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2010年12月31日 (金)

良いお年を・・・・・。

  
   
    
みなさ~ん今年一年、日記を読んでくださってありがとうございました。

なにか今年は真理(本当のこと)が以前に比べて比較にならないくらいにみなさんに伝わるようになって来たように思います。

波動(ヴァイオレーション)が4次元に近づいて来ている

人がピュア(純粋)になって来ている

次元上昇が確実にやって来ているのを感じます。

これからも

マイナスは無いんだ

すべては善くなっていくためのプロセス(過程)なんだということ

をメインに書いて行きます。

みなさんよろしくお付き合いください。わーい(嬉しい顔)

良いお年を・・・・・・・。



   


   

質問ありませんか?

  
  
 
一昨日書いた日記ですべての事、すべての人に感謝するとありました。

でも実際問題として、病気になっている状態、いじめられている状態のとき、怒っている状態のときにその状況、相手に感謝することなどは出来ません。(いじめも過去世の仕返しや相手が業想念に巻き込まれてする陰湿なもの、守護霊守護神の指導ではないことももちろんあります)

後々になって

「ああ、あの時は辛かったけどあれは神さまが私に試練をくれたんだなぁ、あの人のお陰で成長できたなぁ」 と思うのです。

そのときにはとてもではないが感謝などできません。

では、そのときの瞬間、瞬間の苦しみ、悲しみ、怒りなどはどのように処理をしていったらいいのか?

五井先生が 「質問ありませんか?」の中で答えてくださっています。






 


今迄講師の方から教えられたことでございますが、われわれの日常の想念行為は過去世の因縁の現れである、これは仕方のないことであるんだ、だから例えば腹が立った、或いはお酒が呑みたいな、という欲望がおきて来た時、これはいけないといって抑えるのは想いを溜めてしまうことだからいけない、出したほうがいいんだ、のびのびとした生命、生き生きとしている生命を抑えてしまうことはよくない。

だから過去世の業の映ってくるそのままをやったらいいんだ、というふうに教えられました。

もう一つは、守護霊守護神というのが絶えずついていて、本人のためによくないと思うことは、守護霊守護神がやらせない、だからあえてやるのはその場において悪いように見えておっても、必ず本人の為にいいのだ、というのです。

例えば親鸞上人の話で唯円房に

「私が人を殺せといったら殺すか」といったら 「殺せません」 といいました。

すると親鸞が 「殺すべき宿縁があれば百人でも千人でも殺す、殺すべき因縁がなければ命ぜられても殺せない」 と答えています。

そうすると例えばデパートに行って立派なものを取ったとすると、守護霊守護神がついておって取らせない働きがあるというんですね。

もし取ったとしたならばその報いを受ける。

みんなの前で恥をかかせられる、警察に引張っていかれる、ひどい目にあったことで今後そういうことはしまい、という大きないい結果になってくるんだ、だから我々は結局守護霊守護神が常にはなれないで導くのだから、遠慮なく思い切ってやりたいことはやったらいい、とこういうふうな教えを私は聞いたのですが・・・・・










その講師のいうことは半分本当です。しかし一知半解です。

宗教も何もやらない人、或いは他宗の人たちがその話をきいた場合

「ああこの思想は危険だなぁ」 と思いますよ。

「やりたいことをやってしまうだろう、これは宗教でもなんでもない」 というでしょう。

やる者はやるようになっている、やらない者はやらないんだ、ということは本当です。

泥棒をする因縁がなければ泥棒しないかもしれない。

しかし、それは自分ではわからないじゃないですか。

とにかく過去世の因縁というものがあって、80%その因縁に流されている。

20%はこの世においてそれを修正することが出来る力があるんだ、と私は説いています。

その20%の力は知性と素直さなのです。

それが感情の爆発や、欲望を抑制したりする。

私は本当はおさえろとはいわない。

やりたいことはやるつもりで、出かかった時にこれを平和の祈りに入れちゃいなさいとか、気分をほかにかえなさいと転換させてしまう。

業をそのまま出しちゃうのでは当り前。

抑えたのではこれもいけない。

人間は難しいですよ。

抑えもしない、そのまま出しもしない、出す手前で消えてゆく姿にしなさい、と教えているんですよ。

出す手前で消えてゆく姿に、と何べんもいっているのです。

おさえてはいけない。

出した方がいいんだ、出るようになっているんだ、出せ出せというんで、お前なんか憎らしい、とやってしまったらハタが迷惑します。

どうしたらいいかというと、その真ん中で消えてゆく姿にしなければならない。

殴ろうとする、ああしかしこれはいけないんだ、世界人類が平和でありますように、と心をかえれば、怒りでもフッとなくなってしまうんですよ。

だから気分をかえると、表面近くまで来ても出ないんです。

そうすると抑えたよりもいいし、叩いたよりもよくなるわけです。

例えば千なら千の力で出てくるものを抑えたら千がたまってしまう。

では千をそのまま出してしまったら気が晴れるか、といったら晴れやしない。

殴ってしまったら悪い気がするんだから。

また自分がそれで晴れたとしても相手が迷惑します。

ところが出ていく時消えてゆく姿だ、神さま助けて下さい、世界人類が平和でありますようにと祈ったり、或いはどうかこの想いを消して下さいというふうに、先輩の道友の誰かにすがったりする。
 

そこで浄めたりして貰って消えてゆきます。


そうすると千が千消えないかもしれないけれど、五百なり三百になって消えてゆくわけです。


そうすることが一番中庸の道なのですね。


質問した人は悪いことが出来る人でないから、ゆるされたほうが安心するでしょう。

それに年取っているからいい。

しかしもし若かったら、40ぐらいだとしますと、赦されているうちに、それになれてしまうから、習慣づいてしまって、やりたいことをやってしまうことになるでしょう。

私が修行中20代の終り頃でしたか、或る心霊交流会に出ていました。

まっくらにした部屋に大勢いるのです。

そして坐って統一するのです。

その時、相当霊能的になっていたのですネ。

隣に娘さんが坐っていた。すると「隣に坐っているのは未来のお前の妻なんだから、手を出して握ってみろ、握ってしまえ、握ってしまえ、握ったらきまるのだから」 と霊的にささやかれて、更に手を動かすのです。

私は考えた。

いわれた通り素直に手を握っちゃおうかと考えた(笑)

しかし後で恥をかいたら大変だ、と思案しているうちに、知性的にああこれは常識ではそんなことをしてはいけないんだ、絶対にいけない、必死になって動く手を押さえつけた。

そうすると 「ヨーシ及第!」 というわけです。

ああよかったと思ってね。

神さまがためしたのです。

そこで握っていたら、現在の私はなかった。

握ったらそこでおしまいになってしまう。

そういうこともさせるのです。ですからあく迄常識良識を土台にして判断してゆくことが必要なのです。


もう一つの質問の、守護霊守護神がついているから、やらせることはみんな守護霊守護神がやらせているんだ、ということでしたが、大きい意味ではそうなのです。

しかし普通常識の話にすると、守護霊守護神がついていてやらせるのなら、吉展(よしのり)ちゃん殺しも守護霊守護神がやらせたのか、17才の少女が夫を殺しちゃったもの守護霊守護神がやらせたのか。

そうだとしたら世間の人はその教えは邪教だと思うでしょう。

神さまが殺人をさせるわけがない。

わかりきったことです。

だからそういうことをいっていいか悪いかということは常識の世界のことです。

それがわからない人は常識をもう一ぺん勉強しなければだめです。

守護霊守護神があくまで守っているけれども、肉体側の想いが業でへだてられているから、距離がはなれてしまっていて、守りが届かない。


肉体の人間の想いも業が厚いと届かない。

そこに私たちのような宗教家の存在が必要なのです。

「先生、助けて下さい」 とくると、パーンと柏手(かしわで)を打つと、業がフッと消えて守護霊守護神とつながるのです。

そしてまた業が出て来て離される。

業に巻き込まれてしまう。

そこで私のような存在が必要なのです。

或いは友だちが集まって祈ったりして助かるわけなのです。

その為に聖ヶ丘の会とか各地の座談会に余計出たほうがいいということになるのです。

守護霊守護神の存在を知らせたり、それをへだてている業想念をとってくれたりする人を導師というのですが、そういう人が必要なわけです。

導師はいつも謙虚な心と真摯なる努力、それに澄んだ知性が必要なのです。

なるがままではありません。

知性は常に澄み切ったものに磨いておくことです。

“神と人間” にも書いていますが、守護霊守護神が守っているんだけれども、あくまで肉体人間が主体であって、守護の神霊は後から応援するのだ、と書いてありますね。

幅跳びをするのでも、自分で跳ぶのです。

それを背後の人が持ちあげたり、跳ばしてくれたりしたのでは面白くもなんともない。

自分でやるところに面白さがある。

自分が一生懸命人事を尽してやってそれで、守護霊守護神に加勢を頼む、そうすると助けてくれる。

三者一体(三者とは守護霊、守護神、自分)になって、自分の持てる力を充分に発揮出来る。

天から与えられた使命をまっとうさせてゆくことが出来るわけです。

そこに消えてゆく姿の教えがあったり、世界平和の祈りがあってうまくゆくのです。

全託とかおまかせとかいうけれど本当の全託になる為には大変な努力、精進がいるのです。

真剣なる修行があるのですよ。




   
「質問ありませんか?」五井昌久 白光出版 (以下S40年12月のお話より)



  







感想


守護霊守護神は人間をどのようにもコントロール出来るのだけれども、その意志、選択は人間の自由に任せているのですね。

そして業、因縁が深ければ光を送っても人間の目を覚めさせることは出来ない。

それではどうしようもないではないか

人間は救われないではないか

になってしまいます。

神さまは愛であり、そのままになんかしない

でも、何の努力もなしに簡単には助けてはくれない

そこで宇宙神から降ろされた教えが

世界平和の祈りだったのです。

祈りによって80%起こってしまうであろう因縁因果を防ぐ。

現われを消すことが出来る。(或いは大難が小難になる)

そして同時に因縁生の世界である幽界を浄めていく

肉体界は幽界(潜在意識の世界)が汚れてしまったから不調和になっているのであり、幽界が浄まれば肉体界は自ずと整って来る。

それが神さまが描いたアセンションまでのプロセス、シナリオなのです。


     


  

  

2010年12月29日 (水)

すべてのもの、すべての人に感謝

 

  
ハーモニーに入っておられる方で、母子で調和波動気功法をされている方がおられます。

お母さんは網膜剥離になられて失明の危機にさらされ、藁をもすがる気持ちでいた時に、調和波動気功に出会い、奇蹟的に治ったのです。

そのとき、W先生は

「印と祈りはこの地上最高のエネルギーです」 とおっしゃったのだそうです。

目が治ったお母さんはそれからも一生懸命に印と祈りを続けていました。

そしてその頃娘さんがいじめに遭っていたそうです。

お母さんは娘さんに印と祈りを伝えた。

すると娘さんの周りは調和したエネルギーになり、いじめは無くなったのだそうです。

もし、この方が網膜剥離になっていなかったら、そして娘さんがいじめに遭っていなかったら病気も治ることは無かったでしょうし、いじめも続いていたのです。

今では印、祈り、そして調和波動気功法につながったことを心の底から喜んでおられます。

だからお二人にとって試練とは必要なものだったのです。

辛い病気も、いじめも必要だったのです。

娘さんは自分をいじめた人を恨んではおられないと思います。

それは真理に繋げるために守護霊様、守護神様が仕組んだストーリーだったからです。

この方の守護霊様が相手の守護霊様にいじめるようにお願いしたのです。

そしていじめた人は守護霊の命ずるままに娘さんをいじめた。

守護霊様はこんな演出をされるのです。

だから今自分を苦しめている人、悩ませている人はみんな自分の魂の成長をさせるために演じてくれているのです。

好き好んでやっているわけではないのです。

今息子は試練に遭っています。

でもそれは息子にとって、とても大事な試練なのです。

于先生は

「何も言わずに見守ることです」

とおっしゃいました。

私は守護霊守護神様が描いたストーリーを邪魔することなく

ただ祈りに集中すればいいんだ

自分が善い波動を出すことが一番大切なことなんだ

と思っています。

そしてすべてのことに感謝が出来るような自分になりたいと思っています。
 



 
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

我即神也

人類即神也




   


    
   

無題

  
  
   
1.于先生はありとあらゆる経験をされてきた

だからありとあらゆる人たちの気持ちがわかる、波動がわかる



1.自分の波動(ヴァイブレーション)がわからなければなんにもならない

他人の波動がわかったところでそれは何の意味もない

肝腎なのは自分がどういう波動を出しているかということです



1.あえて相手の守護霊守護神にその人の天命をお願いしなくてもいい
 
自分がしっかり祈っていればその光は相手に行くのだ



1.世界平和の祈りはどんなに激しい感情も沈めてくれる

清涼飲料水のようなものなのです。



1.目に見える世界は目茶苦茶です。わけがわからない。
 
だから本当の世界につながっていなければならないのだ。



 
1.息を止めて自分の波動の中へ入ってゆく




1.世界平和を祈っていると大難が小難に済ませてもらえるのです。

だから小さな経験で大きな気づきが得られる。

   

無知からの脱却

  

  
  
人類よ


怒る前に即祈れ

憎む前に即祈れ

悩む前に即祈れ

妬む前に即祈れ

疑う前に即祈れ

苦しむ時 即祈れ

迷う時  即祈れ

不安、恐怖を感じる時 即祈れ




何事も即祈ることによって

自分の心に抑圧されていた怒り、憎しみ、妬み、悩み、疑い、苦しみ、迷いに気づき

気づいた瞬間 それらの感情は消えてゆく


人類よ

怒りや苦しみが生まれると

その瞬間、喜びや幸せの感情は失われてゆく

怒りや憎しみ、苦しみは、その原因が何であれ

自らの固定観念、妄想がつくり出しているものである



人類よ

怒りの人生に

憎しみの人生に

悲しみの人生に

迷いの人生に

幸せや喜びや平安はない




それらの否定的感情想念が

自らの人生の幸福を邪魔し

自らの生命を削っていることに

気づいてはいない



人類よ


一体それらの否定的感情想念は

どこから生まれてくるのだろうか

それは自らの無知そのものに起因している

自らのことを何も判ってはいないからだ

だが無知は知らないうちに

自らを暗い人生へと導いていってしまう

かつまた無知は気づかないうちに

他をも巻き込み、不幸へと伝染してゆく




無知なる人は人類にとって重荷になる存在

自分自身が何ものであるか知ろうともせず

探求することもなく

ただ自分の思い込み 妄想の世界で生きている




人類よ



真の自分を探求することなく

無知のまま生きつづけると

ついに神から孤立したまま生きつづけることになる




人類よ


真の自分とは

自らの魂がすべての魂と一つであり

唯一なる神の分けみたまである

即ち

“人類即神也”

故に

“我即神也” そのものなのである




人類よ

人類にとって一番の罪

それは無知

人類にとって一番の至福

それは神人(人類皆即神也)




神人は宇宙究極の真理に則って生きる人々

神人たちによって

無知なる人々は救済されてゆく




世界人類が平和でありますように

人類即神也








     
      西園寺昌美    白光誌  1月号より 






   




   
  

世界平和の祈りの凄さ

  
  
