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2010年8月23日 (月)

イエスキリストの愛

  
  
  
ある日の日々の祈り
 



イエスキリストが、十字架にはりつけになった時、自分をはりつけまで追いやった人のために

“神よ、この者たちを赦し給え。彼らは真理を知らざるがためにこの罪を犯したのですから”

という意味の言葉をいっています。

なんと深い、偉大なる愛の言葉でありましょう。これこそ真の愛であり、人間すべてを感動させる聖者の心であったのです。

 私はこの言葉を想い出すと、涙が出てならないのです、

ああなんという高い心境であろう、なんという澄みきった言葉であろう、とおのずから心が愛に充ちてくるのです。

愛とは単に言葉に現わしていうだけのものではない。自己の生命全体が、相手の生命ととけ合って、はじめて生まれてくる感情であり、その純粋感情によって行われる行為こそ、愛の行為といえるのです。




   

       「日々の祈り」 五井昌久 白光出版






 
感想



特に最後の



愛とは単に言葉に現わしていうだけのものではない。自己の生命全体が、相手の生命ととけ合って、はじめて生まれてくる感情であり、その純粋感情によって行われる行為こそ、愛の行為といえるのです。


この文章を読んでいるだけで心が洗われる心境になります。ぴかぴか(新しい)

なぜ、キリストがここまで高い心境であったかというと

人間はみな、一つの光(神)から分かれた、分霊(わけみたま)であるということと(自他一体観)

今のその人の行為は、本心からではなくその人に業(カルマ、間違った想念)が覆っているからである、その人が悪いのではない

という真理がわかっておられたからなのです。

私たちはそれがわからないので自分を守るために相手を責めるのです。

真理(キリスト)を識ることは祈りと共にとても大切なことなのです。




 
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)



  

   

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