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2010年9月 1日 (水)

本当の愛を行じたい

  
  
  
私たちは常に何かと戦っています。

それに勝てば、心は喜び、安心、安定し、幸せ感に浸れます。

でも、負けてしまったら、またそこから葛藤が始まるのです。

その何かは何かというと愛だと思うのです。

愛が薄くて、怒りや妬み、恨みなどの感情が勝ってしまったら

愛が負けてしまったら

私たちは、情けなくなって

どうしてもっと寛容に、大きな愛になれないのかと自分を責めてしまうのです。

そして自分を赦せない気持ちは、相手にも向けられていく・・・・。

その繰り返しです。

“本当の愛” がわかっていない

自分のものになっていないからです。

本当の愛を識るとは、自分を識ることです、真理を識ること、そして神を識ことになります。

西園寺昌美さんの愛についての文章が白光誌に掲載されていました。


抜粋してみます。



  




 * 本当の愛を行じたい *


愛といいましても、神さまが人間を愛する慈愛、人間が神さまを慕う愛、親子の愛、夫婦の愛、友人間の愛、恋愛、そして国家愛、人類愛とありますが、私は五井先生の大きな大きな慈愛に育まれまして、今日このように丈夫にならせていただきました。


昔はご飯もあまり食べられず、食べられてもすべて戻してしまうという状態で、その間心臓発作を起こして倒れたり、霊的に波を受けて体が長い長い間硬直したり、よく生きてこられたものと思います。


五井先生は個人指導、統一会、原稿書き等、ご多忙の中を、夜中の二時、三時までお祈り下さってお浄めして下さいました。


お食事の時間になって周りの人が “お食事をどうぞ” と申上げても“この子がこんなに苦しんでいるのに食べられると思う?私のおなかに入ると思う?考えてごらん” と昼食をぬかれ、お夕食もぬかれて、なんにも召し上がらないで、つきっきりでお祈りして下さり、私が一口食べられるようになると “じゃあ頂こう” と召し上がられるのでした。


ご自分のことなど微塵もお考えにならない。ご自分の肉体、感情なぞ、一切投げすてて、人のために尽くされる。

そういう五井先生のお姿を拝見していて、自分をなくさない限り、本当の愛を現わすことはできないのだ、としみじみわかりました。


真実の愛を行うことほどむずかしいものはございません。自分の過去をふりかえって、反省した時、果して自分の心を捨てきって無にして相手に尽したか、相手を喜ばしたか、相手を生きいきとさせたか ━ そういう真実の愛を行じた方は本当に少ないと思います。


自分の喜び悲しみではなく、相手の喜ぶことを喜びとし、相手の悲しむことを悲しみとし、相手が幸せになるのを無上の喜びとしつづけられるのがほんとうの愛なのです。

そういう愛が行じられる方がこの世に住んでいらっしゃれば、神さまと同じ状態を保っていらっしゃるわけですから、その人をみるだけで浄まり幸せになると思います。


真実の愛をすべてにおいてなしつづけていくということは、現在の私たちに無理かもしれませんが、一年の間に一回でもいいですから、そういう愛を行えるところまで、自分の愛を高めてゆくことが大事だと思います。





* 愛のキャッチボール *



夫婦の間でも相手が憎らしい、やっつけたいと思ったら、もうそこには愛がないわけです。それが苦しくても悲しくても辛くても、侮蔑(ぶべつ)をうけた状態であっても、自分がそれによって感情を爆発させては、自分が傷ついてしまいます。


それは相手が消えてゆく姿を出している状態なんだ、と自分で納得して、それもよし、相手が自分にそういう想いを出すことによって満足するなら、自分はそれを喜んで受けましょう、と神さまの中に入れてしまう。


これは愛でもって受けとめ、思いやりを相手に返したことになります。

そうしていけば相手はどんなに浄まってゆくことか。

知らないうちにトラブルがなくなってゆきます。

消えてゆく姿で受け止めて、世界平和の祈りで神さまのみ心の中に入りこんでゆく。

そうしてゆきますと、自分が一廻りも二廻りも大きくなります。

大きくなりますと、本当の愛を行い得るようになります。

つねに相手がこういっていた、といっては怒り悲しんでいたのでは、本当の愛は生まれてこないのです。


真実の愛にはある程度自己犠牲が入ります。自分の苦しみ悲しみをある程度おさえて、犠牲的精神で相手に尽そうという気持ちがなければ出来ないわけです。

相手を本当に生かす、喜ばすということはむずかしいことですが、本当に生き甲斐のある、こんなに素晴らしいことはありません。


自分を犠牲にしたとか、感情をおさえて相手につくすのでは、まだこの世的な愛であります。


肉体を持った人間から愛されなくては心がすまない、というのではなく、そうした想いは捨てきらなくてはいけません。



 

* 守護霊さまとの距離をちぢめる *


 
そうなるために、私たちはまず守護霊さま、守護神さまと一体になることです。

守護霊さま、守護神さまは私たちを本当に愛して下さっています。

無限の愛を与えて下さっています。

私たちはその自覚がないから、お互いに肉体を持った人間から愛されないと、愛の言葉をかけてもらわないと、愛されてないとか、他人がこうやったからこうなんだ、せまい感情で自分を傷つけ相手を傷つけて、それがこんがらがって面倒くさい世の中になっているわけです。

ですから私たちは守護霊さまと肉体人間との距離感、間隔を出来る限りせばめてゆくことが第一の条件です。

その間隔が私たちを不安にさせ、悩みを感じさせ、悲しみを感じさせるわけです。

守護霊さまと自分との距離が遠ければ遠いほど自分の悩みも大きくなるわけです。

守護霊さまと自分との距離が近ければ近いほど、生活の中にいつも安心しきって、調和に充ちた、そして他人の喜びを喜びと感ずる幸せ感、本心が現れてくるわけです。

距離感をなくすことによって、はじめて本当の愛が自分の心の底からにじみ出て、愛の言葉となり、思いやりの言葉となり、行動となって人々に及ぼすものです。

ですから自分と守護神守護霊さまとの距離が離れていて、愛の行動をしよう、愛の言葉を投げかけようと思っても、それは偽善に終ってしまいます。

ですから、まず、私たちは守護霊さま守護神さまに愛されているんだ、神さまと一体なんだと心の底から思えるようになることです。

そしてどんなに苦しいこと、恐しいことが自分の前に現れてきても、それは過去世における自分の行為が、今現れれて消えてゆくんだ、神さまどうぞお許しください、どうぞお助けください、世界人類が平和でありますように、とお祈りした時には、過去世の潜在意識が消えていって、輝く光の たま になるわけです。




                 つづく



      
            西園寺昌美 白光誌 9月号より




   


  

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