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2011年4月29日 (金)

真理の法則 (新しい人生の始まり)

  

   
今読んでいる本のタイトルが 「真理の法則」 なんですが

目からウロコ 目

本当に凄いことが書かれています。

人間が本当のことを知ったら

自分が何者であるのかを知ったら

そして真理を知ったのなら

人生が一変するでしょう

この本を読めばあらゆる苦悩は無くなる

そこまで言ったら言い過ぎでしょうか?

でも私はこの本を読んでそう感じたのです。

そこでほんの一部をご紹介します。





自分に解決できないことはない


・・・・・病気もそうです。怠惰な生活や誤った習慣などから自分でつくり上げた病気は、必ず自分で治せるのです。

ドクターを100%信じ、自分の力を1%も信じていないから、治らないのです。

人に頼っているところに病気を治らせない要因があります。・・・・・・・・・



 
これから本を読み進めていくうちに特に心に響く部分をご紹介して行きますね。

でも是非、ご購入されて読んでください。

だって私が響く部分とみなさんとは違うと思うからです。

しかしきっと多くの気づきがあると確信しております。



 
 「真理の法則」 西園寺昌美 白光出版 本



   



     

日々の指針

  
  
  
1.この世は、誰1人として同じ考えの人はいない。違って当然、多様性ほど尊いものはない。


1.人のために生き、人を生かすことこそ人類一人一人の天命である。


1.人類一人一人は、いかに多くのものの犠牲の上に成り立って生かされているものなのか━謙虚。





    
                    西園寺昌美


  

先生に逢いたい!

  
  
  
関西だけの番組の中で“先生に逢いたい” というタイトルのコーナーがあるのですがこれがなかなか泣かせるのです。涙

昨日は2人の人が懐かしの恩師に逢えました。

1人は中学生の頃、いじめに遭っていて辛い日々を送っていたところ剣道部に入った、そこで新任の女の先生が付きっきりで自分に寄り添ってくれた。

素ぶりをするときでも写真を撮るときもいつも隣にいて励ましてくれたのだそうです。

でもいじめられていたことは先生には話してはいなかった、ただ優しく傍にいてくれただけだったけどそれがとても心強かったのだそうです。

再会した先生はそのことを聞かされてびっくり

「明るいし元気な子だったから知らなかった、先陣を切って必ず勝って来る、私の方が学ぶことが多い子どもでした」

と語っていました。

後の1人は、小学生の頃、両親が離婚して自分は父親に付いていった、昼食はいつもパンだった、そして遠足のときも

そのときに先生が、「うちの母親にお前の分も弁当を作ってもらうから明日はパンを買わなくていいぞ」 と言ってくれたのだそうです。

そのことがとてつもなく嬉しかった。

そして辛いことがあったときにその事を想い出して乗り越えて来たのだそうです。

再会した先生は彼が誰だかはわかったものの、自分が弁当を与えていたことは忘れていたのだそうです。

「あの頃は、そんな境遇の子が結構いて1人分作るのも2人分作るのも同じだからと母親に頼んでいました」

と語っていました。

2人の先生に共通しているのは、自分がやっていたことが教え子の人生に大きな影響を与えていただなんてちっとも思っていなかったということです。

無償の愛が人の心を暖め、そして救った

先生は

「教師冥利に尽きます」 とおっしゃっておられました。

善いことをしようと意識してすることは人の心を打たない

しかし心の奥底から出て来る自然の思い遣りや愛は、お互いの心の垣根を超えて一つになれる。

その自然の姿が画面から伝わってくるのでいつの間にか私の魂もその中に入っていき、感動するのです。



日本にはこのような美しい愛が一杯に溢れている

だから日本は絶対に大丈夫なんだ

必ず復興できるのだ

と思うのです。

日本はやっぱり素晴らしいですね。わーい(嬉しい顔)





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます





  

2011年4月26日 (火)

祈りと希望

  

