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2010年8月18日 (水)

すべてには “時” がある

   
  
ある日の日々の祈り


個人においても国家においても人類そのものにおいても、時というものがあるのでして、老子や孔子や釈尊やキリストのような大聖者が現れても、時至らねば、その生まれた国さえも平和にできなかったのです。

昨日までの怠け者が、今日忽然と真人間になったいう話もあるのであって、いついかなる時に、悪者が善人になるかもわかりません。

すべては本性は神の分生命であって、悪と現われ、怠惰と現れているその様相は、過去世の因縁の消えてゆく姿に他ならないのです。

人類すべて一人残らず神の子でないものはありません。

ただ過去世からの蓄積された妄念の現れてきている姿が、悪であり不幸をつくる種でもあるのです。

そう思うと、この地球人類も見捨てたものでもありません。



     
   
         「日々の祈り」 五井昌久  白光出版 





 

感想


私は観たことがないのですが、テレビのドラマで悪い人が段々と善い人になって行き、善い性格だった人が悪い人になっていくという内容の番組があるそうです。

私も、昨日まですごく親しくしてくれていた人が、ある事がきっかけで人が変わったように目のかたきにされたことがあります。

恋愛なんかでもそうですよね

つい最近まで、好き合っていたのに、何かちょっとしたことがあってから嫌われたり、相手に他に好きな人が出来ると今まで付き合って来た人が煩わしくなってきたりする。

女心と秋の空とか

かわいさ余って憎さ百倍とか

人の気持ちは絶えず変化しており

人間関係には、安心するということがないのです。

それは人間が感情を中心に生きているからです。

怠け者も感情や業に負けている状態ですが

ある時に強烈な光が入ってきてぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

「これではいけない」

と心境に大きな変化があるのだと思うのです。

それがタイトルにある

“時”

なんでしょうね。

今、

「これではいけない!」

と思って

自分を変えようとしている人がかなりたくさんおられるのです。

于先生(私のメンター)は

「もう火がついています」

とおっしゃっておられました。

これからたくさんの人が真人間になっていくのです。

真人間とは真理に目覚めた人のことです。

昨日まで、悪人だと言われていた人が忽然と善人になる

だから

私たちは悪人をそのまま悪人と観るのではなく

その奥にある“神性”を観なければならないと思うのです。

そうすればその人はもっと早く(光が当たるので)

善人になるのです。

だからその人(悪人と観られている人)の天命がまっとうされることを祈りましょう。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたち(○○さん)の天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  


    

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