« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »

2010年7月31日 (土)

日々の祈り (進め進め・・・・・・)

  
  
7月31日、日々の祈り(進め進め、進まざれば魂は死の道に止まる)


  
やたらに自己限定して、自分はダメなものなり、と思って、自分で何事もやらないで、虚無的な投げやりの気持ちになっていることが一番いけないことなのです。

人間にはたゆみなき前進があるのみなのです。

人間は後退することは許されておりません。後退すれば、それだけ、より以上前進せねばならぬようにできています。

少しづつでもよい、前進に前進を重ねてゆく時、その人はそれだけ立派になっているのですし、本心が輝いてくるのです。

怠惰な想いや、虚無の想いに把われて、人間の本性である、たゆみなき前進の心を忘れてはなりません。

進め、進め、進まざれば魂は死の道に止まります。

心を広く、心を大きくして、自己の置かれた立場で全力を挙げて生きぬいてゆく人々こそ、神の子として称えられる人であります。





    

          「日々の祈り」 五井昌久 白光出版





 

 
感想


今の自分の心境と昔の自分の心境とを顧みて

「あぁ自分も成長したなぁ」

と思えることほど嬉しいことはありません わーい(嬉しい顔)

一日が終わって次の日を迎えるとき

怠惰に過ごしてしまったりマイナスの想念にはまってしまって悶々とした時間を過ごしてしまったときは

「これからは有意義に生きよう」

と決意します。

そう考えると時間とは貴重なものだと思うのです。

どうすれば有意義な時間が過ごせるか?

それは自分の心を本心に合わせてそこからどうすればいいのか?を戴き直せばいいのです。

本心はどうすればいいのかを知っているのです。

本心が自分を一番輝かせる方法を知っているのです。


そのために祈りをする

祈りとはいのちがのりだすという意味です。

いのちが生き生きとしてくるのです。

祈りの中から生活をしていく

祈りの中に生活があるのです。




 
 
世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  

小我の自分が大我の自分へ

  
  
  
小我の自分とは、自分というものを肉体人間だけに限定した、自分で限界を作ってしまっている小さな小さな自分なのです。

大我とは自由自在心で肉体人間を超えた宇宙大に拡がった本当の自分のことを言うのです。

人間は小我のままでは自ら限界を作ってしまっているのでマイナスの方マイナスの方へと気持ちが向いてしまうのです。

「どうせ俺なんて」

「人間なんてどうしようもない動物なんだ」

このこと程、人間を間違った方向へと向かわせているものはないのです。


肉体意識から脱皮しないことには自分も人類も地球も救われない。


だからお釈迦様は人間を救うために、肉体意識から宇宙意識への意識改革を行った。

それが座禅を組んで、心を鎮めて、その心を自分の本心のある宇宙へと向かわせることだったのです。

宇宙とつながらないことには人間は絶対に安心立命できない。

なぜならそこ(宇宙)に本当の自分がいるからなのです。

宗教とは宇宙を示す教えなんです。

宇宙とつながると自然と小我の自分が大我の自分になっていくのです。

そして大我の自分が今度は小我の自分に降りてくる。

つまり宇宙意識になった自分が地球にいる肉体の自分に降りてくるのです。


小我の自分が大我の自分へ

大我の自分が小我の自分へ


これが本当の自由自在心なのです。


肉体人間の意識のままだと

小我の自分はいつまでたっても小我でしかない

人間ってそんなちっぽけなものではないのです。

そんな情けない存在ではないのです。


大我の自分とは創造主のことです。

つまり宇宙そのものです。

すなわち神そのものなのです。

みなさんもイメージしてみてください。わーい(嬉しい顔)


小我の自分が大我の自分になり

大我の自分が小我の自分に降りて来たところを・・・・・。


そのことが実感出来るのが


我即神也の印であり、本心と一体となる統一なのです。

これから人類は印を組み、統一をすることで

大我の自分を自覚して行くのです。


 


世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




 

 

追伸


我即神也の印の組み方は于先生のご著書とDVDに(調和波動気功法以外のテキストに)、正しい統一の仕方は無限なる幸せを体得する方法に掲載されています。


http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/index.htm


また『無限なる勇気』は明日の朝日新聞朝刊に広告が掲載されます。




  

    

2010年7月30日 (金)

人はそれぞれ違う世界に住んでいる

 
  
同じような出来事があっても

それを共有しているように思っていても

その出来事に対して感じることは

人それぞれ、全然違うのだなぁ

ということが最近わかってきました。

自分の心(心境)がどこにあるのか?によって

それが腹の立つことになったり、感動することになったり、悲しくなったり、嬉しくなったりするのです。

それは映画やテレビを観ていて後で感想を聞いたときにわかります。

ある人は凄く感動して良かったと思っているのに

他の人は

「どこが感動するんだ、なんで泣いているのかわからない」

とお互いの気持ちがわからないことがある。

そして自分と相手を比較をしてしまう。

比べてしまう、批判をしてしまう、評価をしてしまう

「自分はなんて感受性がないんだ」

「あいつはそんな気持ちでいるのか・・・」

感じ方は色々あっていいのに

それぞれの感じ方でいいのに

自分と他人が一緒でないと気になるのです。

価値観や感じ方が同じでないと不安になるのです。



でもそんなことはもうどうでもいいんだ

とわかりました。

相手の心の中に入っていくこと(詮索すること)をヤメ

自分の心の中を分析していくこともヤメます。


そんなことをしてもなにもならないからです。

人はそれぞれ違う世界(心の世界)に住んでいるのです。

それよりも自分の心がすっきりとあっさりと

サラサラに流していくことを

目指します。


物事にとらわれず

過去を振り返らず

自分と人とを比べず


心を滝のように流していきたい



  


 

2010年7月29日 (木)

[感動]レジ打ちの女性(涙の数だけ大きくなれる!)

  
以前、自分の書いていた日記を探していたところ、そのときに感動したYOUTUBEを見つけました。

そしてそのときと同じようにまた感動が蘇ってきたのです。


どんな仕事でもいいんだ

一生懸命にやることが一番尊いんだ

と教えてくれました。


よかったらお付き合いください。

 


http://www.youtube.com/watch?v=2M08p9leBio



  

日々の指針

  
  
  
1.人類は、神霊の宿った言(光明の言葉)のみを語ることによって、世界を平和に変えてゆくことが出来る。

 

1.自らが一番知らなければならないこと。それは、自分自身が神性そのものであるということである。

 

1.美と善は同一のものである。

 

1.奇跡は偶然起るものではなく、自らが引き起こすものである。
 

 

1.奇跡は神から与えられるものでなく、自らが引き起こすものである。



 
1.夢や希望は叶えられないものではない。自らに疑いや不信の念がなければ自らが強く望むことは必ず叶うものである。(宇宙の法則)






 
             西園寺昌美




  
  

2010年7月28日 (水)

心の中をチェックする

  
  
  
目の前にコップがあります。

そこには水が半分入っています。

それを見て

「わぁもう半分しか水がない」 泣き顔

と思うのと

「やったぁまだ半分も水が残っている」 わーい(嬉しい顔)

と思うのとでは

全く同じ状況であったとしても

心の中は

雲泥の差です。

天と地ほどの開きがあります。


つまり人間は今の状況をどうとらえるかによって


不幸にも幸せにもなれるということです。


いつも不平不満を持っている人

いつも他人のせいにしている人

マイナス思考になっている人

悪い方悪い方に考えがちになっている人

気分が落ち込んでいる人

等は


「コップの中の水がたくさんあって当り前だ」


と思っているのです。

だから

たくさん入っていないと安心しない


少ないことに不満が出てくる


でも少しでも残っていることに感謝出来る人は


その状況がありがたいのです。


だからどんな状況であっても


すべてが感謝に変わる


光が少しでも射していればそれは絶対に大丈夫なのです。


太陽が存在している以上、光がまったくない所は絶対にないのです。


だからマイナスのことなんて存在しない


起ることはすべてが善くなっていくためのプロセス


大切なことに気づかせてもらえることが


マイナス(ではないのですが)になって現われているのです。


そう思って

時々

自分の心の中をチェックしてみてください。


あなたの心の中の水は


もう半分しかありませんか?


それともまだ半分も残っていますか?













 

追伸


半分しかないと思っているのなら


感謝出来る心の状態にすればいいのです。


体のどこを押しても


「あぁありがたいなぁ」


と思えるような波動体(心の状態)になってしまえばいいのです。


頭の中で


「幸せになりたい」


「感謝できるようになりたい」


と思っても


腹が立っている人に


無理に感謝しようとしても


それは無理な相談なのです。


ですから


感謝出来るようになる


行(ぎょう)をする。


それが地球世界感謝行です。
 



http://www.byakko.or.jp/index.html
 

于先生のご著書の中にも感謝行のやり方が掲載されています。


http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/index.htm



 


  

  

2010年7月25日 (日)

無限なる勇気

  
   
 
今日の日経新聞、朝刊21面に『無限なる勇気』の本の広告が載りました。ぴかぴか(新しい) わーい(嬉しい顔) 

わたしたちは常に

「変わりたい」

「自分を変化させたい」

「向上したい」

と思っています。

この世でもあの世でも唯一持っていい欲は

『向上心』だそうです。

しかし変わるのには勇気がいります。

エネルギーが必要です。

その勇気やエネルギーの出し方がわからない

忘れてしまっている

そんな人たちのために

宇宙天使、宇宙天使からの贈り物が

この

『無限なる勇気』 なんです。本 チャペル


今が自分を変えるチャンスです。


このチャンスを是非つかんでください。わーい(嬉しい顔)手(チョキ)




『無限なる勇気』于寿明 星湖舎 調和波動気功法Ⅴ


調和波動気功とは

http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/sub3.html


星湖舎

http://cart05.lolipop.jp/LA06686589/?mode=ITEM2&p_id=PR00101933969


  

 

2010年7月23日 (金)

幸福をたしかなものにする最善の方法

  
    
ある本を読んでいたら心に響く文章がありました。

とてもためになる本です。

そこから一部を抜粋します。


  

 
わたしたちはつい忘れがちだが、誰にでも辛い時期がある。そういうときには、周囲のできごとや状況に対して自分が無力に思えてくる。あるいは、ただの無力感のことも多い。たとえば会社をリストラされただけで ━ まだ暮らす家があり、自分を愛してくれる人たちがいるのに ━ 大きな喪失感を覚えてしまう。人生の試練がとてつもなく大きなものに思えて、周囲の人たちの挫折のことをつい忘れがちになる。

わたしたちは一人で生きているわけではない。上質な人生を送り、真に成功するためには、周囲の人たちの苦しみを知り、思いやりを学ぶことが不可欠だ。

それによって自分の人生や、自分の苦しみにさえ、大きな感謝の気持ちがわいてくる。突き詰めれば、人生の豊かさを経験する唯一の道は、感謝の気持ちで生きることだ。

自分の持っているもの、自分が与えることのできるものに感謝するという気持ち。

幸福をたしかなものにする最善の方法は、ほかの人が幸せに経験する手助けをすることだ。





     『人生を変えた贈り物』 アンソニー・ロビンズ 


  


続々・如是我聞

  

   
1.この世に生きていることが、不幸で、苦しくてしょうがないという人がいるが、そういう人は、この世の喜び楽しみを一度すべて捨てること。そしてあの世へ行って、いい世界に住めるようにお祈りしなさい。
  


1.肉体人間以外のささやきや声が聞こえて来ても、まともに受取って耳を傾けてはいけません。一切雑念と否定しなさい。そして守護霊さんに “どうか消して下さい” と祈りなさい。


 
1.現在のいい地位、いい才能、いい性格、いい環境というものは、前の世の徳の結果である。

 

1.私は特別にお説教などしない。自分さえ立派になればそれでよいと思っている。
 


1.人間は考えなくてもいいことばかり考えている。
 


1.自分に文句があっては全託(ぜんたく)ではない。生きるも死ぬもすべておまかせするのが全託で、生き死には肉体側の知ったことではない。
 



1.私には地獄はない。地獄にゆけば地獄が極楽になる。

 

 



      


                    五井昌久





  

日々の祈り (生命を輝かす)

 
  

7月23日、日々の祈りより



さて生命を純粋に輝かすためには、今迄の誤てる想念、生命の光を蔽う想念、愛にもとった想念を消え去りゆく想念として消し去ってゆくのがよいのです。

その方法は、まず常に神(守護の神霊)を思いつづけることです。

それは大生命(神)と個生命を真直ぐにつなぎ、さわりなく生命の光を天と地に交流させる最大の方法だからなのです。

そして同時に身辺に起こる自己に不利な事態、脳裡に起こる心を乱す想念を、現われては消え去りゆく姿と観じつづけてゆくことなのです。

そうすることによって、過去からの誤てる想念が消えてゆくとともに、それだけ生命の光を蔽っている不幸の影が消え去るので、光が充分に輝き出し、生命の純粋な姿が、その人間の肉体生活に次第に現われてくるのです。




  
        『日々の祈り』 五井昌久 白光出版





 

感想

今、起こっていることとは、過去のことが映画のスクリーンに映し出されていると例えればわかりやすいのです。

映画はハッピーエンドで終わるのはもうわかっている、自分も地球も救われるのは絶対に確実なのです。

でも簡単には結果は出ない。

紆余曲折があって波乱万丈があって魂の成長があって、そういったプロセスを経てめでたく個人も地球も次の次元へと昇っていくのです。

そのことがわかった上で今色んなことが起きていると思えばいい。

神様は絶対愛なのだから地球と人類を救おうとなさっている。

それを信じるのです。

絶対に大丈夫なのだから、スクリーンに映し出されているシーンを観ても客観視してそこから意識を外して安心して見守っていればいいのです。

凄いシーンが出て来ても辛い悲しい出来事であったとしても

それは善くなっていくためのステップなんだ

そのシーンが過ぎれば次には善くなる為のシーンが又現われるんだ。

そして最後の最後には絶対に救われるんだ

という気持ちでいればいいのです。

この映画はハッピーエンドだと聞いている

だから途中に何が起ろうとそのまま観つづけていればいい

途中でその場面にとらわれると、フィルムを止めることになるのです。

過去にこだわると巻き戻すことになるのです。

するとハッピーエンドの来るのが遅くなるのです。げっそり

せっかく神様の筋書きで

地球と人類を完成させようとしているのに

カルマの方が強くなってしまうのです。

カルマとは人間のマイナス想念のことです。

だからマイナス想念をどこかへやってしまえばいい

それが世界平和の祈りなのです。

マイナス想念がプラスの想念に変わると宇宙の無限のプラスのエネルギーが動き出すのです。

そして人類と地球を覆っている幽体、幽界を清めるのです。

過去世、人間の潜在意識を消し去ってくれるのです。


 
 
 
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


     

2010年7月22日 (木)

「感動する記事を書きや!」

  
    
タレントの島田紳助さんが自分の娘さんの友達(家によく遊びに来ていた)が新聞記者になると聞いたとき

その娘さんの友達(A子さん)に言った言葉が
 

「感動する記事を書きや!」


だったのだそうです。
 

そしてある日新聞を読んでいた紳助さんが感動する記事を見つけ、そこに紹介されている人をテレビの番組のゲストに呼んだところ

そのA子さんから電話があった

「おっちゃん、テレビで取り上げてくれてありがとう!」

紳助さんはなんのことかわからなかった

そして話していくうちに

記事を書いたのが

そのA子さんだったとわかったのだそうです。


新聞や雑誌の記事を書く人はそれこそゴマンと居ると思うのです。

でもいくらいい文章を書いても上手い文章を書いたとしても

それが人を感動させるものでなければそれはただ、

文字が並べられているだけに過ぎないと思うのです。

感動させる記事を書くにはどうしたらいいか?

