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2010年11月30日 (火)

自分が光っていくと

  
  
  
世界平和の祈りを祈ったり、印を組んだり、マンダラを書いたりして自分自身がどんどん浄まっていくと

肉体波動から霊波動、神波動になっていくのです。

これはどういうことかと申しますと、エネルギーが細かくなっていくのです。

肉体や物質、目に見えるものは波動が荒いのです。

これは海の波に似ています。

台風などが来ると波はその影響を受けて荒くなります。 (台風は浄化です)

今、地球は宇宙からの細かい神波動を浴びて業想念、カルマが浮かび上がっているのです。

それと同じように浄まった人が荒い波動の人(気性の荒い人、業をたくさん被っている人)の側に行くと細かい波動が荒い波動を浄化するので突然相手の人が怒りだしたり、強く当たって来たりするのです。


なんで自分が浄まっているのに、祈っているのに災難(ではないのですが)や辛い目に遭わなければならないのか?

「そんなんだったら祈るのをやめちまえ!」(無限なる愛)

という人もいるのです。

でも真実はそうではない!

相手の人には光が行って業はかなり消えているのです。

魂は、心は、良い状態になっているのです。

相手の守護霊、守護神は喜んでおられるのです。

でも目にみえる世界ではそれがわかりません。

だから相手の消えてゆく姿を見てはいけないのです。

見たとしてもそれを認めてはいけないのです。

それは本当のその人ではないから・・・・・・。

素晴らしいその人は光輝いています。ぴかぴか(新しい)

その光を覆っている業が、あぶり出されただけなんです。

だからその人の表面を見るのではなく、その奥の、本心のその人をみなければならない。

そうしないと3次元に、目に見える世界に、実態ではない幻の世界にいつまでも振り回されるのです。

いろんな人がいます。

業が少なくて本心がすぐに顕われそうな人

こんな人は浄まった人に逢うと光を浴びて至福の瞬間になります。わーい(嬉しい顔)

光が心地良いからです。

でも業がまだたくさん残っている人は、その光が眩しいのです。

だから魂は喜んでいても反発するのです。ちっ(怒った顔)




それに振り回されてはいけない。

どんな人であってもその奥は同じです。

神さまから分かれた分霊(わけみたま)です。

目覚めるのが早いか遅いだけの違いです。

だからどんな人も比べてはならない。

批判、非難、評価してはならないのです。(人類即神也の宣言文)

そして浄化していくとそのプロセスで相手のエネルギーをもらいます。

エネルギーはプラスであるかマイナスであるかの違いがあっても量は変わることはありません。

だから相手のエネルギー(マイナスであってもプラスであっても)をもらうことになるのです。

このときにまともに受けてしまうと(マイナスであったとしたら)気持ちが落ち込むことがあるのです。

しかしそれはマイナスではないのです。

相手のエネルギーはスッキリしているのです。(軽くなっている、浄化されている)

でもそのままにしていたら自分が傷んでしまいます。

だからすぐに浄化できるように

世界平和の祈り、印、マンダラを宇宙神が与えてくださったのです。

于先生のご著書には、宇宙天使からの贈り物と書いてあります。

私たちは、どんな時も守られているのです。

だから安心して祈れるし、信念を持って真理の伝達を行なえるのです。







世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




   

   

2010年11月29日 (月)

調和波動気功セミナーで学んだこと

  
  
  
昨日、私の実践している調和波動気功法のセミナーがありました。

そこで、于先生がご講演をされて私たち(ハーモニー)にレッスンをしてくださいました。

心に響く素晴らしい講演でしたので、その中のいくつかをご紹介します。

于先生はポイントを短くおっしゃるだけであまり細かくはご説明されません。

講演の後の質問コーナーでお答えになるのですが、ほとんど質問は出ないのです。(出たとしたらそれは的を得た善い質問になります)


それは、于先生の波動(エネルギー)が私たちに心地よく伝わっているからだと思うのです。

言葉以前の素晴らしい響き(波動)ですよね。



 



1.世界平和の祈りは国連が認めた世界共通の祈りなのです。 (以下は私の感想)


 
地球という星が調和するために生れた祈りなんですね。


そして地球だけでなく宇宙全体の祈り言(ことば)でもあるのです。


日本では、世界人類が平和でありますように ですが


英語では、


May Peace Prevail on earth.



フランス語では


Que la paix Soit en  france (クラ ぺ ソワ タン フランス)


外国人の人にその国の言葉でその国が平和でありますように と言うと大変喜ばれるそうです。
 


http://www.byakko.or.jp/z_pdf/PeacePrayer2010.pdf 




 

2.肉体界には修行に来ている

肉体を持っているということは非常に楽なんです。

幽界、霊界、神界で怒りの感情を持ってしまったらそれがすぐ自分に返ってくる。しかし肉体は遅鈍なので、その間に祈りで消すことが出来るのです。

「死んでからもずっと修行です」

でも、ここには(肉体界)には修行に来ているんだ、魂を磨きに来ているんだと思えば楽になるでしょ」

  


とおっしゃいました。

確かにそうですよね。

辛いことがあっても

「これは修行なんだ!」と思えば納得するし、あきらめ?もつく。(笑)





 

3.「自分に気合いをいれてください。」

「気とは神さまのこと、神さまと一体となることが気合いなんです。」



 

そうなのです。気とはエネルギーのことなんですが実は神様のことなんです。

于先生のご著書にはそのことが書かれています。


気功とはなんですか?

幽気、霊気、神気の気の働きであり、神様の働きである。

日本語の 「気を付けて」は英語で 「Good bye」 = 「Godby you」であり、スペイン語で 「Adio’s」のdio’sは神の意味である。

「気」 とは神の意味である。




ここぞ、というときはやっぱり気合いですよね パンチ

気合いを入れるとなんだか勇気が湧いてくる

マイナスのエネルギーが吹っ飛ぶような気になります。

神さまが働いてくださっているのですね。







 
4.「自分にやさしくしてください」

自分以外に誰も自分のことを癒してはくれない。





人間は生れて来るときも死んで行く時も

そして星になってもやっぱり最後は一人なのです。

人と仲良くなるより自分と仲良くなる

人を愛するより前に自分を愛する

人を赦す前に自分を赦す

自分にやさしく出来ない人は人にもやさしくできない

そうなんだと思うのです。


 





5.「プラスの気持ちになるまで祈り続けてください。」

   「プラスは自分で創るものです。」




 
そうなんですね、私たちは誰かがプラスを運んでくれるのを待っています。

祈ること(光明思想徹底行)でプラスのエネルギーを創っていくことが出来るのです。



 


  
6. 自力と他力で整えていく、天命を信じて人事を尽す



地球上には、神さまだけを信じて祈っていればすべては善くなる、整うと思っている人たちがいます。だから3次元的なことをおろそかにする。(無限なる力)

また、一方では、「神さまなんているものか?」と目に見えるものだけが実在していると信じ、物質の豊かさだけを追求している人たちや地域があります。 (無限なる叡智)

私たちは神の子です。でも肉体という器を持っています。

ですから神さまを信じて3次元的なこと(日常生活)を手を抜かずに一生懸命に行なっていくことが大切だと思うのです。

神さまを信じるとは、「本当の自分は完璧(神)なんだ、創造者なんだと信じ、だからどんなことがあっても絶対に大丈夫なんだ、そして神さま(守護霊守護神)に守られている、今の現象、状況は悪いものが消えて善くなって行くプロセスなんだ」という確固たる信念を持つことなのです。



3次元で一生懸命にやっている(自力)と神さまの加護が入ります。(他力)

それは3次元と神さまの世界がつながった現象なんだと思います。

 









7.巨人になった自分をイメージする、そしてフワッとリラックス




私たちは肉体だけが自分だと思っています。

だからその奥にある本来(神体)の力が出て来ない。

大きくなった自分をイメージすると肉体意識を超えてどんどん大きくなっていくのです。

心は宇宙大にも拡がるのですが、そこまではイメージしにくい

だからイメージ出来る大きさまで自分を広げてみる。

すると客観的に自分を観れるようになるのです。

自分に力(無限の)があるんだということがわかります。

でも力まないでくださいね。

力むと肉体波動が強いので神波動が動かなくなるのです。

だから、フワッ と リラックス。







  

8. 3次元にとらわれない


前に出る、止まる、引くを意識する

すぐに行動に移さない

洞察力とは?




私たちは今、言うべきなのか?  いや違う、 黙っていた方(静観)した方がいい?
と二者選択を迫られることがあります。

そんなときには心を静めて(止めて)心の中を客観的に観てみる。

そして心の中に愛と赦しがあればそれが本当の自分なのです。

するとその後の行動は自ずと自然に行なわれていく。


前に出る、止まる、引くを意識する

の止まるが大切なのです。

心が止まっていないと(不動心)

正しい判断が出来ない。


  


  

9.武士道とは、いかに死ぬかということ、それはいかに生きるかということ・・・・・・。


 
昨日、竜馬伝を観ました。ラストサムライは戦いを好まなかった。(竜馬は生涯で一人の人も切らなかった、殺さなかったそうです。)

武士の武とは  戈ほこ(武器のこと)を止めると書きます。

つまり戦いを止めるのが本当の武士なんですね。

それが竜馬の生き様だったような気がします。

すべては平和につながっていく

人と人との平和、地域の平和、国の平和、星の平和、宇宙の平和
 

世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)




 

10.幸せな波動を感じることが幸せなのです。


 
どれだけお金があっても、健康な身体があっても、自分のことを認めてくれる、尊敬してくれる人がいても、友だちがたくさん居ても

心が幸せを感じていなければ、心が納得していなけば、それは本当の幸せではないのです。

本当の幸せとは、本当の自分を知ることです。神である素晴らしい自分に出逢うことです。

そして本来の自分の波動(エネルギー)であり続けることです。

そしてその本来の神の姿を顕しつづけることです。

そして光輝いた光でたくさんの人が目覚めていくことです。





  

世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)



  

2010年11月28日 (日)

人類即神也

  
  
  
個人的なことを申しますと私はこの 「人類即神也の宣言文」 が大好きなのです。わーい(嬉しい顔)

人間関係に嫌気がさしたとき、自分という存在がわからなくなったとき、地球上で起きていることに対し、マイナスに受取りそうになったとき、そして人のことを批判、非難、評価しそうになったとき

この宣言文を心の中で唱えると

気持ちがスーッと落ち着いて来るのです。ぴかぴか(新しい)

何度も何度も助けられました。

自分のことを「我即神也」と信じることはもちろんですが

同時に人間(他人も)は神であると信じることも

とても大切なことです。

どんなことが起こってもマイナスをプラスにしてしまう、この宣言文


ご紹介します。





  


          人類即神也(宣言文)


  

私(わたくし)が語ること、想うこと、表わすことは、すべて人類のことのみ。人類の幸せのみ、人類の平和のみ、人類が真理に目覚めることのみ。


故に、私個に関する一切の言葉、想念、行為に私心なし、自我なし、対立なし。

すべては宇宙そのもの、光そのもの、真理そのもの、神の存在そのものなり。

地球上に生ずるいかなる天変地変、環境汚染、飢餓、病気・・・・・これらすべて 「人類即神也」 を顕すためのプロセスなり。

世界中で繰り広げられる戦争、民族紛争、宗教対立・・・・・これらも又すべて 「人類即神也」を顕すためのプロセスなり。

故に、いかなる地球上の出来事、状況、ニュース、情報に対しても、又、人類の様々なる生き方、想念、行為に対しても、且つ又、小智才覚により神域を汚してしまっている発明発見に対してさえも、これらすべて「人類即神也」を顕すためのプロセスとして、いかなる批判、非難、評価も下さず、それらに対し何ら一切関知せず。

私は只、ひたすら人類に対して、神の無限なる愛と赦しと慈しみを与えつづけ、人類すべてが真理に目覚めるその時に至るまで、人類一人一人に代わって「人類即神也」 の印を組みつづけるのである。




  



  
   

我即神也

   
  
私が我即神也の印を組み始めて、10年程(1999年10月)が経つのですが、その頃は、印を組む前に、「我即神也の宣言文」を唱えてから組んでいたのです。
  
今はもう、宣言文の磁場が出来たので全文を唱える必要はなくなり、印を組む前に

「我即神也」 と唱えて(宣言して)から印を組んでいます。

  

ここまで書いてきてほとんどの人は

「何のことかさっぱりわからない」

と思っておられると思います。(笑)

後、数年経てば、私の書いていることや「我即神也」の意味もかなりの人に理解されるようになります。

でも今の段階(地球上の波動状態)では理解される方はまだ少ないと思うのです。

しかし真理は浸透する少し前から布石を打っておかないといきなりでは無理なのです。

潜在意識はわかっていても長い間忘れていた(真理を)ことを思い出すには、慣れていくことが大切です。

だから

少しずつでも書いていこうと思っています。
  

「我即神也の宣言文」は読んだ人のほとんどが

「信じられない!」

「なんと思いきった文章なんだろう!」

とびっくりされると思うのです。

私も最初は圧倒されました。(あまりにも荘厳なので)

しかし何回も読んでいくと心にスーッと入っていくのがわかるのです。

本心が納得していることだからだと思います。

では、「我即神也の宣言文」をご紹介します。



   


     

       我即神也 (宣言文)


私(わたくし)が語る言葉は、神そのものの言葉であり、私が発する想念は、神そのものの想念であり、私が表わす行為は、神そのものの行為である。

即ち、神の言葉、神の想念、神の行為とは、あふれ出る、無限なる愛、無限なる叡智、無限なる歓喜、無限なる幸せ、無限なる感謝、無限なる生命(いのち)、無限なる健康、無限なる光、無限なるエネルギー、無限なるパワー、無限なる成功、無限なる供給・・・・・・そのものである。

それのみである。

故に、我即神也、私は神そのものを語り、念じ、行為するのである。

人が自分を見て、「吾は神を見たる」と、思わず思わせるだけの自分を磨き高め上げ、神そのものとなるのである。

私を見たものは、即ち神を見たのである。

私は光輝き、人類に、いと高き神の無限なる愛を放ちつづけるのである。



  

2010年11月27日 (土)

超常識


  
常識というものは、大きな組織(例えば国、学校、社会)などが統制を取りやすくするために一部の人たちが勝手に作ったものが多いのです。

でもそれが浸透して行くとその常識が当り前のようになっていく。

それが非常識なものであったとしても潜在意識の奥にはその常識が根付いていく。

これが固定観念になるのです。

西園寺昌美さんの本の中にモンゴル人の人たちが空港で待合室の席を一人で何席も取って占領していたということが書いてありました。(何人もの外国人旅行者の人たちが座れずにいた)

私たち日本人からすると

「なんと非常識な国民なんだろう」

と思うのですが、モンゴルの広大な大地に住む人たちにとっては当たり前の自然体のことなのです。

大草原で馬を駆り立てて走り周り、テントで暮らしている彼らにとって他人との距離感や個人的な空間の取り方が理解できていなかっただけなのです。(私たち日本人は狭い空間で生きているのでひっそりと譲り合うのが常識だと思っている)