  
私は、ツイッターなるものの存在は知ってはいるのですがそこに入って行ってはいません。

所詮、つぶやきに過ぎないのではという偏見があったのかもしれません。

しかしエジプトの革命は、ある青年のインターネット上の“つぶやき”だったと聞いています。

そして今、私が読んでいる本は、東日本大震災に対して寄せられたツイッターの数々です。

人間は極限状態になると思わぬ力を発揮します。

魂が揺さぶられ

感動し涙が溢れてきます。

そして「私にもこんなに純粋な美しい心があったのか」

と気づかされることがあります。

また、日頃どうしようもないと思われている人たちが

善い人になって私たちの目の前に現われたりします。

私が一番感動したのはヤクザの人たちが交通がマヒしている場所で

交通整理を始めたというツイッターを読んだときでした。

ヤクザの人たちは一般の社会から特別視されています。

愛に乏しい人たちだと思われています。

しかしヤクザの人たちもテレビを観ていて、街の惨状を見てじっとしておれない心境になったのだと思うのです。

肉体に現われている人間はそれぞれ違っていても心の奥戸で光っている美しい魂はみんな同じなんだとたくさんの人たちはきっと思ったと思うのです。
 

本の中からいくつか私が感動したツイッターをご紹介します。



 


 
働くひとたち


004

昨夜のこと。

ある駅近くのコンビニが停電の中自家発電営業していた。

レジに長蛇の列が出来ているさなか、燃料が切れたのか自家発電が切れてレジが動かなくなった。

真っ暗な店内。皆手に持った商品を棚に戻して店を出ていた。

そのまま持って出ても誰も分からない状況だったけど。




 

駅員さん

030


駅員さんに 「昨日一生懸命電車を走らせてくれてありがとう」 と言っている小さい子達を見た。

駅員さん泣いていた。

俺は号泣してた。






自衛隊のひとたち


031

自衛隊が救助できた人は1万人近いらしく感動。 “福島の奴と話せた時に自衛隊の無双ぶりをきいた。マジですごいらしい。

背中に年寄り2人背負って両腕に年寄り1人ずつ。

計4人の年寄り抱えてダッシュとか普通にしてるらしい。

それなのに食事も睡眠もろくにとらず、笑顔でがんばってるようだ。”


037

ある自衛隊員が言った。

「被災地で炊き出しをした際、たとえ余っても自衛隊員は絶対食べないで缶詰の冷たいご飯を食べます。 被災地の人用にお風呂を用意しても自衛隊員は入りません。 そして出来るすべての事をやったらひっそりと帰る。 それが自衛隊です。」

自衛隊は日本の誇りです。



042

自衛隊の方々は被災された住民が大切にしてきた物、今はただの瓦礫だが丁寧に扱っているそうです。

住民が家があっただろう場所へ行くと、布団はきちんと畳まれ、食器や衣類などは一ヵ所にまとめられていたそうです。

倒壊した我が家を見て涙したが、自衛隊員の思いやりに更に涙が溢れたそうです。



 

海外から


052

外国人から見た地震災害の反応。

物が散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。

運転再開した電車で混んでいるのに妊婦に席を譲るお年寄り。

この光景を見て外国人は絶句したようだ。

本当だろう、この話。

すごいよ日本。




 

子どもたち



121


募金箱の前にて幼稚園位の男の子と母親の会話。

母 「貯めていたのに本当にいいの?」

子 「3DS我慢する。これで地震の人の家建てる。」 と言いお年玉袋から5000円を寄付。


母 「偉いね。地震の人、これで寒くなくなるね。」 男の子思わず号泣。

後ろにいた私、大号泣。





若者たち


143 


さっき、友達の薬局に高校生くらいの若い男の子がトイレットペーパーを返品しに来たとのこと。

聞いたら、 「親が昨日2つも買ってきて、みっともないと思って返しにきた」って。

いまどきの高校生の口からみっともないって言葉がでてきたのでびっくりしたって言ってた。

日本の未来は明るいね。




 
希望のことば


224


あんまり使い過ぎると体も、機械も、壊れるときがある。

もちろん、国も。

だけど、なにかを壊すことでまた新しく、なにかが産まれる。

岡本太郎さんは言ってたね。

「芸術は爆発だ!」。

ゆっくり、変えていこう。

ゆっくり、創っていこう。



228


悔し涙は志を成長させる。

悲し涙は心を成長させる。

感謝の涙は魂を成長させる。





 

