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2010年12月31日 (金)

質問ありませんか?

  
  
 
一昨日書いた日記ですべての事、すべての人に感謝するとありました。

でも実際問題として、病気になっている状態、いじめられている状態のとき、怒っている状態のときにその状況、相手に感謝することなどは出来ません。(いじめも過去世の仕返しや相手が業想念に巻き込まれてする陰湿なもの、守護霊守護神の指導ではないことももちろんあります)

後々になって

「ああ、あの時は辛かったけどあれは神さまが私に試練をくれたんだなぁ、あの人のお陰で成長できたなぁ」 と思うのです。

そのときにはとてもではないが感謝などできません。

では、そのときの瞬間、瞬間の苦しみ、悲しみ、怒りなどはどのように処理をしていったらいいのか?

五井先生が 「質問ありませんか?」の中で答えてくださっています。






 


今迄講師の方から教えられたことでございますが、われわれの日常の想念行為は過去世の因縁の現れである、これは仕方のないことであるんだ、だから例えば腹が立った、或いはお酒が呑みたいな、という欲望がおきて来た時、これはいけないといって抑えるのは想いを溜めてしまうことだからいけない、出したほうがいいんだ、のびのびとした生命、生き生きとしている生命を抑えてしまうことはよくない。

だから過去世の業の映ってくるそのままをやったらいいんだ、というふうに教えられました。

もう一つは、守護霊守護神というのが絶えずついていて、本人のためによくないと思うことは、守護霊守護神がやらせない、だからあえてやるのはその場において悪いように見えておっても、必ず本人の為にいいのだ、というのです。

例えば親鸞上人の話で唯円房に

「私が人を殺せといったら殺すか」といったら 「殺せません」 といいました。

すると親鸞が 「殺すべき宿縁があれば百人でも千人でも殺す、殺すべき因縁がなければ命ぜられても殺せない」 と答えています。

そうすると例えばデパートに行って立派なものを取ったとすると、守護霊守護神がついておって取らせない働きがあるというんですね。

もし取ったとしたならばその報いを受ける。

みんなの前で恥をかかせられる、警察に引張っていかれる、ひどい目にあったことで今後そういうことはしまい、という大きないい結果になってくるんだ、だから我々は結局守護霊守護神が常にはなれないで導くのだから、遠慮なく思い切ってやりたいことはやったらいい、とこういうふうな教えを私は聞いたのですが・・・・・










その講師のいうことは半分本当です。しかし一知半解です。

宗教も何もやらない人、或いは他宗の人たちがその話をきいた場合

「ああこの思想は危険だなぁ」 と思いますよ。

「やりたいことをやってしまうだろう、これは宗教でもなんでもない」 というでしょう。

やる者はやるようになっている、やらない者はやらないんだ、ということは本当です。

泥棒をする因縁がなければ泥棒しないかもしれない。

しかし、それは自分ではわからないじゃないですか。

とにかく過去世の因縁というものがあって、80%その因縁に流されている。

20%はこの世においてそれを修正することが出来る力があるんだ、と私は説いています。

その20%の力は知性と素直さなのです。

それが感情の爆発や、欲望を抑制したりする。

私は本当はおさえろとはいわない。

やりたいことはやるつもりで、出かかった時にこれを平和の祈りに入れちゃいなさいとか、気分をほかにかえなさいと転換させてしまう。

業をそのまま出しちゃうのでは当り前。

抑えたのではこれもいけない。

人間は難しいですよ。

抑えもしない、そのまま出しもしない、出す手前で消えてゆく姿にしなさい、と教えているんですよ。

出す手前で消えてゆく姿に、と何べんもいっているのです。

おさえてはいけない。

出した方がいいんだ、出るようになっているんだ、出せ出せというんで、お前なんか憎らしい、とやってしまったらハタが迷惑します。

どうしたらいいかというと、その真ん中で消えてゆく姿にしなければならない。

殴ろうとする、ああしかしこれはいけないんだ、世界人類が平和でありますように、と心をかえれば、怒りでもフッとなくなってしまうんですよ。

だから気分をかえると、表面近くまで来ても出ないんです。

そうすると抑えたよりもいいし、叩いたよりもよくなるわけです。

例えば千なら千の力で出てくるものを抑えたら千がたまってしまう。

では千をそのまま出してしまったら気が晴れるか、といったら晴れやしない。

殴ってしまったら悪い気がするんだから。

また自分がそれで晴れたとしても相手が迷惑します。

ところが出ていく時消えてゆく姿だ、神さま助けて下さい、世界人類が平和でありますようにと祈ったり、或いはどうかこの想いを消して下さいというふうに、先輩の道友の誰かにすがったりする。
 

