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2010年5月 8日 (土)

勝負ごと

  

  
最近、勝負ごとを見ていて思うのは

どうして負けたんだろう?

どこに原因があるのだろう?

ということです。

勝負は時の運とか、一生懸命にやったからいいじゃないか

という考え方もありますが

私は、そこには心の機微があるように思えるのです。

先日のボクシングの長谷川穂積を試合を観て

負けた原因は、心の問題だと思ったのです。

「相手が強かったから」

「自分が弱かったから」

言葉にしてみたら簡単だけど

案外、負けた本人は感じていることなのかもしれません。

個人競技だけでなく

団体競技にも

同じです。

負けるのは必ず原因があるのです。

だから結果がある。


これは不変の法則なのです。


だからと言って負けることが悪いことではありません。


ただ自分でちゃんと検証(つまり反省)出来ることが大切だと思うのです。


分析ではない


自分を客観的に観ることが出来るようになること


このことを宇宙的(神)視野というのです。


そんなとき、面白い本に出会いました。


抜粋しますので


よかったらお付き合いください。






勝負の事、十分を六分七分の勝ちは十分の勝なり。


子細は八分の勝はあやふし


九分十分の勝は、味方大負の下地なり




・・・・勝負というものは、十のうち六分、七分の勝ちでじゅうぶんである。

八分の勝ちは危険であり、


九分、十分の勝ちは、味方の大負けの下地となる


                  ━ 武田信玄『甲陽軍艦』から






人には、心の道しるべとなる座右の銘というものがある。


かく言う私にも、胸に深く刻んでいる幾つかの言葉がある。


そのうちのひとつで、つねに自分自身への強い戒めとしているのが武田信玄のこの言葉だ。


人はとかく、完璧なものを求めたがる。


男と女の愛でも、相手のすべてを支配したくなるし、学校の試験でも満点を取った者が称賛される。


しかし、信玄は合戦の勝ち負けが生死に直結した戦国乱世において、勝負は6、70パーセントの勝ちが最上だ、80パーセントになると危険信号であり、それ以上の100%近い完全勝利は、将来の大敗北のもとにしかならないと断じているのである。


大勝利が大負けの下地になるとは、ふつうに考えれば奇妙なことだ。


大勝ちは歓迎すべきことで、中途半端な勝ちでは悔いが残ってしまう。


ところが、現実はそうではない。


人は勝利におぼれやすいものである。


大勝ちして敵を蹴散らせば、その者の心にはおのずと驕りが生ずる。


緊張感を失い、より上をめざそうとする気持ちが萎えてしまう。


勝って兜(かぶと)の緒を締めよ という言葉もあるが、じっさい勝利の美酒を飲んでしまうと、その心地よい酔いが忘れられなくなる。


「どうだ、おれはこんなに偉いぞ」


と、ふんぞり返るようになる。


驕りが過信をまねき、刻々と移り変わる現実に対する分析がおろそかになっていく。


過去の成功にとらわれるあまり、思考の硬直化がはじまるのだ。


年ととってからなら、まだいい。


年齢を重ねた人間は、ひとつの勝利を手にしたからといって、次の戦いも勝てるほど甘くないということが、経験的に頭と身体にたたき込められている。


問題は、苦労がないまま若くして幸運な勝利を手にしてしまった者だろう。


慢心がどこまでも膨らんでいき、その結果、みじめなまでの急激な没落が待っている。


失敗は成功のもとだが、成功は失敗のもとでもある。


三十二歳のときに、私は小説の世界に飛び込んだ。


はじめて某社の新人賞に応募した作品が、編集者の目にとまり、運よく作家デビューを果すことができた。


自分では自信があるつもりだったが、処女作はまったく売れなかった。


その後も泣かず飛ばずがつづき、どうしたらよいのかと悩み抜い時期があった。


何としてもプロとしてやっていきたい。


好きな歴史小説を書いていきたい。


その思いを遂げるためには、自分の欠点を、ひとつひとつ克服していくしかなかった。


人からの批判や苦言にも、真剣に耳を傾けた。


自信と自己否定がせめぎ合う孤独のなかで、必死に歩いてきた。


デビューしていきなり大ヒットを飛ばしていたら、いまごろ自分はどうなっていただろうか。


実力もないのにおだてられていい気になり、本来、進むべき道さえ見失っていたにちがいない。


六分、七分の勝ちの妙味は、心のうちに驕りが生じないことだ。


三、四分の及ばなかった部分のなかから、問題点を明らかにし、自己を変革しようとする。


そこに成長がある。


次の勝利を呼び込むタネがある。


武田信玄は、若いころによく負けた。


ことに天文十七(1548)年の上田原の合戦では大敗北を経験している。


北信濃攻略をめざす信玄は、まだ雪の残る上田原(現・長野県上田市)で、信濃の武将村上義清と遭遇、一戦に及んだ。


武田勢は、おのおのが武勇に自信を持つつわもの揃いの騎馬軍団である。


敵を火のように攻め立て、一方的に押しまくって後退させた。


しかし、それは土地勘のある村上義清の仕掛けた罠であった。


退却する村上勢を深追いして、武田の猛将、板垣信形、甘利虎泰らが突っ込んでいくと、村上勢は、槍先を揃えて逆襲に転じ、波状攻撃をかけてきた。


形勢はたちまち、一転。


板垣、甘利をはじめ、名のある武将がつぎつぎと討ち死にし、信玄自身も左腕に楯傷を受け、武田勢は七百余人にのぼる戦死者を出して敗走した。


武田勢が、村上勢の前に敗れたのは、戦力が劣っていたためではない。


むしろ、個々の武将の戦闘能力では、敵をはるかに上まわっていた。


だが、そのことが逆に、武将たちのスタンドプレーを生み、村上勢の明確な戦略にもとづいたチームプレーの前に大敗するという結果をまねいた。


信玄は、この敗戦で得た教訓を深く胸に刻みつけ、個人の技能は重んじつつも、チームプレーを何より優先し、組織立った戦いをおこなう強力な騎馬軍団を造り上げていったのである。


二年後の戸石城の戦いで、信玄はふたたび村上義清の老獪な戦術の前に屈している。


しかし、それを境に、決定的な敗戦をこうむることはなくなり、以後、常勝の道をひた走っていく。


二度の負けいくさを通じて、自分なりの勝利の方程式が確立されたのである。


負けてもひるまず、勝ってもおごらず、つねにみずからを冷静に振り返って、弱点を克服していく。


それが、六分、七分の勝ちの言葉に込められた、信玄の深い智恵であろう。






 『武士の一言』 火坂雅志 朝日新聞出版


  

 

感想


武士の武とは、戈(ほこ=刀など)を止める士(人)のことだ、とう先生から伺ったことがあります。

本当の武士とは戦うのではく、争いごとやもめごとをしないことの出来る人だと思うのです。

今流行りの坂本竜馬は、剣豪として知られていましたが、生涯のうちで一回も人を殺めたことがなかったそうです。


腕は確かでもそれを使わなかった


そんな優しさが私たちに伝わって来ますよね。


昔の武将も戦うのが好きな人はいなかったと思うのです。


でも時代がそこを避けて通ることが出来なかった。


生まれた環境が武士ならば、自分や周りを守るために戦わなければならなかった時代があったのです。


今は、そうではない。


戦いを止めることが出来る時代なのです。


そう考えると今の地球人は幸せなのです。


今こそ、私たちは戈(戦い)をやめる勇気を持つべきだと思うのです。





  

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