わーい(嬉しい顔)


 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  

    

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