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2010年8月22日 (日)

本当の愛とは (生命の一体観を)

  
  
    
ある日の日々の祈り

 

肉体人間としての自己がここにあって、相手を愛するのではなくて、自己と思う想念が消えはてて、相手の心と一つの流れになった時、なんのこだわりも、なんの苦悩も、なんのわずらいもない、純粋無垢なる生命の交流、神の愛がそこに現わされてゆくのであります。

私のためとか、あなたのためとか、そうした自我をもった想念で自分や人を愛したようにみえても、その愛の中には、どこか純粋無垢でない、業想念の片鱗がみられるものです。

自分はあくまで、自分自身の立場に立ちながら、しかも自分自身がその場に消えて、相手の心と一つになってしまう。

一つになった心のなかには、神のみ心がいきいきと光輝いている、というのが、愛の本然の姿なのであります。




   
           「日々の祈り」 五井昌久  白光出版



 


 

感想


愛ってむずかしいですよね。

そして本当の愛とは純粋なもの、混ざり気がないもの、美しいものだと思います。

自分の心の中に、わかって欲しい、感謝して欲しい、愛して欲しい・・・という自我欲望がほんの少しでもあったのならそれはもう愛とはいえないのです。

人間が愛だと思っているほとんどの愛は、本当の愛ではなく、取引きであると厳しいことが「神との対話」という本に書いてありました。

「厳しいなぁ」とも思いますが

確かに少しでも自分の心の中が汚れていたのなら、この意味はわかってしまうのです。

他の人が気づかなくても(愛だと思ってくれていても)

自分の心は誤魔化せない

だから私たちはいつも心を綺麗に(ピュア)にしていなければ

生きていけないのです。(苦しくなるのです)

地球の想念は汚れているから大丈夫だ

少しくらい汚れてないと生きるのが却って苦しくなる

なんて考えもあるかもしれませんが

それは、やっぱり誤魔化しで生きているのです。

途中では(プロセス)汚れていることが必要なことがあっても

そのまま汚れたままでいくことは出来ないのです。

なぜならわたしたちは光の子、神の子だからです。

汚れていることが生命を生き生きとさせないことがわかっているからです。

でも、汚れたものはしかたがありません。

しかし、汚れたものをそのままにしておくのではなくて

洗濯すればいいのです。

汚れたら汚れがこびり付かないうちの洗濯をする。

それが出来るのが祈りなのです。

祈りしか心を綺麗にする方法はないのです。わーい(嬉しい顔)手(チョキ)

神様がこの祈りで心を綺麗にしなさいと言っておられるのです。わーい(嬉しい顔)

 



世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  


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