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2010年10月 2日 (土)

五井先生の講話 (知識や理論だけでは救われない)

  

   
今の地球は神様のみ心を現わそうとする過程


 

人間というものは、この世に何遍も何遍も生まれ変わってきます。

しかし、本当の自分そのもの、生命の本源は、神様のみ心の中に、神界にいるわけです。


神界にいて、霊要素として、神様の世界、霊の世界に生きている。

それで、魂、魄を付けて肉体に生まれてくるわけです。

この肉体に生まれてくるまでに、神様がいろんな作業をし、いろいろな要素を付けまして、肉体の世界に生んでくださるわけです。

そしてこの世で、神様のみ心を現わしながら、しかも自分の業生の因縁を消しながら、そしてまたあの世へ行き、あの世でまた修行をしてこの世へ来る。

それも何遍も繰り返しているうちに、魂がすっかり浄まって、神霊そのものの姿になりますと、もうこの地球界には生まれてこないわけです。

そうすると今度は神様の世界で、地球や違う星の後輩を導くようになるわけなんですよ。


ということは今のこの地球世界は、神様のみ心がすっかり現われきっていない、トンネルを掘りながら進んでいるようなものなんです。

だから泥もかぶれば埃もかぶり、魂が真っ黒になりながら神様のみ心を現わそうとして、突き進んでいるわけです。

ところが普通の人には、それが判らないわけです。

そこで先に気づいた人が、こんなに汚れている世の中に見えるけれども、こんなにつまらない世の中に見えるけれども、実はこれは神様のみ心を現わすための過程なんだと、神様のほうに想いを向けてゆくわけですね。





 
学問を究めてゆくと

 

その向け方には、哲学的に、学問知識を詰め込んで向けようとしてゆくか、または学問知識を超えて、ただ阿弥陀様は有難いんだ、世界平和の祈りは有難いんだと教わって、ただ単純についてゆくかの、二つがあるわけですね。


法然さんなんかは、非常に碩学(せきがく)といって、深い学問をした人です。

僧侶の中では、法然さん以上の学問をした人はいないと言われたほどの、立派な学者ですね。

その学者の法然さんが、難しい仏教学をやっていてもとても人類は救われるものではない、これではダメだというので、パッと悟ったわけです。

それで阿弥陀様にすべてをお返しして、阿弥陀様の方からすべての生命(いのち)を頂き直す、そういうふうに、寝ても覚めても、明けても暮れても、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・・・・、と阿弥陀様の中に入りきって生活していたわけです。


あんなに学問をして、いろいろな理屈を知っていた法然さんが、知識や理論では人間は救えないんだ、と率先して全託行の中に入ってしまったわけね。

だから今の学者先生方が宗教をバカにしたり、祈りなんかなんだって言うのは、それは学問を究めていないわけなんですよ。

本当に学問を究めてゆくと、哲学なら哲学、宗教学なら宗教学の奥を究めれば、想念、行為全体で実践してゆく以外には道がないことが明らかになってくるわけです。







守護霊、守護神を認めない人は・・・・・・

 

何故かと言いますと、この肉体が現われる前、幽界が出来る前、神霊の世界だけしかなかった時代があるわけです。

それがだんだんと光を広げてまして、幽界が出来、肉体界が出来たわけなんです。

そうすると、一番初めは神様が一つでしょ。

それが個々に別れて、いろいろ出来てくる。

最後には神様全部が調和して、地球も含めたすべての世界が、本当の神様のみ心を現わした、大調和した世界になるんです。

でもその過程としては、みんな別れ別れになるものですから、別れ別れになって現われた、その隙間がどうしても出来るわけです。


その隙間が業なんですよ。

一つが別れます。 そうするとどうしても、流れが歪むわけですね。

その歪んだ姿が、神様を離れた姿になる。

それでこの地球世界のように、悪や不自然な姿、不調和な姿が現われてきたわけです。

その穴埋めをするために、守護神さん、守護霊さんが現われているわけですね。

それを浄土門的に言えば、人類救済の光としていらっしゃる阿弥陀様です。

その穴埋めによって、この地球の人類は救われてゆくわけなんですよ。


だからどんな理屈や理論を言っても、守護霊、守護神を認めない、本当に阿弥陀様の救済を認めない人は、救われないわけです。

自分の力だけでも救われる、と言う人もあります。

でも、空になればいいんだ、我を捨てて空になればいい、と座禅観法しても、業の流れが間断なく襲ってきます。

空になるにしても、守護霊、守護神に業想念を止めてもらわなければならないんです。

そこで私は空になる、というような、そういう難しいことをしないで、単刀直入に、守護霊さん、守護神さん有難うございます、世界人類が平和でありますように、と教えているんです。

この世界人類が平和でありますように、というのは、神様のみ心がこの世に現われますようにという意味ですね。

神様の完全な姿がこの世に現われると、世界が平和になるんです。




    (昭和48年2月のご講話から) つづく




  
 









感想



その学者の法然さんが、難しい仏教学をやっていてもとても人類は救われるものではない、これではダメだというので、パッと悟ったわけです。


然さんは肉体世界では誰よりも一番頭の良い人だったのです。

その法然さんが肉体意識で悟ろうとしたけれど、徹底的に学問は究めたけれど、その先には悟りの世界(神様の世界)はなかったわけです。

そこでこれまでの研究を全部捨てて、仏さま(神さま)の世界に飛び込んでいった。

この全部を捨てて、神様のふところに飛びこむことを全託というのです。

肉体世界には、悟りの要素がない!と完全に割り切ったからこそ、徹底して全託が出来たのです。

みなさんは徹底して法然さんみたいに3次元を生きていないのか?

自分は中途半端なんだ

と思っていると思います。

でも、2012年にアセンション(次元上昇)するということはもう3次元での修行は終わった

もう学問も究めることもしなくていい

ただ、神界に波長を合わせて

本心の自分と繋がればいいんだ

ということなんです。

「わたしなんてまだまだ修行が足りません」

と謙遜している人がいますが

それは違うのです。

私たちは法然さんのように3次元はもう究めているのです。

後は、本当の自分と遭うだけなのです。

それがこの世に生まれてきた目的なのです。

私たちの天命は自分探しの旅に終止符をうつことなのです。






世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



   


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