「祈りと希望」 実行委員会編 経済界




  

2011年4月21日 (木)

金の切れ目が縁の切れ目

          
  
私の妻は、男子5人のあるアイドルグループが大好きです。

  
「この子たち、みんなニコニコしていて、感じがいいし癒されるわぁ」

とこのグループが出演する時間の番組を楽しみにしています。

私も 「爽やかな子たちだなぁ」という好印象で見ていました。

ところが昨日妻が

「テレビでA君(グループの中の一人)のイヤなところを見ちゃった、お父さん聞いてくれる」

と言って来たのです。

ある番組でA君がインタビューを受けていたのだそうです。

A君はそのグループの中で一番年下なのですが年長であるリーダーをあまり立てていないようなのです。

リーダーが自動販売機で飲み物を買ってみんなに分けていて、お金を徴収しているのに笑って誤魔化して払おうとしない。

「ちゃんと払えよ」と言われても無視をする。

そんなことが度重なればリーダーも嫌になります。

そのことを知ってから妻は2人の様子を注目して見るようになったのだそうです。

「あの2人おかしいわ、A君が隣にいると表情がこわばってる、やっぱりお金のこととかが原因だろうね」

多分妻が言うようにお金のことだけではないと思います。

一緒に行動していて、ほんの些細なことが積み重なって人間関係はおかしくなっていくのです。

細心の注意をしていても悪くなることもあります。

でもA君の場合は明らかに誰が相手でも険悪になります。

もしかして相手を選んで態度を変えているのかもしれません。

それなら尚更

「俺のこと馬鹿にしてんのか!」ちっ(怒った顔)

になりますよね。


今私の息子は東京の大学に行っています。

一人で1DKのマンションに住んでいます。

家賃は月7万円、高いですよね。泣き顔

月初めになるとマンションの管理会社の人から電話がよくかかって来るのです。

「あの~また家賃が振り込まれていないのですが、息子さんに連絡取ってもらえますか、私も電話しているのですが繋がらないんです」

電話に出た妻は平謝りです。

「すいません、ホントにすいません、すぐに連絡を取って振り込ませます、今後こういうことがないように本人に十分言ってきかせますのでご迷惑をかけてすいません」

電話を切った後で

「またや、あいつ~」ぷっくっくな顔

それからたまにしか出ない電話で息子をつかまえて長~い説教が始まります。

私は妻が十分に言っているので黙っています。


私が出て行くのはもっと大きな事態になってからかも知れません。


息子は恥ずかしながらお金にルーズなところがあるのです。

私はそれが一番心配でした。

だから東京で一人暮らしをして自分で自分のことをちゃんとして卒業する頃には自立出来たなら、それだけで東京で一人暮らしをする価値はあると思っていました。

そのためには、決められた期日に支払いを自分で振り込む習慣をつけさせる。(こんなこと簡単に出来て当り前だと思っていました)

息子の友達には子どもの代わりに家賃を払ってあげたり、携帯電話も金額に関係なく親が払っているケースが結構あるようです。

でもそれではいつまでも親に甘えると思うのです。

面倒なことは親がやってくれる。

お金のことは学生時代は頼っていい。

そんな甘えた体質のまま社会に出て立派な社会人になるでしょうか?

