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2010年4月29日 (木)

鉄分をとろう!

 
  
亀は鉄分が豊富なのだそうです。

スッポンなどの血が人間の身体にも良いとされているのは血の中に鉄分が多く含まれているからなのだと思います。

地球も大きな磁気で出来ています。

鉄分の多い亀はなんと地球の海を何周もするそうです。

身体がセンサーになっているのでどこを泳げばどこに行くのかがわかっているのですね。

そして鉄分は、血を増やし、綺麗にサラサラにします。

実は、血管の中の血液がエネルギーを運ぶ役割りをしているのです。

川でいえば、水が豊富で淀むことなく、サラサラと流れている状態です。

それと同じで血管の中の血液がたくさんあって滞ることなく流れていれば病気などはしないのです。

人間はエネルギー体です。

宇宙から入ってきた無限のエネルギーをサラサラと流していけばよいのです。(思い煩うことなく)


今、野菜が高騰していますが、高くなった上に栄養分が減っているのです。

ホウレンソウに含まれている鉄分も昔の5分の1とかに減っているそうです。

女性は月経があるのでとくに不足するのです。

男性も疲れやすいのは鉄分が足りていないのです。

その鉄分の大切さをう先生にお聞きして

さっそく私も鉄分を取ってみることにしました。

口の中に鉄を含んで水で流しこむのですが、その瞬間

身体の中の細胞が喜んでいるのがわかったのです。わーい(嬉しい顔)

スポンジに水が吸い取られるように身体が望んでいたものが

やっと入ったという感じです。


みなさんも鉄分を取って

亀さんのように直観力と持続力を身に付けてくださいね。




 
日本免疫研究会


商品名は 「滋養鉄」(じようてつ) といいます。

電話京都 (075)231-6210
 



ホームページで調べてみたのですが、載せておらず、昔からのある善いものを縁のある人に伝えている真面目なお店だという印象を持ちました。


お店の方もとても優しく、親切でした。わーい(嬉しい顔)


みなさんの直観で良いと感じたら頼んでみてくださいね。わーい(嬉しい顔)



 
  


 
追伸


私は今まで、自分のやっている調和波動気功とその仲間たちのことしか宣伝?することはなかったのですが


この 「滋養鉄」 だけは黙っていてはいけない!

と思ったのです。わーい(嬉しい顔)

きっと、鉄分の不足している人がたくさんおられるからなのでしょうね。(笑)



  

    

2010年4月28日 (水)

相手を識るには?

  
        
人の考えとは色んなところから成り立っているのです。

男、女、家族構成、今、している仕事、どんなところに住んでいるか?育って来た環境、・・・・・そして過去世でのその人の想念行為etc・・・・


たくさんの要素が加わって、その人の人格や性格が出来あがっている。


何気なくその人が言った一言にもその人の歴史があるのです。


だから話す内容も一人一人みんな全員違うのです。

ということは

自分の価値観もみんなに共通しているものではなく

自分が正しいと思っていたり、常識だろうと信じていたことが他の人にはまったく当てはまらなかったりします。


それは個人だけでなく国によっても全然違うのです。


ある国では、子どもたちに小さい頃からピストルの持ち方、使い方を教えているのだそうです。


でもその国の子どもたちはそれを教わるのが当たり前だと思っているかもしれません。


そんな話をしながら、う先生は


「だから相手のことを知るにはこちらが色んなことを識っていなければならないのです」

とおっしゃっておられました。

相手のことを識るにはその人がどんな宗教をしているか?

今していなくても先祖の信仰していたものはなにか?

がキーポイントになるのです。

宗教とは宗(もと)の教えという意味で原点をいうのです。

その人の歴史がわかるのです。

そして思想がわかるのです。

そのためには自分も宗教とは何ぞや?を勉強しなければならない。


でないと相手のことが中途半端にしか理解できないのです。


理解出来ないと、わかり合えることも出来ない。


私は今まで宗教のことはほとんど知りませんでした。

自分の心の中に信念となるものがあれば必要ないと思っていたのです。

しかしそれは自分だけのことであって

相手を識ることにはならないわけです。

昨日、本屋さんで、う先生に薦めていただいた本を買って来ました。


自分の視野が拡がっていくようで楽しみにしています。わーい(嬉しい顔)




 
『世界がわかる宗教社会学入門』 橋爪大三郎  筑摩書房  本



  
  


  

2010年4月27日 (火)

コミュニケーションしてますか?

  
今、戦争が起こっているのも、民主党が意思の疎通が出来ていないのも、家族がバラバラなのも、職場がギクシャクするのも、昔のように仲良く出来ないのも・・・・・・すべてはコミュニケーション不足だと思うのです。


仲が良かった友だちとも、ある日突然

「あいつとは絶交だ!」

とちょっとしたことで怒りが爆発し  


よっぽど仲を取り成してくれる人が働かないと何年も、いやずっとそのまま口を利かないなんて結構あるようです。



そんなことも勇気を出して、話し合ってみてはどうでしょうか?



問題はもう解決しているのです。


時間が解決してくれている。


だから勇気が必要なのだと思うのです。


悪いと思っていないのに無理に謝ることはないと思います。


ただお互いが誤解したままで、話し合えばわかり合えることなのにずっとそのままにしていることがもったいないのです。



みんなコミュニケーション不足だと思うのです。


していたとしても会話なのです。


会話でもしないよりはした方がずっといいのですが会話よりも対話がいいと思うのです。


お互いを知ろうとする、お互いを認め合おうとしたら心から話さなければなりません。


私ごとですが、私の結婚式のときに


妻を紹介してくれた影の仲人の人(女性)がスピーチで言ってくださった言葉が忘れられないのです。


「どうぞ、スピーキングではなくトーキングをしてください、そしてずっと仲良しでいてください」


だったのです。


その人に仲人をお願いしたのですが、


「私は結婚に失敗しているので仲人はできません」


とお断りになられました。


その人は苦い経験をしたからこそ実感がこもっていたのかもしれません。


今でも時々想い出すのです。


「スピーキングよりもトーキング」
 

コミュニケーションをしっかり取りなさいということですよね。


今の時代とくに必要だと思うのです。


 
    

  

2010年4月23日 (金)

占いは裏がないから裏ないなのだそうです。

  

  


姓名を変えるとことにより運命が変ったり、方位学の方除け(ほうよけ)によって幸福になったりすることがあるものでしょうか。






 



姓名をただ変えるだけで運命が良くなる、ということはない。


姓は祖先の歴史(因縁)を現わし、名は、その人の過去世の因縁を現わしているので、姓名を観て、その人の性格や過去の運命を当てたりすることはできる。


しかし、その姓名のひびきだけが、その人の運命を造ってゆくのではない。


何の何某(なにがし)とつけられた姓名の、そのつけられる前、即ち生まれる前に、すでに今生の運命を現わしてゆく素因(もとのいん)があるので、その素因が何がしという姓をもつ家に、何某という名をつけられるように生まれてくるのである。