また今日観たテレビで中国人の人(帰化していますが)が何故、中国人は日本人に嫌われるのか?を説明していました。

中国は国単位で思想を持つというくくりがなく、家族だけが自分の身内になるそうです。

その中だけでルールを作る。

だから自分と親族さえよければ、後のこと、他の人はどうでもよい。

食事などで大声でしゃべっても他の人たちに迷惑をかけているという意識はないそうです。

この中国人の人は日本のレストランでは大人しくし、中国では中国の人に合わせて楽しんでいるそうです。

その話を聞いていて、数人の日本人が

「中国人が理解出来た!」

と言っていました。

これからは中国の人が大声を出したり多少非常識外れだと思われることをしたとしても寛容になれると思うのです。

私たちは外から植えつけれた常識、固定観念、自分の中の潜在意識、そして経験などによって自分だけの“常識、固定観念”で心の中がガンジガラメになっています。

そしてその枠から外れたものに嫌悪感を持ちます。

そして壁を作って、相手を敵と見なすようになる。

不幸とは心が窮屈(きゅうくつ)に縛りつけられた状態をいうのだと思うのです。

囚われと言います。

囚われという字は人を四角い箱の中に閉じ込めると書きますよね(笑)

他の字でも把われ、捕われ、捉われなど縛られている状態を指してします。

幸せ感とは心が自由自在になったときを言います。

感動しているときって、相手の心と自分の心の壁が無くなって一つに溶けあった状態なのです。

愛も合いのことであって心が一つに合うことをいうのです。

心が宇宙大に拡がることをいうのです。

地球がアセンションを迎えるとは

この固定観念が消えてセパレート(分離)からユニティ(合一)の時代に入るということなんです。

愛が完成するのが次元上昇です。

まったく違う世界になる。

愛一元の世界になる。



そのためには私たちは相手を知らなければならない、表面的なことではなく心の奥底までわからなくてはならない。

でもそれは土足で相手のプライバシィに入って行くことではないのです。

それは真理を識るということです。

真理を識れば相手を赦すことができる。

そして自分を赦すことができる。

「人間と真実の生き方」 には真理のことが書かれているのです。

この文章を何度も読みかえすことによって私たちの心の中に

真実の言葉を植え付けることが出来ます。

そしてこれがこれからの常識を超えていく、超常識になるのです。






「人間と真実の生き方」


人間は本来、神の分霊(わけみたま)であって業生(ごうしょう)ではなく、つねに守護霊、守護神によって守られているものである。

この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世から現在にいたる誤てる想念が、その運命と現われて消えてゆく時に起こる姿である。

いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起し、どんな困難のなかにあっても、自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も真の救いを体得出来るものである。






追伸

私たちは元々一つの生命から分かれた命(光)だったのです。

だから、自分も他人もないのです。


  

2010年11月26日 (金)

想いには力がある 6

  
  
  
私たちは一日のうちで崇高な気持ちになることもあれば、気分が落ち込んで鬱状態になることもあります。

感動の涙も流せば、怒りの涙も流す。

それくらい心は揺れ動いている。

私はどんなときにも不動心の自分になりたかった

感情に振り回されない落ち着いた自分になりたかったのです。

そしてようやく調和波動気功法に出逢えた。

于先生に出逢えたのです。

でも逢えただけで問題が解決したわけではありません。

毎日のたゆまない努力によって、少しずつ

なりたい自分に近づいて行くのです。

今、地球の波動は人類の過去からこれまでの汚れた想念波動と宇宙からの聖なるエネルギーとが混ざり合っているのです。

どちらに自分の意識を合わすかによって結果は天と地との差が出て来ます。

本物の時代とは意識のことなのです。

自分の、そして人類の意識が宇宙(神)意識に合うことによって天の波動が地上に降りて来ます。

そのためには私たちはどうしたらいいか?

「今、何を信じるか?」 から抜粋します。

 





毎朝の祈り、印により高い意識を持つ



 
世界平和の祈りや印は、自らを宇宙神のひびきに合致させ、自らの肉体的、物質的欲望を取り除いてくれる働きをする。

そして自らの意識を新たな、より高い段階へと引き上げてゆく。

祈り、印は自らの感情想念 ━ 特に否定的想念を鎮め、精神を安定させてくれる。

そして自らが発する真理の言葉、神聖なる言葉、無限なる光明の言葉により、その言葉が示す具体的な意味において、宇宙神のひびきが地上に降ろされる。

これが祈り、印の本質である。

祈りの目的は、神性との一体化を果すことであり、印は宇宙神のひびきと一体となり、自らが神へと至るツール(道具)なのである。

今、我々に必要とされるのは、あくまでも自らを完成へと推し進めてゆく意志と、内的な無執着である。

そのために自らが置かれている、さまざな欲望のからみ合う環境から、自らを引き離すだけの強い意志が必要となる。

それには、祈り、印の時間を毎朝、持つことがよいのである。

そして、朝の祈り、印により、魂が高揚した、その高い志、意識を一日中維持させるよう試みるべきである。

巷の物質波動の中に身を置きつつも、高次元意識を維持しつづけるには、それなりの努力が必要である。

否定的カルマに巻き込まれそうになったら、その瞬間、すかさず五分ほど深い呼吸による祈りや印を行なうか、または無限なる光明の言葉を唱えるのである。

そのように、自らの周りに漂うカルマや低次元意識の渦に飲み込まれないためには、絶えず自らの心をチェックし、注意を払う必要がある。

隙あらば引きずりおろそうとする低次元カルマに絶えず注意しなければならないのである。

これは、言葉で言うのは実に簡単であり、また、知識として蓄えるのも実に簡単なことである。

だが、これを日常生活においてコツコツと毎日実行することは大変難しい(無限なる可能性!)

なぜならば、心はいとも簡単に、低次元レベルへと転げ落ちるからである。

しかし、毎朝三十分ほど、真剣に神聖なる言葉(人間と真実の生き方、印の宣言文、光明の言葉など)を語り、祈り、印を組みつづけるならば、自らの欲望や否定的想念に自らのエネルギーを与えることがなくなってくる。

そして、それらはエネルギー不足に陥り、見る見るうちに委縮し、やがては消滅してしまうのである。

人類の多くは、意識に上ってくるあらゆる不安、恐怖、病気への心配といった否定的想念に、無意識のうちにエネルギーを与えつづけてしまっているのである。

それらに自らのエネルギーを与えれば与えるほど、それらの否定的想念は現実化してゆくのである。

真理を知らない人は、この悪循環を毎日繰り返している。

そのため、人生は少しも好転せず、それどころかますます悪くなってゆくという状況に陥っているのである。

だが、究極の真理を知る人たちは、自らの意識を真理の中に投げ入れ、自らのエネルギーをその崇高なるひびきに捧げつづけているのである。

そして自らの希望や願いや望みを神への意識、神への憧憬、神との一体化に向け、エネルギーを注いでゆく。

そのため、自らの願いや望みはエネルギーの法則により、エネルギーが注がれるほどに膨れ上がり、ついにはその通りに現実化されるのである。

究極の真理を知る人と知らない人とでは、このように人生において大きな差が生じてくるのである。

不安、恐怖、心配の念が生じたならば、即、祈り、印を組み、自らの意識を神の意識へと引き上げることにより、自らのエネルギーは、不安、恐怖、心配の想念に注がれなくなり、それらの想念は次第に委縮し、ついには死に絶えてしまう。

欲求や欲望などもそうである。

欲望にエネルギーを与えないことである。

その代わりに崇高な志、希望、無限なるものすべてに意識を集中させるならば、それらの無限なるものは必ず地上に顕現されてゆくのである。




  

    「今、何を信じるか?」 西園寺昌美 白光出版







  
印について

印には、さまざまな種類があります。著者が提唱した自己の神性を顕現させる「我即神也の印」と、人類に真理の目覚めを促す「人類即神也の印」は、国内外に広まり、多くの人々によって組まれています。この二つの印は、宇宙エネルギーを肉体に撮り込むための、発声を伴った動作です。印の組み方は、白光真宏会のホームページ 
http://www.byakko.or.jp でご覧いただけます。


光明の言葉とは

無限なる愛、無限なる幸せ、無限なる健康・・・・など、無限なる○○という「光明思想の言葉」を指します。これらを唱えることで、自己の神性を自覚できるようになります。また、日常生活の中で、否定的な想いや言葉を発した時に、それを打ち消すための言葉として用いれば、悪い因が善い果に変わってゆきます。(例えば、憎しみの想いが出た場合、その反対の “無限なる愛” を唱え、打ち消します)


「人間と真実の生き方」「我即神也の宣言文」 「人類即神也の宣言文」は白光ホームページでお調べください。

  
  

2010年11月25日 (木)

想いには力がある 5

    

“人類は、日頃何気なく使っている一つ一つの言葉の積み重ねによって、病気になったり、事故に遭ったり、人との不仲や不調和に陥ったり、失敗や自己喪失などを繰り返し、徐々に自らの人生と世界の状況を狂わせてゆくのである”


 
しかし我々は、これらのいかなるマイナスの状況をも、必ず変容させることが出来るのである。

真なる言葉、聖なる言葉、光明なる言葉を使うことによって、自らの病も運命も、また世界の状況も同時に変えてゆくことが出来るのである。


法則は実に簡単、シンプルである。

常に真理の言葉を発しつづければよいのである。

それが出来ないと言う人は、自らの人生をその弱き意志により放棄したも同然である。

今日、人間は常に自分の心をチェックする必要がある。

多くのものを追い求めるがあまり、物質や肉体のみに価値を置くようになると、欲望そのものや、また、欲するものが得られない時の不平不満、憤り、苦悩などにより、自らの心にマイナスの要因を引きつけてゆくからである。

人間は常に自分の心を神聖なるもの、完璧なるもの、神なるものへと向け、それを意識して生きるならば、マイナスの要因を引きつけることは絶対にない。

その崇高な意識を強化するのが祈りである。

それを行なうことによって、自分の意識が常に希望に燃え、可能性と理想を持って生きられるようになるのである。



  

          「今、何を信じるか?」 西園寺昌美 白光出版



  



    

想いには力がある 4

  
  

“人類は、日頃何気なく使っている一つ一つの言葉の積み重ねによって、病気になったり、事故に遭ったり、人との不仲や不調和に陥ったり、失敗や自己喪失などを繰り返し、徐々に自らの人生と世界の状況を狂わせてゆくのである”


「今、何を信じるか?」の本を読んでいてこの文章(フレーズ)が私の心にとびこんで来ました。


まさしくその通りですよね。


言葉はエネルギーを持っている。

キリスト様のおっしゃる

“言葉はすなわち神なりき”

は真実の言葉です。






  
言葉は即ち神なりき

だから、世界人類が平和でありますように、という言葉の中で神様の み心が生きてくるわけです。

神様の み心がそのまま働いている。

世界人類が平和でありますように、というと、神様の み心がパーッと光ってくるわけなんです。

言葉というのは大事なんですよ。

言葉というのは声に出る言葉じゃありませんよ。

想いが大事なんです。


ああ、あの人が立派になりますように、と想ったら、愛の光がパーッと輝く。
        

世界人類が平和でありますように、という時にはパーッと大神様の黄金色が輝くわけです。

言葉は即ち神なりき、即ち光なりき、なのです。
 



         

           「魂が大きく開く時」 五井昌久



   



  
  

2010年11月24日 (水)

想いには力がある 3

  
     
タイトルには “想いには力がある” と書いていますが、確かに想いのエネルギーには凄まじいものがあります。

しかしこの想いのエネルギーも質が変化して来てるのです。

想いは重いのです。

だから私たちの心にそして脳裡にいつまでも重くのしかかっていた。

しかし地球の波動は変わって来ていて想いのエネルギーも軽く爽やかになって来ているのです。

ある読者の方から



グッドムーンさん!

気がつきませんか?

以前と比べて、想念に重さと力がなくなっている事に !
 


とコメントを頂きました。

ハッとしました わーい(嬉しい顔)電球

それはある人から思いっきりマイナスの想いをぶつけられたのです。

メッタメタに非難され、批判されました。

いつもだったらその事がしばらく気になって、相手を責めたり、あるいは自己嫌悪に陥っていたのですが

「ごめんなさい」 が躊躇なく言えて

その後も気持ちがスッキリしていたのです。ぴかぴか(新しい)

これは自分が成長したのかな?(笑)

と思っていたのですが

それは想念というエネルギーが軽くなっていたのですね。
 

エネルギーというのは宇宙(神)からやって来るのですが

人間の想念の波動、波長に合わせて送られて来るものなのです。

だから人間の意識が上がっている、進化して来ているのです。(祈りや印などによって)

現状は悪そうに見えても、有事などの出来事があっても

それは善くなるためのプロセスなのです。

消えてゆく姿なのです。

波動が細かくなって(軽くなって)光がたくさん降りて来たので

闇が浮かび上がっているのです。

人類はそのことは頭ではわからなくても、心の奥底ではわかっている

それが証拠に

人々の心は落ち着いています。

慌てふためいていません。

冷静になれているのです。



今、波動が変わって来ている。

想念に重さと力がなくなって来ている。

それはどういうことかというと

気持ちの切り替えが早く出来るようになる。

マイナスからプラスにすぐに転換出来るようになる。

悪い考え、マイナスの想いが浮かんでもすぐに消えてゆくということです。


それに祈り、印を加えていけば

効果倍増です。わーい(嬉しい顔)手(チョキ)

光が闇に打ち克って行く・・・・・。


いよいよ次元上昇の準備が整って来ました。



 

世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


我即神也

人類即神也



  

2010年11月23日 (火)

想いには力がある 2

  
  
  
マイナスを発したらマイナスが倍になって返ってくる

しかし、プラスを発したらそれも倍になって返ってくる


と聞いていましたがそれがどういう原理(メカニズム)なのかが

きちんとわかっていませんでした。

昔の人(おばあちゃん等)から

「そんなこと(マイナスなこと、人の悪口、不吉なこと)を言うと罰(ばち)が当たるよ」

と言われて来ました。

それは神さまが罰(ばち、ばつ)を与えるのでなく、自分の放った言霊というエネルギーが返って来ていたのです。

自分の放ったエネルギーは自分で責任を持たなければならない。

そのことに最近、特に思い知らされています。

みなさんはいかがでしょうか?






