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2010年10月21日 (木)

生命の素直な流れを邪魔するもの

 
  
  
「生きている念仏」 五井昌久 白光出版より


 
生命の素直な流れを邪魔するもの


 

私がよく、無為にして為す、という老子の教を説いておりますが 「何にも考えないで一体何ができるのですが」とすぐ反問してくる人たちがいます。

そこで私は逆に問いかえします。


「あなた方は、いちいち頭で考えて、心臓を動かしたり肺臓を働かしたりするのですか、人間の五臓六腑をはじめ諸器官は、いちいち頭で考えなくとも、その役目のままにその働きをしているではありませんか、頭で考えたり、想いがとまどったりすれば、かえって諸器官の働きを邪魔してしまうではありませんか」


智慧というのもそれと同じことで、頭脳の想念をあれやこれやと動かすことによって、かえって、真実の智慧の出てくるのを妨げてしまうのです。


実際の私のこれまでの宗教的霊的の体験によりますと、人間というものは、この肉体という体の他にいくつもの微妙な体のあることが判るのです。


そして一番奥深いところにある体というより心といった方がよいところから、神の子本来の智慧能力が常に流れてきているのであります。


それが縦に流れて参っておりますのを、自己の頭脳を駆け巡る意識想念の小さな範囲しか考えられない肉体我が想念の波をはりめぐらしてしまって、縦に流れてくる、神智をさえぎり曇らせてしまうのであります。


日頃から学んでおります学問知識というものの中には、人類の進化の為になるものもありますが、人類の進化を現在の状態にとどめてしまうようなマイナスの面もあるのです。


それが肉体人間の頭脳では、はっきり区別できないのです。


例えていえば、人間というものは、この肉体というものが自分自身であって、この肉体にまつわる能力を増進させ、肉体の個我を充分に発揮させることによって、意義ある人生が送れるのだ、だからいかなる個人といえど個人個人の考えが大事なのであるから、すべての人が各自の意見を述べあって、この社会構成をしてゆくべきで、特別の人の意見というもので社会をひっぱっていってはいけない、というような民主主義的な学説があります。


一応尤もなように聞こえますが、よく考えますと、肉体的な個人というものは、殆どの人々が、自己の肉体的生活環境を守ろうとして社会生活を営んでおりまして、自己や自己にまつわる損得勘定に一番敏感なのであり、自己の得になっても損になるようなことは望まないわけです。


ですから利害が相反し対立するような場合は、お互いが自分の方の意見を主張し合って、常に対立抗争する形になります。


個人個人の誰もが自己の損得を基準にした主張をし合うわけですから、どうしても多くの対立抗争を生み出します。


それを地位や権力のある人々が、自己の側にひき入れようと、権謀術策を講じます。

そして、人数の多い側、権力の強い側の主張し合ったようでいて、結果はその主張を入れられない人々が多くでてくるわけです。




                   つづく





  



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