その名が、運命を造ってゆくのではなく、その名が、その人の過去世からの因縁、即ち、過去世においていかなることをし、いかなる想念をもって生きていた人間であったか、ということを示しているのである。


であるから、その過去世の、その人の因縁、つまり行為の習慣、性格の傾向等々を素にして、今生の運命を推察してゆくことができるのである。


それが姓名学なのである。


しかし、それは、あくまで推理であって、できあがっている運命を見るのではない。


確定しているものをいうのではないので、当ることもあろうが、当らぬことも多い。


姓名学は、その姓名と、生まれ年月日を加えて観なければならぬことになっているので、生まれ年月日さえも聞かず、姓名だけで、人の運命を云々(うんぬん)するようなことは、非常に悪いことである。


生まれ年月日を加えて、その道の達人が観た場合でも、それは、あくまで、過去世の因縁の現れから推理を下しているに過ぎないので、その人が、過去世の因縁として現わしている名前そのものを変えたとしても、その人の過去世からの悪因縁、つまり、性格の短所、行き方の欠点を修正してゆかなければ、到底、姓名学だけで、運命を良くすることはできないのである。


私が姓名判断に、一番不満を感じるところは、大体の姓名判断者は、運命の欠陥をます突くことなのである。


この姓名では、何年何月頃大病する、とか、結婚運が悪いとか、はては短命だとかいい切る人が多いのである。


それは、お前の因縁は、こうなんだから、名前を変えなければ、その悪因縁(悪い運命)を深く認識させてしまうようなもので、その人の運命を、過去世の因縁に縛りつけてしまうことになるのである。


それは一種の強迫観念を植えつけることになるので真の救済からは、ほど遠い方法なのである。


ましてよほどの達人でないかぎり、過去世の因縁から姓名のひびきを通して、真の未来を予見することは困難なのであるから、まずまず姓名学は、出産児の名前をつける時ぐらいにしておいたほうがよいのであろう。


名前など変えなくとも、自己が、自己の長所、短所をよく識って、その長所を伸ばすことに真剣になることによって、運命は変わってゆくのである。


まして、真の信仰に入った人などは、そうした姓名学の範疇から超越してしまうのである。


私の姓名五井昌久は、どの姓名学で観ても、総格十九格または二十格(熊崎式)の空っぽ数といって、非常な悪い運命をもっている。


他、井と昌と合わせた主運数というのが、十二格で、これまた悪く、それに陰陽の配列も凶であって、善いところは、昌久という名前だけである。


これを総合的に説明すれば、青年期までは非常に恵まれるが、後半以下は何をやっても、途中挫折し、悲運に悲運がつづくということになっているそうである。


それに両親、兄弟の縁薄く、常に孤独である、というおまけまもつくのである。


ところが私の運命は、まるで、この説とは反対で、青年期まではほとんど常識的にいう、恵まれた、という環境ではなかったが、幸いに、いまだに両親とも健在で兄弟姉妹、五人が無事でいる。


その上、私の運命は、青年期から急上昇して、今日にいたっているのであって、孤独とかおよそ反対な、賑やかな日常生活である。


これは姓名学が誤りであるのか、私が、姓名学的因縁の境界を超越し得たのか、どちらかであるに違いない。


とすれば、もし悪い姓名であっても、心さえ変えれば、その運命は変えられる、ということになる。


ともあれ、人間は、自己の運命に暗い影を投ずるような教えや、暗示を離れ、ひたすら、明るい、希望ある生活に飛びこめるような団体や、教えに導かれるようにすべきである。


汝の運命を、汝の内にある神に一任すべし、と私はいいたい。


人事をつくしたとき、神はその人の運命をひらいてくれるにきまっているので、いろいろ恐れおののいて、自己の運命を覗いて見たりしたりいけない。


自己の荷せられたる運命なら、いさぎよく受けよう、という勇気こそ、その人の運命を切りひらく、最大の力なのである。


人間よ勇気を持て、である。


次に、方位方角のことであるが、それはやはり、種々の研究の結果、学問体系をもって、権威づけられているもので、否定し得るものではない。


従って方除けしたら、自己の運命を改善できる、と信じたらやればよいのであるが、私は、そうした学問や教えによって、人間が、自己の行動に臆病になり、いちいち、そうしたことによって自由を縛られて行動するようになることを恐れる。


偉大な仕事をした人たちが、いちいち方位方角を調べて、仕事をしていたか、というと、そうではなさそうである。


自己が自己の信念のもとに、全力をつくして突き進む時、おのずから、自己の運命をひらき得るような、方位方角に、神(守護神、守護霊)が自己を導いて下さるのである。


自己を信ずることのできぬ人は、毎日数多く、守護霊、守護神の加護を心に念じて、行動していれば、自然に自己の運命に信念がついてくるものである。


神常に我とともにあり、という信念を自己の心に植えつけることのほうが、姓名学や、方位学よりも、先にならなければ、その人は救われの道に入り得まい。





 『神と人間』 問答篇 五井昌久 白光出版






 




感想




偉大な仕事をした人たちが、いちいち方位方角を調べて、仕事をしていたか、というと、そうではなさそうである。


自己が自己の信念のもとに、全力をつくして突き進む時、おのずから、自己の運命をひらき得るような、方位方角に、神(守護神、守護霊)が自己を導いて下さるのである。


自己を信ずることのできぬ人は、毎日数多く、守護霊、守護神の加護を心に念じて、行動していれば、自然に自己の運命に信念がついてくるものである。


神常に我とともにあり、という信念を自己の心に植えつけることのほうが、姓名学や、方位学よりも、先にならなければ、その人は救われの道に入り得まい。




ここの部分がしびれます。


心から納得出来るのです。


私たちは、自分を信じることができなくなったとき、内にある自分の神性より、他にその神性を求めるのです。



そして他の神性も信じることが出来ずに、右往左往するのです。


それだったら


「神様なんているもんか!」


「自分の運命は自分で切り開くんだ!」


と言っている人の方がよっぽど素晴らしい生き方が出来ているような気がします。

   
「私は神を信じています」


と言っておきながら


いざとなったら


その神を信じられない


神とは自分自身のことなので


その自分を信じられないのです。(無限なる可能性!)


ここは、一番!


自分とは何者なのか?


を真剣に追求すべきではないでしょうか?


