« 子への執着をこえる道 | トップページ | すべてには “時” がある »

2010年8月17日 (火)

囚人たちの神性を拝んだ老僧

  
    
ある日の日々の祈りより

 

ある老僧が刑務所に講話にいった時、前に並んだ囚人たちを見て 

「ああ仏さまたちがおかわいそうに、こんなお姿でここにいなさる。ああお気の毒な仏さま方」といってハラハラと落涙されつづけたそうです。

すると囚人たちは、その老僧の真実こもった涙に、声をそろえて泣き出し、スッカリ心を浄められたということです。

この話などは、一言の説教も、一言の訓戒もせず、ただ囚人のなかのみ仏の姿をみつづけた老僧の心が、囚人のなかから仏性を呼びさませしめたのであります。

人間はすべて神の子、仏の子であります。

悪とは神仏を離れたマイナスであって、その人の本心のなかにあるのでありません。

悪や不幸はすべて消えてゆくより仕方のないものなのです。





               五井昌久

 



感想


この話などは、もうじき訪れるアセンション(次元上昇)とはなんら関係のないものと思われると思われますが、実は、アセンションとは人間にこびり付いている業(ごう)、カルマが取れて、奥の輝いている神性が顕われることをいうのであります。

この老僧は、囚人たちの心の奥に輝いている光が見えたのです。

私たち(一般の人)には見えない光が、老僧、聖者、悟った人には見えるのです。

どんなにくすんで心の光を闇で覆われている人でも必ずその奥には、キラキラと輝いている本当のその人が居るのです。

私たちも自分の心を磨いていけば、この老僧のように今がどれだけ悪く現われている人でも、現象でも、その本質(光)が見えるようになるのです。

そうすると悪は存在しないのです。

元々、悪なんて存在していない。

私たちの心に悪と共鳴する業が残っているからです。

業と業が共鳴して、悪に見えるのです。

だから私たちはいつも、自分の心をピッカピッカぴかぴか(新しい)

磨いていることが大切なのです。

磨いていると光出して、その光に闇が寄って来る。

太陽に雲がかかってくるのです。(しんどくなるときがあります)


だから又、磨く

その繰り返しなのです。

ですから、心が落ち込んだとしても

それは、よりいっそう輝くためのプロセスなんです。わーい(嬉しい顔)手(チョキ)

プラスから出たマイナスなのです。

だから、自分の心の落ち込みなんか気にしないで

たゆまない祈りを続けていくことが大切なんですね。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




    


« 子への執着をこえる道 | トップページ | すべてには “時” がある »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/160971/36209758

この記事へのトラックバック一覧です: 囚人たちの神性を拝んだ老僧:

« 子への執着をこえる道 | トップページ | すべてには “時” がある »

最近のトラックバック

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