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2010年8月10日 (火)

本当の自由とは

  
  
  
私たちはお金がたくさんあったのなら自由になると思っています。

でも、お金をたくさん持っている人はもっとたくさんお金を欲しいと思っているかもしれない、するとその人はお金持ちでもなければ自由でもないわけです。

反対にお金をあまり持っていなくてもお金に執着していなければその人貧乏でもないし、心は自由なわけです。

つまり自由とは、なにものにも縛られない心の状態をいうのだと思うのです。




空の鳥を見るがよい。
まくことも、刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。
それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。
あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。





という聖書の言葉がありますが、その通りだと思うのです。


今回は五井先生の述べられる“本当の自由とは” について書いていきます。




 





  本当の自由とは


把われる想いがあるうちは本当の自由とは言えない


いろんな自由という言葉がありますが、本当の自由とはどういうことか、ということについて話しましょうね。


人間というものは、赤ちゃんを見ても分かりますけど、赤ちゃんは押さえつけられたりすると、泣いたり、暴れたりしますね。


これは赤ちゃんじゃなくても、誰も彼もが、生命の自由、自由に生きたい、ということを欲しているわけです。

また貧乏になったり、病気になったりしますと、自由がなくなりますね。

貧乏すればお金がないから、好きな物も買えないし、病気になると、おもい通りに動けません。

だから、貧乏や病気にはなりたくないと思う。

そういうのも、自由を欲する形に他なりません。

だけれども、本当の自由というものは、そういうひとつひとつの現われにあるのではなくて、心がどんな状態にあっても、どんな貧乏な中にあっても、どんな病気の中にあっても、心が自由に生き生きとしていられるということです。

お金持ちの王様が、いくら好き放題なことが出来たとしても、本当の自由とは言えません。

お金ならお金そのものに把われたり、いろんなものに把われるかもしれない。

把われる想いがあるうちは、本当の自由ではない、ということなんです。





生命そのままの姿を現わすためには



しかし、肉体が人間そのものだと思っているような人は、どうしても病気なら病気に把われてしまいます。

貧乏なら貧乏に把われてしまいます。


ところが、生命そのものが人間だということが判っていますと、たとえ病気をしていても、貧乏していても、それは過去世の因縁が消えてゆく姿だ、と思えて把われなくなります。

もしも、把われたとしても、ああ、これは消えてゆく姿だな、とその把われの想いを消すことが出来る。

そうすることによって、肉体よりも、もっともっと奥の、生命のそのままの姿が現われてくるんです。

もっと言い換えますならば、人間は肉体を持っているので、その五尺何寸という肉体の枠の中に把われてしまうと、たとえどんなに富があって、どんなに自由があるように見えても、それは本当の自由ではない。


ところが、人間は肉体ではなく生命そのものなんだ、神の分け生命なんだということが判りますと、たとえ肉体がどういう状態になったとしても、それに把われることがなくなります。


それが生命の自由を得るということになるわけなんです。



               つづく






        五井先生の講話より







感想


目に見えている肉体だけが、人間ではない、自分ではない

というところがなかなかわかりにくいですよね。

わかりやすくいいますと

肉体がなくなると心だけが残るのです。

身体は無くなっても意識は残っているのです。

つまり心という目にみえないエネルギー体になるのです。

下の図のように人間は肉体が無くなっても

幽体、霊体、神体があるのです。

そして私たちにインスピレーション(直観)で知らせてくれる神体は神界にあります。

そこに本当の自分の心、つまり本心があるのです。





 神体(神界、本心のあるところ)
 ↑
 霊体(霊界)
 ↑
 幽体(幽界)
 ↑
 肉体(肉体界)



そして私たちは、自分たちのことを人間、または人といいますが、人間と人とは違うのです。


人間は、霊界の下の方、幽界、肉体界の感情を持った不完全な動物的な感情霊をいいます。

神と動物の間という意味なのです。

一方、人とは霊が止まる、霊が宿っているという意味です。

この場合の霊とは神霊のことなのです。

つまり神の霊が宿った人、それが本当の人(霊止)なのです。


五井先生の



人間は肉体ではなく生命そのものなんだ


とは人間は感情を持った不完全なものではなく神様が宿った完全な存在なんだという意味なのです。

または、生命=霊、エネルギー体であると思ってもいいですね。


いづれにせよ、肉体とは人間の姿を現わしているほんの先端の部分であり、本体ではないのです。

にもかかわらず、先端で現われていることに、私たちは一喜一憂し、振り回されているわけです。

海でいえば、波が肉体人間です。

海が本体なのに私たちは波(肉体)ばかりを見ている。

肉体(波)に把われるな! 

とは、そういう意味なのです。

  
そして波(貧乏や病気)はいつかは鎮まる(消えてゆく)のだから

貧乏や病気に気持ちを把われるな!

振り回されるな!

ということなのです。






  
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)



  
         

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