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2010年9月 7日 (火)

ほんものとにせものを区別する法

  
  
ある日の日々の祈りより



やたらに人を信じてよいというものではない。やたらに人のいう通りに行動してよいというものでもない。
 

相手の本心と業想念をよく区別して、相手の業想念のなかにひきずりこまれてしまってはいけない。


そうした本心と業想念の区別をつける最もよい方法は、先祖の悟った霊である守護霊さんと、その上にいて常に守護霊に光を送っている守護神さんにつねに感謝の心を送っていると、守護の神霊の側から、その人の心にむけて、その区別を直感的にか、他の人を介して必ず知らせてくれるものである。


もしそれでもだまされたり、ひっかかったりする時は、それこそ過去世からのその人との業因縁がそこで消え去っていったもので、それも、自己の本心を輝かすために必要なことであったのだ、と思い思いし、世界平和の祈りを祈りつづけることである。




  

        『日々の祈り』 より 五井昌久 白光出版



 






感想


この人はほんものか、にせものか(嘘を言っているのか、自分を騙そうとしているのか)を見分けるのは難しいのです。

それはその騙している本人も騙すつもりがなかったり、悪いと思っていない場合もあるし、本人の意思ではなく幽界のオバケちゃんに取り憑かれている場合もあります。

それがにせもの(業想念)なのか?

神から来たほんものであるのか?

このことを神の目で審判することを、審神(さにわ)といいます。

本来の人間とはこのさにわを一瞬のうちにできるはずなのです。

でも肉体界を迷いの世界である幽界のオバケちゃんが取り巻いている状態ではその さにわ もままならないのです。

今、起っていること、そして近未来に起こること、そして将来に起こることは肉体界(目にみえる世界)ではわかりません。

肉体人間は明日のことさえわからない・・・・・・・。

これから先一秒先のことさえわからないで、目の前が真っ暗な状態でどうしてまともに生きていけるでしょう?

私たちはなんとかかんとかまぐれのように手探りで生きているのです。

神とつながってしまえば、宇宙の法則に乗ってしまえば(神我一体になれば)大丈夫なのですが、そんなことはキリストかお釈迦様の意識にならないと出来ないのです。

では、私たちはどうしたらいいのか?

宇宙(神様)はそんな人間たちのために守護霊、守護神さまを守りに付けてくださったのです。

守護霊さまとは霊界を司っている霊のことです。

守護神さまとは神界を司って、守護霊の指導をされている神霊のことです。




神界(守護神)

霊界(守護霊)

幽界(想念、潜在意識の世界)

肉体界



肉体界で起こっていること(起ろうとしていること)は、幽界で起こったことつまり過去世で起こったことが時間を経て肉体界に写って来ているのです。

霊界にいらっしゃる守護霊さんは霊界だけではなく幽界のことも熟知しておられます。

だからこれから肉体界でどんなことが起るのか?自分が守っている人間にどんな出来事、事件が起るのかは全部お見通しなのです。

人間に起こる先のことがわかっていないと守ることは出来ないのです。

わかるからしっかりと守れるのです。

だから守護霊さま守護神さまは肉体界にいるどれだけ立派だ、素晴らしい!凄い!と言われている人よりも比べものにならないくらい頼りになるし、どんな人よりもあなたのことを大切に思ってくれているのです。

私がこの世でメンター(人生の師匠)はいらない、人(肉体人間)に頼るよりも守護霊守護神に頼ってください!といっていたのはそのことだったのです。

肉体人間はどれだけ素晴らしいといっても、業を被(かぶ)るのです、純粋で無くなるのです。

汚れてしまうのです。

幽界の影響を受けて神我一体にはなかなかなれないのです。


そんな中途半端な人たちを私たちはメンターにしてしまっているのです。


人に頼らなくても、神社などに神頼みをしなくても自分を守ってくださっている守護霊守護神に意識を向けていればいいのです。

一番心強い味方なのです。

ですから肉体界に現れている人、出来事をしっかりと見抜く力(洞察力)、そして審神(さにわ)は、守護霊守護神と一体となって初めて付いてくるのです。


これまでに現れた聖者、賢者はみんな守護霊守護神の存在を知っておられたのです。

だから私たちも守護霊守護神とつながることでお釈迦様やキリストと同じ人?になれるのです。

神我一体になれるのです。わーい(嬉しい顔)

アセンション(次元上昇)とは、人間が神意識になるということです。


世界平和の祈りは、守護霊守護神に感謝して守りを強くして戴き、そして神界(本心)、宇宙とつながるメソッド(方法)なのです。






世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます



 




補足

最後の文章の 

もしそれでもだまされたり、ひっかかったりする時は、それこそ過去世からのその人との業因縁がそこで消え去っていったもので、それも、自己の本心を輝かすために必要なことであったのだ、と思い思いし、世界平和の祈りを祈りつづけることである。

がわかりにくいと思います。

人に騙されるのも過去世において自分がその人を騙したので騙し返されている場合もあるのです。

その場合は、守護霊は助けてはくれないのです。

大難が小難にはなるもののやったことはやりかえされるという宇宙の法則を変えることは出来ないからです。

業(業因縁)の消し合いとはそのことです。

しかし、そこで騙されることによって過去の因縁は消え、善い方向へと向かっていくのです。

だから騙されるのも騙されないのも全部肉体人間ではわからないことだし、自分で判断しないで神様(守護霊、守護神)にお任せしたらいいんですよね。

余計なことは考えなくていいのです。



  

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