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2011年1月30日 (日)

本心とは?

  
  
  
私たちは本心というものを勘違いをしています。

「私は本心からこう想う」

「あの人の本心はこうだ、とんでもない奴だ」

「あなたの本心はどうなの?」

まるで本心がその人の心の切り札かのように使われています。

そして相手の人が本心?から想ったことに対して

喜び、傷つき、怒り、がっかりする・・・・・・

私たちが本心と想っている本心とは本物なのでしょうか?

本心とはどこにあるのか?

それは心の奥のずっとずーと奥に入って行かないとたどり着けないところにあるのです。

私たちは肉体界に住んでいます。

その奥には幽界(くっついているのですが)がある、そしてその奥には霊界、またその奥には神界(天国)があります。

本心とは一番奥の神界にあるのです。

神界とは神さまの世界なので愛一元です。

愛しかないのです。

だから本心につながった人というのは

愛に満ち溢れた人です。

神さまそのものの人なのです。

本心の現れている人とは神さま仏さまなのです。

でも私たちは本心をわかっていない

肉体界にくっついている幽界(潜在意識)の想いを本心だと想っています。

幽界は人間の想念が蓄積された世界なので今、汚れに汚れています。

その汚れた世界が肉体界に写って来ているからおかしくなっているのです。

汚れた想いを本心だと想っている。

そして想いとは相手の想いだから

人の想いを自分の思いだと想っているのです。

だから自分では本心だとおもっていても

人が本心を言っているとおもってみても

それは本心とはかけ離れたものなんです。

次元(世界)の全然違うものなのです。

そのことがわかるようになると

人が言っていることがほとんど気にならなくなる

それは本心ではないのだから・・・。

気にすることも気に留めることも

腹が立つことも、傷つくことも

全くナンセンスなのです。げっそり

お釈迦様やキリストは幼い人間に対して

「しかたがないなぁ」

「しょうがない人たちだなぁ」

とは思ったとは思うのですが

腹を立てたり感情的にはなっていなかったと思うのです。


それは人間の心とは

綺麗に光輝いている心を業想念、カルマ、悪魔という暗雲が覆っているだけだとわかっていたからです。

覆っている本心と関係のないものをつかまえて

どうのこうのというのは全く意味がないからです。

心を覆っている暗雲が無くなったら

人間はみな同じなのです。

神の子なのです。

アセンションとはこの暗雲が無くなるということです。

世界平和の祈りの光で暗雲が消えるのです。

暗雲を消すのは

世界平和の祈り、そして印しかないのです。



 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  

自分を無くす

  

  
自分がという我があるとしんどいのです。

自分が腹が立つ

自分が悲しい

自分が嬉しい

自分がむなしい

自分がこう想う

自分がこう感じる

・・・・・・・・・・・・・・


この我を無くして自分がただそこに居る

漂っているんだと思えば

周りから影響を受けることもないのです。

自分を無くして奥にいらっしゃる守護霊守護神の中に入っていく

すると自分というものが溶けてなくなっていく

自分という我のちっぽけな肉体人間が大きな大きな守護霊、守護神と一体となる。

そして自分がするのではなく

勝手に動き出すことをただそれに任せて行なっていく

これが本当の自然体なのです。

自分というものがなくなれば

壁がなくなって

相手に溶け合っていく


人だけでなく

動物にも

植物にも

鉱物にも

食べ物にも


大自然にも

地球にも

そして宇宙にも・・・・・。

そうなることがアセンションなのです。

だからまず自分というものを無くすことから始めましょう。


 


May peace prevail  on  earth.


世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい) 





  

2011年1月29日 (土)

自力と他力

  
  
  
どこまで自分でやってどこからが他力でやればいい

なんてわかんないですよね。

「自分一人でもやるんだ」

と強い意志でやっているときは

いつの間にか人が傍(そば)にいて手伝ってくれたりします。

そんなとき

「 あー 自分は一人ではないんだ 助けられているんだ」

と感動するのです。

それは自分が一生懸命にやっている姿に他の人が共鳴、共感してくれているのだと思うのです。


しかし

「誰か手伝ってくれないかなぁ」

「どうして応援してくれないんだ」

なんて他力に頼っているとその嫌な波動は相手に伝わって他力は得られないことになります。


いったい自力ってなんだろう?

他力ってなんなんだろう?


って思います。


そこで気づいたことがあるのです。わーい(嬉しい顔) 電球


私たちは寝ている間は完全に他力なんです。

寝ているときは考えることも頑張ることも努力することも・・・・

な~んにも出来ません。

だったら何も起っていないかというと全く違うのです。

それは寝ている間に守護霊様守護神様が働いてくださっているからです。

私たちの運命とは80%は決まっています。

過去からの想念(想っていること、念じていること)行為が今、現象として現われています。

幽界(潜在意識の世界)で記憶されたエネルギー体が肉体界(顕在意識)に現われて来るのです。


20%は変える(運命を)という窓口があるのだけれど、80%は過去世がそのまま写し出されて来ます。

私たちは過去世で散々悪いことをしてきました。

人も殺しているしいじめや冷酷なこともしてきています。(勿論、善いこともしています)

自分のしたことがそのまま返って来たら自分は殺されてしまう。

そうなっては困るので、生きていけなくなるので

寝ている間に守護霊様、守護神様が必死で

潜在意識(幽体)を浄めてくださっているのです。(夢に見させて劇画化し消している)

それでなんとか大難が小難になっている。

肉体人間としての生命を落とさずになんとか生きているのです。

でもそれだけでは運命を変えることは出来ない。

好転させることは出来ない。


生命は助けて頂いて

それでいいわけではない

それではただ、なんとなく生きているだけなのです。

完全な他力ですよね。


そこで起きているときは自分で運命の修正をする

これが自力だと思うのです。

守護霊様、守護神様がしてくださっていることと同じことを

自分でもするのです。

それは世界平和の祈りを祈って幽界(潜在意識)を浄めるということです。

自分の幽体だけを浄めるだけでなく人類全体の幽界を浄めるのが世界平和の祈りなのです。

寝ている間は自分ではどうしようもないのだから守護霊様、守護神様の他力に頼る。

しかし起きている間は祈って同じように幽体、幽界を浄めていく。

そうすると天地を貫く光の柱はよりいっそう強くなって

浄化のスピードが早くなっていくのです。

それも後ろにおられる守護霊守護神様と一体となっていることをイメージして祈ると自力だけではなくなります。

自力と他力が合わさるのです。(守護霊様守護神様は24時間プラスαで守ってくださっているからです)


そして3次元的なことは一生懸命にして行けば、運命は善くなるに決まっています。わーい(嬉しい顔)


私はこれが本当の自力と他力なのだと思うのです。



 

十字架のバランスが取れた姿です。(    は守護霊・守護神のエネルギー、 ━  は自分が発するエネルギー)




  

スポーツ選手はなぜモテるか?

  
  
  
スポーツをする人がなぜモテルか? (特に一流と呼ばれる人のこと)


それは、スポーツをすることでエネルギーが動き、流れ


爽やかさんになっているからなのです。わーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)


例えば野球を夢中でやっているときは、ボールを見ます。

周りを見ます、他の選手を見ます。

外を見つづけることで肉体から意識が外れているんですね。

頭すっきり、エネルギーはサラサラと流れている

側にいる人たちは滝の側に行ったような気分になるのです。

そこにストレスを溜めた女子アナがインタビューに行く。

放送局は凄い緊張感があるのだと思います。げっそり 泣き顔
 

原稿を間違えずに読まなければならない

周りの人にも失礼がないように接しなければならない

人間関係が難しい


だから異性の同僚の人がいても同じような精神状態なので癒されることがないのだと思うのです。

頭はパンパンに詰まってくるし、体の調子も悪い

「もう病気になりそう」

そんなときに上司から

「プロ野球の○○球団に行って△△選手にインタビューして来い!」

と言われた。

行って話していると心身共に今までの状態が嘘のように善くなっていく

それは砂漠でオアシスに出会ったような心境なのです。

そこで

「私にはこの人が必要なんだわ」 (笑)

と思ってしまう。


女性でなくても人間がスポーツに癒し、安らぎを求めるのは同じです。



ここでスポーツ選手を、波動体としてもう少し観てみましょう。


意識が肉体から外れているので直観が鋭くなっています。


空に近い状態です。


天からのメッセージが受けやすい。

天才とはメッセージを受けるのが上手な人ということです。

本当に集中しているときとは天とつながっています。(祈っていなくても)

その状態を出来るだけ長く続けることが一流、超一流選手になる秘訣なのです。

本人が意識(空になることを)しているいないにかかわらず、常人離れした、天才的なプレーをする人は自分を無にするのが上手いのです。


イチローは過去世でずっと統一をやっていたと思います。

過去世でかなり修行を積んでいます。

だから天(本心)に統一するのが抜群に上手いのです。

一流の選手は頭を使っていません。


例えば守備をしていてボールが飛んで来たらどこへ投げるか?は頭で考えます。

しかしそのシュチエーション(場面)を頭にインプットしたら後は空になるのです。

心を無にする。

その切り替えが凄いのです。

普通の人は頭で考えたままプレーをしてしまう。(エラーしたらどうしようなんて思ってしまう)

頭がスッキリした状態とごちゃごちゃモヤモヤした状態でプレーしているという違いです。

後、切り替えがすごく上手ですよね。

失敗をしたりミスをしたりしても頭をニュートラル(中立)に戻せる。

だからどこにボールが飛んで来てもスーッと動ける。

実は天才はボールを見て動くのではなく

飛んで来る前から身体が勝手に動いているのです。

これは頭で考えては出来ないことです。

余程エネルギーが流れつづけていないとこのような動きは出来ないのです。

そして

この選手を観ている人は

「なんであんなに凄いプレーが出来るのだろう?」

と感動するのです。泣き顔

天から降りて来ているエネルギーをその選手を通して観ているわけだから観ている人のエネルギーも同じように流れるのです。

すると感動が益々深まっていく。

観ていて自分もスッキリしてくる。

そしてその選手のファンになるのです。

女子アナもファンになっているのです。
 

私たちもプロの選手にならなくても

モテることが出来るようになる (笑)

それはエネルギーを流し続ければいい (前の日記を読んでください)

そんな邪(よこしま)な考えで祈ってもいいのか?

と怒られそうですが

モテたいから祈るのではなく

祈っていたらモテた

でいいのではないでしょうか?

ここで言っておきますが

モテるとは変な意味ではありません。

「爽やかな人だなぁ」

「スッキリしているなぁ」

「なんだか癒されるなぁ」

「自分もそうなりたいなぁ」

と好感を持たれるという意味です。

男も女も関係ないのです。

私はスポーツ選手が祈りながら(統一をしながら)プレーをしたら

もの凄いことが起るのではないか

と秘かに思っているのです。わーい(嬉しい顔)手(チョキ)







  

追伸


スポーツだけではないですね、音楽でも演劇でも芸術でも・・・・・すべてのことに通じると思います。 





 
  

  

流す 外す 消す

  
  
  
人間は光の波動体です。ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

そして、本来の人間は、星のように光輝いています。 夜

だから美しいし、素晴らしいのです。

いつも輝いている自分でいるためには

エネルギーを流し続けなければいけません。(明かりを灯し続けるには電流を流し続けるのと同じです)

目の前に自分にとって辛いことや嫌なことや悲しいことが現われても

それに把われずに止まらずにエネルギーを流し続けるのです。

そしてマイナスの想念エネルギーが襲って来てもそこに自分の意識を合わさずに外していく。

「来たな(マイナスの想いが)」 と思ったら

それは何だろう?

なんて詮索せずに、考えずに、分析せずに (ついつい追いかけてしまいます げっそり )

肉体から、頭から意識を外すのです。

立っているときは足の裏

座っているときはお尻の穴を意識すると肉体から意識は外れます。

魂を肉体から抜くのです。(難しいかな?)

足の裏、肛門を意識するだけでかなり人からの想念エネルギーを受けなくなります。

そして流す、外すが出来たら、同時にマイナスの想念エネルギーを消してゆくのです。


除霊という言葉がありますよね。

幽界でさ迷っている霊(霊界や神界に行けない霊)は自分が死んだと思っていないので肉体界にいる人に憑依します。

悪さをします。

この霊は、マイナスの想念エネルギーと同じなのです。

除霊とは、字のごとく除くだけなので自分からは離れてもよその人に憑くか、また戻って来るのです。(これでは意味がありません)


昔、「エクソシスト」という映画がありました。

女の子に憑いた悪霊を神父さんが除霊する内容でした。

神父さんが何度も除霊をしても戻ってくるのは、その霊(マイナスの想念)が消えていないからです。

だから除霊ではなく浄霊しなくてはいけません。

今、肉体界は幽界の世界が現われているのです。

肉体界を善くしていこうとするのなら幽界を浄めなければならないのです。

人間の心や地球を覆っている暗雲を光で消していかなければいけないのです。

人の想念エネルギーは有限です。

人間がマイナスの想いを溜めて出来たものです。

確かに凄まじい力を持っています。

自分で明るくなろう、ポジティブになろうとしても

すぐに暗雲が襲ってきてマイナス思考になります。

そんな自分が情けなくなります。(無限なる光)

しかし有限なので絶対に消せるのです。

消せるものはなにかというと祈り、印です。

宇宙は無限です。

その宇宙の無限のエネルギーを使えばどんなに凄まじいマイナスエネルギーも消えてゆくのです。

アセンションは3次元から4次元への移行ですが

それは人間が宇宙(神)と一体となって光の柱になることなのです。ぴかぴか(新しい)

その光の柱の姿とは

流す、外す、消す

という状態になっています。

それは、意識してやらないと出来ません。

そして意識し続けることで

知らない間にいつの間にか

無意識で出来るようになっている

それが未来の私たちの姿なのです。(進化した宇宙人の姿です)

流す、外す、消すことが出来るようになると

楽しくて楽しくて、幸せを感じるようになっていきます。

スッキリ爽やかになっていきます。わーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)

それは肉体が喜んでいるのです。

魂が、心が喜んでいるのです。

肉体と魂はくっついています。

肉体が喜べば魂も喜ぶ

魂が喜べば肉体もうれしい(これが人間の本当の幸せです)

そうなるためには

流す、外す、消す

を実践していくことが大切なのです。

人間関係においても

仕事でも

趣味をするのでも

スポーツでも

この

流す、外す、消す

は最強の味方になってくれます。

それは肉体を持ちながら

宇宙の叡智を受けて

そして顕しているからです。ぴかぴか(新しい)

キリストが降臨して

地球を救うのではありません。

私たちが宇宙と一体(神我一体)

となって光の柱となって

光が肉体に降りて来て

地球人類と地球を浄めて

幽界(潜在意識)の世界を浄めて

天と地(地球)が光の柱となって

人間と地球が浄化されて

地球は救われてゆくのです。

流す、外す、消すは

そのためには

最高のツールなのです。

今、神人(しんじん)と呼ばれる人が1万2千人おられるのだそうです。

神人とは、世界平和の祈りを祈り、マンダラを書き、神人の課題をクリアした人のことをいいます。

誰でも神人になれるのです。(地球と人類を救おうという意志があれば)

その数が10万人になったとき

アセンションは起ります。

10万人にならないとアセンションは起きないのです。

みなさん、流す、消す、外す

を体感してください。

そして神人になって

人類と地球を救ってください。




 
 

世界人類が平和でありますように 

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます





  

2011年1月28日 (金)

心に沁みます (日々の指針)

 

  
  
1. 自分のまわりにいるすべての敵は、まさに自分自身以外の何ものでもないのである。
  

 


1. 幸福に執着する以前に、不幸に執着する人が何と多いことか。
 




1. 記憶をよみがえらせ、それをポジティブに使うことはよいが、決して過去の記憶に翻弄されてはならない。




 
1. あらゆることに人生の意味がある。無駄な生き方というものはない。
 
 