そこで浄めたりして貰って消えてゆきます。


そうすると千が千消えないかもしれないけれど、五百なり三百になって消えてゆくわけです。


そうすることが一番中庸の道なのですね。


質問した人は悪いことが出来る人でないから、ゆるされたほうが安心するでしょう。

それに年取っているからいい。

しかしもし若かったら、40ぐらいだとしますと、赦されているうちに、それになれてしまうから、習慣づいてしまって、やりたいことをやってしまうことになるでしょう。

私が修行中20代の終り頃でしたか、或る心霊交流会に出ていました。

まっくらにした部屋に大勢いるのです。

そして坐って統一するのです。

その時、相当霊能的になっていたのですネ。

隣に娘さんが坐っていた。すると「隣に坐っているのは未来のお前の妻なんだから、手を出して握ってみろ、握ってしまえ、握ってしまえ、握ったらきまるのだから」 と霊的にささやかれて、更に手を動かすのです。

私は考えた。

いわれた通り素直に手を握っちゃおうかと考えた(笑)

しかし後で恥をかいたら大変だ、と思案しているうちに、知性的にああこれは常識ではそんなことをしてはいけないんだ、絶対にいけない、必死になって動く手を押さえつけた。

そうすると 「ヨーシ及第!」 というわけです。

ああよかったと思ってね。

神さまがためしたのです。

そこで握っていたら、現在の私はなかった。

握ったらそこでおしまいになってしまう。

そういうこともさせるのです。ですからあく迄常識良識を土台にして判断してゆくことが必要なのです。


もう一つの質問の、守護霊守護神がついているから、やらせることはみんな守護霊守護神がやらせているんだ、ということでしたが、大きい意味ではそうなのです。

しかし普通常識の話にすると、守護霊守護神がついていてやらせるのなら、吉展(よしのり)ちゃん殺しも守護霊守護神がやらせたのか、17才の少女が夫を殺しちゃったもの守護霊守護神がやらせたのか。

そうだとしたら世間の人はその教えは邪教だと思うでしょう。

神さまが殺人をさせるわけがない。

わかりきったことです。

だからそういうことをいっていいか悪いかということは常識の世界のことです。

それがわからない人は常識をもう一ぺん勉強しなければだめです。

守護霊守護神があくまで守っているけれども、肉体側の想いが業でへだてられているから、距離がはなれてしまっていて、守りが届かない。


肉体の人間の想いも業が厚いと届かない。

そこに私たちのような宗教家の存在が必要なのです。

「先生、助けて下さい」 とくると、パーンと柏手(かしわで)を打つと、業がフッと消えて守護霊守護神とつながるのです。

そしてまた業が出て来て離される。

業に巻き込まれてしまう。

そこで私のような存在が必要なのです。

或いは友だちが集まって祈ったりして助かるわけなのです。

その為に聖ヶ丘の会とか各地の座談会に余計出たほうがいいということになるのです。

守護霊守護神の存在を知らせたり、それをへだてている業想念をとってくれたりする人を導師というのですが、そういう人が必要なわけです。

導師はいつも謙虚な心と真摯なる努力、それに澄んだ知性が必要なのです。

なるがままではありません。

知性は常に澄み切ったものに磨いておくことです。

“神と人間” にも書いていますが、守護霊守護神が守っているんだけれども、あくまで肉体人間が主体であって、守護の神霊は後から応援するのだ、と書いてありますね。

幅跳びをするのでも、自分で跳ぶのです。

それを背後の人が持ちあげたり、跳ばしてくれたりしたのでは面白くもなんともない。

自分でやるところに面白さがある。

自分が一生懸命人事を尽してやってそれで、守護霊守護神に加勢を頼む、そうすると助けてくれる。

三者一体(三者とは守護霊、守護神、自分)になって、自分の持てる力を充分に発揮出来る。

天から与えられた使命をまっとうさせてゆくことが出来るわけです。

そこに消えてゆく姿の教えがあったり、世界平和の祈りがあってうまくゆくのです。

全託とかおまかせとかいうけれど本当の全託になる為には大変な努力、精進がいるのです。

真剣なる修行があるのですよ。




   
「質問ありませんか?」五井昌久 白光出版 (以下S40年12月のお話より)



  







感想


守護霊守護神は人間をどのようにもコントロール出来るのだけれども、その意志、選択は人間の自由に任せているのですね。

そして業、因縁が深ければ光を送っても人間の目を覚めさせることは出来ない。

それではどうしようもないではないか

人間は救われないではないか

になってしまいます。

神さまは愛であり、そのままになんかしない

でも、何の努力もなしに簡単には助けてはくれない

そこで宇宙神から降ろされた教えが

世界平和の祈りだったのです。

祈りによって80%起こってしまうであろう因縁因果を防ぐ。

現われを消すことが出来る。(或いは大難が小難になる)

そして同時に因縁生の世界である幽界を浄めていく

肉体界は幽界(潜在意識の世界)が汚れてしまったから不調和になっているのであり、幽界が浄まれば肉体界は自ずと整って来る。

それが神さまが描いたアセンションまでのプロセス、シナリオなのです。


     


  

  

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