悲しいとき、怒りに狂っているとき、なにかに悩んでいるとき

ただ何も考えずに世界平和の祈りを祈っていると

それらの感情、悩みを消すことが出来るのです。

それは小我の自分を大我の自分に投げ入れているからです。

小さな川をとてつもなく大きな宇宙という海に

自分の想念を投げ入れてしまうからです。

自分というちっぽけな想いを大きな溶鉱炉で溶かしてもらっているからです。

溶かしてもらって

そこから新たに生れて来る

新しい自分・・・・・。

それが本当の

本来の

自分なのです。







世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

我即神也

人類即神也



 

鼻をつまむ、息を止める

  
  
  
先日の調和波動気功法セミナーで于先生が

「鼻をつまんでください、つままなくてもいいから息を止めて祈ってください」

とおっしゃっておられました。

これはどういうことなのか

なぜ息を止めることが大切なことなのか

私なりの解釈を書いてみます。


“火事場の馬鹿力”といいますが

人間は、土壇場であったり必死になったときはもの凄い力が出ます。

自分の子どもが石の下敷きになっている場面があったとします。

愛する我が子を助けるために母は本能的に駆けつけて

何も考えずに石に手をかける。

お母さんは一気にその石を持ち挙げた

その重さは何トンもあった

という実話があります。

常識では考えられません。(肉体人間では絶対に持ち上げられません)

この時、このお母さんは空になっているのです。

何も考えていません。

もし

「私にこの石が上げられるだろうか?」

と疑問に思ってしまったらもう霊力は働かないのです。

だからこの時、母親の思考は守護霊守護神によって停止させられているのです。

余計なことを考えないようにされているのです。(霊力が働くようにされた)

そしてそのときは思考だけでなく、息も止まっています。

人間はほんとに集中しているときには息は止まっているのです。

呼吸をしていないのです。

人間は息を止めたときに一番力が出るのです。

息の止まっている時が、宇宙からのエネルギーが一番活発に動いている時なのです。


空になっているときとは思考も止まっているし呼吸も止まっている。

普通では考えられませんよね。

でも、これが人間の本来の姿なのです。

わかりやすく言えばお釈迦さまが悟っている状態です。

人間は不動心のときに正しい判断が出来ると以前書いたことがあります。

漢字の一は天を意味する。

つまり正しい判断が出来るときとは天(一)に心が止まっている状態を言うのです。

そして呼吸を止めると自然と思考も止まるのです。

嘘だと思う人はやってみてください。

息を止めた状態で何かを考えてみてください。

不思議と何も浮かんで来ないのです。

悲しいことがあって落ち込んでいても

息を止めればその止めている間は悲しくないのです。

怒りも止まります。

息を止めているときに怒ってみてください。

怒りは湧いて来ないのです。

つまり本当の自分は悲しみも無ければ怒りも無い。

感情を超越した存在だということなのです。

息を止めて意識を下丹田(かたんでん、へそ下3.5センチ)に下げてそこに本当の自分がいるとイメージして宇宙と共鳴する世界平和の祈りを祈る。

もの凄い、凄まじい光が降りて来るのです。

人間は天と地を結ぶ光の柱なのです。

光輝くエネルギー体、波動体なんです。

それがわかるには息を止めてみることです。

止めることで波動がわかってきます。

何度かやっているうちに何分も呼吸を止めることが出来るようになってきます。

コツがわかってきます。

するとインスピレーションも降りて来ます。

なんだか幸せな気持ちになってきます。

それは不思議なことでもなんでもないのです。

それが本来の自分の姿だからです。わーい(嬉しい顔) 指でOK


  
    
 
     



言葉の罠

  
  

先日、私が書いた日記で “苦手意識”(12月13日) という内容の文章がありました。

かいつまんでいいますと、自分が求めていることを相手が提供してくれたら「ありがとう」と感謝するものが、反対に求めていない、いらない情報(例えば、ネットワークビジネス、宗教の誘い、保険の勧誘等の類)だったらあっさりと断ればいいものをそこに余計な感情移入をして

「あの人は私にこんな話を持って来た一体全体どういうつもりなんだろう?もしかして私を利用しようとしているのか?友だちだと思っていたのにとんでもない奴だ」と相手を必要以上に非難し攻撃するのです。

それで済まない場合、他の友だちに吹聴したりして友人関係はもろくも崩れ去るというものでした。

相手に問題があるのではない、自分の心境と相手の情報が違っているだけで相手は同じことをしているだけなんだ。

感情的にならず、いらないのならいらないとあっさり言えばいいのだ。

というものでした。

その日記は結構、反響がありました。(メッセージを何通か頂きました)


そして後日、東京に行っている息子があることが原因で先輩と喧嘩になり殴ってしまったという電話があったのです。

酔った席で馬鹿にされた、屈辱的なことをされたというのがその理由でした。

しかし話を聞いてみると問題はその先輩にあるのではなく息子の精神状態にあるように思えたのです。

しかし私がそのシュチエーション(状況、状態、場面)に居たわけではないし、人間には防衛本能があります。

攻撃(暴力でも言葉でも)を受けた時、自分を守ろうとする意識です。

それをずっと我慢をするとストレスになります。

暴力は絶対にいけないことだけど頭ごなしに

「いけない!」 とは言えなかったのです。



と、そんなとき来年の白光誌1月号に西園寺由佳さんの「言葉の罠」の文書に触れました。

目からウロコでした。

私たちは知らず知らずのうちに“言葉の罠”にはまっています。

相手を非難するのは自分の中にその種があってそれが反応しているだけだと聞いたことがあります。


相手は自分を映す鏡だ、・・・・と


そのことがとてもよくわかるのです。





 


言葉の罠
  


 
ある博士が、人間の陥りやすい言葉の罠(無限なる愛!)について面白いことを教えてくれました。

例えば・・・・・

ある人がこういうことを言った。

彼女がまたケアレスミス(不注意による誤り)をした。

あいつは話を聞いていない。

・・・・・・だから、あの人は問題なのだ、と

一見、特に何の問題もない、どこにでもありそうな会話の一コマ。

少なくとも私には、ここに問題があるようには思えませんでした。

あえて言及するならば、否定的な言葉を打ち消す光明の言葉がなかったというくらいで、それ以外に何の違和感も感じませんでした。


 しかし博士は、そこに問題があると言うのです。

確かに状況をよく考えてみると、今問題を抱えているのは、話している本人なのです。

相手の何かが気に入らなくて文句を言っているのは、その話をしている人なのです。

しかしその人は、あたかもすべての問題は相手にあると言わんばかりに、相手を対象に言葉を組み立てているのです。

自分を正当化し、自分は “完璧” という箱に収まって、そこから相手を否定、非難してしまっており、それはとても危険なことであると教えていただきました。

他の例を挙げると、ある人のものの言い方を嫌う女性がいたとします。

彼女はその人のものの言い方にいつも傷ついてしまいます。

そのため 「あの人はまたこういうことを言った」 と友人に不満をぶつけ、 「あの人には問題があると思う」 と話しているとします。

しかし、実際に今不満を持っているのは、その彼女なのです。

彼女の目から見ると相手が問題なのですが、実際に問題を抱えているのは・・・・・彼女ということになるのです。

 
 そこで、その女性の 「あの人がまたこういうことを言った。だからあの人の問題なのだ」 という言葉をつくり変えるよう、博士は言われました。


彼女が本来言うべき言葉を、彼女なり代わって言ってごらん、と。


私は最初、意味がよく分かりませんでした。

すると博士は、出だしの言葉を提示して促してくれました。

「私は、彼がこういう発言をすると・・・・・」。

私はそのまま言葉を続けてみました。

「私は、彼がこうこう発言をすると、傷ついてしまいます」。

博士はまた 「私には・・・・・」

と促されましたので、

「私には・・・・そういう発言が私に対する批判に聞こえます」   

と続けてみました。

すると博士はニッコリ笑うのです。

その瞬間、私は ハッ としました。

これは譬え話であったにせよ、あの人が問題だという発言を 「私は」という言葉に置き替えるだけで、内容もエネルギーもひびきも、こんなに変わってしまうことに驚いてしまいました。

博士は、多くの人はそのことに気づくことが出来ないと、話しておられました。

相手に問題を感じた時、たいていの場合、相手への批判で終わってしまうけれども、本当に問題を抱えているのはその本人で、しかもそれすらも気づいていない。

そして相手を批判し、自分を正当化するシステムが出来上がってしまうのだ、と。

そしてそれを防ぐには、言葉を 「私は」 から始めると、自分の中の素直な気持ちが出てきて、このような罠に陥らなくて済むと話してくれました。


ですから博士は、人の話を聞いていて、相手がこうする、ああする、だからダメなんだという話になると、その同じ内容を極力 「私は」 から始まる言葉につくり直してもらうそうです。


すると皆そこで、気づかなかった発見をするそうです。

言葉の威力について、違う方面から感じたひと時でした。



 世界人類が平和でありますように





   

         西園寺由佳さん 白光誌 1月号より





  


2010年12月27日 (月)

謙虚であるということ

 
  
  
「何も考えずにただ人のことをのみ思って一生懸命にやっているときは、びっくりするほどうまく行っていました」

「でもそこでほんのちょっとでも欲を出してお金のことを考えてしまったらとたんにうまくいかなくなってしまったのです」

「そんなことがあって私は調和波動気功につながりました」

とあるハーモニーの方がおっしゃっておられました。


これはどういうことかと言いますと

何も考えずに相手の喜ぶことのみを想い、ただ目の前のことだけを自分の器を使って一生懸命にやっているときには神さまが働いておられるのです。


そこには自分というものが一切ない

だから自分は神さまの器なのです。

しかしそこで自分という欲を出すと

神さまが働けなくなってしまうのです。

わたしたちはプラスのエネルギーを出さずにマイナスのエネルギーばかりを出してしまっています。


だから地球も人類も危機的状態になってしまったのです。(無限なる光)


“プラスのエネルギーとは謙虚になったときにしか流れない”


これは宇宙の法則なのです。



私たちは宇宙からエネルギーを戴いています。

そのエネルギーは頭のてっぺんの百会(ひゃくえ)に入り60兆の細胞を通りそして地球の中心へ流れるのです。(引力と言います)

そしてそのエネルギーは私たちの心を通って横へ出て行きます。

心の中が愛で溢れていれば愛の波動が

怒りでいっぱいならば怒りの波動が横に流れて出て行くのです。(雰囲気、オーラです)

宇宙からエネルギーを受けた樹がエネルギーを地面へ流しそして酸素を出しているのと同じです。


つまり縦に流れ来たエネルギーを私たちの心(想念)で横に流しているのです。

これが十字架であり、プラスのエネルギーの姿です。


人間はこの十の形(エネルギー体)になるのが本来の姿なのです。

しかし私たち人間のほとんどはプラスのエネルギーを出せてはいなのです。(無限なる赦し)

横に流れるエネルギーは下丹田(かたんでん、へその下3.5センチ)から出ています。

縦のエネルギー ┃ をプラスにするには奥に引いてそこから前に出ないと交差しないのです。


奥に引かないで前に出ようとしてもプラスという形にはならないのです。


ただマイナスがずっと横に広がっていくだけです。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━・・・・・・・

奥に引くとはどういうことなのか?

それは冒頭にあったように自分を奥にやる、謙虚であるということです。

人間は肉体が自分だと思っている

だけどそうではない

本当の自分は心の奥にいる

神界、宇宙に居るのです。

その自分と出逢って、本当の自分と一緒になって前に出て来て

初めてプラスのエネルギーになるのです。

本当の自分とは神のことです。(我即神也)

そのことがわかるようになることが謙虚ということなのです。

ただ謙遜しているのが謙虚ではありません。

肉体人間というのは仮の姿です。

本当の姿ではない。

謙虚になっていないときとは

仮の自分が本当の自分だと思って前に前に出ているときなのです。

だから本当の力が出て来ないのです。

于先生はおっしゃいました。


「自分の後ろの守護霊様守護神様と一体となるのです。後ろに引くのです」

この後ろに引くというのが謙虚ということなのです。

自分(肉体)がやるのではない

守護霊守護神様がやってくださるのだ

守護霊守護神様が働きやすいように使われやすいようにするのが

自分の役割りなのだ

自分は(肉体は)その器なのだ

ということなのです。


  
 
    
世界人類が平和でありますように

我即神也

人類即神也




   
 

2010年12月26日 (日)

私が最も感動したスピーチ!

  
  
  
調和波動気功法セミナーでは、ハーモニーの人たち(于先生の生徒)が一人ずつ

前に出てスピーチをされます。

みなさんそれぞれにほんとに立派で思わず涙することがあるのですが今日、私が

最も感動したのは、ある女性が


「私は地獄の果てまで行ってもそこで世界平和の祈りを祈り続けます」

という宣言だったのです。


ほとんどの人は祈りが善いと聞いて

3次元的な欲を持ちます。

波動が善くなればお金も入って来る

物質的なことも整って来る

人間関係も善くなる

病気も治る

と思います。


確かにそうなのですが

それには時期があります。


善くなる為のプロセスがあります。

悪いことが起こります。

悪いものが消えてゆく姿があります。(善くなるのはそれからです)

その時期は自分ではコントロール出来ないのです。


そして少しやってみて

「やっぱりあんなものはダメだ」

と諦めるのです。

こういう人は何をやってもダメな人です。(無限なる可能性)


又、ある人は精神的な安らぎを求めます。

しかし祈ってみても安らぎが得られないとやはり止めてしまうのです。


求めるという気持ちでは物質的なことと同じです。


目的が自分が善くなりたいということだからです。

自分というものが捨てきれない

自分がかわいい

自分が良ければそれでいい

それで人も良くなればそれもいい

あくまでも自分中心です。


志が自分という我を超えていないのです。

現象に把われているのです。

結果を出すのが目的だと待つことが出来ない

耐えることができない

苦しくなると止めてしまうのです。


本当の幸せって何かがわかっていないのです。


自分が幸せになることが幸せになっている


物質的に良くなること

精神的に安定すること


しかしそこに幸せを求めていると必ず行き詰まります。

幸せはそこにはないからです。

幸せとは本当の自分とつながることしかないのです。

神である最高の自分と出逢うことにしか本当の幸せはありません。

それ以外はすべて幻です。

消えて無くなっていくものです。

みんな消えてゆく幻を求めているのです。

消えないのは神である自分だけです。

この女性は目的がしっかりしているのです。



決してブレることがない

揺るがない



それは世界の人類すべてが幸せになることだけに目的を置いているからです。

世界の人類とは地球だけでなく宇宙のすべての人類のことです。


これは宇宙神の願いなのです。


だから今の状況がどうであろうと関係ない
 

かりに自分が物質的、精神的に満たされた環境であっても


人類がよりいっそう進化向上し幸せになっていくことを祈る



そして自分の器が地獄に行って


自分の身体が火に焙られていようと、キリストのように磔になろうと


人類の幸せを祈る気持ちに関係はないのです。


世界平和の祈りしか神である本当の自分に出逢えない

今私はその最高の祈りを祈っている

神とつながっている

それが最高の幸せなのです。



自分の環境、状況は関係ないのです。


自分がどの場所に生れようと

どの環境に置かれようと


決して感情に振り回されず


淡々と自分の本心だけに意識を合わせて


自分のミッションである祈りを淡々と祈り続ける


これはもう


菩薩様の心境です。


それもそんなとてつもなく深いことを当り前のように淡々と語っておられるのです。


ハーモニーにはこんな人がおられるのです。


私もそんなハーモニーの一員である。


この人と同じハーモニーに居るんだ。


最高の幸せをここでも感じさせて頂けたのです。




 
   


全身全霊で打ち込め!

