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2011年5月31日 (火)

問題解決には次元を変えてみる

  
  
いつまで悩んでも何にも解決しないときはその次元(目線)では、解決法がないということです。

頓知で有名な一休さんは、坐禅観法で精神を統一して瞬時に問題解決の答を導き出した。(肉体界、幽界、霊界を飛び越えて神界とつながった)

それは、次元の違う天界(神界、宇宙)から答を出していたのです。

天界(神界、宇宙)には本当の自分が居るのでそこに意識を合わせたのです。


話は少し変りますが、親という字は、木の上に立って見ると書きます。

それは子どもと同じ意識(目線)に居るのではなく、もっと上の方から大極的に観れるのが本当の親であり、大人だということです。


目に見える世界の3次元にどっぷりと浸かって

「ああでもない、こうでもない」

と言っていてもなかなか問題の解決法はわからない。

それは3次元は迷いの世界だからです。

幻の仮の世界だからです。

現われては消えてゆく虚像の世界だからです。

こんなことを書くと

今生きている世界が虚しく思えて来ます。げっそり

生きていることの意味がわからなくなってきます。

しかしまぼろしの世界(3次元)にしがみついて

そこに期待をして

そこに意識を合わせても

もうどうしようもないところまで来ています。

私たちはどうしていつもしんどいのか?

それは意識を肉体界に合わせているからです。

目に見える世界には本当の素晴らしい自分はいません。

全知全能でどんなことも解決出来る神そのものの自分はいないのです。

お釈迦さまはそのことがわかっていたので

坐禅観法をして本当の自分とつながる方法を説いたのです。

3次元(肉体)にしがみついていたらいつまでたっても

苦しみ(生老病死)から抜けることは出来ない!

次元が変わるとは

3次元からの脱皮なのです。

虚像の世界から本当の世界への飛躍なのです。

そのことがわかるまでは苦しみが続きます。

そうでないと人間が気づかないからです。

3次元的なあらゆる手段を使って問題解決をしようとしても

どうにもならない

もうお手上げだ!

昨日の日記と同じことが言えます。

「人間は窮地に立つからこそ、進化することができる」

人間は今、もがき苦しんでいます。

しかし答はあるのです。

それは次元を変えてみることです。


次元を変える方法とは、祈りであり、印であり、マンダラなのです。

下記の本にすべてのことが書いてあります。






調和波動気功法 于寿明 三晃書房


「無限なる癒し」 于寿明 星湖舎

「無限次元への誘い」 于寿明 星湖舎

「無限なる幸せを体得する方法」 于寿明 星湖舎

「無限なる勇気」 于寿明 星湖舎



電子図書もあります。

下のホームページでは、それぞれの本の解説をしています。



http://utoshiaki.wook.jp/detail.html?id=207092




 
追伸

今日はすごく宗教的なことを書きました。

本来の宗教とは、宇宙観を言っています。

宗教とは宇宙を示す教えなのです。

お釈迦さまは金星の進化した教えを幼い地球に降ろして来ました。

肉体(器)は地球にあっても、意識は金星に合わせていたのです。(次元が違っていたのです)

私たちも次元の違う宇宙(神界、天国と言ってもいいです)に合わせなければなりません。

そうでないと本当に苦しくて苦しくてしかたがないという状況になってきています。

あなたは今しんどくないですか?

しんどくない方が不思議だと思うのです。

この状況から一日も早く抜けることが出来ることを願っています。


宇宙とつながって、本当の自分とつながる

安心立命する方法(基本)が祈りなのです。



 
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



  


  
 

2011年5月30日 (月)

地球が静止する日

  
  

「人類が滅亡すれば地球は生き残れる」

これってどういうことなんでしょう?

地球人類は自分たちのエゴで環境を破壊し地球そのものを滅亡寸前まで追い込んでしまっている。

にもかかわらずその危機感も持たず、変らずにエゴをむき出しにしている。

宇宙全体を司っている神々(進化した宇宙人)たちは

ある決断を下した。

「地球という惑星を救うために、人類を滅亡させる」

だがそれを実行させるために地球人の姿で降り立った神(宇宙人)は

人間同士の絆やある親子の美しい愛に触れて

その決意(地球という惑星を救うために、人類を滅亡させる)

が変わり、奇跡が起る。

そんな映画がアメリカで製作(2008年)されて

先週の27日、「金曜ロードショー」で放送されていたそうです。


http://www.ntv.co.jp/kinro/lineup/20110527/index.html

残念ながら私は観ていませんでした。


しかし私の心の中ではそのストーリィーが浮かんで来るのです。

なんとも情けない情景でしょう。

地球という星を守るためには、地球を滅亡、破壊しようとしている原因になっている地球人を滅ぼさなければならない。

地球人が、人や生きとし生けるものや地球の自然を大切にしていればいつまでも平和で美しい星を維持していけるものを自分たちの欲望のためにそれを放棄してしまった。

いや放棄したつもりはなくても

「このままではいけない」

「このままでは自分たちも地球も滅びてしまう」

ということに薄々気づいているのになんの手だてもしてこなかった。

宇宙は、お釈迦さまやキリストやその他多くの聖者、賢者を地球に送って人類を目覚めさせようとした。

だがとうとうここまで来てしまった。

映画の説明を読んでいたらこんなことが書いてありました。


「人間は窮地に立つからこそ、進化することができる」


確かにそうなのかもしれません。


でも窮地に立ったときにはもう遅いんですよね。


そうならないためにも


まだ目覚めていない人のためにも


私たちは地球の平和と宇宙人類の幸せ(地球だけでなく)を祈ることが大切だと思うのです。

 


世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます






 
追伸  
 

于先生のご著書には、どうすれば人間は癒され救われていくのか?

「無限なる癒し」

人間とはいったい何なのか? 地球はどうやって出来たのか?


「無限次元への誘い」

私たちは何をすればいいのか? 本当の自分になるには?

「無限なる幸せを体得する方法」


そのためには何が必要なのか?