持って生まれたものでお金のコントロールが自然に出来る人もいます。

しっかりしている子どももいます。

しかしうち息子はそうじゃない げっそり

小さい頃からもっとちゃんと躾けておいたらよかったとも思いますが今更言ってもしかたがありません。

私は息子とA君が少しダブル(重なる)のです。

もちろん息子は年長の人に対してそんな失礼な態度を取るとは思いません。

しかし、「ちょっと100円貸しといて」 と言った先輩から返って来ないとか、自分が忘れて相手に嫌な想いをさせることなどはあると思うのです。


どちらもほんの些細なことです。

金額も少ないです。

でも人の感情(かんじょう)は勘定(かんじょう)=金額ではないのです。

「あいつ返しやがらない」

「100円返してくれといったらせこい奴と思われてしまう」

そんな感情が頭の中をグルグル廻ります。

人間関係のトラブルでお金にまつわることってすごい多いですよね。

まさにタイトル通り

「金の切れ目が縁の切れ目です」

この年齢(私は53歳妻は47歳)になるとわかるのですが

A君や息子にはまだわからないのかもしれません。

でもこれはとても大切なことなのです。

時には毅然と(嫌われてもいいから)した態度も大切です。

そして貸したお金は返らない という諦めもいるでしょう。

段々と経験しながらわかっていくことなのかもしれません。

でもA君も25歳くらいだと思います。

息子も21歳

世間では社会人として働いている人がいくらでもいます。

出来ていて(お金のコントロールが)当り前でもあるのです。



自分の子どもであっても

一人の大人、他人として扱わなければならない

そう聞いたことがあります。

息子にもプライドがある。

親だからと言って感情的になって叱るのは違うのです。

しかしお金にまつわることは厳しく叱っていいのだそうです。

お金をコントロール出来ていないことは本人はわかっているからだそうです。

「これではいけない」

と潜在意識の中では叫んでいるのでしょう。

妻は言いました。

「A君はなぜ、自分の評価を落とすようなことをいうのかなぁ」

「いくらA君が人気者だからって、ほとんどの人からお前が悪いって言われるよ」

そうですよね、どう見たってA君の弁護をする人はいない。(グループの中にも言ってあげる人はいないのか?)

ではなぜA君は自分から言ったのか?

それは

「自分を矯正してくれ!」

「このままでは自分はダメになる!」

という心の叫びではないでしょうか?

妻は私の説になるほどと頷きながらも

「ただ自分が悪いともなんとも思っていないかもね~」

と言っていました。

確かにそうかもしれません。



A君の姿を通していろいろ考えさせられます。

そしてこの放映があってからA君やグループの人気が落ちたのではないか?

という余計なお世話ことを

ふっと思ったのでした。

妻はいままで通り、A君のいるグループのファンであり続け、応援し続けるのかな?

まっこれも私にはどうでもいいことなんですけどね。(笑)





  
  

2011年4月17日 (日)

あなたは、世界を 「自分の見方」 で見ている

  
  
最近、日記が書けていないことをお許しください。げっそり

にもかかわらず毎日たくさんの人が覗きに来てくださる。

感謝、感謝、無限なる感謝です。泣き顔

そんな慌ただしい中にあって少しでも本を読もうと思って開いたページにドキッとすることが書いてありました。

私たちは同じ場面に出くわした時、その出来事をプラスで受け取る人とマイナスで受け取っている人を見ることがあります。

「なぜなんだろう?」

「プラスで受け取る人ってオメデタイ人なのか?」

「性格が良い人なのか?」

「ひねくれて受け取る人は性格が悪いのか?」

「余程、辛い人生を生きて来たのか?」


でもどんな過酷な、悲惨な目に遭っても明るく生きている人がいます。


自分はどんな人になりたい?


もちろんどんなことが目の前で起っても


ブレず、騒がず、心が乱れることなく、不動心、平常心であることです。


それにはちょっとしたコツがありそうです。


自分の見方をちょっと変えてみる。


それだけです。


本の中から抜粋します。


よかったらお付きあいください。

 




● あなたは、「世界をありのままにではなく 「自分の見方」 で見ている




あなたは絶えず人々を観察しています。

さあ、自分が観察したことを記録しはじめましょう。

たとえば、日曜日、朝食が終わったあと、息子が眠そうな目で起きてきます。

あなたは、彼が昨夜見た最高の映画について熱っぽく語るのに気づきますか、あるいは、この子ったらまたベットも直さず、歯も磨かずに下りてきたんだわと思いますか?


オフィスのパーティで面識のない人と会います。

あなたは、その人がどのくらい「重要人物」 で、あなたの上司とその人がどれくらい親密な関係か探ろうとしますか、それとも善良そうな目の輝きと、見るからに性格が良さそうなところに気づきますか?

あなたは、彼のすり減った靴に目がいきますか、それとも丁重にウエートレスに礼を言って、彼女を微笑ませたのに気づきますか?