     
  
今日、今年最後の調和波動気功のセミナーがありました。

その中で于先生がおっしゃっておられたことがほんとのほんとの真理だと思いました。
 

「何事も全身全霊でやらなければなにもわかりません」

「わからないのはやっていないからです」

「やっているつもりなのです」

「やれば必ずわかるのです」


これはある人がした質問(波動がわかるようになりたいという)に対するお答えなのですが

どんなにいい先生(師匠)が居て

環境が抜群で

すべてが整っていても

本気になって

無になって

空になって

自分を捨てて

全身全霊になってやらないと

最後の最後まではいけないのです。

突き抜けないのです。

成就しないのです。

アセンション(次元上昇)とはそんな甘いものではありません。

アセンションとは人間の完成です。

神の姿を顕すということです。

人間が本気になって

世界の平和を願い、祈り

その人たちの数が臨界点を超えたとき

宇宙神との波動(ヴァイブレーション)が一致し

宇宙人(神さま)を動かすのです。

簡単に助けてはくれないのです。

ギリギリのところで土壇場で崖っぷちで

ようやく手を差しのべてくださるのです。


このことは3次元も4次元も多次元もまったく同じだと思います。

簡単に何でも成就したら面白いことも楽しいことも嬉しいことも

感動することも

何~んにもないのです。


やるしかない

どんなことがあっても

やってやる


自分にはその覚悟があります。


理屈ではありません。


魂(本心)がそれを求めているのです。



 


 

世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)


我即神也

人類即神也




   

留学は絶対に反対!

  

    
五井先生は、相談者の息子さん娘さんが外国に留学することに対し絶対に反対、絶対にはんた~いと強く言っておられたのだそうです。

つい最近、新聞に日本人の留学生の数が激減し反対に日本への留学生の数が増加していることが掲載されていました。

新聞では、この事態を由々しきこと、憂慮すべきこと、日本の学生が冒険心が無くなった、ひ弱になったと述べていましたが

これは物の見方が全然ちがうのです。

現われた現象のみを見るか、波動でみるかの違いです。

日本と外国とでは波動がまったく違うのです。

波動とはヴァイブレーションのこと響きのことです。

宇宙はすべて波動で出来ている、私たちの肉体も心も、動物も植物も鉱物も自然も建物も物質もすべては波動です。

そのヴァイブレーションが日本は細かく外国は粗いのです。

繊細で柔かいと言えばいいのでしょうか、例えて言えばシャワーの水の出口が細かく多いのです。

だから水を浴びたとき身体に優しく響きます。

粗くて大きな出口であれば身体に痛く響きます。

何回も浴びていると細かい方は心地よいのに粗い方は辛くなってくる。

気持ちがすさんで来るのです。

日本から出るということは、心優しい青年が波動の粗い暴力団の世界に入るのに似ているのです。

間違ってその世界に入ってしまった。

しかしその世界でしばらく暮らしていかなければならない。

生きて行く為には、すぐに脱退するか

粗い波動の世界に自分を合わさなければならないのです。

最初は違和感があってもそのうちに次第に粗い波動に慣れて来る。

極道(悪いこと、むごいこと)をすることに躊躇することが無くなって来る。

ちょっと例えは悪いかもしれませんが

それと同じことなのです。

しばらくして帰って来た息子(娘)は以前と全然違う人格に変わってしまっていた。

それがほとんどなのだそうです。(外国に行った人は)

日本は霊(ひ)の国

一番神に近い国です。

霊とは人間の本質です。

人間の本質とは愛と赦しです。

そんな素晴らしい環境に居ながらわざわざ波動の粗い所へ行く。

波動(目に見えないエネルギー)からすればとんでもないことなのです。


問題は目的意識だと思います。


英語がしゃべれるようになりたい

日本に居ても外国語を学ぶことは出来ます。

グローバルな世界を見てみたい

日本は世界の縮図です。

九州はアフリカであり、四国はオーストラリアだそうです。

後は忘れました。(笑)

日本をもっと知ることで世界がわかると思うのです。

体験経験を積むことは大切ですが

体験をする以前の問題で波動が変わってしまっては、それを戻すには並大抵のことではないのです。

本末転倒なのです。

極道の世界に入ってしまったらなかなか抜けられないのと同じです。

日本に来る留学生の数が増加している。

それはそうだと思います。

波動の粗いところから

細かい所への移動です。

居心地が悪かろうはずはありません。

于先生がおっしゃっておられたのですが

今日本に居る外国人の人は、ほとんどの人が前世が日本人だそうです。

きっと懐かしさを覚えるのでしょうね。

今は昔ほど外国に行くメリットは減ってきています。

アメリカの経済は破綻している

これからは中国の時代です。

中国は世界の中心になる国だそうです。

だから中国というのだそうです。

中国人の心がわかる日本人はこれから引く手あまたになるそうです。(就職にも困らない)

中国語を日本で学び中国の留学生と友だちになる

きっと素晴らしいビジネスパートナーになるのでしょうね。


 
  







追伸

 

日本の波動が良いのは日本自体がそういうミッションで誕生したこともそうなのですが世界平和の祈りを祈る人が多いことがあげられるのです。

人類の平和を祈る人が多ければそこに光の柱が出来ます。ぴかぴか(新しい)

その光で大難が小難に済んでいるのです。(だから大地震も起きていない)

地球を浄化していくのは祈りの積み重ねしかないのです。

そして留学の話ですが

どうしても留学したい人、させたい人は

神田瀧夢(かんだろむ)さんの「サムライ スピリット」 幻冬舎を読まれることをお薦めします。

ロムさんは、日本人の魂(スピリット)を世界に広めるためにアメリカに渡りました。しっかりした目的意識があったのです。

志が高ければ成功する、行く意義はあるのですが英語が覚えられる、視野が広がるくらいの気持ちで行くと粗い波動に巻き込まれるのです。

それくらい想念波動は今、厳しいのです。

ほとんどがマイナス想念だからです。(外国は特に)

波動を侮ってはいけません。

環境はとても大切なことなのです。



  

世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)




  

2010年12月23日 (木)

責めることは違う

  
        
    
すべては波動で出来ているということがわかればどんなことも凄く納得するのです。

私は勤め先において段々気持ちがすさんで行きました。

無職になってからしばらくして今の職場に移ったとき

「なんて素晴らしい職場なんだろう」

「こんなに自分に適した仕事は他にはない」


とまで思ったのに

慣れてきたり

複雑な人間関係があると

最初の初心は忘れ

感謝出来ない自分になっていたのです。

そのときに先生に相談すると

「感謝行をしたらいいんですよ」

とあっさり

そこで私の心のいたらなさを責めることは一切なさらなかったのです。

私の心の中に

感謝というエネルギーが足らなかった、枯渇していただけだったのです。

だったら感謝というエネルギーを心に注ぎ込んでやればいい

感謝の波動で一杯にしてやれば

いつでも感謝出来る自分になれる。わーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)

真理とはとてつもなくシンプルなのです。

そして今は

地球世界感謝行という素晴らしいツール(道具)がある。

インターネットでも習得することが出来ます。

本からも会得出来ます。

すべては波動で出来ている。

波動から見れば

すべてのことがシンプルにわかるのです。


http://www.byakko.or.jp/4_method/chikyu.html


于先生のご著書には、初刊の調和波動気功法には載っていませんが、その後の本にはすべて地球世界感謝行の印の組み方が掲載されています。


 


1冊目  調和波動気功法 于寿明 三晃書房

2冊目  無限なる癒し 于寿明 星湖舎 (以下出版社は同じです)

3冊目  無限次元への誘い  

4冊目  無限なる幸せを体得する方法  

5冊目  無限なる勇気  





電子書籍は

wookという出版社です。

本の名前で検索すると出てきます。

http://my.wook.jp/

 
  于寿明書籍販売ページ




  

 

幸せは状況ではないのです。

  
  
  
私たちは幸せは自分を取り巻く状況だと思っています。

家族や友だちが居て心配事が少なくてお金に困っていなくて健康で・・・・・・。

でも人間というのはおかしなものでそれらが満たされたとしても又違うことに対してマイナスを探すのです。

お金に困っていて借金をしていた人が3億円の宝くじに当たった。

その時には一時的には悩みは解消されます。

しかしそれでその人が幸せになったのかというとそうではない。

また新たに病気であるとか、人間関係であるとか違う悩みが出て来るのです。

目に見えること、3次元的なことに幸せを求めても

そこには本当の幸せはないのです。

幸せとは目にみえる状況ではなく

目にはみえない波動(エネルギー)の世界にあります。

それは本当の自分とつながるということです。

本当の自分は肉体にはいません。

心のずっとずっと奥にあるのです。

そこが神界であり、宇宙である。

宗教というのは本来は自分に逢うためにありました。

心を鎮めて雑念を祓い

統一状態になると奥に居る本当の自分に逢えた。

それをお釈迦さまは座禅観法することで教えたのです。

でも心を空にして神界につながることは簡単ではありませんでした。

弟子の中でもほんの一握りの人しか

神我一体になれなかった。

アセンションとは人間が神我一体になるということなのです。

本当の自分で出逢えて

本当の幸せをつかむということなのです。

そのためには本当の自分が神界で何をやっているかを知らなければならない。

自分の本体は何をしているのか?

本当の自分はどういう自分なのか?

本当の自分とは愛に満ちた完璧な自分です。

自分だけでなく人類(宇宙中の)幸せを願っている素晴らしい自分なのです。

それは世界平和の祈りを祈っている自分が居るということです。

奥戸の自分は世界平和の祈りを祈っている

そこと波長を合わせることでつながりやすくなるのです。

守護霊・守護神様が間に立って橋渡しをして下さいます。

霊界と神界から助けて下さるのです。

世界平和を祈り続けていると本心とつながるのです。

そのときになんとも知れぬ

幸福感が湧いて来る。わーい(嬉しい顔)

これが本当の幸せなのです。

幸せとは状況ではなく

心の状態なのです。

心が愛に溢れて本心とピッタリとつながっている。

たまに祈っているだけではほんの一瞬にしか幸せは感じません。

たゆみない祈りは幸せ感をずっと自分のものにすることが出来るのです。

そしてその幸せ感の波動(ヴァイブレーション)は他へ波及して行きます。

波動が波及して世界中を網羅したときがアセンションの瞬間なのです。

自分が幸せにならないと他を幸せにすることはできません。

自分の中に宇宙があり、人がいるのです。


祈りを実践することで


本当の幸せを是非、実感してください。


やらないことには何にもわかりません。




 

世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



  


  

ヴァイブレーション(波動)について 最終章

  
   
  
みなさんももう薄々お気づきだとは思うのですが地球並びに私たちの波動が細かくなってきて人々が発している波動(エネルギー)がどんなものなのかがわかるようになってきているのです。


「あっこの人は、今イライラしているな」

「この人は人の話を聞いていないな」(笑)

「嘘を言っているな」(テレビ等を観ていてわかります)

それは、大まかにいえば

なんとなく雰囲気(オーラ)でわかるということなのかもしれません。

以前だったら

誤魔化せたものだったのかもしれません。


しかし目には見えないのですが

確実にその波動は伝わって来て、識別できるようになっているのです。

本当のことが直観でわかる

ピュア(純粋)なものなのか、そうではない不純なものなのか

本物なのか、にせものなのか?

等がたくさんの人にわかるようになってきたのです。

だから本物しか認められないようになります。

嘘から出たものは気持ちが悪いのです。

本心から出たものでないと

信用されなくなるのです。

アセンションとは本物の時代が来るということなんですね。

本物の時代とは波動がわかるようになるということです。

自分が何者であるのかがはっきりとわかるということです。

何十年も前にはほとんど理解されずにいたものが

今の時代になって、波動が上昇してわかるようになってきた。

以前は、10人のうち3人の人しか理解出来なかったことが

今は10人中7人の人が真理(我即神也・人類即神也)を理解出来るようになったのだそうです。

先日、于先生はそうおっしゃっておられました。



 




宇宙子波動生命物理学から生まれた印



宇宙子波動生命物理学においては、すべての源は波動です。

しかもその波動は宇宙神の究極の波動が直接に絵図面に到達し、その波動が地球上の核に吸い込まれてゆくのです。

この絵図面こそすべての波動を創造し調和させて、今生に究極の真理、そして究極の科学をもたらすのです。

この宇宙子波動生命物理学によりますと、波動は七を中心に幾千、幾万の組み合わせにより、あらゆる波動を創造してゆくのです。

宇宙子波動生命物理学という名の通り、この究極の科学は、宇宙子という、現在、地球上で発見されている最極小の粒子(クォーク)よりもっともっと極小の存在から成り立っています。

そもそも宇宙子とは宇宙の中心(宇宙神)より発せられた直接のヴァイブレーションです。

この宇宙子波動生命物理学は、我々の生命を明らかにし、かつまた究極の真理を物理や化学の分野にまで展開してゆきます。

人間は神そのものである

“人類即神也” という究極の真理を明らかにする科学です。

人類は本来、神そのものであるため、神を全く似せられて創られているのです。

無限なる創造と無限なる自由と無限なる能力を自己の内に包含しているのです。

そしてその無限なる神の生命のひびき、ヴァイブレーションを肉体に生かし永遠の進化を遂げてゆくのです。

常に新しき進化、向上を目指して肉体そのものを神の姿に顕現してゆくのです。

それゆえ、人類全体が一人残らず神の姿を顕現する時が必ず来るのです。


そのために、宇宙子波動生命物理学では、印をいう究極の方法を教えているのであります。

印は、宇宙神の波動(ヴァイブレーション)を発します。


宇宙神のヴァイブレーションは、高く細かく微妙でパワー、エネルギーに満ち溢れたものです。


この印を組むことによって、人類は無限に神に近づいてゆくのです。

そして一個の肉体は、決して単なる一個の生命体ではなく、宇宙神と全く一つのものであり、宇宙の永遠の進化への共同体として、すべてに共鳴し影響し、無限に膨張する大宇宙の生命への一助として貢献しているのです。
 






高く広く微妙な波動の素晴らしさ



 
 
このように人類はすべて、ヴァイブレーションによって成り立っているのであります。

人類が究極の真理に目覚めれば目覚めるほど、ヴァイブレーションは高く細かく微妙になり、力強いものとなってゆきます。

そして無限に広がってゆきます。

そのため、未来を見通すことも出来れば、事故や病気を未然に防ぐことも出来ます。

さらに時間・空間を超えて、この肉体を持ったまま、どこにでも移動することも出来ます。

なぜならば、人間は究極は波動だからです。

もう少し判りやすく説明いたしますと、我々が普段使っている物の長さ、重さ、大きさ・・・・・・・等を測る単位は、粗い波動に対してのものなのです。(天文学や顕微鏡下の世界の単位は別といたします)


一センチより小さいミリの単位、そしてもっと小さいミクロン(0.001ミリ)の単位、さらに小さいオングストーム(0.0000001ミリ)の単位などがありますが、ここまで来ると、途方もなく小さく我々の頭では理解できません。

だがしかし、宇宙子波動生命物理学では実際に出てくる単位です。

数式上ではオングストームのさらに10のマイナス49乗という単位で表わされる微小な波長の波さえ存在します。

そうなりますとその波動はどこまでもどこまでも小さく微妙ですので、何でも突き抜けて浸透してしまいます。

岩も水も空気も肉体も大地も・・・・・・。

実際に我々の目に見えない、感じられない宇宙線という波動もその一部です。

実際にこの地球上で未だ発見されていないたくさんの宇宙線が我々の身体を自由自在に通り抜けています。

そのように人類一人一人のヴァイブレーションが高まり広がり微妙になれば、物事を自由自在にコントロールすることが可能になるのであります。


先ほどの窓際の花瓶の花にしても、もしこの私が高い広い微妙なヴァイブレーションを放っているとしますと、子供が入ってくる瞬間、もうこの私は花瓶に近づき、花瓶を支えて、花瓶が倒れるのを未然に防ぎます。