「無限なる勇気」


人間にとって必要なことがこれらの本にすべて書かれています。

私は人間が進化向上して行くためのバイブルだと思っています。

まさしく宇宙天使からの贈り物です。わーい(嬉しい顔)
 



調和波動気功法 于寿明 三晃書房


「無限なる癒し」 于寿明 星湖舎

「無限次元への誘い」 于寿明 星湖舎

「無限なる幸せを体得する方法」 于寿明 星湖舎

「無限なる勇気」 于寿明 星湖舎


電子図書もあります。

下のホームページでは、それぞれの本の解説をしています。
本


http://utoshiaki.wook.jp/detail.html?id=207092


  
   

2011年5月25日 (水)

自己肯定感

 
 
    
心理的病気の躁鬱病って、自分を肯定する気持ちと否定する気持ちの起伏のような気がするのです。

あるときは自分に自信を持っていて誇らしげに思うのに

なにかがきっかけでそのプライド?が傷ついてしまい自信を失って落ち込んでしまう。

気持ちが0(ゼロ)ではなくマイナスになってしまうんですね。

だから元気を出そうとしてもマイナスから0(ゼロ)に戻して、そこからプラスに転じないといけない。


もの凄いエネルギーがいるわけです。

中には、プラスに転じるような、自分に自信が持てるようなことがなくてほとんどマイナスの心理状態の人もいる。(無限なる光明)


それはひとえに、自分というものがわかっていないからだと思うのです。


自分に自信を持ちたいと思っていても周りの人はマイナスの言葉ばかりを発している。

マイナスのエネルギーで攻撃してくる。


自分がマイナス思考なのに相手が元気(プラス)だと気に入らない。


確かにマイナスに陥る場面はいくらでもあります。げっそり


震災から後、特にそのエネルギーが強くなっている。


しかし、だからと言って自分もマイナスのエネルギーの中にどっぷりと浸かって、そのマイナスのエネルギーを周りに振り撒いていいのか?と言えばそれはとんでもないことなのです。

小さな溜息は、銀河系の端まで届くのだそうです。

それは海がつながっているように、空が一つであるようにエネルギーも消えることなくすべてのものとつながっているからです。


もし自分がとるに足らないつまらない存在なのではなくて

なくてはならないとてつもなく素晴らしい存在なんだ!

っていうことがわかったならば

自分を否定することなんてするわけがないのです。

自分を否定することは相手を否定することと同じです。

そして同時に自分で自分を殴っているのです。

痛めつけているのです。

これは真理(本当のこと)から大きく外れています。


だから今昔の聖者、賢者たちは

「自分が何者であるのかを知れ!」

「汝自身を知れ!」

と言っていたのです。

地球人類は己(おのれ)を知ることを怠って来た。

心を内に向けるより外に向けることに一生懸命になって来た。

しかしそれは違うということに気が付き出しています。

人間は進化するとは、

意識が目覚めるとは、

そしてアセンション(次元上昇)するとは

自分が何者であるのかを識るということなのです。

そのためには、まず

自分を否定することを止めることから始めなければなりません。

周りの人がどれだけ自分のことを攻撃して来ても

マイナスの言葉を投げつけて来ても

それでも自分だけは絶対に自分のことを否定しない。

自分のことを守れるのは

自分の理解者でもない

家族でもない

親友でもない

自分自身しかいないのだと思います。

自分自身を識る前に

せめてでも自分を否定することを止めてもらいたい

そんなことをふと思った次第です。

それから本っていいですね。

自分の知らない世界のことがわかる

本当のことがわかれば心の内から勇気がフツフツと湧いて来る。

本が無かったら自分はどうなっていただろう?

私にとって本は真の親友であり財産です。





お薦め本


「競争社会に向き合う自己肯定感」 高垣忠一郎 新日本出版社 本

「真理の法則」 西園寺昌美 白光出版 本



私の好きな歌です♪

「マイ・レボリューション」


http://www.youtube.com/watch?v=Tm67VN__Nys


  

2011年5月20日 (金)

ギブ&ギブ

  

  
普通は give & take といいますよね。

先日、新聞を読んでいたら 「三方よしの実践」 のことが書いてありました。

「三方よし」というのは近江商人による経営哲学で 「売り手よし」 「買い手よし」 「世間よし」、すなわち取引きの当事者がともに満足し、さらに社会に貢献するという精神なのだそうです。

最近、30歳代の若い経営者がこの理念の元、レセプションが行なわれたそうです。

そしてその記事にはこんなことも書いてありました。
  


このような三方よしを実践するには、新しい目線で、新たな事業・ビジネスを創造するイノベーションマインドが重要だ。

そしてそのビジネス構築にあたっては、常にビジネスパートナーの幸せや、社会に対する貢献を念頭に置きながら事に当たるといった、深い洞察力と知性、またそれを実現させようという強い意志が必要である。

そういったもんを兼ね備えた若者が今後どんどん出現することを期待したい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




~んなるほど、その通りだ! 

と少し以前の私なら納得していたのでしょうけど

な~んかスッキリしないのです。

それは、三方の中に自分が入っているからです。

売り手が自分としたのなら

買い手に喜んでもらい、それが社会(世間)が認めるような善いものだとする。

それによって自分も利益を得る。

自分も商売をすることによって従業員やその家族を養っていかなければならないのだから利益を出して当然です。

この経営哲学って昔も今も変わらないと思います。

でも、少し違うようにも思うのです。

それは理屈ではありません。

本気でボランティアをしている人たちは自分にどうこうして欲しいというなんらかの利益を求めているでしょうか?

自分の体を顧みず、原発の作業にあたっている人たちは何かを与えられることを求めているでしょうか?


ボランティアをすること自分の命を引き換えに命がけで仕事をする人たちに自分がという 我 があるでしょうか?

そして私たちにいつも光を注いでくれている太陽さんや大自然は人間に何かを求めているでしょうか?

違いますよね。

ただ自分の役割りを果して与えるだけです。

与えて 与えて 与えて

ただ与えるだけです。

これこそ、無償の愛です。

最上級の愛です。

商売をしている人たちが最上級の愛を行なったら

どうなる?

自分の利益を顧みず、相手のいいなりになって

ただ同然で商品を買い叩かれたら

自分や自分の家族、従業員は生活していくことが出来ません。


そういうことではないのです。

相手の欲望(多くの利益)を満たすのが、相手にとって良いことではないと思うのです。

物質的なものではなくもっと精神的なものです。

自分が商売することによって相手の人や周りの人が幸せな気持ち、あったかい気持ちになれることが本当の愛だと思うのです。



私は商売のコツをずっと以前に于先生に教えていただきました。


それはたったの2つなんです。




笑顔





奉仕の精神






これ以上のものはなにもいらない






笑顔と奉仕の精神




それが



give & give



なのだと思います。








追伸

相手のこと世の中のことを考えているつもりでも、そこにほんの少しでも自分というものを入れてしまっては、不純物になってしまうのです。

お客さんのため、世間のためって言ってもそこに自分の存在があったらやっぱり相手の心には響かないのです。

仕事ってなんだろう?

