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2010年8月 8日 (日)

分かる人には分かる

 
  
私がここで日記を書いているのは、分かる人に分かってもらえたらいい、その人に出逢うために書いているのだと思うのです。

私の書いていることはたぶん、たくさんの人に分かってもらえるものではない、少なくとも今の段階(時期)では、極、少数の人が

「なるほど!」 と頷かれているのだと思うのです。

もっとたくさんの人にわかってもらいたい、理解してもらいたいと思っていた時は、正直しんどかったです(笑)

でも自分のやっていることは、真理を真剣に学ぼうとしている人、本当に自分が救われたいと思っている人、そして自分が救われたのなら、今度は人も救っていきたいという気持ちで溢れている人とつながるためなのです。

だったら人数の多さではないんだ。

一人であったとしてもその人と出逢うことが尊いことなんだ

出逢わなくてもいい

その人(求めている人)が真理に目覚めて、五井先生、于先生とつながればいいんだ

と何度も何度も思い返すのです。

そんなとき

白光誌に西園寺由佳さんの文章を見つけました。

一部を抜粋しますのでよかったらお付き合いください。

日本の伝統の素晴らしさが書かれています。



 



究めた者同士がわかること


先日、私が知り合いから聞いたお話をご紹介させていただきます。

それは古くから日本に伝わる “包丁道” についてでした。

私は恥ずかしながら、“包丁道”をその時に初めて知ったのですが、鎌倉時代には存在していたことが絵画等でも確認されているそうです。

そして宮中でお正月をお祝いする儀式として執り行われていたそうです。

食事とは、直接的、または間接的に生命を頂いていることでありますが、包丁道はその生命に対する感謝を神様へ捧げる儀式ということで行われていたと伺いました。

そして今でもお家元が、その儀式を執り行われているそうです。

ある時、養殖の魚を五十匹ほど儀式に使うことになったそうなのですが、慎重に輸送されたにもかかわらず、お家元はその五十匹に目を通して、本当に使えるのはこの三匹だけだとすべての魚の中から三匹だけを指差したそうです。

周りにいる人々はその三匹と他の魚の違いが全くわかりませんでした。

すべて慎重に、一切の傷なく運ばれてきた五十匹の魚は他のひとたちには全く同じに見えたそうです。

が、お家元曰く、その三匹の魚は安らかに、まるで自分が死んだことも気づかずに死んでいたそうです。

そしてお家元は、他の魚たちは締める時に苦しんで死んでいるのが分からないか?

と周りの人たちに聞かれたそうです。

 ある人が、その魚を養殖した漁師の方に、その話をしたのです。

すると漁師の方は途端に 

「ほれ見んかい!」とお弟子さんたちを一喝されました。

「お前らは締めればいいと思っとるがそうじゃないんや。分かったか?」と。

実は五十匹の中でその漁師の方が絞めた魚は三匹のみで、後はすべてお弟子さんが絞めたそうです。

まさしく究めた者同士が分かり合う、深い伝統の真理です。

日本には古来から食一つに対し、また食物(生命)に対し、それだけの配慮と、奥深さが存在していたのです。

でも、これは知る人ぞ知る。

分かる人だけが分かること。

分からない人には分からない、その道を究めた人同士のみが分かり合えることだと知りました。





    
           西園寺由佳 白光誌 8月号より


   



 

感想


究めるって難しいことではないと思います。

毎日を一生懸命に真剣に生きることが究めることだと思うのです。



 


  
 
   

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