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2011年1月 5日 (水)

不動心になりたい 2

 
  
  
前回に書いた 不動心になりたい1 からだいぶたってしまったので今回の文章がつながりにくいとは思うのですが、中途半端には出来ないので後の続きを書いていきます。

今テレビのニュース解説とか評論を聞いていると気持ちが明るくなることはありません。

それは現在の状態を基本に、基として未来を予想しているからです。

今こうなっているから、将来こうなるだろう

今が悪ければ、その続きの未来は悪くなる。

だから悪い結果ばかりが心に残り、そして浮かんで来るのです。

これは性悪説ですよね。げっそり

人間は悪魔の子なので、悪いことが起こる。

もしそうなら神さまや仏さまがいらないことになる。

そして愛がないのなら宇宙なんてなんの意味も無くなるのです。

そして私たちが存在しているのもなんの価値のないものになる。

魂が震えるような感動も愛も嘘になる。
 

しかしそうではないのです。

人間の本質とはそんなどうでもいいものではない

今は本当の姿が現われる直前なのです。

ダイヤモンドにたくさんの煤(すす)がこびりついている状態なのです。

本来の美しい輝きを取り戻そうとしたら

ダイヤモンドと同様な堅さの石で激しくこすらなればならない。

そのとき、たくさんの煤が出ます。

煤とは人間がこれまでに溜めてきた誤った想念行為、業、カルマなのです。

その悪業やカルマが堅い石によって磨かれているのが今の個人、地球の状態です。(痛みも伴い、一時的に病気になったり、貧乏になったりしている)

悪いものが現われて消えてゆこうとしているのです。

こびりついているものをはがさなければならないので、消えてゆこうとする姿は激しいのです。

その現象を見て 悪だ と決めつけているのです。

人間の本質はプラスなので、それはプラスから出たマイナス(煤)でしかない。

そのことがわからないと人間はマイナスをつかんでしまう。

そしてつかんだものがそのまま、又は増幅されて未来に現われると思ってしまう。

思ったことが現実になるのが法則なので、本当にそうなってしまうのです。

でも、そう思う人たちばかりではないのです。

地球人類に溜まった煤を浄めている人たちがいるのです。

世界平和を祈る人たちです。

それによって知らず知らずのうちに人間の心は綺麗になっています。

本質(本心)が現われやすくなっています。

そしてあることがきっかけに急速に真理に目覚めるのです。(機が熟して、時期が来て)

業、カルマが噴き出ている、しかし真理に目覚めようとしている人が増えている。

それがミックスされた時期なのです。

糸がこんがらがっている状態です。

しかし間違いなくひも解かれているのです。

私は日記を書いていてそれを感じます。

もうすぐ先に光が見えている。

あと、もう少しで地上天国がやってくる。

本当の未来がみえる人には(アカシックレコード)

戦場において、武器を地面に降ろす兵士の姿が見えるそうです。

ボクシングでグローブを外すボクサーの姿が見えるそうです。

人間は本来は戦うようには創られていないのです。

相手を傷つけ自分も傷つけるようには出来ていないのです。

なぜなら人間は神の分霊(わけみたま)だからです。

神に創られたものではないのです。

神から分かれたということは神そのものなのです。

創造主そのものなのです。

神は愛そのものです。

か~あ

み~い

そのことが心からわかるようになるのがアセンションです。

アセンションはもうすぐそこに来ています。

人間は善なのです。

人間は愛そのものなのです。



  

  
前回の不動心になりたい 1のつづき(よかったら1の文章も読んでみてください)



しかし、そういうことをいっても、なかなか普通の人には出来ないから、ここに現われてきたものは、過去世の因縁の結果として出てきたもので、現われたら消えるんだから、今消えてゆこうとしているのです。

そして神さまが処理してくれるんですよ。

だから、現われたら、ああこれは消えていくんだな、と消す先を神さまのなかへ持ってゆく。

神さまといってもどこにあるかわからないから、人類の一番の目的であり、願いである “世界人類が平和でありますように” という言葉に働く大光明圏、救世の大光明のなかに、祈りの言葉とともに持っていってしまうのです。

守護霊さん守護神さんお願いします。と持っていってしまう。


すると、ハイヨ引き受けたと、もともと人は完全なんだから、その悪いと思っている想いを、みんな消してくれるわけです。

そうすると、それだけ消えちゃうわけです。

それだけ消えると未来に現われる悪いものが減ってくるのです。

ああ、これは消えてゆく姿だな、自分はこんな悪い想い方のくせや、行ないのくせがあるけれども、こんなわがまま、こんな怒りがあるけれども、それはみんな消えていったんだな、あ、出てきた、けれど消えたんだな、また出た。

消えたんだな、と世界平和の祈りと共にやっているうちに、どんどん減って、未来へ向かっては悪いものが出て来ない。

未来へ向かってこんど出てくるものは何かといったら

“世界人類が平和でありますように” というような尊い人類愛の想いが、そこにいっぱい、あふれ出てくるわけです。

愛の想いは完全円満なのだから、完全円満な姿がだんだん出てくるわけです。

消えてゆく姿で世界平和の祈り、というのを、つづけて実行していればしているほど、その人の現在の心も明るく輝いてくるし、未来も完全になってきます。

しまいには絶対完全な人間になるのです。

たいがいの場合、それを、いくら教わっても自分はだめなものだ、しゃくにさわる、とか、こんな不幸になって、こんな貧乏になって、こんな病弱になって、とこういうように思う。

思うなといっても、思ってしまうのだから、しかたがない。

思うのも因縁因果なので、思うように出来ているのだから。

だから思ったら、すぐその場で ああ先生に教わったのはここだな、と消えてゆく姿だ、世界人類が平和でありますように、神さまお願いします、と素直にやると、それだけ減ってゆくのです。

私の教えは、実にやさしくて、人をとがめるわけでもなければ、自分をとがめるわけでもない。

人間を自然の姿に還そうというわけです。

自然の姿は何かというと、春になれば芽がふき花が開き、夏になれば緑しげり、明るく太陽に照りはえる、というように自然に運行しているものです。

肉体の生命もみんなそのように自然に運行しているんです。


その運行を自然にさせないものは何かというと、神さまからはなれた想いなんです。

その想いが勝手に自分の運命を作っている、神さまの次元としての運命と、自分の想いで作った運命とが、別々になっちゃっている。

だからみんな神さまにまかせて、消えてゆく姿で、世界人類が平和でありますように、とやっていけば、だんだん自分勝手な想いが消えてしまって、光一元の生命そのものの自分と、生まれかわってくるわけです。

生命一元の自分になりきってしまえば、なんにも悪いことは出て来ない。

把われることもなくなってくる。

そうすれば、その人は平和になります。

一人の人間が本当に平和になれば、その影響は地球界に及ぼします。

宇宙に及ぼすのです。

そういう人が多くなれば、世界はいやでも平和になるのです。

その先達として、皆さんが世界平和の祈りを一生懸命やっていらっしゃるわけなんですね。

だから、皆さん一人一人が平和な気持ちになれば、それだけ世界平和に役立っているんです。

自分が平和な気持ちにならなければ、世界平和に役立っていないのです。

もし平和な気持ちがなかったら、ますます、一生かけて、二生かけてもいいから、消えてゆく姿で世界平和の祈りをやりつづけるのです。

必ず平和な気持ち、平和な心が得られます。





     「質問ありませんか?」 五井昌久 白光出版




  




  

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