それは自分が常に感動する人であることだと思うのです。

自分が感動したものでなければ相手には伝わらない

感動したものでなければ相手に伝えられない
 

そのために偉人の本を読む

テレビを観る、映画を観る

雑誌を読む

すべては自分が感動するためなのです。

私たちは感動するために生きている。

そう思うのです。


感動することへの努力を怠ったときが

怠惰になったときなのです。

自分に自信を無くしているときなのです。




世界人類が平和でありますように わーい(嬉しい顔)



  
 

日々の祈り (大切な生きかた)

 
  
7月22日、日々の祈りより



現代の人は、真の人間(生命、霊)というものと肉体(想念)というものとを混合して考えて、相異なり、差異の烈しい想念行為の肉体個々人を平等に扱わなければ、生命の平等性を犯していると考えているが、これは大いなる誤りです。

今、赤子に生れたその時、すでに貧富の差があり、体力、能力の差が内包されているということは、過去世において、それらの魂が、いかに生命を輝かに純粋に生きたか、生命の光を蔽って生きたか、いいかえれば、真の愛の想念行為に生きたか、愛を離れた生き方をしたかの差異が内包されているということなのであって、この理を知らずして、いたずらに人類の平等、個々人の平等を叫んでも、決して、人類も、個々人も平等になり得ないのです。





   『日々の祈り』 五井昌久 白光出版





  
感想

これを読まれて、意味がよくわからないという感想を持たれる方が多いと思います。

同じ地球に生まれるのでも日本で生まれるのと貧しい飢餓の国に生まれるのと戦争のある国に生まれるのと

「どうしてこんなに違うのだろう?」と思ってしまいます。

決して豊かな国に生まれることだけが幸せではないのですが、どうしても魂の不思議さを感じてしまうのです。

これは前世というものを考えないととても腑に落ちることはないのです。

前世で自分が行ってきた想念(思うこと)行為(して来たこと)の結果で今の環境が与えられている。

蒔いたタネが、今という実になって顕われているのです。

そして厳しい環境に居る人は、自分が蒔いたタネを今刈り取っているのです。

違う環境に生まれてしまったら自分の魂を成長させる続きが出来なくなってしまうのです。

して来たことへの責任が取れなくなってしまうのです。

だから、わたしたちがその人たちの環境、境遇をみて、自分たちと比べて

「かわいそうに・・・・。」

と同情することではないのです。

同情してはいけないのです。

同情とはその人たちの魂を見下していることになるのです。

だったら放っておいたらいいのか?

それも違うと思うのです。

どうすることがその人たちの魂の成長にとって一番いい方法なのか?

相手の守護霊守護神の立場に立って

守護霊様、守護神様たちがかわいい子孫にどうしようとされているのか?

その計画を邪魔しないにはどうしたらいいのか?

を考えるのが同じ地球の人類として出来ることだと思うのです。

お金や物を与えるだけではないのです。

平等とは同じ光から分かれた分霊(わけみたま)という立場が同じということなんです。

現われた環境を平等にするということではないのです。




 
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  


2010年7月20日 (火)

続・如是我聞

  

  
  
1.肉体は過去の影にすぎない。現象に現われてきたものは、すべて“済んでしまったもの” なのである。
 



1.本ものというのは、文章や言葉ではない。その人自身が問題なのである。
 



1.何事も予言にむすびつけて解釈する人がいるが、予言など私にいわせればどうでもよいことだ。悪い予言ならば人を恐怖させるし、善い予言にしても、現実の生活に足をつけなくさせる。

だから今をいかに一生懸命生きるか、現在の自分をいかに生かすか、よくするか、これが一番大切なことだ。

  


1.人間は自分の利害関係に敏感である。そこから不平不満が生まれる。不平不満をなくすのは祈りより他はない。

 


1.肉体人間の生涯は、それが苦しみの連続であれ、楽しみの連続であれ、宇宙からみれば一瞬である。
 
 


1.今、あなたが苦境に立たされたら、あるいは大病をしていたら、大きい仕事をする前の波動調整だ、と思うことです。

 


1.苦しいこと、痛いこと、つらいことが激しければ激しいほど、それだけ業が消えて浄まっているのです。
 



1.肉体の自分がやっているんだ、と思ってるようなうちは、その人は大した人間ではない。
 


1.人間は肉体だけのもの、としか考えられない人は不幸だと思う。たかだか長くて百年という短い期間の中で、人をあざむいたり、人をおとしいれたりして栄華を尽くして何になろう。ふみつけられ通しの一生だとしても、苦しみの連続の生涯だったとしても、生命を汚さず、生命を生かしているものは、永遠の生命をすでに輝かしているものなのだ。



 

1.世界平和の祈りの大光明は、幽体、幽界の汚れを浄める力である。
 






                 五井昌久



  
  

生きている念仏 3

              
 

               * 



宇右衛門は自分のことよりも、人の為に村のために働いた人であります。総体に百姓は夏

田の水入れに皆苦労するのです。

干ばつになると特にひどく、みな吾が田に水を入れようとして、水喧嘩を起したりします。

我田引水(がでんいんすい)とはここから起った言葉で、この世の生活には個人個人の関

係から、国際間の問題でも、この我田引水的やり方が多いのです。

ところが宇右衛門は全く反対で、もし他人の田に水がない時には、自分の田の水を落して

入れてあげます。

そうして、私は水上ですからいつでも水が入れられますといい、水上の人には、あなたの

田は水上ですから、遠慮なく入れて下さいと申します。

このようにあまりにも人の善い宇右衛門の行為には、村人も気の毒がって、皆々そのまま

帰ってしまいます。

こんな風でいて、宇右衛門は村でも有数の資産家になってしまうのです。



   

              *




又、宇右衛門は入信以来、如何なる事にも腹を立てたことがなかったので、村の悪い青年

たちが四、五人集まって、宇右衛門を怒らしてみようと相談して、或る時、柴を背って姫路

の御坊へ急いでゆく宇右衛門を川の中へつき落してしまいます。

つき落された宇右衛門は、ずぶぬれになりながら、怒ろうともせず、南無阿弥陀仏、南無

阿弥陀仏と念仏を唱えながら

ああ、己が悪かったのだ、如来様へお供えする御仏飯をたく柴が、山で牛や狐や人間の

小便で汚れているかも知れないのに、洗いもしないで持参するのが悪かったのだ、これか

らは柴や薪をよく洗ってもって行け、との仏様のいましめだと了解して、その後は必ず柴や

薪は洗って御坊へ持ってゆきました。

村の青年たちも宇右衛門の信徳に感化されて言行をつつしみ、殺生を戒め、風儀とみに

改まり、淳朴温厚、家業に精励したということであります。━


この話など、良寛さんの舟頭に川に落とされて感謝した話とよく似ております。実にみ仏に

純一そのものの生き方です。

こういう話をきいておりますと、自然と心清まり、心温まる想いがします。

今更ながら、宗教の道とは言葉でなくて、その人の日頃の行いにあるのだなぁ、と思いま

す。

ついでにもう一つ宇右衛門について心温まる出来事を書いてみましょう。



          



                 *


或る年の冬、宇右衛門の息子の嫁で、わがまま気ままの一家の手に負えぬ女が、宇右衛

門の物の言い方が悪いといって、庭にあった横槌を取って舅に投げつけました。

その槌は宇右衛門の額に当ってたくさんの血が流れました。側にいた温厚な息子も流石

に腹を立てて、お前のような女房は離縁すると門口へ引き立てて行きますと、宇右衛門は

びっくりして、我が子の袖をひきとめ 「この親父が悪いのだ」 といって謝ります。

息子は 「とんでもないお父さんが悪いのではない。お父さんに手をあげるようなこんな不

考な嫁は、切り刻んでも腹の虫が納まりません。何故お父さんは、こんなわがままな嫁をと

めるのですか」と申しますと、宇右衛門は涙を流しながら「うちでさえ辛抱の出来ぬ嫁がよ

そへ嫁入って一日も辛抱できるはずがない。この家を追い出されては、この嫁の身の置き

所がなくなってしまう。おれさえ辛抱すれば大事にならず納まるだ。

不心得な嫁を貰ったのはそちの不幸せ、私の因縁の悪いせいじゃ、何事も堪忍せよ。」と

かえって息子をなだめ、お仏壇に参りお光をあげ、念仏を唱えて明るい顔をしていました。

流石の嫁もこの宇右衛門の深い愛に感激して、大いに後悔してあやまり、その後はうって

かわった孝行な嫁となったのであります。━

この話なども、全く恐れ入ってしまう程、み仏の心に徹しています。

私の常に説いている、すべては過去世の因縁の消えてゆく姿、ただ在るのは神仏のみ心

だけなのだ、という真理そのままの生き方をこの宇右衛門さんはしているわけです。

それがわざとらしくするのでもなく、気張ってするのでもなく、その場、その時々の出来事

を、自然に光明化してゆく、無為にしてなす、という行為を、宇右衛門さんはいつの間にか

体得してしまっていたのであります。




                   おしまい


  

     『生きている念仏』 五井昌久 白光出版




  




 
感想
 

宇右衛門さんの生き方をみてみると腹を立てることがもう違うのだ間違いなのだというこ

とがわかります。

どれだけ自分が正しくてもどれだけ相手が悪くても

そこで腹を立てて相手を責めてしまったら、そのときは溜飲を下げたとしても、気が済んだ

としても後味の悪さは必ず残るのです。

その理由(わけ)がはっきりわかったように思います。

私が世界平和の祈りをしているのも、真理を勉強しているのも

この宇右衛門さんのような生き方をしたい

心境になりたい

という気持ちが潜在的にあったように思うのです。


 



世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)




  

 
 

2010年7月19日 (月)

生きている念仏 2

 

    
昨日、生きている念仏の本の中から真理そのままに生きていた、まさしく仏様のような人た

ちのことを書いたのですが、読みかえすうちに又感動が甦り、私がうる覚えて書いてしまっ

たものをもっと詳しくそしてもう後2、3感動のお話をご紹介させていただこうと思います。





み仏のみ心のままに


宗教の道は理屈でもなければ、上手な言葉のやりとりでもない、只神仏のみ心に沿った行

いにある、と私はいつでも申しますが、浄土門に多い妙好人たちに生き方は、如来様のみ

心そのままの生き方で、私は常にその行動に強い感動をおぼえるのです。

またその妙好人の話を書いてみたいと思います。

注)妙好人(みょうこうにん)とは、念仏者をほめたたえる言葉。



          * 


兵庫県揖保郡太子町北村というところに、二百年前に、宇右衛門(うえもん)という馬子(馬

をひいて人や荷物を運ぶことを職業とした人)がおりましたが、この宇右衛門は、若い頃力

自慢で乱暴な人でしたが、或る時念仏の説法を聴聞しているうちに、後生の一大事、

という阿弥陀如来の本願を説き聴かされ、非常に興味をもって念仏門に入ることになりま

した。

そして次第に心改まり、唱名念仏絶ゆることなき、昔とは別人の柔和にして不言実行の信

者となり、馬子もやめて、農業に精を出し、かりそめにも人と争わぬ、法のまま生くる生活

を身心に行じるようになりました。


昔、禅宗の大徳白隠禅師が、近所のいたずら娘の懐胎の罪をなすりつけられた時、そうか

と言って、無実の罪を引き受けられたことが、美談となって伝わっておりますが、宇右衛門

にも、これと同じような佳話があるのです。


太子町太田より南、山陽線にそって山戸というところがあります。この村の某という者が、

亡父十七回忌法事の記念に仏壇を買い、宇右衛門にこの礼拝を頼みました。

宇右衛門はその家を訪ね仏壇を礼拝して帰りましたが、その後で大変な問題が持ち上り

ました。

それはその某が金二十五両を仏壇の引出しにしまっておりまして、いよいよ入用だという

日になってあけてみますと、その金子がありません。

仏壇の前に行ったものは、家内のものか、宇右衛門しかおりません。

盗人の入った風もありません。

そこで某は女房に向い

「宇右衛門さんは正直な念仏者ではあるが、凡夫だからふと盗み心が起ったかも知れ

ん。」と話しますと、女房も同感したので、某は急いで宇右衛門の宅へ参り実はかようか

ようでと、さも言いにくげに申しました。

大抵の人ならこんな疑いをかけられたら、腹を立てて怒鳴りつけてしまうところですが、

宇右衛門は怒るどころか、その話をきき終わるなり、どうもすまぬことを致しました、といい

ながら、二十五両の金を渡してその罪をわびました。

さてその後、その人の隣の人が用事があって大阪に行き、その人の息子の家に立寄り、

四方山(よもやま)の話のついでに宇右衛門が、仏壇の引出しから金を盗んだことを話し

ました。

息子はびっくりして、その金なら実は私が大阪に来る時に持ち出した、実に宇右衛門さん

に済まぬことをした、と急いで山戸に帰り、両親に打ち明け、その足で宇右衛門の所へ行

き、重々詫びながら二十五両を返しますと、宇右衛門はかえって気の毒そうに、それでは

前生でお借りしてはおりませんでしたか、といってその金を受取りました。━


宇右衛門のこの素直さはどうでしょう。現代の人からみたら、馬鹿ではなかろうかと思われ

ますが、何事がでてきても、過去世の因縁の現われと思いこみ、すべての出来事事柄を、

過去世と結びつけていて、今生だけの出来事とは思っていないのです。

自分の顕在意識(あらわれのいしき)では判らないが、すべては阿弥陀如来様のみ心に

よって現われてくることなので、その事柄が如何に自分に都合の悪い事柄であろうと、

素直に受け切って生きてゆく、という素晴らしい真理の生き方を、何気なく当然のこととして

行じている、この宇右衛門の素直に徹した姿は光輝く尊いものです。

現代の人の生き方の習性は、自分の間違った行為でも、何とか言いぬけて、自分の損に

ならぬように、という、今生の瞬間瞬間利害関係で動いているそういう人が多いのです。

天と地の差です。

これが白隠ほどの学問修行を積んだ人なら又別格ともいえるでしょうが、馬子上がりの百

姓爺の学問知識のない人の行為なのですから、宗教の道は百知は一真実行に及ばず、

という守護神の言葉がよく判ります。

妙好人宇右衛門には、そうした種々の話があります。もう二、三書いてみましょう。


              つづく




        『生きている念仏』 五井昌久 白光出版



  