求めれば必ず答はやって来ます。


求めるエネルギーが答と共鳴するからです。


自分探しの旅は


求める気持ちから始まるものだと思うのです。



 


 


 
追伸


タイトルの裏ないの説明をしますね(笑)


私たちに過去世があるのは事実なのです。


表が現世だとすると裏が過去世なのです。


それはくっついていて、つながっていて裏も表もないのです。


裏が潜在意識の世界(幽界)表が顕在意識の世界(肉体界)


表を良くしようとしたら裏を浄めていかないとダメなのです。


裏が表に顕われるからです。(時間を経て)


裏を浄化するには、自力(それも本当は自力ではないのですが)と他力があります。


過去世(潜在意識)の悪因縁を消すには、守護霊、守護神に幽界を浄めていただくのが一番です。(感謝の気持ちで)


そして守護霊、守護神と一体となって祈ることです。


祈りは光です。ぴかぴか(新しい)


感謝は光です。ぴかぴか(新しい)


世界平和の祈りは宇宙と共鳴するので一番光が強いのです。


闇(過去世、潜在意識)を消すには祈り(光)しかないのです。




 

世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  




  

2010年4月20日 (火)

緊急連絡!

  
  
  
  
突然ですが、嬉しいお知らせです。
 

近日中に、私の師匠である、う先生が新しい本を出されます。本チャペル
 

そこで店頭に並べられる前に、今回のゴールデンドアに出席のハーモニーの人たちとこの会に出席された人にプレゼントしてくださるのです。


タイトルは


『無限なる勇気』 素晴らしい内容の本だそうです。


この本から何かが変っていく、人類が日本が世界が地球が変っていく・・・・。ぴかぴか(新しい)


そんなことがイメージされるのです。


セミナーの申し込みは明後日の木曜日まで間にあいます。


どうぞ、“勇気” を持ってお越しください。わーい(嬉しい顔)






    ぴかぴか(新しい) ゴールデンドア ぴかぴか(新しい)
    
      


      
 

★日時 4月25日(日) 

12:00~13:30 会食

14:00~  う先生講演

★ 大成閣(中華料理)06-6271-5238(禁酒・禁煙)

★ 会費 10、000円(小学生4~6年生5、000円)



参加されたい人はご遠慮なくグッドムーンまでご連絡ください。

080-1444-0018(篠崎)



詳しくは

 
http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/sub1.html 



オーラ・オーラもよろしくお願いします。


   http://auraaura7.com/



  

2010年4月19日 (月)

生まれ変わり

 
  



男性が、女性に生まれたり、女性が男性に生まれ変わったりすることが、あるものでしょうか、お教え下さい。








そういうことは随分多い。


それは、前世において、女性としての苦しみを味わいつくし、男に生まれてくればよかった、と固く思いこんだ人、または、その反対の場合、あるいは、因縁解脱への経験を積みやすくするために、守護神が、性別を変えて再生させる。


男性でいて女性らしい人や、女性でいて男性の性格をもっている人などはほとんど前世と今生との性別が変っている人たちである。


霊そのものには男女の別はないので、男女の別のあるのは、魂魄の世界だけである。


観世音菩薩は男か女か、とよく問われるが、観世音菩薩、すなわち神の化身、男女を綜合した現れで、陰陽合体の絶対身である。






  『神と人間』 問答篇 五井昌久 白光出版 





 



 
感想


霊そのものには男女の別はないので、男女の別のあるのは、魂魄の世界だけである。


とありますが


魂とは幽体のことであり、魄(ぱく)とは肉体のことなのでつまり男女という陰陽にわかれているのは幽界、肉体界だけなのです。


もうすぐ地球は次元上昇して、幽界が無くなって、神界(天国)が現われて来るので、男女というものも無くなるのです。



 

 神界(天国)
 ↓
 霊界
 ↓
 幽界(迷いの世界)
 ↓
 肉体界





あと2年半くらいで男女というものが無くなる?


ちょっと信じられないですよね。


アセンション(次元上昇)を別の角度で観てみると、2元対立していたものが、つまり陰と陽に分れていたものが一つになることなのです。


セパレート(分離)されていたものがユニティー(合一)される。


あなたと私は別のもの、敵と味方に分れていたものが統一されるのです。


そのことを 愛(合い)といいます。


地球はセパレートとユニティーを13000年毎に繰り返してきました。


宇宙は、集合離反(しゅうごうりはん)、波動が交わったり、離れていったり、またくっついたりしているのです。


その繰り返しで成長していくのです。(前回の集合離反よりも進化している)


男女も同じなのです。


地球上で男と女とに神様は分けられました。


でもそれはいつかは合一するためのご計画だったのです。


その時期が来ているのです。


私ごとですが、私は今、高校の同窓会の幹事をしています。


そこで男女が集まっているのですが

お互いに異性を意識しない、相手を人として接していることがあるのです。

そのときには、なにかしら不思議なエネルギーが流れるのです。


心が一つになったような感動を覚えます。

エネルギーが対立、陰陽、壁、2元を超えて融合しているのです。


私はこの融合が 愛 だと思うのです。


今、巷では草食系男子とか肉食系女子とか言ってますよね(笑)

この傾向は、融合するための前段階、プロセスなのです。

男の動物性が無くなって、つまり男女関係の感情が少なくなってきている。(性を意識しなくなっている)

狭い空間に二人で居ても何もしようとしない(笑) (もちろん、その人の前世での経験や意識の段階によってかなりの個人差がありますが)


これは一昔前では、無かったことなのです。


アセンションとは感情が無くなるということです。


感情とは欲のことです。


金銭欲、物欲、食欲、そして性欲


段々と欲が無くなって行くのです。


その中で一番やっかいなのが性欲、色欲と言われています。


最後まで残るのがこの欲なのだそうです。


この欲を超えて地球が完成します。


とりとめのないことを書いてきましたが


男女の垣根を超えて人(霊止、つまり神)として尊敬できる関係が本当の真実の世界なのです。


そんな時代がもうそこにやってきている


なんだか嬉しくなりませんか わーい(嬉しい顔)









補足


近未来にはセックスもしなくなるのです。


そしたら、赤ちゃんはどうやって生まれるんだ?


という疑問が湧きますよね?


それは男女関係なく3人寄って子どもが欲しいと唱えれば


生まれるようになるそうです。


イメージしたことが形になる世界になるのです。




わけがわからない?