    
人の発した想念、類似の想念をひきつけ自らに戻ってくる
 



この想念原理は、話す人の声の原理に似ている。

例えば、コーヒーショップにて、誰かと二人で話をしているとする。

話し手の声は音波となり、店内のあらゆる方向へ広がってゆく。

この声の届く範囲は、大きさとひびきの強さによって異なる。

これと全く同じように、強力な想念は、弱い想念よりもずっと四方八方へと伝わってゆくし、周りにも大きな影響を与えてゆくのである。

だが、その時、周りにいる人々が、それぞれの相手と熱心に話し込んでいたり、想いをある事柄に集中させていたりすると、どんなに大きな声で話していようが、一向に耳に入らない。

想念波動もこれに似て、何かに一心集中していたり、または別の想いに心が満たされていれば、それほどの影響力が及ぶことはない。

どんなに強い想いの波も、その人の周りをただ通り過ぎてゆくのみである。

ゆえに、心が常に祈り、真理のひびき、愛、希望、理想に満たされていれば、いかなる否定的想念も全く影響力を失ってしまうのである。

人は心を無意識状態にしていたり、無防備にしてはいけないのである。

それでは、誰かが発した憎しみ、怒り、嫉妬、報復、貪欲、怒り等の否定的情念は、一体どのようにして相手に、また周りに働きかけてゆくのだろうか。

それらの否定的暗黒想念はどす黒く、汚らわしい濃密な色を伴って、対象者に向かって挑みかかってゆき、周りにも振りまかれてゆくのである。

だが、その対象者が常に崇高な目的意識を持ち、気高い真理や祈りで心を満たしていれば、決してそのような想念の生きものなどに襲われることもなければ、巻き込まれることもない。

却って、それらの想念をそのまま真理の鏡に反射させて、想念の送り主にはね返すのである。

その想念の生きものは、自分を発した者に引き戻される途中、宇宙空間に漂っている、自分と似通った暗黒想念を引きつけ、巻き込み、さらにその力を倍加させ、想念の送り主のもとに帰ってゆくのである。

これが真理の法則である。

自分の蒔いた種は必ず、自分が刈り取らねばならないのである。

そして、よいものも悪いものも含め、あらゆる想念の送り主の肉体は、自らの想念と色彩のエネルギーによって、幾重にも取り巻かれている。

これが人間を取り巻くオーラとなる。



                      つづく





 
      「今、何を信じるか?」 西園寺昌美 白光出版




  



    

想いには力がある 1

  
  
  
私たちは常に誰かと接しています。

一緒にいて心地の良い人、悪い人、どちらでもない人・・・・。

だがいつも心地の良い人ばかりが側にいるわけではない。

イライラして怒っている人、タバコを吸っている人、大声でしゃべっている人・・・・・。

そんな人たちの影響を受けてしまいます。

自分も人もなんらかのエネルギーを発している

それは間違いのないことですよね。

「どこか静かな所へ行きたい!」

そう思っても社会生活をしていたらそんなことは出来ない。

またどこかへ行けたとしても

それは逃避であってなんの解決にもなっていない

それだけではない

人がいなくても

私たちの心の中にはいろんな想いが入って来る。

なんでこんなことを想うのだろう?

なんて低俗な想いが出て来るのだろう?

生きていると人と接していると不思議なことばかりです。
 
 

想いは消えてはいない

ずっと生きている



目にみえないエネルギー(想念)を西園寺昌美さんが本の中で教えてくださいました。







想いは生きている



想いには力がある



我々の頭の中では瞬々刻々と、さまざなな想いが浮かび上がっては消えてゆく。

それらの多くは、大して意味も為さぬような、とりとめのないものである。

果してこの想いとは、いかなるものなのであろうか。

我々は時に、強く意識して一つのイメージを心の中に思い描く時がある。

そして、その想いは、過去から現在を通過して、未来へと駆け巡る。

こうした想いの断片をあれこれ取り上げ、問題にしても始まらないが、これらの想いには、どのような影響力があるのだろうか。


心ある人ならば、この種々さまざまな想いが無数に組み合わさり、自分の人生に大きく関わっていることに気づいているはずである。


どのような想いが心の中にとどまっているかによって、人は時には繊細に、時には鈍感に、時には強く、時にはにぶく、そして時には清く崇高に、また時にはみだらで低俗に、時には知的に、時には愚かに・・・・・と、さまざまな状況を呈してゆくからである。


心踊るような輝かしい歓喜に満たされたかと思えば、次の瞬間には黒雲のような不安、恐怖、絶望感が立ちこめることもある。


日々瞬々刻々、変わりゆく想いは、まるで自分の心を支配しているかのようではあるが、実体があるわけではない。

かといって、全く影響力がないわけでもなく、実際、我々の人生はこの想いによって、常に振りまわされているのである。

そうした状況を鑑みると、我々の想いは力を持っているように思われる。だが、果たして想いには力があるのか。


もちろん、力があるのである。そればかりか、想いは生きているのである。

かつまた、すべての想いは種々さまざなな色をも伴っているのである。




 


人間は常にさまざまな色の想念を放ちつづけている



想いの色について説明する前に、まず、太陽の光を思い浮かべていただきたい。

ご存じのように、太陽の光がプリズムを通し空中に放射される時、その光は赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色に分散される。

それらには、それぞれ固有の波長があり、波長が最も長いものは赤色、最も短いものは紫色である。

すべての光はそれぞれ波長に伴った色彩を放ち、また、それらは他のものと交わらない限り、純然たる色彩をたたえているのである。

想念もまた然りである。

希望や神聖さに満ちた祈りや瞑想などは、限りなく透明な青や白光を放ち、愛、慈しみ、清純さなどは澄んだ深紅色を放つ。

反対に怒り、憎悪、野心、欲望、嫉妬、残虐性に燃えた想いには常に、毒々しい赤や、どす黒い炎のような濁った色を放っている。

絶望、利己主義、貪欲さは限りなく暗い灰色や黄褐色である。

このように、想いというものは同時に色をも宇宙空間に放ちつづけているのである。


この想いの波は、エネルギーでもある。 エネルギーというのは、即ち生命の力である。


想いは種々さまざまな色合いを織りなしてゆく。それこそ限りなく白光のものもあれば、限りなく濁ったものまで・・・・・。


人類は、この宇宙空間に、人それぞれの想念による色彩を放ちながら、自らの存在を世に示しているのである。


自らが悪しきことを思えば、その瞬間、暗黒想念と濁った色彩が宇宙空間に放たれてゆく。

それらは生きているため、自分と同じように宇宙空間を浮遊している人類一人一人の想念の中から、自分に類似している、波長の合う資質を引き寄せ、集めてしまうのである。


それはつまり、自らの心が暗黒想念に満たされているならば、それに見合った低次元の想いを、相手の心の中から引き出してしまうということである。


その結果、自らの想念に他の人々の否定的な力が加わって、自らの暗黒想念は、激しい活動性を帯びた生きもののような存在に変じてゆくのである。


この想念の生きものは、放った人の意識をそのままに、大変な力とエネルギーを内に蓄えつつ、その意識の具現化を図ってゆくのである。

従って、それが誰かに向けられた場合、想念を送る者の意志が強くしっかりとしていればいるほど、非常に強力な代行者となって、その偉力を発揮してゆくのである。



                     つづく



  

      「今、何を信じるか?」 西園寺昌美 白光出版




  


2010年11月21日 (日)

調和波動気功セミナーのご案内!




  さあ、今月も調和波動気功セミナーがやって来ました。わーい(嬉しい顔)

  宇宙も地球も、目に見えるものも、見えないものも

  人間の心も、身体(肉体)も

  すべては波動で出来ています。
 
  目に見えるものも目にみえない波動の集まりなのです。

  だから、目に見えない波動(エネルギー)が整えば、目に見えるものは

  自然と整ってくるのです。


  そのことが調和波動気功セミナーに出席すると

  わかるようになる。

  それはその場(セミナー)の波動が素晴らしいからなのです。ぴかぴか(新しい)わーい(嬉しい顔)

  興味のある方は、是非、セミナーに参加してください。

  その波動を実感してください。

  そしてご自分を変えるきっかけにしてください。



 





     『MOON RIVER STAR』 

   



日   時:2010年11月28日(日)  12:00~16:00
         
     会   食:          12:00~13:30

  于先生講演会:          14:00~16:00

場   所:中国料理 大成閣 (大阪市中央区東心斎橋)

会費:8,000円 (中学生以上)
  4,000円 (小学生4~6年生)


詳しくは調和波動気功法HP

最新講座のご案内をご覧ください。
 


http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/



篠崎携帯 080-1444-0018




   



想いは時間、空間を超え物質化現象を引き起こす

 
  
  
自分の心の中にある人のことが浮かんで来ることがあります。

私がいつも不思議だったのは、これは相手の人が自分のことを想っていてその想いが私に伝わって来たものなのか?

それとも私の潜在意識の中にその人がいてそれが浮かびあがってきたものなのか?

昔から、“くしゃみをすると誰かが自分を噂している” と言われています。

それは人間の想念とは、つながっていることを言っているのですが

ならば、自分の想念が相手の人にどう影響しているのか?

そして人類全体にもどう影響していくのか?

そのことについて、もっと知る必要があるように思うのです。

以前書いた日記で、目にみえないエネルギーは消えないでその残像は生き続ける、影響を与えつづけると書きました。

今回も西園寺昌美先生がそのことについてわかりやすく述べてくださっています。



 


想いは時間、空間を超え物質化現象を引き起こす
 



想念波動の生きものは、実際に起こらなかったことでも、あたかも起きたかのような、不思議な現象を引き起こすことがある。

例えば、ある母親が、遠くアメリカに住む娘に会いたいと強く思ったとする。

その想いは時間、空間を超えて、あたかも自分がアメリカに居り、娘に会っているかのような想念形体の像をつくり上げてしまうのである。


この状況を、霊能者や透視能力を持っている人が見ると、そこに本当にその人が存在しているように見えてしまう。

これは、この母親が、自らの想念形態を物質化するほどの強い念力を、持っていたということの証である。

また、同時に、宇宙空間に存在する種々さまざまなる物質(元素)を、自らのつくり上げた想念形態に集中的に引きつけたとも言えるのである。

このように、「娘に会いたい」 という強い念が高じると、それは一気に濃縮され、霊能者や透視者に見えてしまうほどの像を、時間、空間を超えてつくり上げてしまうのである。

この時、普段は決して使われない肉体エネルギーが大量に放出され、使い果されているのである。

かつまた、娘の側にあっては、普段母のことなど思い出さないのに、突然心の中に胸騒ぎのような感覚を覚え、急に母のことが気になるのである。

これもまた、母より放たれた 「娘に会いたい」 という想念エネルギーの影響である。

その想いの生きものは、母親の意識を離れ、宇宙空間に浮遊するたくさんの資質(元素)を引きつけながら、娘に自分の像を届ける。

その結果、母が実際にはそこに居なくても、娘の心の中に母が会いに来たような、不思議な感覚を生じさせるのである。

このようにして、想念は時間、空間を超えて、はるか遠くにいる人にも、届けることが出来るのである。

この母親の場合、普段は気にならない娘のことが急に案じられ、心配や不安の念に駆られ、どうしようもなく会いたいという衝動に駆り立てられたのであるが、その強い感情想念は娘のところに飛んでゆき、彼女のオーラに作用して、彼女のことを何らかの危機から守護してあげたのである。

それはどういうことかというと、母の直観が、そして強い愛が近い将来娘の身に降り掛かるであろう誘惑や危険から見事に娘を守り、無事その場を脱け出せるよう導いたのである。

こうした強い愛、そして直観ほど、素晴らしい偉力を発揮するものはない。

また、その母が祈りや印を行じていたならば、まさにその数千倍、数万倍を上回るほど強力な宇宙神のエネルギーが加わり、この母の愛念は、娘の守護霊のような役割りを果たし、それに力を与え、持続させてゆくのである。

だが、反対に、母の情の念が極度の心配や不安や恐れの強いものだとすると、娘に届く念波も、否定的な念波となってしまうため、娘も母と同じように、心配や不安や恐れを抱いてしまい、却って光明的な解決が為されにくくなってしまうのである。

そして、その心配や取り越し苦労、不安や恐れの念は、二人の心をますます大きく占めてゆき、とうとう自分自身でも抑えきれない、治められないほどの力となって、二人の前に立ちふさがってくるのである。


この場合、真理を知っているならば即、自らの否定的想念を光明に転換することが出来るのである。


だが、真理を知らない人々は、自らがつくり上げた不安や恐れの念に巻き込まれ、飲み込まれてゆき、ついには母も娘も本来ならば遭わなくてすんだはずの事件や出来事に衝きあたってしまうのである。

想念は生きているのである。

生きているからこそ、その思った通り、心配した通り、恐れを抱いた通りの現実を起してしまうのである。

しかし、いかなる敵意の念や憎しみ、怒り、報復の念が自分の身に襲いかかってこようとも、自らの心の中に、何らその想いと共鳴する波長がなければ、自分は何一つ侵されることはないのである。

ゆえに、人はみな一刻も早く真理に出会うことである。

それが、運命を善きほうへと導き、創造してゆくための原点でもある。




  
    

    「今何を信じるか?」 西園寺昌美  白光出版



  

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます 


我即神也

人類即神也



   

  

2010年11月20日 (土)

想念エネルギーで奇跡は起こる

  
    
想念、つまり心の力は凄まじいものがあります。

何を思っているかで天国の住人にもなれば地獄の住人にもなる。

それは、周りの人、状況は関係はないのです。

以前、于先生のレッスンのときに

「あなたの向うから大きなトラックがぶつかって来てもすり抜けるのですよ」

と言っていただいたことがありました。

私は自分でいうのも変なのですが

ほんとに素直に

「そうだその通りだ!」

と納得したのです。

でもそれはあまりにも非科学的です。

人に言ったら笑われます。(笑)

西園寺昌美さんの本を読んでいたらその答が書いていました。

光明の想念エネルギーがどんな状況をも変えることが出来る。

みなさんも納得されると思います。





人智を超えた現象を引き起こすもの ━ 生命エネルギー


 

ある女性が恋人との待ち合わせ場所に向かっているとすると、彼女の全神経(精神と肉体)は、「恋人に会える」という、その一点に集中している。

そのため、日常の苦悩も悲しみも束縛も一旦忘れ、今はただ、恋人に会える幸せを胸一杯感じ取っている。


これは、精神と肉体が、うまく調和しつつ、相互作用している状態である。

恋人の待つ場所が、次第に近づいてくる。

彼女の喜びは頂点に達する。 恋人は、横断歩道の向う側に立っている。

思わず走り出した瞬間、突然、一台の車が彼女に向かって突進してくるのが見えた ━ 。


彼女が望もうと望むまいと、一気に恐怖やパニックが彼女の心に襲いかかる。

その瞬間、彼女の肉体を維持しているあらゆる内臓や器官、機能、とりわけ心臓や腸、皮膚などが即、反応を起こす。


こうした心の中の状態と身体の状態は、自分が今、どの空間(場)・時間(タイミング)に存在しているかによって異なってくる。

空間━彼女が横断歩道に存在していなかったら・・・・・。

また、時間━車が通りすぎた後に彼女が存在していたら・・・・・・。

すべての状況は、一変する。

だが、その時、彼女が

「あっ、轢かれる。もうダメ」 と思い、その場に立ちすくんでしまったなら、どうなるであろうか。

彼女の肉体は 「もう、ダメ」 という意識にコントロールされ、自らの肉体をその空間・時間にとどまらせてしまう。

後は、ご想像の通り、悲惨な出来事が待ち受けているのである。

しかし、心の持ち方によっては、この悲惨な状況を一変させることも可能なのである。

一台の車が彼女に向かって近づいてくる。

その瞬間、彼女が望もうと望むまいと、日頃から意識していた光明の言葉 ━「必ずよくなる」 「何とかなる」 「絶対に大丈夫」 「守護霊様、守護神様有難うございます」 「我即神也」 ━ などが、心の中に湧き上がる。

次の瞬間、心はただちに彼女の肉体を支配(コントロール)し、彼女の存在をその空間・時間内にとどまらせることなく、そればかりか、生命エネルギーを全身からかき集め、常識をはるかに超えた瞬発力を生じさせ、一歩、二歩と自らの肉体を前進させ、車を避けることが出来るのである。