 
 


1. いかなる悪しき習慣も必ず変えることが出来る。 無駄な生き方というものはない。

 


 

1. 人類が永遠に平和を求めつづけることは、人類一人一人が自らの内に神を見出した時に終りを告げる。





 

1. 人は落ち込んでいる時、とめどなく思考を繰り返し、一切行動しようとしない。落ち込んでいる時こそ自分に出来る小さな愛を即行動に移すことだ。 すると道は開けてくる。


 







            西園寺昌美 白光誌 2月号より






  




    

2011年1月27日 (木)

考えない努力をする

  
  
  
「考えないようにする」 なんて聞くとなんだか問題点から逃げているような印象を受けますが、それは違うのです。


普通考えるとは頭を使って考える訳です。

頭とは肉体の中にあります。

つまり肉体の世界でしかものが考えられないのです。

目に見える世界、3次元です。

人間がもし肉体の世界にだけ生きているのならそれでもいいのです。

しかし人間とはそんな薄っぺらいものではなく

肉体界の他に幽界、霊界、神界(天国)にも同時に生きている。

目にみえない世界にも生きている。(そちらの方がずっと大きい)

そして本当の自分とは肉体界に居るのではなく神界にいるのです。

天才とは、天の自分の能力、才能が肉体界に現われている人のことをいいます。

ベートーベンやモーツァルトは神界の旋律、ヴァイブレーションをキャッチして地上界へ降ろして来たのです。

お釈迦様もそうですよね。

金星という非常に進化した星の真理を地球という幼い星に降ろして来たのです。

だから私たちは肉体界だけで生きているのではないことがわかることが大事なのです。

そしてセンサー(意識)を頭に向けるのではなく自分の本心がある神界(宇宙)に向ける。

そうすれば宇宙のことも地球のことも自分が何者であるかということもわかってくる。

それから人のことがわかってくるのです。

わかるとは頭が理解するのではなく心が納得することをいいます。

自分が何者でどこからやってきたのか(一番基本的なこと)がわからないとなんにもわかっていないのと同じです。


そのためには、頭(肉体のみ)で考えることを止めることです。

でも考えることを止めただけで後は何にもしないのはただの怠慢です。

そうではなくその意識を本心に向けるのです。

それが統一です。

そうすれば自分に必要な情報(インスピレーション)が入って来ます。

そして必要なものはすべて整ってくるのです。

無限なる叡智、無限なる力、無限なる富、無限なる幸福・・・・・・・・

宇宙は無限なので無限のエネルギーが入って来るのです。

なぜなら人間は創造主だからです。

神だからです。

すべてのものを創造出来るのです。

頭だけを使うのなんてもったいないのです。

そのためには意識を宇宙に向けましょう。

宇宙の意識とは、宇宙神の意識、意志です。

宇宙神の意志、願い、目的とは宇宙が調和すること、平和になること、愛の波動で溢れることなのです。

その意識に人間の方から近づいていくのが

世界平和の祈りなのです。

我即神也の印なのです。

私たちはどうしても考えるという癖を持っています。

考えていないと不安なのです。

頭の中や心の中に何かが詰まっていないと落ち着かないのです。

でも頭だけで考えていたら想念が詰まっていたら天からのメッセージは非常に受取りにくいのです。

守護霊、守護神が助けようとしてもそのメッセージは届きにくいのです。

だからお釈迦様は

「空になれ!」 とおっしゃいました。


今こそ私たちはお釈迦様のおっしゃっている

「空になる」ときなのです。

考えない努力をして

頭も心も空っぽにして

祈りで神さまのみ心で一杯にして

天とつながるときなのです。

そのツールが祈りであり、印なんですね。



 

 
世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます







 
追伸  

スポーツや芸術や音楽などで天才的な活躍をしている人は本人が自覚しているいないにかかわらず天と通じているのです。


それを自分が意識してつながる方法が統一なのです。

その方法が書いてあるのが于先生の書かれた

「無限なる幸せを体得する方法」于寿明 星湖舎


です。

統一をすると心が落ち着いてきます。

本当の自分とつながるからなんですね。




 
 

冊目  調和波動気功法 于寿明 三晃書房

2冊目  無限なる癒し 于寿明 星湖舎 (以下同じです)

3冊目  無限次元への誘い  

4冊目  無限なる幸せを体得する方法  

5冊目  無限なる勇気  





電子書籍は

wookという出版社です。

本の名前で検索すると出てきます。

http://my.wook.jp/

 
  于寿明書籍販売ページ



http://utoshiaki.wook.jp/




   


2011年1月25日 (火)

一円玉の効能

  
  
  
私は週に2~3回スポーツジムに行っています。

ジムにはいろんな設備がありますが私が利用しているのはプールとサウナだけです。

プールは気(エネルギー)を流すのに最適なのです。

エネルギーの流れと水の流れの波長が合うからです。

2回行くと身体が整い3回行くと身体中の細胞が喜ぶのだそうです。わーい(嬉しい顔)

そして今日もプールに行っていたのですがそこで以前、ある中年の女性の方から質問を受けていました。


「私はすぐに顔が真っ赤になって顔から汗が噴き出るのです、どうしたらいいのでしょう?」

と聞かれたので

「それは頭に気があがっているからです。気が上にあがり過ぎているのでボッーとなるんです、気を下げるために足の裏を意識したらいいですよ」

と申しました。

すると今日

「あれから意識してみようとするのですがなかなか出来ません」

「難しいですね」

とおっしゃいました。

そうなんだもっとわかりやすく説明しないとダメなんだと思い

「足の裏にテープで一円玉を貼ってみてください、すると違和感があるので自然と意識できるようになりますよ」

とお答えしました。

そうなのです、私も以前W先生に言われてやっていたのです。

そのことを思い出したのでした。

気が上っているとどうなるかといいますと頭の中がパンパンに詰まった状態になるのです。(真っ白になったともいいます)


インターネットに情報が一杯に入っている状態と同じです。

だから

「あーでもない、こーでもない、どうしよう、どちらがいいのかな?」

と、迷ってばかりなのです。

空(そら)で言うと大きな雲に覆われてどんより曇った状態です。

それではよい考えも浮かんで来るわけがありません。げっそり

天からのメッセージが遮断された状態です。

天に居る本当の自分とつながっていないので不安になります。

動揺しているので平常心ではありません。
 

そこでまたまたお釈迦様なのですが


お釈迦様は頭を空っぽにして、意識を下丹田(へその下3.5cm)に収めなさいとおっしゃったのです。

本当の頭は上ではなく下丹田(かたんでん)にある、お腹のことを腹脳(ふくのう)といいます。

ここに本当の脳(考える場所)があるのです。


下丹田のずっと奥(後ろ)は宇宙(本心)とつながっています。

そこに気を下げる、沈めることで本心とつながり安心するのです。

安心すると動揺しなくなる。

これが不動心です。

いつも言っていますように不動心にならないと正しい判断が出来ないのです。

正しいと言う字は 天に止まると書きます。(天は一のこと)

つまり天に対して心が安定した(止まった)状態でないと人間は正常な状態ではないということです。

だから人間にとって一番大切なこととは

気を沈めることなのです。

そのためには意識が上っていてはいけない。


ならば、意識をどこに下げたらいいかといいますと

お釈迦様は下丹田とおっしゃいました。

武道でもスポーツでも精神的なものを求めている人は下丹田と言います。

しかしもっと沈めた方がいいのです。

今は特に気が上りやすいのです。(地球が汚れているから)

だから立っているときは足の裏を意識してください。

坐っているときはお尻の穴(つまり身体の最下点)


それも先ほど述べたように足の裏の真ん中(くぼんだところ)に貼るのです。

ここは湧泉(ゆうせん)と言われるところです。


エネルギーが身体から地球の中心に向かって流れていくエネルギースポットです。

鉄腕アトムが空を飛ぶ時はこの湧泉からエネルギーが出ているのです。

一円玉を貼ると当然違和感があります。

そこに意識が行きます。

すると自然と意識が下がるのです。

意識が下がると、上の頭に意識が行かなくなるので頭がスッキリ晴れて来るのです。

すると天(宇宙)からのメッセージが受取りやすくなるのです。

私たちは普段莫大な量の情報を頭で受取っています。

そのうちのほとんどはいらないものです。(マイナスなものや感情想念)

その中から本当に必要なものを選らばなければならない。

そんな状態なんです。



知りたいことがあるときは必要なキーワードを入力し検索します。

検索して出て来た答の中でもいらないものがたくさんある。

その中の一番いるものだけが心に飛び込んで来る。(インスピレーション)


それがスッキリした状態なのです。

だから悩むことがない

迷うこともない


それに近い状態に一円玉2枚でなることが出来るのです。(なんと安上がりな)

そして頭で余計なことをごちゃごちゃ考えることもなくなるのです。

肉体から意識が外れているからです。

このことはもちろん、この前に書いた想いを無くせば苦しくないに関連しています。

私たちは日頃からいかにいらないことを考え過ぎているかを把握してください。


そしてその足の裏に自分が居ると思って、世界平和の祈りを祈ってみてください。

きっと素晴らしい心境になれますよ。 わーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)指でOK


 


世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい) 

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  


 
 

2011年1月24日 (月)

想いを無くせば苦しくなくなる

  
  
  
私たちは苦しいと想っているから苦しいのです。

悲しいと想っているから悲しい

腹が立つと想っているから怒る

嬉しいと想うから嬉しい


そして想いで生きている。

ならばこの想いが無くなったらどうなるでしょう。

苦しいと想っていなければ苦しくないことになる

悲しいと想っていなければ悲しくはない

だったらこの想いを無くせばいい

この想いが無くなった状態とは寝ているときです。

寝ている時は苦しい、悲しいという感情はありません。

それは意識(魂)が肉体(脳裡)を離れているからです。

肉体を離れて、幽界、霊界、神界に自由に行っている。

あるときは霊界にいらっしゃる守護霊様、神界におられる守護神様が肉体界で汚れてしまった魂を綺麗に浄めておられます。

そして目覚めたときには、スッキリ爽やかにしてくださっています。

だから人間が起きているときもスッキリ爽やかに生きて行こうと思ったら

肉体から意識を外して(寝ているときのように)何も考えなかったら(想いを無くせば)いいのです。

お釈迦様はこの状態を 空 といいました。

感情の世界(肉体界)を超えて、本当の世界(神界、天国)につながりなさいということです。

印を組むとは世界平和を祈るとは、自分の本心(神界にある)とつながるためのツールなのです。

自分の本心とつながらないと人間は本当の幸せをつかめないのです。

三次元的な目にみえる幸せは消えてゆくものです。

消えてゆく姿です。

実体のあるものではない。

本物ではない

幻なのです。

三次元的(物質的)な幸せをつかんでもそれは雲をつかむようなものだからスーッと逃げて行きます。

追いかけても追いかけてもつかめないのでむなしさだけが残るのです。

それは本物ではないからです。

わたしたちは幻に振り回され、幻を追いかけている

だからむなしい、悲しい、苦しいのです。

神界にいる自分とはむなしさもない、悲しさもない、苦しさもない、肉体人間とは全然違った完璧な完全な素晴らしい人なのです。

そこ(神界、宇宙)に意識を合わせていれば、感情を超えることが出来ます。


どうしたら肉体から意識を外せるか?

どうしたら想いを消すことが出来るか?

どうしたら感情を超えることが出来るのか?


その方法はこれから少しずつ書いていきます。わーい(嬉しい顔)ペン






世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)





  

 
  

2011年1月23日 (日)

ブログ、ツイッター

  
   
最近、ブログは文章が長くて書くのが大変なので簡単に気持ちを伝えるツイッター(つぶやき)が流行っているようです。

自分が書いた文章に100人の人が見に来たとします。

すると目には見えないのだけれど100人の想念エネルギーが書いた人のところに行くのです。

そしてネガティブな文章ならばネガティブな人の想いが重なっていく。

書いている人はよりネガティブに、暗くなってしまうのです。(無限なる光明)

反対に前向きな文章ならば前向きな人が共鳴し、ネガティブだった人はプラスの明るいエネルギーを受けることでなんだか元気になっていくのです。

だから人が読んでいて心が晴れるような、勇気が出るような文章を書くことがとても大事なことなんですね。わーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)


実は昨日、高校の同期会の新年会がありました。

私が幹事、中心になってみんなに声を掛けて集めているのですが、実は会が始まるだいぶ前からみんなの想念エネルギーは来ているのです。


ある人は新年会の参加をどうしようか?を迷っていたときにお母さんの病気が急に悪化して亡くなってしまった。

そのことで新年会どころではなかったのですが

「来ると元気になるよ」

とメールを送ったことで気持ちが変わって参加してくれました。

参加したのは16人だったのですが事情は知らなくてもそれぞれにそれぞれの想いがあるのです。

その想念エネルギーが始まる前にもう来ているのです。

だからちょっとでもそのうちの誰かに想いを向けると、ど~んと重たくなります。

想いは重いのです。(笑)

ほとんどの人は自分が出す想念エネルギーを処理していません。

想いを出しっ放しにしています。

ネガティブな想いが心にあったのならポジティブなものに変えずにそのままにしている。

するとそのエネルギーはオーラ(雰囲気)となって地球上に放たれます。

そして誰かを想ったらその人のところにも行きます。

くしゃみをしたら

「あッ誰かが私を噂している」

とか言いますよね

あれは本当のことなのです。



そして新年会は新しい人も参加して楽しい雰囲気で過ぎて行きました。

会の雰囲気はそのときに参加している人たちの想念エネルギーで決まるのです。

心がモヤモヤしたまま来た人は、誰かに詰まったエネルギーを流してもらおうと来るのです。

肉体の自分は意識していなくてもその人の守護霊守護神が行きたくなるように仕向けます。

「どうしてもいきたい!」

という気持ちにさせるのです。

人が多く集まる会で

「楽しかった」

「素晴らしい会だった」

というのはその内容ではありません。

どれだけエネルギーが滞ることなく流れていたかによるのです。

会の会場の中に滝があるとします。

その滝は目にはみえない

その側に居た人はなんだかわかんないけど清々しい気持ちになる。

すると溜まっていたストレス、マイナスの想念エネルギーが流れ出してどんどん気持ちがよくなっていく

爽やかになっていく

雲に覆われていた心が晴れていくので

嬉しく楽しくなっていく

これが

「今日はいい会だった」

の真相なのです。

話は少し違いますが

赤ちゃんが一人いるとみんなが明るくなる

幸せな気持ちにさせてくれるのは

赤ちゃんがかわいくて愛らしいのはもちろんですが

赤ちゃんは天と真っ直ぐにつながっているので宇宙からのエネルギーが滞ることなく流れているのです。

天地を貫く光の柱になっている。ぴかぴか(新しい)

先ほど述べた滝のような状態になっているのです。

本来の人間とは赤ちゃんのような状態なんです。

だからいい会にしよう素晴らしい会にしようとしたのなら

祈り続けて自分が光の柱になればいい

そう意識して会に行くのですがついつい忘れてしまいます。(笑)無限なる愛


そして会が終わっても今度は終わったことの余韻が残ります。

これも参加した人たちの想念エネルギーが来るのです。

「楽しかったなぁ」

「もう一つだったなぁ」

「あいつとこんな話をしたなぁ」

それぞれの感想エネルギーがやっぱりやって来るのです。


だから会があるときはハッキリ言ってしんどいです。

始まる前、行なっているとき、終わった後

でも流しつづけていればどうということはありません。

しんどいのは他の人のせいではなく

自分の責任なのです。

人のエネルギーも自分のエネルギーもないのです。

なぜならわたしたち一人一人は別々に分かれていると想っているけど本当は一つなのです。


太陽から分かれた光線です。

私たちはその光線の一筋一筋なのです。

その光が何を照らしているかの違いなのです。

照らしているのは肉体という器です。

だから私とあなたは無いのです。


みんな神さまから分かれた分霊(わけみたま)なんですね。

そう想うと自分の周りにいる人が愛おしく想えて来ます。

仲良くしようと想います。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




 