でも、それがもうすぐ現実になるのです。




  
  


2010年4月18日 (日)

4月25日(日)は調和波動気功セミナーの日

     

みなさ~ん、また連絡が遅くなってしまいました。
 

調和波動気功が毎月実施している気功セミナーが来週の日曜日にあります。
 

今からでも参加OKです。手(チョキ)
 

ゴールデンドアとは4次元への扉という意味です。
 

私たちが何故、不安になるかというと未来がわからないからです。


近未来に何が起こるかがわかっていれば、冷静にそれを見守ることができます。


目の前に起きている不幸と思えるようなことも、最悪(無限なる光)と見えるようなことも


それがプラスから出たマイナスだとわかれば


喜びと感謝で迎えることが出来るのです。わーい(嬉しい顔)


強い気持ちでいられるのです。


ゴールデンドアはそんな勇気を与えてくれるセミナーなのです。






   
   ぴかぴか(新しい)ゴールデンドアぴかぴか(新しい)
    
      


      
 

★日時 4月25日(日) 

12:00~13:30 会食

14:00~  う先生講演

★ 大成閣(中華料理)06-6271-5238(禁酒・禁煙)

★ 会費 10、000円(小学生4~6年生5、000円)




参加されたい人はご遠慮なくグッドムーンまでお電話、又は下記のところへ直接お申込みください。 080-1444-0018 (篠崎)
 



詳しくは

 http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/sub1.html 



オーラ・オーラもよろしくお願いします。ぴかぴか(新しい)


   http://auraaura7.com/




  

  

名前を聞かなくても・・・・・・。

  
  
  


先生は、名前を聞いただけで、その人の性格や行動が、はっきりおわかりになりますが、どうしてそれがわかるのですか。

それに、その人の生死さえもわかるというのは、どういうわけなのでしょう。





 


これはなかなか説明しにくいのであるが、わかりやすく説明しよう。

私にとって、その人の氏名などは、どちらでもよいので、問う人が、その人の氏名を私に伝えよう、とする時、もうすでに、私の心は、その人の心に通じているのである。

それはどういうことであるかというと、この世界はすべて、光の波、想念の波で、できているので、各人が、その想念の波につつまれて生活しているのである。

例えばAという人が、過去世から発している想念の波の中で、その想念の因あるいは縁に触れる人たちや事物と交流して、その生活を営んでいるのであって、その人には、その人独特の世界があるのである。


そして各人は、各人の独特の世界をお互い持ちながら、因縁相合して、交流し合っているのである。


その想念の世界を、幽界というので、その幽界、個人では幽体に画かれている、想念の波、行動の波を、その瞬間、私の心は観じてくるのである。

どうして観じられるかというと、私は、私という想念を、その瞬間、無にすることができるので、私の心は空になっていて、その空の中に、Aなる人の幽体に画かれている性格や運命が、浮かび出てくるのである。


何故ならば、空とは、宇宙大に拡大したことと等しいことになるので、宇宙の中の小宇宙である、Aという人は、その間、私、すなわち宇宙大に拡がった、心の中に生活していることになるので、Aという人のことが、そのまま私にわかるのである。


この場合、Aという人と、そのAについて問う人が一面識もなくとも、同じである。


同じという原理は、問う人にとって、Aが、一面識もない、ということは、この肉体界においてのことであって、その人が、私にAのことを問うほどの状態は、過去世においての、なんらかの、因縁のつながりを持っていることを示すので、過去世からのなんのつながりもない人は、口の端にも、その名前が出ないことになるのである。


私は、その僅かなことを媒介として、そのAを探すことができるのである。


私はAのことについて識り得ると、識り得たすべてを問う人に告げるのではなく、問う人にとって、真実必要なことだけを教えるのである。


結婚の場合などは、男の性格と女の性格との相性と、その男女の過去世における因縁の善悪を、よく見定めて、良否を決定するのである。


過去世において、相敵対視していた男女が、恨み恨まれたままの想念で、この現世に生まれて来た場合など、表面的に顕在意識で、好き合って結婚しても、結婚後、過去世の想念が、潜在意識から、自然転回の業の法則にのって、表面(顕在意識)に現われ始め、しだいに争い始め、ついに大きな悲劇にまで発展してゆくのである。


私は、こうした人たちの結婚の相談を受けると、どんなに表面的に心が合っているように、当人や周囲の人たちが思おうと、断乎として、この結婚に反対してしまうのである。


そのため一時は、その男女に恨まれたりする場合もあるが、是非もない、と思っている。


その点、こうした人たちの結婚後の争いの仲裁を依頼されると、子供の特別多い場合の他は、離婚を薦める場合が少なくないのである。


こうした人たちを、そのまま拝み合わせるように仕向けても、結局は、この現世では到底拝み合えぬ深い業因の結ばれであることが多いのである。


その理を識らぬ宗教家たちが、ただやたらに調和調和と拝み合わせようとしたところで、時間がたてば、時間がたつほど、切り得ぬ縁になって、はては殺傷事件すら起こってしまうのである。


結婚したら、絶対に別れられない、と決めてしまっては、こんな場合があるので、人間の救いが狭められてしまうであろう。


真の調和は、在るべきところに、在るべき人を置くことになり、合うべき男性に、合うべき女性を配すべきである。


こうしたことの指導のできる人の多くなることを私は望んでいる。


ただ、常に守護霊、守護神に感謝し、加護を願っている人たちは、必ず、良き配偶者を与えられる、と私は信じている。


とにかく明るい想念をいつも発していることが、一番である。



私は、愛の深い、善良な人の名前を聞くと、その瞬間、実に深い愛の心が私に写ってきて、実に良い気持ちになる。


素晴らしい芸術家の名前を聞いた場合でも、実に素晴らしい良い気持ちがする。


先日も、シゲティの若い時代の写真を新聞で見た時、なんともいえぬ、良い気持ちになった。


素晴らしい音楽が、その写真から聞こえてくる(観じられてくること)のである。


愛の心と、善き芸術とは等しい美しさをもっているのである。


私は常に人間の肉体を観ているのではなく、その想念を観ているのである。


何故ならば、私の本住の地は、この肉体の世界ではないからである。


次に生死の見分け方は、分霊からくる光の波が、肉体界に流れてきていないか、肉体界まで流れてきているか、によってわかる。


もうすでに霊の光波が、肉体界への流れを止めていても、幽体が肉体を離れず、肉体に送るべき光波が、その幽体に蓄電池式に残っている場合は、死期が近いながら、いまだ肉体界の生活を営んでいるのである。


しかし、蓄積された光波(生命)が消えてしまえば、その時、肉体は倒れるのである。


テレビジョンは、霊界(幽界を含む)、肉体界の関係を実によく現わしている。


テレビジョン放送局で、種々の劇をやっているが、スイッチを入れて、受像機のブラウン管に写し出さなければ、ブラウン管になんの画面も出ていないことになるが、一度スイッチが入り、電流(光波、音波)が流れてくると、放送局でやっている劇や人物がその波に乗って、ブラウン管に現われて、活躍することになる。