これは、あくまでも彼女自身の精神の力によるものである。

周りでこの状況を見守っていた人々は、百パーセント、彼女は車に轢かれたと思い込むに違いない。だが、彼女はかすり傷ぐらいで済んでいるのである。

それを見た人々は、「奇跡だ! 奇跡以外の何ものでもない!」と思うであろう。

だがこれは決して奇跡でも何でもない。

本来持てる精神の力を発揮し、身体中の生命エネルギーをかき集めて、瞬間物質移動を自らに生じさせたのである。

このように、人間は自分の心一つで、状況をいかようにも変えることが可能なのである。

この域にまで到達するためには、日頃から小さな体験を積み重ねることである。

そうするうちに、誰が見ても高く不可能なハードルをも、越えることが出来るようになるのである。

どんな人にも内在している心の力。

この心の力によって、眠っていた細胞を目覚めさせ、生命エネルギーを一点(目的)に集中させるのである。

この一点に集められた生命エネルギーこそが、人智を超えた現象を引き起こすものである。

この誰にも宿っている生命エネルギーをフルに目覚めさせ、フルに活動させるものこそ、光明なる精神(心)の力である。

光明なる精神の力が肉体に作用することにより、生命エネルギーは一点に集中し、不可能と思える状況が見事に打開されるのである。

そしてこの精神の力を高めるためには「呼吸法の印」がよいのである。

「呼吸法の印」により、自らの生命エネルギーを一点に集中させることが出来るようになる。

反対に、この精神の力を抑制してしまうものは何かと言うと、それは、怒り、悲しみ、恐れ、委縮、不安、出来ない、ダメだ、無理、不可能といった、否定的想念そのものである。




  
    「今、何を信じるか?」 西園寺昌美 白光出版




 



感想


「呼吸法の印」とは特別な呼吸法による人類即神也の印を指しています。

私は毎日1時間から2時間かけて「人類即神也」「我即神也」の印の他に

「地球感謝行」「光明思想徹底行」をしています。(それ以外の時間はずっと祈っています)

于先生は、私の身体がもう肉体波動ではなく神波動になっていますよとおっしゃておられたのだと思うのです。

祈り、印の凄さ、素晴らしさを改めて認識しました。
わーい(嬉しい顔)




世界人類が平和でありますように

我即神也

人類即神也










追伸


于先生のご著書には、印の組み方、地球世界感謝行、光明思想徹底行が網羅されています。(一冊目の調和波動気功法には掲載されていません)


     
1冊目  調和波動気功法 于寿明 三晃書房

2冊目  無限なる癒し 于寿明 星湖舎 (以下同じです)

3冊目  無限次元への誘い  

4冊目  無限なる幸せを体得する方法  

5冊目  無限なる勇気  




電子書籍もあります。(電子書籍にはCD・DVDは付いていません)


電子書籍は

wookという出版社です。

本の名前で検索すると出てきます。



http://my.wook.jp/

 
  于寿明書籍販売ページ



http://utoshiaki.wook.jp/


調和波動気功法とは

http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/



      

2010年11月18日 (木)

只今、充電中!

  
    
   
最近、日記(ブログ)が毎日のようには書けていないのですが、それはある本が面白くて面白しくて夢中になっているのです。わーい(嬉しい顔)

その本を読み終えて、熟読して自分のものにしてから又、書いていこうと思っています。

でもそれではいつになるかわかりませんよね。

それで本の中で特に響いたところを抜粋します。

今回は、私が一番なりたい自分についてです。

日常生活を送っているとどうしても人の言動行為が気になります。

相手の人が自分のことをどう言っているのか、評価をしているのか?

そしてそれに心がかき乱されてしまう。

そんな自分にほとほと嫌気がさしてしまう。

自己嫌悪ですよね。

どんなことがあっても把われない自分でありたい

それが私の究極の目標なのです。




  

 


目覚めた人は把われない




世俗的な価値観や常識に把われ、常に他人の目や他人の思惑を意識する人は、霊性意識も未熟で幼い。

現世的なモノに目的と価値を置くため、感情の起伏が激しく、心は常に不安定である。

精神的に未熟なため、内面よりも外面の豊さ、きらびやかさに心が惹かれるのである。

広く大きな邸宅、高級な宝石やハンドバッグや衣服、家具、自動車・・・・・・を揃えては、優越感に浸っているのである。

霊的、神的に成熟していない人ほど、物質面の豊さやバックグラウンド(背景)、キャリア(経歴)、肉体の美醜を競い、そのことのみに誇りを感じるのである。

その反対に、神性意識に目覚めた人は、外面よりも内面の関心を深め、そこに生きる価値を置く。

物質やバックグラウンドやキャリアに把われることなく、かつまた財欲や肉欲、食欲にも全く囚われない。

心は淡々として澄み清まり、生活はシンプルで贅沢を好まず、かといって物質欲に把われている人々に関しても一切意に介さず、どの人の生き方をも受容し、すべての多様性を認め、生きてゆけるのである。


要するに、本能的欲望意識から解放されればされるほど、何の執着も未練もなくなり、悲哀、苦悩に支配されることもなく、輪廻転生にも何一つ把われることなく、日々瞬々、今現在を真剣に、しかもリラックスし、エンジョイしながら生きてゆけるのである。






  
        「今、何を信じるか」 西園寺昌美 白光出版





  


2010年11月15日 (月)

無題

  
  
  
・ アセンションとは、自分の肉体意識に見切りをつけて宇宙意識へとシフト(移行)することをいう



・ 感情(勘定)を超えたところに自由自在の素晴らしい世界が待っている。
 


・ 他人の心をコントロールすることは出来ない、でも自分の心はコントロールすることは出来る。

 

・ 人にどう思われたいかはいらない、でも人が自分をどう思っているかはチェックしよう
 


・ 自分と他人という意識を超えたとき、意識(心)は宇宙大に大きく拡がっていく。人間はどこまでも無限に大きくなれる。





               

                     グッドムーン



    

如是我聞

  
   

* 人間にとって一番大切なものは、いわゆる犠牲精神といわれている愛です。

只、相手の本心を喜ばす、つまり相手の魂を本当に立派にさせる、そうすることに自分の喜びを見出してゆく、ということです。



 

* 欠点をほじくりかえして、人間はよくなるものではない。また、自分の欠点を取ろう、ぬこうとしても、なかなか出来るものでもない。ぬこう取ろうと自分で想うことよりも、神さまのみ心の中に深く入りこんでいくと、知らないうちにぬけてゆく。 それが遅いようだけれど、一番早い方法である。





            

                      五井昌久




  

正しいか正しくないかの判断は肉体人間には出来ない!

    

  
テレビを観ていてもわかるように何か事件が起ったとして

それに対して正しい、間違っているという判断は誰にも出来ていない。

人それぞれ自分の想念を持っていて、価値観を持っていて、前世からの想念行為もトラウマになって影響し、それに今生の環境、他人、家族等の影響を加えて今のその人になっているのです。(その人の世界を創っている)

だから百人百様、千差万別、絶対に同じ意見考え方なんて存在しない。

だから賛否両論ある議題を議論しても結論なんて出ないのです。

それを人間は、

「あの人はこう言っている、この人はああ言っているどっちが正しいんだろう?どっちが得なんだろう?」


頭の中は自分の考えと人の考えがごっちゃになって交錯しているのです。

肉体人間のどれだけ立派な人に意見を聞いても同じなのです。

その立派と言われている人も、五十歩百歩

頭の中は混乱して迷いに迷っているだけなのです。(自信がありそうに見えても)

肉体人間としての自分は馬鹿なんだ

人も同じく馬鹿なんだ

ここで一旦見切りをつけてあきらめないと

真実はあきらかにならないのです。

だからお釈迦さまはおっしゃったのでしょう?

空になれ!

肉体人間は馬鹿なんだから

空になって

宇宙(神)意識になって

神界にいる本当の自分とつながれ!

神界には本当の自分がいる

すべてがわかっている完璧な自分がいるんだ って

肉体人間の頭でいくら考えたって

答なんて出ないのです。

誰に相談したって正しい答なんて出ないんです!

本当に悟った自分と会わなければ何にも始まらない。

そのために守護霊守護神が付いてくださっている。

下の図にあるように自分の頭だけでどうのこうのと考えるというのは肉体人間の叡知しか使えていないということなんです。(本当の自分はもっと奥深くに居るのです)





神界、宇宙 (守護神)本当の自分の居るところ

霊界 (守護霊)

幽界

肉体人間(自分)





肉体界には悟った霊の守護霊守護神の加護もない。

闇の中をなんの光もなく歩くようなものです。げっそり

本心とつながるためには宇宙の波長と合わさなければならない

そして神界、本心の中継となってつなげてくれる守護霊、守護神の助けをもらわなければならない。

そのために祈りがあるのです。

祈りはたんなる願い事ではないのです。

祈りとはいのちがのり出すという意味です。

いのちが生き生きとしてくるのです。

太陽系の星の中で世界平和の祈りを祈っていないのは

地球人だけだそうです。

だから進化した星にとって地球人は幼い兄弟なのだそうです。



頭でごちゃごちゃ考えるのはみんな違うんだ

宇宙(本心)とつながっていない人間はみんな不完全、馬鹿なんだと思ってください。


お釈迦さまも言っておられます。

「空になったときからすべては始まる」





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




   



 
 

2010年11月14日 (日)

病気になるとは、悪いものを消しているんだ

 
  
  
ごとですが、私の息子は、幼稚園のときに、腸重積(ちょうじゅうせき)になり手術、中学3年の時にそのときの手術の影響から腸が癒着し、またまた手術をすることになりました。

親としては、2回も切ったお腹を見るにつけ、なんでこの子がこんな目に遭わなければいけないのか?

と、どうしてやることも出来ない自分の無力さに情けなさを覚えたのでした。

しかし、今20歳になって、自分の夢に向かって充実している生活を送っている息子はあのときの苦しさ(腸の痛みは尋常ではありません)の経験があったからこそ、それが生かされていると思うのです。
 

“2回死にかけた人は、その後の人生は健康になり精神的にも強く生きていける”

と聞いたことがあります。
 

今、病気で苦しんでいる人、身内の人が病気の人はたくさんおられると思います。

どう乗り切っていけばいいのか?

五井先生が、質問ありませんか?で答えてくださっています。






 
 
 
問39

孫が無事生まれまして、有難うございました。実は難産でございまして、赤ん坊のくびに臍の緒が二廻りもまきついて生まれました。

でも先生にお浄めして頂きましたので、無事誕生出来たことと感謝しております。やはり難産というのか過去世の消えてゆく姿でしょうか?



 

 



人間の世界において神秘的なこととされるものは、赤ちゃんの誕生です。

それだけ見ても、肉体の人間以外の大きな力があるということがハッキリしているわけです。 その大きな力はただ自然とか、ただ宇宙という形でなくて、大智慧、大能力のそなわった力が働きかけているということは事実です。

大智慧、大能力のないものの働きかけであるとすれば、唯物論者が思っている自然という働きかけだけでは理解できません。

赤ちゃんが母親のお腹にある時から、チャンと脳細胞が出来、神経細胞が出来、すべてのものが整っている。

これは大智慧、大能力の働きと解さなければ理解しようもありません。

これは一つの法則によって大智慧、大能力の法則によって動物は動物、人間は人間とハッキリ区別されてくることになるわけです。

その生んでくれる力というものは、実に大したものです。人間はみんな赤ちゃんだった。

そしてお腹に入る以前もあるわけです。そうすると肉体人間として生まれて来た一番最初から、大きな力、神さまの力で生かされているということはハッキリしていることなのです。

ところがこの同じ神さまの力で生れ出、生かされていながらも、片方は楽々と生れてくる場合もあるし、いろいろ難産の場合もある。

或いはチャンと正常に生れればいいのに、正常に生れないで障害も持って生まれる場合もあります。

いろいろな生れ方があります。

それはどういうことか。

大体において、難産で生れてくるような子供は立派な子が多いのです。

物心ついていない赤ちゃんの頃に、業を出してしまって、体が弱かったり、子供の頃の病気がちだったりすることで、かなり業が消滅して、後が楽々と生活して行ける、そればかりでなく、社会人類のために働ける、立派にやっていける要素になる、ということが多いのです。

ですから相当立派になった人、社会人類の為に働いた人の中には、生れ出る時に難産だったり、或いは病弱な子であったりした場合が多いのです。

病身だったりする場合に、かえって、過去世の因縁というものを小さい時にかなり払っておいて、本当に働ける時に、業に禍いされないで働けるという場合が多いのです。

 ですから、皆さんの中に、もしお腹の中に赤ちゃんがいて、それで難産で生れた場合には 

「ああこの子はこんな難産をして、さぞ悪い子じゃないかしら」 

と思わないで、あべこべに

「難産して生れたんだだから大きな業を消したんだ。この子は必ず立派になる」 

と思って下さい。

生れ方が悪かったから悪いということはないのです。




   「質問ありませんか?」 五井昌久 白光出版





  



  

如是我聞

  
  
  
* もし自分がやさしい心、愛の心、明るい心、楽天的な、のんきな心を持っていたら 「ああ私は有難いなあ、幸せによい心を持てて有難いなあ、ますます愛深い私でありますように、どうかますます生命かがやく私になりますように」と祈ることです。そうするとますます生き生きと明るく生きられます。



* 太陽がさんさんと輝いている所んは暗(やみ)はない。それと同じように、心が本当に平和の祈りでみちていれば、そこに暗いものはよって来られない。災難に会うことはない。



* 自分の気に入ることばかり得ようとすれば、いつか気に入らないことをやらされることになる。だから気に入らないことでも、それに耐えて、自分にないと思うものを進んで求めていくことが、自分をどんどん大きくひろげていくことになる。



 
* 苦しみや悲しみから逃げてはいけない。逃げれば逃げるほど苦しみは追いかけてくる。前進することだ。自分から進んでいけば苦しい思いをしなくてすむ。 いやだ、いやだと思っていればいる程、苦しい想いをする。





* 生命を生かすとは、置かれた場所で素直に与えられた仕事を真剣にすることである。

行いと祈りの二面から、神は現われる。






              

                      五井昌久





  


2010年11月11日 (木)

守護霊守護神と一体

  
  

先程書いた“光に闇が寄ってくる” には守護霊、守護神に私たちは守られているというのではなく、自分たちが守護霊、守護神そのものなんだということを書いたように思うのです。

だから何度も書いている “守護霊守護神に代わってあなたに語る”から一歩抜け出しているのかもしれません。

私たちは守られていると同時に、守護霊守護神と一体となって菩薩行をしていくのです。

アセンションは菩薩様がたくさん現われるということです。

私たちがお釈迦様になり、キリスト様になる。

なんと素晴らしいことでしょう 
わーい(嬉しい顔)

 