 

追伸
 

私は日記を書くこと、ツイッターを書くのにもそれなりの相当の覚悟がいると思うのです。(影響の大きいと思われる文章は)

読んだ人のエネルギーを全部受けるんだ、目に見えない荷物を背負うんだという気持ち(覚悟)がないとやるべきではないのです。

そしてエネルギーの処理のしかた、消し方をしらないとその歪は絶対にやってきます。

簡単に想っているかもしれないけど目にみえないエネルギーは強烈です。

アセンションとは自分の波動(エネルギー)や人の波動(ヴァイブレーション)がわかるようになるということです。

一番大事なこととは自分がどういうエネルギーを出しているかということです。

自分を整え、周りを整えるには祈りのエネルギーしかない

印と祈りはこの地上最高のエネルギーなのです。

同期会をしていてそのことを痛感しました。わーい(嬉しい顔)

 

 


  

2011年1月22日 (土)

専門学校の時代

  
  
  
今、就職難で学生さんも大変だと思います。

東大卒の人も就職があるとは限らない。

これは、企業側が肩書ではなくその人が何を持っていて会社に対してどう貢献してくれるかというシビアな目で見ているのだと思うのです。

昔の景気の良い時は、10人の社員がいたら

仕事の出来る人は2人、まあまあが5人、出来ない人が3人でも成り立っていました。

だから普段はサボってばかりいても接待のときやみんなを盛り上げる宴会係(宴会部長と呼ばれていた)的な人も存在していたのです。

しかし経営が厳しくなりリストラ(再構築)をせざるを得ない状況になると収益を生まない社員はいらなくなるのです。

だから仕事の出来る2人は採用するけれど後の8人はいらなくなる。

コネや学校のブランドだけで採用することはもうなくなっていると思うのです。

先日新聞にある大学生が就職口がないので、専門学校に入り直したという記事が載っていました。

大学で学んだだけのスキルでは、採用されないということです。

大学は教養課程を経て専門的なことも学びますが、高校の延長のような教養過程はいらないのではないかと思います。

すると2年は無駄になるそして専門的なことも社会に出てすぐに役立つことを身に付けないと今の企業は必要としないのです。

ただなんとなく大学に行くのとしっかりした目的を持っていきなり専門的なことを学ぶのとでは雲泥の差があります。

今は就職難だから取りあえず大学に行くという人が高校を卒業した人が2人に一人いるそうです。

目的もなく大学に行く

卒業しても採用してくれない

だが親も自分も安定している大企業でないと嫌だ

しかし大企業とは全体の0.1%しかない

そこにみんなが集中する

就職難になるのは当たり前ですよね。

これから専門学校の時代がやってくるそうです。

大学も負けじとばかり専門学校化していく

レジャーランドの大学はもう終わったのです。

だから中学くらいから自分の進む道を決めていないと高校に入ってからだともう遅いのです。

それは高校も特色を出して専門的になってきているからです。

大学に入るための予備校的な高校はもういらない

良い大学(偏差値の高いという意味)に行くことが目的でなくなるからです。

社会や企業から必要とされるにはどうしたらいいか?

自分の才能とは何なのか?

自分の持っている能力の何が仕事と結びつくのか?

そして仕事を通して自分はどういう人になりたいのか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・

考えることはたくさんあります。

これは学生だけでなく私たち大人も考えることだと思うのです。

遅すぎるということはないのです。


   
    
  

2011年1月21日 (金)

敗者復活!

  
   
10日くらい前から急に歯が痛くなっていました。

口の中に何も入っていないときはいいのですが

ちょっとでも冷たい物を飲んだり食べたりすると歯の奥が沁みるようにかなり痛いのです。

歯槽膿漏? 知覚過敏? 虫歯?

すぐに歯医者さんに行けばよかったのですが今までにない痛みだったので少し怖がっていました。

「これから先、冷たいものを食べれるのだろうか?」

そんな不安さえ湧いて来たのです。

そして今まで何不自由なく飲んだり食べれてたことがどんなにありがたいことだったのかがわかりました。

思い切って昔からのかかりつけの歯医者さんに電話をして午後3時に予約を入れました。

平成17年に来院してたらしいので6年ぶりです。

そのときに 「歯が痩せて来ているので定期的に来てください」 と言われていたのを放っておいたのも、大丈夫かな?と思ってしまった原因でした。

「歯がボロボロです、総入れ歯にしなくてはなりません」

もしかしたらそう言われるのでは?

それというのもハーモニー(気功仲間)の人で歯がボロボロになっている人がいるのです。

口というのは、いろんな想念エネルギー(マイナスエネルギー)が入って来る場所なのです。

五井先生も歯はかなり悪かったそうです。

「糸ようじで週に一回は掃除をしなさい」 と于先生からも言われていましたが、一ヶ月に一回かそれ以下でサボっていました。

そのつけが回って来たのかな?と思っていました。

ところが先生は

「虫歯ですね、左が深くて右はそれよりは浅いです」

「左は神経までいっているので神経を抜きます」

「歯槽膿漏とかはありません」

「今日左の治療をして、その後で右をします」

「神経を抜いたので痛みは無くなります、右はまだ抜いていないので薬を入れておきますこれで痛みはかなり和らぎます」

淡々とした口調で、次々に安心する言葉をかけてくださいました。
 

虫歯くらいでよかった・・・・。

それが正直な私の感想でした。

虫歯ももちろん無いに越したことはないのですが

もっとひどいと思っていたのです。

すぐに麻酔をかけて治療が始まりました。

麻酔が効いてほとんど痛みもありません。

口の中が腫れぼったくはなって気持ちが悪いのですが

あの沁みるような痛みがもう終わるのかと思えばなんでもありません。

なんだか幸せな気持ちになってきました。

今の医学は凄いと思います。

痛みを和らげる麻酔がある

昔だったら手のほどこしようもない痛みや症状を緩和させ、日常生活に支障のない状態にまで戻してもらえる。

その恩恵を受けられる時代に自分は生きている。

「ありがたいなぁ!」

大げさかもしれませんがそう感じたのです。

治療が終わって先生にお礼を言い、次の予約を入れて帰りました。

家に帰って冷蔵庫にある冷たいお茶を飲んでみました。
 

「沁みない・・・・・」
 

そんなことがとても嬉しかったのです。


「歯医者さんに行って歯が元に戻った!」

「これがほんとの歯医者復活だ~」


そう言った私を見て

隣で妻が呆れていました。げっそり



   



   

 
 

2011年1月20日 (木)

情報について

 
  
先日、タレントの山口もえさんが「たかじんのなんでも言って委員会」という番組の中で言っていたのですが、初めて会う人をどんな人なのか調べてみようとインターネットで検索したところその人のプライベートなこと、本人が知られたくないだろうということまで事細かに載っていたそうです。

もえさんは身体的なこと、整形をしている、かつらであることまで書いてあったのでびっくり、その影響で会ったときにそのことが気になってしかたがなかったと言っていました。


本当のことだったとしても、嘘の情報であったにせよ、本人にしてみれば甚だ迷惑なことだと思うのです。

相手に文句を言うにしてもエネルギーを使います。

無駄な時間を取ってしまいます。(それでも削除してもらえるかどうかわかりません)

人に知られてしまうという嫌な気持ちや恐怖心が出てきます。

「何を書かれてもへっちゃらだ」 と中にはそういう人もいるかもしれませんが、そういう人はまれなのです。

韓国の俳優や歌手の人でネットでの誹謗、中傷が原因で自殺した人がいました。(無限なる愛)

肉体人間は繊細です。

メールでも相手の心境を読んで書かないと、良かれと思って書いたことがかえって悪く受け取られることがあります。

あれやこれや考えていたら何にも書けなくなってしまいますよね。げっそり

そして情報とは一回頭の中にインプットしてしまうとなかなか外れないということです。

彼女にとって相手の人が整形をしていようがカツラであろうがそんなことはどうでもいいことです。

しかし、会う前の真っ白なデータの中にそのことをインプットしてしまうと頭の中はそのことがグルグルと回り始めるのです。

産まれたてのヒヨコは最初に見たものが親だと思うのだそうです。

“刷り込み” と言われていますが脳の中に刻印されるということです。

このことからもわかるように私たちは人のことを評価します。

「あの人はいい人よ」

「あの人は善い人なんだけど・・・・・よ」

「あいつはとんでもない奴だ」

「あの人の性格は・・・・」


・・・・・・・いろんなことを言ってしまい、聞くことになります。

何気なく言った一言が相手の脳裏にインプットされ刻印されるのです。

「あいつは嘘つきだ!」と言ってしまったら

聞いた人は会う前も会ってからも

「この人は嘘をつく人なんだ」と断定に近い感覚になってしまうのです。

私は以前、ある人に仕事をお世話したことがあったのですが、その会社の人事の人に

「責任感が強くてとてもいい人ですよ」 と言ってしまったのです。

それで面接の結果採用されることになりました。

ところが私が思っていた人とは違ったみたいでその会社の人に迷惑をかけることになってしまいました。

その人事担当の人には私が語った人物の通りに見えたのだと思うのです。

あまり余計なことは言わずに事務的に

「お願いします」

とだけ言えばよかったとその後で後悔することになりました。

人は、内面的なものはなかなか外へは出しません。

外面を見ているだけではわからない

そこに情報という化粧を塗ってしまったら皆目分からなくなってしまう。(笑)


だから私は人のことをなるべく評価しないようにしています。

良い評価もです。

私にとって良い人でも他の人にとっての良い人かどうかはわかりません。

それもほとんどは自分の都合で判断し決めているのです。

そして人の情報、その他の情報も簡単に信用しない

出来るだけ入れないようにしています。

入れるとしても心をニュートラル(中立)にさせて、そこに先入観、感情を入れないようにします。

インターネットが出来て、人はいろんな情報をたくさん取り入れることが出来るようになりました。

しかしその大部分はいらない情報だと思うのです。

だがしかし自分に必要な良い情報があるのも確かです。


自分のアンテナを張る、そしてどんな情報が欲しいのかを明確にする

マイナス思考のネガティブなところには流れて行かないようにすることが大切だと思います。

そしてもう一つ大事なことがあります。


西園寺昌美さんの言葉で今でも心に残っている一言です。


 


“情報において大切なのはその量ではなく、それに振り回されないことである”


  
   
   
  

2011年1月17日 (月)

実は・・・・・・・

 
  
  
       (一)



人間というのは

ここに肉体があるけれども

実はここにあるのではなく

光が流れて来ているのです

純粋な無念無想の状態で

光そのものになっているのです



肉体というのは  本当は

あるのではない  ただ見えているだけなのです

みなさんはここに坐っているけれど


実はここに坐っているわけではないんですよ

光の波が幾すじも流れて来て

ここに止まっているのです

光の波と業の波がまざったものが

ここに来ているのです

そこへ太陽よりもっとすごい光明が言葉とともに柏手

 とともに流れてゆくと

業の波がきれに洗われてゆくのです

みなさんは肉体と思ってはいけません

人間は肉体である  という観念から

一日も早く脱却することです



人間は肉体ではないんです

霊なのです  光なのです  光線なのです

太陽が光り輝いているけれど

光線としては見えません

見えないけれど光線はある

それと同じように

人間はみんな光の波で天から来ているのです




それなのに肉体というものに把われて

肉体ばかり見ているから

太陽の光を否定し

神さまから来ている自分の力を否定している

否定しただけ汚れてしまうのです  だから

人間は勝手に苦しんでいる  といわれてしまうのです



私は今までかつて生れてからこの方  悪いことをした

 ことがないという人がある

ちっとも悪いことをしていないのに

私が不幸なのはどうしたわけか

神や仏があるのなら  こんなに私を不幸にするわけがない

自分は悪いことをしたことがない  といいます

悪いことをしたことがない  というけれど

いったい誰がそうきめられるのでしょう




悪いことの一番の根本は何だろう

それは

自分が神から来たものである

神と自分とは一体である

ということを否定すること  そして

神と人間とは別なのだ と思うことです

神から分かれた光線なのだ  分霊(わけみたま)なのだ

とはっきり自覚しない以上は それだけ悪なのです



自分の真実の姿を否定して

神も仏もあるものかという時

その心は闇の想いです

そうした想いを持ちながら

神さまに助けてもらおうとするのは

お金を下さったり  一日の糧を下さったりしている人

の悪口をいうのと同じです

人間は天の恵み  地の恵みで生きています

神さまは天にもいるし 地にもいます

天地縦横 宇宙一杯に光り輝いているのが神さまです

そこから人間は生きるすべての原料をもらっているのです

神さまなくして  人間は生きられません





    
         (二)



神さまがあるのか  ないのかわからない

見たこともない  という人がいる

けれど本当は神さまをあなたは毎日見ているのです



自分がいることは神さまがいることなのです

毎日 毎日 神さまを自分に見

夫に見  妻に見  子供に見ているのです

見ているのに 神さまを見たことがないという

神さまは宇宙に充満しています

自分の中にい  人の中にもい  植物の中にもいて

すべての中に生き生きとしているのです

神さまはいのちなのだから

年中お目にかかっているのです



神さまは手にふれない  という

自分の子の手を握った時には

神さまを間接的に握っているのです

自分の友だちの手を握った時

神さまを間接的に握っているのです

子供をだいた時

神さまをだいているのです




神さまはすべてのすべて

在りてあるものなのです

全部が神さまなのです

それなのに

神さまの外に何かあると思っている

神さまの外には何もないのですよ

自分は神の分霊なのです

全知全能の神さまから分かれたいいのちなのですよ




        (三)


私たちの天命がまっとうされますように

と祈っていますか

誰にでも天から与えられた使命があるのです

天命をまっとうするために生れたのです



天命をまっとうされますように  と祈っていれば

 家も

 金も

 力も

 健康も


天命をまっとうするために与えられるのです




けれど天命を損なうお金もあります

人からむしりとったお金

賭け事や宝くじなど労せずして得たお金はすぐなくなります

金 金 金と金ばかり思っていると

金は入ったとしても業の想いだから

消えてなくなります



業の想いはすべて消えてゆく姿なのです

消えないものは何かというと

神さまだけなのです

お金を頂いた  着物を作ってもらった としても

すべて神さまから頂いた神さまのものなのだ

神さまが人を通して私に下さったのだ

そのように思っているお金や物はなくなりません

もしなくなったら

もっと増えてやって来ます

何故ならば 神さまのものなのだから

尽きることがないのだから

神さまだけしかいらっしゃらないのだから

神さまを100パーセント思うのです。

100パーセント思えば

自分は神の分霊なのだから

神さまの光がそのまま現われて

自分の世界が完全になるに決まっているのです



 

      (四)


 
宗教信仰はこうありたいですね

良寛さんや  法然さん  親鸞さんのように・・・・・・

悪いものはないのだ  消えてゆく姿なのだと

本当に心の中で思っていることです



みな神さまに生かされているのだから

神さまが生かして下さるのだ

間違った生かし方をするわけがない

自分の前に不幸の姿が現われて来ても

それは過去世の因縁が消えてゆく姿なのだ

どんなに自分の中に怒りの心が出て来ても

どんなに迷いの心が出て来ても

それは消えてゆく姿なのだ

どんなに自分を仇(あだ)する人があっても

みな過去世の業の消えてゆく姿

在るものは 仏さまの慈悲だけ

神さまの慈愛だけが光り輝いているのだ



こういうように思える境地に

世界平和の祈りをして

一歩でも二歩でも近づいて下さい



悲しみが起ったら世界平和の祈り

怒りが起ったら世界平和の祈り

恨みが起ったら世界平和の祈り

病気になったら世界平和の祈り



すべて世界平和の祈りの中で生きてゆくのです








       「大決意」  五井昌久 白光出版



  
  


2011年1月16日 (日)

調和波動気功セミナーのお知らせ

  
  
みなさ~ん今年最初のセミナーです。わーい(嬉しい顔)

最近波動という言葉がよく聞かれるようになりました。

目にみえないヴァイブレーションはみえなくても感じることがあります。

感動するとは心が動いてそれが体に伝わってくるのです。

体が直接感じるものではありません。

五感が感じるのではなく、感じないところ(心)から伝わってくるものが

本当の感動なのです。(心が先です)

その違いがわかることが波動がわかるということです。

調和波動気功のセミナーは波動が細かいのでその違いがわかるのです。

どこが違うのか、是非いらしてみてください。わーい(嬉しい顔)

それからこのセミナーは和やかな笑いで溢れています。

于先生の講演もダジャレの連発でこの人が気功の先生か?とびっくりします。

人は笑いによってリラックスし、本来の姿になるのです。(ユーモアのない話はどんなに奥が深くても心の中には入っていきません)

いとおかしは、おもむきがあるという意味です。

人を楽しくさせる、喜ばせる、リラックスさせることって

おもむきがあるということなんですね。

趣とは英語ではエレガントになるそうです。


優, 上品, エレガント, 雅びた, 美妙, 気品のある, 貴やか, ご立派, 御立派, 閑雅, 雅びやか, 雅やか, 流麗, 瀟洒, 優婉, 高雅, 立派, はんなり...






