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2010年6月23日 (水)

一人生まれ、一人生きて、一人死す

  
      
  
私は、両親も健在です、妻も子どももいます。

そして友だちもたくさん居ます。

そういう意味では幸せ者です。

しかし、私はどんなに周りに人がたくさん居ても

最後は、

「自分一人だけなんだ」

と思っています。


孤独というのではありません。


自分のことを本当にわかっているのは

自分自身だけだ

ということです。


色んな人と交流して

楽しいひとときを過ごしても

別れると一人になります。

このタイトルのように

人間は

一人で生まれ、一人で生きていき、一人で死んでいきます。

でも寂しいことなんてないのです。

それは自分の中にすべてが入っているからです。

  
  
  
それが 

我即神也

なのです。


『我即神也』の本の最初の章に


一人生まれ、一人生きて、一人死す が書かれています。


そこに書かれていることが真理を述べているのです。


よかったらお付き合いください。




 


一人生まれ、一人生きて、一人死す


人間は生まれた時にはたった一人でこの世に降りてきました。

また、死ぬときもたった一人でこの世を去ってゆきます。

と同時に、現在この世に生きてゆくのも自分一人なのです。

たとえ夫や妻がいようとも究極的には一人で生きてゆかねばならないのです。

そこは他の人が一切介入できない神聖な世界です。

たとえ愛する夫や妻や子供達といえどもタッチできない領域なのです。

自分の運命、自分の生命、自分の健康、自分の生き方はすべて、自分一人で決めてゆくことなのです。

確かに人類の多くの人達は、家族に囲まれ、家族の愛や助けや保護のもとに自分の人生を送っているように思っています。

しかし真実は決してそうではないのです。それは錯覚です。

人間は一人です。

自分一人が生きてゆかねばならない性(さが)なのです。

たとえいかなる幸せな家族に囲まれていようが、自分の悩みや恐れや不安や深い悲しみは自分自身のことであり、自分自身で取り除いてゆかなければ決して真の解決にはならないのです。


確かに自分を取り囲んでいる愛すべき家族や友人、知人等は、自分の苦悩や深い悲しみを取り除くためのあらゆる援助を決して惜しまないことでしょう。

皆、誠意をもって我がことのように、あなたのことを思い考え、ベストを尽くし、あらゆる方法を提供してくれていることでしょう。

そんな周りの人々の暖かい援助や助けを借りて、あなたはあたかも人々によって生かされているように思っているかも知れませんが、真実は決してそうではありません。


あなた自身が自ら決断し、一人で自らの人生を選び抜いて生きているのです。

周りの人々からいかなる援助や助けやアドバイスがあろうとも、彼らの領域はそこまでです。

人があなたは間違っていると指摘し、どんなに説き明かしてみても、またあなたの態度が傲慢で虚偽に満ちていると注意や意見をしたとしても、あとはあなたがそれらの指摘や意見に一切耳に傾けなければなんの意味もありません。

また、あなたが意見や指摘に対して耳を傾け、そのアドバイスや行為や暖かい思いやりに接して、すべてを自分のものとして聞きいれたとしても、最後の決断は自分でしているのです。

耳を傾けることも拒否することも自分次第です。

自分の決断によってすべて一切のことが決まるのです。

周りの人々の意見や指摘を素直に聞き入れ、それらに従って生きているにしろ、その結果はすべて一切自分自身にあるのです。

一般の人々の眼には、周りの人があなたの運命や進路や方向を決め、あなたがそれに従っているようにたとえ映ったとしても、実際はそうではありません。

周りの人々は、あなたの人生を創り出すことも出来ないし、運命を変えることも出来ないし、また病気を治すことも出来ません。

あくまでも自分の人生は自分で決定してゆくことこそが、この世の法則なのです。

運のいい人、運の悪い人、決断力のある人、ない人、また優柔不断で自分のことは一切決められない人、仕事人間、遊び人間、善人、人にもてる人、孤独な人、健康な人、病人、指導力のある人、ない人、尊敬される人、嫌がられる人・・・・・・といったように、世の人々は種々様々な生き方を自分で創り上げています。


どんなに周りを素晴らしい有能な何人ものプレーンに囲まれ、立てられ、大事にされ、愛され、羨ましがられている人でさえ、すべてそのブレーンの言うなりになって成功や権力や名誉を手に入れているのではありません。

それら有能なブレーンの意見や方法を取り入れるか否か、聞くか否か、従うか否か、その究極のなる決定はあくまで自分自身が下しているのです。

このようにして何もかもすべて一切のことを自分自身で行なっているのです。

だがそのように一般の人々の目には映らないだけのことです。

人類すべてことごとく一人です。

どんなに素晴らしき家族に恵まれ、愛されていようとも、究極は一人です。

一人で考え、一人で決断し、一人で耐え、一人で行為し、一人で自分自身の運命を築き上げてゆくものです。

その点において人類は皆、完全に平等です。

だから家族に囲まれ賑やかな家族の一員として生きていても、この世では完全に一人で生きているのです。

ただ同居人がいるかいないかの違いです。

愛する素晴らしき家族の中で生きていても、心が孤独感を感ずれば、それは淋しい孤独な人生と言えるのです。

また、たとえ家族には恵まれず、完全に一人で生きていても、心の中はいつも愛し愛されている人達が住んでいれば決して孤独ではないのです。




   
 『我即神也』 西園寺昌美 白光出版



 


