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2010年10月31日 (日)

心が鎮まっていなければ、正しい判断は出来ない。

  
  
  
今日、調和波動気功のセミナーがあったのですが、そこで于先生が気を鎮めることの大切さをおっしゃっておられました。

気が鎮まっていないと人間はまともな精神状態ではないのです。

常軌を逸してるのです。

以前から言っておりますように正しいという字は

真理を現わしています。

漢字の一は、天と地を現わしています。

正しいとは天に止まった状態

宇宙とつながって心が止まった、つまり不動心の状態をいうのです。

不動心になるためには、目の前に起きているあらゆる現象に振り回されず、そして頭脳を駆け巡るいろいろな想いを止めなければ、そうはならないのです。

心があっちにいったりこっちにいったりして動き回っている状態では、正しい判断は出来ないのです。


私たちは正しい判断は、あれやこれや頭をこねくり回したときに生れるものだと思っています。

頭を使って熟考したのちに出るものだと信じています。


しかし真実は違うのです。


アセンションとは、心が不動心になって正しい判断が出来る、精神的に大人の星になるということです。

そのための準備として、出来る人から心を鎮めるという習慣を身に付けていくことが大切なのです。


于先生は、五井先生の書かれた「老子講義」という本の中の一節を紹介してくださいました。(これは白光誌11月号にも書かれています)


気を鎮めることの大切さがわかりやすく書かれています。



抜粋しますのでよかったらお付き合いください。


老子は中国の人?なので漢詩で書かれています。



 


躁勝てば寒、静勝てば熱。 清静なれば、天下の正と為る。



 


五井先生の解説


躁勝てば寒というのは、人の真性というものは、表面静かであってしかも生命生き生きと働いているという状態なのでありまして、いたずらに躁がしく騒いでいる、躁騒しく踊り廻り、走り廻り、主義主張を喧伝し合っているという状態は、人の真性の現われていない状態である。

つまり、生命の光が輝いていない状態であって、寒々とした空虚なものを感じる。黒々とした影が踊り廻っているようなものである、というのであります。

実際に、いたずらに自己主張をしたり、大言壮語した後のむなしさ、騒がしく遊び廻った後の寒々とした心境などは、多くの人が味わったり、味わされたりしていることです。


その逆が、静勝てば熱でありまして、人間の頭脳を駆け巡っている様々な想念(おもい)の波動を鎮めて、静寂そのものの心になると、神道的にいえば、鎮魂致しますと、生命そのものの働きが非常に活発になりまして、光明燦然としてくるのです。 静勝てば熱なのであります。


どうして静が勝つと光明が輝き出るのかといいますと、生命の本質は光そのものであり、熱でもあるのです。

生命の働きは光の波動なのであります。

私たちの宇宙子科学では、生命の最初の波動(ひびき)を宇宙子の働きといっているのです。

生命は生き生きとしています。

その生命の働きを生き生きと光そのものとして活動せしめるためには、人間の頭脳を駆け巡る想念波動を静め、生命の働きを業想念波動で蔽わぬようにしなければなりません。

その為に、宗教では、空になることの修行をしたり、鎮魂の為の行をしたりするのであります。

想念を鎮めるということは実に大事なことなのです。

清静なれば天下の正となる。

清というのは勿論、清いということですが、清は清いという意味だけではなく、本質そのものという意味があるのです。

何故かと申しますと、さんずいは水です。

水が青である、と書かれているのが清です。

水の色が青であることは、水の本質です。そして水が青く澄んでいるのは清い姿です。

そこで本質が静かに澄みきって現われていれば、これはまさしく天下の正となるのであります。

ですから、世界中の民族がそして個人個人が自己の本質を現わして生活をしていさえすれば、世界は平和になるにきまっているのです。

ところが、個人の本質も民族の本質もそのまま現われているというわけにはゆかないのであります。

どうして、個人も民族もその本質を現わすことができないのでしょうか、それは、本質を隠してしまう業想念波動が、頭脳を駆け巡っているからなのであります。

個人個人の頭脳を駈け巡る、肉体身の自己を防衛しようとする動物的本能は、各民族の動きに影響し合いまして、躁勝てば寒、という寒々とした心の状態を各国家民族が味わいつづけているのです。


そこでどうしても、清静ならざれば、世界平和は成り立たぬということになるのであります。

清静なるためにはどうしたらよいか。

それは祈り心で日常生活をしつづけるより方法はないのです。

祈りとは業想念波動を静めて、神のみ心の光明波動の中に自己が入ってゆくことであります。

自己の神の子としての本質を光輝かす為の方法であります。

静を勝たせるための方法です。

そして、その方法の最高の在り方が、世界人類の平和を祈願する世界平和の祈りであるのです。





 

 
追伸

私は無人島に流れ着いてあるいは牢屋?に入って、たった一冊本を持ち込んでもいいと言われたら

迷うことなくこの 「老子講義」 を選びます。

老子という方は、お釈迦さまやキリストとは全く違ったお方?なのです。

人というより聖者というより神というより宇宙の法則の人?と言った方がよいでしょうか

とにかく宇宙を感じるとてつもなく、途方もなく無限の大きさがあるのです。

読んでいると私自身が宇宙に溶けていく感覚を覚えるのです。

その老子様と一体となった五井先生というお方?そして于先生・・・・・。

地球の完成はもう約束されているのです。ぴかぴか(新しい)

  

 

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