働くってどういうことなんだろう?

利益を得ること、稼ぐこと

そして人に尽すことってどういうことなのか?


これらの本の中にヒントがあると思います。






 参考図書

「宇宙が味方する経営」 伊藤忠彦 講談社インターナショナル


「何のために働くのか」 北尾吉孝 致知出版社

「思いをカタチに変えよ!」 渡邊美樹 PHP


  
    

2011年5月13日 (金)

我思う

  
  
先日、テレビを観ていたら、天皇皇后両陛下が被災地をご訪問されていました。

被災地の方々にお声をかけておられるそのお姿に感動しました。

声をかけられた人たちもみなさん感極まっておられました。

苦しんでいる人たちを包み込むようなまなざし、本当に相手の心情になって心から労わっておられます。

それが画面を通しても私たちに伝わって来るのです。

日本国民は、天皇陛下に対して理屈を越えた尊敬と畏怖の念を持っています。

どうしてそのような気持ちになるのか?

それは、天皇という位から来ているのではなく

両陛下から溢れる慈愛のエネルギーを市民が感じるからだと思うのです。

そのようなエネルギーは内から出て来るものであって決して取り繕って出て来るものではありません。

私は、天皇とはどういうお方なんだろう?

普段は何をされているのだろう?

と不思議に思っていました。

私を含め、今の日本人は天皇についてあまりよく知らされていないのです。

先日、そのことをある冊子で知ることになりました。

天皇陛下は祈りの神事(しんじ)をされているのだそうです。

天皇陛下の第一の仕事は 「お祈り」 なのです。

その祈りとは国民の幸せですが

それがただの祈りではなかったのです。

「国民が幸せであるように」

「国民の病気が治るように」

という祈りではなかった。

天皇陛下は、国民の穢(けが)れや病気をご自分の身を通して(浄化し)、国民の幸せを祈っておられたのです。


ご自分の身を通して浄化するとは、自分が身代りになって国民のマイナス想念、マイナスのエネルギーを受けとめ、浄めるということです。

それは大変なエネルギーを受けることになるのです。

そのことで想い出すのは、昭和天皇です。

昭和天皇は、太平洋戦争で日本が戦争に負けた時に、お1人で連合国軍最高司令官マッカーサーに逢いに行かれ

こうおっしゃいました。

「すべての責任は私にあります、私はどうなってもいいから国民を助けてください」・・・・・・と

なんという気高いお心なんでしょう。

まったくご自分というものがない無私の心です。

マッカッサーは天皇の心情に心を打たれ、当初の方針を変え、戦後の日本は最悪の事態を免れました。

まさしく天皇は、国民の身代りになった。

A級戦犯と言われた人たちのことも責めることは決してなかったそうです。

天皇家と民間の違いは、祈りを根底に置いているということです。

自分の幸せでなく国民の幸せ、日本だけでなく全人類の幸せを祈っておられる、それもご自身のお体を使って浄めておられる。

だから全身全霊から慈愛のエネルギーがほとばしっているのです。

そのエネルギーを感じて私たちは感動している。涙


私たちは天皇家の人たちがやられておられることをもっと知るべきだと思うのです。

そしてわたしたちも、自分だけの願望を祈願するだけでなく

世界中の人たち、人類(地球だけでなく宇宙の)の平和、幸せを祈ることが大切だと思うのです。

天皇陛下のお姿を拝見して、その気持ちを強く持つようになりました。

世界平和の祈りをたくさんの人たちに祈るようになることが自分の幸せになり、人類の幸せにつながる。


天皇両陛下のお姿をみて

  
そう思ったのでした。




 
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



  



 追伸


「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」 竹田恒泰 PHP新書 本

天皇家のことが詳しく書いてあります。



「後醍醐天皇」  竹田 日恵 明窓出版 本

天皇のこと、日本の本当の歴史、そして宇宙のことがわかります。


  
  
  

2011年5月12日 (木)

フォトンベルトの謎

     
  
今回の震災は、2012年に起ることが前倒しで早く起きたのだそうです。

つまりアセンション(次元上昇)が急がれている。

人類が早く目覚めなければならない時期が来ているということです。

な~んていきなりこんなこと書いても

「なんのこっちゃ?」

ですよね。

私もアセンションにはたいした興味は持っていません。

しかし人間が真理(本当のこと、我即神也、人類即神也)に気づかないと本当の幸せにはなれないと思っています。

だから今起きていることとは、真理に目覚めるためのプロセスなのです。

宇宙(神様)が描いたシナリオなのです。(真理に目覚めさせるための)

私は今起きていることが以前読んだ本に酷似していることに気づきました。

科学的に書いてあるのでどなたが読んでもすごくわかりやすいです。わーい(嬉しい顔)



どうしてこんなこと(震災を含めて)が起っているのか?

これから地球はどうなっていくのか?

わたしたちはこれから起ることにどう心がけたらいいのか?

そんなヒントが書かれています。

よかったら読んでみてください。
 
 


「フォトンベルトの謎」 渡邊延朗 三五館 本



  
   
 

与え過ぎないこと

  
   

髪の毛が抜ける原因となるのが、サプリメントを採っていることでもあるとある本に書いてありました。

抜粋してみますね。
 

 
 
私たちは、特定の栄養剤などを錠剤、粉状、液状、カプセル状などに濃縮したものを健康食品、あるいはサプリメントと呼んでいるが、これらを常用すると、特定成分を必要以上に採取してしまう結果になる場合が多々ある。

すると、過剰に採取され体内で消化しきれなかった余剰分は、老廃物として、汗や大小便などによって排出されるが、排出し切れなかった成分が、残留成分(不純物)として頭皮下に集積する。

そして髪の毛に含まれて体の外に運び出される仕組みなっているが、残留成分の量が多くなると、髪の毛をつくる細胞である、毛母細胞の働きが弱くなって、やがて脱毛現象が現われるのは、薬の副作用の場合と同様である。




 
つまり、過剰に栄養を摂り過ぎるとそれを外に出そうとする、大小便、汗になっているうちはいいが、善いもの(栄養分)でも溜まり過ぎると、かえって反対に働きを弱めることになる。