  
           水の会


日   時:2011年1月30日(日)  12:00~16:00
         
   会   食:          12:00~13:30
  于先生講演会:          14:00~16:00

場   所:中国料理 大成閣 (大阪市中央区東心斎橋)

会費:8,000円 (中学生以上)
   4,000円 (小学生4~6年生)


詳しくは調和波動気功法HP

最新講座のご案内をご覧ください。 わーい(嬉しい顔)

http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/

 


セミナーに参加されたい方、ご質問のある方はご遠慮なくお電話ください。

篠崎携帯 080-1444-0018




  



  

  

  

お知らせがあります。

私はココログというサイトで日記を書いているのですが、無料のサイトを利用したために広告(コマーシャル)が入るようです。

気がついてみるとあやしい宣伝がいっぱい (苦笑い)

私とは何の関係もありませんので (観られるのはかまいませんが)

誤解のないようにお願いします。 happy01

  


  

草食系男子増える

 
  
 
新聞を読んでいたら特定の恋人を持たない、女性と付き合ったことがない、セックスをしない、したいと思わないという若い男子が増えていると書いてありました。

これは由々しき問題である、人口が減る、活力が無くなる、日本の未来が危ないとかマイナスに書いてありましたがこれは全然違うと思うのです。

地球は今、ユニティ(合一)に向かっています。

合い、愛に向かっているのです。

男、女 悪、善 プラス、マイナス 優、劣  勝ち、負け 陰、陽 貧、富は徐々に無くなってきています。

経済では二極分化が進んでいる、つまり貧富の差が激しくなっているという説があり、実際そうなっているのですがそれもプロセスなのです。(お金は近い将来無くなります)

草食というのは心が穏やかになっているのです。

肉食と違って草食動物は穏やかです。

象や牛は他の動物と争いません。

だから草食系の男子とは争わない男子なのです。

最近、以前に比べて暴走族や怒鳴っている人が少なくなったと思いませんか?

無くなったとは言いませんが、かなり冷静(霊性)に周りを見ていると思います。

それは宇宙から降りて来ている波動が細かくなっているからです。(霊化している)

宇宙飛行士は宇宙に行くと性格が変わると言われています。

いや、変わるのではなく本来の姿に戻っているのです。

宇宙の波動は細かくて優しくて穏やかだからです。(ボランティア等をするようになるそうです)

無限の愛、無限の調和、無限の平和の波動(ヴァイブレーション)です。

それと呼応するように世界平和の祈りがその波動をより細かくしています。

二極にわかれた相対するものが近づいて来ているのです。

それは男性の女性化ではありません。

女性の男性化でもないのです。

進化した星の人類には二極に分かれているものがありません。

相対するものがないのです。

つまり男、女という性がないのです。

菩薩様は宇宙人です。(私たちもそうですが)

進化した星の神さまです。

そして菩薩様は

男でも女でもありません。

男という性、女性という性を超越しているのです。

一昔前は

男と女との間には友情は成立しないという考えが多かったのです。(私もそう想っていました)

でも今、同窓会をしていて

「成立するのではないか」

と思っています。

「超えるのではないか」

と感じています。

年齢的(中年)なものもあるのかもしれませんが

男と女というより

人間と人間

人と人

との意識が強いのです。

男らしさ

女らしさ

はあります。

そこまでは行っていません。

でも

男らしさ

女らしさ

よりも

その人の性格、人格に

ただ男という体を纏っている

女という器になっているだけのような気がするのです。

だって今の女性の前世は男性だったそうです。

男性はその反対です。

ハーモニーの女性たち(気功仲間)を観ていると

姿は完全に女性ですが

心は完全に “お・と・こ” です。(失礼!)げっそり

そんな人は皆さんの周りにもたくさんおられると思います。


人間は男と女という性を超越したとき

本当の愛が生まれる のではないか?

私は秘かにそう思っているのです。わーい(嬉しい顔)




  

目標を大きく持つ

  
  
  
プロゴルファーの石川遼くんが

「今年の目標はマスターズで優勝争いをすることです」

と語っていました。

去年はどうしてダメだったかというと

目標が予選を突破することだったからです。

目標が低かった、だから予選を突破するだけの力しか出ない。

ちょっとでも力んでしまうと力(エネルギー)は目減りするので70%の力しか出せない。

だから一生懸命にやっていても突き抜けないのです。

そして小さい目標には小さい出来事が引っ掛かってくる。

ギャラリー(観客)の声が気になったりとか

カメラのシャッター音(雑音、雑念)が耳に入ってくる。

ゴルフの帝王と言われたジャックニクラウスはここ一番の大事なウイニングパットの時に突風が吹いて帽子が飛ばされたのですが、優勝インタビューのときにそのことを知らされ、初めて気づいたのだそうです。

もの凄い集中力ですよね。

そしてお金にも無頓着だったそうです。

帽子が飛ばされたことも優勝することも、賞金のことも名誉のことも相手の選手のことも、追い込まれていることも一切頭の中に無かった。
 

二クラウスの目標が何だったかは知りませんがあらゆる欲望を超越した 「空」の心境になっていたのは確かです。

だから超人的な集中力が生まれた。

目標が高ければ高いほど、この 「空」 の心境に近づいて行くのです。

目標が自分だけの幸せならば、他人の幸せには想いは行きません。

逆に他人の幸せが疎ましくなってしまう。

妬み、恨み、嫉妬、批判、非難・・・・・ (無限なる赦し)

心が狭くなってしまう。

それが周りの幸せを願えば、人の幸せが自分の幸せになっていきます。

その周りの幸せを地域の幸せ、日本の幸せ、世界中の幸せ、地球人類の幸せ、宇宙の幸せを願うことまで想いを拡げて行けば


それは宇宙神そのものの願いになるのです。

宇宙神は宇宙全体の平和、調和を願っているからです。

世界平和の祈りとは、地球人類だけの祈りではありません。

世界とは宇宙に住む人類全体のことなのです。

だからとてつもなく大きい・・・・。

無限の大きさがあるのです。

そこに自分の意識を合わせると自分という小さい枠を超え、人を超え、地球を超え、宇宙に溶け込んで行くのです。

自分がどんどんどんどん大きくなっていく。

だから自分の周りに起こる出来事が小さな小さなことに思えてくる。

自分の意識がとてつもなく大きくなれば目の前に現われてくる出来事は塵(ちり)のように思えてくる。

自分が大きくなれば塵は大した力を持ちません。

塵は大きな宇宙という川の流れに流されて、飲み込まれてそして消えて行きます。

世界平和の祈りを祈っていると自分の心がどんどん拡がって宇宙大になるのです。


感情的になったとき

相手を憎いと思ったとき

悲しくなったとき

寂しくなったとき

自分の気持ちを抑えられなくなったとき

理由もなくむなしくなったとき


それを癒してくれるのは、あらゆる想い、感情を消してくれるのは

宇宙の愛しかないのです。



とてつもなく大きな存在(神)しかないのです。

それは宇宙があらゆるものを含んでいるからです。

だから本当に心が安心立命するには

世界平和の祈り続けるしかないのです。

印を組んで神(宇宙)と一体となるしかないのです。

話がかなり大げさになりましたが(笑)

私は目標を持つことの大切さがよくわかるようになりました。

遼くんが大きな目標に変えたように

自分を成長させるためには

進化させるためには

大きな目標であればあるほどいい

そして一番大きな目標は

世界平和の祈りなのです。

この祈りを祈っていればすべての願いは叶えられます。

それは個人の願いもすべて世界平和の祈りに含まれているからです。

同時に叶えられるからです。



  
 
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  

2011年1月14日 (金)

心の中が雰囲気に出る

 

   
同窓会などで人間ウォッチング(観察)をしていると人柄が変わらない人と変わってしまった人に分かれます。

同じような苦労、試練があったとしても輝きは全然違ったりするのです。

そしてその人に何があったのかはわかりませんが、過去から今まで、どういう心境でどういう気持ちで過ごして来たかはだいたいわかるのです。


例えば、何か辛いことがあったときに人のせいにしたり誰かを恨みに想ったり自分の悲運を嘆いてばかりいたりするとその気持ちは潜在意識にインプットされます。

そしてその想念エネルギーは肉体にくっついている幽体に溜まるのです。(この幽体がオーラです)

幽体とは自分の想念が集積されたところでそこには死んだ人、生きている人の想念エネルギーも入って来るのです。

そして自分の想っていることとそれらの想念エネルギーが似通っていれば共鳴する。

自分に恨みの想いがあれば死んだ霊の恨みの想念、生きている人の恨みの想念と共鳴するのです。

恨んで憎んで怖い顔をしていればそれと共鳴する霊がやってくる。

すると益々、怖い顔になってくる。

醜い顔になっていくのです。

姿形だけでなく心も暗く沈んでいるのでどんよりとした重苦しい雰囲気を醸し出すようになるのです。

テレビを観ていても、昔はかわいかったのに無邪気だったのに純真だったのに

どうしてあんなになっちゃったんだろうという人がいます。(無限なる光)


一方同じような経験をしていても

人のせいにしなかったり、明るく前向き、ポジティブに考える人はそういった暗い想念を引きつけないので取り憑かれることも少ないのです。

心の中は明るく輝いている。

だから雰囲気も明るく爽やかなのです。

そして魅力的です。

世界平和の祈りを知らない、していないのに

明るく爽やかな人がいます。

ならば世界平和の祈りを祈ればもっともっと

美しく輝くのに・・・・・・。

素敵な人を見ると

いつもそう思っている自分がいるのです。

世界平和の祈りは悪いものとは決して共鳴することはないのです。(だからおかしな霊に取り憑かれることもないのです)

それは宇宙の無限のプラスのエネルギーと共鳴するからです。

無限なる愛、無限なる調和、無限なる平和、無限なる富、無限なる健康・・・・・・

宇宙と共鳴すれば無限のプラスエネルギーが肉体に入って来るのです。

するとすべてのことが整って来る。

それは奇蹟でもなんでもない・・・・。

宇宙の法則なんです。

私たちは宇宙の住人だから

宇宙の法則に乗れば幸せになれるのです。わーい(嬉しい顔)  夜


世界平和の祈り、そして印はこの地上最高のエネルギーなのです。ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)




  
世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


  
  

  
  

追伸


最近、自分たちの信じるお祈りの最後に

May Peace Prevail  on earth

を入れる宗教家の人たちが増えているそうです。

真剣な祈りをしている人たちはこのお祈りがすべての祈り言を含んでいることがわかるからだと思うのです。

すべての宗教は世界平和の祈りに統一され

そして無くなっていきます。

地球が平和になればもう宗教はいらないからです。



  
      
     

受験シーズン

  
  
  


今、東京の大学に行っている息子は去年の今頃は大変でした。

2浪しているにもかかわらず、夏を過ぎてからやっとエンジンがかかって志望校になん

とか行けるかと自信をつけたときに、慌てふためく出来事が起こったのです。

それは大の苦手とする英語ばかりに集中して勉強していたので、得意の国語、政治経

済は最後に残していたのです。

そして国語と政治経済をやり終えて、さぁ英語の問題を久しぶりに解いてみようとしたと

き、かなりの数の英単語を忘れてしまっていたそうです。

2ヶ月もほとんどやっていないと英語は忘れるのだそうです。

問題を見ても、直訳も出来ない。

頭が真っ白になって大阪での地方試験をパスしました。

次の試験までに感を取り戻そうと必死でやっていましたが

7割までしか戻らなかったそうです。

そんな状態で本チャンの東京での試験はボロボロでした。

9校受けて手ごたえのあったのは、一校だけ

滑り止めも上手くいかなかったそうです。

東京から帰って来た息子は憔悴し切っていました。

そして帰って来た日が一番自信があった学科の合格発表・・・・。

それが落ちていたら全滅です。

文書で合格通知が家に届くことになっていました。

息子は、祖父からもらったお守りを胸に当てて

玄関で布団に包まって待っていました。

前日の午後に発送していたとしても速達なので午前中には着くはずです。

インターネットでも見れるのですが、怖くて見れないと言っていました。

しかし合格通知の速達は、午後を過ぎてもやって来ません。

その日は非常に寒く体の芯まで冷えるような天候でした。

2時、3時、4時まだ来ません。

息子はとうとう家(マンション)を飛び出して、外で待つようになりました。

妻は見るにみかねて泣いています。

本人も辛いでしょうが妻も同じ想いです。

私は現実を受け止めて、次のことを考えるように言おうとしていました。

戻って来た息子の体は氷のように冷え切っていました。

妻は嗚咽で声が出なくなっていました。

無駄だとわかっていても

ダメだとわかっていても

「自分の目で見てしっかりと受け止めなさい」

「そしてこれからのことを一緒に考えよう」

親と子の、辛い試練です。

東京の大学に行くのは自分の夢だったのです。

好きな本の仕事が出来る出版社は東京にほとんどが集中している。

大阪には出版社がない。

それが彼が東京にこだわった理由でした。

たった一枚の紙が息子の人生を握っている。

なんとも言えない気持ちになりました。

息子はパソコンの前に座って

大学のホームページにアクセスしています。

受験票を握りしめて受けた科目の受験番号を探しています。

競争率は7倍強、番号は飛び飛びで番号から番号の間が20くらい空いている数字が

あります。

「やっぱりダメか~」

そう思った瞬間でした。

「あったあった番号があった!」

息子が叫びました。

にわかには信じられません。

学部は学科は、学校名(笑)は間違っていないか

何度も何度も何度も確認しました。



「絶対に間違いないか?」

「ほんまにあるのか?」





「それやったら何で今日通知が来ないんだ」


調べてみると

発送は今日で通知が来るのは明日だったのだそうです。

「お・ま・え・は・あ・ほ・か」

みんな顔がぐしゃぐしゃになって泣いています。

笑っています。

妻は息子が郵便を見に外に出たときに

胸騒ぎがしたそうです。

よからぬことを想像したそうです。

それくらい鬼気迫っていました。

地獄から天国とはこのことなのかもしれません。

その大学は第一志望ではなかったのです。

でも絶対絶命のピンチの状態では

第2志望であろうと天国に昇るような気持ちになったのです。(後の8校はやっぱり落

ちていました)

それから息子は休む間もなくまた一人で東京に行き、自分の住む場所を決めて来ま

した。

そして現在は、ゼミ(1年からでも入れるのだそうです)で厳しい先生に指導してもらい、

サークルでたくさんの友だちが出来て、とても充実して楽しいのだそうです。

ゼミの先生から認められて某出版社にアルバイトに行けるようになったのだそうです。

「順調過ぎて怖いみたい」

と息子は言っていますが

決してフロック(偶然、まぐれ)ではない

あのときに辛い想いをしたから、今一生懸命に頑張れているんだね


と妻と話しています。


妻はあのときの話しをすると今でも泣ぐみます。

受験シーズンがやって来ると

この先何回でもあの日のことは想い出されるでしょう。


辛かったけど家族が一つになれた


幸せなひとときでした。


  




 

追伸


息子は私がブログを書いていることに全く関心がないのでこの日記がバレる心配は

ありません。

でも、もし見つかったらしばかれるので、証拠隠滅のために何日かしたら消そうと思っ

ています。わーい(嬉しい顔)




注) しばかれる とは標準語でどつかれると言う意味、あッ どつかれる も大阪弁だ

ったかな?