人間の肉体は、ちょうど、テレビジョン受像機に相当し、霊界は、テレビジョン放送局に相当する。


そして、その放送局から、受像機までの空間に幽界があり、肉体の運命と現われる業因、業縁が行き交うている、ということになる。


肉体(受像機)がないとは、そこに何もないことになり、人間はいない、即ち死であることになる。


しかし、放送局(霊界)では、依然として劇はつづいており、その波動はひびいているので、人間は受像機(肉体)に写らぬだけで、活躍しているのである。


その活躍を私は、霊界(放送局の舞台)からも、その途中の幽界からも、肉体(受像機)からも、どちらからでも、見ていられる立場にいるのである。






『神と人間』 問答篇 五井昌久 白光出版










 

感想


これまでの問答篇が短かったのですぐに書き終わると思っていたらかなり長い文章でした。

でも、私にはすごくよく理解できたのです。


最後の肉体はテレビでいえば、テレビジョン(受像機)であるというところなんかは、思わずうなりました。


光波が肉体に届かなくなった時が死である。

しかし人間は神界、霊界、幽界にもいるのであって、本当の自分は神界にいる。


だから肉体が動かなくなっても(つまり死)その他の世界では生き続けている。


死ぬ(肉体界を離れる)と幽界に行き、そこから悟り具合によって霊界にも神界にも行く。


そこで自分たちの子孫を守る守護霊、守護神になったりもする。


その他、よその星に行くこともある。


すべて筋書きが出来ているのです。

筋書きではなく真実なのですが、腑に落ちるのです。

ここに書いていることを何回も読んで自分の頭にインプットすると

かなり真理を識ったことになると思います。

五井先生は神界から下の世界(霊界、幽界、肉体界)を観ておられるのでその範疇に入ったことのすべてがわかるということなのです。


しかし、五井先生だからそうなるというのではありません。


もうすぐわたしたちもそうなるのです。


それは、空 になるということです。


アセンションとは人間が空になるということなので、意識が宇宙大に拡がって行くのです。


そして相手のことも写ってきてわかるのです。


テレパシーで交信する、わかり合えるようになるとはそういうことなのです。


素晴らしい時代がもうそこにやって来ているのです。


いえ、もう来ているのですが(笑)・・・・・・。










 
補足

ここでは、男女関係について、結婚について等も非常に参考になることが書かれています。

五井先生のような方が側でいてくださったら相談するのに・・・・。


と思われておられる人も多いと思います。


でも私たちには守護霊様、守護神様がついてくださっています。


いつも守護霊様、守護神様に感謝して意識を向けていると必ず教えてくださるのです。

「この人はいい人(相性が)だよ」

「この人は絶対にやめなさい!」

親に相談するよりも親友に聞くよりも絶対に確かなのです。わーい(嬉しい顔)手(チョキ)

それは過去世、未来、相手との因縁生をご存知だからです。

みなさ~ん、もっと守護霊、守護神さまに守って戴きましょう。

私たちを守るために守護霊様、守護神様はおられるのです。

もっと甘えていいのです。

肉体人間だけではこの世は生きて行けないのです。




 

2010年4月17日 (土)

神さまごと、仏さまごとが好きな人・・・・。

  

  
  


生まれながら、神事、仏事が好きな人と、嫌いな人とがいますが、どういうわけでしょう。









それはすべて過去世の因縁によるもので、神詣りが好きだから、その人が立派であるとか、宗教団体に入っているからその人は清いとか、簡単にいえない。


宗教団体に入らなくとも、神詣りしなくとも、立派な人はたくさんいる。


立派といわれる人は、すべて自己の良心に忠実であり、愛の心深い人である。


自己利益だけの宗教入りや、神詣りより、そうしたことをしなくとも、愛の心で他人のために尽している人が、よほど、神の心に適うのである。


神とは愛の心であり、良心であるから、愛の心にとぼしく、良心にそむいているままの心で、神詣りしたとて、なんにもならない。


愛の心深く、良心に忠実で、しかも神を識るための宗教に入っている人が、一番立派であり、自己の幸福にもなるのである。





 『神と人間』 問答篇 五井昌久 白光出版





 

感想


私は現在大阪の北、茨木というところに住んでいるのですが、京都にも近く、息子は小さい頃(現在は二十歳になりました)から歴史が好きでそれも牛若丸のファンでやたらに京都に行きたがっていたことがありました。


しかし、行く前とはうらはらに、帰って来ると人が変ったような人相になっているのです。

それも疲れ果てたような・・・・・。


私は

「行きたい!」というものを


「そんなところはやたらに行くものではない」


「昔の色んな霊が潜んでいるのでその霊からいらないもの(業因縁)をもらってくるよ!」


なんて言ってもわからないだろうし


自分が体験し、実感することで自然と離れていくだろうと静観しておりました。


そして案の定、行くたびにもらって来て、自分なりに何かを感じたんだと思います。


ここ最近は、行っていないようです。


安倍晴明(あべのせいめい)を描いた陰陽師などを読むとよくわかるのですが、その頃の平安時代から朝廷や貴族、その他豪族などの争いごと、人間関係は非常にドロドロしており、そのときの怨念、恨みつらみ等は、未だに浄化しておらず、その周辺に残っているのです。


京都や奈良などは特にそのエネルギーが強いところなのです。



しかし、私たちは反対に浄められるのだ、魂が喜んでいるのだと完全に誤解しています。げっそり


世界遺産などもたくさんの人が訪れるようになってもう聖地ではなくなっているのだそうです。


観光地などもそうですよね、観光地とは読んで字のごとく光を観に行く地と書きます。


昔の聖者、賢者たちがその地を浄化して清めた場所だったのです。


だからその地へ行くのは物見遊山で行くのではなく自らの心、魂を浄めるためだったのです。


ですからそんな地もたくさんの人間の想念で汚れてしまってもはや観光地ではなくなっています。


う先生が最近おっしゃられることは


「みなさんどこへ行っても波動の良い所なんてないでしょ?」


「それよりも自宅で祈ったり印を組んでいるので、そこが波動の良い場所になっているのです」


なのです。


波動の良い場所に行く、浄化された所に行くのではなく


自分が浄まっていれば動く浄化スポットになるのです。(それでも汚れた場所へは行かない方がいいのです)



お釈迦様やキリストはそのような方々だったのです。



祈り続けていれば自分がそのような存在になれるのです。


それにはたゆまない祈り、印が必要なのです。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)







追伸
 

最近、神社仏閣などで

『世界人類が平和でありますように』

のピースポールをあちこちで見かけられるようになりました。

今、世界中、各国で20万本も建立されているそうです。

そこには宇宙からの無限なるエネルギーが降りています。

宗教を超えて思想を超えて支持され、祈れるのが世界平和の祈りなんですね。わーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)


 
 
  

2010年4月16日 (金)

愛の行ないとしている人が・・・・・・。

  

   



私は努めて愛の行ないに励み、感謝の気持ちで日々を過ごしているつもりですが、次から次へと病気や不幸が絶えませんが、この場合、いったいどうしたらよいのでしょう。





 