ということですよね。

このことは髪の毛が抜ける原因について書いてあったのですが、すべてに言えると思ったのです。

例えば、いくらお金があるからと言って、自立しようとしている若者に余るほどのお金を与えてしまう。

すると稼ぐ必要がないので怠惰になっていく。

お金に依存し、与えてくれる人(親)に依存する。

時間が経つと取り返しのつかない(無限なる愛)、矯正が難しい状況になってしまっている・・・・・・。


私は親が過剰な愛情やお金を子どもに与えて

駄目にしてしまっているケースをたくさん観てきました。げっそり


「お金は足りないくらいがちょうどいい」

と語った華僑の邱 永漢(きゅう えいかん)さんの言葉を想い出します。

そしてお金だけでなく愛情も与え過ぎてはいけないのです。

愛にも情が絡むとややこしくなります。

情とは相手のことを思ってというより、自分の欲望を満足させたいという気持ちが入ってしまうからです。

エゴでもあります。

自分の自己満足、エゴを相手に与えてしまう

するとそのエネルギー(マイナス)で相手は弱ってしまう。

人と接するときって愛が愛情にならないように

自分を制御(コントロール)していかなければならない。

そんなことをふと本を読んでいて感じたのです。

脱毛の話から全然違うことに飛んでしまいました。(笑)

みなさん、体に栄養を与えるのはいいけど

過剰に摂っていませんか?

栄養が足りないから病気になるのではなく

甘やかせて(自分を)いるからそうなっているのではないですか?

原因(不健康な)はもっと他にあるのではないですか?

  


 

育毛の真理 東田雪子 これを読めばあなたもハゲない、白髪も治る

角川学芸出版 本


育毛の真理だけでなく人生の真理が書かれた素晴らしい著書です。

 
 


となりの億万長者 トマス・J・スタンリー早川書房 本

お金を与え過ぎてこどもを駄目にしてしまった親のことが書かれています。

  
  
      

2011年5月11日 (水)

なぜ、病気になるか?

  
  
病気って気の病と書きます。

気ってなんでしょう?

気はいろんなことに使われます。

空気、元気、電気、天気、気持ち、陽気、やる気、・・・・・・。

無数にある気のつくものに注意してみると、それは目にみえないエネルギーに行き着くのです。

目に見えないエネルギーってなんだ?

実は私たちの肉体や心もエネルギーで出来ています。

(宇宙)からやってくるエネルギーによってエネルギー体である私たちは生かされているのです。

いつも言っていますように、宇宙からやってきたエネルギーは、頭のてっぺんの百会(ひゃくえ、チャクラ)に入って、60兆の細胞に行き渡り、そして足の裏(湧泉)から地球の中心へと流れて行きます。

この流れ(エネルギー)がスムーズに行っているときが健康体なんです。

気(エネルギー)が病んで(滞って)いないからです。

ねっ、すごくシンプルでしょ? わーい(嬉しい顔) 指でOK

このエネルギーの流れとは、血液と心の流れを言います。

身体の中を流れる体液(血液)と心の中に詰まった(ストレス)、滞ったエネルギーを川の流れのようにサラサラ(つまりスッキリ爽やか)にしてやれば人間は本来の姿(健康体)になれるのです。

そのためにはどうしたらいいか?

血液を順調に流すための運動と、百会から入って来たエネルギーをスムーズに流すようにすることです。


つまり目に見える肉体(3次元)を流れるエネルギー、血液を流すこと。

そして目に見えないエネルギー(4次元、多次元)のエネルギーを流すこと。

このバランスが取れているのが整った人間の姿です。

目に見えるエネルギーと目に見えないエネルギーのバランスが整っていないから、エネルギーが病んで病気になるのです。

では、このエネルギーとは何なのか?

エネルギー、気とは何なのか?

ここで気に付いて述べてみます。

そして私のしている調和波動気功法について書いてみます。



 
気功とはなんですか?


幽気、霊気、神気の気の働きであり、神様の働きである。

日本語の 「気を付けて」 は英語で 「good bye」=「God by you」であり、スペイン語で 「Adio's」の dio's は神の意味である。

「気」 とは神の意味である。


調和波動気功法と他の気功との違いは、


調和波動気功法は神気であり、真理の気、宇宙根源の気である。


調和波動気功法を実践するとどのような変化がありますか。


・安心立命、自由自在心、不動心、直観力が冴える。

・神々が守りやすくなり、大光明波動体となる。



 
 
 于先生のご著書、「無限なる癒し」「無限次元への誘い」 「無限なる幸せを体得する方法」 「無限なる勇気」  より



  http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/


  http://utoshiaki.wook.jp/detail.html?id=207092
 




   

2011年5月 7日 (土)

相手の天命を祈ると仲良くなれる

  
  
私たちには、どうしても上手くいかない人間関係の人がいます。

ウマが合わないというか、不思議なもので以前は上手くいっていたのに急にギクシャクしてくることがあります。

自分が相手の人に気に障ることを言ってしまったのか、どこかで失礼なことをしてしまったのか?

聞いてみるのも変だしかといってこのままずっと行っていいものではない。


そんな関係の人って結構いると思うのです。

職場でも友人知人でも、そして家族でも・・・・・。

そんなとき上手くいく秘訣を教えます。

それは、その人の後ろから

「○○さんの天命がまっとうされますように」

と心の中で祈って唱えるのです。

その人の背後には必ず守護霊さん、守護神さんが付いておられます。(背後霊ではありません)

人間が生まれて来た一番大切な意味ってなんだと思いますか?

それは、天から与えられた使命(ミッション)を完成させるためです。

ミッションとは目的でもあります。

課題(宿題)のようなものがあってそれをやり遂げないと人間界を卒業出来ないのです。げっそり

ある人は仕事を通して使命をまっとうさせることなのかもしれません。

ある人はいろいろな人間関係を上手く築き、調和させることが使命だったりする。

またある人は悲しくも辛い体験を積んで魂を成長させることで生涯を送る人もいます。

そしてある人は前世で培った芸術などをより磨くこと、人を感動させることで役割りを果す、まっとうさせる人もいる。

つまりどんな人でも必ずミッションがあっていろんな経験、体験を積むことで完成(パーフェクト・神)に近づけて行っているのです。

それが天命をまっとうさせるということです。

「自分はなんのために生れて来たんだろう?」

と悩んでいる人にも生まれて来たのには必ず意味があるのです。

それは生まれて来る前に天(神界)で決まっていることなのです。

地球に降り立つ前に天界にいた自分が自分に宣言をして地球に天下って来たのです。

「私はこれこれのことを経験することで魂を成長させることを誓います」

・・・・・・・・と。

その事に気づいて才能(いろんな才能があります)を開花させた人が天才と言われている人たちです。

天才とはごく一部の人たちだけだと私たちは思っていますが、みんな天からの才能を与えられているのです。

でもそれに気付いていない。(無限なる能力!)