子供が走ってくる。

それ以前に私が立ち上がる。

子供がどこを通るかそれ以前にキャッチできる。

子供とぶつからないで、花瓶に近づいてゆく。

そして子供が通り過ぎてゆく瞬間、もうすでに私の手は花瓶を支えている。

これらの情報を一つ一つ把握することによって、未然に防ぐことが可能になるのです。

これは日常生活の当り前のことです。

もっともっと極めてゆきますと、事故も失敗も不幸も防げます。


ヴァイブレーションの粗い人は全く不可能です。

何事も予測できないからです。

事が起こったあとに行動を起こすのです。

これが人類の一般であります。

真理に目覚めていない人たちです。

これらの人々はヴァイブレーションが遅鈍なのです。

もっともっと真理を求め、自分自身を磨き高め上げる必要があります。

だからこそ、自分のことは未だ何一つ判らないので、不幸や苦悩や挫折が続くのであります。

だがしかし、毎日、世界平和の祈りを祈り、印を組みつづけておりますと、一人一人のヴァイブレーションが高く広く微妙になってゆくのです。

そして人類一人一人がもっと真理に目覚めれば、祈りで印で、天変地変も未然に防ぐことが可能になるのであります。





 
ヴァイブレーションについてはおしまいです。


     「次元上昇」 西園寺昌美 白光出版







 

感想


ヴァイブレーション(波動)についてですが、私は10年以上毎日、祈りと印の生活を続けています。

そして最近自分の波動(ヴァイブレーション)が変わってきたことに気がついたのです。

それは映画 「スパイダーマン」の場面にあるのですが、主人公(スパイダーマン)が喧嘩をふっかけられて相手が殴りかかって来ます。

しかしそのパンチはスローモーションのようにゆっくりとしているので余裕で避けられるのです。

普通の肉体波動であれば避けることは出来ません。

そのままのスピードだからです。

ゆっくりだから相手もよく見えているし予測も出来るのです。

これとよく似た状態が私に起こっている。

だから以前より落ち着いて心を鎮めて物事の対処できるようになりました。

このことは私にとって凄く嬉しいことなのです。わーい(嬉しい顔)

と申しますのは

私の目標とは

どんなときにも不動心、平常心の自分でありたいということだったからです。

何事も長続きしない三日坊主の私が

祈りと印は毎日かかさず続けてきた

それは継続してきたことに対する神さまからのご褒美だったのかもしれません。わーい(嬉しい顔)





 
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  


2010年12月21日 (火)

ヴァイブレーション(波動)について 4

  
  
   
今、私はリビングルームのドアを開けた瞬間、窓際に花瓶に活けられた美しい花が飾ってあるのを見ます。

花瓶は色とりどりの花で一杯で、誰の目から見ても感動するくらいです。

一つ一つの花は美しく色鮮やかで、他の花々と見事に調和し、素晴らしい雰囲気を醸し出しています。

私はリビングルームのソファーに腰かけ、周りの様子を見回しながら、見るともなしに花瓶のほうに目を移します。

改めて花瓶をじっと見ると、先ほど一見した時よりはもっと正確に私の目に映し出されます。

なぜかバランスが悪いのです。

花瓶の大きさの割には花が多過ぎるのです。

さらに中心より右に花が多く入り過ぎて、右に傾き過ぎている感じがするのです。

そこへ急にドアが開いて子供が二人ふざけ合いながら走ってきました。

さぁどうなるでしょうか!

窓際の花瓶は今にも倒れそうになっています。

その際、ヴァイブレーションが粗雑で荒々しい人は、たった二つか三つの情報しか伝達されません。

花瓶が倒れた。

花々が周りに飛び散った。

花瓶が割れた。

だがしかし、ヴァイブレーションが細かく微妙であると、花瓶が倒れる以前にすでにたくさんの情報を受け取っているのです。

安定していない花と花瓶。

左ではなく右に倒れそうな感じ。

子供が窓際の花瓶までかけれゆく時間。

子供の動作。

子供が何に集中しているか・・・・・。

ヴァイブレーションが細かく微妙であるということは、すべてに余裕とゆとりを持って物事を正確に的確に把えられるということです。

そのため、事が起こる前に、余裕ともって未然に防ぐことが出来るのです。

それに反して、ヴァイブレーションが荒々しく粗雑であると物事を大まかにしか見られず、行動を起こすことに全く無頓着です。

荒々しいヴァイブレーションは、たった二つか三つの情報でしかないので、物事があっと言う間に起こってしまうのです。

すべての事柄があまりにも早く起こり過ぎます。

何をすべきか判断を下す前に、もうすでに事は終わってしまっているのです。




    
         「次元上昇」 西園寺昌美 白光出版



 

 
感想


波動が細かくなるというのは、一つの場面、出来事に対して自分のヴァイブレーション(波動)が細部に渡って入り込むことだと思うのです。

だから内容が濃くなる、深くなる。

よって相手をみる力が強くなる。

これが洞察力だと思うのです。

人と付き合っていく上でこの洞察力はとても大切なものなのです。

観察力ではない

もっと深い、相手の本心を観る力です。





   

2010年12月20日 (月)

ヴァイブレーション(波動)について 3

  
  
  

自らの波動を神域に高め上げる祈りと印



 
真理は、自分たちが意識しようがしまいが、いかなる人も皆、“我即神也” “人類即神也” そのものなのです。

そしてすべての人は絶対なる存在者として同じヴァイブレーションを共有しているのであり、無限なる愛、無限なる叡智を共有しているのであります。

故に人類はもともと、高い次元のヴァイブレーションに属しているのであり、その神域こそもっとも安定した本来あるべき人類の世界なのであります。

だがしかし、人類個々人が発しているヴァイブレーションは、それぞれの意識レベルによってみな違うのです。

自分の発しているヴァイブレーションが一体、どんなレベルなのか知っておくことも大事なことでしょう。

なぜ自分はこんなに不幸ばかりが続くのであろうか?

あるいは、なぜこのように幸せが続くのであろうか?

一番高次なるヴァイブレーションとは、高い波動であると共にエネルギー、パワーが強くて微妙なのです。

それが最も素晴らしくヴァイブレーションです。

世界平和の祈りを祈る人、または印を組んでいる人は、もちろん一番高次元レベルの強くて微妙なる波動を発しているので、今生において最良の人生を歩んでいくことが保証されます。

どんな人も自分が波動を発しますと、その波動は必ずある対象物に当たって再び戻ってきます。

低い次元のヴァイブレーション(例えば、憎しみ、嫉妬、苦しみ、痛み、不幸、不満、不完全・・・・・)を発すると、その波動は必ず対象物に当って再び自分のところへ戻ってきます。

それは法則です。

自分が常に不幸だと思っている人、悩みみが多いと信じている人、病気や悲しみが続く人は自分のヴァイブレーションが低く粗いのです。

ですから、自分のヴァイブレーションを高め上げれば、それらの否定的ヴァイブレーション(憎しみ、苦悩、不幸、悲しみ・・・・)の領域に入り込まないで済み、その結果、少しずつ自分の生活や人生が安定し善いほうへ、幸せなほうへ、楽しいほうへと導かれ、展開してゆくのです。


そのためには、自分の発するヴァイブレーションを常に高次元レベルへと高め上げる努力をしなければなりません。

その方法こそ世界平和の祈りと印です。

これをしている人々は、必ず自分のヴァイブレーションが高め上げられていっているのです。

そして自分の発するヴァイブレーションが高次元レベルの神域に達し、また再び自分のところに戻ってくる、その法則から言いますと、自分の人生は無限なる幸せ、無限なる健康、無限なる発展、無限なる生命そのものになることは間違いのない事実です。

なぜならば、神域とは神々の世界であり、神々の世界には一切の否定的姿、形、物、現象が存在せず、無限なる愛、無限なる幸せ、無限なる歓喜、無限なる健康そのものなので、当然と言えば当然なのです。






微妙な波動と粗雑な波動との違い


 

ヴァイブレーションについてもう少し詳しく説明してみましょう。

ヴァイブレーションが低いよりは高い次元のほうが勿論よいことは言わずもがなのことです。

と同時に、荒く粗雑なものよりは細かく微妙なほうがどれほどよいか計り知れません。

微妙な波動を発している人は、未然にいかなる不幸も事故も病気も最小限に防ぐことが出来ます。

あるいは、そのような現象が生じる前に、直観的に全く何事もなく防ぐことも可能なわけです。


譬えて言いますと、漫画がとてもよい例です。


ディズニーの動物アニメ(漫画)のように、常に優れた最高の作品は、観客に感動と感激をもたらしてくれます。

画面の美しさ、リアリティー、迫力、正確さ、細かい微妙なところまで行き届いた神経、観察力は傑出しています。

現実との区別がつかないくらい素晴らしいものです。

それに比べて三流、または低いレベルの映画会社が作り出す映画は、同じ動物のアニメであっても余りの違いに驚くばかりです。


ディズニーが描くアニメは、ライオンの物語にしても、そのライオンの動く動作、表情、獲物をとる時の緊張感、獲物を見つけた瞬間、目的達成のためにすべての神経、エネルギーを集中してほえながら飛びかかってゆくその雄々しい姿・・・・・・・等、一つ一つの動作が実に細かく微妙なのです。

それは一コマ一コマの描写が動作をわずかに変化させただけのものだからです。

ライオンが獲物を見つけ、獲物を目がけて一気に飛びかかってゆくその瞬間、その時の口の開く様子、口の筋肉、牙のむき出し方、口だけではなく、髭の揺れ方、鼻の周辺、目の色、輝き、目の開き具合、目の力と焦点、皺のより方・・・・・・等、ライオンの一瞬の出来事を何百コマに描きつづけるのです。

そして、その何百のコマを映写することによって、ライオンが獲物を見つけ飛びかかってゆく瞬間が実に見事に映し出され、あたかも本物そっくりのリアリティーに迫るのです。

これこそ粗い波動ではなく、細かい微妙な波動と言えます。

要するに一瞬の間にたくさんの情報(コマ)が入っているのです。

ところが引くレベルのフィルムになりますと、ライオンが飛びかかる瞬間は、二コマか三コマの動作で終りにしてしまいます。

最初の一コマはライオンが土を蹴り、宙に舞い上がる瞬間。

二つ目はライオンが大きな口を開き切っているところです。

そして三つ目はライオンがもう獲物をくわえている動作です。

これは荒々しい粗雑な波動としか言えません。

このように、二つのフィルムは、ライオンが同じ獲物をくわえるまでの動作に関して、微妙なヴァイブレーションと粗々しいヴァイブレーションとの差を示しています。

その違いに驚きを禁じ得ないのです。

微妙なヴァイブレーションには、一瞬の出来事に百コマ以上の微妙な動き、変化、権威、集中、輝き、感情、威厳、周りの風景、他との関係等の情報がたくさん盛り込まれております。


ヴァイブレーションが細かく微妙なほど現実的にすべての状況を適格に判断できるのです。


ヴァイブレーションが荒く粗雑ですと、動作のみに終り、周りの状況を把えることが出来ません。


なぜ、我々にとっても細かい微妙な波動がよいのか、もっとわかりやすいように、我々の日常生活を通して例を挙げてみましょう。




                  つづく





      
          「次元上昇」 西園寺昌美 白光出版










感想


私たちの周りには気配りの出来る人がいます。

そして気がつき過ぎる人もいる。(笑)

それは全体を観ているか、どこかに部分的に集中し過ぎているかの違いだと思うのです。

全体を観ている人は全体の調和を考える

だからその動きが自然でその後の全体の流れを善くする

しかし何かに捉われてこだわっている人は

自分中心に場面を見ているのです。

だから

「そんなことどうでもいいのに・・・・」

ということになります。

波動が細かくなるというのは

調和を保つためのものなのです。

みんなが気持ち良く過ごしていく為のものなのです。

私がしている調和波動気功法

そのものですね。(笑)

すいません

自画自賛してしまいました。わーい(嬉しい顔)








追伸

ご自分の発しているヴァイブレーション(波動)がどんなものなのか?

自分の波動を知るということは自分を知るということです。

オーラ・オーラはオーラ写真を撮るだけでなく、これからの未来をどうしていけばいいのかを指導してくださるところなのです。

こんなところは世界中探してもどこにもありません。

興味のある方は是非、いらしてみてください。

 
 http://auraaura7.com/


 

    

2010年12月19日 (日)

ヴァイブレーション(波動)について 2

  

   
 
自分と相手の波長が違う場合



親子であれ、夫婦であれ、兄弟姉妹であれ、いかなる関係であるにせよ、人の自由を縛ることは絶対に許されるべきことではありません。

なぜそういうことが起こるかと言いますと、もともとは自分自身が自らの存在価値を無視したり、自分の能力を否定したり、自分の崇高さや自分の尊さを見失ってしまったために生じているのです。

自分の意識レベルが低く重く鈍感で否定的であるため、相手に対しても自分と同じことを強いるのです。

なぜならば、自分の心が信頼できず不安でならないからです。

自分が他との遊離を恐れるあまり、相手を強制的に自分と同じ波長にすることによってそこに一時的にしろ安定感が生ずるのです。

このように人間は、常に自分と波長の似通っている人と関わっていないと、孤独感や挫折感、敗北感を味わい、生きてはいられないのです。

そのため、自分のヴァイブレーションと違う人に出会うと、お互いが無意識に反発し合ったり、抵抗し合ったり、拒絶し合ったりして、不安定な雰囲気や場をつくり出してゆくのであります。

昔からのことわざで “類は友を呼ぶ” “朱に交われば赤くなる” と言われておりますが、全く真理をついているのです。

人間は自分が相手と共通のヴァイブレーションを持っているのを感じて安心するのです。

そのため、異なったヴァイブレーションの人とは、なかなか親しくなれなかったり、閉鎖的になったり、オープン・マインドで接することが出来ないのです。

お互いが余りにも極端にヴァイブレーションが違った場合には無視を装います。

お互いの意識がずれて相反するばかりだからです。

人間は、自分と異なったヴァイブレーションの人といると、必ずどちらか強い人が相手のヴァイブレーションにモーションをかけて自分のレベルまで引き下げようとしたり、あるいは引き上げようとしたりします。