善時をしつづけながらも、なかなか不幸な出来事が消えぬような人もたくさんある。


しかし、これは憂うべき事態ではなく、その人自身や、一家一族の進歩してゆく姿なのである。


それは、過去世から蓄積されてある、その人、その人または、祖先の悪因縁が、その人の時になって、表面にはっきり現われ、次々と消え去ってゆく姿だからである。


人間には、肉体の世界以外に、幽界、霊界の世界があるのだから、一番苦しみの軽い肉体界で、過去世の蓄積された業因縁をでき得るかぎり消滅し去っておいたほうが、その人や、その人の祖先、または子孫のためにも幸福である。


従って、善事をなせばなすほど、不幸な出来事が、より多く現われる場合もある。


しかし、それは真の不幸ではなく、潜在していた不幸が、いち早く現われたに過ぎず、その不幸が、より長く潜在していて現れぬと、その人自体が現在味わっている不幸の何層倍かの不幸になって、やがて現われてくるのである。


であるから、どんな不幸が現われようと、この現れによって、自分及び、祖先の業因縁が完全に消え去ってゆくのである、と堅く信じなければならない。


神は善事をなしている者に、決して不幸を与えるわけがないのである。


絶対にないことを私は明言する。


従って、その人は、自己の想念や、行為を、よく内省して、どう考えても自己の想念、行為に間違いなし、と信じられたら、そのまま、業の消えてゆく姿である、これから必ず良くなる、と断乎として思うべきである。


その勇気こそ、その人を救い、その人の周囲を救う祈りなのである。


といって、今生で、あまり不幸に会わぬ人は、幽界で必ず苦しむか、というと、そうではない。


過去世に善行をたくさん積んであった人は、今の現世で、あまり不幸に会わぬことになる。


たいして才能もなさそうな人が、意外な金力に恵まれ、名実ともに不幸な生涯を終わる場合もある。


これらは、過去世の善因縁の結果であるから、幽界に行って苦しむ、とは限らない。


現象の人間は、過去世の因縁、プラス、現在の想念、行為がその人の運命を定めるのであるが、これが、また未来の運命とも深い関係をもつことになるのである。


ただ、人間の真の姿は霊であって、業因縁に捉われるような者でなく、自由自在であると観じ、いかなる業因縁の動きにも、超然としていられる心境になれば、現象の不幸は忽然と消え去って、再び現われなくなるものである。


そして、その人は業因縁の輪廻を超えた神の世界に入り得るのである。







『神と人間』 問答篇  五井昌久 白光出版





感想

ここでポイントになるのは、



過去世の蓄積された業因縁


だと私は思うのです。

過去世なんてない! という人は置いておいて(笑)


私たちは過去世で色んなことをしてきているのです。

悪いことも善い事も

今は

「あの人は仏様のようだ」

とその人柄を崇められているような人も散々悪いことも経験としてして来ているのです。

散々したから悪事を働くことの無意味さとか、愛の素晴らしさがわかるのです。

そして悪事を働いたとしたらそれが自分に返ってくるのが法則です。

やまびこと同じ原理です。

だから今いくら善い事をしても返ってくるものがあるのです。


コップの中に過去からの潜在していた悪因縁があったとして、そこに綺麗な水を注いだら、悪因縁は薄くはなるのだけどコップから溢れだして周りを汚すのです。


その汚れが不幸とか病気とかの現象なのです。


そこでほとんどの人間は、次々に不幸がやってくるので善行をすることに躊躇してしまう。


そこでやっぱり必要なのは、真理を識ることと、勇気だと思うのです。


真理を識るのにも勇気が要ります。


今までの自分と訣別しなければならないからです。


自分は不幸の主人公でいいんだ

同情されるのも悪くない

病気になっていると人が優しくしてくれる

仕事もしなくても家族が助けてくれる


こんな人もたくさんいます。


でも心の奥底では


「これではいけない!」


と叫んでいるのです。


悟るってそう簡単にはいかないのだと思います。


でも簡単ではないのだけれどそこに向かって進んで行く人が必要だと思うのです。


そんな人がいないとひっぱっていく人がいないと


たくさんの人が路頭に迷うからです。


道に迷うのならまだいいけど魂が迷うのは本当に辛いことなのです。


だけど神さまはそのことがわかって私たちに守護霊様、守護神様をつかわしてくださいました。


どんな人でも必ず守護霊様は2人、守護神様は1人ついていて下さっています。


私たちはどんなときにも決して一人ではないのです。


だから安心して生きて行けるのです。




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます







補足

 
神は善事をなしている者に、決して不幸を与えるわけがないのである。

とありますが

神さまが最高の善事だとおっしゃっておられるのが


世界平和の祈りなのです。

3次元的に何か善い事をしようとしなくても祈って

その素晴らしい光が自分を包み、そしてたくさんの人に届き、地球の生きとし生けるものに光を与えることが出来れば、それが最高の善事なのです。

祈りなしでは人間は絶対に幸せにはなれないのです。







2010年4月14日 (水)

手にあましている病気の原因は?

 
  
  
  


精神病、小児麻痺、癲癇等々、医学ではほとんど、手にあましているような病気はいった

いどこに原因があるのでしょう。



 