相手の天命を祈るということは人間にとって一番大切な天命をまっとうさせることをその人に代わって祈って差し上げることです。

これ以上ない、最高の贈り言葉(プレゼント)です。ぴかぴか(新しい)プレゼント

後ろから祈るとは、天命がまっとうされることはその人を守っている守護霊さま守護神さまがもちろん一番望んでいることでもあります。(でもなかなか気づいてくれない)

それを祈ることで強烈にバックアップ(協力)するのです。

守護霊守護神にとってこんなありがたいことはありません。泣き顔

そこで強力な光を得た守護霊守護神はその人を守りやすくなるのです。(メッセージを送りやすくなります)

そして守護霊、守護神さまは祈りを送ってくれた人に感謝するのです。

そして送るメッセージの中に

「この人はお前の幸せを祈ってくださっている、なんとありがたいことかお前からもお礼を言いなさい」

が入っているのです。

送られた本人はなんとなく嬉しくなります。(光を得て)

そして自分の天命を祈ってくれた人に親しみを覚えるのです。

懐かしい、ありがたい存在に思えて来る。

すると今までの憎しみが薄れて来たり何度も唱えているうちにわだかまりも消えていくのです。

「そんなバカな!そんな簡単な方法で上手くいくはずはない!」

そう思いますよね。(笑)

でも、あら不思議!

いろんな人の背後から祈っていくと

振り返って

「ニコッ」と笑顔で返して来る人がいるのです。(因縁の薄い人)

これは驚きです。

何度も祈っても効果がない場合もあります。

それはそれだけ因縁生が深いのです。(でも確実に少なくなって行きます)

そしてある日突然

何事もなかったように親しげになっています。

もちろん相手に合わせたり

3次元的な努力も必要です。

むっつりしていてはなかなか上手くいくはずはない。

でも普通に接していて、そこに祈りを加えていけば効果てき面です。

どうか騙されたと思ってやってみてください。

自分も相手の人も幸せになれる魔法の言霊(ことだま)なのです。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

○○さんの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます



   
  

2011年5月 6日 (金)

苦しみの原因は間違った自我意識にある

  
  
毎日が何だか重苦しくてスッキリしない、いつも不安がある、先のことを明るく考えることができない。

それは私も含めてたくさんの人がそういう心境だと思います。

「なんでこんなにしんどいんだろう?」

「この鉛のようなエネルギーはなんなんだろう?」

そう想っているときって

自分のことしか考えられなくなっている

余裕が無くなっている

人の立場になっていない

ということに気が付いたのです。

なぜ気づいたかと申しますとある本を読んでいたのです。

自分にとって善いこととは自分にとって都合の良いことです。

そして悪いこととは自分にとって都合の悪いことです。

そこには自分しかありません。

他人とか広い意味での人類が入っていないのです。

自分にとって都合の悪いことでも全体からみれば善いこともあります。

自分という狭い枠の中に入ってしまうと大局的に物事を観ることが出来なくなってしまうのです。 (無限なる可能性!)


『自分のことを何とかしようとしたらしんどくなる』

『自分を無くして人の喜ぶことをしようとしたら上手くいく』



物事ってそうなのかもしれません。

自分が何をしたいか?

ではなく

自分に何が出来るか?(人のために)

ですよね。 わーい(嬉しい顔)


ほとんど言いたいことは書いてしまったのですが

私を気づかせてくれたありがたい本の中から真理の文章を抜粋します。

よかったらお付き合いください。





 
苦しみの原因は間違った自我意識にある


 
人間はいかに苦しくても、またいかに多くの悩みや難題を抱えていようとも、決して自分のことのみに把われ、自分中心に生きてはなりません。

そのような生き方では自分が欲する真の幸せや平安は決して訪れるものではありません。

確かに今、自分が抱えている難題や種々の悩みは、それから逃れようと、必死にあらゆる手段を講じるならば、一時的には解決されるかも知れません。

しかし、それはあくまでも一時(いっとき)の解決にすぎないのです。

時が経つと、また同じような苦悩が現われてくるのです。

何故ならば、それは真の問題解決ではないからです。

何故そのような苦しみや悲しみ、問題が生じてくるのでしょうか・・・・・・。

その原因を探求しない限り、真の問題解決には至らないのです。

仮にその場しのぎで問題が解決されたように思えても、その根本原因の種を取り除かない限り、また新しい芽が吹き出てきます。

その種とは、自我意識に把われた生き方です。

自分のみが救われ、自分のみがよかれと考える、その自己中心的な心がある限り、課題は尽きることはありません。

自分への執着、自己愛の束縛から解放されない限り、自分の苦しみから自由になることはないのです。

私たちは、苦しみから逃れるために、逆に苦しみに同一化し、その苦しみをますます倍加させてしまっているのです。

自我を見つめる代わりに、逆に自我と一体化してしまい、ますます自己愛に陥ってしまうのです。

病気を恐怖し、病気から逃れたい一心で、逆に病気と同一化し、自分自身を病気に引き込んでゆくのです。

このように、原因の種はあくまで自分自身にあるのです。

誤った自我意識なのです。



    
      「真理の法則」 西園寺昌美 白光出版




 

 追伸


この後の文章がとても大切なのですが(気になる方は)

後は本を買ってご自分で解決をしていってくださいね。本


    
  

2011年5月 3日 (火)

志の高い人は

   
       
私は日記で世界平和の祈りの素晴らしさ、大切さを書いているのですが、これを素直に

「その通りだなぁ、世界の平和がなければ自分の幸せもないよなぁ」

と思える人は魂の古い立派な人たちなのです。

でもそんな人たちばかりではないので、そこに壁が出来てしまいます。

地球という星は面白いところでいろんな魂の人が混交している星なのです。

だから自分が真理の伝達をしていく上でいろんな出来事があります。


以心伝心ですぐに伝わる人と全く通じない人、通じそうでそうでない人(笑)

