« 日本の経済はタイタニック号 | トップページ | 信じる者は救われる »

2011年3月24日 (木)

思いは人を幸せにも不幸にもする

  
  
同じ出来事に遭っても、それに対して感情的になって怒り出す人もいれば、周りに振り回されずに平常心、不動心でいられる人がいます。

震災があったときに、感情を乱さず、冷静に行動した人、被災地でも辛い環境の中で心穏やかに出来る人・・・・つくづく心の持ちようが大切だと感じます。

私が調和波動気功をずっと続けているのも不動心になりたい、どんなことがあっても愛深い人間になりたいというのが目標であったし今もその気持ちは変わっていません。

今、読んでいる本の中で心の持ちようによってこんなにも心境が違ってくるのかと感心したお話しがあります。わーい(嬉しい顔)


「なるほど、そう思えば感情的になることもないなぁ」

「みんながこの話のような受け取り方をすれば世界は平和になるなぁ」

と思いました。

本の中から2つ抜粋します。

よかったら感想を聞かせてください。





 

1.交通渋滞の中、約束の場所へ向かって車を運転しているときに、いきなり前に車が割り込んできて、あやうく事故になりかけた経験はありませんか?

さらにその車が、渋滞の中を縫うように進んでいき、あちこちで接触事故を起しかけ、怒りに満ちたクラクションの音が鳴り響くのを見たことはありませんか?

あなたはどんなふうに感じますか? 憤怒(ふんぬ)に体が燃え上がりますか?

かっとなって血圧上昇? つい、汚い言葉が口から出てしまう?

その運転者に向かって中指を突き立て、憤激(ふんげき)を表しますか?

運転中にキレると、心臓発作や殺意をはらむ衝動など、厄介なことを引き起こします。 実にイヤなものです。


では、こんなふうに想像してみてください。

あの車を運転している人は、きっと息子さんが事故にあってひどいケガを負ったという知らせを受けたばかりなんだ。

だから、手術がはじまる前に病院に着こうと必死で、二度と生きた息子に会えないのではないかと心配のあまり泣いているのだ、 と。


今度はどのように感じますか?

同情心がわき上がってきますか?

その人の無事を祈り、励ましと善意を送りたいと考えますか?

その運転者がただの無法者なバカなのか、それとも取り乱している親なのかはわかりません。

おそらく、決して知ることはないでしょう。

でも、それは重要なことではありません。

重要なのは、あなたが自分に起こったことを考えるときに、自分がどう感じるかを選べるということなのです。

そういう選択ができるということを、たぶんあなたは気づいていなかったでしょう。

でも選択できるのです。

そして、そうすることで、あなたは事故に巻き込まれるリスクを回避できるのです。

あとでもう一度同じ車を見かけたら、その車のめちゃくちゃな走り方を見越して、注意を払うことができます。

あなたはもはや激怒と嫌悪という、不快な感情に振り回されなくなります。

人生において、いったい何度くらいそのような選択に直面し、自分自身の意志によって、怒りや欲求不満、嫉妬や憎しみで心をいっぱいにしているでしょうか? 自覚しているよりももっと頻繁にそういうことが起っているのです。







ここでこの日記は終了してもよかったですが、もう一つ深い話があるのです。

私は正直に申しまして、苦手としている人がいます。

その人は私のことを嫌っているのはわかります。

だから挨拶をしても返ってきません。

一緒に仕事をしているのですが必要なこと以外はしゃべらないのです。

全く話さない訳ではないので困ることはないのですが

私としてはやっぱり明るく普通にやっていきたいのです。

息子との仲も今は上手くやっていますが、以前は口も利いてもらえませんでした。(2年間続きました)

こちらが普通にしていれば時間が解決する?

