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2010年12月29日 (水)

言葉の罠

  
  

先日、私が書いた日記で “苦手意識”(12月13日) という内容の文章がありました。

かいつまんでいいますと、自分が求めていることを相手が提供してくれたら「ありがとう」と感謝するものが、反対に求めていない、いらない情報(例えば、ネットワークビジネス、宗教の誘い、保険の勧誘等の類)だったらあっさりと断ればいいものをそこに余計な感情移入をして

「あの人は私にこんな話を持って来た一体全体どういうつもりなんだろう?もしかして私を利用しようとしているのか?友だちだと思っていたのにとんでもない奴だ」と相手を必要以上に非難し攻撃するのです。

それで済まない場合、他の友だちに吹聴したりして友人関係はもろくも崩れ去るというものでした。

相手に問題があるのではない、自分の心境と相手の情報が違っているだけで相手は同じことをしているだけなんだ。

感情的にならず、いらないのならいらないとあっさり言えばいいのだ。

というものでした。

その日記は結構、反響がありました。(メッセージを何通か頂きました)


そして後日、東京に行っている息子があることが原因で先輩と喧嘩になり殴ってしまったという電話があったのです。

酔った席で馬鹿にされた、屈辱的なことをされたというのがその理由でした。

しかし話を聞いてみると問題はその先輩にあるのではなく息子の精神状態にあるように思えたのです。

しかし私がそのシュチエーション(状況、状態、場面)に居たわけではないし、人間には防衛本能があります。

攻撃(暴力でも言葉でも)を受けた時、自分を守ろうとする意識です。

それをずっと我慢をするとストレスになります。

暴力は絶対にいけないことだけど頭ごなしに

「いけない!」 とは言えなかったのです。



と、そんなとき来年の白光誌1月号に西園寺由佳さんの「言葉の罠」の文書に触れました。

目からウロコでした。

私たちは知らず知らずのうちに“言葉の罠”にはまっています。

相手を非難するのは自分の中にその種があってそれが反応しているだけだと聞いたことがあります。


相手は自分を映す鏡だ、・・・・と


そのことがとてもよくわかるのです。





 


言葉の罠
  


 
ある博士が、人間の陥りやすい言葉の罠(無限なる愛!)について面白いことを教えてくれました。

例えば・・・・・

ある人がこういうことを言った。

彼女がまたケアレスミス(不注意による誤り)をした。

あいつは話を聞いていない。

・・・・・・だから、あの人は問題なのだ、と

一見、特に何の問題もない、どこにでもありそうな会話の一コマ。

少なくとも私には、ここに問題があるようには思えませんでした。

あえて言及するならば、否定的な言葉を打ち消す光明の言葉がなかったというくらいで、それ以外に何の違和感も感じませんでした。


 しかし博士は、そこに問題があると言うのです。

確かに状況をよく考えてみると、今問題を抱えているのは、話している本人なのです。

相手の何かが気に入らなくて文句を言っているのは、その話をしている人なのです。

しかしその人は、あたかもすべての問題は相手にあると言わんばかりに、相手を対象に言葉を組み立てているのです。

自分を正当化し、自分は “完璧” という箱に収まって、そこから相手を否定、非難してしまっており、それはとても危険なことであると教えていただきました。

他の例を挙げると、ある人のものの言い方を嫌う女性がいたとします。

彼女はその人のものの言い方にいつも傷ついてしまいます。

そのため 「あの人はまたこういうことを言った」 と友人に不満をぶつけ、 「あの人には問題があると思う」 と話しているとします。

しかし、実際に今不満を持っているのは、その彼女なのです。

彼女の目から見ると相手が問題なのですが、実際に問題を抱えているのは・・・・・彼女ということになるのです。

 
 そこで、その女性の 「あの人がまたこういうことを言った。だからあの人の問題なのだ」 という言葉をつくり変えるよう、博士は言われました。


彼女が本来言うべき言葉を、彼女なり代わって言ってごらん、と。


私は最初、意味がよく分かりませんでした。

すると博士は、出だしの言葉を提示して促してくれました。

「私は、彼がこういう発言をすると・・・・・」。

私はそのまま言葉を続けてみました。

「私は、彼がこうこう発言をすると、傷ついてしまいます」。

博士はまた 「私には・・・・・」

と促されましたので、

「私には・・・・そういう発言が私に対する批判に聞こえます」   

と続けてみました。

すると博士はニッコリ笑うのです。

その瞬間、私は ハッ としました。

これは譬え話であったにせよ、あの人が問題だという発言を 「私は」という言葉に置き替えるだけで、内容もエネルギーもひびきも、こんなに変わってしまうことに驚いてしまいました。

博士は、多くの人はそのことに気づくことが出来ないと、話しておられました。

相手に問題を感じた時、たいていの場合、相手への批判で終わってしまうけれども、本当に問題を抱えているのはその本人で、しかもそれすらも気づいていない。

そして相手を批判し、自分を正当化するシステムが出来上がってしまうのだ、と。

そしてそれを防ぐには、言葉を 「私は」 から始めると、自分の中の素直な気持ちが出てきて、このような罠に陥らなくて済むと話してくれました。


ですから博士は、人の話を聞いていて、相手がこうする、ああする、だからダメなんだという話になると、その同じ内容を極力 「私は」 から始まる言葉につくり直してもらうそうです。


すると皆そこで、気づかなかった発見をするそうです。

言葉の威力について、違う方面から感じたひと時でした。



 世界人類が平和でありますように





   

         西園寺由佳さん 白光誌 1月号より





  


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