それらの病気はほとんど憑念(ひょうねん)の作用である。

憑念即ち、普通いわれている憑依霊のための病気といえる。

人間の肉体が完全な形で活動(病気なく悪行為のない働き)しているのは、神界からの生

命の光が、途中、さわりなく、肉体界に投影している状態なのであるが、普通いう病気や、

不幸、悪行為の現れは、神からの光が、

まず、幽界において、その人の悪想念(悪因縁)の集積に汚され、その汚れた波が、その

悪想念の形に従って、肉体の病気の種類、不幸、悪行為の形に定まって現われるのであ

る。


しかし、問のような病気は、その人の悪想念というより、その人の祖先や、因縁のある霊魂

のうち、いまだ迷界(迷っている霊魂のいるところ)にいる霊魂の、迷いの念の波が、神か

ら来る光をさえぎって、その人間の肉体を、不自由な状態にしてしまうのである。


生命の光が百燭光あれば、完全に生きられるのを、十燭光も、ともらぬような、光波の流

れになっては、肉体が不自由になるのは当然である。


であるから、この病気を治すには、横からさえぎる、汚れの念波を、浄めるか、そらすかの

二つの道よりないのである。


科学で、この方法をとれば、それで癒えるわけだが、現代ではいまだ、そこまで医術が進

歩していないように見える。


そのため、宗教家が、迷える霊魂に、祈りによって強力な、光波を当てて、その霊魂の迷

いを醒ます方法をとっているのである。


精神病の場合などは、医者は電気療法をやって、そのショックにより、脳神経の調整をは

かっているようだが、これらは、私のいう精神波長の修正なのである。


しかし、憑依している想念の波(迷える霊魂)には種々の種類があるのだから、誰にでも、

同じような波長の電気療法をやっても、効果は少ないのである。


それより先に、精神病の原因というものは、その人の精神状態の不調和に牽引されて、外

部(幽界)から迷える霊魂、いわゆる同じような不調和な想念が感応してくることによっての

病状であることを識らねばならぬ。


その原因を知って、その人の抑圧された想念をまず解きほぐしてやることから始めなけれ

ばならぬ。


病気というものが、なんでも肉体及び、肉体機能の一部としての精神作用からのみ起こる

と思っているようでは、病人の数は総体的に減ってゆくことはないであろう。


医学が、今までのような方法にのみ捉われず、病気とは、肉体外の世界の不調和によるこ

ともあるのだ、という面への研究もしてゆくことにより、肉体、精神、心霊の三医学の完成を

見、巷間の、いかがわしい迷信治療を抑えてゆくことができるのではなかろうか。


病気治療は医学の専門である、と国家がいう以上は、そのくらいの研究を医学界に薦める

義務があると思う。





『神と人間』 問答篇 五井昌久 白光出版




 




感想


ヒェー 冷や汗

私は、この神と人間という本を抜粋してただ写して書いているだけなのですが、今日ばかりは、いつもにまして、その内容の凄さに震えが来るのです。


もう55年も前(昭和28年3月)に書かれた文章なのに今の医学界、科学界、そして宗教界の問題点をズバリ突いています。


まったくその通りなのです。


未だに人間界はほんの少しのことしかわかっていないのです。


でも決して悲観しているわけではなく


これから急速に解明されていくのですが、それはもう人間の頭脳というより神がかり的に、宇宙からの応援がなければ、人類と地球が救われるということは絶対に無理だということは、なんとなく、みなさんもわかられたことと思います。


人間には、限界があるのです。


人間の頭脳でわかっていることは、例えば、サハラ砂漠にある砂の一粒くらいのものだそうです。

あとの砂のことは宇宙規模でいえばなんにもわかっていない。


それは肉体感覚、肉体意識でものをみているからです。


だからもう限界が来ているのです。


肉体人間はどうしようもない馬鹿である。

そのことがわかって

それならどうしたらいい?

しかし人間は肉体だけではないように思う

もっと奥に神秘的なものがあるはずだ

それはなんだ?


そこから本当の宗教は始まりました。


私たちは今、原点に戻るときだと思うのです。


謙虚になって
 

人間とはいかなるものか?


神さまって居るのか?


わたしたちは何者なのか?


そのことを真剣に逃げずに


探求していくときだと思うのです。


ここに来てくださっている人は


そういう人たちだと思うのです。


これからも一緒に探求していきましょう わーい(嬉しい顔)指でOK





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)


我即神也

人類即神也


  
 

 

2010年4月13日 (火)

幽体について

  
  
  
私の日記で肉体とか幽体、霊体、神体とかをよく書いていますが、ほとんどの人は肉体しかないと思っています。


空気は見えないけどあるとわかっているのに、なぜか自分のこと(見えないボディのこと)になると信じられなくなるのですね。

別に、あると信じなくてもいいのですが、あるかもしれない・・・くらいの大らかな気持ちで目にみえない世界をイメージしていけばいいのではないかと思います。


という私も霊的なものは見えないのです。


でも神さまとか守護霊さま、守護神さまの存在は、 ある と確信しているのです。



では、質問コーナーに移ります。


   



 人間には、肉体の他に幽体があるといわれてますが、幽体はどのような役をしているのでしょう。







幽体とは、人間の想念(おもい)や、行為の記録体とでもいうべき体で、肉体に重なり合って、肉体のような形をもったガス体である。


このガス体の大きさや、色によって、その人の霊性の高低や、性格、運命がよくわかるのである。


よく魂を見たというが、それは、霊を見たのではなく、この幽体(念体を含めた)を見たので、魂とは、幽体に分霊が乗っている状態、いわゆる、分霊が幽界にいる状態をいうのである。


幽体はその人、その人によって、大きさや色(想念、行為の集積が色になる)が違うので、幽体の大きな人が、主に宗教に熱心になったり、やたらに神詣りしたりするのである。


人の想念を受けやすかったり、幽界からの念波に感応しやすい人は、おおむね幽体の大きな人で、その幽体に蓄積されている想念の汚れている人は、低級な想いに憑かれやすく、幽体が浄まっている人は、高級な霊の感応を受けることができる。


幽体の色は軽い色ほど、澄み浄まっていることになるので、金色に輝いている時は、すでに幽体はなく、神の光、そのものが、輝いていることになる。


そして重い色になるとほど、汚れが多いということになる。


紫や青系統の色をもった幽体などは、高級な人格といえるのである。


普通会っていて、その雰囲気が澄み切ったように感じられる人は、大体高級な人格者であると思って間違いあるまい。


とにかく、常に、善なる想念、愛の行いをすることを心掛けていれば、ついには、特別に心掛けなくとも、自然な素直な形で、愛行のできる人間になってゆくのである。


人間は肉体生活が、すべてでなく、幽界の生活、霊界の生活が、肉体生活の後に待っていることを、よくよく考えて、肉体生活のうちに、自己の想念を浄め、行ないを直しておかなくてはいけない。




               おしまい





『神と人間』より 問答篇 五井昌久 白光出版



 



感想


この幽体を特殊なカメラでキャッチしたものがオーラ写真なのです。

でも巷で行われているものは

「あなたのオーラは濁っています」

「形が崩れています」

「この先、身体の具合が悪くなります」

または

「綺麗なオーラですね、良かったですね」

「大丈夫、普通の人より綺麗ですよ」

と良い意味でも悪い意味でも

ただ写した結果を教えてくれるだけで

アフターフォローがないのです。

お医者さんに身体を診てもらって

「あなたは癌です」

「えッ先生どうしたらいいんでしょう?」

と聞いても

「さぁ、私は検査をしただけですから」

と言われても困りますよね。(笑)


オーラも近未来のことはわかるのです。

潜在意識に溜まったものが顕在意識に出て来るからです。(オーラは潜在意識が写る)

幽界が肉体界に写って来るのです。

だからかなりの確率で当るのです。(占いよりは)

でも良い事だったらいいけど、悪いことを言われてもどうしようもないのです。(実は良い事を言われたら安心して努力をしなくなるのです、だから占いと同じくオーラ診断なんてしない方がいいのです)

なぜなら、幽界の汚れたエネルギーを浄化する方法を知らないからです。(写真を撮る人が)

せいぜい、インチキの石や壺を売りつけられて少しは気が休まるかもしれません。

でも近未来のことがわかってもちっとも良い事ではないのです。

悪いことを言われると気にします。

「そうなったらどうしよう」 と動揺します。

そしてそこにエネルギーが注がれるのでイメージした通りになりやすいのです。

自分のエネルギーは他人や物に浄化してもらうものではないのです。 (自分で波動調整することが正解です)

念力で多少はエネルギーが動いて改善されたように思えることもあるのですが、それは宇宙(神)からのものではなく、肉体界や幽界の念力だからです。


治療する人が宇宙に通じている人なら治りますが、そんな人はこの世ではいないと思ってください。


宇宙に通じる人とは神と一体となった人です。


愛そのものの人です。ぴかぴか(新しい)


キリストやお釈迦様の意識を持った人を言うのです。


あなたを治療してくれるという人(お医者様以外)でそんな聖者、霊覚者の人がいますか?