そして、どちらか一方が無意識に自分のエネルギーを相手に奪い取られてしまうのです。

相手も知らないうちに奪い取っているのです。

そのため、この二人の関係は緊張し、不調和な状態を生み出します。

そして奪い取ったほうは相手より優位な立場に立ち、なぜか相手に対して勝ち誇ったような態度に出るのです。

このように、お互いのヴァイブレーションによって、人間関係はいかようにも変わってゆきます。





 
ヴァイブレーションの高い人・低い人
 



ヴァイブレーションと一口に言っても様々なレベルがあります。

最も一般に判りやすく大別すると、ヴァイブレーションには 高━低、強━弱、粗━細 があります。

その他にも様々な段階、働きが存在していますが、それは専門的分野に入りますので、ここでは省きます。

ヴァイブレーションが高い人は、宇宙の他のすべての存在と一体となることが出来ます。

自らの放つヴァイブレーションを自由に上げたり下げたりして常にいかなるものにも逆らわず、すべてを在るがままに抱擁し調和させてゆくのです。

常に無限なる愛を相手に放ちつづけているのです。

ヴァイブレーションの高い人は、自分の人生の上に悪いこと、苦しむこと、不幸なこと等一切の否定的な現象が生じないのです。

いやヴァイブレーションが高いため、他のいかなる低次元レベルの否定的業想念波動を自らに引きつけないのです。


こういったレベルの人々とは、究極の真理を知り得ている人であり、世界平和の祈りを祈り、印を組みつづけている人たちであります。

彼らは皆、無意識のうちにこの高いヴァイブレーションを放出しているのです。

そして彼らはついには超意識レベルまで達し、自ら神人としての姿を顕現してゆくのです。

世界平和の祈りを祈り、印を組みつづける人たちは一人残らずこの域に達するのです。

これは五井先生によって約束されていることです。


高いヴァイブレーションを発している人々とは、常に “我即神也”“人類即神也” の究極の真理を理解し実行している人たちです。

そのため、いかなる人々に対しても差別することもなく愛をもって平等に接することが出来るのです。

なぜなら、人類はすべて神そのものであるということを知っているからです。

自分たちの目に映る人々の表面的な状態が貧乏、苦悩、失敗、不幸、病であったにせよ、彼らに対して差別や軽蔑、哀れみ等といったような特別な目で見ることは決してないのです。

また、天才、秀才、成功者、有識者といった、この世的に自分たちよりも優れた人たちであったにせよ、彼らに対してへりくだったり、おもねったり、特別に崇拝したりはしません。

現象的な差異で判断するのではなく、もっと深いところで真理そのものを基準にして見ているのです。

そのため、人類一人一人がいかなる姿形、いかなる態度で生きていても、今現われている在るがままの姿を受容し、人類即神也に至るまでのプロセスとして認識しているのです。

高次元ヴァイブレーションの人たちは低次元ヴァイブレーションの人たちよりは自由に気楽に生きています。

しかも自分たちの欲するものは次々と手に入り、欠けたるもの、不足なるものが何一つなく平安な安定した日々を送っています。

これは高次元レベルの人々の日常の生活であります。

なぜならば、彼らは自分の内にある無限なる創造力を大いに発揮し無限なる叡智、無限なる能力、無限なる直観を働かせ、自由自在に生きられるからです。

ところが低次元レベルに属する人々は自分のヴァイブレーション・レベルに必死にしがみついて生きているのです。

自分の固定観念に縛られ、自由に生きられないのです。

常に自分と気楽に付き合える仲間と共に過ごすことによって自分に安定感を求めているのです。

自分を高め上げることに対して、また、自分が変わることに対して不安を抱いているのです。

自分より高い次元に生きている人々を見ては羨ましくもあり、彼らと付き合いたい、彼らの世界に溶け込みたいと思い、自分を高め上げることを望むのですが、なぜか自分で自分を規制してしまうのです。

皆、今の自分を変えることに用心深く、自分を必要以上に守り過ぎているのです。

自分が変わることに一種の恐怖を感じるのです。

今までの自分なりに築き上げてきた安定した家庭、グループ、社会から離れることが恐ろしいのです。

異なったヴァイブレーションに対して抵抗を感じるのです。

それは、自分の凝り固まった思考、感情、仕事、肉体に執着し、今の安定した状態を手放したらもっと低いレベルに落ち込むのではないかという不安恐怖から来ているのです。



                
つづく



      「次元上昇」 西園寺昌美 白光出版






感想

  ヴァイブレーション(波動)について 2を読まれていて、確かにそうだと納得する部分と本当のことだろうけど結構痛烈だなぁと感じられる部分があると思います。

私も書き写していてマイナスに受取ってしまいそうな箇所もありました。

しかし当り障りのないことを羅列してもプラスのことばかりを書いても

それでいいのか?という疑問もあったのです。

包み込むような愛もあれば、ハッとするような厳しい愛もある。

昌美先生はあえて憎まれ役をされているのだと思います。

しかし、厳しいばかりではない。

この後の包み込むような愛にご期待ください。
わーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)


    
   

ヴァイブレーション(波動)について 1

  

  
みなさんは波動と言葉を聞かれたことがあると思います。

「あの人は波動が良い」

「素晴らしい波動だ!」

とか言いますが

ほとんどの人はその実態はわかっていません。

宇宙は波動で出来ています。

すべては波動で出来ている

私たちの肉体も心も

そして死んでからも(肉体が無くなってからも)

ヴァイブレーション(波動)は永遠に生きつづけるのです。


では、いったい波動とは何なのか?

読んでいてわからない部分が出てくるかもしれません。(絵図面など)

その部分は読み流して先に進んで行ってください。(後日わかるようになると思います)





 
 
ヴァイブレーションについて


宇宙はすべて波動で成り立っている


私はよくヴァイブレーション(波動)という語を使います。

三十数年前、五井先生と共に宇宙子波動物理学を始めた時、この宇宙はすべて波動から成り立っているという原理を教わりました。

宇宙子科学の大絵図面に最初に最初に宇宙神より天地を貫いて響いてきたものがヴァイブレーション(波動)であったのです。

そのヴァイブレーションは、宇宙神から直接、絵図面に降ろされ、その降ろされた部分は、絵図面の中心点となり、現実にすべてのものを生み出すエネルギーのスポットとして、今でも神域となっています。

特別に許された者以外、その中心に立つことも、触れることさえも出来ません。

なぜならば、三十数年経った今でも、絵図面の中心点は、宇宙神と直接に交流し、物凄いエネルギーを今生に放ちつづけ、偉大なる働きを為しているからです。

この中心から七つの異なった波動に分れ、その一つ一つほ波動はさらに七つずつの波動に枝分かれしてゆきます。

そしてその波動は様々な異なった波動となって、大いなる宇宙の法則もとに結びついたり離れたりし、その過程において、新しい波動を創造し、この地球上を大進化、大調和させているのであります。

この宇宙子科学の絵図面は、一般の目から見れば、ただの紙の上に描かれた数式であり、幾何学模様であり、図面ですが、その奥に究極の無限なるエネルギーが蔵された、宇宙神そのものの働きなのです。

この絵図面は、今生において、宇宙神と時間、空間を超えて直結する唯一の場であり、宇宙神が直接、働かれる場でもあるわけです。

私は三十数年も前からこの地球上を構成しているすべてのものは波動から成り立っていることを知っていました。

この肉体も動物も植物も水も空気もこの世に存在する生きとし生けるものすべては、究極は波動なのです。

ですから、人類は他のものと決して遊離しているものではなく、すべてのものと全く一つに結ばれているのです。

人類は無限なる創造の過程において、先程も述べましたように、あらゆる波動と結びあったり(融合)、離れたり(遊離)、混ざり合ったり(混合)して自分独自の波動を創り上げているものなのです。

この世に起きるあらゆる現象もすべて波動として把えてゆきますと、よく理解できるし、納得できるのです。






他との一体感と遊離




人類は皆一人ずつ波動が異なっています。

誰一人同じ波動ではありません。

指紋と同じです。

似通った波動は存在するかも知れませんが、それでも同じであることは決して有り得ません。

宇宙は無限であり、すべては一体であり、神聖であります。

その上、宇宙は意識に満ち溢れ、存在するすべてのものはそれ自身が完璧であり、調和し、愛そのものであります。

我々が発したり、表わすすべての想念、言葉、行為は、我々がどんな世界に住み、どんな人生を送るかを決定づけるものです。

我々が他のすべての存在を包み込み、すべてのものに抵抗せず、また遊離せず、常に一体感を感ずる愛の波動を放っているのであれば、我々は一切迷いのない、幸せで平安で自由な一生を送れるのです。

だが、そのような状態に至るのはまれでして、多くの人々は、あらゆるものに対して抵抗したり、差別したり、反発したり、拒絶したりして、一体感とはほど遠い生き方をしているのが現状であります。

なぜ我々は他との一体感を持てないのでしょうか。

それは、我々の意識が自分のことのみに執着し把われているからです。

我々の意識がもっともっと広がり、愛に満ち溢れていたならば、いかなるものとも相反せず、対立せず、調和してゆけるものなのです。

自らの愛が広がるほど、自らの人生は大きく変わって安定してゆきます。

すべての固定観念を捨てて、執着もこだわりも捨てて、自分の欲することを思い切って自由自在に為しつづけてゆくならば、そこに自ずと他との一体感が芽生えてくるのです。

自分自身が自分そのものに執着し把われるほど、本来の自由性は失われてゆきます。

自由を失えば、他との遊離が始まります。

まず自分自身がすべての事や物から自由になってこそ、相手の自由を縛らず、相手の自由を尊重し認めることが出来るのです。

相手に対して何かを押しつけたり強制したりして相手の自由を縛ることは、もうそこにお互いの一体感が失われ、遊離の状態へと追い込んでいっているのであります。



                   つづく




   
         「次元上昇」 西園寺昌美 白光出版




   



次元上昇(アセンション)とは?

  
  
もうすぐアセンションがやって来ます。

宇宙の法則として地球が高い次元の星に生まれ変わるのです。

人間の意識もそれと同時に次元上昇します。

肉体意識から宇宙意識、神意識へと移行するのです。

これが何を意味するのかというと

自分は何者であるのか?

本当の自分はどこに居て、どこに行こうとしているのか?

そのためには今どうすればいいのか がはっきりとわかるということです。

今までの私たちは自分が何者であるのかがわからずに生きていた。

無意識に生きて来たのです。

それでは何の目的もなく生きているのと同じです。

小さな目的を持てたとしても

「何かが違う」 と必ずどこかで思っていたのです。

私たちが地球に生れたのはどういう意味があるのか?

肉体を持っているとはどういうことなのか?

それがわかって初めて次元上昇の準備が整うのです。


次元上昇とは “意識上昇” のことなのです。





 
 

本当の自分を知るための人生
 

 

多くの人々はみな、本当の自分というものを知りません。

自分が何者であるかを知らないで生きています。

本当の自分を知ることに怠惰です。

いや知ろうとする心がないのです。

自分の人生を創造してゆく上には本当の自分とは何かをまず知らなければならないのに、それを知ろうともしません。

みな無意識に生きてしまっています。

一番重要で、かつまた最も尊いことは、今生に未だ自分の生命が存在しているという事実です。

自分が誰からも否定されつづけている者ではないということです。

自分の心が自分を否定しつづけているだけです。

もし、否定されているのなら、もうとうに滅びているからです。

自分の生命が存在しているというこの事実は、今生に生きる生きとし生けるものすべてのものから迎え入れられ、祝福されて生きているということなのです。

それは確かなことなのです。

だが残念なことに、本人がその厳然たる事実に気がついていないだけのことです。

自分一人の生命の存在の偉大さは計り知れないものです。

それほどに尊いのです。

存在価値が大なのです。

それを解らずして自分勝手に自分を虐待しつづけたり、酷使しつづけたり、否定しつづけるとは、なんたることでしょうか。

自分自身を知らないのもいい加減にしろ、と言いたくなります。

自分とは “我即神也” です。

神に限りなく近づいて、ついには神そのものを創造してゆくのが今生の人生です。

自分の知らない自己になることなど有り得ません。

神そのものの人生ならば、不幸も病気も苦悩も挫折も失敗もすべては神に至るまでのプロセスです。

経験によって本当の自分自身を知ってゆくのです。

本当の自分、我即神也を知るための人生なのです。



問題は、自分の人生の道を意識的に歩むか、それとも無意識のうちに歩むか、の違いです。

はっきりと真理を理解し目を見開いて進むか、あるいは眠ったままの状態で進むかのどちらかです。

それによって、自分の経験の原因となるか、それとも結果となるかです。

多くの人々は今まで経験の結果として人生を歩んできました。

これからは経験の原因となって人生を歩んでゆくのです。

否定的想念はすべて目覚めないままの経験の結果です。

これからは光明思想に徹し、経験の原因として人生を輝かしく生きてゆくのです。

蒔く種子が輝かしい光明そのものであれば、人生のプロセスとして素晴らしい結果が引きつけらてきます。


“必ずよくなる。絶対によくなる。幸せになること間違いない。病気も心が変われば必ず癒される。失敗など自分は恐れてはいない。失敗を通してより飛躍が出来る。絶対に成功する。もっともっと出来る。すべては可能だ。わが内に無限なる能力が絶対にある。幸せになってやる・・・・・”


といった思考は、意識的に素晴らしいものを生み出してゆく思考です。

それは、意識的に生きるということ、真理に目覚めて生きるということです。

これこそ最高の生き方であります。


眠ったままでは、今までの過去の経験の結果となります。


否定的想念の繰り返しです。


人間は本当の自分になるために生きつづけるのです。

本当の自分とは、我即神也そのものです。

それに向かって人生を歩み、努力し、前進しつづけてゆくのです。

本当の自分が解らずして、何に向かって生きてゆこうとするのか。

他人の真似をして生きるからこそ、本当の自分が永遠に現われてこないのです。

本当の自分を探しつづけることとは、我即神也以外にありません。

我即神也そのものに向かって努力し、自らを磨き高め上げてゆくならば、そのプロセスにおいて、喜びも幸せも成功も繁栄も健康も手にしてゆけます。


だが、本当の自分が何であるか判らないまま、無我夢中で人生を歩みつづけてゆくならば、苦痛や敗北や失敗や挫折や破壊や病気が自分に降りかかってきます。

真理を知って生きてゆくことがいかに尊く大事であるかがお解りいただけたと思います。






      「次元上昇」  西園寺昌美  白光出版








 

追伸


私は今まで主に五井先生のご著書を読んで来たのですが、最近于先生から

西園寺昌美先生の 「今何を信じるか?」 「人生はよくなる」のご著書を薦められて読むようになりました。

読んでいくと私の心にビンビンに響いて来るのです。

10年も前に書かれた本ですが、今まさに私たちに必要なことがちりばめられているのです。

ズバリ本当のことが書いてあります。

生きる指針書です。

みなさんも是非、読まれてみてください。


他に  「我即神也」 「教育の原点」 「あなたは世界を変えられる」 もお薦めです。本 わーい(嬉しい顔)




   

  

2010年12月17日 (金)

ある女性の苛酷な運命

  
  
  
ある女性の苛酷な運命


 
人間のあらゆる人生には意味がある。どんな悲惨な状況、どんな苦難の状況、どんな過酷な状況とも、それでも生きる価値がある。

それでも未来に可能性がある。そしてそれでもなお、生きる意味があるのである。

その女性は、ある戦争によって難民となった。難民となったというだけでも、どれだけその女性にとっては辛く悲惨であったことか。

今まで働いて蓄えておいた財産をはじめ、すべてのものを失った。

そして寝る場所も水も食べ物も十分ではないキャンプ生活を強いられ、自由を束縛され、ただ他からの救援に頼らなければならない生活が始まったのである。

苦境の中で、さらに過酷な状況が彼女を襲った。

それはレイプされたのである。その二重の責め苦の上に、もう一つの苦が覆い被さった。

彼女はエイズに冒されてしまったのである。

想像を絶するような状況、苦難を背負って生きなければならない人生。

他と比べ、自分のみに与えられた絶望的な苦悩。

そのような状況では、誰もみな自暴自棄(じぼうじき)に陥るであろう。

生きる希望も全く失ってしまうであろう。

自分の人生に何の意味があるのか、そう自問自答することであろう。

それでもなお、人間には生きる意味がある。

自分に与えられた、自分のみの人生があるのである。

戦争、難民、レイプ、エイズ。

外側の現象面から見たら、その状況はまさに救われ難き混乱状態に陥っているというよりほかない。

だが、私はテレビで語るその女性の崇高なまでに美しい姿を目に焼きつけた。

なぜ彼女はそれだけの苦難がありながら、あのように美しく気高い心境へと自らを導けたのであろうか。

私もここで、彼女を通して人間の生き方というものを深く見つめてみたいと思う。





 