 

 

2010年7月18日 (日)

調和波動気功セミナー(森の会)のお知らせ

  
  
毎日暑い日が続きますが、私は月一回の気功セミナーを心から楽しみにしているのです。

それは、同じ気功仲間(ハーモニー)の人たちに逢えることや于先生の講演を聴けるからです。

一か月、努力して来たご褒美がこのセミナーだと思っているのです。

ここへ(セミナーのある大成閣)来るともう別世界です。

暑さも寒さもない悪もマイナスもない

そこは地球上にある最高の波動の場所、地上天国なのです。わーい(嬉しい顔)

みなさんも是非、参加してください。

東京から来られて一年以上も連続で参加されている人もおられます。

もうすっかりハーモニーの一員です。

ハーモニーの人たちはみなさんのご参加を心より歓迎致します。わーい(嬉しい顔)指でOK






      森の会


★日時 7月25日(日) 

12:00~13:30 会食

14:00~  于先生講演

★ 大成閣(中華料理)06-6271-5238(禁酒・禁煙)

★ 会費 8、000円(小学生4~6年生4、000円)


参加したい人はご遠慮なくグッドムーンにメッセージくださいね 。


篠崎携帯 080-1444-0018



詳しくは

http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/index.htm



オーラ・オーラもよろしくお願いします。



   http://auraaura7.com/  



  

家族であっても救う(助ける)ことは出来ない

  
  
ハーモニーの人たちは常に祈りを根底にして生活をしているので幽界のオバケちゃんや動物霊(感情霊)に取り憑かれることはほとんどないのです。

先日、ご家族で一緒にご旅行されたことがあって、家族の方がなにかに取り憑かれたようになったのだそうです。

地元の不良霊が憑いたのだと思うのですが、明らかに人格が変わってしまったのだそうです。

その方(ハーモニー)はご家族の守護霊守護神に加護を祈ったのだそうですが、なぜそのようになったのか?

ご自分は常に祈っているのにご家族の人は守られないのか?

が不思議に思ったので

于先生に質問をされていました。

先生は

「それはその人ご自身の問題です」

とおっしゃっておられました。

そして

「これからは祈っている人と祈っていない人との差が出てくる」

とも言っておられました。

これは家族の中に祈っている人がいるから大丈夫だということはないのです。

家族の人にはかなりの光が行くので

確かに大難が小難になったり

気づきが多くなったり

真理に目覚めやすくなったり

は、します

でも間接的に光を浴びるのと

自分が祈って光そのものになる ぴかぴか(新しい)

のとは全然違うのです。

降りかかって来る試練や現象は

自分で対処していかなければならないんだ

自分と家族とは別なんだ

と知らされたセミナーでのお話でした。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)



  


 

日々の祈り (真の人道主義者)

  
  
  
7月18日日々の祈りより
 



人道主義者というのは、人間のためになることを考えないではいられない人、人類のためということを思わずにはいられない人のことをいいますが、この人たちは常に、多くの人々の生命とか、生活とかを思考し、行為していて、自己だけの利益の中に安住することのできない性(さが)をもっているのです。

自己を犠牲にしてでも、人類社会のためになりたい、という想いが、無理に意識するわけでなくとも、いつも心のなかに浮かんでいるのです。

しかし人道主義者の根底である生命の等しい価値というものを、肉体だけについていうのでなく、魂の面、霊の面においてみる、いいかえれば、生命の本源の世界における、個生命の価値を等しいと認めるところまでいかないと真の人道主義にはならないのです。





         日々の祈り 五井昌久 白光出版



  

 

感想


表面的にみえる相手の人だけを判断してその人を救おうとしても人間とはそんな薄っぺらなものではなく前世もあればその人には肉体だけでなく幽体も霊体も神体もあることがわかっていないと、つまり洞察力がなければ本当にわかったことにもならなければ、どうすることもできないのです。

しかし相手のことを思う深い愛があればそれはやはり相手を癒すことが出来る。

それは愛の深さによって相手の神の部分(神界、神体)にまで通じることができるからです。

神は愛である

か~あ

み~い

つまり愛深い人は

神そのものであるからです。

人を救いたいという人道者になりたければ知識や資格(カウンセラー等)を得るよりも

「愛深い自分になりますように」

と神様にお願いする方がずっとずっと

大切なことだと思うのです。

そして愛だけにとどまらず

人間とはなんぞや

神とはなんぞやということへの

強い探求心が

深い智慧となって役立っていくのです。

人間が作った浅はかな知識とは全然違うのです。

 


世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)




  


  

生きている念仏

  


  
井先生のご著書にタイトルに書いている 「生きている念仏」 という本があるのですが私が最も感動した本のうちの一冊なのです。

私は悟った人とは五井先生、お釈迦様、キリストを特にあげて書いています。

もちろんそれ以外の人もたくさんおられたのだと思うのですが、日本には名が知られていない一般の人たちに本当に悟りの境地まで至った人が結構おられたのです。

その人たちの光が現在も光輝いていて(生きていて)私たちの心に光を照らしてくれている。

だから日本は精神性が特に高いのだと思います。

どういう人たちがそう(悟っていた)だったか?といいますと

本の中からいくつかをご紹介します。


この人たちに共通しているのは

今起こっていることは前世で自分がしたことが返ってきているのだ

だからすべて自分に責任がある

と心の底から納得し信じていたということです。

その信じること(信仰)の強さは不退転で

都合の良い時だけ信じるとか

他人事のときだけ慰めるときに使っているとかそんなものじゃないのです。





・ある村に源左という無学の農民がいた

自分の畑に行くと人の掘って荒らされた跡があった、これを見た源左は、「こりゃ手でも怪我さしちゃならんだがやぁ」そう言って、わざわざ鍬をそこへ置いて帰った。━

又、或る日、源左が家路を急いで帰っていると、知らぬ馬子が、源左の大豆畑に馬を入れて食わせている。源左は「馬子さん、そこらのはま赤なぁけ、先の方のまっとええのを食わしたんなはれな。」

馬子は逃げるように去って行った。━

 

又、或る時源左がお金を受け取った後、これを懐にしていつもの如く「なんまんだなんまんだぶようこそようこそ(ありがとうございますという意味)」と念仏を称えながら歩いていると、うさんな男に後をつけられた。

彼は出獄したばかりの前科者であったというが、源左が店から金を受け取ったのを見ていた。

峠にさしかかる頃、いよいよ様子がおかしいのを知って、源左はその男に振り向いて、

「おらぁの持っとるむんに、お前にゃ欲しいものがあって、ついて来よんなはるか。

欲しけりゃ上げもしようが、まぁ如来様のことを話さしてつかんせい」 

そう言って連れ立って、法話をしいしい遂に村まで来た。

男は源左がの人柄に手の下しようがなかった。

かくて夜にもなったので源左はその男を自分の家に連れて来た。

早速家内の者に食事を仕度させ、遂にはその晩は泊めてやり、あたり前のようにもてなした。

そうして翌日には弁当をもたせ、いくらかの金をもやり、人目につかぬように朝早く立たせた。男は源左を拝んだ。━



あるお坊さんは命日の日にお経をあげにある人のところへ行った、帰ってから仏壇の中に隠していたお金が無くなっていた。

まさかとは思ったのだけど本人に聴いてみると 「あなたがそうおっしゃるのならそうでしょう」とあっさりと認めお金を差し出した

「とんでもない坊主だ」 と怒った家の人たちはこのお坊さんを村から追放したしばらくしてこの家の人が息子を尋ねて都会に出てその話をすると

「お父さんお金を取ったのは私です」

と打ち明け驚いたその人たちは急いでこのお坊さんを探し出し、非礼を詫びた。


又、あるお坊さんはある日、村の娘が妊娠し親に問い詰められたこの娘はお坊さんが父親だと言った。

「お前が父親か?」と聞かれた坊さんは「娘さんがそういうのならそうでしょう」とこたえ やはり先程のお坊さんと同じように村を追い出されたのです。

そしてその後どんな生活を送ることになろうと死ぬまで誤解が解けなかろうとそんなことを意に介していないのです。


また、あるお坊さんは川で船に乗っていて船頭さんにいきなり川に突き落とされたお坊さんは泳ごうもせず川にプカプカ浮いている驚いた船頭さんはあわてて救い上げた。

お坊さんは「いのちを救ってありがとうございます」と心からの礼を言った。




たくさんの話の中からいくつかをご紹介したのですが

名は知られていなくてもこのように教え(真理)を日頃の生活でそのままに顕していた人たちがいたのです。

立派な人たちとはこういう人たちをいうのだと思うのです。

私たちは常に損得でものを考えています。

今起こっていることだけで判断します。

自分を善、他人を悪と区別します。

でも今人にされていることは全部自分がやってきたことなんだそれがそのまま帰ってきているのではなく、大難が小難にしていただいているんだ

なんてありがたいことなんだろう と考えることが出来たのなら

どんな不幸でも不幸でなくマイナスはマイナスではなかったと思えるようになるのです。

でもこの人たちのように頭でわかるのではなく心に沁みつくところまでいかないと 、つまり不退転の境地にならないと本当の幸せ感は得られないのだと思うのです。

でも少しずつでもいい

心境が進化向上していけば

いつかはこの人たちのようになれる

とも思うのです。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


  


 


  

他人は自分なのです。

 
     
人間は宇宙で一つの光から分かれて地球に降りて来ました。

太陽の光線が地球のあらゆるものを照らしている。

光線が色んな物を照らしてはいるけれどもその元は一つの太陽です。

私たちも肉体があるので分れていると思っているけれど

元は一つの光から分かれた分霊(わけみたま)なのです。

だから他人と思っている人も実は自分自身なんです。

「精神的に自分よりも幼いなぁ」

と思う人は自分の過去世がそこに写っているのです。

「この人は自分よりも心が立派な人だ」

と思える人は自分の未来の姿を顕しているのです。

たくさんの人が周りにいたとしてもそれはみんな自分なんです。

そのことが最近わかってきました。(まだ完璧ではありませんが)

だから 今

あなたが腹が立ってしかたがない

あいつはどうしても理解出来ない

と思っている人もあなたの過去の自分なんです。

未熟だった自分の姿をみて

腹を立てているのです。

「なんでそんなこともわからないんだ」

って

進化したあなたはもうそのことをクリア(克服)しているので

克服できないその人(自分自身)に腹が立っているのです。

理解出来ないのです。

相手に怒っているのではなく未熟だった過去の自分に怒っている。

元をたどっていくとそこには自分しかいない

たった一人しかいないんです。

それが真実なんです。

それが真理なんです。

自分の中にすべて(宇宙)がある

自分は宇宙そのものなのだ

自分は神(創造主)そのものなのだ

ということの答がわかってくるのです。



 

世界人類が平和でありますようにぴかぴか(新しい)

我即神也

人類即神也



  


 

2010年7月17日 (土)

集中力

   
    
最近、集中力が大切だなぁと実感しています。

ゴルフでも野球でも技術的なことの差はほとんどなくて

どれだけやっていることに集中しているか?