そんなものでもないような気がしていました。

そんなときにこの話は私にとって新鮮だったのです。






 
2.ある仏教の僧院の長は深く悩んでいました。

かつては有名だったその僧院は、いまでは すっかり零落(れいらく)していました。

僧たちの修行はいい加減で、見習い僧は出ていき、一般の信者たちはどんどん別の僧院に移っていきます。

僧院長は旅に出て、遠方の賢人に教えを請いました。

せつせつと苦悩を語り、どんなに自分の僧院を変えたいと願っているか、そしてどんなに昔の栄華(えいが)を取り戻したいと思っているかを訴えました。

すると賢人は僧院長の目を見つめて言いました。

「あなたの僧院が衰退している理由は、ブッタ(お釈迦様のこと)が姿を変えてあなたたちのそばで暮しておられるのに、あなたたちが彼を崇めていないからなのですよ」

僧院長はひどく動揺し、あわてて僧院に戻りました。

ブッタがわが僧院に!

いったい誰の姿を借りているというのだ?

ファか? いいや、まさかあの怠け者のはずがない。

ボウか? いいや、頭が鈍すぎる。


しかし、ブッタはわざと姿を変えておられるのだ。

怠け者やうつけ者のふりをなさっていても少しも不思議ではない。

僧院長は僧たちを集め、賢人の言葉を伝えました。

僧たちも非常に驚き、疑いと畏敬(いけい)の念を持ってお互いを見つめ合いました。

この中のだれがブッタなのか?

変装を見抜くことはできませんでした。

だれがブッタであるかわからなかったので、彼らはだれに対しても敬意を持って接するようになりました。

彼らの顔は内から光で輝きはじめ、見習い僧を引きつけ、やがて一般信者もまた集まってくるようになりました。

まもなく僧院は、かつての栄華をはるかに凌ぐほど繁栄するようになりました。






我即神也

人類即神也

人類のみなさん即神也




 

     

      ラオ教授の「幸福論」 スリクマー・S ・ラオ




  

« 日本の経済はタイタニック号 | トップページ | 信じる者は救われる »

コメント

     
  
心の持ちようも頭の中で無理やりにイメージをして自分に言い聞かせるのではなく、イヤなことが起こってもなんにも思わない、感じるようにならなければ本物ではないのかもしれません。

しかしそうでなくても(本物でなくても)

「あッそうだ、この人は息子さんが事故に遭ってお父さんが必死で会いに行こうとしているんだ」(割り込みをされてカッとなった場合)

と思い直し、冷静さを保つ工夫が出来るだけで全然違うと思うのです。

では、職場で挨拶をしない同僚、上司の場合はどうするか?

私はこう考えるようにしています。

「今自分が相手にされているのは、前世で私がその相手にしてきたことなんだ。

つまり、私が相手が挨拶をしてきたのにもかかわらず、無視をしていた、しかもイジメていた。

もっと酷いことをしていた。

それが今生に返ってきたのだ」・・・・と

だから今相手が私にしていることは私を無視することでお返しをしているんだ。

お返しが終われば、相手はスッキリして後は善くなるんだ。

その期間がどれだけ続くかはわからない。

でも消えてしまうまでは

「これは必ず消えるのだ、○○さんの天命がまっとうされますように」

と祈り続ける。

これが真理なのです。

と言ってもなかなかそう思えないのかもしれない。

私も自分に言い聞かせないと

すぐに忘れてしまいます。(感情の方が勝ってしまいます)

でも、何度も何度も言い聞かせているうちにくせになってしまう。

それでいいのだと思います。

ほんと自分の気持ち(心)次第ですね。  
happy01

 

ほんとに良くわかります。心の持ちようでどうにでもなること。毎日がその連続です。わかっているけどできない・・・。口もきいてもらえない同僚の甲高い楽しそうな笑い声を聞くと凄く不愉快です。私とは挨拶もしないのに他の人とはそんなに楽しいですか?なぜこの人が管理職に?仲良子よしで幹部をまとめてしまった今の職場の腐敗した現状が許せない・・・。でも私の出る幕ではないのだからほっておきなさい。私の中のもう一人の私と実際のわたしの苦しい葛藤が毎日続きます。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/160971/39350739

この記事へのトラックバック一覧です: 思いは人を幸せにも不幸にもする:

« 日本の経済はタイタニック号 | トップページ | 信じる者は救われる »

最近のトラックバック

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