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2010年7月18日 (日)

生きている念仏

  


  
井先生のご著書にタイトルに書いている 「生きている念仏」 という本があるのですが

私が最も感動した本のうちの一冊なのです。

私は悟った人とは五井先生、お釈迦様、キリストを特にあげて書いています。

もちろんそれ以外の人もたくさんおられたのだと思うのですが、日本には名が知られてい

ない一般の人たちに本当に悟りの境地まで至った人が結構おられたのです。

その人たちの光が現在も光輝いていて(生きていて)私たちの心に光を照らしてくれている。

だから日本は精神性が特に高いのだと思います。

どういう人たちがそう(悟っていた)だったか?といいますと

本の中からいくつかをご紹介します。


この人たちに共通しているのは

今起こっていることは前世で自分がしたことが返ってきているのだ

だからすべて自分に責任がある

と心の底から納得し信じていたということです。

その信じること(信仰)の強さは不退転で

都合の良い時だけ信じるとか

他人事のときだけ慰めるときに使っている

とか

そんなものじゃないのです。





・ある村に源左という無学の農民がいた

自分の畑に行くと人の掘って荒らされた跡があった、これを見た源左は、「こりゃ手でも怪

我さしちゃならんだがやぁ」そう言って、わざわざ鍬をそこへ置いて帰った。━

又、或る日、源左が家路を急いで帰っていると、知らぬ馬子が、源左の大豆畑に馬を入れ

て食わせている。源左は「馬子さん、そこらのはま赤なぁけ、先の方のまっとええのを食わ

したんなはれな。」

馬子は逃げるように去って行った。━

 

又、或る時源左がお金を受け取った後、これを懐にしていつもの如く「なんまんだなんまん

だぶようこそようこそ(ありがとうございますという意味)」と念仏を称えながら歩いている

と、うさんな男に後をつけられた。

彼は出獄したばかりの前科者であったというが、源左が店から金を受け取ったのを見て

いた。

峠にさしかかる頃、いよいよ様子がおかしいのを知って、源左はその男に振り向いて、

「おらぁの持っとるむんに、お前にゃ欲しいものがあって、ついて来よんなはるか。

欲しけりゃ上げもしようが、まぁ如来様のことを話さしてつかんせい」 

そう言って連れ立って、法話をしいしい遂に村まで来た。

男は源左がの人柄に手の下しようがなかった。

かくて夜にもなったので源左はその男を自分の家に連れて来た。

早速家内の者に食事を仕度させ、遂にはその晩は泊めてやり、あたり前のようにもてなした。

そうして翌日には弁当をもたせ、いくらかの金をもやり、

人目につかぬように朝早く立たせた。男は源左を拝んだ。━



あるお坊さんは命日の日にお経をあげにある人のところへ行った、帰ってから仏壇の中

に隠していたお金が無くなっていた。

まさかとは思ったのだけど本人に聴いてみると

「あなたがそうおっしゃるのならそうでしょう」とあっさりと認め

お金を差し出した

「とんでもない坊主だ」 と怒った家の人たちはこのお坊さんを村から追放した

しばらくしてこの家の人が息子を尋ねて都会に出てその話をすると

「お父さんお金を取ったのは私です」

と打ち明け

驚いたその人たちは急いでこのお坊さんを探し出し、非礼を詫びた。


又、あるお坊さんはある日、村の娘が妊娠し親に問い詰められたこの娘はお坊さんが

父親だと言った。

「お前が父親か?」と聞かれた坊さんは

「娘さんがそういうのならそうでしょう」とこたえ

やはり先程のお坊さんと同じように村を追い出されたのです。

そしてその後どんな生活を送ることになろうと死ぬまで誤解が解けなかろうとそんなこと

を意に介していないのです。


また、あるお坊さんは川で船に乗っていて船頭さんにいきなり川に突き落とされた

お坊さんは泳ごうもせず川にプカプカ浮いている驚いた船頭さんはあわてて救い上げた。

お坊さんは

「いのちを救ってありがとうございます」と心からの礼を言った。





たくさんの話の中からいくつかをご紹介したのですが

名は知られていなくてもこのように教え(真理)を日頃の生活でそのままに顕していた人

たちがいたのです。

立派な人たちとはこういう人たちをいうのだと思うのです。

私たちは常に損得でものを考えています。

今起こっていることだけで判断します。

自分を善、他人を悪と区別します。

でも今人にされていることは全部自分がやってきたことなんだ

それがそのまま帰ってきているのではなく

大難が小難にしていただいているんだ

なんてありがたいことなんだろう

と考えることが出来たのなら

どんな不幸でも不幸でなく

マイナスはマイナスではなかったと

思えるようになるのです。

でもこの人たちのように頭でわかるのではなく

心に沁みつくところまでいかないと

つまり不退転の境地にならないと

本当の幸せ感は得られないのだと思うのです。

でも少しずつでもいい

心境が進化向上していけば

いつかはこの人たちのようになれる

とも思うのです。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


 


  

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