がハッキリと結果になって現われているのです。

それは集中すればするほどエネルギーがそこに注がれるからだと思うのです。

太陽からの光を虫メガネで集中させて紙に当てると光(エネルギー)は一点に凝縮されて熱を帯びて煙が出てきて火に変わります。

この火に変わるまで集中力を持続出来るか出来ないかが失敗に終わるか成功するかの違いだと思うのです。

後もう少しで煙が出てくるのに、途中でやめてしまうと紙にはなんの変化も起きない。

短時間で結果を出したければもっと集中すればいい。

これは宇宙の法則です、自然の法則です。

自分の周りにエネルギーを奪われることなく

自分のやるべきことだけに心を集中させる

これって本当に大切なことですよね。

周りが何を言っているとか

他人が自分をどう評価しているとか

足を引っ張る人が居るとか

そんなもろもろのことに心がいちいち奪われていては

自分の目標なんて達成されません。


心を常に本心に合わせ続ける

本心とは本当の自分が一番望んでいる心を言います。

本心は宇宙にあって宇宙とつながることが本心とつながることになるのです。



そのためには世界平和を祈り続ける

自分にはそれしかないと思っています。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



  

日々の祈り (有益な人になろう)

   
  
7月17日の日々の祈りから

 
人間の生命は同等の価値をもち、生命の根源においては、すべて一つなのである、ということが、意識的無意識的にかかわらず、真実にわかっている人は、他人の生命や生存価値を、自己のそれと同等に見得る人であります。

自己欲望のために、他人の損傷を考えぬような人は、口でどのように立派なことをいおうと、人間の真実の在り方、人類の本質というものを知らない人なのであります。


多くの人間のために有益でありたい、と思う想念は生命を生かしている想念であって、愛であり光であり、本心開発の姿であります。




            

                     五井昌久




  
 
感想


空や海が一つにつながっているように人間の心、魂も一つのところから分かれているだけなんだ、だからあなたも私もないんだ

ということがここで書いているように無意識にしろ意識的にしろわかっていれば相手に対してひどいことは出来ないのです。

相手にそれをしてしまうのはそれがわかっていないからなんですね。

だから自分がどれだけひどい目にあっても仕返しをしようと思わない心は尊いと思うのです。

愛は相であり合いである。

つまり心が一つになることをいうのです。

感動とは相手の心と自分の心が一つに溶け合うことをいうのです。

一日に一回でも感動することがあると幸せを感じます。わーい(嬉しい顔) 揺れるハート

それは出来事が感動させるのではなく

自分の心が愛で溢れていればほんの少しの合いであったり逢いであったり相であったりしてもすぐに感動出来るのです。

そのような心の状態にいつもスタンバイ(準備)しておきたい

と思うのです。わーい(嬉しい顔)手(チョキ)






      世界人類が平和でありますように 
ぴかぴか(新しい)



 

 

2010年7月16日 (金)

日々の祈り (十人十色)

  
      
  
7月16日、日々の祈りより


人間というものは十人十色、百人百色で、人間という等しい名称で呼ばれながらも実に多様な心の動きをもち、他種類の精神的なものを含めた生活内容をもつものです。


自己の欲望のために、平気で人を殺害できる男も人間と呼ばれており、自己の欲望のすべてを捨てて、人類社会のために尽している人も人間であります。


生命と呼ばれる等しき力をともに与えられながら、一人は人生を有益に生き、一人は有害に生きるということは、実に不思議なことです。


それは、各人の想念行為の相違のためなのであります。


想念が、神(生命の源、本心)に近づいているか離れているか、あるいは業(カルマ)いわゆる利己的欲望が強いか弱いか、本心の光明を蔽う暗雲が濃いか薄いかによるのです。




       
           日々の祈り 五井昌久  白光出版








 感想


ここに書いていることはテレビのニュースなどを観ているといつも感じることですよね。

「なんであんなことをするのだろう?」

「なんであんなことが出来るのだろう?」


そして反対に、心を打たれ感動に涙するニュース(場面)もあります。涙

人間ってつくづく不思議な生き物だなぁ

と思います。


そしてここの最後の文章ですが



想念が、神(生命の源、本心)に近づいているか離れているか、あるいは業(カルマ)いわゆる利己的欲望が強いか弱いか、本心の光明を蔽う暗雲が濃いか薄いかによるのです。


私は自分でいうのも変なのですが


本心の光明を蔽う暗雲が薄い方だと思うのです。


それは自分の努力の結果ではなく、私を守ってくださっている守護霊守護神が光をたくさん送ってくださっているからだと思うのです。


その光明の光は自分の努力でもたくさん受取ることが出来るのです。ぴかぴか(新しい)


それが祈ることであり、印を組んだり想念を流していくなどの日頃の行いなのです。


そして自分のためだけでなく自分から光を醸し出す(放つ)ようになることが大切なことだと思っています。


大げさかもしれませんが、それが暗雲を薄くしていただいた者の使命(ミッション)だと思うからです。




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)







ちょっと感動した歌を見つけました、よかったら聴いてみてください♪

 
http://www.youtube.com/watch?v=Z2VoEN1iooE




 

如是我聞

 
    
1.五井先生の修練時代、頭の中で霊の声がささやいた。

「あなたは、釈迦もキリストも出来ぬことをするのだ、それがあなたに出来るのだ。あなたは地上唯一の大菩薩なのだ」

五井先生は、そうした声にのりはしなかった。

そうした声にのったが最後、ガラガラと今迄の清らかな精進もむなしく失せてしまう。

ということは、自分の心の中に、微塵の汚れ、高慢の想いがあってもいけないということだ。

「私はそんなものではありません。大菩薩であろうと小菩薩であろうと結構です。私はただ神のみ心を実行するのみです」

と五井先生はあらゆるそうした囁きを否定しつくされた。


「霊能力が出はじめた頃、こうした霊の声にうかうかとのせられないように、それが守護神のテストであったとしても、のったら失敗なのだ。

落第したことなのだ。

つつしむべきは自我高慢の心である」


と五井先生はおっしゃっている。




   
     如是我聞  高橋英雄著 (五井先生の言葉)





  

わたしたちが今だと思っている今は今ではない

     
今、見ている星は今光ったものではなく、何万光年も前に光った光をみているのです。夜

それと同じように今わたしたちの目の前に起こっている出来事は、今発生したことではなく、過去において自分たちがしたことが現われているのです。



そして今想ったことも今想ったのではなく、過去世で想っていたことが頭の中を通り過ぎているのです。

だから

「なんでこんなことが起るのだろう?」

「どうしてこんなことを想ってしまうのだろう?」

と考えてみても

それは

今起こっていることはもうしかたない

今想ってしまうことはどうしようもないのです。

そしたら指をくわえて我慢するしかないのか?


3次元はがんじがらめの世界なのか?




そうではないのです。

過去世での想念行為が今時間を経て起って来ているのなら

時空を超えてしまえばいいのです。

今を生きるとは3次元では過去を生きるということです。

地球意識で生きるとは未来を変えれないということです。

わたしたちが今だと思っている今ではどうしようもないということです。

しかし祈りで、宇宙意識になれば時空を超えた“今”を生きることが出来る。


過去の今ではなく、本当の今を生きることが出来る!

悟った人が

未来がわかるというのはそういうことです。

宇宙意識になると過去も未来もなくなるからです。

人間は元々そんな素晴らしい叡知を持っていたのです。(我即神也)

過去を変えることが出来たのです。
 

これからわたしたちは時空を超えていきます。
 

それが肉体意識(3次元)から宇宙意識になるということです。


過去を変えることによって今も未来も変えられる
 

そんな素晴らしい叡智を人間であるわたしたちは持っているのです。
 

そのために祈りをする

祈りとはいのちが生き生きとするということです。

いのちがのりだすということです。

いのちがいきるためには時間に縛られていてはダメなんです。

自由自在心とは時間と空間を超えるということです。

今、そして未来を善くしていくためには


過去世を浄化すること (守護霊守護神様がしてくださっています)

今を大切にすること (3次元を丁寧に生きてゆく)

宇宙意識になること


が必要なのです。

そのために人事を尽くして

たゆまない祈りをしていくのです。


世界平和の祈りは3次元に居ながらにして宇宙へ行けるのです。

宇宙意識になれるのです。


世界平和の祈りは宇宙(神)が望んでいることだから宇宙と共鳴するのです。

今想っていることを祈りに変えていけば輝かしい未来がやって来るのです。 わーい(嬉しい顔) ぴかぴか(新しい)




 
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


  


    

2010年7月15日 (木)

日々すべきこと

  

   
私たちが日々すべきことというのは特別なことではなく

自分の想念を祈りによって、常に本心に合わせるようにし

そして日常生活のことを当り前にしていくことだと思うのです。

「何かをしなければならない」

「アクションを起こさなければならない」

と焦ることもあるのですが

時期が来なければ、機が熟さなければ中途半端な徒労に終わるのです。

何事もタイミングが大切です。

日々、自分の本心に意識が合うようにしていれば

それがいざというときに生きてくるのです。

焦るとは

心がこげつくという意味なのだそうです。

一旦焦げ付くとなかなか元には戻らないのです。

なんとかしようというエネルギーを

自分の本心に還るためのエネルギーに変えるのです。

一日に一回は自分の本心と対峙(対話)しましょう。わーい(嬉しい顔)





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



  


   

如是我聞 (にょぜがもん)

  

  
1.どんな貧乏な家庭に生まれようと、どんな病弱な体であろうと才能がないと自分で思っていようと、真剣に生きれば必ず芽が出る。

  私は体験として断言出来る。

一日一日、一瞬一瞬を真剣に生きる人が勝利を得るのである。

人間には何かしら必ず天与の才が与えられているのである。




 

1.現われてくるのは、すべて過去世からの因縁で現われてくる。今の自分はその人になんにもひどいことをしていないけれど、過去世からの想いの中には、相手にひどいことをしたことがあったわけ。

そうでなければ、相手にひどいことをされるわけがない。それは因縁因果の法則なんだ。けれど、それをいつまでも繰り返していたのでは、輪廻転生して、いつまでも争いの波がおさまらないわけです。

いかに自分の立場が悪かろうと、自分の心を乱すことはいけないこと。相手を傷つけることはいけないこと。ということがわからないと、本当の世界平和はこの地球界に出来ないし、本当の安心立命が得られないのです。





 
1.調和を乱す心は、神のみ心をけがすことである。例えば、相手は悪く自分は正しい、という時、相手が無理難題を吹きかけ、意地悪をして来た場合には 「このヤロウ張りとばしてやろう」と思うでしょう。

普通では無理もない感情です。しかしそれは自分の心を乱したことになるから、自分が損をすることになるのです。

自分が損をするということは、神のみ心をけがすということになるのです。

相手がどうだから・・・・・・というかもしれないけれど、相手とは関係ないのです。

自分一個の問題なのですよ。

相手がどんなに悪い奴でも、いじめてきても、こちらが怒りの想いや、恨みの想いなどを出したりすれば、それは自分の本心を乱したことになるわけですから、神のみ心にかなわないのです。

それが消えてゆく姿ということなのです。しかし、そうした想いは中から押し出されて出てくるので、縁にふれて出てきたら、消えてゆく姿だと思って、祈りの中に入れることです。

一生懸命なくすように祈ることです。

 


           

                  
五井昌久





世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  

2010年7月14日 (水)

3次元と4次元、多次元とのバランス

  
  
  
目にみえるもの(3次元)とみえないもの(4次元以降)のバランスを取ることが大切だなぁと思います。

目の前の起っていることに振り回されず、神秘的なものに頼り過ぎず、天からの縦 ┃ のエネルギーと3次元に現わしていく 横のエネルギー ━ の中心に居る。

キリストの十字架やプラス + はそのことを表しているのですが縦と横のちょうど中心に居ることが大切なのです。

この中心からブレルと精神的なバランスが崩れるのです。天秤座

先日の参議院の選挙で民主党が大敗したのは

政策がブレタからだと言われています。

国民がブレタ(芯から外れた)ことを察知したのです。

人間はこの中心(縦横十字)から外れないように自分の心をコントロールすることが大切なのです。

それが自分を顧みるということです。

本心に立ち帰るということです。

わたしたちは日々いろんなことをします。

A、B、C、D、E、F、G・・・・・・・・・

そしていろんなことをやってから本心に帰ろうとする

でも帰ってきたときにはブレてしまっているのです。

縦横十字の中心から外れてしまっているのです。

だから本心とは違った本当の自分とは全然違う自分になってしまう。げっそり



軌道を逸した行動をとってしまうとはそういうことなのです。


縦から流れて来た天(宇宙)からのエネルギーを身体の中心でしっかり意識してそこから調和したエネルギーを3次元に流していく。


この中心を意識することが大切なのです。


この中心は下丹田(かたんでん)にあります。

へその下3.5センチと肛門を結んだ線の真ん中です。

天から頭のてっぺん(百会)に入ってきた縦のエネルギーはこの下丹田を通って足の裏から地球の中心に流れて行くのです。

天と地を結ぶ光の柱の中に人間が立っています。

 天 ━ 地 ━ そしてそこに縦のエネルギーが流れる ┃

それを下丹田でしっかり受け止めると━

この4つのエネルギーが交差するのです。

すると王という字になるのです。

天と地の中に縦横十字の人間が入っている

それが王なのです。

それが本来の人間の姿なのです。


本来の人間に戻ることが人間にとって一番幸せなことであり

天から天下って来た

本当の目的です。


縦横十字の中心に居るには

天からのエネルギーを感謝の気持ちで受取り(目にみえないエネルギー)3次元の出来ごと(目にみえること)に人事を尽くすことです。


自分は天(神)から来た、神そのものなんだ、だから絶対に大丈夫なんだという確信と

3次元で一生懸命に生きて行くということです。


それが天命を信じて人事を尽くすということなのです。


普通は 「人事を尽くして天命を待つ」 と言いますが


天命(神である自分)を信じられないで人事(3次元)は安心して尽す(努力)することは出来ないのです。


絶対なる安心感がどんな状況にも打ち勝っていけるのです。


わたしたちはどこから来たのか?

なんのために生まれて来たのか?

どこへ行くのか?

そして何をしたらいいのか?

