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2010年9月 6日 (月)

死とは霊界への誕生である

  
  
  
ある日の日々の祈り



人間世界におけるすべての不安の根底は死の恐怖にある。

いかなる種類の苦しみに直面したとしても、死への恐怖を超越した人にとって、その苦しみは心の痛みにはならない。

死は人間にとっての終りなのか、転移なのか。この謎に解けることによって、人間の進歩は一段と早まるに違いあるまい。

人間は肉体消滅によってなくなってしまうものではない。

死とは幽界、霊界への転出、誕生なのである。

死ぬことを往生(おうじょう)といったのはこのことを昔の人は知っていたからなのである。

人間とは肉体ではなく、霊そのものをいう。

肉体とは霊の容物(いれもの)であって、霊の心のままに行動するものなので、ちょうど自動車が運転手によって走っているように、霊の運転によって種々の行動をするのが肉体なのである。




   
        『日々の祈り』 五井昌久 白光出版


 


 
感想


最後の霊の運転によって行動するとありますが、車(肉体)が無くなっても、運転する人(心、魂)は残る(生き続ける)わけです。

肉体の消滅(死)とは、この車(器)が無くなることであり

今迄は車の中でしか行動できなかったのが、そのよろいから開放されて色んな世界へ行ける自由な体になれるのです。(どこへでも一瞬で行けるのです)

体とは肉体だけでなく、幽界には幽体があり、霊界には霊体があり、神界には神体があります。

肉体以外の体とは、目にみえないエネルギー体のことです。

波動体ともいいます。

私たちは目にみえないものは存在しないと決めてかかっているのです。

しかし、空気がみえないように、心というエネルギー体も見えませんがある(存在する)のです。

死とはなにか?をハッキリ知っている人は、死を、自由自在心になれる、肉体という鎧(よろい)からの脱皮だとわかっているので、悲しいことどころか嬉しいこと、喜ばしいことだと思っているのです。

真理を知っているのと知らないのではそれこそ雲泥の差なのです。

しかし、他の人が人の死を悲しんでいるのに平気にしているというのではなく

他の人と同じように悲しんではいるのですが(涙も流します)

心の中ではその人が無事に

幽界を経て、霊界、神界に行くことを祈って差し上げているのです。

悲しみの中にあってその渦の中には入っていない。(感情に振り回されてはいない)

冷静に相手の人の魂にとって一番いい方法をとっている

そんな人が霊覚者であり、聖者、賢者なのです。


アセンションとは肉体の死とは何か?

をハッキリとわかる人が増えるということです。

死という恐怖を超越するようになる

死を喜ばしいこと(他の世界への旅立ち)なんだと悟ることなのです。




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)


  


追伸


でも生きるこが嫌になった死んだ方が楽だといって肉体の死を選んだ人は肉体界の天命をまっとうしていないので、幽界に行ってまた厳しい修行が待っているのです。

死とは自分で選ぶものではなく、自分の魂の親である守護霊守護神に任せてしまいその結果は本人はあずかり知らぬものです。

生き続けるのも死ぬのも肉体人間の意志では決めることではありません。

生き続けるのなら肉体界で一生懸命に生き

死んだのなら幽界、霊界、神界でも一生懸命に生きる

どちらにしても一生懸命(生命を輝かせ続ける)に生きるのには変わりはないのです。



  


 
 

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