スポーツにおもう
私はスポーツが好きなので、新聞などスポーツ面は結構みています。
今日は、クルム伊達が全仏オープンで負けた、大リーグの松坂が乱調とありました。
伊達は40歳で技術的なものの完成度は高く一回戦では難敵に勝ったものの、右足は限界に来ていて、格下相手でも勝つことが出来なかった。
松坂も投手としてのピークは過ぎており、力でねじ伏せることは出来なくなっている。
どちらも共通していることは悲壮感が漂っていることです。
負けることが悪いことをしたように落ち込んでいる。
その姿をみて、私たちは次は頑張れ!と思うだろうか?
本人も身体を酷使してまで
やってやろうと思うのだろうか?
身体は正直だと思うのです。
酷使したり限界を越えると悲鳴をあげる。
それを乗り越えて限界に挑戦することがスポーツなのか?
身体が整った上で精神的に超人的な域に達するからこそ
私たちは感動するのであって
肉体を痛めつけてムチを打っている姿には感動はない
スポーツとは本来楽しいものだと思うのです。
身体を使うとスッキリしてきます。
肉体や関節に溜まった滞ったエネルギーを流してくれるからです。
頭でごちゃごちゃ考えて詰まってしまっている想念エネルギー、マイナスエネルギーを洗い流してくれるからです。
息子が浪人中のとき、于先生は身体を動かすことを勧めてくださいました。
家に閉じこもって動かずにいることは精神的にもよくないのです。
人間は光のエネルギー体で出来ています。
それも光っているだけでなく
滝のようにエネルギーが流れつづけて正常なのです。
調和波動気功では、動功(どうこうといいストレッチに似ている)をしてエネルギーを流しつづけることをしています。
天から頭のてっぺんに入ってきた宇宙からのエネルギーは私たちの身体(60兆の細胞)を通って、そして地球の中心へと流れていきます。
このサラサラに流れている状態が本当の健康体なのです。
運動やスポーツはそれを助けるものなのです。
スッキリ爽やかがスポーツの原点なのです。
でも今のスポーツは、勝ち負けにこだわり過ぎて、意識し過ぎて
スッキリ感、爽やか感がないのです。
プレーをしている人のスッキリ、爽やか感が私たちに伝わってきて感動するのが本来なのに
悲壮感が漂っているのです。(想いが滞っている)
やっている本人も楽しくないと思うのです。
伊達さんや松坂さんもスポーツをやり始めた頃は、楽しくてしかたがない時期があったのだと思います。
テニスが好きで野球が好きでたまらなかった時期が・・・・
勝ち負けにこだわらず
純粋にスポーツが出来たらいいのになぁ
と、ふと思ったのでした。
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