テーブルセッティングがちぐはぐなのを小バカにしますか、それとも、パーティの女主人があなたを歓迎するために心を砕いてくれたことに感謝しますか?


要するに、人々や状況を見るときに、あなたは「弱点」や「間違い」に焦点を合わせますか、それとも「長所」や「正しさ」を称賛しますか?

あなたを含めてほとんどの人が、両方を行っています。


重要なことはあなたがどちら側に傾いているかを知ることです。


次に、これを試みてください。

現在あなたと関係のある人の中で、あまり好きでない人物を選んでください。

たとえば、義父母や不愉快な同僚、あるいはPTAで一緒になる横柄な親などです。

その人の性質の中で、あなたが好きだと感じる点、賞賛に値すると思われる点を2つ探してください。


見つかるまでしつこく粘ること。


これらの点でその人を心から褒めてください。

もし心からほめられないのなら、やめておきましょう。

あなたの人生に存在するそのほかの不快な人々に対しても同じことをしてください。

さあ、あなたの人生はどう変わるでしょうか?

こうした人々との関係はどうなるでしょうか?




 
ラオ教授の 「幸福論」 スリクマー・Sラオ 日本経済新聞社




  
  

2011年4月15日 (金)

言葉の持つ威力

  
  
   
最近日記を書くのをさぼっていますが、実は私は高校の同窓会の会長と同期会の幹事をしているのです。

三つの行事の開催の時期が6月初旬、6月半ば、7月の初旬と連続してあるためにその準備に追われています。

パソコンの前に座ってじっくりと日記を書いている余裕がない。

忙しいというのは心を亡くすと書きます。

今一番すべきことは目に見える3次元的なことに東奔西走するのではなく、心を落ち着かせること

わかってはいるのですがなかなか上手くいきません(無限なる可能性!)

そんな煩雑な状態の中で

「気をつけなければいけないな!」

と思うことは自分の発する言葉や相手の人に送るメールに細心の注意をするということです。

忙しいとイライラして来る、上手く伝わらないことがある、相手もイライラしている。


そして、お互いに感情的になりそうになることがある。


そんなときについ言葉を荒げそうになったり、送られて来るメールの語意にカチンと来たりします。


今日の新聞にこんなことが書いてありました。

被災地を見て来た人が「東日本大災震」という状況ではなくではなく津波による印象が大きいので今回の災害は「東日本大津波」と呼ぶ方が実感に近いというのである。

自分が見聞きしたものや考えを言葉にする際、少しでも合ったものを探そうとするのは人間ならではの、ごく自然な営みだ。

しかし見つかった言葉が万人の人にしっくりくるかは別問題。

どこか引っかかり、靴の中の異物のように落ち着かない気分にさせられることも多いようである。

例えば、ボランティア精神に燃えるアスリートがよく口にする「~してあげたい」 「~を与えたい」 という言葉。

これだと上から目線とまではいわないが、やや施しのニュアンスが強すぎるのではないだろうか。・・・・・・・・・・・・・・続く


言葉とは怖いものでそんな意味で言っているのではないのに誤解をされて伝わることがあります。

言葉だったらまだニュアンスは伝わりやすいのですが、もっと怖いのはメールです。

文字そのものだけが独り歩きする。

自分が思っている返事より簡潔(短い)ならば相手に対して 「冷たい奴」と思ってしまう、それがエスカレートして「冷たい奴なのでなく相手は怒っているのでは?」 

「だから短い心のこもっていない文章なんだ」げっそり

「自分が何か怒らすことをしてしまったか?」

自分のやったことを振り返ってみる。

自分の言ったこと、メールで送った内容を振り返ってみる。

相手はただ忙しくて簡潔に書いただけなのに事務的な文章が氷のように冷たく感じる。

人間とはなんと繊細な生き物なのでしょう げっそり

めんどくさくなることなんてしょっちゅうです。(笑)