自分の中から答を出す時期が来ているのです。

人に頼らず自分の中から答を出して行くのです。


 


そのメソッド(方法)をお伝えするのがオーラ・オーラであり



http://auraaura7.com/


私たちハーモニーの役割りなのです。


詳しくは無限なる勇気を読んでください。本


http://cart05.lolipop.jp/LA06686589/?mode=ITEM2&p_id=PR00101933969


調和波動気功法

http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/



  
 

日々の祈り (精進を怠るまじ)

 
  
7月14日、日々の祈りより


 
この世の中の生活のでも、あの世の中の生活でも、研究努力がなければ、立派な生活ができるものではない。

何事にも努力する真面目な生活態度が、その人を立派にしてゆくのであって、安易な不真面目な享楽精神では、到底、立派な人になり得ることができない。

老人になって、或いはあの世に去ってから、しまった、といってもなかなか取りかえしはつかないのである。

たゆみない日々の精進が、その人を真の幸福世界に入れるのである。

だから、若いうちから、享楽を主にしたような生活は、好ましいものではない。

努力した後の慰安こそ、明日のための力の源泉となってくるのである。

そしてまた、その慰安が高度の方法であることこそ、その人の未来をますます輝かしくしてゆくのである。




      


               日々の祈り 五井昌久









 感想


毎日をまんべんだらりと過ごしていたのなら、観光地や温泉地に行ったところでそれは慰安にはなりません。

そして連休などが続いて身体休めをしたつもりでも最初の一日はいいのですが2日目以降になるとリズムが狂ってしまって

「これだったら仕事をしているときの方が精神的にはいい緊張感が保てた」

なんてことがあります。

現役を引退して

「毎日が日曜日になって今日が何日なのか?何曜日なのか?がわからない」

というのも羨ましくはありません。

要は自分がしっかり気持ちをコントロール出来ればいいのですが、人間とは環境に流されやすい、楽な方に流れやすいものです。

時間に流されずに、時間を貴重なものとしてとらえ

大きな目標を持って、そのために毎日小さな目標をつくって日々を過ごしていく

その日々の積み重ねが未来の自分を創っていくのです。

なにかしら自分のためだけではなく

人の為、人類のためになる目標を持つことが

日々精進していくためには大切なことだと思うのです。



私は世界平和の祈りほど大きな目標にもなり、素晴らしい祈りはないと思っています。わーい(嬉しい顔)
 




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  


   

2010年7月13日 (火)

地球の空の下で

   
   
この曲を聴いているとずっと昔によその星にいた頃に流れていたような懐かしい気持ちになるのです。

于先生は天界から降りて来た曲ですとおっしゃっていました。

なんだか心が洗われるようです。

みなさんもよかったらお付き合いください♪





地球の空の下で(チグエソ)

http://www.youtube.com/watch?v=S_qjRu2i00Y&feature=related



  

  

日々の指針 (魂の声に耳を傾ける)

  
  
7月13日、日々の祈りより


 
習慣性というものが一番恐ろしい。

一つ一つの事柄はなんでもなさそうで、それが積み重なると、もう抜きさしならぬ業(カルマ)となって、自己の自由性を奪い去ってゆく。

業生の想念行為の中から一歩も進歩せず、一生を終ってしまえば、その生活がたとえ金銭に何不自由ない一生であっても、病苦を味わったことのない生活であったとしても、そうした幸福感は真実のものではない。

なぜかというと、人間の生活はこの一生だけではないからだ。

死んでからの、いわゆるあの世(幽界、霊界)の生活もあれば、再び肉体界に生まれて再生の生活もある。

少し進んだ人はこの世だけの生活の享楽で満足せず、その一つ底の生命の流れ、魂の声に耳を傾け、そうした精神界の生活を求めるのである。


  

  

      日々の祈り  五井昌久  白光出版





 

感想


まさしく、自分のことだな

と思ってしまいました。(笑)

私の母親や齢を重ねた人がよく言うのは

「なんにもないのが一番いい、心配することがないのが幸せなことだ」

なのですが、私はずっと疑問に思っていました。

何事もなくただ時間だけが虚しく過ぎていく・・・・・。

そんな進化もない向上もない生活なんて

私はまっぴらです。

目に見えるその奥に

なにがあるのか?

そこに本心につながる本当の世界があるのです。わーい(嬉しい顔)



  

2010年7月11日 (日)

人脈を大切にする

    
  
人間関係が豊かであるほど、生活や仕事は充実するものである。

たとえば人脈が広がれば、情報源も広がることになる。知人から寄せられる情報を仕事に役立てれば、仕事の密度は濃くなり、処理速度も速くなる。

こうして人脈が仕事を充実させるのである。

ところで、気の合う人とならばいくらでも人脈はつくれるだろうが、そうでない人との場合はどうすればいいのだろうか。

まずは、相手の長所を探すことである。

その部分に焦点を当てて、その人と付き合うのだ。

そうするうちに、自然とその人が良い人に見えてくる。

そうすることで、以前のような気まずさが緩和されてくる。

試してみるといい。

また、築いた人脈を組織し、団結することも大切である。

人脈が集団になることで、さらに力を増すことになる。




『諸葛孔明人間力を伸ばす七つの教え』 yao Lei 著  









感想


今の私に一番必要とされていることが書いてありました。


それは



ところで、気の合う人とならばいくらでも人脈はつくれるだろうが、そうでない人との場合はどうすればいいのだろうか。

まずは、相手の長所を探すことである。

その部分に焦点を当てて、その人と付き合うのだ。

そうするうちに、自然とその人が良い人に見えてくる。

そうすることで、以前のような気まずさが緩和されてくる。



の部分です。

相手のことを自分の気持ちの中でどう処理したらいいのか?わからないでいたのです。

でもこの本の中に答が書いてありました。わーい(嬉しい顔)電球

さっそく試してみます。

本さんありがとうございました。



  

潜在能力を磨く

  
  
  
丞相(諸葛孔明)はつねづねこう述べられていた。

「人間の潜在能力は無限である。また、人間の能力の違いとは、潜在能力を掘り出す力の違いである」

潜在能力とは、理想を現実に変える力のことだ。潜在能力を引き出す努力さえ怠らなければ、夢を現実にすることができる。

なりたい自分になれるのだ。

人間一人ひとりの心の内には、潜在能力が収められている「宝石箱」がある。

その箱の中には “未知”“奇跡” という原石が眠っている。

これを自分自身の強い意思で磨き上げることで、潜在能力が顕在化するのである。

潜在能力を心の内から引き出すには

「夢を現実に」 と強く念じながら努力を続けることである。




           丞相(現在の総理大臣に近い役職の人)




 
    『諸葛孔明人間力を伸ばす七つの教え』 yao Lei 著  




 



感想


人間の能力が無限にあるということから言えば、どんな人であっても神様は平等に人間を創られたんですよね。

ということはその無限に潜んでいる能力をどれだけ自分が引き出すかによるのだと思うのです。


その無限の能力(我即神也)を信じて、自分を信じて、どんなことがあっても神である自分を信じて貫き通した人だけ成功(成就)、悟り、至福感が得られるのだと思います。


それが神様からの最高のプレゼントですよね。ぴかぴか(新しい)




世界人類が平和でありますようにぴかぴか(新しい)



  

本当のことを知ろう!

  
  
本当のことを言ってしまったら、書いてしまったら

おまんま(ご飯、生活の糧、つまりお金)が食べられなくなるから

黙っている、そして家族とかごく一部の人にしか教えていないこと

そんなことってたくさんあると思うのです。

でもそんなセコイことを言っている場合ではないですよね。

これを知ると病気が無くなる、歯医者さんがいらなくなる、ハブラシも売れなくなる、頭痛薬が売れなくなる、よってお医者さんが必要無くなる。

しかし、本当に患者さんのこと人のことを考えているお医者様はもう本当のことを知らせる役にまわっているのです。


この本を読んでいると

「勇気のある人が出て来たな」

「病気って元(原点)が判れば簡単に治るんだな」

ということ知らせてくれるのです。

「なんでこんな簡単(単純)なことがわからかったんだろう」

と思わずうなって嬉しくなる本です。わーい(嬉しい顔)

例えば、歯は年齢と共に衰えてきます。

歯周病になったり歯を支えている肉が弱くなって来る。

それに従って入れ歯が必要になったり高い治療費がいるようになる。

しかし手をきれいに洗って指の腹で歯茎をマッサージしてやれば歯茎はみるみる元気になってきます。

そして肉が盛り上がって来る。

すると歯も丈夫になって来るのです。


でもほとんどの歯医者さんはそんなことは教えてはくれない。

「歯ブラシでしっかりブラッシングしてください」というくらいです。(もちろん間違いではありませんが)

手はパワーを持っています。

手当てというくらいで、手からエネルギーが出ていて

それで大概の不調和なものは治せるのです。

これが本当の自然治癒力です。

もちろん、外科的なものや今の医学でしか治せないものもたくさんあります。

でも人間の潜在的にもっている力で治せるものもたくさんあるのです。


それをお医者さんは知っているはずなのです。

医療を追求していくうちに気がついているはずなのです。


健康オタクの人でもそれを究めれば凄い知識になるのです。

一見軽そうですが、実な内容が濃い本をご紹介します。

目からウロコですよね。目


自分が病気を創ったのなら自分でそれは治せるのです。




『幸せを呼ぶ健康のヒケツ24』 生島ヒロシ著 TBSサービス




   

日々の祈り (安易なるものを退けよ)

  
  
7月11日、日々の祈りより 



安易なるものを退けよ


今、自分が読んでいる本が、はたして自分の魂を喜ばせ、精神を純化させてくれるものであろうか、今聴いている音楽は自分にいかにプラスしてくれているか、ということを、若い世代の人々は常に思考してみる必要がある。

自己の精神問題に怠惰なる人は、しらずしらずに、自己を地獄の世界、不幸の世界に陥れている。


口あたりのよいもの、耳ざわりのよいもの、そうしたものには安易に飛びこんでゆけるものだが、安易に読めるもの、安易に聴けるものこそ、一応気をつけて、自己の心に訊きただしてみるとよい。


自己の精神にプラスとなるか、マイナスになるか。

肉体欲望(五感)の満足だけで、精神(魂)に不満足のものは、これを退ける(しりぞける)だけ退けてみることが必要である。




   

             日々の祈り  五井昌久  白光出版







 
感想


今は東京に行ってしまった息子が高校生の頃や浪人中のとき、その時々の心境をチェックするのに

「どんな音楽を聴いているのか?どんな本を読んでいるのか?」

が目安になっていたように思います。

それで

「大丈夫だ、間違った方向には行っていない」

と判断出来ました。

今の若い人を観ていると安易な楽な方に行っている人と難しくてもそこに挑んでいっている人に分れているように思えます。(若い人だけではないですが)

何か目標となるものを見つけていけばいいのに

と思うのですが

目標ってどうやってみつけるのか?

と聞かれたら

なぜ目標を見つけることが大切なのか?

を自分で考え自分で納得し

それから目標を探す努力が必要だと思うのです。

ただ「目標を見つけろ!」 というのは簡単です。

でもその必要性を言っている人もよくわかっていないのです。

人(他人)は適当なことを言います。

だから

自分のことはやっぱり自分で管理しないと駄目なんだなぁ

とつくづく思うのです。



  

倹約は美徳

      
   
収入が減った、消費税が10%になると心配するよりも

無駄なものを一割無くせばいいんだ

と考えた方が得策だと思うのです。

入ってくるものが減るのならそれなりの生活をする

しかし、節約と倹約は違う

節約はどこか無理があり我慢が必要だけど

倹約は収入の多い少ないに関係なく

つつましやかな物を大切にした生活を送ることだと思うのです。

これからの日本の経済は益々厳しくなります。

中国の人はなぜ、成功している人が多いのか?

その考え方の元はどこにあるのか?

今、読んでいる本は以前于先生に薦めていただいた



『諸葛孔明』人間力を伸ばす七つの教え

です。

そこから倹約という章を抜粋してみました。





 

倹約


倹約は、一つの美徳である。

倹約とは蓄財につながるだけではなく、子どもの教育にとっても好ましい。

子どものころから倹約を心がければ、いずれ大人になって花開くことになる。

たとえば、起業すれば成功する可能性が大きい。

なぜなら、無駄を省く習慣を身につけていれば、知らず知らずのうちに収支の感覚が身についていくからだ。

考えてもみてほしい。 おこずかいをもらったらその日のうちに使い切ってしまうような子どもでは、大人になって会社のお金を管理できるはずがない。

その点、倹約の心をもつものは強い。

収支管理ができれば、借金にも苦しまず、物欲にも惑わされない。






『諸葛孔明』人間力を伸ばす七つの教え yao Leo著 (中国ビジネス思想の源流を知る )




  


2010年7月10日 (土)

如是我聞 (にょぜがもん)

  

 
  
1.人間は、私とあなたと彼というように、別々に存在していると思っているけれど、本当は一つなのです。

別々にある肉体というのはないのですよ。

只、天命がそこにあるだけなのです。天命をまっとうさせる意識があるだけなのです。

だから、本当に自由自在心になるためには、あらゆる体というものを超えなければいけません。

幽体、霊体という意識もなくならなければ、その体につかまって、不自由になってしまう。

体があるという意識を解脱(げだつ)することです。


 



1.自分がないということが一番のんきだ。
 




1.自己をじっと見つめなさい。澄み切っている自分が真の自分。

 汚れているもの、不安動揺しているもの、不明朗なものは、すべて真の自分の前を通り過ぎてゆく雲である。

 



1.潜在意識と表面の意識とが全く一つにならなければ、人間は本当に幸福にはなれない。

 



1.最も悪い時が開運する時である。








                   
  五井昌久 




    

損得勘定(感情)

  
  
  
損得勘定という言葉がありますが、この言葉はそのまま損得感情とイコールになると思うのです。

感情的になっているときは必ず

損か?得か? を考え、計算します。天秤座

そして損だと思ったときに感情が爆発します。

恋愛感情も

「これだけ自分は相手のことを想っている(尽している)のに愛してくれない」

人間関係の怒りの感情も

「これだけ自分はやっているのにあいつはなにもわかっちゃいない」

自分と相手を比べて損か得か多いか少ないか

を比べているのです。

この感情をたくさん持っている人はいつもイライラしていなければならない。

反対に少ない人は心が穏やかに生きられると思うのです。


つい勘定をしてしまう人はどうしたらいいか?

自分の感情を消すように努力することが大切だと思うのです。

そのままにしていたら本当に不幸になってしまう。

それは勘定(感情)という想いをつかんでつかまえてしまうからです。

人間は感情を超えないと立派にもなれないし幸せにもなれない。

私は祈りで消すようにしています。

腹が立って来たり、感情的になりそうになったときは

「これは自分ではない、感情的になっているのは本当の自分ではないんだ」

と言い聞かせて

本来の穏やかな自分と感情を被ってしまっている(業を掴んでいる)別人の自分を分けてしまうのです。


そして世界平和の祈りの中に自分の想念を入れていく。


すると不思議なことに感情が消えてゆくのです。わーい(嬉しい顔)

感情は損得勘定だと思ってください。

そして計算をしそうになったら

計算が終わる前に(勘定をして腹が立つ前に)

自分の気配を消してください。

肉体から魂を抜くようにするのです。

自分の存在を無くすのです。

肉体はそこにあっても自分は肉体にいないようにするのです。

だったら自分はどこに行ってしまったのか?