現状を直視し、内面を見つめる




人間には二通りの生き方がある。 


一つは悲惨な状況に追い込まれると、他を恨み、政治を恨み、環境を恨み、攻撃的になり、怒りと憎しみと絶望にかられ、自らもどん底に陥ってしまう生き方。


もう一つは悲惨な状況にありながらも、日々を重ねるうちに自らの内側に入ってゆき、自らの内面を見つめるよう自然に導かれてゆく生き方である。


その時、内面を見つめてゆくと、これまでに全く気づかなかったこと、こうした状況に置かれなければ一生気づくこともなかったであろう真実に目覚めてゆく。



それは外側の現象面を、逃げることなく真正面から直視しようとする、別面の自分が存在しているということである。



そして、そこから生きようという力、このような状況のままであってはならない、何とかしてここから新しい生き方を見出そうという生命力が湧き出てくるのである。

人によっては、内面を見つめ、探求しようともしないで人生を閉じてしまうこともある。

それが大半であろう。


現象のみを見て、自分の人生を恨み、嘆き悲しいで生きる人々は多い。


「生老病死」 という仏陀(お釈迦さま)の言葉がある。


生、老い、病気、死は、自分ではどうにもならない人生の苦しみと言われているが、しかし、それらを通してもう一面の自分に気づくという生き方、自ら内面を探求して真実に気づき、目覚めてゆくという生き方も同時に存在するのである。


「生老病死」も受け取り方によっては、苦しみではなく、自らの現状を直視することによって真理に目覚めてゆく、そのような人もいるのである。






自己救済のへの道 ━  人のために人生を捧げる





世界には、二通りの人々が存在する。

一方は一生現象面のみに執着し、他人の一挙手一投足に一喜一憂し、真理に目覚めないまま、ネガティブな人生を閉じる人々。

もう一方は現象面の苦しみを通して、次第に内面に向かって人生の意味を探求しはじめ、真理に気づき、目覚めてゆく人々。

二十一世紀には、この真理に気づき、目覚めてゆく人々が大半を占めてゆくようになるであろう。


このように、いかなる人生にも必ず意味があるのである。

意味のない人生などないのである。

ゆえに、先の女性は自らの内面と向き合うことで深い気づきを得、ついには自らの人生の意味に気づいたのである。

彼女はどんな苦難にも打ち克ってゆく、究極の真理に到達したに違いないのである。

自分の過酷な人生のみに意識を把われず、自分よりももっと悲惨な人たちのために自分を役立たせていこうと決意した時に、その気づきが始まったのであろうと私は推察するのである。

自らの人生に執着しないで生きるということは大変難しいことであるが、人のために自らを生かすことによって、生きる意味を見出してゆこうという生き方がある。

同じ難民キャンプに、自分よりももっと悲惨な人たちがいると考えた時、そして実際にその姿を見た時に、彼女の意識は変わったのであろう。

両親を失い、誰からも愛されずに放り出された赤ちゃんや、幼い子どもたちや、病気のこどもたち・・・・・・・・その姿を見た瞬間、彼女は自分よりももっともっと生きるのが大変な子どもたちが存在していることに気づき、そうした子どもたちの母親になろうと思ったのであろう。


自らの三重苦、四重苦の責め苦から救われてゆくためには、自分よりももっともっと悲惨な人たちのために、自分の人生を役立たせ、そのために人生を捧げるのである。


それによって、自分は過去から救われてゆく。


過去の苦しみから癒されてゆく。


それは他から与えられた救済ではなく、自らの内面によって切り開かれていった救済である。

私はこの一人の女性の生き方を通して、人生について考えさせられた。

人はみな、いかなる状況にあろうとも、生きよう、自分を見出そうという意識が大切なのである。

そして自分は何のためにここに存在しているのか、そのことに思い至った時、初めて自分の意識は自分の内面へと向かってゆく。


そして真理の究極に出合うのである。






自他の天命まっとうのために





未だ人類の大半は、悲惨な状況に遭った時に自分の人生を呪い、悲しみ、嘆き、そして他に怒りを向け、他に依存して生きる人々である。

だが、そのような時こそ、ただ他に依存するだけではなく、彼女のように自分を見つめることが重要なのである。

そして、自分に生きる価値がある、未来がある、可能性があると気づいた時、どんな状況の中でも自分を崇高に神々しく生かせるのである。


また、悲惨な状況に遭った人を救済する側においても、ただテントを与えればいい、食べ物を与えればいいというような安易な救済では、本来の人間の生き方をまっとうさせることは出来ないのである。


しかし、救済される側も最後には、彼女と同じように自らの内面に気づき、目覚めてゆく生き方に次元上昇していくのである。

だからこそ、人間はどんな状況にあろうとも、生きる価値があるのである。

そしてどんな人生にも意味があるのである。

目的のない人生などはないのである。

そう思うと、究極の真理に出合い、自分の存在価値を認めさせることが出来、人から必要とされている生き方が出来る私たちは、そのような自分自身に誇りを持ち、死ぬ瞬間まで人類のために捧げ尽くしてゆきたいと思うのである。




世界人類が平和でありますように

人類即神也








    
        白光誌 12月号より  西園寺昌美





 


感想


説明文もなくいきなり本文から入ったのですが、素晴らしい内容はみなさんに十分伝わったことと思います。

現象面で何かの試練があったとき、エネルギーを外に向けるか、自分の心の内面に向けるかによって人生が悲惨なものとして終わってしまうか(無限なる光)

素晴らしいものになるかが分かれるのです。

私たちは、今の時期ほど勇気を持って心の奥底に入っていくことが大切だと思います。

西園寺昌美先生の文章を書き写している間にふと気づくことがありました。


于先生のご著書で “無限なる癒し” があります。

この本は2冊目なのですが私たちハーモニー(于先生の生徒たち)が本の出版に際し本の推薦文を書きました。


そこにはハーモニーの人たち(80人余り)が苦難、試練、体験したことを外に向けずに内に向けて于先生、そして真理につながったという経緯が書かれているのです。


みなさんの今の状況と似通った人がこの本の中に必ず出てくると思うのです。

同じような体験をされていると思うのです。

そしてそこにはこれから自分はどうして行きたいのかという“決意” が書かれています。

そして、今の自分から抜け出すためには “勇気” が必要です。

勇気とは、本当の自分に出逢った瞬間(とき)に内から湧き出て来るものなのです。

ハーモニーの人たちのいう勇気とはどういうことなのか?

それも“無限なる勇気” の本に書かれています。

これらの本は、人類が次元上昇していくための

バイブルになると私は確信しているのです。





1冊目  調和波動気功法 于寿明 三晃書房

2冊目  無限なる癒し 于寿明 星湖舎  (以下出版社は同じです)

3冊目  無限次元への誘い  

4冊目  無限なる幸せを体得する方法  

5冊目  無限なる勇気  




電子書籍は

wookという出版社です。

本の名前で検索すると出てきます。


http://my.wook.jp/

 
  于寿明書籍販売ページ



http://utoshiaki.wook.jp/





  



  

2010年12月16日 (木)

結果が大切なのか、プロセスが大切なのか?

  
   
  

「結果が出なければなんの意味もない」

という考えもあるようですが、私は結果に関係なくプロセスに意味があると思っています。

何かの行為をしてそれが自分が感動するものであってその感動が相手に伝わるものでないのならば、それ以外の行為はあまり意味のないものではないのかと思うのです。

人は人の一生懸命な姿に感動します。

その感動が目に見えないエネルギーを動かして成功や奇蹟を生む。

だから結果とは一生懸命にやったプロセスの成果だと思うのです。

結果が出なかったり勝負事で負けたとしたのなら

その精度がまだ足らなかったということです。

あるいは時期でなかったのかもしれない。

そこで又、改善していけばいい

そう思います。

今朝、日経新聞を読んでいて汗を流して働くことの尊さを語っている広告を見つけました。

なにか感動してしまいました。涙

シンプルだけどいい文章でした。

働くことの素晴らしさってこういうことなんですよね。




 




   汗水の価値。


成果、結果が重視されるようになって久しい。

もちろん成果も大事。だけど汗水流して取り組むこと、

もっと褒めてもいいんじゃないだろうか?

スマートに効率よく、とにかく成果を出すことばかりが求められる社会って、なんだかさびしい。

たとえ結果が同じでも、そこの至る過程でどれだけ汗水流したかを大事にしてくれる国って案外多い。

ドライと言われる外国でも。

  日本では?

汗水の価値が薄れてきているかもしれない。


「一生懸命」 「愚直」  「ひたむき」


それでも、私たち住友商事は、汗水流す人や企業と一緒に今日も進んでいきたい。

そこにこそ


  ドラマがあるから。





  

       12月16日(木)日経新聞より




  

2010年12月15日 (水)

一番いい精神状態とは?

  
  
      
私たちの頭の中には絶えず何かが入っています。

心配事

どうにもならないこと

お金のこと

家族のこと

人間関係のこと

仕事のこと

プライベートなこと

・・・・・・・・・・・・・・

そして頭に何も浮かばなければ、探します。

そしてほとんどの場合

マイナスなことを探しているのです。

頭が空っぽで何も考えていないのが不安なのです。

頭も忙しくしていないとボーッとしているようで落ち着かない。


しかし人間の正常な平常心のとき不動心のときとは

頭の中は停止しています。

雲一つない空のような状態です。

なんらひっかかるものもない

思い煩うものもない


自分を取り巻く状況が大変なときであったとしても

心はあの青空のようにいつもすっきりしている わーい(嬉しい顔) ぴかぴか(新しい)


お釈迦さまのおっしゃる

空 の状態

キリスト様のおっしゃっている

幼子のような状態

老子様の

無為に為せ(何々の為にしようとするな)の状態


そうでないと天に居る自分からのメッセージが


ストレートに伝わって来ないのです。 mail to 電球


私たちは、どうにもならないことを


ああだこうだと考えているから


頭という空を感情という雲で曇らせているのです。


何も頭に浮かんでこないことがどれだけ素晴らしいかがわかります。


その状態にするにはどうしたらいいか?

それは小我の自分を大我の自分に入れてしまうのです。

肉体波動の自分を無限の大きさのある宇宙の波動に入れてしまうのです。

そのメソッドが世界平和の祈りを祈ること、印を組むということなのです。






世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



  


足るを知る

  
  
  
昨日の話の続きですが、私たちは物質的なことと精神的な充足を求めています。

しかし物質的な満足感は、満たされることはありません。

車でも、家でももっと大きいもの広いものを求めるからです。

精神的なことでも同じです。

何の心配事もない、スッキリ爽やかな心理状態のときなどないと思います。

つまり人間とは、何かを欲しているときや何かを求めているときは心が安定することはないのです。


幸せを感じることはないのです。(一時的な幸せ感はあっても)


しかし、今の状況がどんな状態であろうと感謝と愛の心で溢れている人は、どんなにたくさんのお金を持っている人よりも富んだ人なのです。


老子の有名な言葉で

“足るを知る”

大昔の教えなのですが

現代の今でも充分に響く言霊です。

真理の言霊は時空を超えているので色あせることはありません。

五井先生の 「老子講義」 から抜粋します。





 

足ることを知る者は富めり。



この言葉は、よく云われる言葉なのですが、人間の欲望というものには限りがありませんで、金が出来れば地位が欲しくなり、地位が高くなれば、もっと高くなりたくなり、最高の地位につけば、いつまでもその地位に止まりたいと、種々権謀術策をして、心の休まる暇がありません。

ですから、足るを知るということは、実に大事なことだと思うのです。

どんなに貧しい生活をしていても、その貧の中で満足して、心を休んじていられる人は、富んでいるも同じ心の余裕というものがあります。

安心立命していられます。

想念を常に物質世界の中に置かずに、神のみ心の中に入れきっている人は、如何なる環境にいても、足ることを知る人であり、心富める者なのであります。

何故なれば、神は無限の富者であるからです。




   
           「老子講義」 五井昌久 白光出版









感想


“足るを知る”

“平凡なのが一番”


私には同じことを言っているのだと思えるのです。



   
     

2010年12月14日 (火)

平凡が一番!

  
  
  
今日、于先生のレッスンがありました。

先生はいつも私の家族のことを気にかけてくださっています。

「息子さんはどうですか?」

「奥さんのお仕事は順調ですか?」

お陰様で妻も息子も充実した日々を送っています。

息子は大阪を出て、東京の大学に行っているのですが

「良い先生、良い先輩、いい仲間に囲まれて学生生活が楽しい」と言っております。

「妻も失業してからその後、とてもいい職場に移ることができた」 と喜んでいます。

と申し上げると


「あなたは幸せですね」

と言って頂きました。

家族が幸せであることは私にとってももちろん幸せなことです。


しかし、私はそれだけでは満足はしていませんでした。


「なにかが足らないような気がする」

「もっと積極的になにかをしなければならないのではないのか?」

「このままの自分でいいのだろうか?」

そんなジレンマがあったのです。


そんな私に先生は最後に


「平凡なのが一番なんですよ」

「どれだけ仕事がうまくいっても、他のことがどれだけ満たされていたとしても家族がうまくいっていなければそれはなんにもならないのです」


「私はつくづく今、そう想っているんですよ」


とおっしゃったのです。


そのとき私は、ハッとしました。電球


そうか~平凡だと思われるようなことが実は一番難しいんだ


と気づいたのです。



「家庭がうまくやっていければどんなところでもやっていける」


と以前、聞いたことがありました。(でもそのことをすっかり忘れていました)


家族とは一番因縁生の深い間柄どうしが一緒に暮らしているのです。

前世で一番仲が悪かったり、仇、敵同士が夫婦になったり親子になったりします。

それは心の葛藤やぶつかり合いが多ければ多いほど魂が磨かれやすいからです。

一歩間違えれば殺傷事件になったり、離婚、勘当になる。(無限なる赦し)

それらの危機、修羅場を乗り越えてお互いに成長していく。

お互いを認め、赦し合っていく。

その延長線上に

「家族関係がうまくいっている」

という結果があるのです。

私は過去世や前世のことを書くことはあまり好きではありません。

今の原因をすべて過去世のせいにしやすいからです。

しかし、過去・現在・未来はあるのです。

宇宙には時空はないと言われています。

とすると過去世はないということになる。

しかし魂は日々成長しつづけています。

宇宙は進化し続けている、人間もしかりです。

私は人間の成長、進化のプロセスが過去・現在・未来なのだと思うのです。



平凡とは言葉ではたいしたインパクトはありませんが

実は凄い意味が含まれていると思うのです。

平凡とは、愛が完成されたという姿です。

次元を超えるということです。

バラバラに分かれていたものが一つに溶け合うということです。

これはアセンション(次元上昇)した姿なのです。




だから

「平凡が一番!」

なんですね。わーい(嬉しい顔)指でOK






世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  


  

日々の指針

  


  
1. 今日一日、出合う人すべてに感謝。 すべてに有難う。
 
  


1. 恐れとは信頼の欠如である。




1. 癒しの言葉、平和の心、愛の行為ほど尊いものはない。

 


1. 理屈は誰でもよく知っている。 ただ行なえないだけだ。(無限なる勇気)

 
 

1. 千々に思い乱さず短期間休め、祈れ。



 

1. この世に存在しているすべての宗教を批判すべきでは決してない。 人は皆その人に合ったレベルの宗教に引きつけられ、結ばれてゆくからである。


 

1. 我々は常に自分の心のレベルと同じレベルの人間や経験を引き寄せているのである。

ゆえに自分の人生上に生じてくるあらゆる出来事とのつながりを知らずして生きることは無知である。



   

 


         


                西園寺昌美




  

2010年12月13日 (月)

苦手意識

  
     
  
妻の高校時代の友だちから電話があって

「近くまで来ているから逢おう」

ということになりました。

その友だちはネットワークビジネスをやっていたのですが

「それとは関係なく逢いたい」

ということだったのだそうです。

でも行った場所では、関係者がたくさん居て

次々に商品を薦められた。

帰ってきた妻はうんざりした様子でした。

「そんなつもりではなかったのに・・・」

複雑だったようです。

そしてカタログを渡され、その後も何回か説明やパーティの誘いがありました。

妻は商品にも興味もなくその場の雰囲気が嫌だったので

断る言葉を探していました。

相手が傷つかずにそれでいてハッキリと意志表示をしたい

かなり悩んでいました。

こんなことって友だち関係だったらいくらでもありますよね。

ビジネスだけでなく宗教もあるし、何らかの趣味の誘いもある。

そこで問題にするのは、相手の態度です。

普通、相手を非難しがちです。

「私はそんなつもりでなかったのにあの人は自分のこと(利益)しか考えていない、どういうつもりなんだろう?友だちを誘うって」

たいがいそう想います。

そして知らず知らずのうちに相手が嫌いになってしまう。

でもそうでしょうか?