人間関係から逃げたくなります。

でもそこで逃げ出したらすべてのものが無くなってしまう。

相手と溶け合って、解り合って気持ちが一つになることが無くなってしまいます。

だから相手の感情に合わさずに

自分の心を整えて

世界平和の祈りを祈って

相手の天命を祈って

そして謙虚になって

言葉や文字を選んで

言葉を発したり、メールに文字を打ち込んで行くのです。

そうしていても誤解されるときは誤解されます。

腹を立てられることもあります。

しかしそんなときにもこちらが惑わされずに万全を期していたら大丈夫なのです。

自分の波動(エネルギー)が相手に行くのです。

落ち着いた細かい波動が相手に行くと最初は怒っていても段々と穏やかになって行くのです。


今日もたくさんの電話で人と話し、メールが鳴り響いています。

自分が穏やかであれたなら誤解は最小限度で済み、結果的に物事は順調に進みます。

毎日を送るってこの繰り返しだと思うのです。


そのためには自分はどう思うか、考えるかより

相手の人はどう思うか、受け止めるかの方に意識を置くべきだと思うのです。

自分の感覚、直観なんていい加減なものです。

インスピレーション、天から来た! 

なんて思わない方がいい

そんなことを信じていると

墓穴を掘ってしまいます。

天から来たものなんかではなく(ほとんどの直観と思われるものは)

幽界のオバケちゃんにもてあそばれているのです。

インスピレーションは自分が穏やかで落ち着き払ったときにしか降りて来ないのです。

天界の波動とは肉体界の波動とは比べものにならないくらい細かいのです。

心を鎮めて、自分の本心と向かい合わなければつながるはずがないのです。

天とつながって初めて

正しい判断が出来る。

正しいとは天(一)に止まると書きます。

自分の心が鎮まって不動心になったとき

天界とつながるのです。

天界とは本当の自分(我即神也)がいるところです。

そのことをかみしめながら日々の生活を送って行こうと思っています。






世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




 



「無限なる幸せを体得する方法」 于寿明 星湖舎 
 

本当の自分と出逢うためのメソッドが書かれています。


電子書籍もあります。


http://utoshiaki.wook.jp/detail.html?id=207092&COOKIE_CHECK=TRUE




調和波動気功法

http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/



  

  


  

2011年4月11日 (月)

中庸(ちゅうよう)がいいんだ

  
   
中庸とは、「中程、かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること、普通、ちょうどいい」 という意味があります。

私は英語でいうニュートラルという言葉が好きです。

心が片寄ることなく、良いこととか悪いこととかを決めつけずに自由な気持ち自然体でいること

それが人生(おおげさかな?)をゆったりとおおらかに生きていくコツだと思うのです。

この間読んだ岡田斗司夫さんの「スマートノート」に今の学生(岡田さんは大阪芸術大学の教授)は中がない、どちらかハッキリしていると書いてありました。

あるアニメの作品のことを学生に聞くと

「あれはクソです」というふうに0ゼロで表現するか、「あれは神です」といった両極端でしか語れない人が多いのだそうです。

ある時期から私たちはハッキリと自分の意見を言うように植え付けられて来たように思います。

「日本人の悪いところはイエス、ノーをハッキリ言わないところだ!」

「自分の意見を言わないから何を考えているのかわからない」

外国人(日本以外の)のように白黒ハッキリさせることがさも素晴らしいことのように教えられて来た。

私も息子と話しているときに彼に何か感想を求めると

「普通」という答ばかりが返って来た時期がありました。

何を聞いても

「普通」 「普通」 「普通」 

今の若者の特徴なのか?

反抗期なのか?

これでは会話にならない

頭に来て ちっ(怒った顔)

「普通ってことはないだろう」

って怒ったけど

よくよく考えてみると、どちらでもないってことがほとんどですよね。

自分でもわからないのにどちらかを決めなくてはいけない

ハッキリしないヤツと思われる

優柔不断なヤツだと思われてしまう


だからわかんなくても


クソなのか神なのかを決めつけなければならない・・・・・。



ひょっとしたらイジメも決めつけなければならないと思ってしまっているところから発生しているのではないでしょうか?