今は、通じない人はひとまず置いておいて、すぐに通じる人に広めていく“とき” なのです。

そのプロセスで

「そんなものいらない!」

「祈りなんてなんになるんだ」

と言われても、その人に同調せず(振り回されず)、自分の波動体の中に居られるようになりたい、不動心になりたいと思っています。

そして、気持ちが落ち込んだときに心強い味方になってくれるのが、今までに読んできた書物なのです。(本はほんとにありがたいです)

私は 老子様を 尊敬しています。

志(こころざし)がとてつもなく高いからです。

もしかしたら志さえも超越しているのかもしれません。

自分というものが全くない、無私の人です。


私が大好きな“老子講義” の中から抜粋します。

大きな志を持っておられる方はきっと共鳴すると思います。


 



上士は道を聞いては、勤めて之を行わんとし、中士は道を聞いては、存するがごとく亡きがごとく、下士は道を聞いては、大いに笑う。笑わざれば、以て道と為すに足らず。


 

上士というのは勿論志の上等の人、上位の心の人という意味ですが、そういう人は、道を聞くと、どのようなむずかしい行為でも、勤めてこれを自己の行為に現わそうとするが、中士は道を聞いても、判らないところでも、判ったような顔をしてみたり、頭では理解しながらも、なかなか行為に現わそうとする努力をしなかったりする。

それは道に対する信というものがあまり深くないからで、この人にとっては、道というものが、自分の都合次第では存在するように思えたり、存在しないものに思えたりするのである。

ところで下位の人になると、道を聞いては、そんな道などというものが存在するものかというように、大笑いに笑いとばしてしまう、というのであります。


そして老子は、そういう下級の人に大笑いされないようでは、道というには足りない、といっているのです。


こういうところは、老子の時代も今日の時代でも少しも変っていません。

今日の宗教者がいくら口をすっぱくして神の存在を説き、神の道を説いても

「そんなものあるものか、神様があるのなら、何故こんな不公平な世の中を造ったんだ。口惜しかったら、こんな苦労しなくとも楽に食えるような世界をつくってくれ、あなたたちのいうような、神の道なんていうのは、私たちには用はないよ」 

などという人々がかなり多いのであります。

老子は、神の存在ということと、神のみ心の在り方というものを、ここでは道という言葉だけで説いております。

そして、この道ということが判るのはむずかしいことなので、そうやすやすと理解できるものではない。

だから、現象世界の利害損失のみに追われているような、下級な志の者には理解しがたく、そんな話を聞いたって、一文の得にもならない、と馬鹿にされて大笑いされるものなのだ、道というものはそんなものなのだ、といっているわけです。

 実際この世の大半の人々は、利害損失ということが、先ずその想念の先に立つのでありまして、宗教信仰をしているような人々でも、自己の現世的な利益を保証して貰いが為の信心であったりすることが多いのであります。


ですから、老子のいうような上志の人は実に少ない人数しかないのではないかと思われます。


しかし、信仰の最初は中志の人であっても、その信心をつづけてゆくうちに、いつの間にか上志の人と同じレベルの心境に到達している人々が、世界平和の祈りの同信には非常に多く存在するのです。

そこでたゆみなき信仰ということが大事になってくるのであります。

神などあるものか、それよりは飯だ、というような下級な想いの人々でも、医者に見放された病気などになると、溺れるものは藁をも掴む、というように、神信心に想いをむけることもあるのですから、現在下級のように見えている人でも馬鹿にしてはならない。

人はみな神の光のひとすじなのだ、と私はいっているのであります。




     「老子講義」 五井昌久 白光出版 本




  


    

自分の感情を喜ばせようとしているうちは


  
1.自分の感情を喜ばせようとしているうちは悟れない。


 
先日の気功セミナーで于先生(私のメンター)がおっしゃったお言葉なのですがこの言葉がほんとにほんとに沁み入るのです。

人間は、喜ぶことが好きです。感謝されることも好きです。

認められることも好きです。

そしてそのため(自分の感情を喜ばせる)に行動してしまいます。

しかし人はすべてを善いようには受け取ってはくれない。

前の日記で書いたように誤解されること、批判されることもあります。

すると昨日までの理解者が急に敵?にまわることがあります。

「おいおいなんでそうなるんだよ」

という状況になることがあります。

そこで慌てるのは自分が自分の感情を喜ばせるために行動してしまっているからです。

「目的はもっと違うところになければいけない」

「もっと大きな目的のために行動しないといけない」

のです。

それを忘れて感情に走ってしまう。

感情に走ると、勘定(計算)が合わなくなると行き詰ってしまうのです。

それが悩みです。

悩みとは闇が波のようにやって来るという意味だそうです。

マイナスの想念が黒い闇になって襲って来るのです。(そしてエネルギー、波動が流れなくなる)

私はこれが鬱の原因だと思うのです。

「自分の感情を満足させることをやめたとき」

自由自在心

つまり悟った状態になる

おおげさかもしれませんが

そうだと思います。




   


  
  

人を説得しようとするな!

  
    
私は今、あることをしているのですがなぜか批判をされます。

一生懸命にすればするほどその度合いは強くなっているようです。

自分に落ち度はなかったか、悪いところがなかったかを検証するのはもちろん大切なことですが、それをした上(反省、謝罪)で何もなければ正々堂々と生きて行こうと思っています。

そこで誤解をされていたとしたら

「それは違うんだ、そうじゃない」 と言い訳をしたくなります。

説得をしようとします。

自分が間違っていなかったとしたらそれは言い訳ではないのかもしれません。

正当な防衛なのかもしれません。

でもそれをしたところでやっぱり批判する人はするのです。

どんなことをしていても気にいらなければ他の事でけちをつけます。

私はあるときからそこに波長を合わすことを辞めました。

批判という感情の波動に意識を合わすことを辞めたのです。

そのきっかけとなったのは釈尊(お釈迦さま)のお言葉でした。

ここの日記にも何度も書いて来ました。

心に沁みて泣きそうになります。涙

もちろんありがたくての嬉し涙です。泣き顔

みなさんもよかったら噛みしめてください。

きっと心が晴れて元気が出て来ますよ。
わーい(嬉しい顔) 富士山


 