それは肉体界を抜け出して

天界(宇宙)へ行ってしまったのです。(笑)


それがお釈迦様の言う

「空になる」ことだと私は思っています。





世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます









追伸

統一するとは、肉体界を超えて幽界、霊界を超えて神界に行くことなのです。

神界に本当の自分(本心)がいるのです。

そこにつながらないと本当の安心感は得られない。

そのためには肉体から意識を外すのです。

アセンションをするということは肉体意識から宇宙意識になるということです。

人間は肉体意識を超えたところに本来の自分がいるのです。

于先生の

「無限なる幸せを体得する方法」には正しい統一の仕方が書かれています。

統一とは易しく言えば

「心を鎮めて、本当の自分につながる」ということです。

今、人間が一番しなければならないことなのです。




http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/sub3.html



  

 

自分に起こることはすべて自分に原因がある 2

     
  
要するに、毎日毎日自分の心を不満で満たしておいてはいけないのです。

毎日毎日自分の心を悲しみや恐れでいっぱいにしておいては駄目なのです。

毎日毎日自分の心を憎しみや嫉妬や怒りの炎に燃え上らせておいてはいけないのです。

その心の中の状態の原因は自分にあるのです。

だがしかし、あなたはこうおっしゃるかも知れません。

嫉妬心や憎しみは自分の心に原因があるとおっしゃいましたが、もし主人に愛人がいなければ、私の心の中に嫉妬心や憎しみが起るはずはないのです。

先に愛人をつくった主人が悪いのですから、原因は主人であって私ではありません。

主人によって私の心に嫉妬心と憎しみが現われ始め、燃えたぎってしまったのです。

主人が私にもたらした心の中のこの苦しみを、何故私の責任である、私の心が原因であるとおっしゃるのでしょうか。

私にはそれがわかりません、と。

理屈では皆そう思います。

だがしかし、それは違うのです。

まず初めに、あなたの心の中には、ご主人に対する感謝の心や信頼の心が欠けていたのです。

あなたの心は毎日喜びや幸せに溢れてはいなかったのです。

自分の心の中に否定的な思考が入り込み、次第にその否定的な思考が自分の心の中を占領してゆくのを許してしまっていたのです。

全く心の全部を占領される以前に、自分で手を打たねばならなかったのです。

あなたはそれを放っておいたのです。

黙って見過ごしていたのです。

何も手を尽くさず、手をこまねいて放置しているに過ぎなかったのです。

そんな心の中をすっかり否定的な思想で覆われ尽くされてしまったあなたと、ご主人は毎日顔をつき合わさなければならないのです。

ご主人にとっては、たまったものではありません。

あなたの心の否定的思考がご主人にまで波及し、あなたと毎日付き合っているうちに、ご主人の心の中は次第に憂鬱になり、腹立たしくなり、不平不満がつのり、あなたに対して怒りっぽくなってくるのです。

そして最初のうちはそれでも何とかして我慢をし忍耐しこらえるのですが、それでもなおあなたの心が変わらず、毎日同じ状態が続いたのでは、今度はご主人が堪りません。

終いにご主人はその憂さを外で晴らしてくるようになります。

そのご主人を態度を優しく注意深く見守り、そのご主人の不満を見抜くことが出来たなら、大事に至る前に、何とか食い止めることが出来るのですが、相変わらずあなたの心が少しも変わろうとせず、それどころか却ってご主人を罵り、いたぶりつづけていれば、終いにはご主人の堪忍袋の緒が切れカッとなり、初めはほんの軽い気持ちで、また気分転換のつもりで付き合っていた女性と本当の愛人関係に陥ってしまうのです。

これでお分かりいただけたかと思います。

ご主人が愛人をつくる前に、あなたの心の中に原因の種があったのです。

それを知らずにご主人を責め裁き憎しみと嫉妬心で対処していたのでは、双方とも救われません。


                    

                        つづく


              


         『我即神也』 西園寺昌美 白光出版





 


感想


  
最初にこれを読んだ時私が想像したのは、西園寺昌美さんは色んな人生相談を受けているうちに(女性の相談が多いのだと思います)、女性のご主人の浮気相談に乗るうちに、あまりにも多い

「自分は全然悪くない、悪いのは相手(ご主人)の方だ、私はかわいそうなんです」

という話を聴いて

「いい加減にしなさい、原因は全部自分にあるのです!」

と呆れて一喝されたのだと思うのです。


私も同級生(女友達)に同じような相談を持ちかけられて

その友達には悪いのだけど

「この人が奥さんだったら浮気の一つもしたくなるだろうな」(本人にはとてもじゃないけど言えませんが)

という感想を持ったことがあります。

これは女性だけでなく男性にも言えることなのかも知れません。


今起こっていることのすべては自分に原因がある、責任がある

と潔く認めて

そこから出発出来たらどんなに有意義な生き方が出来るだろう


そう思った文章でした。 わーい(嬉しい顔)


  


  
 

2010年7月 9日 (金)

自分に起こることはすべて自分に原因がある  1

  
  
毎日、何を書こうなんて何も決めていないのですが本棚にある本をつまんでページを開くとそこに今の自分の心境にピッタリとハマったことが書いてあるのです。

今日は、以前にも書いた 『我即神也』 から抜粋してみます。

途中からなので前の文章ははしょりますが、十分に伝わってくると思います。





 
自分に起こることはすべて自分に原因がある


病気も同じです。病気を癒すのは医者でも家族でもない、自分自身です。

自分に生きる自信がなく、自分自身を信ずることが出来ず、常に不安と恐れと心配で心が平安に満たされていない人は、やはりその人の心が病気や不幸をつくっているとしか言いようがありません。

たとえ医者や家族や周りの有能な人々があなたの病気を治そうとし、そしてあなたの心を励まそうと努力し頑張ってみても、あなたの心がそれに対して何らかの共鳴ないし反応、あるいは同調しなければ、全くすべてが無駄なこととして終わってしまいます。

医者や家族の者達が、あなたの心の中にどかどか土足で入り込んで、あなたの憂いに満ちた不安に満ちた恐怖に満ちた心の中を治療しようとしても、それらの不安や恐怖は完全に癒されるでしょうか。

そんなことが許されるはずがありません。

人の心の領域は神聖な部分、犯してはならない部分です。

どんなに親しき家族でさえ踏み入ることの出来ない分野です。

それは神でさえも許されないことです。

自分の心の分野はあくまでも自分の領域であり、自分の責任において管理するものです。

絶対にいかなる人も入り込めぬ神聖にして、犯すべからざる領域なのです。

その心の中に入ってゆけるのは自分だけです。

その心の中に踏み入って治療できるのは自分のみです。

自分以外に誰も出来ません。

人生とはそういうものです。

もし自分の人生を輝いたものに創り上げてゆきたいならば、自分自身の心を輝かしてゆかなければなりません。

皆、明るく幸せで感謝に満ち溢れた人生を送りたいのです。

それならば、自分自身の手で自分の心の中を常に明るく幸せに満ちた心に持ってゆくか導いてゆく以外に、いかなる方法もありません。

何故なら自分の心を管理できるのは自分以外に一切ないからです。

ところが世間の人々は真理が分かっていないのです。

幸せで喜びに満ち溢れ感謝の心が湧き出るようになるためには、周りの人達が自分に喜びを与え、幸せを与えてくれるべきであると勘違いしているのです。

自分の幸せは自分が築き上げるものではなく、他から与えられるものだと思い込んでいるのです。

自分の病気は自分自らが治すのではなく、医者や家族の者達が治すものだと思っているのです。

自分の憂欝や不満や悲しみは自分自らが導き出したのではなく、周りの人達が自分に与えたものだと勘違いしているのです。

ここのところが一番の問題点なのです。

自分の運命において起る一切のことは、すべてその原因は自分にあります。

それらはすべて自らが創り出していったものです。

病気であれ、事故であれ、不祥事であれ、失敗であれ、不安であれ、恐怖であれ、ゴタゴタであれ、自分の人生で現われてくるすべて一切のことは自分の責任です。

自分の心が嬉しくないのも、自分の心が憂欝であるのも、自分の心が不満と怒りと憎しみに溢れているのも、その原因は一切自分にあるのです。

他からもたらされ、他が創り上げたものでもなければ、他があなたにさせたものでもありません。

事業に失敗するのも、詐欺にひっかかるのも、大学に落ちるのも、結婚に破れるのも、子供に裏切られるのも、すべて一人の問題なのです。

先にも述べた通り、人間は誰でも等しく、一人で生まれ、一人で生き、一人で死にます。

これが原点です。

一人で生まれ一人で死んでゆくことは誰にでもすぐに理解できることですが、一人で生きるということは誰しもが納得していることではありません。

また誰しもが気づいていることではありません。

だがしかし、それが真実なのです。

ここのところを深く心に刻み込んで下さるならば、あなたの今後の人生は、間違いなく何ら煩わしいものではなくなります。


人生とはいかに単純にして明快そのものであるか、はっきりお分かりいただけるようになると思います。

この真実を知ることはあなたにとって、どんなに辛くまた厳しいことであるかも知れませんが、ここで逃げないで、勇気をもって真実に立ち向かっていただきたい。

自分の不幸も自分の至らなさも自分の病気もすべて自分に原因があったのだと気づいた時にこそ、自分の運命や人生は即、単純明快によき方へ、素晴らしい方へと展開し始めるのです。



                  つづく





 

 

2010年7月 8日 (木)

足らないくらいがちょうどいい

  

  
老子の 「足るを知る」

はあまりにも有名ですが

私は邱永漢 (きゅうえいかん、中国人華僑)さんの

「お金は足りないくらいがちょうどいい」

という言葉が好きなのです。

ほとんどの人は

「今年はボーナスが少ない、給料も減った、これからどうしよう」

「もう少し余裕があったらいいな」

「私のことを認めてくれてたくさんお金のくれるところはないかな」

「宝くじに頼るしかない」

と常に

「足りない足りない」

と思っています。

でももし自分の望むお金が入ってきたとしたら

それで満足するでしょうか?

今度はそれよりも

もう少し欲しい

もっと欲しい

に欲望は増幅していくのです。


永漢さんは

お金がふんだんにある今よりも

「足らなかった昔の方が良かった」

と言っておられます。

その頃の方が家族が一つになっていたし

善くしていこうという向上心があった

お金持ちになると

家族も周りもお金に依存してしまって

おかしな人間関係が出来てしまう

ほとんどのことをお金で解決してしまおうとする
 

確かにそう思います。

人と比べたら

自分は少し少ないかもしれない

でもそれはその方がいいから

神様がその “状態” にしてくださっているんだ


最近、そう思うようになりました(笑)

すると少ないお金でなんとか工面していくのが

楽しくなって来たのです。 わーい(嬉しい顔)



「お金は足りないくらいがちょうどいい」


「借金は成功報酬の前借りだ!」


 ほんとお金にまつわる言葉にはエネルギーがありますよね。


なんだか元気が出てきます。 わーい(嬉しい顔)手(チョキ)




  

 

日々の祈り (いつでも光の中に住もう)

  
   
7月8日、日々の祈りより 


 
人間はいつでも光の中に住んでいることが大事である。

なぜかというと、神様は大光明であり、人間はその光明を分けられてこの世界に住んでいるからである。

大体において、暗い陰うつな人より、明るい清らかな人のほうが誰にでも好かれるのも、この必然性によるのである。

そのようなことは、今さらいわれなくともわかっているようでいて、実はその反対の生き方をしている人がたくさんいる。

この世界が暗くてみじめなのは、一人一人の暗いみじめな、不幸や病気や悪にまきこまれやすい生き方が、寄り集まってつくりあげているのであって、一人一人の責任である。

永遠につづき得る明るさは、真実神につながり得た明るさ、本心開発の道を歩みつづけている明るさである。




    日々の祈り  五井昌久  白光出版






 
 
感想

今、生きていくには大変な世の中ですよね。げっそり

昨日、パートの再就職をした妻が言っていました。

「パートの人でも人事異動があるのよ、その職場(受け持ちの売り場)で適正でないと判断されたのなら上司に呼ばれて違う部しょに移されるんだって」

そうなのです、そのパートの人は接客がいまいち上手くなくお客さんからクレームがあったようなのです。

例えば家で嫌なことがある、それを仕事に持ち込んでしまったのなら、その嫌な感情を持ったままの自分で人と接する、するとその波動は当然お客さんに伝わっていくのです。

本当は気持ちを入れ替えてスッキリ爽やかな心境で仕事に臨まないといけないのについついそのままの状態を続けてしまう。

私は女性もそうですが(感情処理が出来ない)男性もそのような人が多いように思うのです。

それは男性はとても怖い顔をしているからです。(私も男性ですが)

男は外へ出ると 「七人の敵がいる」 と言われた時代がありました。

企業戦士とか戦うお父さんが日本の経済を支えて来たのも事実です。


でも職場にいるお父さんは

どこかいつも怒っているようなのです。ちっ(怒った顔)

笑顔がないのです。げっそり

悲観的なのです。げっそり

余裕がないのです。あせあせ

大変なのはわかります。

必死なのもわかります。

笑ってられないのもわかるのですが

そんなに緊張して強張(こわば)っていたならば

プラスの波動とも共鳴しにくいのも事実なのです。

お金は

「明るい人に寄っていく」 ぴかぴか(新しい) わーい(嬉しい顔)

のだそうです。

お金もエネルギーなので

明るい波動を好むのです。

人もお金も明るく無邪気な人に近づいていくのです。

宇宙の法則ですね。わーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)