 
   

 
追伸の追伸

受験から5年が経った現在(2015年1月)の状況です。

息子は、無事4年で去年卒業し(笑)、自分の力で就職も決め、今元気に社会人として働

いています。(しかしまだ当たり前のことが出来ないこともあり妻と心配しています)

先日、お正月に帰って来たときに久しぶりにあの日のこと(受験発表の日)を話しました。

私 「まだ貴方は一人前の人として出来ていないことはたくさんあるけれど、東京で一

人暮らしを続けて働けていることはスゴイと思うよ。今の世の中自立出来ていない人

がたくさんいる。それだけで95点だと思っている」

息子 「確かにそうかもしれないけれど、それは紙一重だよ。あのとき受験に失敗していた

らどうなっていたかわかないもの」

私  そうやったなあ、でもあのとき受かっていなかったら、「もう一浪(3浪になる)しても

いいよ」 って言うつもりやったんやで」 と言うと息子は驚いた顔をしていました。

・・・・・・・・・・・

その頃の私と息子は心が通じ合えていませんでした。

今だから言える会話ですよね。

苦労したから受験で失敗した人の気持ちもわかる

挫折した人にも優しく出来る

失敗した人に

「そんなことたいしたことじゃないんだよ」

「自信を失うことではないんだよ」

「今、自立出来ていなくても決して卑下することなんてない」

「人間にはどんなことにも屈しない無限の可能性がある」

と言える。

息子の浪人は決して無駄ではありませんでした。

人生無駄なことなんてなんにもないのです。

マイナスも絶対にないのです。

そのことを改めて教えられたのでした。



 

 

 

  
    

  

2011年1月12日 (水)

世界平和の祈りについて

  
 
  
世界平和の祈りの素晴らしさはほとんど毎回のように書いていますが、日常生活を送っているとつい忘れがちになるのです。

そして習慣になっていないと次に納得する機会、きっかけがなければ忘れてしまうのです。

だから同じような内容の繰り返しになるのかもしれませんが

何回も何回でも書いていこうと思っています。

心でわかることも大切ですが、頭の中に何度もインプットすることによっていつの日かわかって頂けたらこんなに嬉しいことはありません。

最近、以前よりも増してたくさんの人が読んでくださるようになりました。

これからもよろしくお願い致します。




 
問 

世界平和の祈りについてお伺いいたします。

世界平和の祈りをすると、なぜ、自分も救われるようになるのでしょうか?







 



まず大概の人が、個人の私というものと、世界人類というものとは別のような感じがしている。

ふつう何も関係がないような感じがしています。

自分がどうこうしたって、世界が動くものではないとか、すべては政治の責任とかいって、自分とは関係ないような感じがしている。

ところが個人個人が集まって国家になり、人類になるわけですよね。

だから個人一人の動きというものは、大変な力を持っているわけです。

皆さん方一人一人の世界平和の祈りは、大きな大きなひびきをもって、世界中に広がるわけなのです。

ですから皆さん一人一人が大変な役目を持っている、ということは確かなことなのです。

そのように、世界平和の祈りというものは、世界人類のためにやるのだけれども、それは取りも直さず、自分のためにもなるのです。

自分の中には、病気だとか不安だとか、臆病な想いだとか、妬みの想いだとか、恨みの想いだとか、そういういろんな業想念があります。

それが世界平和の祈りを祈ると、世界平和の祈りが持っている大光明の中で消されてゆくわけです。

消えてゆく姿のものはどこへゆくかというと、救世の大光明の中へ消されてゆくのです。

業想念が消えてゆくと、何が起こるかというと、人間は本来神の分け生命でしょ。

神の生命そのものですね。

だから本来の神の生命がそのまま生きてくる。

年中、神の叡智や能力が入って来ているんですよ。

それを人間は業想念でふたをしてしまって、拒絶しているわけなんです。

それで頭の中に溜まっている蓄電池の想いでもって

ああじゃない、こうじゃない、とやっているんです。

それを直通する、天地を貫く生命の波にすればいいわけです。

そのために、ああじゃない、こうじゃないという想いをなくす。

それが 「空になれ」 というお釈迦様の教えだったり

「無為になせ」という老子の教えだったりするわけです。

だからこの業想念を取っちゃうんです。

それが消えてゆく姿です。

過去世からの業想念行為が、運命となって現われて、病気になったり、不幸になったりするわけです。

病気になって現われた、嫌な想いになって現われた、不幸になって現われた時に、

「ああ、これは消えてゆく姿なんだな、世界人類が平和でありますように、みんなが平和でありますように」

という想いで祈りますと、その悪いことが祈りの中で消えてゆくのです。

消してくださるのは救世の大光明、神々なのです。

そうして消えてゆくに従って

“世界人類が平和でありますように” という感謝の気持ち、愛の光明波動がそのまま自分の中に残るわけです。

自分の今まであった悪いものは消えて、新しく大光明のプラス面が入って来て(もともとあったんですけれど)、記録されてゆくわけです。

それを繰り返し繰り返しやっていれば、いつの間にか過去世の悪いものはなくなって、世界平和の祈りの愛の気持ち、大光明のひびきが自分の心をいっぱいにしてゆくわけです。

だから、世界平和を祈ることは、自分のために祈ろうと思わなくても、世界人類のために祈っても、自分のためになるわけなのです。

自分も救われると同時に、世界人類も救われるんだ、というふうに広い気持ちを持って、気楽に、しかし真剣にやってください。

今は大変な時です。

世界に戦争の危機があります。

天変地異の危機もあります。

それに加えて各種の公害汚染の危機もあるでしょう。

あらゆる面が地球人類の滅亡に向かって走っているんです。

だからよほどの努力をし、よほど真剣に働かないと、地球を変えてゆくことは出来ないわけです。

そこで救世の神々、守護神、守護霊、過去の聖者賢者みんなが結集して、救世の大光明として私には世界平和の祈りをさせ、それに宇宙神と称する宇宙天使の方々は、宇宙子科学として私に働きかけてくる。

あらゆる面でこの地球の業を浄めようと思って、皆さんの体を借りて一生懸命やっているわけです。

しかし地球を救う責任者は、皆様一人一人なんです。

皆さん方が地球を救わなければ、他に救う者はないわけです。

地球人類が地球を救うのです。

宇宙神にしても、神々にしても、助太刀(すけだち)として働いてくださるのですから、まず自分がシャンとして、自分が救われると同時に、地球と救うんだ、という固い決意をもって、世界平和の祈りを祈りつづけてもらいたい、こう思うわけです。

                        


               (昭和47年6月)




   「質問ありませんか? 2」 五井昌久 白光出版


   


  

病気とはエネルギーがスムーズに流れていない状態をいう。

  
    
 
病気になるのは、ただ肉体を診るだけではわからなくて、つまり目に見える部分だけを診

ていても魂や心を診ないことには根本的な解決にはならないのです。

ほとんどの人は人間とは肉体だけだと思っている、魂や心は肉体に付随しているもので死

んだら魂や心も無くなると思っています。

しかし人間はそうではない、肉体の他に目にみえない幽体、霊体、神体がある。

そして健康とは、神界(本当の自分がいる世界)、宇宙から流れて来るエネルギーが霊

体、幽体、肉体を通って滞ることなくスムーズに流れている状態をいうのです。


エネルギーのことを気と言います。

つまり病気とは神体、霊体、幽体、肉体界に流れる気(エネルギー)が病んでしまった状態

なのです。

流れが鈍くなった状態なのです。

「病は気から」 といいますが、その通りなのです。

私の日記には幽界、霊界、神界、幽体、霊体、神体とか一般では使われない言葉がたくさ

ん出てきます。

しかしそんなものがあるようには思うのだけどあまりにも漠然としていて釈然としないという

のが読んでくださっている方のほとんどのご意見だと思います。


そこで五井先生が「質問ありませんか? 2」というご著書に非常にわかりやすい説明をさ

れています。

目にみえない世界のことがわかりやすく書かれています。




 

 


竜神(りゅうじん)というのはいわゆる自然霊なのでしょうか、動物霊なのでしょうか?





 





心霊研究家や霊的な人が、よく竜神という言葉を使います。

竜というのは想像上の存在か、実際に存在するものか、ということも問題になっています

が、やはり実在するのです。

竜というのは霊身です。肉体的なものを持っていないわけです。

牛や馬のように、肉体的なものを持って現われていない。

霊的な存在です。 話だけではなく、本当にあるんです。

霊眼で竜をみる人は随分います。

ですから竜神というのは動物ではありません。

要するに霊界の生物です。

どういう役目をしているかというと、流れを司っている。

竜という発音の通り、流、流れです。

しかも人類に非常に関係のある存在で、人類守護の働きをする。

人類を守るための浄化、浄めの働き、それが竜神の役目なのです。

そういう意味で天候のことも司っています。

この世の中には、人間の肉体の目では分からない、肉体の耳では聞こえもしない、そうい

うひびき、波動が随分あるのです。

この肉体の人間として生まれたくても、生まれることが出来ないような、そういう因縁を持っ

たものが、幽界にはたくさんいます。

また、初めから物質体をまとわないで、霊体として、人類に関係している生物もある。

肉体の人間にはわからないような存在がたくさんあるんですよ。

ギリシャ神話にもありますね。

体が人間で足が馬だったり、顔は人間だけど、あとは馬だったり、半人半獣のようなものが

たくさん出てきますね。

あれはでたらめに書いたのではなく、そういう生物がいるわけです。

それは肉体的にいた、という意味もあるんです。

肉体的だけではなく、霊的な存在としても、たくさんいるんです。

人間には肉体がありますね。

そのまわりには幽体があります。

そして霊体がありますね。

幽体というところは、肉体に一番近いところだし、霊体にも近い。

真ん中にあるわけです。

人間が神様の子として生まれてくるには、神霊波動、神波動、霊波動それから幽体の波動

を通らないと、肉体に入れないのです。

なぜ入れないかというと、神霊の波動があまりに微妙すぎて、肉体の粗い波動と合わない

んですよ。

そこでどうしても橋渡しとして、幽界の波動があるわけです。

幽界の波動圏は、神霊の波動も受けるし、肉体の波動も受けている中間帯で、そこのいろ

いろな生物が住んでいるのです。

それが肉体の波動のほうにも影響するし、神霊のほうにも影響するし、いろいろな面で動

いているわけです。

ですから肉体の人間が、自分の考えで行動しているように思っていることが随分あります

が、実は神から来ている知恵で考えているのではなくて、本体の知恵で考えているのでは

なくて、自分の憤懣(ふんまん)、親兄弟への反抗、権力への反抗という波を利用して、

要するに幽界の生物がかかってきて、自分の思慮分別を失わせるのです。

不平不満があるばっかりに、その波に幽界の生物がかかってきて、踊らされてしまってい

るんです。

 
 一番人類にとって大事なことは、浄化された魂、浄められた魂と協力することです。

一つになることです。

自分自身も波動を浄めてゆくとともに、別の言葉でいうと、感情を浄め、純化し、調和させ

てゆくとともに、浄化された魂、つまり守護霊さんと常に交流してゆくことです。

竜神は宇宙の浄めをし、人間の浄めもしています。

浄めるということはどういうことかというと、常に流れていることです。

例えば血は体を循環して流れています。

常に流れていればきれいになっていますが、それが滞ると、汚れてくる。

川の水もそうです。

急流はきれいです。 浄化されています。

ところがいったん滞ると、ゴミが溜まり、水が汚れてくる。

社会もそれと同じで、社会の動きを止めてしまってはいけない。

流れてゆかなければいけない。

それを流れを止め、社会を混乱におとし入れて、不調和な現象を出す、あばれて人に不快

な感じを与える。

竜神の働きとは全く反対に汚すほうになってしまったら、どんな理由があろうと、そういう行

ないは人間としてはまるでお粗末。

私どもの世界平和の祈りの活動は、世の中を浄化する、幽界をきれいに掃除する活動で

す。

竜神をはじめ浄まった存在とともに浄めてゆく、救世の大光明の活動です。

ですからとても大事な働きなのです。 (昭和36年頃)





 質問ありませんか?2 五井昌久 白光出版









 

感想


人間の体を突き詰めていくと細胞から分子、原子、素粒子になります。

ここまでくるともう人間の目ではみえないわけです。

とすると目に見えている肉体もその他の物質もすべて目にみえない粒子で出来ていること

がわかるのです。

これが波動です。

これらの粒子が波打って動いている、エネルギーが流れているのです。

粗い粒子が肉体、魂や心は非常に細かい粒子だけれどやっぱり波動なのです。

先にこの細かい波動の魂があってそれから肉体という粗い波動体に入って行ったのです。

細かい波動と粗い波動の間に隙間に煤、汚れが溜まっていった。

流れが滞っていった。

神さまから離れた自分勝手な想いがいっぱい溜まっていった。


それが仏教でいう業、カルマ、五井先生のおっしゃっている業想念

キリスト教でいうサタン、悪魔の心だったのです。

人間の正常な、そして本来の姿とは、愛、調和、平和な神波動なのです。

そこから意識が外れてしまっているから

不調和なものが現われてしまっている。

それが真相なのです。




世界平和の祈りの目的とは神波動に自分の肉体の意識を合わせるということです。

そして印を組む(我即神也)ことでより一層、神の波動体に近づいていく。

2015年にはほとんどの人類が祈り、印を組むようになるそうです。(そして病気というもの

が無くなるのです)

私たちはその先駆けなんですね。





 
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  

  

2011年1月10日 (月)

本物、偽物

  

   
私は自分が于先生という方に師事しているにもかかわらず

「メンター(人生の師匠)はいらない、答はすべて自分の中にある」

と言っています。

矛盾していますよね(笑)

それはどういうことかと言いますと

この世の中には、口でもっともそうなことを言って尊大ぶり、人からお金や尊敬などを集めてはいるけれども実は幽界のおばけちゃんが乗り移っていただけの人だったのだというケースがあまりにも多いからです。

私の場合は、于先生が真の指導者であるという確信、大確信があり、私が成長してゆく為にはなくてはならないという確固とした目的があるから師事しているのです。

でなければ13年間もずっとレッスン(ご指導)を受けてはいないのです。

しかし最近では、やはりある時期には、メンターは必要なのかなとも思うようになったのです。

真理の道は険しいのです。

それを一人で統一し一人で本心開発をしていくことなど、よっぽどの人でないと出来得ないからです。


そこで今、「聖書講義」という五井先生が書かれた本を読んでいてちょうどそのことが書いてありました。


抜粋しますので

どうしてもメンターが欲しいという方は読んでみてください。






 
ただいつの世でもそうなのですが、本物と偽物がおりまして、この見分けがなかなかつきません。

この見分けはどのようにつけたらよいものなのでしょう。

一見して見分けられることは、その師が、金銭欲の深い人であるかということと、虚栄心からくる尊大ぶった態度であるかどうかということ、それに誰にでもいいますが、色欲ということでしょう。