「あいつはいい奴だ」か

「あんな奴は嫌いだ」

の選択肢しかないとしたら

自分にとって都合の悪いことがあると、気に入らないことがあると

憎さ百倍になってしまう

いい奴が悪い奴に一瞬で変ってしまう

ほんの少しの失言も赦さない

「親友だと思っていたのにあいつはそうではなかった」

「もう親友でもなければ友達でもない、絶交だ!」

こんなことが同窓会のことをしているとあるのです。


学生時代の以前にあったその頃の考え方、思考の違い、感情のもつれから

「顔も見たくない」

「あいつが来るのなら行かない(同窓会に)」


一人の人にこだわりがあるために行動が起こせない


あいつが来るかも知れないから行けない

行きたくても行けない

そしてあいつのせいで自分はこんなにもイヤな想いをしている

「あいつが悪いんだ」

と益々憎悪が増幅していく・・・・・。

友達関係だけでなくても人間関係でよくありますよね。げっそり

家庭のことでも会社のことでも悩みのほとんどは人間関係だと思うのです。


家庭が円満であれば学校や会社での人付き合いが上手く行っていればそれが潤滑油になって家計も経営もうまくやっていける。


コミュニケーションがとれるからです。


今、日本人は諸外国から絶賛されています。

人格、品格、人間性、確かに素晴らしいと思います。


しかしあえていうのであれば日本人には

「島国根性!」 があるのです。


よそ者を受け入れない

違ったもの(個性)を受け付けない

自分の身内には優しくするが他人には冷たい

外国人の人に対しての美談もたくさんあるけど

差別もありました(あります)

随分辛い目に遭った人もたくさんいます。


これはしかたがないことだと思うのです。

他の国の人と比べても少ないかもしれません。

しかし例えば車の事故があってその中で死者が出た。

自分の子どもがその中に入っているかもしれない

「うちの子は助かってほしい」

「他の人(死者は)であってほしい」

それは人情なのです。

いくら綺麗ごとを言っても

「よその子が助かってよかった、うちの子はしかたがない」

にはならないのです。

人はこんなとき自分の心の中に悪魔が潜んでいると思って悩みます。

いい人はこういうことで結構自分を責めたりするのです。


そしてこんなことでも悩むのです。


「自分って果して善い人なんだろうか?」


って (笑)


日常生活を送っているとどうしても片寄ってきます。

善いことなのか悪いことなのかをハッキリさせたくなることがあります。

決め付けないと前に進めないような気にもなってきます。


でも決め付けられること、ハッキリしていることなんて

なにもないと思うのです。

それは自分の感覚(感情)でしかないからです。

あやふやな漠然としたものだからです。

神様は物事をすべて 中庸(ちゅうよう)に創られた

いい加減、いやよい加減に創られた


そう思えば神様がそう創られたのに

人間がハッキリさせることなんてなん~にもないですよね。


何かハッキリしない文章を書き綴ってしまいました。(笑)
 

「ああそうか!」

と一瞬(インスピレーション)でわかることも嬉しいし楽しいです。

でもなんとなくわかるっていうのも

私は結構、好きなのです。


「中庸(ちゅうよう)に生きる 」


これから実践して行きたいと思っています。 わーい(嬉しい顔)指でOK





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)




  


  

2011年4月 8日 (金)

如是我聞

  
  
地球が亡びては、自分の運命も、家族の幸福もあったものではない。

今という時代は、目に見える世界においても、目に見えない世界においても、地球が滅亡しそうな様相にあふれている。

それは戦争という姿だけでなく、天変地異という形で現われるかもしれないのである。

今こそ、日々世界平和の祈りに徹しなければいけない。

わがままも、自分の楽しみも、欲望もひとまずおいて、祈りに祈らなければいけない。

祈りは目に見えるものではない。

だから、まず霊性に目覚めたる者から祈りの生活に徹して、その生き方、その人自身の人格、行為によって、人々悟らしめることである。




        


        如是我聞 五井昌久 白光出版






世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  


2011年4月 5日 (火)

「真の国際人」 とは?