1、私は日頃あなたが思っていること、考えていることそのすべてを把握し、そしてその希望をすべて成就させるよう願っている。

決してあなた一人だけの望みではない。

あなたの望みは常に私の望みなのだ。







2、自己の希望を実現しえないで人生を終わってしまう人の何と多いことか。
 
彼らは私の存在を少しも認めようとはしなかった。
 
私はどんな時でさえも常に彼らの側にあり、彼らの望みを達成し得んが為に彼らを見守り導いてきたつもりでいる。
 
希望の成就は肉体個人一人で出来るものではない。
 
常に守護霊、守護神と共に歩んでこそ成就する路なのだ。
 
それが真実の人生の路なのだ。


   


 

3、出来うる限り明るく陽気に振るまいなさい。








4、私はあなたがいかなることをしようとも、決してあなたに罰を与えない。
 
私はただ、すべてを許すのみである。

そしてあなたのその罰を私が代わりにしょってあげているのである。
 
その代わりあなたは “消えてゆく姿で世界平和の祈り” を繰り返し繰り返し祈ればよい。

自分自身を深く信じなさい。

 


 

5、私はあなたにあえていいたい。
 
出来る限り明るい言葉や思いやり深い優しい言葉を常に、極力心がけて努力して使うようにし、光明思想の本を一日一回は読み、人の心を感動させるようなニュースを聞き、人と語り合う時には人の心を豊かに楽しませるような話題をあえて選び、明るいことのみを語るようにしてほしい。

そして暗いニュース避け、病気の話や人の不幸の話は出来るだけ口にしないことである。



 

6、羨望の心が湧くのも致しかたない。
 
嫉妬心にもだえるのもまたこれ仕方がないではないか。
 
そして人の幸福を妬み人の不幸を心ならずも喜ぶのもまた致しかたない。
 
人の心は感情によって左右されるものであるから、感情を無くさない限りこのようなことはすべて人の心の中に起こり得る現象である。
 
この世は物質肉体の世界、完全なる霊なる世界と違って不自由な束縛ある世界、よくないことだと充分にわかっていながら、正しいことではないと充分に理解していながら、神から反している行為だと充分に納得していながら、やはり現れてくるのが現実なのである。
 
おさえる必要はない、出すだけ出すがよい。

だが、出来るだけ人に迷惑がかからないように出してゆくのだ。
 
相手にまともにぶつからず、声を出して私にぶつけなさい、私にどなりなさい、私に非難をあびせかけるがよい。
 
私はあなたの心が充分にわかるだけに、あなたが愛しくて可哀相でならない。
 
私の大きな翼であなたを包んであげよう。
 
癒してあげよう。
 
心の中にある鬱憤をすべて私に吐きすてるのだ。
 
私が聞いてあげよう。
 
私が代わって祈ってあげよう。
 
あなたがあなた自身で祈れる時がくるまでは。

 偽善者 になるよりはよほどよい。






7、不調和な状態を一刻も早く自分の心の中から一掃せよ。

 



8、

あなたの内部の奥にじっとひそんで隠されている部分、秘密、嘘、葛藤、情欲・・・・それらのすべてを私は知っている。

私の前には何の隠しだても無用である。

ただ裸になることだ。

私にとっては肉体人間の弱さなどは百も承知の上だ。

だからこそ私というものが必要なのだ。

私の支えを必要とするのだ。

朝な夕なに私の名を呼びなさい。




9、

大自然の修復作用が発揮出来るよう大自然に代わって祈れ。




10、


あなたの希望を実現する場合、まだこの世の中に何の手ががりも見出せず、皆目何も無いところから全く新しい希望、この世に打ち出すそのきっかけを創造(つく)り出すのは、いうまでもないこの私である。
  
常に私の存在を忘れず私の名を呼びなさい。守護霊、守護神同士でお互いに交流し合うからである。


 

11、

人の悪を聞くために耳があるのではない。
 
人の悪を語るために口があるのではない。

人の悪しき姿を見るために目がついているのではない。

 


12、

相手を解放してあげると自己の束縛から解放される。

 


13、

すべてを見知っている私の前ですら未だ嘘、偽りでもって自分を覆いつくし、隠しだてをするつもりでいるのか。

情けない。

私はすべてを許そうと思っているのに。

私は(宇宙の法則)から絶対なる権限を与えられている。

あなたのすべてをゆるし、あなたのすべてを愛するのが私の働きである。





14、


あなたが私から離れてどこへ逃げようとも、隠れようとも、またどんな罵詈雑言(ばりぞうごん)をあびせかけようとも、それでもなお私は常にあなたの側を離れず、怪我がないよう、苦しまないよう、痛まないよう、見守りつづけているだけである。
 
私はあなたに嫌われていても、それでも尚あなたが愛(いと)しいし、愛しつづけているのである。





15、

私は肉体を持ちあわせていないので常にあなたの内部に働きかけ、内部の力を増し、調わせ、そのエネルギーを外界に現わし、そして出来るだけあなたの思うようになるよう、成就するよういたらしめているのである。

 

 

16、

私はあなたが暗く沈んでいる時、今まで以上に強い希望の光を投げかけている。
 
あなたが自分自身を傷つけ悲しみに浸っている時、すべては許されるのだという真理の光を送り、あなたに語りかけているのだ。
 
そして私の慈愛の光によって次第にあなたが真理に目覚めはじめ、その暗く果てしない入り組んだ道から脱け出してゆくあなたを見た時、私はあなた以上に天の神に感謝しているのだ。


 

17、

私は常にあなたに真理を語りつづけている。
 
あなたの心が全智全能の創造主と同じような強い力を握っているのだということを。
 
あなたは自分の心で、自分自身を幸せにも不幸せにもすることが出来るのだということを。
 
自分自身を、傷つけ暗く悲しいものだと思ったら、その通りの人生が展開されてゆくであろうということを。

そして自分自身を神の分け生命として認め、明るく大いなる希望をもってゆくならば、またその通りの人生が展開されてゆくであろうということを。
 
心はすべてのすべてである。
 
なぜならば、心は自分自身の運命の支配者であるからだ。



 

18、

私はあなたがいかなる苦悩、いかなる悲哀、いかなる絶望にあろうとも、必ずあなたを幸せにしようと心をくだいて見守りつづけているのである。

私の働きはあなたの真の幸せに導くこと以外の何ものでもない。


 


19、

 
私はあなたにお願いがある。この世は物質的肉体がすべてではなく、本来霊なる世界の写し世である、という事実を自覚してほしいのである。
 
霊的自我に目覚めたその時から、もはや何ものにもしばられぬ自由自在なる世界が、あなたの目の前に展けてくるのである。

それは無限の可能性を秘め、自分の思う通りになる世界となるのである。

 

 

20、

あなたは常に幸せを願うのだ。
 
あなたは常に神の無限なる能力を信ずるのだ。
 
あなたは常に調和を愛するのだ。
 
私はあなたのその望みにむかって全精力を傾けて、その実現のためにわがエネルギーをフルにあなたの心の中に注ぎこんでいるのだ。
 
だが、あなたの望みが常に暗く悲しく絶望的であるならば、その方向にむかってわがエネルギーを注ぎ込むことは、不可能である。
 
あなたの考えが明るく積極的な希望に満ち溢れたものに変わるよう、エネルギーを注ぎこむのであるが、そのエネルギーの消費量は並大抵ではない。
 
もともと+(プラス)の考え方を更に+(プラス)の方向に導き、この世に実現可能にせしめることは、宇宙の法則通りに実に簡単で無駄なエネルギーを消失しないものであるが、-(マイナス)の思考を+(プラス)に方向転換させることは、前者の何万倍ものエネルギーが消失されるものである。
 
 
常にあなたの考えを+(プラス)の方向に向けて生きて下さい。



 
 

21、

頭のよくない人ほど中途半端な聞きかじりをし、自分の知識をひけらかしたがるものである。

頭がよくないから善悪の批判力が無くすべて受動的に自分に吸収してしまうため、その人の潜在意識の奥にすべてそれらの中途半端な知識は溜めこまれてしまう。
 
さて、本人が病気になったり、挫折したり、失敗したりした時、これらの中途半端な知識が次から次へと頭を擡げ(もたげ)はじめ、自分自身の下らない知識で自分自身をがんじがらめにしばりつけ、また、自分自身の暗い思考力で自分自身を暗示にかけてしまい、どうしようもなく救われがたき状態においこんでいってしまうのである。
 
浅はかというより他にいいようがない。
 
知識ならどんなものでも入れていいというものではない。
 
本来ならば自分の心が勇気づけられ、希望に満ち溢れ、生きることの幸せが鼓舞(こぶ)されるような知識なら徹底的に入れこめよ。


自分の心を暗く不安恐怖に陥らせる知識は意識して取り払うべきである。



 
 

22、

“自分だけ悟ればそれでよい” という考え方は多分に利己的なわがままな生き方である。

これを出来るだけよい意味にとるとすると、人に真理を押しつけがましくするのは、たとえその教えがどんなに素晴らしくても、そこで必ず人の自由を縛りつけてしまうものであるから、よくないということであろう。

だが神のみ心からみたならば、真理を一人でも二人でも出来るだけ多くの人達に知らしめた方が積極的な善なる徳のある生き方なのである。

また何回も何回も重ねて自分の口を通して真理を語るということは、逆に、更に自分自身の潜在意識の中に改めて真理を吹きこむ形となり、自分の信念がまたここで更に強固に絶対的なものとなってゆくのである。

真理は何度も何度も繰り返し繰り返し語れば語るほどよい。

 

 

23、


旧き自己を捨て新しき自己に 蘇(よみがえ)るのが世界平和の祈りである。


どうにもならない自分をしっかりそのままつかんでしまった上、私はこんなにも悪い人間ですといわんばかりに、自分の悪を強調しても、誰も救われはしない。

むしろどうにもならない自分を一旦神の中に捨ててしまって、すべてを神の中に投げ入れていまうと、宇宙の法則にのっとった生き方が示されはじめる。









24、

あなたの長い間にわたる苦しみは私にはわかっている。
 
あなたの悲しみや痛みも私にはすべてわかっている。
 
そして更に今あなたの上に投げかけられている不安恐怖、今のあなたの立場ではどうしようもないのもわかっている。
 
私はいつでもあなたの心の叫びを聞き、訴えを聞き、その問題解決が一刻も早からんことを願い奔走しているのである。
 
だがあなたはこの私の心を知ってか知らないでか、常に自分自身の肉体の力でのりこえようともがいている。
 
だがよく聞いて欲しい、もはや肉体界でトラブルが現われはじめたということは、もう何年も、いや何千年も前に幽界で現れていたことを。

幽界で浄めることが全くできなかったが為に、この肉体界に現れはじめたのであるということを。

そのためにはまず幽界を浄め去るのが先決である。

それが出来るのはこの私である。

霊なる力で、霊なる光で、幽界を浄めれば、自ずと肉体界のすべてのトラブルは自然に解決されるものである。

私に頼りなさい。私を信じなさい。あなたが夢をみているその時ですら、私は闇を光に変える働きをあなたの為にしているのです。

あなたはあなた一人で生くるに非ず、私の生命と共にあって生くるなり。


 
 

25、

今あるとるにたらない小さな小さな幸福にさえも、神の与え給いしごほうびだとして感謝せよ。








26、

私は “神の子” であるという徹底的なる自覚がいかなる災いからもあなたを防ぎ、いかなる不幸からもあなたを脱出させる。
 
災いにも不幸にも絶対に波長が合わないからだ。







27、



私に徹底的に素直たれ。








  




  

光に闇は寄ってくる

  
   
  
“出る杭は打たれる” といいますが、光っている(祈っている)人、物事にこだわらない人、器の大きい人などは人からの攻撃を受けやすいのです。

それは、他人の持っている業、エネルギーを背負ってくれるからです。

器が大きいので、

あなただったら私の荷物(業やマイナスのエネルギー)をもらってくれる、スッキリさせてくれるということが直感でわかるのです。

だから信じられないようなきつい言葉を浴びせられたり、感情をぶつけられたりする。

自分では処理出来ない分(感情)を渡されるのです。

そういったエネルギーは目にはみえないので、証拠はありません(笑)

でも受取った方は、気が重たくなったり、身体の変調があるのです。

だから理屈ではないのです。

「なんであんなことを言われたのだろう?」

「どうして私が怒られないといけないんだ」

理不尽だとは思うのですが

これは理屈ではなくエネルギーの問題なんです。

自分の心は業にまみれて汚れに汚れている

しんどくてしかたがない。

浄化してくれる光を欲している。

だけど自分ではその汚れ(業、感情)を処理し取り除くことが出来ない。

守護霊様、守護神様も手に負えないくらい汚れてしまっている。

そんなときにピッカピカ ぴかぴか(新しい) に光った人が目の前に現われたら・・・・・。

余裕のある人(器の大きい人)が現われたら・・・・・。


とにかく助かりたい、楽になりたい

と本能的に思い

その汚れ(業、感情、マイナスのエネルギー)をぶつけて来るのです。

理由はどうだっていい、なんだっていいのです。
 

生れついて器の大きい人がいます。

心が純粋で素直で輝いている人もいます。

ミッションの大きい人もいます。

祈り始めて魂が輝き出した人もいます。わーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)
 

なんで祈っているのに嫌なことが続くのだろう?

そう思います。

でもそれは、人類の汚れたエネルギーを受けているのです。

人の業想念を受けているのです。(光が強くなっているので闇は多く来ます)

受け持っているのです。

祈りを知らないときは、受けるだけ受けて

そして寝ている間に守護霊守護神様が必死で消してくださっていました。

それが祈るようになったら自分でも消せるようになり(それでも後ろで守護霊守護神がやってくださっているのですが)

荷物をすぐに降ろせるようになったのです。

しかし、その理屈が祈り始めてからもなかなか理解出来ません。

相手を責めたり、自分がいたらないのかと反省をし過ぎたりしたら上手く消せないのです。(それは想いのくせです、習慣になっているのです)

想い過ぎ、考え過ぎはいけないのです。(考えている間に業は溜まっていきます)

祈っているとどんどん消えてゆく姿があります。

今の地球はまさにその状況です。

何が善くて何が悪いことなのか?

