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2010年9月 6日 (月)

死んでしまえばそれまでか

  
  
 
ある日の日々の祈り



人間とは五十年、六十年、この社会に生存していて、あとは灰になり無になってしまうものと思っている。

死んでしまえばそれ迄のもの、と思いこんでいる。

果して人間は肉体の滅亡をもって、最後の終止符になるのであろうか。

私は即座に、いな、と答える。

なんとなく偶然にこの世に生まれ出て、食べたり飲んだりして肉体を維持し、ただなんとなく、社会生活を営んで、妻をめとり、夫に嫁し、子を生み育て、そして死んでゆく。

人類の大半はこのような生活を繰り返し繰り返して、今日に至っているのであるが、このような生き方ではあまりにも無意義であり、無目的でありすぎる。

これではすまない、と何か漠然とした不安定の想いが、その大小にかかわらず、人々の胸の中を去来しているのではなかろうか。




  
           『日々の祈り』 五井昌久 白光出版








感想


人間とは五十年、六十年、この社会に生存していて、あとは灰になり無になってしまうものと思っている。


そうですよね、5、6十年生きて、長生きして百年生きたとしても、ただなんとなく他の人と比べて可もなく不可もなく

それでいいんだ と

平々凡々の一生を送ったとしたら

死ぬときには、死への恐怖だけが残っている

死後の世界がどうなっているのかがわからないので、追求していなかったので

「怖い怖い、死にたくない、死にたくない」

という想念だけがある。

あまりにも悲しいですよね。

死後の世界がわからないから死と直結していると思っている病気が恐い、車に乗るのも事故で死ぬのではという恐怖から怖くなる。

だから、生きていることも恐くなる
 

自分の人生はこのままでいいのか?

と考えるのはごく自然なことなのです。

真理を追究するのは、真剣に生きている人は当然知りたいことであると思うのです。

これから精神文化、精神世界の時代になっていきます。

それは死とはなにか、生とはなにか

という真理を真剣に求めてゆく時代なのです。



  

  

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