私は釈尊の次の言葉が好きである。
 

「沈黙しているものも非難され、多くを語るのも非難され、少しを語るのも非難される。世に非難されない者はいない」

この世に生ある限り、何をしても人は非難の目、嫉妬の目をもって他人を見つづけるのである。

人の目を気にしていたならば、自分の身が持たない。

天の目を気にして生きてゆくことだ。




      「日々の指針」 西園寺昌美 白光出版



   


2011年5月 2日 (月)

なんでもないようなことが幸せだと思う

   
     
なんだかどこかで聞いたことのあるようなタイトルのフレーズですが、実は、最近妻のありがたみがわかったのです。泣き顔

私は妻に対して料理を作ってくれたり、掃除、洗濯をしてくれたりしてくれていることに、感謝をするという気持ちをあまり持っていませんでした。

妻もパートで働いているにもかかわらず家事いっさい応援もしていません。

妻は、「世の旦那さんはもっと協力してくれているよ、私が死んだらどうなるの? そのとき慌てても遅いよ」

と時々文句を言いながらも離婚されることもなく、駄目亭主に付き合ってくれています。

そんなある日、先日、やもめ暮らしをしているという小学校のときの友人の家に寄ることがあったのです。

彼は離婚をしていて大きな家に1人暮らしをしています。

以前おじゃましたときは、奥さんがおられたときでした。

小奇麗にしていて家の中も整理整頓、気持ちのいい空間でした。

ところが久しぶりに行ってみると家の中は一変

惨憺たる状態でした。

掃除はされていない(トイレが汚い)、そこら辺に本や雑誌が山積み、台所には洗いものが溜まっており異臭(たぶん何かが腐っていた)が漂っているのです。

彼を見ていると、着ているもののシャツにシミがあるのです。

「こいつ洗濯もあまりしていないのか?」

彼はビジネスマンで管理職です。

人を見た目で判断してはいけませんが、清潔感は大切です。

「おまえいくら奥さんがいないからってもっとちゃんとしろよ」

と言いたかったのですが、そんな状態なのにあまり気にしていない彼を見ていると何も言えなくなってしまいました。(以前はノリの効いたビシッとしたカッターシャツを着ていたのです)




私が彼と同じ状況になっていたら ・・・・・

「もしかしてもっとひどいことになっていたかもしれない」

それも慣れてしまって

自分でも気が付かなくなっていたかも

家に帰ってうちの中を見渡すといつものように綺麗に片付けられている光景があります。

いつもは当り前だと思っていた景色が急にありがたくなってきました。

泣き顔

座っていたらお茶が出てきます。(おい、お茶とかは言ってませんよ)

洗濯カゴに着た服を入れていたらタンスを開けるとそこには魔法のように綺麗にたたまれた清潔な服が並べられています。(クリーニング屋さんが居ます)

多少散らかしても、家に帰ったときには片付けられている。

トイレもピカピカぴかぴか(新しい) (うちにはトイレの神様がいるのか)

う~なんとありがたいことか~ 泣き顔

妻に初めて感謝の気持ちが湧いて来ました。(おそいか~)

そして友達の家に行ったこと、そのときに思ったこと、そして今感謝していることを告げると

「今頃わかったんかいな~、時々その友達の所に行ってき~」

と笑っていました。

自分で言うのもなんですが

なかなか出来た奥さんです。

感謝、感謝 涙

これからは妻になるべく負担をかけないように自分で出来ることはもっと気をつけてやっていこうと思ったのでした。(いつまで続くかわかりませんが)


    
     

2011年5月 1日 (日)

メンターとは?

  
     
先生とは、学問を教えるだけでなく人生の指導者でなければならないと思うのです。

人生の指導者(メンター)であるためには、本当の事(真理)がわかっていなければならない。

真理がわかっていないのに人を指導したりなんて怖くて出来ません。げっそり

子どもには何を伝えていけばいいのか?

何が大切なのか?

何がいらないもので何が必要なものなのか?

大人、親が未熟なのに何を教えたらいいのか?

教えるなんておこがましいのかもしれない。

真理を伝えるだけでいいのだと思います。

これからの先生(メンター)とは、自分でも真理がわかっていて責任を持って伝えられる人だと思うのです。(わかっていないからいつまでも自分に自信が持てない・・・無限なる勇気!)

そうでないと人類は益々、間違った方向へと向かってしまう。

「真理の法則」の本の中に子どもたちに教育すべき項目が書いてありました。

この中のいくつかは今の常識?から言えば 「えっ」 と思うものもあります。

しかしそれが本当のことなのです。

わからないからもういいやではなく逃げずに“真理を追究する時”に来ていると思うのです。

薄々感じていること、潜在意識の中ではわかっているだろうということをハッキリとさせる時期が来ているように思います。






真理の教育とは



○ いかなる子どもも無限なる能力を内に秘めている。その能力をオン、オフにするのは本人の目覚め次第である。


○ 自分が蒔いた種は必ず自分が刈り取らねばならない。


○ 光明の言葉、想念、行為からは、光明の人生が創造される。否定的な言葉、想念、行為からは、不幸な暗い人生が創造される。


○ 人間は本来、神そのものである。


○ 人は、自らの内に秘めた無限なる能力を磨き高め上げることによって、人類の進化創造に参加すべきである。


○ 人生は、自分の思った通りのものになる。


○ 人類の未来は、予言するものではなく創造してゆくものである。


○ 過去に起ったこと、今自分の目の前に起こっていること、未来起こるであろうこと、そのすべては自分の責任である。


○ 肉体は死んでも、生命は永遠である。


○ 自分という存在は、世界広しといえど、自分一人しかいない。自分の存在価値のいかに尊いことを知らなければならない。


○ いかなる人も、自由に生きる権利を持っている。誰もそれを侵すことは出来ない。





  
      「真理の法則」 西園寺昌美 白光出版 本




  


どこに意識を合わせるか?

  
  
例えば、ガンに罹っている人がいるとします。

そのままガン細胞が増幅されて死に至る人もいます。

しかし克服する人もいればなんと不思議な事にがん細胞が消えて無くなることもある。

克服する人はもちろん、細胞が消えて無くなるとはどういうことなんだろう?