判断がつきません。(テレビでニュースを観ていてもわからなくなります)

人類の潜在意識が浮き上がって来ているのです。

幽界(想いの世界)が肉体界に現われて来ているのです。

だから冷静になって、感情に振り回されないようにしてください。

幼い子が欲しいものがあって買ってもらえない

ひっくり返ってだだをこねている。(地球人は幼いのです)

しょうがないなぁと見守っているお母さんの心境になってください。

そして相手の天命がまっとうされることを祈る

人間は天命をまっとうするために生れて来たので

祈られると魂が喜ぶのです。

相手の守護霊守護神に光が行くのです。ぴかぴか(新しい)

すると人間を守りやすくなり目覚めやすくなる。

それが相手の人にとって一番良いことなんです。

くやしいのはわかります。

相手に良く思われたいのもわかります。

でも今が堪えどきなのです。

愛は忍耐なのです。

忍耐がなければアセンション(次元上昇)はないのです。




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  

如是我聞

  
  
  
* 前世からの想いのくせに厚くさえぎられて、自分の中に光輝いた素晴らしいものがあるのに、自分も気づかないことが多い。

しか、或る機縁によって、突然そのかくされていた素晴らしさが発現される時がある。

だから、その人が子供であろうと、どんな人であろうと、馬鹿に出来るものではない。どんなに偉くなるかわからない。極悪人がすばらしい聖者に変貌する時もある。



 

* 欠点はそのままにしておいて、長所をどんどん延ばせばよい。堂々と生きよ。
 



* 悪いことが出て来たら 「ああ、これで過去の業が消えたんだ、これで必ずよくなるのだ」 と深く思うことです。

 
 

* その人が悪いのではない。業にまきこまれてしまうのだ。あいつは悪い奴だ、といわれる人は、実は業をそこに結集させて、代表的に業を消している役目を荷っているのである。 ああご苦労さま、あの人の天命がまっとうされますように、と祈れる心は仏の心である。




       
 
 

               「如是我聞」 五井昌久 白光出版




   



  


  

2010年11月 8日 (月)

天職とは? 5

  
  
  
* 職業は自分を向上させる場

 


天職を見つけるためには、自分に適った仕事はどれだろうといつまでも迷っていないで、まず一歩を踏み出すところから始まります。

どんなことでも、自分で働ける分野で働いてみる。

その場で一生懸命努力をする。 そして学ぶ。

そこで学び取ったら次の天職が待っています。自分から行くのではなく、人が待っている、天が見ている。

だからおのずから引っ張ってくれる。そこで努力しなければ捨てられるだけです。

どんな仕事でも、努力しなければ道は開けません。

それがどんな仕事であっても、仕事があるということは誰かに必要とされているわけです。

人に尽すこと、その喜びが自分に返ってきます。

自信が与えられ、その自信によって、自分は向上していくのです。

こうして、良い循環に入っていきます。

しかし、不平不満を言い、職場を批判し、同僚を嫉妬し、憎んだりしていると、悪い循環に入って解雇されてしまいます。

その心を改めない限り、次に行ってもまた捨てられるだけです。

つまり、自分自身を向上させるための場が、働きの場であり、職業というものなのです。

家庭も自分を立派にさせる場です。夫や妻は言いたいことをぶつけ合っても、毎日顔を合わせる家族だから 「まあ、いいやしょうがない、聞いとこう」と済ませてしまいます。

でも本来、家族というものは、お互いを大事にする関係であるべきです。

何もしてくれないと、母親の責任にしたり、父親の責任にしたりしていないでしょうか。

同じように、職場の仲間の責任にしたり、上司の責任にするのは止めましょう。

自分で責任をとるくらいの度量を持ってください。

人のせいにしないで、人のために尽す人。

そのような人に祈りのミッションが与えられるのです。

自分が人類のために祈り、限りなく神の姿を現わすのです。

天職というのは天の職。

天はなにゆえ人間に職を与えてくれるのでしょうか。それは人類を幸せにするため、平和にするための方法なのです。

出来るだけ自分という自己を滅すること。

だから、宗教が必要になってきます。自分を滅する祈り。

他に還元し、人のために生きる利他的な生き方。

これに徹すれば平和になります。それを多くの職業で実現できれば、世界は平和になります。

今、世界に、貧困で職がない人たちがたくさんいます。

私たちは、そういった人たちに職を与えるように行動し、また私たちは、どんな職でも有難く承ることが大切です。



             おしまい



  

       「人生はよくなる」 西園寺昌美 白光出版



 


感想


天職のことを英語で、コーリングといいます、つまり呼ばれるという意味だそうです。

天職とは自分で選ぶのではなく、必要な所、必要な人が


「あなたが必要なんです、どうかこちらへ来てください」

と導いてくれるものなんですね。

今の職場が自分に適しているのか?を考える前に

必要とされる人になる。

そうすれば道は天が創ってくれる。

そうなんだと思います。




 
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)




  


   

2010年11月 7日 (日)

言葉の残像について

  
  
 
私は以前、妻に言われたことがあります。

「あの時にあなたの言ったことは今でも覚えている一生忘れられない!」

昔、夫婦喧嘩をしたときに私が言っただろう言葉らしいのですが

私は覚えていないのです。げっそり

よっぽどひどいことを言ってしまったのかもしれません。泣き顔


そのときに思ったのは


「言葉は生きている無くなってはいない」

でした。

そしてそのときの言葉のエネルギーは後になってから私たちに影響を与えるのです。

自分の言動には責任を持たなければならないのですが言葉の仕組みについて世界平和の祈りを介してわかりやすい文章があります。







世界平和に祈りについて ━ あなたの忠実な分身の話



この物質の世界では、自分というのは一人です。でも私たちは日々、「何百何千何万と、分身を創りだしています。

それは自らの放つ。想いの残像です。

想いというものは、目には見えません。でも消えたわけではないのです。

今まで五十年生きてきたとして、その一瞬一瞬にいろいろな残像が残っているとしたらどうでしょうか。

悪い想いの残像を消さなければ、自分ばかりでなく、他人にも迷惑をかけることになります。

なぜなら想いの残像は、永遠に働きつづけるエネルギーだからです。

エネルギーが消滅しない限り、その想いの通りに、忠実に働きつづけるのです。

このように言うと、“世の中には立派ないい行ないをしているのに、不幸な人もいるけれど・・・・・?” と、不思議に思う方もいらっしゃることでしょう。


なぜいい行ないをしながら、苦労をしなければならないのか ━ それは過去と過去世の処理しきれない残像が残っているからです。

この残像エネルギーを昇華させてしまう、マイナスエネルギーからプラスエネルギーに変えてしまう方法が、世界平和の祈りです。

世界人類が平和でありますように、という人類的な大乗的祈りに変えてしまうと過去(過去世も含む)の自分の発した想いの残像がきれいに消えてしまうのです。

どんどん消えてゆく。

昔は、いろいろ悲しい目にあった、悩むこともあった。

けれど世界平和の祈りを祈りつづけているうちに、いつの間にか幸せになってしまう。

それは過去の残像を世界平和の祈りの残像が消してくれるからです。

人間の心は瞬時に、天使にもなれます。 でも自分の過去をたどってみると、嫌な想いのほうが多く発せられているものです。

どうして世界は滅亡に近づいているかというと、数え切れないほどの悪い想いの残像がうようよしているからです。

その悪い想いの残像に引きずられて、一人、また一人と悪い想いを出してゆく。

でも、世界人類が平和でありますように、と祈ったら、自分の残像を消してゆくとともに、他人の残像、この世界の想いの残像を全部消してゆくのです。

 世界人類が平和でありますように、と祈りに変えた時、自分のたけり狂った嫉妬の想いも、何もかも消えてゆきます。

残像が残りません。その代わり、祈りの光像が永遠に世界平和のために働きつづけます。

私たちは毎日、忙しい生活を送っています。

仕事をし、家族を養い、家事をし、子供の世話をしなければならない。

世界人類が平和でありますように、と神の愛のひびきを、神の使命を受けて祈った時、自分の口から発したそのひびき、言葉は、私たちの分身となって、世界平和のために、今日も明日も働きつづけるのです。






   
         「人生はよくなる」 西園寺昌美 白光出版



  




   
 

天職とは? 4

  
  
  
 * 不満を言うより学ぶ


どんな場面に自分が置かれても、学ぶものはたくさんあります。不平不満を言って、相手のミスを批判するばかりでは、学ぶものは少ない。

それでは、同じ時間、同じ職場に勤めているのに、もったいないではありませんか。

ネガティブに時間を使い、ネガティブに意識を使い、ネガティブにエネルギーを使っていると、ネガティブな自分になっていきます。

どんな場を与えられても、それを自分の学びの場として、全力を尽くしていてこそ、本当の働きが出来、本当の自分に合った、天職が見つかるのです。

だから有名になりたいなどと最初は思っていても、自分がいま働いている場で一生懸命学んでいたら、それが天職であったと気づくのです。

農業をしていて、稲が育っていく。台風が来て、倒れないようにと愛をもって祈る。その稲が実った時、ああ、有難う。台風にもめげず、よく育ってくれた。

ああ、私は農業が天職だと、気づく。自分の意識が結果に表われてくる。

本当に一生懸命、人に対し一生懸命尽せば、結果は自分に返ってくる。

植物に尽せば植物から、動物に尽せば動物から、自然現象に尽せばあらゆる災害に引き込まれないで済むのです。

意識の問題です。祈りでも百万べんやることに意味があるのではありません。

一回でも雑念を払い、自分を見つめて行なう。そうすれば、祈りが奇跡を起こす。自分の意識が奇跡を起こすのです。自分の意識が天職を引きつけるのです。



 

 

 * 必要とされる人になる

 

私の好きな言葉は 「不可能はない」 です。不可能を不可能にしているのは自分の心で制限しているからです。

パラリンピックでハンディキャップのある人たちが、一本の足でも、あるいは手がなくても、素晴らしい技を競い合っています。

あるいは、絵画の世界でも、両手が使えないために、口で美しい絵を描いている人がいます。

一本の線を真っすぐ描くのに必ずブルブル震え、こっちいったり、あっちいったり。

でも、あきらめない。そうするとだんだん力を抜いて、意識がだんだん集中していく。

だんだんコツがわかっていく。そして、いつの間にかスッと一本の線が引ける。

花なら花びらをよく観察する。どこでどうなっているか、意識して観察する。

「ああ、花が咲いているわ」と思って通り過ぎていては、ある日突然、花を描こうと思っても描けません。

「ああ、ちっちゃなタンポポ、ああ、命だ。素晴らしい、ああ、美しい花びら」と思った時に、その姿が目に焼きついてるからこそ、一つの花びらをきれいに描くことが出来るのです。

すべて一瞬一瞬、置かれている場は自分の学びの場なのです。

いい加減に通り過ぎたらそのままで終わってしまう。

学ばないで、努力しないで、勉強しないで、技術も磨かないでそれで生きていこうというのはあり得ない。

来生はもっと惨めな生活になってしまいます。

職業には、貴賎はありません。どんな職業も必要とされるから、その職業が生まれたのです。

キャビンアテンダントという職業は、百年前はありませんでした。今までコンピューターのオペレーターも、プログラマーもありませんでした。

ですから、何が必要とされているかによって、職業も増えていきます。

どんな職業に就いても、必要とされる人間になりましょう。

子どもに必要とされる母親に、妻に必要とされる夫に、社会に必要とされる人間に、人類が必要とする人間になりましょう。

そして、自立する。 自分の足で立つのです。

親は、自分の子どもに財産を残そうと思ってはいけません。財産を残せば、子どもはそれだけ努力しなくなります。

いつまでたっても自立できません。

五井先生はおっしゃいました。

「自分の財産は、死ぬまで自分で持っていなさい」と。

子どもが「いま倒産しそうなんだ。お母さん何とかして」と言ってきたら、「あなたの力量でやりなさい」と言うのです。

「潰したってかまわない。小さなアパートに住んで、日々食べてゆくぐらいは稼いでいかれるでしょう」と。


                   つづく





   

           「人生はよくなる」 西園寺昌美 白光出版





  

2010年11月 6日 (土)

天職とは? 3

 
   
  
 * 利他の意識が自分をレベルアップさせる

 
有名になることではない。権力を得ることでもない。尊敬されることでもない。 あなたが必要とされる人間になることです。
 

そういう人間になることによって、どんな道も創り上げることが出来るし、開拓することが出来るし、歩むことが出来るのです。
 

皿洗いがいなくなったら、コックさんは忙しくて仕方がなくなります。汚い皿に新しい料理をのせて出すわけにはいきませんから、皿洗いがどんなに大事なことか。皿洗いは、卑しい仕事でもないし、レベルの低い仕事でもありません。


仕事というものは、他を生かすものです。働きというのは他を生かすもの。自分の肉体労働、精神労働、時間のエネルギーを与えて人を生かすこと、それが働き、仕事です。
 

自分のために働くのではない。人のために働くことによって、喜ばれ、感謝される。
 

あなたを必要としていますと言われた時、これこそが働くことの喜びです。
 

そして次に、自分の意識が高まって、もっと多くの人たちのために生きようと思えば、自分がもっと多くの人たちから必要とされるようになり、より大きな立場へとおのずから引っ張られていきます。


皿洗いも、一つのミッションです。自分が洗ったピカピカの皿に新しい料理がのせられて、お客様を喜ばせる。 それが自分の喜びとなる。


人の見えないところでも自分が納得がいくまで仕事をする。その意識が人を動かし、自分をもっと大きな世界へ導いてくれます。


すべては人間関係です。相手を立てながら、相手の素晴らしさを称えながら、生きていく人。これはどこの道に行っても、皆から必要とされる人です。


自分は本当はこんな場所にいる人間ではない、自分はもっとこういう才能があるのに誰も認めてくれないと、不平不満ばかりを言っている人を、誰が必要とするでしょう。
 

自分自身を磨き、高める。職を通して、自分自身が立派になっていく。限りなく自己滅却していく。

 
利己から利他へ。これが、個の幸せと同時に全人類の幸せを可能にする道です。

 
平和を唱えても、みんな自分のビジネスのことばかり、自分の国のことばかり言い立てています。
 

親も、他の子どもを思いやり、皆で育んであげられれば、いじめはありません。皆がいかに楽をして生きよう、働かないで生きようなどと、棚からぼたもち式を求めているのなら、こういう生き方が蔓延したなら、人類は滅亡へ向かっていきます。
 

それを救うのが私たちの意識です。
 

自分が祈ることによって、自分が高めあげられると同時に、人類をも高めあげて浄めていくのです。
 

世界人類が平和でありますようにと、他のことを祈っている人は、六十億人の中にどれだけいるでしょうか。
 

祈りは、自分を通して世界に及ぶけれども、祈りのきっかけがなければ、世界平和も祈れません。
 

自分の悩みをいうきっかけがなければ、最初は祈れないでしょう。
 

自分の悩み、困難、つらさは自分を昇華するためにどれだけ必要であったか。

 
祈りの道へ入れたというのはどんなに幸せな人生、天職を得たことでしょう。

 
どんな問題を抱えてても、どんな病気になっても、人は人のために祈れるのです。
 

祈りは生活を通して、自ずと魂の中から響いてくるものです。


 



 
 * 努力する日々は必ず報われる


これは私が体験した話です。アメリカでオペラを観ました。第一幕が終わって主役の女性が倒れてしまいました。
 

そうすると、第二幕から主役は他の人に代わらなければなりません。みんなのムードが高まっているところに、突然主役が倒れて第二幕から出られないというアナウンスがあり、観客からはブーイングです。

 
さあ、第二幕が開きました。すると、主役とはほとんど変わらない、同じ顔形、同じ雰囲気、同じ声の人が現われました。

私は思わず 「えっ?」って疑ったぐらい。

その人はずっと自分の出番を待ちつづけていたのです。

もしかしたら一生チャンスはないかもしれない。それでも、台詞(せりふ)も演技も全部、主役と同じレベルで出来るよう努力し、いつでも出られるよう忍耐しつづけていました。

ただただオペラが好きだから、ただただ歌いたいから、ずっとチャンスの訪れをあきらめもせず待ちつづけていた。

 
普通なら途中からほかの有名な歌手を連れてきても、同じように出来るものではありません。


アメリカのオペラ界では、スターと同じ姿形、顔色、髪の色、言葉、振舞い、雰囲気、同じように演技できる人を育てて、スタンバイさせていて、何かがある時に出演させることがあるそうです。
 