それよりもまず先に自己の守護神、守護霊様を心の中でお呼びして、その人に対すれば、その師の善悪がなんとなくわかってくるものです。


巧みな言葉やご利益の話などにつられずに、想いを守護の神霊の中に投入していることが大事なのです。


大体において、現世利益も餌にして信者を獲得しようとするような宗教者はあまり上等な人とはいえませんが、現世利益をも含めながら、人間の生き方を立派なものにしてゆこうとする人もありますから、これも一概にいえません。


こちらの心が澄んでいれば、自ずと相手の真価がわかってくるのですから、いつも心を澄ませるように神に祈っていることが、大事ということになります。

変な宗教団体に入ることは、入らぬことより悪いことになるのですが、どんなところにいても、常に守護の神霊の加護を念じていれば、やがて、自己に一番ふさわしい環境が与えられるものです。





        

            「聖書講義」 五井昌久 白光出版


 



 
感想


まったくその通りで相手が本物か偽物かという前に自分がスッキリして本物の波動体になっていなければいくらでも騙される?のです。

余計な道を行ってしまうのです。

成長、進化が遅れるのです。

経験としてプロセスとして偽の宗教に入ってみるのもいいのかもしれませんが、実にもったいないことだと私は思うのです。

自分がすっきりすること、そうすれば善悪、本物、偽物は波動(エネルギー)が教えてくれるのです。

そのためには、瞬々刻々の祈りで自分をスッキリさせておくしかないのです。

世界平和の祈りには、救世の大光明霊団がついてくださっているので光そのものなのです。

その光が曇った魂を浄めてくれるのです。

そうすると祈っている間、統一しているときは、スッキリ爽やかになることが出来るのです。ぴかぴか(新しい)わーい(嬉しい顔)





世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます




  



  

2011年1月 9日 (日)

新年の指針

 
    
 
富士聖地での今回の行事は「新年祝賀祭」で、気持ちを新たに今年1年また祈りを捧げることを誓いに来るのです。

そして今年の自分への課題を戴きに行くことも参加することの目的です。

それは新年の指針という封筒に入れられ、1枚の紙にその指針が書かれています。(たくさんの指針の封筒の中からおみくじのように自分でつまみ上げるのです。)

もう12回ほど戴いているのですが今の自分にとって大切なことがほんとに不思議なのですが的確に書かれているのです。

白光誌には

「新年の指針とは、新しい道を自ら切り開いてゆく道標となるものです。

皆様が頂く指針には守護の神霊からの深いメッセージが内包されています。

どうぞ心を澄ませてお受け取りください。」 と書かれています。

今年も自分の分2枚と家族や直観で感じた人の分を戴いて来ました。

さっそく自分の分を開封したのですが

1枚目を見たときに身体中に電気が走ったようになりました。

涙が出そうになりました。涙

心の奥底まで響きました。ぴかぴか(新しい)

本当の愛とはなにか

教えていただいたように思いました。
 

そして2枚目を読んだとき

今年の自分の課題がはっきりと認識出来たのです。

勇気を持って真理を伝えて行く・・・・・・。



 
その2枚をご紹介します。






 
 
 
いつも人の幸せを祈りつづけている


そういう心を愛という。









急がば廻われ、は結構だが

時には真直ぐ突っきる

ことも必要だ。





  
 

インスピレーション 2

  
  
   

  
1.目覚めていない人の心は蛇蝎(だかつ)のようなものだ、だからそこ(消えてゆく姿)に意識を合わせてはならない。



 
1.余計なことを考えそうになったら息を止めよう(鼻をつまもう)、そうすると思考は止まる。


 

1.自分は浄まった、スッキリしたと思っていても、瞬間、業(マイナスエネルギー)はやって来る、だから瞬間、瞬間の祈りが大切なのだ。


 


1.身体の汚れは自分で落とすことが出来る、しかし心の汚れは肉体人間には落とすことは出来ない。

精神の汚れは祈りでしか浄めることは出来ない。

そこに祈りの素晴らしさがあるのだ。


 
 

1.自分を卑下することは、謙虚とは言えない。


 


1.自分が何かを言って相手がそのことに少しでもとらわれると思ったらその言葉は吐いてはならない。


 

 
1.必要のない言葉は消えてゆく、必要な言葉は何度でも現れる。
 
 
 


1.頭で思考したことは実現しない、しかし心で思ったことは時期がくればやって来る。

 



1.心の中を愛(神)でいっぱいにしていれば全ての行いが愛になる。
 
 



1.目は前に付いている、だから視野が狭くなってしまう、後を振り向いて踵(かかと)延長線上後方を見る習慣をつけよう、そうすれば全体を見渡せるようになる。
 
 



1.人の気持ちをどうにかしようとするから苦しいのだ、自分の気持ちをコントロール出来れば自由自在心になれる。
 
 



1.目に見える世界を善くしようと思ったら目に見えない自分の波動(エネルギー)を整えるしかない。
 






           
               
 グッドムーン






   





    

インスピレーション 1

  
   
  
今日、世界平和の祈りの本山である、富士聖地に行って来ました。

その場は、祈りの積み重ねで次元が高められて行き、昨年の7月5日についに4次元へと突入しました。地球上で最も次元の高い地であります。


すると私の心には次々にインスピレーションが湧いて来たのです。電球わーい(嬉しい顔)

そこでその言葉を忘れないうちにと携帯のメールから自宅のパソコンメールにその言葉を送ったのです。


よかったらお付き合いください。




http://www.byakko.or.jp/5_fuji/intro_fuji.html 

http://yama-heiwa.moo.jp/sub%207%20%20peace%20-6%20%20photo.html 



 


 
  
1.宇宙に繋がるということはとてつもなく大きなものと繋がるということです。

だから安心する。
 
だから幸せを感じるのです。
 

 


1.何も考えずに祈っていれば、そのときに必要な言葉は出て来るのだ。
 

 

1.善いことにも悪いことにもとらわれてはいけない、とらわれるとエネルギーがスムーズに流れなくなる、いのちが輝かなくなる。
 

 

1.祈っていれば感情を消すことができる、超えることができる。



1.感情を出すと、勘定を出さなければならないことになる。



1.業を浄めないと世の中は善くなっていかない、浄めるとは祈るだけではなく、神さまと一体になって神さまに働いていただくことなのだ、肉体人間にはエネルギーを浄化することは出来ない。


1.自分のやっていることを無理をして伝えることはいらない、人はその人のオーラ(エネルギー)を感じ引き寄せられていく。



   


    

2011年1月 7日 (金)

無題

  
 
   
 
“人生に成功する秘訣は自分が好む仕事をするのではなく、自分のやっている仕事を好きになることである”

  
                

                        ゲーテ








 
 
感想
 

深いですね~自分が好きな仕事をしていても嫌になることがあります。
楽しくやっているんだろうけど、そこで安心してしまうのでしょうね。

「自分の天職はこの仕事なんだ」

「自分には他の誰よりも才能があるんだ」


そこでつい油断をしてしまう
毎日の努力の積み重ねが大切なのに、欲望(感情)を満たすものに走ってしまう、または安心して怠惰になってしまう

すると才能はどんどん目減りしていきます。

インスピレーションが落ちてきます。

結果が出なくなる。

すると自信を失い焦ってしまう

「こんなはずじゃない」

そして自分はこの仕事が好きだ

という原点まで忘れてしまうのです。

しかし後者は違います。

最初は好きな仕事ではなかった

でもやっているうちに奥が深いことがわかってくる。

段々と面白くなってくる。

工夫することで失敗したりうまくいったりする。

もっとスキル(技術)を磨いて精度、質を上げようとする。

毎日少しずつ成長していく

そのプロセス(過程)が喜びとなる。

そのうち目標が見つかったりする

気がついたら

その仕事が好きになっていた・・・・。




どんなことでも

「ここらへんでいいや」

と止まってしまってはいけないと思うのです。

止まるということは退化していることなのです。

人間は無限次元に進化向上していくものなのに

宇宙は常に進化しているのに

それに逆らって止まるということは現状維持ではなく

退化なのです。

リラックス(力を抜く)することは大切だけど

止まってはいけないのです。

小さな目標を立ててそれを乗り越えていく習慣をつけるか

大きな目標に向かって日々なにかをやり続けるか

そのどちらかが大切だと思います。



今は就職難で自分の好きな仕事、やりたい仕事が出来ないかも知れない

しかし大切なのはどんな仕事でも一生懸命にすることなのです。

一生懸命にやるとエネルギーが集中して突き抜けるのです。

意識が天まで、宇宙まで到達する。

すると天の宇宙の力が降りて来ます。(これが天才です)

宇宙の力は無限です。

本当の自分は宇宙に居るので本当の自分とつながるのです。

一生懸命にやっている時は祈っている状態と同じなのだそうです。

それはどちらも天に通じているからなんですね。

  


  
  

2011年1月 5日 (水)

不動心になりたい 2

 
  
  
前回に書いた 不動心になりたい1 からだいぶたってしまったので今回の文章がつながりにくいとは思うのですが、中途半端には出来ないので後の続きを書いていきます。

今テレビのニュース解説とか評論を聞いていると気持ちが明るくなることはありません。

それは現在の状態を基本に、基として未来を予想しているからです。

今こうなっているから、将来こうなるだろう

今が悪ければ、その続きの未来は悪くなる。

だから悪い結果ばかりが心に残り、そして浮かんで来るのです。

これは性悪説ですよね。げっそり

人間は悪魔の子なので、悪いことが起こる。

もしそうなら神さまや仏さまがいらないことになる。

そして愛がないのなら宇宙なんてなんの意味も無くなるのです。

そして私たちが存在しているのもなんの価値のないものになる。

魂が震えるような感動も愛も嘘になる。
 

しかしそうではないのです。

人間の本質とはそんなどうでもいいものではない

今は本当の姿が現われる直前なのです。

ダイヤモンドにたくさんの煤(すす)がこびりついている状態なのです。

本来の美しい輝きを取り戻そうとしたら

ダイヤモンドと同様な堅さの石で激しくこすらなればならない。

そのとき、たくさんの煤が出ます。

煤とは人間がこれまでに溜めてきた誤った想念行為、業、カルマなのです。

その悪業やカルマが堅い石によって磨かれているのが今の個人、地球の状態です。(痛みも伴い、一時的に病気になったり、貧乏になったりしている)

悪いものが現われて消えてゆこうとしているのです。

こびりついているものをはがさなければならないので、消えてゆこうとする姿は激しいのです。

その現象を見て 悪だ と決めつけているのです。

人間の本質はプラスなので、それはプラスから出たマイナス(煤)でしかない。

そのことがわからないと人間はマイナスをつかんでしまう。

そしてつかんだものがそのまま、又は増幅されて未来に現われると思ってしまう。

思ったことが現実になるのが法則なので、本当にそうなってしまうのです。

でも、そう思う人たちばかりではないのです。

地球人類に溜まった煤を浄めている人たちがいるのです。

世界平和を祈る人たちです。

それによって知らず知らずのうちに人間の心は綺麗になっています。

本質(本心)が現われやすくなっています。

そしてあることがきっかけに急速に真理に目覚めるのです。(機が熟して、時期が来て)

業、カルマが噴き出ている、しかし真理に目覚めようとしている人が増えている。

それがミックスされた時期なのです。

糸がこんがらがっている状態です。

しかし間違いなくひも解かれているのです。

私は日記を書いていてそれを感じます。

もうすぐ先に光が見えている。

あと、もう少しで地上天国がやってくる。

本当の未来がみえる人には(アカシックレコード)

戦場において、武器を地面に降ろす兵士の姿が見えるそうです。

ボクシングでグローブを外すボクサーの姿が見えるそうです。

人間は本来は戦うようには創られていないのです。

相手を傷つけ自分も傷つけるようには出来ていないのです。

なぜなら人間は神の分霊(わけみたま)だからです。

神に創られたものではないのです。

神から分かれたということは神そのものなのです。

創造主そのものなのです。

神は愛そのものです。

か~あ

み~い

そのことが心からわかるようになるのがアセンションです。

アセンションはもうすぐそこに来ています。

人間は善なのです。

人間は愛そのものなのです。



  

  
前回の不動心になりたい 1のつづき(よかったら1の文章も読んでみてください)



しかし、そういうことをいっても、なかなか普通の人には出来ないから、ここに現われてきたものは、過去世の因縁の結果として出てきたもので、現われたら消えるんだから、今消えてゆこうとしているのです。

そして神さまが処理してくれるんですよ。

だから、現われたら、ああこれは消えていくんだな、と消す先を神さまのなかへ持ってゆく。

神さまといってもどこにあるかわからないから、人類の一番の目的であり、願いである “世界人類が平和でありますように” という言葉に働く大光明圏、救世の大光明のなかに、祈りの言葉とともに持っていってしまうのです。

守護霊さん守護神さんお願いします。と持っていってしまう。


すると、ハイヨ引き受けたと、もともと人は完全なんだから、その悪いと思っている想いを、みんな消してくれるわけです。

そうすると、それだけ消えちゃうわけです。

それだけ消えると未来に現われる悪いものが減ってくるのです。

ああ、これは消えてゆく姿だな、自分はこんな悪い想い方のくせや、行ないのくせがあるけれども、こんなわがまま、こんな怒りがあるけれども、それはみんな消えていったんだな、あ、出てきた、けれど消えたんだな、また出た。

消えたんだな、と世界平和の祈りと共にやっているうちに、どんどん減って、未来へ向かっては悪いものが出て来ない。

未来へ向かってこんど出てくるものは何かといったら

“世界人類が平和でありますように” というような尊い人類愛の想いが、そこにいっぱい、あふれ出てくるわけです。

愛の想いは完全円満なのだから、完全円満な姿がだんだん出てくるわけです。

消えてゆく姿で世界平和の祈り、というのを、つづけて実行していればしているほど、その人の現在の心も明るく輝いてくるし、未来も完全になってきます。

しまいには絶対完全な人間になるのです。

たいがいの場合、それを、いくら教わっても自分はだめなものだ、しゃくにさわる、とか、こんな不幸になって、こんな貧乏になって、こんな病弱になって、とこういうように思う。

思うなといっても、思ってしまうのだから、しかたがない。

思うのも因縁因果なので、思うように出来ているのだから。

だから思ったら、すぐその場で ああ先生に教わったのはここだな、と消えてゆく姿だ、世界人類が平和でありますように、神さまお願いします、と素直にやると、それだけ減ってゆくのです。

私の教えは、実にやさしくて、人をとがめるわけでもなければ、自分をとがめるわけでもない。

人間を自然の姿に還そうというわけです。

自然の姿は何かというと、春になれば芽がふき花が開き、夏になれば緑しげり、明るく太陽に照りはえる、というように自然に運行しているものです。

肉体の生命もみんなそのように自然に運行しているんです。


その運行を自然にさせないものは何かというと、神さまからはなれた想いなんです。

その想いが勝手に自分の運命を作っている、神さまの次元としての運命と、自分の想いで作った運命とが、別々になっちゃっている。

だからみんな神さまにまかせて、消えてゆく姿で、世界人類が平和でありますように、とやっていけば、だんだん自分勝手な想いが消えてしまって、光一元の生命そのものの自分と、生まれかわってくるわけです。

生命一元の自分になりきってしまえば、なんにも悪いことは出て来ない。

把われることもなくなってくる。

そうすれば、その人は平和になります。

一人の人間が本当に平和になれば、その影響は地球界に及ぼします。

宇宙に及ぼすのです。

そういう人が多くなれば、世界はいやでも平和になるのです。

その先達として、皆さんが世界平和の祈りを一生懸命やっていらっしゃるわけなんですね。

だから、皆さん一人一人が平和な気持ちになれば、それだけ世界平和に役立っているんです。

自分が平和な気持ちにならなければ、世界平和に役立っていないのです。

もし平和な気持ちがなかったら、ますます、一生かけて、二生かけてもいいから、消えてゆく姿で世界平和の祈りをやりつづけるのです。

必ず平和な気持ち、平和な心が得られます。





     「質問ありませんか?」 五井昌久 白光出版




  




  

2011年1月 3日 (月)

私たちが想っている “今” とは過去のことなのです。

  
  
  
私たちはつい今の自分、今の他人を責めてしまいます。

「私はなんでこんなことを想ってしまうのだろう」

「やろうと思ってもすぐにやめてしまうのだろう」

「何で短気な気持ちになったりすぐにマイナスをつかまえてしまうのだろう」

そして自分も赦さないので 、相手も赦せない

「あいつは、これだけ私がやってあげているのに感謝すらしない、ひどい奴だ」

「あいつは、悪いことをやっている、この世からいなくなればいいんだ」

・・・・・・・・・。

私たちは一日のうちで何度このようなことを繰り返しているでしょう。

人間の苦しみとは自分や他人を責める想いなのです。

この想いがなければ人間は不幸では無くなるのです。

そして私たちが今想っていること、そして起こっていることとはたった今だと思っています。

でも今ではないのです。

いつも言っていることですが、私たちが観ている星は今光った光ではない。

過去に光った光が時間を経て目の前に現われているのです。


今自分が太っているとします。

「なんで太っているんだろう」

とその原因を探るとそれは過去において食べ過ぎたことにあるのです。

過去に食べ過ぎたことが結果として今現われている。



それは今生だけのことなので覚えています、だから原因と結果がハッキリとわかっている。

しかし今現われていることのほとんどは過去世のことが現われて来ているので自分では分からないのです。

自分は今優しい性格になっている、しかし前世では激しい性格だった、だからなぜか人に恨まれる。

反対に大した努力もしていないのに、とんとん拍子になんでも上手く行く。

なぜか人に恵まれて助けてもらっている。(それは前世で徳を積んでいたから)

同じことをしていても人によって結果、現われが全然違っている。

これは前世と今という長いスパンで観ないと絶対に理解出来ないことです。

占いは、その過去を観るのです。

過去に何を想い何をやって来たかでだいたい今が想像出来るのです。

それが手相なら手の相(すがた)に出ているのです。

つまり今想っていることとは、起こっていることとは過去に想っていたことやっていたことが、過去世でテープレコーダーに録音されていたものが再生されて出て来ているのです。

だから今だと思っても今ではないのです。

みなさんはありませんか?