日本のお父さんは真面目であること、誠実であることが一番だと思っている。

真剣さでコチコチになっている。

そして真剣になり過ぎが余裕と笑顔を失ってしまいやすい


どんなときにも冷静さが欲しいものです。

冷静でないと正しい判断が出来ないからです。

そのためには心をとてつもなく大きい、無限の大きさのある

宇宙に向けておくことが大切なのです。

宇宙は心の故郷、本心のあるところなので

安心するのです。

心が癒されるのです。

大きなものに守られているという安心感があるのです。


それが世界平和の祈りなんですね。わーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



  


 

参考図書


「宇宙が味方する経営」 伊藤忠彦 関西アーバン銀行頭取 講談社インターナショナル

これから会社を経営をどうしようかと悩んでいる人、必見の書です。

本

併せて 「ビジネスで大切なことはみんなレストランで教わった」 岡田博紀 大和書房



もお薦めします。わーい(嬉しい顔)



 
  

2010年7月 7日 (水)

日々の祈り (想いが不幸なのだ)

 
  
7月7日、日々の祈りより 


不幸と思う想念がなければその人は不幸ではないので、その人の想念が不幸だとか不満だと思っているだけなのである。

だから、同じ条件下においても、悟った人には不幸ではなく、凡夫(普通の人)には不幸に感ぜられるのである。

想念のもってゆきどころによって、不幸も不幸でなくなるのだから、いつでも不幸や不幸の渦巻きの中であえいでいる人は、本当に不幸な人であるので、その不幸や不満を感ずる想念を、常に世界平和の祈りのような大乗的な、深い広い意味をもつ祈りの中に投入していれば、その人はその時間は不幸が薄らいでいると共に、知らぬ間に神様の大光明がその人の心の中に差し込んできて、その人の潜在意識にたまっている業想念を浄め去ってゆくのである。





         日々の祈り  五井昌久  白光出版





 
感想


今日の日々の祈りはしびれました。わーい(嬉しい顔)

不幸と思う想念がなければその人は不幸ではないので、その人の想念が不幸だとか不満だと思っているだけなのである。

「私は不幸だ、私ほど不幸でついていない者はいない!」

こう自分で公言している人ほど、見ていて、会っていて、接していてやるせない人はいないのです。

反対に

「よくそんな境遇(状況、状態)で明るく生きていられるなぁ」

と感心させられる人もいます。

そんな人をみていると、心が洗われる思いがするのです。ぴかぴか(新しい)

どうしてそんなに違いがあるのか?

まったく同じような状況でも、ある人は不幸のどん底に居て、又ある人は不幸ともなんとも思っていない

それはマイナスの想念波動の中に居て、そこにどっぷりと浸かっているか、または天国の波動の中にいて、そして現象がそこに現われているかの違いなのです。

つまり心の中がいつも平安で愛の波動で包まれていたならば、そこには不幸や不満は存在しないのです。

だからいつも幸せでいたいと思ったのならば、自分の心の中をいつも浄めていることが大切なのです。

心の中をスッキリときれいにしていることが大事なのです。ぴかぴか(新しい)


今日は七夕ですよね。夜

七というのは宇宙の完成された数字なのです。

一週間、潮の満ち引き、ラッキーセブン、七転び八起き・・・・・

そして2012年は地球の完成の年なのです。

地球が完成されて進化した星の仲間入りをする。

幼い星から大人(精神的に)の星に意識上昇するのです。

六回、次元上昇に挑んでいて失敗してきた(まだ完成の時期ではなかったのです)のが、七回目の今回についに完成を迎える。


七夕もアセンションの七劫に共通する七は、すごく意味のある数字なのです。


話がまたそれてしまいました。(笑)


私たちは常に心を天国(天界、宇宙)に住まわせておくことがなによりも大切なことなんです。

すると不幸や不満なんて存在しないのです。

不幸や不満は自分が勝手に作り出したものです。

いつも心を天国に住まわせておく、天国の住人になる方法が

世界平和の祈りなのです。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



  



2010年7月 6日 (火)

日々の祈り (不幸を消滅させる生き方)

 
     
7月6日、日々の祈りより 不幸を消滅させる生き方


 
人間の不幸も世界人類の不調和も、それはすべて、人間の生命の根源である全能者から想念が離れていることから起ったのだから、ひとたび自己の想念をすべて神様のみ心の中にお返ししてしまいなさい、お返しするといってもどうやってよいかわからないだろうから、悪い想念つまり自己を責める想い、自己の不幸を嘆く想い、他を責め裁く想い、他を妬み羨やみ、恨む想い等々が起るたびに、その想念のままでよいから、神様と心の中で呼びなさい。

ただ神様と呼ぶだけでは、何か消極的だと思う人もあるだろうから、人類すべての悲願であり、神の念願でもある

「世界平和の祈り」をかかさずやりなさい。

そうすると心がひろびろとなってゆき、神様の愛を知らぬ間に感じてくる、と説いている。




    日々の祈り  五井昌久  白光出版







 
感想


五井先生の如是我聞の本の中で

「悟るって難しいことじゃない、余計なことを想わなきゃいいんだ」

というお言葉があるのですが

ほんとに頭に何も浮かばない、スッキリと晴れた雲一つない青空のようになればどんなにいいだろうと思うことがあります。

それくらい私たちの頭の中にはいらない想念が駆け巡っています。

たぶん、地球が生まれて今が一番想念が汚れて混沌としているのではないでしょうか?

なにかに集中していないとそれこそいらない余計な人間のマイナス想念が容赦なく脳裏に入ってくるのです。

これを防ぐには、なにかに物凄い集中力で集中し続けるか、またはなにかに想念を投げ出してやらないとどうにもならないのです。


そのためにお釈迦様は座禅観法をして意識を本心に集中するようにさせた。

そして南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経などの祈り言葉も生まれたのです。

でも、その頃のお坊さんのようにずっと座禅を組んでいるわけにはいかない、そしてお経はお葬式のときだけに唱えたりだとかで、ずっと唱えることもしていないのです。

だから間(魔)がいくらでも入ってくる。

それでいつでも心の中で唱えられ、想念を浄化出来る世界平和の祈りが宇宙神から五井先生に降ろされたのです。

この祈りを祈ることによって、たくさんの神々が働かれる、そしてその大光明で過去世や想念を浄め、個人の運命や地球の未来も輝かしいものにすると宇宙神と五井先生の間で約束されたのです。

私たちの頭には色んな想念が駆け巡ります。

その想念をつかまえて

「なんて私は悪い奴なんだろう」

と嘆くことはないのです。

それはあなたの本心ではないからです。

そんな想い、こんな想いも

持ったままでいいから

神様に預けて

きれいにして返してもらえばいいのです。わーい(嬉しい顔)

祈りとはいのちがのりだすという意味だそうです。

本来の私たちの姿が顕われてくるのです。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



  



 

2010年7月 5日 (月)

幸せとは?

  
  
幸せとは、どんなことがあっても絶対に大丈夫だという不退転な心境になることなのです。

それには肉体という小さな自分にしがみついていてはとてもじゃないけど安心感なんて得られないのです。


3次元的な目にみえるもの(お金、地位、名誉など)では安心なんて出来ないのです。

だって目にみえるものは宇宙的にいえば0.0000000000%です。

1が見つからないくらいです。(笑)


そして人間はそんなちっぽけなものなんかじゃない。

宇宙そのものなんです。

だからその宇宙につながらないと本当の安心感は得られない。

この絶対的な安心感が幸せ感に結びつくのです。

幸せになるためには幸せの波動に触れなければなることはできない。

宇宙は波動で出来ている

地球も波動で出来ている

人間も波動で出来ている

そして幸せも幸せの波動で出来ているのです。

理屈ではないのです。

幸せの波動に触れるには

世界平和の祈りしかないのです。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  


みなさんもやってみてください♪

  

   
キリストの十字架、プラス、マイナスの+とは、縦のエネルギー(宇宙)と横のエネルギー(3次元)が交差していることを意味しているのです。


人間はこの目にみえない縦(神からの)のエネルギーと目にみえる世界━(3次元)とのバランスをとっていくことが大切なのです。

天から受け取った縦のエネルギー ┃ を 横 ━ と地球の下に↓に滝のようにスムーズに流していくのが人間に与えられたミッション(使命)なのです。


そしてこれが交差したところが十字架であり+の意味なのです。


これを人間の身体でいうと下丹田(かたんでん)というところになります。


へその下3.5センチと肛門を結んだちょうど真ん中が下丹田なのです。

人間の一番気が静まるところ、落ち着くところ、マイナスのエネルギーを受けないところ、いらないことを考えない、空になれるところ、エネルギーが一番動くところなのです。


私は下丹田(かたんでん)を意識をするとなぜか幸せな気持ちになれるのです。わーい(嬉しい顔)


それはそこ(下丹田)が宇宙の入り口になるからです。


そこからずっと意識を後ろ(肉体を外して背中よりもずっと後ろ)に引いていくと、幽界を通り越して霊界、神界へと入って行ける道があるのです。

下丹田はその玄関なんです。わーい(嬉しい顔)

そこを入口として自分の本心がある天界、宇宙へと入っていけるのですから安心感があるのです。

「ただいま~」 と家の中に入る前の心境になるのです。


わたしだけでなく、みなさんもきっと同じになる。

そう思って今、私はこれを書いています。ペン

みなさんなかなか幸せ感を味わうなんてないと思うのです。

どこかにいつも不安があると思うのです。

そんなとき

私のいう

下丹田(かたんでん)という場所を意識してみてください。


意識しにくいといわれる人は肛門でもいいです。(かなり近いからです)

そこに小さな自分が居るんだとイメージしたり、下丹田で自分が光のカプセルに入っていると思ってグルグル廻してみてください。

するとマイナスの想いも消えてゆくのです。

業消しが出来るのです。


はらわたが煮えくりかえるとか

へそで茶を沸かすとか

言いますよね

それは下丹田がものすごいエネルギーを持っていることを昔の人は知っていたのです。

肉体の中で一番エネルギーが集まっているのはこの下丹田なのです。

宇宙は進化し続けています。

宇宙は止まることは許されないのです。

無限小、無限大

集まっては、拡がっていきます。

集合離反

その宇宙の進化を司っているところが

人間でいう下丹田なのです。

人間は小宇宙です。

宇宙の子どもです。

だから人間にも宇宙の進化の元となる場所があるのです。

それがここで言っている

下丹田なのです。

そこから宇宙へとつながっているのです。

だからみなさん下丹田を意識してみてください。

なんだかわからないけど

幸せな気分になるはずです。

そしてそこを意識しながら

世界平和の祈りを祈ってみてください。

それだけで

あったかい

幸せな気持ちになれるのです。


その後はもう統一の世界に入って行きます。

完全に宇宙へとつながる道なのです。

そのメソッド(方法)は

于先生ご著書の

無限なる幸せを体得する方法 に書いてあります。


http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/sub3.html


みなさん、どんどんと宇宙へとアクセスをして行ってくださいね。

みなさんの本心はそれを願っているのです。わーい(嬉しい顔)




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)



  
   


 

日々の祈り (空の境地にならせる )

  

   
7月5日、日々の祈りより 空の境地にならせる



仏教で空の境地をしきりに説いているのは、それまでの知識や経験のすべてを捨ててしまって、無色透明になれ、無色透明の心になれば神の光が、そのまま入ってきて、神仏そのままの行為が自然にできる、というのである。

しかし、この肉体人間はなかなか空になることができないので、私は空になれなどと説かず、頭脳をかけめぐる想念は、やがておのずと消え去るのだから、そのままかけめぐらして、ただひたすら、自分の過去世からの心の汚れを浄めていて下さる守護霊守護神に感謝をしつづけなさい、そうしているうちに、自然と空の境地と同じように、自分の内部の光と神仏の光と一つにつながって、自己の日常生活の言動行為となって、神のみ心が現われてくるのです。

と説いている。





         日々の祈り  五井昌久  白光出版





 

感想


仏教や宗教に興味のない人でも、お釈迦様が説いた“般若心経” くらいは知っていると思います。


そこに出てくる、色即是空、空即是色、 はあまりにも有名です。


でも、この意味が本当にわかっている人は、お坊さんでもほとんどいないと思います。


それは、この教えはお釈迦様が一番弟子の舎利弗(しゃりほつ)いうお坊さんに説いたものであり、この知恵者のしゃりほつだけが理解出来る教えであったからです。

つまり意識がしゃりほつ以上の境地に行っていないとわからないという教えなのです。

例えば、天才イチローの境地とは、そのレベルのところまで至った人でないとわからないのであれば、ほとんどの人には理解出来ないということなのです。

お釈迦様の一番弟子のレベルとはまさしく空そのものですよね。

空とは、なにも思わない、何も考えない、ただ意識を仏(神)様に合わせているだけ・・・・という物凄い境地なのです。

それくらい高い、高~い境地だからこそ、3次元の汚れた想念を浄化することができるのです。

余談になりますが、お釈迦様の説いておられる 空 の境地を知りたい方は是非

五井先生の 空即是色 を読んでみてください。

五井先生は、お釈迦様の境地まで行かれた方なので、五井先生の中にお釈迦様がおられるのです。

だから五井先生が書かれたものではなく、お釈迦様が書かれた、般若心経、空即是色 そのものなんですね。


話がまた飛んでしまいました。(笑)


人間は、この空という境地、つまり心境にならないと本当の幸福感は味わえないのです。

空とは、自分の本心につながった“状態”なのです。

肉体という感覚を超えて、宇宙とつながった状態です。

宇宙に本当の故郷(自分がいる)があるんだ

ということをお釈迦様は説いておられたのです。

宗教とは、宇宙を示す教えなのです。

宗とは又、もとという意味でもあります。

つまり原点(宇宙)のことなのです。

アセンション(次元上昇)とは、人間がみな 空 になるということなのです。

宇宙(本心)とつながるということなのです。



そのために世界平和の祈りが天から降りて(五井先生に)来たのです。

世界平和の祈りとは宇宙(自分の本心)と共鳴する言霊なのです。




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護霊様ありがとうございます



 


推薦図書


『空即是色』 五井昌久 白光出版 




  

人は適当なのです。

 
  
  
「人は適当に相手の事を言っている、最終的には自分が納得しないと・・・」


私たちは人の反応を見ています、相手の人が自分に対してどう思っているのか?