結局、その人はその倒れた人を凌いで有名になりました。
 

その人がいつ出演できるかどうかは、誰にもわかりません。しかし、歌いたいからという一念で、じっと待っていたのです。
 

相手を倒したのでなく、相手が偶然倒れてチャンスが訪れた。
 

人を動かすというのは、そういうものなのです。
 

働きというものはそういうものなのです。
 

目に見えない努力をしてこそ、人から必要とされ、大事にされ、尊敬され、天職に就いていきます。
 

もちろん、その人は端役も出来る。だからある舞台では、みんなと一緒に演じる。

 
だけど、いずれは主役を演じたいと思い、主役をいつも見ていた、演出家の
アドバイスを自分のことのように聞いている。
 

そのことは、演出家が一番よく知っています。

 
そういう意味で、成功する人、頭角を現わしていく人は、それだけ目に見えない努力を本当に果して、自己を滅却してきたといえます。
 

好きだからこそ続ける。そこにいることによって、学ぶことは多くあります。
 

有名な先生について、月謝を払って個人レッスンを受けても、成功するかどうかはわかりません。
 

その人の日々の態度、意識こそが重要なのです。



                         つづく






        「人生はよくなる」 西園寺昌美 白光出版




   

2010年11月 5日 (金)

人生とは修行なり

  
   
    
仕事でも家庭のことでもプライベートのことでも

なんとか良くしようと気張る、頑張るからしんどいのであって

人間とは、自分とは魂を磨くために修行をしているんだ、生きているんだ

と割り切って思ってしまえばかなり楽になるのです。わーい(嬉しい顔)

高い山に登るのでも、長い距離のマラソンで走るのでも

楽して登ろう、走ろうと考えている人なんかいない

つらいのはわかっている、身体も心も酷使するのはわかっているけど

到達したときの達成感がたまらなく気持ちがいいから挑んで行くんですよね。

だから楽しくすることに、喜ぶことに、こだわらなくていい

喜怒哀楽に振り回されない方がいい

人間関係でも上手くやっていこうとしたら無理をします。

相手の人のご機嫌をとったり、相手の想念、感情に合わすと自分はこれでいいのだろうか?と違う自分を演じなければならなくなる。


そして嘘の自分をさらに上乗せをしてしまう。


本当の喜びとは幸せとは、苦しいこと、辛いこと、悲しいことを乗り越えた向うの側にあると思うのです。

だから嫌なことが当り前なんだと思えばいい。

そうすれば、ちょっとしたことでも幸せを感じられるようになる。

感謝の気持ちが湧いて来る。

そうすると今の修行ってなんだか楽しくなって来たような気がするのです。わーい(嬉しい顔)


それは、西園寺昌美さんの「人生はよくなる」を読んでいてそう思うようになったのです。


 
      

天職とは? 2

  
  
  
* 熱意は仕事の時間や場所を選ばない
  


天職を得たいのなら、まず自立することです。

仕事はアルバイトの皿洗いでもかまいません。そうして与えられた場、時、人間関係によって自分に何が足りないか、振り返ってみるのです。

憎み、恨み、嫉妬、そのような心のまま天職を求めつづけても、天職はどこにもみつかりません。

天職とはどんな場に置かれても、どんな人間関係に置かれても、どんな時代にあっても、自分を捨てて人のために、人類のために、自分の肉体、精神、すべてを捧げる、それだけの意識がある人に与えられます。

どんな職業でも、どんな汚い暗い場所でも、どんな時代においても、自分の心の中にしっかりとそういう信念があれば、必ず天職は見つかるものです。

主婦が子どもを放って、天職を求めて走ったら、子どもはどうなるでしょう。

主婦が目の前のやるべきことを果さないで、天職を求めても意味がありません。

主婦立派な天職なのです。

どんな仕事でもそうです。

毎日同じことをしながらも、そこにしっかりとした精神が入っていれば、必ず自分の守護霊様、守護神様と天が見ています。

そして、もっと高いポジションへ運ばれていきます。

努力もしないで、忍耐もしないで、いろいろな困難を避けて、ただ自由だけを求めて働くことはナンセンスです。

天職を得る資格はありません。

仕事の適性にしてもそうです。教育者、看護師、実業家、サラリーマン、女優、ファッションモデル、キャビンアテンダント、科学者、政治家、さまざまな職業があります。

しかし、その中で本当に自分は何になりたいのか考えてください。

みんなからちやほやされたい、みんなから尊敬されたい、みんなからすごい人だと思われたい、お金をいっぱい取りたいという目的で仕事を求めても、それは天職にはなりません。

同じような環境で育ち、同じ程度の才能を持っていても、意識の持ち方で天職になるかならないかが決まるのです。

本当に歌が好きで、歌手になりたい。だからどんな場所でも歌いつづけよう。どんな汚い場でも歌いたい。

自分の歌で周りの人が喜ぶことが、自分の喜びとなる。

暗い気持ちでいる人に、自分の歌を聴かせることによって、彼らが少しでも喜びと生きる希望を持つことが、自分の喜びとなる。

人に喜びと幸せを与えたい。だから歌いつづける。本物の歌手はそこから出てくるのです。


 


 
*意識によってお金の価値は決まる
 



公園などで曲芸をしたり、歌を歌ったりして、お金を十円、百円もらって、この稼ぎを今日の糧とする。

それは恥ではありません。お金を受け取る人の意識によって汚らわしいお金が、尊いお金かが決まるのです。

お金その自体には何の精神性もない。使う人によって、お金に価値が出てくるのです。

欲望のために使えば、悪のお金となる。これをかわいそうな人のために使えば、尊く人を生かすためのお金になるのです。

「お金のために働きたくない」 と言う人がいます。それは逃げです。お金をどんどん稼げばいい。 そのお金を自分の贅沢のために使わないで、人のためにお金を使えばいいのです。

稼いだお金を、人類のために使うのです。

人のために役立ちたいけれど、才能もない、お金もない、労力もない、あるいは病気で出来ない。

でも、祈りがあります。祈りを人類のために捧げる。

それもまたりっぱな天職です。 ですからあなた方はすでに立派な天職に就いているのです。いずれ天から必要な分だけ与えられるはずです。

けれどもその前に、まず、自分を甘やかさない、人に頼らない、依存しない。

自らの内にある無限なる力を引き出すこと。

そこへ持っていかなければなりません。

自分が駄目だと思ったら、本当に駄目になります。自分が出来ないと思ったら、本当に出来ないのです。

お金も同じこと。良く生かすか悪く生かすかは、自分自身の生き方によるのです。

人間も同じことです。能力や才能で自分の価値が決まるのではありません。

真にやりたいことを、一生懸命やりつづければいいのです。

その道に一歩足を進めればいいのです。行動に移すことです。

行動に移さないで 「あれも駄目、これも駄目」 「ああでもない、こうでもない」 と、理屈で納得しようとすると、本心で納得していませんから、ストレスがたまって自己否定に陥ってしまいます。

どんな人にも、能力や才能はあるのです。あこがれの人、有名な人と自分を比べて、惑われてはいけません。自分自身の色を出すこと、自分自身が持って生まれた才能を見出すことこそ大切です。

逃げないで、自分の魂、自分の本心によく耳を傾けてください。

どんな人でも、なりたいものになれるのです。やりたいことは出来るのです。

人にあなたの才能を認めさせるのではなく、自分の内なる力が、意識が、やりたいことをやりつづけさせるのです。

人が見ていようといまいと、認めようと認めなかろうと、そんなことは無関係です。 今、自分に与えられているこの場を、この職業を、この時を、この人脈を、いかに生かし、人に幸せを与え、人に喜びを与えて自分自身もともに幸せになっていくか。 これが真の働きです。




               つづく


   

       「人生はよくなる」 西園寺昌美 白光出版




   



  

2010年11月 4日 (木)

天職とは? 1

  
   
日々仕事をしていく上で

「仕事ってなんだろう?」

「仕事の中の人間関係ってどうしていけばいいのだろう?」

そして

「自分にとっての天職とはなんなんだろう?」

と考えることがあります。

楽しんでするものなのか?

自分を磨くための修行ととらえるものなのか?

人によっていろんな ??????? があると思うのです。

でも何事も原点は同じです。

仕事とはいったいなんのためにあるのか?

なんのためにするのか?

がわかれば自然と答は導き出されると思うのです。

そして、今の就職難も克服できると思うのです。

私が今読んでいる本は

「人生はよくなる」西園寺昌美著 白光出版

です。

生きることの悩み、病気の悩み、仕事の悩みなど

原点に還ってわかりやすく教えてくださいます。

今回は天職、仕事について抜粋してみます。

よろしければ、お付き合いください。







天職とは、人のために役立つものです。



*働くとは



天職とは何でしょう。その前に、まず職を得るとは、どういうことでしょうか。人に雇われて働くということですから、まず自由が束縛されます。

好きな時に旅行にも行かれないし、好きな時にデートすることも出来ません。

人から命令されて動かされ、自由に時間を使うことが許されません。

時間が制限されるばかりではありません。いやな人とも付き合わなければならなくなります。

いやな上司とも、適当にうまくやっていかなければなりません。

ですから働くということは、自分の思ったとおりに好きなことが出来ないし、対人関係からも逃れられません。

働くということはまずそこから始まるものなのです。

真に働くということが判らなければ、自分にふさわしい職を求めようとしても、見つからないものなのです。

今、ニート(NEET)が社会的な問題として取り上げられています。

ニートとは、働かないで学校にも行かない。それから技術も身につけようとしない状態のことです。

ニートという言葉はイギリスに始まり、日本にもこうしたひとたちがいることが認識されました。

この 「学ばない」 「働かない」 「訓練を受けない」 という状態がだんだん蔓延してきました。

これは家族、両親の子育ての失敗であるし、教育の失敗であるし、社会の失敗であるし、国の失敗であるし、全人類の失敗なのです。

この背景には、現在の日本に見られる過剰生産、過剰消費、過剰廃棄という現実が横たわっています。

これは誰かが改めなければなりません。

なぜ人々はこう間違ってしまうのでしょうか。

それは真理がわかっていないからです。





*天職を得るにはエゴを捨てるところから始まる


 
天職とは、人のために貢献する仕事です。自分の命を、自分の働きを、自分のすべてを人類のために生かすのです。

そのために利己的な生き方、わがままな生き方、自分を通そうとする生き方を限りなく滅していくのです。

それが天職です。

キリスト教でも、ミッションを与えられる時に、

「お前はアフリカで伝道してこい」 

「いいえ、アフリカはいやです。アメリカがいいです。芸術もあるし、文化もあるし」


と言ったのでは、これはミッションではありません。

「行け」 と言われれば、どこであろうと人々を救うために自分の一生を捧げて働くのです。

本当に人のためになることは幸せであり、喜びであります。

本当の天職というのは、人のために役立つものです。

そうなれば、自分が人から必要とされるようになります。

ですから、主婦も立派な天職です。 普通のサラリーマンも立派な天職です。

政治や宗教に携わって、有名になったり称えられたりすることは、天職とは関係ありません。

まず夫婦がお互いの魂を高め合うために生きること。

そのためには、時には自分のエゴを殺すこともあります。

これは相手の言うとおりになるのとは違います。

相手と調和して、互いの長所を導き出して、昇華していく。

毎日、毎月、毎年、立派になっていく。

自分のことはあとまわしにして相手のために生きてこそ、最後に天職に到達できるのです。

初めから努力や忍耐をいとい、時間を奪われたり人から命令されたりすることを拒んで、天職を探すとか、自分に適した職業に就こうというのは、まったくのナンセンスです。




                    つづく


  


この話はまだまだ続きます。

途中で切ろうかとも思ったのですが、最後まで書かないと完結しません。

明日、続きを書きます。
ペン




  

2010年11月 3日 (水)

「最も危険な薬物はアルコール」 なのだそうです。

  
  
  


お酒はドリンクではなく薬物だった ワイングラス とっくり(おちょこ付き) ビール

結構衝撃的ですよね。げっそり

私はほとんどアルコールは飲まないのですが、同窓会のこととか居酒屋さんなどで飲み会

をするにつけ、ほとんど飲まない人の集まりと、かなり飲む人たちの集まりでは明らかに波

動(雰囲気)が違っていることには気がついていました。

そして、どうしても飲む人たちが多い場では、苦しくなるので遠のいて行ったのです。

私は調和波動気功を始めてからますますアルコールが合わなくなっていったのですが、

地球が次元上昇するにつけ、タバコと同じように飲む人は減っていくと思います。

私ごとですが、東京の大学に行っている息子が居酒屋でドリンク(カクテルなど)をつくる

アルバイトをしていると于先生にお話ししたとき、

「危険です、なにかあったらすぐに息子さんの所へ行くようにしてください」とおっしゃいま

した。

お酒には、人格、品格、理性を狂わすだけでなく、粗い波動の世界(幽界)に巻き込まれ

てしまうのです。

仏教では五戒という戒めがあってその中の一つはお酒を飲むべからずとあるそうです。

今まで、お酒は飲みすぎなければ身体にいいとか、陽気にさせるとか言われて来ました

がとんでもないと思うのです。

お酒は薬物、覚せい剤よりもコカインよりも危険なのです。

そのことをたくさんの人に知って欲しいと思います。

 


 


【11月2日 AFP】英政府の薬物に関する独立科学委員会(ISCD)は1日、英医学専門誌「ラ

ンセット(The Lancet)」に、社会的な影響も考慮すればアルコールはヘロインやクラック・

コカインなどの違法薬物よりも危険だとする研究結果を発表した。

 これによると人体への有害性はヘロイン、クラック・コカイン、(結晶)メタンフェタミンが最

も高かった。だが、医療制度や刑務所制度に及ぼす影響など、広範な社会的影響を考慮

した場合、アルコールが最も危険で、ヘロインやクラック・コカインがあとに続いた。100を

最高とした危険度は、アルコールが72で、ヘロインが55、クラック・コカインが54だった。

 ISCDは、今回の研究で、現行の薬物分類制度は実際の有害性をあまり正しく反映して

いないことが示されたとしている。(c)AFP




http://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2771799/6400144




 


追伸

息子は幸いなことに、学校のゼミの関係で就職したい先でアルバイトをすることになり、居酒屋さんでのアルバイトは辞めることになりました。

これも于先生を通して、守護霊様が守ってくださったのだと感謝の気持ちが絶えません。

人間はつくづく守られているのだなぁと思います。(それに甘えてはいけないのですが)


  


  

アセンション 6

  
  
  
アセンションをするとは、地上天国が現われるということです。

つまり天界がそのまま肉体界に降りて来る。

天界、天国には冬、夏がありません。

寒くもなく暑くもないちょうどいい気候なのです。

だから地球の四季からも冬と夏が無くなるのです。

それだけでなく台風、地震、異常気象も無くなる。

なぜそうなるかというと人間の気性(気象)が穏やかになるからなんです。

人間の心に光が当って、業、マイナス想念、感情的な気性が噴き出て、その後に穏やかな心になっていく。(この世の出来事は気象も含めてすべて人間の心が現われているのです)

台風が過ぎ去ってその後に晴れやかな空になるのと同じです。

業が洗い流されるのです。

浄化ですね。ぴかぴか(新しい)

それもアセンションとは大浄化になります。ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

いろいろなことが起ります。

でも大丈夫なのです。

それは神様、宇宙人たちが協力をしてやってくれるからです。

そのことをわかりやすく書いている五井先生の質問コーナーがあります。

よかったらお付き合いください。






 
問5

地上天国というものが出来たら、台風とか地震とかなくなるんですか?