初めて行った場所なのに

過去に来たことがあると確信したことが・・・・・・。

私たちは無意識に生きているとしたら過去をなぞって生きているだけなのです。

本当の今を生きていないのです。

肉体界、幽界、霊界の低いところをグルグル廻っているのです。(肉体界、幽界、霊界の低いところは想いの世界なのです)

仏教では、これを輪廻転生(りんねてんしょう)と言います。

この世界(三界)をグルグルと廻っているといつまでも同じことの繰り返しで進歩がないのです。

経験を積むということはありますが

いつまでも自分を責めたり人を責めたりの繰り返しになります。

幸せになれないのです。

だから今想っていること、起こっていることとは

今のことではないんだ

幻なんだ

今の自分でもなければ今のその人ではないのだから責めるのは違うのだ

その人を責めるのは過去世のその人を責めているんだ

過去世のその人を責めてもしかたがないんだ

とハッキリとわからなければいけないのです。

それが本当にわかったら、心から赦すことが出来るのです。

罪を憎んで人を憎まずとは
 
その人の過去世のあやまちを赦すということです。

それは他人だけを赦すのではなく自分も赦してやるのです。

自分を先に赦さないと人を赦せないからです。

私の日記を読んでくださっている方で真面目な人がおられます。

「世界平和の祈りを祈りたいのだけどなかなか祈れない」

「把われが多い」

「自分に甘い」

「反省ばかりしています」

でもそれは今のあなたではなく

過去世の自分なのです。

記憶が消された過去の自分のことです。


過去の自分が悪かったのだ

今の自分も過去の自分もダメな奴だったんだ

と責めてもしかたがないことなんです。

それはダメな上に又ダメな自分を重ねるからです。

それでは未来は明るくならない

だから今までも自分(他人も)はきっぱりと赦してやるのです。

そして世界平和の祈るとテープに録音された、ビデオに録画された潜在意識がどんどん消されていくのです。

そして最後にはすべての潜在意識がきれいに消えてしまう。

すると今祈っている光が100%そのまま輝いて来ます。


悪いもの、悪い想いがもう出て来ないのです。

それが個人でも起こり、地球人類全体にも同時に起こって来る。

これが本当のアセンションなのです。

過去は大切です。

自分を創ってくれたプロセスだからです。

でも大事なことは過去世に把われないことです。

過去世にも現在にも、未来にも把われないことです。

善いことにも悪いことにも

目の前に現われていることはすべて消えていきます。

そして最後には自分の本心だけが神のみ心だけが顕われるのです。



 
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


我即神也

人類即神也





  

2011年1月 2日 (日)

明けましておめでとうございます。

  

  
みなさ~ん、少し遅れましたが

明けましておめでとうございます。

年末の挨拶が年が変るぎりぎりだったので

新年の挨拶のタイミングが見つからず

「しなくてもまッいいか」 と、いい加減な悪い癖が出てしまいました。(笑)

ところがメッセージやコメントでご挨拶を頂いたりしたりして

やっぱりちゃんとしないといけないなぁと反省したのです。

実はお正月は妻の実家(奈良県の山奥)で過ごすつもりでした。

それがこの寒波で行けなくなってしまったのです。

無理をして行っていたのなら

帰れなくなっていました。げっそり(実家の方は停電や雪が積もって大変だったそうです)

それでパソコンの前に座って日記を書いていました。

時間がたっぷりだったのでいつもより長い文章も書けたように思います。

自然に逆らわずそのときにしたいことをする

晴耕雨読が私の理想の生活なのですが

気持ちはいつもゆったりとしていたいですね。わーい(嬉しい顔)


  
   

不動心になりたい 1

  
  
私はどんなことがあっても心が乱れない、不動心の自分になりたかったのです。

そして11年程前に于先生に出会い、調和波動を実践し、真理を学んで来ましたが、最近つくづく

「自分のやっていることは間違っていなかった」

と揺るがない自信を持てるようになったのです。

それは以前に比べて心が安定してきたからだと思うのです。

周りで起こる出来事に対し、とらわれることや感情的になることが少なくなってきたのです。

それは自分にしかわからない自分だけの世界の話なのですが

不動心でいられることくらいありがたい

嬉しいことはないのです。わーい(嬉しい顔)

そこでどうしたらそのようになれたのか?(まだまだ修養中ですが)

世界平和の祈りはどのように自分を変えてくれたのか

を五井先生のご著書(質問ありませんか?)を読んでいて客観的に見直すことが出来ました。

少し長いのですがよかったらお付き合いください。




 


見ざる聞かざる言わざる、つまり諸々の不浄を見ず、耳に不浄をきかず、というようなことがありますが、先生のみ教えをうけたまわるようになって、これに疑問が出ております。

見ざる聞かざるでいい場合もありますけれど、いわなきゃならん場合も起こるんじゃないかと思うのです。

例えば、人が危険にさらされている。

その時に何気なしに 「危い!」っていう声が出ます。

これは神さまの声じゃないかと思いますが、しかし大変失敗する時がある。

かえって先様の気持ちを害することがある。こういう場合どうしたらよろしうございましょうか?





 



昔からいわれていることですが、見ざる聞かざる言わざるということはどういうことかというと、見た想いに把われず、聞いた想いにとらわれず、いった言葉にとらわれず、すべてのものにとらわれないことがいいのだ、ということです。

大体、道とか宗教の教えというものは、すべて想いがとらわれないということを主にしているわけです。想いがとらわれなくなると、神さまからそのままくる行ないが出来る。

この世の中では、テレビ、ラジオはいつもいろんなニュースを報道している。どこどこで強盗があった、火事があった、殺人があった、と嫌なこと暗いことをきくまいと思ったって聞えてくる。

新聞を見れば、誘拐があった、事故があった、アメリカがどうだこうだ、見まいと思ったって見えてしまう。

ともかく、見ざるも聞かざるもありゃしない、今は、文明文化が発達して、マスコミというものが発達してますと、こちらが好むと好まざるとにかかわらず、強制的に見せられる、聞かされる、いわされる。

だから見ざる聞かざる言わざるというのは、本当はいいかもしれないけれど、実際問題としては適用しないわけです。

そこで、私は見てもいい、聞いてもしかたがない、いってもしかたがない。

しかし、あらゆるものはいいことであれ、悪いことであれ、それは消えてゆく姿なんだから、その想いに把われていてはいけない。

いくらいい言葉をいっても、しまったと思って

「しまったしまった、私はなんて悪い人間だろう、なんでこんなことをいったんだろう」 といつまでも把われていたんでは、それはかえって業が積もるんだから、いってしまった悪いことはしかたがないから

「あー悪かったな、これは消えてゆく姿なんだ、もう再びいいますまい、ああこれで業が一つ減ったんだ」

というふうに思いながら“世界人類が平和でありますように、あの人の天命がまっとうされますように” というようにいいなさい。

そういうように想いが出た時、想いに把われそうになる時に、それを消えてゆく姿として、平和の祈りの中に入れさせてしまうような教えに転換させたんです。

それはどうしてかというと、私は昔とても短気でしてね、ものすごい感情家だったんです。

私は大体、本質は芸術家ですから、いいものはいい、悪いものは悪い、嫌なものはもう我慢出来ないように嫌だったりね。青年の頃はそういう性質をもっていました。

だから、これじゃいけないな、こういうことじゃいけない、なんとかしてこの短気を押え、この感情にまけないようにしなきゃいけない、というような気持ちが随分強くありました。

なんとかして立派になりたい、感情に把われない人間になりたい、愛一念の人間になりたい、と思いつづけていたわけです。

それで聖書も読めば、仏教の経典も読んだり、宗教の書、修養書など手当たり次第に読んだり、坐禅観法をしたりいろんなことをやったのです。

そのうちに、把われまい把われまいとしたんじゃ、かえって把われるんだなということがわかったのです。

短気だから短気をなおそうと直そうだけじゃだめなんだ。

感情に把われちゃいけない、把われちゃいけない、というと恐怖心が起こってしまう。

それではだめなんだから、どうしたらいいかというと、把われを消してくれる何かがなければいけない、それを見つけることだと思った。

それは神さまだと思ったのです。

短気が出たら出たでいい、臆病が出たら出たでしかたがない。感情が激する時はしかたがない。その時はどうしようもないんだから、そういう時に、ああこれは消えてゆく姿だな、ああすべてこの世に現われているものは、みんな変化変滅していく。

常時そのまま変わらないものは一つもない。

みんな変わっていく。

自分はだめだ、だめだと思うより、いけなかったな、しまったな、と思ったら

『あッこれは消えてゆく姿だ、どうか神さま消して下さい、一日も早く消して下さい、どうかあの人の天命がまっとうされますように、私の天命がまっとうされますように、世界人類が平和でありますように』

順序はどうでもよいから、そういう祈り言にして、神さまのみ心のなかへ、想いをどんどん送りこんでしまうのです。

神さまは完全円満なんだし、善なんだし、大光明なんですから、神さまに消せないものはないわけです。

善いものは善いものでそのまま生きるし、悪いものはそのまま消えてゆく。

だから善悪ともども神さまの中に送りこんで、消してもらう。

そういうふうに自然に教わったわけです。

それで消えてゆく世界平和の祈りという教えが出来たわけです。

そこには見ざる聞かざる言わざるもない、こらえるもなければ、我慢するもない。ああ消えてゆく姿なんだなぁ、ありがとうございます、世界人類が平和でありますように、私がますます立派になりますように、愛深き私にならしめたまえ、とか、いろんな言葉で自分の願望をつけ加えてもいいから、みんな神さまの中に入れてしまうわけです。

すると、神さまのほうで、その人に一番適当な生き方をさせるのです。

肉体をもっている人間というものは、罪悪深重(ざいあくじんじゅう)の凡夫でして、親鸞がつくづく、心は蛇蝎(だかつ)の如くなり、罪悪深重の凡夫だ、と嘆いたのがよくわかる。

もう相当悟りすましたような立場にいても、何やかやといろんなことがひっかかってくる。

まして一般の人はひっかかり通しなんです。

何かしら心が把われている。

だから肉体を持っている人間というものは罪悪深重の凡夫だ、ダメなものだ、ということがわからないとダメなのです。

いつもいっていることですが、心臓を動かすことも、肺臓を動かすことも、肉体の頭ではでき得ない。

心臓の止まった死骸に向かって、心臓よ動けといったって動かない。

肉体から魂がぬけたら、どうしようもない。

自分のことも人のことも何事もなし得ない。だから、肉体をもった人間というものは無力なものだなぁ、ということがハッキリわからないと、悟りにはいかないのです。

自分でなんとか出来るんだ、という想いがあるところからは、本当の悟りも生まれてこないし、安心立命も生まれてきません。

肉体は不完全だからです。

不完全なものがいくら力んだって、完全になりっこはないのです。

だから不完全な肉体というものを、一度、肉体人間じゃどうしようもないんだな、とあきらめる。

さてそれでは、なし得るのはどなたかというと、守護霊さんであり、守護神さんであり、大神さまであるわけです。

そこで、守護霊さん守護神さんお願いいたします。世界人類が平和でありますように、私共の天命がまっとうされますように、と素直に自分では出来ないことを、みんな神さまに差しあげてしまう。

それがいいことも悪いこともですよ。

よいことはオレがしたんだ、悪いことは人のせいだというのじゃない。

善いことも悪いことも自分ではなし得ない。

肉体の人間として生まれてきたその前から、分け生命(いのち)として分かれてきた時から因縁、想念や行為がまわりまわって、今日ある肉体の生活として現われている。

ですから、今日ある姿は、今つくったものではなく、今の自分が作ったものでもないのです。

今食べたものが今すぐ栄養になるのではなく、ある時間がたって栄養になってくる。

それと同じように、あらゆるものは、過去世からズーッとつながってきて、今現われてくるんで、今いいことを想えば将来に現われるんです。

今、自分の想念が悪いとする、自分の生活が悪いとする、環境が悪いとする、体が悪いとする。

それは過去世からつながってきた、原因結果がそこに現われて、病弱に現われているのかもしれない。

気が弱く現われているのかもしれない。 短気に現われているかもしれない。貧乏な環境に現われ、不幸な環境に現われているかもしれない。

しかし、それは今の自分そのものじゃないのです。

過去世からの自分の想いがそこに現われて、消えていこうとしているんですよ。

それをつかまえて、私がいい悪いとか、立派だとか立派じゃないとか、悲しいとか憎らしい、とやっているわけです。

過去世のものが流れて来て、現われてくるんだから、いくら摑まったって、現われてくるものは現われてくるんです。

結果として現われてくる。

だから現われた結果に把われたってしょうがない。

今の自分はどうしたらいいかというと、今思ったこと、今やったことが後の自分の運命を良くするか悪くするかなんですから、今までの悪い想いのくせ、悪い環境があるその上に、私はだめなんだ、私の環境はなんて不幸だろう、私は病弱だ、とつかんでいたら、また悪い同じ波が重なってしまう。

その想いの波からぬけなければならない。

ぬけるためには、それに把われてはいけない。

想いに把われてはいけないわけです。

そこで、空とか無為とかいうのです。

見ざる聞かざる言わざるもそうなんです。


    
                 つづく




  
   

祈れば祈るほど悪いものが消えてゆく

  
  
  
私たちの心はどうなっているのか?(心の中が外に現われてくる)

それはコップの中が心だと思えばわかりやすいのです。

私たちは今生だけでなく過去世の業生を背負って生まれて来ました。

過去世では、善いこともたくさんしているけど、悪いことも散々やってきているのです。

それは善いことも悪いことも経験や体験をしないと心が納得しないからです。

悪いことを徹底的にやると

「ああ悪い事をしたなぁ、むなしいなぁ」

「今度生まれ変わったとしたらもう馬鹿なことはやめよう」

と決意するのです。

だから前世で散々悪事を重ねて来た人は

次に生まれ変わったら

天使のような仏さまのような真人間になっていることがあるのです。

今、悪いことをしている人は真人間になるために悪い人間を体験している、演じているのです。

だからそのプロセスである人を批判、非難、評価をするべきではないのはそういうことなのです。

話を元に戻して(笑)