 

感想


この文章を読んでいると


「人間よ、甘えるな!」


と聞こえてくるのです。


人はみな、人のせいにする。


自分で責任を取ろうとしない


しかし、自分で責任を取らないことこそ


人生を面白くないものにするものはない


と思うのです。


それは自分の本心にそむいているからです。


逃げているからです。


そむけばそむくほど

逃げれば逃げるほど

本心から

「お前は間違っている」

「そうじゃない!」

という声が聴こえてきます。げっそり


私はそんな声を聞きながら生きていくのは嫌です。


本心と自分が離れているのが苦痛なのです。


人が自分をどう思ったっていい


それよりも自分の本心(神)に素直に生きていきたいと


思っています。




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)



  

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コメント

 
小太郎さま

コメントありがとうございます。

随分前に書いた日記だったので私自身の感想の内容はすっかり忘れていました。

今あらためて西園寺昌美さんの文章、私の感想を読み直してみました。

私がこのブログの当事者でなく一般の読者ならどう思ったか?

小太郎さんがおっしゃるようにかなり厳しい文章だと思います。

悲しい想いをしている人に対して人間は結局は一人なんだから寂しいとかは違うんだ家族が居なくてもたった一人でも生きていけるんだという突き放したような印象を受けます。

人間の幸せは、温かい家族に囲まれ、友達や信頼出来る人たちが周りにいることなんだという考え方はその通りだと思います。

周りに誰もいない、自分の存在を認めてもらえない、そんな人生って寂しいですよね。

しかしこの文章はそういうことを言っているのではないのです。

周りの人たちは自分の外にいるのではなく、自分の中にいる。

自分は宇宙の一部ではなく自分の中に宇宙がある。

家族や自分の大切な人は、別々に存在しているのではなくつながっている。

私は自分と他人(家族を含む)が別々に存在しているという考えが孤立感を生むのだと思うのです。

人間は一つの光から分かれた分霊(わけみたま)なのです。

それが証拠に相手と心が通じたときに相手のこころと自分のこころが一つになります。

それが感動であり、愛(合い)です。

それが本来の人間の姿です。

こころは一つなのです。

だから自他一体感があったとき

人間は寂しさ悲しさが消えるのです。

魂が喜ぶからなんですね。

だから人間は一人であって一人ではない

自分(一人)の中にすべてが入っている

一人で死んでも寂しくないし

孤独であると思ってもみんなつながって一緒なんです。

だったらそう書けばいいじゃないか?

と思われると思います。

しかしこの心境(境地)は孤独を超えたところにあるのです。

徹底的に自分を見つめ

自分の奥に入っていく

するとそこはみんなつながっている世界がある。

孤独を極めないと

真理にはつながらないのです。

だから人間はたくさんいるけど

究極は自分一人しか存在していない

自分の周りの人はみんな自分なんだ

自分の過去世であり未来の姿なんだ

人は自分の鏡なんだということですね。

なんだから難しくなってきました。(笑)

文章にするって難しいのです。

理屈ではない

一人になって徹底的に自分の中に入って行ってください。(これを統一といいます、お釈迦様が弟子に教えた方法です)

于先生の「無限なる幸せを体得する方法」にその正しいやり方が書いてあります。

そうすれば私の云っていることがわかっていだだけると思います。

そして幸せ感を実感していただけると思います。

魂が低いとか高いではないのです。

自分のこころの中に入っていくかいかないかだけの違いなのです。
 

          グッドムーン


   

はじめまして

書かれてあること、ごもっともかなと思うのですが、私は、42歳の時に、愛する娘3人と別居になり、いろいろな経緯を経て、妻とも47歳で離婚しました。

現在は56歳となり、娘3人に会えないからと言って、孤独や悲しさ、寂しさを感じることは、もうありません。

ですが、離別直後からの苦しみ、悲しみ、寂しさは、言葉では、言い表せないものが、数年は続きました。

「一人生まれ、一人生きて、一人死す 」
この文章がいくら正しい真理であっても、
その苦しみや悲しみ、寂しさの渦中にあるものにとっては、ただの厳しい言葉でしか、ないのではありませんか?

私のような同じ状況を経験、体験された方が、この真理をお伝えになるなら、説得力もあろうかと思いますが、これを書かれた昌美さんは、生死をさ迷う体験がいくらおありでも、その体験をされたようには、思えません!

愛情深いご家族に囲まれて、育った方が、
この真理をお説きになられても、伝わってくるものは、ほとんどないのは、私の魂が、低いからでしようか?

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