 




そうです。地上天国だという時は、台風もない、争いもない、地震もない、すべての人の心を痛める何ものもない、という時なのです。

さてこうやってこの現象界をみていて、世界の様子をみて、日本の様子をみて、個人個人の様子をみると地上天国なんか出来そうもない。

そこで、普通ではそんな地上天国なんか出来ないという説が多いんですよ。

ところが出来るんです。

何の力によって出来るかというと、守護神守護霊の力によって出来る。

それに宇宙人の力が加わるわけです。

そして出来るのですよ。

この地上界の肉体人間だけでは絶対に出来ません。

肉体人間だけではとても自分たちの業想念を消して、地上天国を作ることは出来ませんよ。

そこでどうしても助太刀が要るのです。

それが守護神であり守護霊であり、宇宙人なんです。

その助太刀の神霊たちと手をつないで、この地上界に降りていただこう、というのが世界平和の祈りの大眼目なんですよ。

消えてゆく姿で世界平和の祈りをやっていれば、自分は安心立命します。

だんだんやってゆくうちにには、怖いことはなくなって来ますね。

だんだん自分が不動心になっていくし、偉くなっていきます。

そして自分の周囲によい影響を与えますよね。

しかしそれだけでは足りないんですよ。

人口が多いから、二十何億(その当時は)あるからね。

そこで、目のあたり光輝くものがパーッと現われるような大奇蹟を見せなければ、本当の世界平和は来ないですよ。

それを右と左にやっているわけです。

片一方ではこの教えによって、世界平和の祈りで、あらゆる業想念、怒りも妬みも自分をいじめる想いも、人をいじめる想いも、すべて世界平和の祈りの中へ全託しちゃって、消してもらってしまう。

世界平和の祈りの中に投げすてて、救世の大光明で消してもらうわけです。

それと同時に、宇宙人に降りてもらって、宇宙科学でもって地上の戦争や天変地変を防ぐ、地上の業想念を浄めるという、二つの働きをするために、世界平和の祈りをやっているんですね。

だから地上天国が出来た時には、暴風雨もなければ、地震もなければ、争いも飢えもないということになるんですね。

それは理想世界があって、現実にやがて現われる世界なんです。

必ず現われるんです。

そのために世界平和の祈りが出来ているんですよ。





       

          「質問ありませんか?」 五井昌久 白光出版






 
   


   

2010年11月 2日 (火)

最強の呼吸法

  
  
  
、いろいろな呼吸法が巷に出ています。

結論をいうと呼吸法とは自分なりの色んなやり方があっていいのです。(最後は自分で研究してください)

呼吸法とはなんのためにするかというと空になるためです。

空になって宇宙(神、本心)とつながるためにするのです。

呼吸法の中には腹式呼吸がありますがそれは正解です。電球わーい(嬉しい顔)

腹脳といって本当の脳、考える場所はお腹にあるのです。

正確には下丹田(かたんでん、へその下3.5センチ)ですね。

ここが身体の中心でもありエネルギーの中心でもあります。

天からの縦のエネルギーと3次元に流れる横のエネルギーの交差しているところです。

十字架でもあり、プラス、マイナスの + でもあります。

宇宙は無限小、無限大を繰り返すことで進化しています。

離れては、集まる(集合離反といいます)

セパレート(離れる)、ユニティ(合一)

地球は今、ユニティ(合一)のときを迎えています。

ユニティとは合うこと、つまり愛の完成のときなのです。


その宇宙規模の宇宙の進化を人間がしたものが腹式呼吸なのです。

人間も小宇宙です。

人間は無限次元に進化しつづける素晴らしい存在なのです。

そして、宇宙の言霊を伴った腹式呼吸をすることで自分自身の進化だけでなく地球の進化、宇宙の進化に貢献することが出来るのです。



その呼吸法とは、下丹田を意識して


息を吸う


そのときに




“我即神也”


止めて


“成就”


吐いて


人類即神也、世界人類が平和でありますように守護霊様、守護神様ありがとうございます”


と唱えるのです。


この言霊は宇宙の真理を現わした最高の言霊です。(この言霊には素晴らしいエネルギーが宿っているのです)


この言霊を呼吸法と伴って行うことで宇宙のエネルギーと一体化するのです。

その際、お腹が震えるようになれば宇宙(神)と直結、共鳴していることになるのです。

下丹田の奥深くは宇宙につながっているのです。

気持ちが落ち着いて来てなんともしれない幸福感が湧いて来ます。わーい(嬉しい顔)

本当の自分と出逢った喜びです。わーい(嬉しい顔)

みなさん是非、呼吸法(腹式)と統一を体験してください。


アセンションよりも先に自分が次元上昇出来るのです。



「無限なる幸せを体得する方法」于寿明 星湖舎


には正しい統一の仕方といくつかの呼吸法の仕方が書かれています。



   


ポイント


1.過去6回のユニティでは地球はアセンション出来なかった、それは世界平和の祈り、印、マンダラ、正しい統一、呼吸法がなかったからです。7は宇宙の完成された数字です。これらのメソッド(方法)で本当の愛の完成、そして次元上昇を迎えることになるのです。



   

菩薩行は命がけ

  
  
  
祈りに祈って心がきれいになればなるほど、救って欲しい人の魂がやって来ます。

病気の人もあれば貧困で苦しんでいる人もいる。

その荷物を全部引き受けて光に変えて消してしまうのが菩薩様のしておられることなのです。

そこには

「自分がしんどくなるから嫌だ」

とか

「なんで自分があんな奴のためにこんなことをしないといけないんだ」

という自分がの我なんてまったくないのです。

だから


人を救うというのは自分の生命を捨ててかからなければならない

本当に命がけでやっている人は輝いています。

そこには自分がという汚れた想念(おもい)がないからです。

地球を本当に救っていくのはこういう人たちなのです。

そうとう過去世で修行をして、人類の為に尽して尽し尽して来た人でないと菩薩行は出来ないのです。

菩薩行とは業を光に変える人のことです。

浄化できる人です。

除霊ではないのです。

地球上の闇を光に変える

そのためにはすごい量の業を受けます。

かぶります。

病気のようにもなります。

身体も不調和になります。

3次元的にもいろんなことが起ります。

でもそれはすべて善くなっていくためのプロセスなんだ

とわかっているのです。

ゴールはわかっている

地上天国が現われることはわかっている。

だからどんなことが自分を襲って来ても

それに耐えれるだけの勇気がいるのです。

不退転の勇気がいるのです。

于先生の元に集まったハーモニーの人たちはまさに

その無限なる勇気を持った人たちです。

そのことが先日の調和波動気功のセミナーでわかりました。

最後は人間が勇気を振り絞ることが大切なのです。

于先生の最後に出された本は

「無限なる勇気」 です。

アセンションは人間の無限なる勇気によって成就するのです。

地球上には人類を救いたくて救いたくてしかたのない人がまだたくさんおられます。

その人たちがハーモニーにつながるのを待っているのです。





「無限なる勇気」 于寿明 星湖舎




  

アセンション 5

  
  
  
“猫をかぶる” という言葉があります。

普段は、活発、オテンバ?なのに、人の前に出ると借りて来た猫のように大人しくなる。

この “かぶる” とは違うのですが

私たち人間は、本体は神性そのもの、神そのものなのに

その上に幾重もの業、カルマを重ねているのです。

赤ちゃんの頃は、神性が顕われて光輝いています。ぴかぴか(新しい)

宇宙からのエネルギーは頭のてっぺんの百会(びゃくえ)というところから入るのですが、赤ちゃんはこの百会が全開しているのです。

しかしある時期からこのチャクラは閉じ始め、大人になると閉じてしまう。

それと同時にいろんなエネルギーを受けるようになるのです。

そのエネルギーが汚れていれば、業をかぶることになります。

しかし世界平和の祈りを祈ったり、自分が神そのものであることを意識している人はかぶることは少ないのです。

肉体を持った以上、まったくかぶることは不可能です。

それは綺麗にしても、また業は寄って襲ってくるからです。

この業(マイナスエネルギー)をたくさんかぶるとどうなるか

神性が顕われなくなるだけでなく本来の自分でなくなるのです。

犯罪を犯した人がよく言うのは

「魔が差した」

ですがこの魔とは間のことです。

神性な魂の間に業が入りこんでしまうのです。(だからたゆまない祈りが大切です)

でも私たちは、この業が入ってきたときがいつなのかわかりません。

いつ自分が自分でなくなったのか区別がつきません。

他人が見ても

「少し様子が変だったわよ」 げっそり

くらいで終わっているかもしれません。

しかし中味(心)はひっくりかえっているのです。

ある程度かぶるのはしかたがないことです。

しかしそこからいつもの神性の顕われた自分に出来るだけ早く戻すことが大切なのです。



先日の調和波動気功のセミナーであるハーモニーの人が

自分がかぶっているか?いないかのチェックをする方法を教えてくださいました。

それは

「神である自分がしているんだと自覚出来ているときはかぶっていない、しかし、自分がなんでこんなことをしなくちゃいけないんだと思っているときは、かぶっているのです」

とおっしゃっていました。

これはほんとにわかりやすい例えなのです。

「自分がなんでこんなことをしなくちゃいけないんだ」 と思っているとき、不平不満があるときとは、計算をしているのです。

損得勘定があるのです。

計算する、勘定をするとは、=感情なのです。

感情的になっているときは絶対に神性は顕われていないのです。

神性とは、穏やかで愛深く、無限なる赦しが顕われた姿です。

しかし、感情的になっているときは自分ではわからないときがあります。(自分を見失っているから)

でも不平不満、損得勘定をしているときは自分でも客観的にわかるのです。

そんなときは

「あっいけない、いけない、神である自分が○○をしているんだ」

と意識を変えればいいのです。

すると意識は神界につながるので

すぐに波動調整が出来るのです。

アセンションするとは、業をかぶらなくなる

本来の姿である“神性が顕われる” ということなのですが

そこにはやっぱり努力がいるのです。

自分が本来の自分であろうとする努力です。

アセンションは勝手になるのではありません。

人間の努力と宇宙(神)の叡知が結集して起るのです。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます




我即神也

人類即神也




  



  

2010年11月 1日 (月)

無題 

 
     
  
● 人と仲良くしようと頭をかけ巡らすより、自分がまず輝くことをしよう、そうすればその光に人は集まって来る。


● お金(勘定)とは、感情を処理するための手段としてあるのです。

だから感情をコントロールすることが出来るようになったらお金の役割りは終わるのです。


● 宇宙にマイナスはない、私たちがマイナスだと思っているのはプラスから出たマイナスなのです。




                  

                      グッドムーン



  

アセンション 4

   
  
昨日の調和波動気功セミナーでは、ある日を境に波動が変わったといっておられました。

波動とは、宇宙から流れて来ているエネルギーのことです。

このエネルギーが細かくなって来ている。

わかりやすくいうと肉体波動、物質波動は粗い波動です。(目にみえるものは)

一方、精神波動、目にみえない心の波動は細かいのです。

つまり神霊波動、4次元の波動が地球上に降りて来ている。

アセンションの前段階ですね。

これはどういうことかというと地球の闇を照らす光のエネルギーが地球や地球人を浄化しているのです。

とても喜ばしいことですよね。わーい(嬉しい顔)

地上天国が近づいているわけですから・・・・・。

だがしかし、降りて来ている波動が細かくなっているのに

地球人の肉体波動がそのままであったのなら

そこにはギャップが生じるのです。

それが不調和なものになって出て来ます。

天候の不順であったり、天変地変、地震であったり

人間では、病気のような症状になったり、憂鬱になったり、身体が重くなったり、物事、仕事が上手くいかなくなったり


そして一番気をつけなければならないことは、感情的になるということです。

自分の心に光が入るということは感情もあぶりだされるのです。

何かしら急に腹が立って来たり

「人を攻撃したい」 という気持ちが起きて来ます。

それを抑えるのはもちろん理性ではあるのですが

もし周りで感情的になっている人を見かけたら、そしてその感情を自分に向けられても

そこに意識を合わさずに、相手の天命を祈ってあげてください。

天命がまっとうするとは魂が最も喜ぶことですからそのエネルギーは
相手の守護霊様、守護神様に行ってそれからその人に穏やかな光が行くのです。

するとハッと目覚めやすくなります。

「オレはなんでこんなに感情的になっていたんだ」 ・・・・・って

そして私たちの心の中には必ず神波動があるのです。

「自分の中には細かい波動がある」

と強く意識をして

その波動が自分の周り(心と肉体)にバリヤを張って

自分を守ってくれているとイメージしてください。

すると粗い波動(感情)と共鳴しなくなるし、他人からの影響も受けなくなるのです。

自分の身は自分で守るとはこのことなんです。

人間は波動体で出来ている

だから波動がわからなければ自分がわからない、他のことも何~にもわからないということなんです。

アセンションするというのは、波動がわかるということです。

波動とはなにか

それは宇宙(神さま)から流れて来ているエネルギーのことなのです。ぴかぴか(新しい)

  









ポイント


1.しんどくなったとしても、それは浄化されたために悪い部分が出て来たのだ、これから善くなるんだ、とマイナスに受け止めずにプラスに受け止めましょう。
 
 

2.今、ほとんどの人は感情を上手くコントロールできません、だからそれが出来る人を攻撃して来ることがあります。祈っている人や浄化された人は光っているので汚れている人が寄って来るのです。
でも、相手の人の波に飲まれないようにしてください。
客観視することが大切です。

 

3.感情が浄化されるということは、あらゆる感情が出尽くした後は、感情が無くなるということです。

すると人間は穏やかになる、感情的で無くなる

感情が無くなる、つまり勘定も無くなる、お金が無くなるのです。

進化した星にはお金というものがないのです。

いよいよ物々交換の時代がやって来ます。(笑)

 


4、私たちの身体は、神さまからのエネルギーを頂いているのです。

神経って神さまの通る経(みち)という意味なんですよ。



5、波動を細かくするにはいう迄もなく宇宙(神)と共鳴する世界平和の祈りを祈りつづけるということです。それしかないのです。



6、スムーズに次元上昇が出来るように宇宙天使様は5冊の本を私たちにプレゼントしてくださいました。
于先生は宇宙天使に代わって書いてくださったのです。于先生も読んでおられて感動されるそうです。   




1冊目  調和波動気功法 于寿明 三晃書房

2冊目  無限なる癒し 于寿明 星湖舎 (以下同じです)

3冊目  無限次元への誘い  

4冊目  無限なる幸せを体得する方法  

5冊目  無限なる勇気  



電子書籍もあります。(電子書籍にはCD・DVDは付いていません)


電子書籍は

wookという出版社です。

本の名前で検索すると出てきます。

http://my.wook.jp/

 
  于寿明書籍販売ページ



http://utoshiaki.wook.jp/


調和波動気功法とは

http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/



  

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