私は誘う側ではなく自分がしっかりとした意志を持っていればなんら関係ないと思うのです。

相手はどういうつもりで接して来たかは問題ではない。

相手の心の内なんて分析してもしかたがないと思うのです。

もしそれが自分が求めていたものであれば

「あのときに誘ってくれてありがとう」になります。

迷惑だと思っていれば

「とんでもない奴だ」 になるのです。

相手は同じことをしている。

受取り側の心境が違うだけでこれだけ相手に対する印象、評価が違ってくるのです。

だから相手の人(友だち)から何かの誘いがあったとしても

心を中立(ニュートラル)にして冷静に対応をした方がいいのです。

自分の心に問いかけてみて必要なものなのか?

必要でないものならば、感情をいれずに言葉少な目に、メールなら事務的でもいいと思うのです。

こんなとき、ついつい余計なことを言ったり書いたりしがちです。

でもあっさりしている方が後に残らない。

次に逢うときに自然体で逢える。

相手に苦手意識を持たないことだと思います。

仲の良かった友だちでも何かがあると苦手な、やっかいな奴になる。

相手を苦手だと思っているとそれは増幅されて

「嫌い!」に変わっていく

人間関係は余計なことをするともろくも崩れ去ってしまいます。

何事もあっさり、あっさりといきましょう♪


  

2010年12月12日 (日)

言葉の持つエネルギーについて

  
  
   
激しい感情、憤り、不満、批判、非難、恨み、憎しみ、怒りなどの否定的な言葉の波動は、破壊を生み出してゆく。

大自然を破壊し、人と人との関係を破壊し、かつまた自分自身をも破壊してゆく。

否定的想念のエネルギーは、自らの神経系に作用してゆく。

そして自らの激情は、自らの肉体を激しく抑圧し、肝臓や胆汁に影響を及ぼし、体内に毒素をつくり出してゆく。

不安、恐怖、悪い予感など、心配にまつわる想念波動は、自らの肉体を衰弱させ、活力の衰退を引き起こしたり、諸器官の機能を低下させ、病気に至らしめる。

また、悲しみ、絶望などの言葉の波動は自らを自己喪失へと追い詰め、自己不信、自己破壊へと導いてゆく。

そして、自分のみならず、家族や社会、ひいては国家、世界へと波及してゆく。





  
“人類は、日頃何気なく使っている一つ一つの言葉の積み重ねによって、病気になったり、事故に遭ったり、人との不仲や不調和に陥ったり、失敗や自己喪失などを繰り返し、徐々に自らの人生と世界の状況を狂わせてゆくのである”






しかし我々は、これらのいかなるマイナスの状況をも、必ず変容させることが出来るのである。

真なる言葉、聖なる言葉、光明なる言葉を使うことによって、自らの病も運命も、また世界の状況も同時に変えてゆくことが出来るのである。


法則は実に簡単、シンプルである。


常に真理の言葉を発しつづければよいのである。

それが出来ないと言う人は、自らの人生をその弱き意志により放棄したも同然である。

今日、人間は常に自分をチェックする必要がある。多くのものを追い求めるがあまり、物質や肉体のみに価値を置くようになると、欲望そのものや、また、欲するものが得られない時の不平不満、憤り、苦悩などにより、自らの心にマイナスの要因を引きつけてゆくからである。


人間は常に自分の心を神聖なるもの、完璧なるもの、神なるものへと向け、それを意識して生きるならば、マイナスの要因を引きつけることは絶対にない。

その崇高な意識を強化するのが祈りである。

それを行なうことによって、自分の意識が常に希望に燃え、可能性と理想を持って生きられるようになるのである。





 
           「今、何を信じるか?」 西園寺昌美 白光出版

 







追伸


言葉にはエネルギーがある

これを言霊(ことだま)と言います。

“言葉はすなわち神なりき”

なのです。

プラスの光明の言葉だけを使っていれば、マイナスとは絶対に共鳴しないのです。

宇宙は波動で出来ている、人間も動物も植物も鉱物も、空も海も、目に見えるものも、見えないものも

そして言葉ももちろんそうなのです。

私たちが発する言葉のエネルギーを、物凄い力でプラスに整えていくのが、光明思想徹底行なのです。

この言葉の中には宇宙のプラスの言葉(エネルギー)がすべて入っているのです。

含まれているのです。

一日10回唱えることにより、心の中から明るくなって来ます。

なんだか幸せな気持ちになって行きます。

私たちは魂を成長させるために地球に修行をしに来ました。

だから光明思想徹底行を唱えることはその修行の一つなのです。

修行というとなんか重いかな?(笑)

でも、心が明るく前向きになるのなら

修行だってなんだっていいですよね。わーい(嬉しい顔)




 



世界人類が平和でありますように

無限なる愛

無限なる調和

無限なる平和

無限なる光

無限なる力

無限なる叡智(えいち)

無限なるいのち

 

世界人類が平和でありますように

無限なる幸福(こうふく)

無限なる繁栄

無限なる富(とみ)

無限なる供給

無限なる成功

無限なる能力

無限なる可能性
 

 
世界人類が平和でありますように

無限なる健康

無限なる快活(かいかつ)

無限なるいやし

無限なる新鮮

無限なるさわやか

無限なる活力

無限なる希望
  

 
世界人類が平和でありますように

無限なる自由

無限なる創造

無限なるひろがり

無限なる大きさ

無限なる発展

無限なるエネルギー

無限なる感謝
 

 
世界人類が平和でありますように

無限なる喜び

無限なる美

無限なる若さ

無限なる善(ぜん)

無限なるまこと

無限なるきよらか

無限なる正しさ
 
 

世界人類が平和でありますように

無限なる勝利

無限なる勇気

無限なる進歩

無限なる向上

無限なる強さ

無限なる直感

無限なる無邪気


 
世界人類が平和でありますように

無限なるゆるし

無限なる栄光

無限なる気高さ

無限なる威厳

無限なる恵み

無限なる輝き

無限なる包容力

 
 



  

目にみえない浄まったエネルギーが本当の世界なのです。

 
  

“1000人の人にパンを配るより、ほんの一瞬でいいから冷静でいなさい”


 
はキリストのお言葉です。
 

これは目に見えないエネルギーがどれだけ大切かを示しています。

私たちは目に見えることにばかり意識がいっていて、心の中がどうなっているのかは2の次、3の次になっています。

しかし、心の中はいつかは表に現われてきます。

内にあるものは外に現われるからです。

今はその時間が早くなっています。

テレビを観ていても

「この人は、言葉では謝っているが本心ではないな!」

「なんか嘘っぽいな!」

ということが判ります。

それは内にあるエネルギーが画面を通して出ているからです。(エネルギーが濁っている、スッキリしていない)

これからはもっとそれが顕著にわかるようになる。

波動が敏感になるということは誤魔化しが利かないということです。


この人は本ものか(真剣に自分の本心に素直生きているか)、にせものか(誤魔化しで生きているか)

は見た目、理屈ではなく

直観でわかるようになるのです。

それは目にみえない世界が本ものではなく

エネルギー(波動)が本もの、本当の世界であるということです。

アセンション(次元上昇)とは嘘の世界から本ものの世界への脱皮です。

本ものの世界がやってくるのです。

審神(さにわ)が出来るようになるのです。(最近自分の直観が鋭くなっていると感じませんか?)

その前に、私たちは、直観力(インスピレーション)をもっと、もっと磨いていく必要があります。

いきなりそうはならないからです。

それが統一(宇宙と一体、神さまと一体となること)です。

自分の本心とつながるということです。

本心とつながれば、あらゆる迷いが無くなります。
 


正しい統一の仕方が于先生のご著書には書かれています。
 



「無限なる幸せを体得する方法」 于寿明 星湖舎



1冊目  調和波動気功法 于寿明 三晃書房

2冊目  無限なる癒し 于寿明 星湖舎 (以下同じです)

3冊目  無限次元への誘い  

4冊目  無限なる幸せを体得する方法  

5冊目  無限なる勇気  





電子書籍は

wookという出版社です。

本の名前で検索すると出てきます。


http://my.wook.jp/

 
  于寿明書籍販売ページ



http://utoshiaki.wook.jp/



  
 

2010年12月 9日 (木)

無題

 

 
   
1.「ごめんなさい」 は自分が本当に悪かったからと思って言うのではない、相手との心の交流をスムーズに行なうために言うのだ。

 



1.感動とは五感に感じる表面的なところにはない。自分の本心と相手の本心の琴線が触れて一つに溶け合った瞬間(とき)に生れる。



 

1.心を集中させて 「何も覚えていない」 というのと心が無防備になって「何も覚えていない」 というのは全然違う、雲泥の差である。

前者の覚えていないは余計な雑念が一切入っていない 空 の状態である。

しかし空っぽではない、神さまのみ心が一杯に詰まっているのだ。

後者は隙だらけなのでそこにはいろんな世界(幽界等の)のエネルギーが入って来る。

魂を空け渡しているのだ。

お酒を飲むと後者になる。

気をつけよう。



 

              

                     グッドム―ン



  

20世紀の常識を覆す

  
     
  
私たちは自分を変えたいと思っている。

ネガティブな考えを無くしたいと思っている。

どんなことにも動じない不動心の自分になりたいと思っている。

そして人生を明るく楽しく生きて行きたいと思っています。

でも、それには今までの自分の固定観念を変えてしまわなければならない。

間違った考えがこびりついてしまっているからです。

自分の常識と一般的な常識が間違っているからスムーズに生きていけないのです。

それは心が納得しないからです。

「あれ~なんかおかしいぞ」

「でもほとんどの人はそうは思ってはいない」

「めんどくさいからもう追求するのはやめよう」

それが今までの自分や人類の生き方でした。

しかしそんな誤魔化しの生き方ではもう耐えられなくなってきたのです。

耐えられなくなってきたとは、本来の自分(神性)が真理を求め出したからです。

「ほんとうのことが知りたい」

「自分は何者なのか?」

「なんのために生きているのか?」

アセンションとは、真理に目覚めるということです。

本当の真実が明らかになるということです。

そのためには今までの固定観念から脱却しなければ真実の光は見えては来ません。

まずは、今までの自分から脱皮するという勇気が必要だと思うのです。

怠惰だった自分から抜け出すことが大切だと思うのです。




 
 

20世紀の常識を覆すために


 
21世紀の生き方は、20世紀をはるかに超えた、スピリチュアルな生き方である。

21世紀には、さまざまな体験を通して、途方もない精神力、生命エネルギーが自らの内にあることを学び、その力を使いこなすことにより、常識では不可能とされることをも可能にしてしまうのである。

そのためには、本来の自分というものを自覚しなければならない。

本来の自分とは、高次元意識レベルの自分である。

21世紀、人類一人一人は本来の自分を呼び覚まし、20世紀までの低次元意識レベルの常識を、覆してゆかねばならない。

そして、人類一人一人の高次元意識レベルより、それまでの常識を、新たなる超常識に変えてゆくのである。

21世紀を生きるからには、人類はそのことをよく自覚し、実行に移さなければならない。

そのためにも、自らの意識を高みに引き上げ、追い込んでゆくほどの、気力と気迫が必要となるのである。

自らの意識を高め上げるためには、何をおいても 「呼吸法の印」により、自らの生命エネルギーを崇高なるもの一点に集中させることが大切である。

常識を超常識に変えるには、心底、いや魂の底から常識を覆してゆくほどの、ゆるぎない信念と精神力が必要なのである。

そしてついに常識を超えた時、自分自身がより自由に、よりパワフルに、よりエネルギッシュに、より有能に、より輝かしく、より人格者に、より聖なる者に変わってゆくのを発見するのである。


常識を覆すことは、究極の真理を理解できない人には無理であろう(無限なる可能性!)。

なぜなら、常識の範囲内にどっぷりと浸かりこんでいると、出来ることも出来ないままだからである。

物事を可能とならしめるには、究極の真理を信じることが絶対条件となる。

自らが何を信じるか、何を信じているかが、すべての鍵なのである。





人間は肉体が主で、死んだらすべては無になる。


自分は本来、神聖なる人間ではない。


「我即神也」 「人類即神也」 が信じられない。


自分の能力には限界がある。


人間は弱い、はかない、未完成なものである。


人間は取るに足らない、不完全なものである。


物質がすべてであり、バックグラウンドこそが人間の価値を証すものである。


人生は苦悩の連続だ。


輪廻転生など信じない。
 

原因結果の法則など判らない。


心が肉体を支配するなど信じられない。


心と肉体は別々ではなく表裏一体であることなど判らない、信じられない・・・・。





これらはすべて20世紀において常識とされてきたことを並べ連ねただけである。

このように、真理ではないことを強く信じたり、真理そのものが判らない状態では、自らを変えようとしても、なかなか変えられるものではない。

これは確かに難しいことである。

だが、21世紀に至り、究極の真理が広まり、人類が真理に目覚める時が来た。

これからは、ますます真剣に自らの 「信」 を強め、自らの 「信」 に対する確信を深め、自ら率先して、20世紀の常識にぶつかってゆく勇気が必要であろう。

しかし、自らが、未だ心の片隅で20世紀の常識を信じているならば、その影響力は乏しい。

確かに、20世紀の常識の中にも、真理に近いものは存在していた。

だが、それらは完全なる真理ではなかった。

人間がより快適に生きられるようにと、人間がつくり出したシステムであった。

真理ではなく、道徳、倫理観に則ったシステムだったのである。


我々は、そのことを心から知らなければならない。


これからの人類に必要なものは、真理と非真理とを区別できる叡智なのである。






 「今、なにを信じるか?」 固定観念からの飛翔 西園寺昌美 白光出版





  

すべての体験は人格を高め上げるため

          
  
  
私たちは嫌な体験や経験をしたくないと思います。

だから何にもない方がいい

平穏無事で過ごしたい と思うのです。

でもそうでしょうか?

何~にもなかったら

そして何も体験、経験しなくても

魂は成長するでしょうか?


自分は成長したい

でも辛い体験は嫌だ! 