私はいくつかのこの “消えた” という人の共通点を発見しました。

そしてその多くは、ガンになった人のほとんどは、崇高な、大きな目標を持っていて意識がそちらの方に行っていた人たちだったとわかったのです。

つまりガンと宣言されても、それが末期の状態であったとしても

「ああ自分はガンなんだ」

「もうダメかもしれない」

「これからどうしよう、治療を受けた方がいいのか? 他の方法を探した方がいいのか?」

ということに意識を向けるのではなく

その人に大きな目標、目的があったとしたならば

そこから意識が外れないのです。

だから、一瞬ガンのことに気持ちがとらわれるかもしれない

しかし、意識はすぐに大きな目標に向かうのです。

「自分には大きな目的がある、だからそれが達成できないうちは死ねに死ねないんだ、入院している場合ではないんだ」

・・・・・・と

だからいくら周りで入院や手術を勧められても、ハッキリと断ります。

「いいんです、目標に向かっている途中で死んでも本望です」

その人の心の状態とは、ガンから外れています。

するとエネルギーは癌細胞には向けられていない、エネルギーを得ることを失ったガン細胞は大きくなることがなくそのうちに力尽きて死滅し無くなっていくのです。

それを人は奇跡という。

 

そんなに意識の高い人なんて滅多にいない

滅多にいないから奇跡というんだ

と思う人がほとんどでしょうね。

でも意識が変わればどんな奇跡も起ることは確かなようです。

前置きが長くなりましたが、今読んでいる本の中にそのことが書いてあったのです。

果因説という考え方なんですが、人類はこれから思考が変わって行きます。

マイナスを認めない、プラスのみの思考に変って行きます。

マイナスはないことがわかっていくのです。

そして次元が変わって次元上昇していく・・・・・。

果因説はそのプロセスの中にあります。

これからその説について本の中から抜粋します。

よかったらお付き合いください。








  

最終目標に意識を合わせる果因説の生き方



自らの人生を見事に花開かせてゆくためには、果因説による生き方が必要なのです。

自分の意識を、まず自分の目指す最終目標に合わせるのです(人類の究極の目標は、我即神也です)。

それを実現するために、あらゆる条件を設定し、形作ってゆく。

そしてそこに向かって努力を傾けてゆく。

要するに、意識を目指す結果に集中させてゆけばよいのです。

例えば、脳梗塞で倒れたとします。常識で考えると、脳梗塞に至るまでの過去の生活が問題となります。

病気になった原因が追求されるのです。

まず常識で考えると、暴飲暴食、睡眠不足、嗜好の好き嫌い、働き過ぎ、神経症、不安・・・・などの条件が幾つか重なって、ある臨界点に達し、ついに脳梗塞に至ったのです。


その時、生命には別状がなくとも右半身に麻痺が残った。

しかも、通常よりも非常に重い状態であるとします。

すると、医者も家族も、また本人自身もまずは一生寝たきりにならないためのリハビリテーションに意識を向けます。

この時、医者はそれまでのあらゆる経験、症例から、この人の場合、どう見てもほとんど歩くことは不可能と判断を下してしまいます。

だが、取り敢えずの目標はまず歩けるようになることですから、諦めずに歩くことに意識を集中させます。

その際、歩くための種々さまざまな目標が設定されます。

だが、どれもこれも到底歩くまでの道のりは長く、しかも相当な困難が強いられます。

忍耐力、努力、集中力、痛みを克服するための強い意志力が必要となります。

医者、家族、本人はみな一つになり、一致協力し、リハビリに専念します。


だが、本人は自分の身体が重く、何一つ自分の思うように動かないことを幾度となく体験するのです。

自分に出来る限りのあらゆる努力、忍耐、精神集中を行なっても、手を動かすことも、ましてや足を動かすことも出来ません。

歩くどころかベッドの上で寝返りを打つことさえ困難なことなのです。

とうとうその人は、歩くことを断念せざるを得ないところまで追い込まれてゆきます。

だが、この思考を果因説に変えて、同じリハビリを行なったらどうなるのか比較してみますと、一番重要なことは、自分の意識を“歩けない” ことに向けないということです。

悪い身体を元の身体に戻すのではないのです。

意識を常識思考から来るところの “絶対無理、不可能” などという、否定的分野に向けずに常に光明思想に向けるのです。

自分の意識に限定を下さず、無限なる可能性に意識を集中させるのです。

そして、歩くことのみを自分の目標とするのではなく、これからの輝かしい生き方に目標を設定するのです。

歩くことは、あくまでもプロセスであって最終目標ではなく、歩けることは結果的についてくることです。

そのために、自分が元気になったらまず何をしたいか? 家族のために生きたい、人のために少しでも役に立ちたいと、自分自身の魂が、精神が喜ぶこと、高揚すること、鼓舞すること、生き生きすることに意識を集中させることに重きを置くのです。

その輝かしい、これからの人生に向かって意識を集中させてゆくのです。

今までのように、極めて先の見えない苦しく困難な道を一歩一歩下から積み上げて昇りつめてゆく方法ではなく、自らの輝かしい人生の目標を持って、上から自分が自分自身を引っ張り上げてゆくのです。

人のために働きたい、家族と共に元気で生きたい、個人人類同時成道の崇高なる道をただひたすら極めてゆきたいと等と、その崇高な意識に従って、歩けるようになるための努力、忍耐を日々瞬々積み重ねてゆくのです。

輝かしい結果に向かって意識を集中させてゆくと、常に光明思想で一瞬一瞬が乗り越えられてゆきます。

最初は寝返りを打つことさえ困難であった重く不自由な身体が、自らの崇高な意識により、寝返りが打てるようになります。

自分の意識を常に本来の目標に向けて高め上げてゆきます。

自分はもっともっと崇高で気高く、広大で輝いているのである、と何度も何度も自らに言い聞かせつつ、立つこと、歩くことといったその小さな一つ一つの目標を、大きな目標の中に吸い込ませてゆきます。

常に大きな目的意識が小さな目的意識を一つ一つ引っ張り上げてゆく仕組みとなるのです。

 その時、たとえ駄目だ、出来ない、不可能だと思ったとしても、自らに諦めと限界を下さない限り、いくか必ずそれは成就するのです。

寝返りの次はベッドから起き上がること、そしてそれが出来たらベッドから立ち上がること、そのプロセスにおいて、何度も何度も苦しい挫折や困難を強いられるかも知れません。

だが目標が高く大きいだけに、枝葉の一挙手一投足に意識が煩わされ、引っ掛かることが少なくなるのです。

意識がそこに把(とら)われなければ、意外に一つ一つのステップはクリアしやすくなるのです。




   
     「真理の法則」 西園寺昌美 白光出版 本





   


    

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