でも自分も相手もまったく違う世界に住んでいるのです。

意識が違ったらそれは別世界です。

天国に住んでいる人もあれば、地獄のような心境に住んでいる人もいる。

家族であっても、親しい友だちであったとしても一緒に居ても


“心が住んでいる場所”


は全然違うのです。



違うのに判ってもらおうとする

判ってもらえないと自分を責めたり相手を責めたりする。

「私はあなたのことを我事のように心配しているんだよ」

と言っているけど、自分と違う世界のことなんて判っている人なんていないのです。

みんなわかっているつもりで適当に言ったりしているだけなのです。


だからそこに依存したり、期待をしたりするとあまりにもいい加減で適当なことにがっかりするのです。

そんなことより自分が納得することの方が大切です。

自分の世界を確立させる方が先なのです。

相手の世界への自分の影響を考えるよりも

自分自身がどう納得するかの方がずっとずっと大切なんです。

しんどくなるときって

相手にわかってもらおうとしているときです。

相手は放っておいたらいいのです。
 

だって 人は適当 なのだから・・・・・・。



  

 
 

2010年7月 4日 (日)

“腰割り”トレーニングに隠されたすごい秘密

  
  
お相撲さんは150キロを越える巨体で相手と激しくぶつかり合い、そして土俵の下にはでにころげ落ちます。

でも、ほとんどケガをしない。

その秘密はどこにあるのか?

それは身体の柔らかさと下半身の強さにあるのです。

歳を重ねてくるとまず弱ってくる、おとろえてくるのは足です。

腰が痛くなるのも膝が悪くなるのも足に負担がかかるからです。

バランスが崩れるのですね。

でもそのバランスを治さずにそのままにしているから益々悪化してくる。

今私が読んでいる本は、46歳11カ月まで大相撲の土俵にあがっていたという元力士の人がご自身の実体験から書いた体験本です。

この人は166㎝100㌔という小さな身体で相撲を取り続け、昭和以降の最高齢記録を持っているそうです。

歳をとって来ると自然と身体は堅くなっていきます。

そしてちょっとした衝撃にも柔軟性がないので折れたり痛んだりするのです。

堅くなる、かたくなになる、頑固になる

身体が堅くなると気持ちまで固くなり委縮してしまうのです。

読み進んでいくと下半身の大切さがよくわかります。

下半身から下に溜まった血液を上(心臓)に送るのです。

血液が流れる血管とはエネルギーが通る道です。

エネルギーとは気のことです。

エネルギー=気がスムーズに流れることが健康の秘訣なのです。

私もさっそくお相撲さんのしている

この


腰割りをやってみました。

やればやるほど下半身が軽くなるのです。

全身にエネルギーが流れているのが実感出来るのです。

先日、ご紹介した



“ふくらはぎをもむ”と超健康になる 大谷由紀子著


と併せて読むともう

完璧でしょうね。わーい(嬉しい顔)手(チョキ)


ほとんどの病気は無くなっていくと思います。
 

みなさんも是非、読んでみてください。本
 

そして実践して実感してくださいね。
指でOKわーい(嬉しい顔)


お相撲さんの“腰割り”トレーニングに隠されたすごい秘密 元 一の矢 実業之日本社



「腰割り」効果

・痩せた

・冷え性が改善された

・長時間歩けるようになった

・むくみにくくなった

・ゴルフのスイングが安定した

・階段の上り下りが楽になった

・骨盤のゆがみがなくなった

・生理痛が緩和された

・姿勢がよくなった

・体脂肪が減った

・バランス感覚がよくなった




  



 
 

2010年7月 3日 (土)

自立とは?

  
  
今、自立しようとしている人が増えて来ているように思います。

輝こうとしている人ほど自立が大切だと思っているようです。ぴかぴか(新しい)

美しく輝いている人は自立しているのです。

凛とした美しさがあるのです。

自立とは、人に頼ることなく、自分の中にある神に頼りすがることなのです。

人に頼ることと自分の中の神に頼ることとはどう違うか?

それは自分の中の神性(神聖)を信じるということです。


素晴らしい自分を認めるということなのです。


どんなに立派な人が言った言葉でも、自分の中の神様(本当の自分)が違うと判断したならばそれを最後まで信じていく。


そして自分の言動に責任を持つ!


それが出来た時に、自分を本当に信用できるようになるのです。

それが自信なのです。

自立したい人は自分に自信を持ちたいと思っているのです。


だから、自立したいと思い、それを追求し、努力し続けている人は素晴らしい人だと思うのです。わーい(嬉しい顔)手(チョキ)

  
      

  

2010年7月 2日 (金)

天から天下って来た!

  
  
宇宙は波動で出来ています。

そして同じ波動同士が共鳴しそこに一緒に住んでいます。

私たちは地球よりもずっと進化した星からやって来ました。

そこは同じ意識を持った穏やかな人たちばかりの集まりなのです。

つまり天国と言われているところです。

でもみんな仲良く、喧嘩も無く、争いもないところは

あまりにも平和過ぎて、あまりにも何も無くて

退屈極まりないのです。

そこで神様から通達がありました。

「これから精神的に遅れた星(地球)を救いに行く、誰かついて来るものはいないか?

地球はもうすぐアセンション(次元上昇)を迎える、こんなビッグチャンスに遭遇することなんて宇宙にもめったにないことなのだ、ただし地球の波動はあまりにも荒い

それでもよかったら私について来なさい。」


そしてその神様から選ばれたり、自分から志願して降りて来た人たちがたくさん居るのです。


その人たちは苦労しながらもどこかに光を感じながら生きてきました。


そして向こうの星で祈っていた世界平和の祈りに再び巡り逢ったのです。


この話を聞いて

「そうだ、そうだったような気がする」

となんとなく思っている人は

ほぼ間違いなくその人たちなのです。わーい(嬉しい顔)

その人たちがこれからどんどん目覚めていきます。

覚醒するのです。

そして覚醒した人たちの光を受けて他の人たちも真理に目覚めていく。

これがアセンションのシナリオなのです。本

本当の自分は天に居ます。

そして地球へはその天に居た自分を再現するためにやって来たのです。

本当は完全に悟った自分が居るのです。

その自分が地球に降りて来ている。

そう考えると楽しくなってきませんか?

楽しんだらいいのです。わーい(嬉しい顔)

楽しみながら地球人を演じながらアセンションというビッグイベントを迎える。

こんなにワクワクすることって無限にある宇宙の中でもめったにないことなのです。わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)




  

何も考えずに祈り込む

  
  
   
先日行われた調和波動気功セミナーで于先生が言っておられたのは


「何も考えずに祈り込んでください」

でした。


何も考えない?

何も考えないでどうするんだ?

考えないと何も始まらないじゃないか?


と私たちは思っています。


でも思い出してください。


あなたが一番幸せだった頃、楽しかった頃っていつですか?


私は何も考えていなかった幼子(おさなご)の頃です。わーい(嬉しい顔)

両親の愛に包まれてすくすくと育っていた頃には

何の悩みも心配もなかったし生命(いのち)そのまま素直に無邪気に生きていました。

でも物心をつく頃になると色んな想念が入ってきたり、友だちとの関係でいじめが出てきたり、考えないといけないことが増えて来るのです。


その頃にはもう無邪気で素直にいのちそのままに生きることが難しくなるのです。

こうなるともう楽しくなんて無くなるのです。(可愛くない子供が増えてきます げっそり )


考えるってどういうことか?

それはマイナスの業想念と共鳴することを言います。

人類の集合意識に波長が合ってしまうのです。

今、地球上の人間のほとんどの人がマイナス思考です。

だから地球にはマイナスの想念波動が覆っているのです。

だから暗い事件が起る、戦争が終わらない、天変地変が起こる

地震や天災、異常気象などは人類の発しているマイナス波動が溜まりに溜まった結果、起っているのです。

考えるとは、知らず知らずのうちにこのマイナス波動に波長が合っているのです。

そんなことはない

「自分は考えても大丈夫だ」

という人は深く考えた結果、考え過ぎた結果

善いことがありましたか?

たいがい

自分を責めるか、相手を責めてしまっていると思います。

堂々巡りで何が正解かわからなくなったと思います。


考える 

とはそういうことなのです。

人間は本来は考えるようには

出来ていないのです。


天の自分と真っ直ぐにつながっているならば


何も考えずとも


天の自分から答は降りて来るようになっているのです。


幼子の頃は

これが自然と出来ていたのです。

その後、いらなものを身につけてしまったために

素直に生きられなくなってしまったのです。

いらないものとは過剰な知識、間違った常識、考えろと言う強制などです。


ただし、考えないのとボーッとするのは違うのです。

無防備にボーッとしていると色んなところと波長が合ってしまい

幽界や不良な宇宙人のかっこうの餌食になってしまいます。

だからここで

「何も考えずに祈り込む」

ことが大切なんです。

祈っていても業想念の渦の中で祈るのと

すっきり 空 の状態で祈るのとでは全然違うのです。

何も考えないとはニュートラル(中立)な状態です。

つまり自由自在心、どこへでも行ける状態なのです。

マイナスが入って来ない状態をまずは作るのです。

この状態になったときに

神様につながるのです。(祈りによって)

すると宇宙からの凄まじい光がそのまま入って来る。ぴかぴか(新しい)わーい(嬉しい顔)


漏れることなく無駄なく、ストレートに入って来るのです。雷

幼子と同じ状態です。

幼子の頭のてっぺんのチャクラ(百会といいます)は開いています。

触ってみると柔らかくてペコペコですよね。

これは天からのエネルギーを入りやすくするためです。

大人になるとここ(百会(ひゃくえ))が閉じてくるのです。

だから天のみ心のままに動くことが出来なくなる。

本心そのままに生きられなくなる。


幸せになるためには幼子の心を取り戻さなければそうならない。


なる方法とは?


「何も考えずに祈り込む」


ことなのです。


「何も考えずに祈る」

のではなく

「祈り込む」

ここが味噌です。

祈るのでは間が空いてしまいます。

祈っているときと祈っていないときがあるからです。

間とは魔のことです。

マイナスのエネルギーがそこから入って来るのです。

何事も徹底しないとものにならない、成就しない。

それは3次元でも4次元、多次元でも同じです。

それが宇宙の法則なのです。

祈りに徹する人が臨界点を超えたとき

アセンション(次元上昇)は起るのです。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)







 


追伸


祈っていても何ら状況が変わらないという人は

きついことを言うようですが

中途半端なのです。

エネルギーが動こうとしているのに動けない状態なのです。

やるからには、徹底しないとエネルギー(神様)は動いてくれません。


 「何も考えずに祈り込む」 ことが出来たとき

必ずエネルギーは動くのです。

そのとき、奇蹟は起るのです。

 
 

  

日々の祈り (悟りとは)

 
  
悟りとは、本心と自分とが全く一つになるということなのであります。

迷ったり、怒ったり、恨んだり、妬んだり、哀しんだり、恐れたり、執着したりする想念というものを、ハッキリ、自分ではない、と思い定めることなのです。

自分とは、神と一つである本心そのものであり、もろもろの想念は、過去における自分の迷いの足跡が、今現われて消えてゆく姿である、と思い定めることなのであります。

自分が自分の創造主であることを知ること。

つまり自分が神の使命達成の一員として、神の世界から天降って、この地上界に神の生命をはな咲かせつつある者であることを知ることなのです。


 


   日々の祈り 悟りとは(6月26日)五井昌久 白光出版




 

感想


悟りとは心(本心)と吾(肉体人間の自分)が一つになるという意味です。

本心はどこにあるのか? 

というと私たちの本当の故郷である宇宙なのです。夜

宇宙へはどうやったら行けるかというと

心を鎮めて感じない波動圏のずーと奥に入っていくと行くことが出来るのです。

お釈迦様が弟子たちに座禅観法させた方法です。





 宇宙神 (本心)
 ↑
 神界
 ↑
 霊界
 ↑
 幽界 (業想念、迷いの世界)
 ↑
肉体界


 

 
図にするとこうなるのですが、私たちは肉体しかないと思っていたり、あるいは肉体に執着するあまり、肉体界と幽界、あるいは霊界の低いところを行ったり来たりしているのです。(このことを輪廻転生といいます)


だから迷ってばかりいる。げっそり


本当の自分はずっと奥に居るのに・・・・・。


ここに書いてある


迷ったり、怒ったり、恨んだり、妬んだり、哀しんだり、恐れたり、執着したりする想念というものを、ハッキリ、自分ではない、と思い定めることなのです。


このような自分は幽界の世界にどっぷりと浸かっている状態なのです。


こんな自分を本当の自分だと錯覚しているのです。


本当の自分とは、宇宙に居て


そこから地球という肉体界に降りて来ているのです。(天降っている)

天下りって3次元では、退職した官僚などが民間企業へ優遇されて再就職するときに使われたりしているけどそんな意味ではないのです。

私たちは、宇宙にいたことを忘れているのです。

天界にいたことを覚えていないだけなのです。

気を鎮めて、下丹田(かたんでん)、へその下3.5センチからずっーと後ろに意識を引いていくと感じない世界へ入って行きます。(このことを統一といいます)

その奥に霊界、神界、宇宙があるのです。

アセンションとは意識が宇宙につながることをいうのです。


つまり本心とつながるんですね。


世界平和の祈りを祈りながら統一をすると宇宙とつながりやすくなるのです。


 

世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます







 


追伸


正しい統一の仕方が書いてある本が



『無限なる幸せを体得する方法』 于寿明 星湖舎 です。


http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/sub3.html


人間は、本心(宇宙)と繋がらない限り、幸せにはなれないのです。

本当の自分を知ることがこの世的などんなことよりも一番幸せなことなのです。


私たちは本心とつながって、肉体界に本心を顕すために生まれてきたのです。わーい(嬉しい顔)



  

 

« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »

最近のトラックバック

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