なんか矛盾していますよね。げっそり

ということは、体験、経験をどうとらえるかだと思うのです。

西園寺昌美先生のご著書にそのことが書いてありました。





 

すべての体験は人格を高め上げるため



人類はみな、いつまでも同じ場にとどまってはいない。

いつまでも同じレベルに連なってはいない。

誰もがみな、レベルアップしてゆくのである。

あらゆる体験を積み重ねながら、昇ってゆくのである。

悪い体験も善い体験も素晴らしい体験も、すべては尊いのである。

また、苦しみも悲しみも痛みも憎しみも怒りも・・・・・すべての感情を体験し、それらを昇華させることにより、自分の人格は磨き高め上げられ、自らを立派な人格者に至らしめることが出来るのである。

しかし、体験の乏しい人は、それなりのレベルにとどまってしまうのである。

ゆえに、自分にいかなる不利な状況、痛み、苦悩、失敗がもたらされようとも、それらから逃げず、避けず、遠のかず、すべては自分のため、よりよき人格を磨き高め上げるための体験なんだと、積極的に受容してこそ、人生最大の学びを得るのである。

それにより、自らの人格はどんどん高まってゆき、ついには神人そのものとなるのである。・・・・・・・・・・・






      「今、なにを信じるか?」  西園寺昌美 白光出版  




   



天才とは?

  
  

  
   
“天才とは、特別な才能を持つ人のことではない。誰もが持っている無限なる能力をいちはやく蘇らせ、見事に発揮させた人のことである。”






 

 

 人生においては経験がすべてである。何事においても、経験意外に自らの力を引き出すものはない。スポーツにおいても、芸術においても、政治においても、医学においても、初めから天才的な力を発揮できる人はいない。

誰もがコツコツ小さな努力を積み重ね、初歩的、基礎的な経験を経て、自らに内在する本来の力に目覚め、自らのものとしてゆくのである。


しかも、一段階上昇するたびに、また新たなる練習や努力、経験を積むのである。そうした経験を、それこそ何十回、何百回、何千回と繰り返してゆくうちに、ついに誰の真似でもない、自らの貴重な生き方のコツというものを、体得するのである。






   
            「今、何を信じるか?」 西園寺昌美 白光出版



  



  

2010年12月 7日 (火)

チャネリング

  

  
私たちは今、地球に住んでいるのですが

肉体は同じところに存在していても心、魂は人それぞれ、違うところにいるのです。

肉体界の他に大きく分けて幽界、霊界、神界があります。(真実はもっとたくさんあります)

目に見える世界は肉体界だけです。

幽界は人間の想念がつくった潜在意識の世界です。

この世界が人間のマイナス思考により汚れに汚れてしまっているのです。(無限なる赦し)

ここには、死後に霊界や神界に行けなかった迷える魂たちがたくさんいます。

そして肉体界の人間に憑依して悪さをすることがあるのです。


私たちは人ごみに行くと


“疲れます”


この疲れるとは取り憑かれるの意味です。

幽界のオバケちゃんだけではありません、生きている人からもエネルギーはいくらでも受けるのです。

そしてその人の想念エネルギーと幽界の影響を受けて私たちは肉体界を生きている。

目にみえないからなんとか暮らして行けていますが

これらの霊、エネルギーがもし見えたとしたらぞっとしますよね。げっそり

一方、霊界はこれらの(マイナスエネルギー)波動とは違い、かなりスッキリした綺麗な世界なのです。(守護霊さまがおられます)

そして神界(天国)はなんのけがれも無いプラスのエネルギーで充ちた調和な平和な愛に溢れた世界なのです。(ここに守護神様、そして本当の自分が居る)

私たちは、肉体界の他に幽界にも霊界にも神界にも同時に住んでいるのです。

しかし肉体にしか意識を向けていないから他の世界がわからない。

無意識のうちに幽界の世界に入ってしまってもわからないのです。

私たちが幽界の世界に入ってオバケちゃんにもてあそばれていると、守護霊守護神からの光(メッセージ)が入ります。

「おいおいそこは、あなたが住む世界ではないよ」

というメッセージです。


でも守護霊守護神の存在を知らない、知っていても信じない人は


霊界や神界に意識を向けないのです。(守護霊守護神は守りにくくてしかたがない)



そうすると肉体界と幽界(迷いの世界)だけの世界にいることになります。

だからこの地球はおかしくなっている(無限なる光明)

肉体界と幽界だけをグルグル廻っている。

私たちはマイナスのエネルギー、人のマイナス想念エネルギー、幽界のオバケちゃんに波長を合わせてはいけなのです。

本当の自分がいる神界に意識を合わせ続けないと違うエネルギーの世界に入ることによって本来の自分とは違う人になってしまうのです。

本当にそうなってしまっては大変です。

だから宇宙神が人間を守るために守護霊様と守護神様を付けてくださった。

人間一人に守護霊は2体、守護神は1体ついてくださっています。 (人によってはもっと多い)

この守護霊守護神が私たちが寝ているときも何をしているときも守りに守ってくださっています。

そして人間が神界(本心)に意識を合わせることを待ち望んでおられます。


アセンションとは、守護霊守護神の協力と人間の祈りによって神界につながることをいうのです。

神界に意識がつながると神そのものの自分が肉体界に降りて来るのです。

これを神我一体といいます。

今、地球の波動は荒れに荒れています。

個人も人類も本来の姿を見失いかけています。(無限なる真理)

だから真理がわかった人が神界とつながり続けることが大切なのです。(天と地がつながることで光がたくさん降りて来るからです)


私はある人から

「グッドムーンさんはチャネラーですね、どんな世界にもチャネリングしてしまう」

と言われたことがあります。

これは笑事ではないのです。げっそり

高い意識にもなるし、油断をしているといくらでもマイナスのエネルギーを受けてしまうということです。

だから意識をいつも本来の自分がいる神界(宇宙)に合わせていないといくらでも業(ごう)や、地球上の汚れた想念波動を受けてしまう。(これを病気と言います)

みなさんも気づいていないだけで

そうなんです。

だからしんどい

スッキリしない

いつも重苦しい (無限なる光!)



自分のエネルギーは自分で整えていく ことが大切です。(波動調整)

これが本当の自己責任です。

アセンションとは自分の放つエネルギーに責任を持つ時代が来たということです。

だから本ものの時代と言われています。

本ものしか残らないからです。

本ものしかこれからの地球の波長(今、地球は5次元に突入しています)に合っていかないからです。

誤魔化しは利かなくなる。

そういう意味では厳しい時代になって行きます。

精神的にも経済的にも・・・・・・・。




 
  
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



   
  


  

追伸
 

私たちは今、何を為すべきか?

それはアセンションを経験した宇宙人の先輩たちに素直に聴いたらいいのだと思うのです。(笑) わーい(嬉しい顔)

“宇宙天使からの贈り物”

それが下記の本なのです。(電子書籍もあります)



 
 
  

1冊目  調和波動気功法 于寿明 三晃書房

2冊目  無限なる癒し 于寿明 星湖舎 (以下同じです)

3冊目  無限次元への誘い  

4冊目  無限なる幸せを体得する方法  

5冊目  無限なる勇気  




電子書籍は

wookという出版社です。

本の名前で検索すると出てきます。

http://my.wook.jp/

 
  于寿明書籍販売ページ



http://utoshiaki.wook.jp/


   
  
     

  

2010年12月 6日 (月)

如是我聞

  

    
  
1. どんなことがあっても、人を悪く思わなくなれば一端(いっぱし)です。



 
1. 抵抗があるところに敵が出来る。人間個人個人の生き方として無抵抗がいい。



 
1. われわれの役目はまず業を浄めることです。人間の心を浄めてからでなくては何にも出来ない。




 
1. 肉体の自分など何も出来やしない。天の自分がやっているんだから、こちらが余計なことをしなければいいんだ。 自分をなくすことよ。



 
1. 自分をごまかしてはいけない。自分をごまかすのが一番いけないこと。


 

1. 人間は考えなくてもいいことばかり考えている。

  


1. 私は切り替えが早いんだ。パッパッと瞬間に切りかえることができるのだ。


 
1. 人間は構えてはだめだ。何かあるとすぐに身構えてしまう。構えてしまうだけマイナスになる。







      「続々如是我聞」 五井昌久 白光出版



   




  



2010年12月 5日 (日)

流す 外す 消す 

  

   
川の水は止まることなく常に流れ続けています。

そこに巨大な石が置かれて堰(せ)き止められたら・・・・・。

川は機能しなくなり、水は下流にも海にも行かなくなり

止められた場所からは水が溢れ出し、溜まった水は濁っていく。

私たちは光の波動体です。

宇宙から流れてきたエネルギーを受けてそして流しつづけているのです。

頭のてっぺん(百会 ひゃくえ)  から入ったエネルギーは60兆の細胞を通って足の裏(湧泉 ゆうせん)から地球の中心に向かって流れて行きます。

このエネルギーがスムーズに流れているのが人間の正常な(健康な)本来の姿なのです。

しかし人間は気にかかること、心配事、そして相手の言動などに心が縛られると、心という川に大きな石を置いてしまうのです。


すると波動(流れ)が、光が鈍くなってしまう げっそり

そしてそこ(気になること等)にエネルギーが集中してしまい他のことに充分なエネルギーが注げなくなってしまうのです。(失敗はこうして起こる)


人間は光の波動体で出来ているので生命(いのち)が活き活きと輝かなくなってしまうのです。(無限なる生命!)

だから私たちは、日常で起こるいろいろな出来事に対し、対処しながらもエネルギーを流し続けていかなければならないのです。


そのポイントとは?

3次元的(現実的)に自分がやるべきことなのか?

相手が自分で解決しなければいけないことなのか?

を区別することです。

例えば自分が発した言葉に対して

相手が怒りだしたとします。

それは自分に原因があるのか?

言い方が悪かったのか?

配慮が足りなかったのか?

そこで振り返ってみる・・・・・・。

自分に悪いところがあれば

素直に謝る

しかしそこに原因がなければ

それは相手の人の問題なのです。

その人が自分で感情のコントロールをしなければならないことなのです。

今生を生きているとこんなことがたくさんあります。

人と接していると誤解されることもしょっちゅうです。

同じことをしても、言っても

喜んでくれる人もいれば怒り出す人もいる

それは、ほとんどは相手の人の問題なのです。(全部ではありませんが)

関知するべきことではないのです。

それなのに私たちはそこに貴重なエネルギーを使い、あるいは使い果してしまう。

そして自分で自分のエネルギーを流せなくしてしまう。(無限なる力)

生命力を弱らせてしまう。(そして相手のせいにしてしまう)

私たちはまずしなければならないのは

自分の心を整えることです。

エネルギーを流し続けることです。

流す 外す 消す

の流すとは

エネルギーを流し続けること

外すとはマイナスのエネルギーと共鳴しないで自分のプラスの波動体から外していくことを言います。

そして外したエネルギー(相手のマイナスの想念など)はそのままにしないで消して行くのです。

それをしないとそのエネルギーは地球上に、宇宙に留まったままなのです。

マイナスの想念エネルギーが溜まりに溜まったのが今の地球です。(無限なる光)

マイナスのエネルギーをプラスのエネルギーに変えるのが世界平和の祈りなのです。(除霊ではなく浄霊です)

人の悪い想念を変えるのは、説教や理屈ではないのです。

相手の人に光が当たれば(浄化されれば)

その人は本心に目覚めていく

良心に目覚めていく

どんなに悪そうに見える人も心の奥底の本心は光輝いているのです。



 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます





 
 


    人類即神也(宣言文)


私(わたくし)が語ること、想うこと、表わすことは、すべて人類のことのみ。人類の幸せのみ、人類の平和のみ、人類が真理に目覚めることのみ。


故に、私個に関する一切の言葉、想念、行為に私心なし、自我なし、対立なし。

すべては宇宙そのもの、光そのもの、真理そのもの、神の存在そのものなり。

地球上に生ずるいかなる天変地変、環境汚染、飢餓、病気・・・・・これらすべて 「人類即神也」 を顕すためのプロセスなり。

世界中で繰り広げられる戦争、民族紛争、宗教対立・・・・・これらも又すべて 「人類即神也」を顕すためのプロセスなり。

故に、いかなる地球上の出来事、状況、ニュース、情報に対しても、又、人類の様々なる生き方、想念、行為に対しても、且つ又、小智才覚により神域を汚してしまっている発明発見に対してさえも、これらすべて「人類即神也」を顕すためのプロセスとして、いかなる批判、非難、評価も下さず、それらに対し何ら一切関知せず。

私は只、ひたすら人類に対して、神の無限なる愛と赦しと慈しみを与えつづけ、人類すべてが真理に目覚めるその時に至るまで、人類一人一人に代わって「人類即神也」 の印を組みつづけるのである。



  
      

  

2010年12月 3日 (金)

無題

  

  
1.目に見えることをおろそかにしては、整うものも整わなくなる。
 


2.表面的なことばかりを見ていては、相手が何を望んでいるのかはわからない。
 


3.五井先生は、「仕事に不満を持っている人は、3倍の給料を払ってでも辞めてもらいなさい」とおっしゃったのだそうです。

それくらい調和は大事なことなんですね。
 


4.以心伝心の世界はまだ先のこと、今はコミュニケーションが大切なのです。


  
  

             

                 グッドムーン


  

     

2010年12月 2日 (木)

自分が無いということが一番のんきだ

  
      
     
“自分が無いということが一番のんきだ”


五井先生のご著書にある如是我聞の中の一節なのですが

この短い文の中に深い、深~ぃ意味がこめられているのです。

私たちは何で苦しんでいるかというと

自分があるからです。


自分をわかって欲しい、認めて欲しい、褒めて欲しい

自分が金持ちになりたい

自分がモテたい

自分が尊敬されたい、感謝されたい

自分が健康でありたい

自分が人に愛されたい

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そこには常に自分、自分、自分があるのです。

すべては自分を満足させることばかり

執着が少なくなれば少なくなるほど

心は執着という呪縛から解放されて楽にはなるのですが

また違った種類の自分が出て来ます。

この執着という囚われが私たちを苦しめるのです。

赤ちゃんは何故、かわいいかというと

無邪気だからです。

心の中には何~にもない

何の執着もない

欲望もない

生命(いのち)そのままに、自由自在に生きている


お釈迦さまが

“空になれ”

キリストさまが

“幼子(おさなご)のようになりなさい”


老子さまが

“無為になせ”(何々の為にしようとするな!)

とおっしゃったのは

つまり

“自分というものを無くしなさい”

ということだったのです。


宗教(正しい)の共通の理念は何かというと

執着を無くす、欲望を無くす、囚われを無くすということです。

生きている中での4大苦しみは

“生老病死”

だとお釈迦さまはおっしゃいました。

この苦しみも自分というものがあるから苦しいのです。

自分が無くなれば

どんな人とも壁を作らずに接して行けます。

相手の人の心と溶けあうことが出来ます。

自分と人を比較することが無くなります。

人に対して裏表が無くなります。
 

赤ちゃんはどんな人にも最高の笑顔を振りまいています。

だから赤ちゃんは素晴らしい!

赤ちゃんは人間の原点です。


人間は今、原点に戻る時期に来ているのです。


原点に戻ることがアセンション(次元上昇)なのです。




  
 世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい) 








  

追伸

 
私たちは競争社会の中で

自分を出しなさい

自分を主張しなさい

自分をもっとアピールしなさいと言われて来ました。

でもそこには相手との調和が欠けていたように思うのです。

本当の自分を出すというのは

自分というものを滅して、無くして

まったくの空になって

神である自分とつながって

神と一体となって 、本当の自分になって

初めて出て来るものなのです。  


      
  
   

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