  
   

「真の国際人」 とは、自分の国について語ることができる人です。
 


これは今読んでいる「日本はなぜ世界で一番人気があるのか」 の本の序章に書いてある文章なのですがここの部分が作者である人が最も言いたかったことだと思うのです。

私たちは自分自身のことをよくわかっていません。

だから自分に自信が持てないし誇りも持てない(無限なる愛)

しかし心を鎮めて心の奥深く入っていく(統一する)と本当の自分に逢うことが出来る。

そこには、何事にも振り回されることなく落ち着き払った不動心の自分がいるのです。

自分自身を知らなければ相手のこともわからないし周りで起こっているすべてのこともわからない。

それと同じように自分の国を知るということは自分自身(ルーツ、祖先)を知ることでもあるし、ひいては全世界を知ることでもあるのです。

この本を読んでいると

日本人とは何か?

日本人は過去において何をしてきたか?

日本という国はどういう役割り(ミッション)を持っているか?

が本当によくわかります。


日本という国を自分に置き換えて観ると自分が見えてきます。

そしてますます、日本が好きになります。

誇りと尊敬の気持ちが起って来ます。

そしてその誇りと尊敬は

そのまま自分へと向けられるのです。

自分を誇りに思って、尊敬する?

それって変じゃない?

とおもいますか?

でも自分を尊敬出来ないから

他人も尊敬出来ないし

認めることが出来ないのです。

気持ちに余裕がないからです。

今、世界中の人々が日本に注目しています。

震災で日本人の行動が絶賛されています。

「なんでそこまで他人を思い遣られるのか?」

「どんな状況になってもどうして感情的にならないのか?」

それはルーツ(祖先)を辿っていけばわかります。

過去をひも解いていけばわかるのです。

これから外国に留学したら

諸外国の人たちから言われるでしょう。

「日本のこと(文化)を教えてくれ、日本語を教えてくれ」

そして多分言われると思います。

「なぜそんな素晴らしい国に居るのに、ここへ来たんだ」(笑)

・・・・・・・と

だから留学するのは、海外に住みつくのは

日本をもっと知ってからでいいと思うのです。

日本の素晴らしさを知って文化を伝えられるようになってからだ思うのです。

それは地球上の国のルーツ(原点)はすべて日本にあるからです。

留学する目的が 「国際人になるため」 であるなら自分の国のことがわかっていなければ何の意味もない。

語学(英語、その他の言葉)を学ぶだけなら日本でも十分習得出来る。



少し前に私は 「サムライスピリット」 という本を読みました。

神田ロムさんはアメリカに渡って自分の才能を開花させ、日本人で初めてむこうのゴールデンタイムの番組で司会をした人です。

ロムさんの目的は日本人の心、魂(スピリット)を世界に拡げるためだったのです。

日本人の素晴らしさを世界に知らしめ、世界を平和にすることなのです。

まさしく「真の国際人」だとおもいます。

ロムさんはもちろん日本人の人柄、人格だけでなく文化の素晴らしさも知り尽くしているのだと思います。


私たちは今、自分自身を知るためにも私たちの住んでいる国のことを調べてみる必要があるのではないでしょうか?


この本はその道標(みちしるべ)になると思います。射手座 本





「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」 竹田恒秦(たけだつねやす) PHP新書



 
参考図書 「サムライスピリット」 神田ロム 幻冬舎



   



心に響く如是我聞

  

  
今、おかれた環境から逃げようとするな。

いやだ、逃げよう、もっといい立場が他にあるに違いない、とあがけばあがく程自分の苦しみも多くなるし、進歩も遅れる。

今おかれた環境、立場より他によい環境、立場は自分にはないのである。

何故なら、神さまが自分に必要があってその環境において下さったものであるからだ。

有難く受けて、そう出来なかったら、いやいやながらでもいい、こんなこと必要ないな、と思ってもいい。

しかし、その環境の中にすっかり腰をすえて、一生懸命、誠意をつくして、仕事なら仕事、勉強なら勉強をすることだ。

そうしていると、一番いい生き方が与えられる。

それが環境を生かすということである。

そして、後になって、それが必ず、自分に大きくプラスになり、役立ってくるのである。

役立たないようなことを神様はさせるわけがない。


あがかず素直に一生懸命にやっていると、神様のほうで 


「よし、この修行は終わった」


とパッと新しい環境、立場に出してくれる。


これは私が実際体験したことである。





  

        如是我聞  五井昌久  白光出版




  


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