心というコップの中には潜在意識、過去世の想念と行為(してきたこと)がたくさん入っているのです。

それに今やっている事が新しい水です。

その水が加わって

現象として現われているのです。

過去世で悪いことを散々してきた人は

今善い事をしているという綺麗な水をコップの中に入れていったとしても

溢れて来る水は、過去世にしていたことが出て来るのです。

つまり自分のやっていたことがそのまま返って来ているのです。

悪いことをしてきた人は自分のやっていたことが現われて来る。

人殺しをしていたのなら自分が殺される

でもそれがそのまま100%返って来たのなら

すぐに殺されてしまう(修行にならない)

だから潜在意識(過去世)の汚れた部分を消すために

守護霊守護神が働かれているのです。

夢を見させて、劇画化させて、何の夢だったかを思い出させないで潜在意識から少しずつ消して行くのです。

ですから、殺されるところが殴られて、けがをするくらいで済んでいるのです。

今生で人間がいくら善いことをし続けても過去世を消すことは守護霊守護神のご加護があっても簡単なことではないのです。


守護霊、守護神は自分に縁のある人間を守るために必死なのです。

私たちは寝ますが、その寝ている間にも魂をきれいにしてくださっているのです。(だから私たちは守護霊守護神に感謝しなければならない)


良い行為をただ続けているだけではなかなか運命は好転しない。


だから人間の運命を早く善くしてやろうという宇宙神の愛から

守護霊守護神を守りにつけてくださり

世界平和の祈り、印、光明思想徹底行が生まれたのです。

これらのメソッドは光の強さがもの凄いのです。ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

コップに溜まった潜在意識がどんどん浄化されていくのです。

そしてコップから水が次々に溢れていきます。

するとこぼれ落ちた水がテーブルを汚します。


これが病気であり、ケガや事故であったり貧乏であったりするのです。

こぼれ落ちた水は綺麗な水のお陰でかなり浄化されている

汚れも少なくなっている。

でも完全には純化されていないので大難が小難の形で現象に現われて来るのです。


病気で死ぬところが癌になる、死ぬところがカスリ傷になる、一家離散が自己破産で済む。

しかし私たちは、この小難でも耐えられないのです。

「何も悪いことをしていないのにどうして私がこんな目に遭わなければならないのか?」(過去世が無いと思っているから)

「世界平和の祈りを祈っているのになぜ悪いことが続くのか?」

「世界の平和を祈っているのに、なぜ悪い心が湧いてくるのか?」

それは悪いものを早く出して、早く善くしてやろうという守護霊守護神の愛念なのです。

だから祈っていて(祈っていなくても)

悪いこと(自分でそう想っているだけなのですが)が起こってきた時に

「しめた悪いものが今現われて消えてゆこうとしているんだ」

「祈れば祈るほど消えてゆくんだ」

「全部消えてしまったら後はプラスのエネルギーが現象になって現われるんだ」

と自分の想念を転換させるのです。(これが本当のプラス思考です)

初めはなかなかそうは思えません。

悪いことが起こると

次にはもっと悪いことが起こると思ってしまうからです。(今迄の経験から)

しかし違うのです。

違うのでなければ

アセンションは永遠に来ないことになります。

地上天国は永久に訪れないことになります。

宇宙神がそんなことを計画するわけがないのです。

なぜなら人間の、人類の幸せを願っているからです。

神は愛なのです。


か~あ

み~い


なのです。

それを信じて

消えてゆく姿の過程で

辛いことが多少あったとしても

善くなることを信じて

世界平和を祈り続けていく人がいる限り

絶対にアセンションは来るのです。

地球は平和になるのです。

人間は必ず幸せになるのです。




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます



 



 

追伸


“人間と真実の生き方”という素晴らしい指針があります。

この文章の中に真実、真理が書かれています。 





  人間と真実の生き方


人間は本来神の分霊(わけみたま)であって業生ではなく、つねに守護霊、守護神によって守られているものである。

この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世から現在にいたる誤てる想念が、その運命と現われて消えてゆく時に起こる姿である。

いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起し、どんな困難のなかにあっても、自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、守護霊守護神への感謝の気持ちをつねに想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も真の救いを体得出来るものである。




  
  

2011年1月 1日 (土)

霊力と霊能力の違い

 
  
  


今年は霊能力を持った人がどんどん出て来ます。

それは地球がこれから物質文明から霊文明へと移行して行くからです。

しかし本当の霊とは神さまのことなのです。

幽霊も霊には違いないが低級な霊のことです。

本当の、本物の霊は神霊です。

 
人間は人であって人間ではない(あまり言い方にこだわらなくてもいいのですが)

人とは、人=霊止 と書くのです。

神霊(神さま)が宿ったのが本物です。

人間とは、人と動物の間という意味です。

動物という不完全な感情が入った心の状態をいいます。(要らないものをくっつけている)

つまりアセンションとは

人間→人(霊止)になること

霊能者→霊覚者 になるということです。

だから私たちは変な霊能者に気をつけなければならない(笑)

幽界のオバケちゃんに取り憑かれた人を

霊覚者(高い人格の人)と間違えては目覚めるのが遅くなってしまうのです。

いらない道を通ってしまうのです。

本物とにせものの違いとは何か?

五井先生がまたまた答えてくださっています。

でも審神(さにわ)ができるようになるのではなく

自分が本物になることが一番なのです。

そうなれば人の波動(ヴァイブレーション)とかはどうでもいいのです。












霊力と霊能力の違いについて教えて下さい。







 



霊力と霊能力とを間違える人がいますが、人の心がわかったり、当てものをしたり、運命の

予言をしたりするのを、霊力と解釈していますけれど、それは霊能力なのです。

一つの能力なのです。

霊能力がすぐれている人が人格が高いかというと、そうでないのです。

ところが霊力のすぐれた人は人格が高いのです。

霊力というのはいいかえれば、霊の光、根源の光です。

神のみ心の光が強い人がやっぱり人格が高いのです。

たとえあてものをしたりすることがうまくたって、それが偉いということにはならない。

そんじゃそこらの行者はみんな当てものがうまいですよ。

財布の中にいくら持っているか、なんてチャンとわかるんです。

なぜわかるかというと、肉体波動のそばにいる幽界の生物が、幽界と肉体界と波動が近い
 
から、透して見えるのです。

ところがズーッと高い所にいる神さまは、わざわざそんな低い所を見ない。

その人がいかに生きるべきか、どうしたらその人を立派に出来るかということを見るわけです。

わざわざ降りれば見えますよ。

けれどそんなことは必要ないから、高い所からその人に光を当ててやる。

そして、その人に力をつけてやる。

ところが低級の霊能者というのは、力をつけてあげるのではなく、その人に出来ない事を

チョコチョコ教えて、相手を屈服させて、自分の支配下におく、子分にしているのです。

霊力が強くて、霊能力の素晴らしい人もあります。

霊力が強くても当てものなどわからない人もあります。

ですからこういうことがいえるのです。

信者が一杯いる教祖があながち偉いとはいえない。

普通の人でいい影響を社会に或いは周囲に与えている人がいます。

その人は霊力があるわけです。

霊力というのは要するに人格の立派なということで、そういう人が偉いのです。

いくら当てものがうまく、これをこうやれば儲かるといって当って儲かったとしても、それを

教えた人は神さまでもなんでもない、偉いのでもない。

勿論そういう当てもののようなことを出来て偉い人があります。

祈りつづけていて、霊能力が出て、人の心がわかったり、予感、予知力が出来たりする人

があるとします。

そうした神秘力が得られたといって、威張ってしまってはだめなのです。

そういうことではない。

人間の立派さというのは何かというと、人格が立派になることなのです。

いつもいいますが、おのずから和んでくる。

おのずから人の心が優しくなってくる。

その人と一緒にいると、おのずから勇気が湧いてくる。

何か親しい懐かしい気持ちが出てくる。

そういう力を持つことが霊力が強いということなのです。

「お前の息子さん、三年先に大病するよ、気をつけろ」 といわれて、二年たった、あと一年
 
だ、どうしよう、どうしようと私に聞きにくる人が随分います。

これはいい影響を与えていません。

三年間脅しつづけたんだから、悪い影響しか与えません。

わかっていたって、いわないで知らん顔していて、しらないうちに霊力で光を与えていて、

だんだんその大病なるものを大病でなくなるようにやっておいて、やがて現われた時に

救ってあげる、という人のほうがいちいち予言をして、脅かして自分の力を示そうなんてい

う人より、ずっと立派ですね。


“神と人間” には簡単に書いてありますけれど、よくわかるように書いてあります。

皆さんは霊能力のある人よりも、霊力の立派な人格のすぐれた人になることです。

人格がすぐれていると同時に、霊能力があればそれに越したことはないのです。

それを間違えてはいけない。

だから霊能力だけを磨こうとして、統一などしてはいけない。

人格を立派にするために祈るわけです。

人格が立派というのはどういうことかというと、愛が深いこと、調和した人間であること、勇

気があること、簡単にいったらそういうことです。

そうなるように全力をもって近づかなければいけませんね。





  
    「質問ありませんか?」 五井昌久 白光出版




 





  感想


私が時々、霊能者について書くのは、あまりにもおかしな霊能者の人にひっかかっている

人が多いからです。

ひっかかるのもある程度はしかたがないとも思うのですが

その一番の間違いとは

その人(霊能者)を神のように思ってしまっているということです。

つまり外に神をみて、自分の内に神をみていない。

その人は神だけど自分は神ではないと思っているのです。

それが他人を知るよりも先に自分を知ることが大事だということなのです。

自分の中の神(我即神也)をみれば、おのずと人も神であることがわかってきます。


 我即神也 → 人類即神也、人即神也なのです。




最近、健康についてのブログを書き始めました。(2016年12月現在)

目に見える肉体とみえない気(エネルギー・精神)との調和が取れてほんとうの健康が得られるのです。

どのページにも健康について大切なことが書かれています。


『健康と調和波動気功法 1~』

http://goodmoon51.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-6b36.html



  



   

宇宙法則に乗る

  
 
  
私たちは地球という宇宙の星に住んでいます。

そして間違いなく私たちは地球人であり、また宇宙人です。

しかしそのことを忘れていますよね。

夜の星を見上げると宇宙は無限であるということがわかります。

今輝いている星の光は、何億光年も前の光なのです。夜ぴかぴか(新しい)

今その星はもうないのかもしれません。

新しい星に生まれ変わっているのかもしれません。

どちらにしても宇宙の生命たちは永遠に生き続けるのです。

私たち人間もそうです。

肉体が無くなっても魂、心は永遠に生き続けます。

だから肉体を持っている間に肉体以外の世界のことを知ることが大切だと思うのです。

私たちが何者であるのか

私たちの本当の親は誰なのか

故郷はどこにあるのか

そして宇宙人である私たちはなにをしていくために地球に生れて来たのか?

それは宇宙の意志を知ることがすべてのことがわかる鍵になるのです。

そのためには宇宙の法則に乗らないとわからないのです。

宇宙の法則に乗ると心の奥底から真実が判って来るのです。

それは心の奥深いところに宇宙があるからなのです。

宇宙が私たちの本当の故郷だからです。


五井先生が宇宙の法則の質問に答えておられます。






 

問 宇宙法則というのはどういうことでしょうか。










宇宙法則というのは根本は大調和ということです。

調和にむかって進むことは宇宙法則にのったことです。

怒りの心でぶつかってゆく、相手を怨む、相手を憎む、或いは嫉妬する。

そういうものは自分がいかに正しくても宇宙法則に外れているのです。

自分が正しいことをしている、相手が悪いことをしている。

だからあいつは憎らしい、あんなやつはこの世にいる必要はな、殺してしまえばいい、と思ったら、その人の行いは正しくても、その想いは正しくない。

宇宙法則に外れている。

いかに自分が正しい立場にあっても、怒りを発して想いを乱したら、自分の心が乱れます。

自分の心を乱すということは、宇宙法則に外れたことなのです。

宇宙法則にのるということは、いつも心がスッキリと青空のように晴れやかであるということです。

自分の心も、人に与える波動、いわゆる雰囲気も調和しているということが大事なのです。

口ではいうけれど、なかなかいつもそういうようになりませんね。

そこで、自分が正しいのに相手が悪いのだ、このヤロウがいるからこの世の中は悪いのだ、あんなヤツは死んじまえばいい、とたまたま思います。

思った場合に “しかし、これは消えてゆく姿なんだ” と思って、世界平和の祈りに切りかえるわけです。

世界平和の祈りをすると、どんな人でも宇宙法則にのることになるんです。

どうして宇宙法則にのるかというと、世界が平和になるということは神さまのみ心だから。

神さまのみ心がそのまま宇宙法則なんです。

ですから、世界人類が平和でありますように、と思えば、自分の中の消えてゆく姿の想いが起っても、それは神さまのみ心の中で、大光明の中で消されてゆくわけです。

自分の中にいろんな想いが起こります。

想いを起すまいと思ったら、かえって苦しくなってしまいます。

ところが普通の宗教では、悪いことを思ってはいけない、怒りの想いを出してはいけない、妬みの想いを出してはいけない、ずるい心を起してはいけない、臆病な想いを出してはいけない、というわけです。

いけない、いけないばかりで、どうしたらいいかわからないのです。

そこで私は、どういうかというと、地球界にいる人では、怒りも出るでしょうし、妬みも出るでしょうし、怖れも出るでしょうし、いろいろな業想念が出るにきまっている。

出てくるのがいけないのではなくて、いけないのは初めからわかっているのだから、いけない想いを神さまのみ心の中で消してもらう。

み心の中で消してもらうにはどうしたらいいかというと、世界平和の祈りをなさい、といって、消えてゆく姿で、世界平和の祈りにしてしまうわけです。

あんまり、これじゃいけない、いけないと想うと、自分がせまくなって縮こまってしまいます。

もちらん、間違ったことも思うのだから、これはいけないと思ったら、いけないと思うのが正しいのであって、いけないと思ったら、それを世界平和の祈りの中に入れて、そして神さまに消して頂く。

そうするといつもいつも宇宙の法則にのっているわけです。






感想

いい人は自分を責めます。

「私はおじいちゃんをうっとうしいと思ってしまった」

「そして悪いとはわかりながらつい悪態をついてしまった」

「なんて私は悪い子なんだろう」

「私の心は悪魔の心だ」

「どうしたらきれいな心になれるのだろう」

誰でもが思う悩みです。

でも五井先生は

悪い想いが出てくるのも

腹が立つのも

肉体を持っている以上はしかたがないことなんだ

と認めてくれているのです。

でもそのままにしておいたら

自分の心も相手の心も傷つきます。

ストレスがどんどん溜まっていってしまいます。

爆発させても溜め込んでも

どちらにしてもよいことはないのです。

それはいつまでもそのマイナスのエネルギーが残っているからです。

そのエネルギーを消すには

宇宙に還すしかないのです。

宇宙は無限のプラスのエネルギーで溢れています。

人の想いは有限のマイナスエネルギーなのです。

その想いを宇宙のエネルギーで消してもらう。

これが宇宙の法則に乗るメソッドなのです。

すごくシンプルですよね。ぴかぴか(新しい) 

宇宙の法則に乗るのには難しい理屈はいらないのです。

子どもでも充分に理解できる真理を

ただ素直に実践するだけです。

素直な人はいくらでも進化して行くのです。

早いのです。

寄り道しないで幸せになれるのです。

「神さま、私をもっともっと素直な心にしてください」

とお願いしてみるのもいいかもしれませんね。


 
 


世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


  
     

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