偽善者になりたくない 2
私は偽善者をつくらない宗教を開いた (昭和35年7月17日)
無理はいつか破裂する
ものが見える、というのは、何を見てるかというと、光の波を見ているいるんです。
光の波が反射して、それで見えるわけなんです。
肉体の人間同士が人間を見れば、今、皆さんが見えるように見えます。
人間が見るのではなく、犬が人間をどう見ているか、猫が人間をどう見ているか、象は人間をどう見ているか、蟻は人間をどう見ているか。
人間が人間を見るのと、猫が人間を見るのと、犬が人間を見るのと、蟻が人間を見るのとみんな見方が違うわけですよね。
おそらく蟻から人間を見れば、断崖絶壁のようなすごく巨大なものに見えると思うんです。
象から見れば蟻なんて、なんてちっぽけなものがいるのだろう、と思うでしょう。
肉体の人間同士が見ても、形の世界から見ると同じように見えるけれど、AならAという人が見た人と、Bが見た人と全く同じかというと違うんですね。
Aが見た中村さん市川さんと、Bが見た中村さん市川さんとは違うのです。
違うけれど総合してみると、やや似ている、やや形が掴めるというもんで、今度、中味になってくると、Aも違う、Bも違う、Cも違う。
本当の人間というのは、みんな見ている人とは違うかもしれないんですね。
たとえばやさしい穏やかないい人だ、と見た人が、実はたくましくて、素晴らしく強くて、もう底意地が悪いかもしれない。
表面で見ていて、つきあいが浅いとわからない。
つきあいが深くなれば深くなるほど、その人が本当にわかってくる。
ところが結婚して30年も経つけれども、私は主人のことがちっともわからないんですよ、と言って私に教えを乞いにくる人がおります。
30年も一緒にいてわからないのはおかしいようだけれど、実はわかったように思っているだけで、本当はわからい。
というよりもっと深く言えば、実は自分自身のことがわからないんですよ。
自分は一体どういうものかわからないのですよ。
いくつもいくつも心(想い)があって、いろいろ探ってみると、一体自分は気が弱いのか強いのか、気が長いのか短いのか、情深いのか冷淡なのか、わからなくなってくることがあるんです。
「自分が光る人類も光る」 五井昌久 白光出版
感想
人間にはいくつもいくつも心(想い)がある、多重人格といいますがほんとうにいろんな性格が入り混じっていると思うのです。
自分には3人の人の人格が重なっているとしたら本当の自分なんてわからない
あっさりさっぱりしている人というのは想いが重なっていない人だと思うのです。
いろんな性格が重なっている
面倒臭くて、ややこしくて嫌ですよね
私たちは前世からもいろんな想いを受け継ぎ、今生でも他人からいろんな想いをもらいます。
だからそれらの想いを流し続けることが大切なんです。
話は変わりますが、私の妻はこの猛暑の中、外でテニスをしています。
私の友人もバレーボール(ママさんバレー)をしている。
こんなに暑いのにどうしてそんなに肉体を酷使するようなことをするのか?
それは汗を流すことでエネルギーを流そうとしているのです。 (本人はエネルギーを流しているなんて自覚していませんが)
このエネルギーとは想いのエネルギーなのです。
スポーツをすると余計なことを考えない、そして想い(重い)が取れていく。
実は世界平和の祈りとは前世の想いと今生の想いをきれいに流してくれるのです。
スポーツで汗を流すよりももっともっと凄まじい量のマイナスエネルギーを流すのです。
祈りながらスポーツ(ストレッチ、動功)をする。
これが究極のストレス解消法なのです。
あッ、私の妻も友人もすごくさっぱりしています。
スポーツ(体を動かす)ってほんとにいいものですよね。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます
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