病気を治すのでも本当にその人にとって、病気を治した方がいい場合だけ治ることがあるのです。

その人の守護霊、守護神に

「助けてやってくれ!」

と頼まれた場合だけ

霊覚者の人は治すのです。(霊覚者とは、霊能者ではなく宇宙に通じていて悟った人のこと)


そして、誰でも彼でも治すことはしないのです。


それは病気になることがその人にとって必要なこともあるからです。


深い、深~い洞察力がなければ人の運命を変えることをしてはいけないのです。




でも真理を説いて、宇宙の法則に乗るように導くことは違うのです。


私たちは宇宙人です。

だから宇宙の法則に乗ることが目的なんです。

その法則によって結果的に波動調整がされて病気が治ることがあります。

調和が取れてくるので3次元が整って来るのです。


目にみえないエネルギーを整えると目に見えるものも整って来るのです。(波動調整といいます)


オーラ・オーラはそのようなことを教えてくれるところなのです。




オーラを撮って、そんなことを教えてくれるところなんて地球上どこを探してもないです。(断言します)


また話しがそれてしまいました(笑)


自分が出しているエネルギーは自分で責任を持って整えて行くのが本当なのです。


それによって自分が調和され、その波動を受けて周りの人、縁のある人も整って行きます。


一人の人が本当に浄まる(つまり悟る)と九族(9代まで)救われるといいます。


1000人の汚れた人も、たった一人の浄まった人にはかなわないといわれるのはそういうことなのです。


アセンションとは、浄まった人がたくさん現われるということです。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます





オーラ・オーラ


http://auraaura7.com/










   



 

2010年4月12日 (月)

私たちの思考ってどうなっているんだろう?

  
  
私たちは、起きている間にたくさんのことを思い考えます。

この想念はどこから来るのだろう?

頭の中には何が入って来るのだろう?

と不思議に思います。


それは大きく分けて3つあるのです。


1.過去世からの想念行為の蓄積されたもの(潜在意識といいます)


2.幽体というのは肉体にくっついているもので大きい人はビル一棟くらいあると昨日書きました。実はこの幽体が想念の中に入って来やすいのです。(狭い部屋に閉じこめられてマインドコントロールされやすいのはこの原理ですね)


3.自分と縁のある人の想いが移(写)ってくる。誰かに電話しようと想ったら相手も同時にそう想っていたという(シンクロ)あれですね。


ですから私たちは常にこの3つ(もっと複雑ですが)の想念があるのです。


これが脳髄を駆け巡っています。


私たちが自分の本当の心から想っていることと想っていること(ややこしいですね)は実は違うことがほとんどなのです。


「私は本心からそう想っています」

「自分の考えはこうなんだ!」

「あの人と私の考え方は違う!」


私たちは、常にそんなことを思考しながら生きています。


でも、ほとんどが過去からの蓄積された想いや周りの人の影響を受けてのものや縁のある人の考えが入って来て、


それがさも自分の本心から出て来たものだと信じているのです。


想いとは相手の心と書きます。


つまり自分の考えではないのです。


もしくは過去世の、今の自分とは違う環境での想念行為が湧き出ているのです。


ややこしいですよね(笑)


ということは自分の想っていること、相手(人)が想っていること

考えていることなんて

いい加減なものなのです。

だから人の言うこと、想っていること、考えていることなんかを推測して思い悩むことはないのです。


それはどうしてそうなるかというと意識が混乱するところにあるからです。


本当の自分と違うところに意識があるからです。


自分の本心は宇宙にあるのに神界にあるのに迷いの世界である肉体界、幽界にあるからです。




神界(本心のあるところ)

霊界(かなり清まったところ)

幽界 (迷いの世界)

肉体界




 
肉体(頭)で考えるとは幽界の潜在意識か人の想念、縁のある人の考えしか入って来ないのです。


そして脳髄はそのような色んな考え、想いが駆け巡って、混乱しているのです。


自分の考えなのか?

なんでこんなことを想うのだろう?

なんで人がどう思っているのかばかり考えてしまうのだろう?


それは全部本心とつながっていないからなのです。

だから悩むのです。

だから迷うのです。


ですからお釈迦様は 空 になれ! 

とおっしゃったのです。

人間は色んな考えが頭の中を渦巻いている内は絶対に幸せにはなれないのです。

本当の自分がわからないからです。

光が見えず闇の中を歩いているからです。

空になるとは幽界を超えて霊界を超えて

自分の本心とつながることなのです。

そのためには自分の今考えていること、想っていることをすべて


自分の本心のある宇宙に返してしまうのです。

宇宙は溶鉱炉のような所です。

ごちゃごちゃした潜在意識も相手の想いも縁のある人の想念も

全部、宇宙という溶鉱炉に入れてしまうのです。


するとそれらの想いはすべて消えてしまって

今度は宇宙(本心)から私たちの心の中に入って来ます。

それがインスピレーションなのです。

宇宙とつながっていなくて

「ヒラメイタ!」

とか

「悟った」

とか

「神が降りて来た」

なんて簡単にいう人がいますが

それは幽界とか潜在意識からとか人の想念が移って来たりとか

違うところからがほとんどです。

ですから宇宙と繋がらないと本当のことなどわからないのです。

宇宙の法則に乗らないと本物ではないのです。

キリストやお釈迦様、聖者、賢者は同じことを言っておられました。(肉体意識を超えなさいと)

でもそのメソッドがなかったのです。

それを教えてくださったのが五井先生なのです。

「世界平和の祈りを祈りなさい」

そして後継者の西園寺昌美さんが宇宙から五井先生を通じて

印を降ろされたのです。(我即神也、人類即神也の印、その他)


そして、う先生が統一の仕方を伝えておられます。


統一とは自分と神(本心)が一体となる方法なのです。


統一をする人、出来る人の数が臨界点を超えた時、地球の波動は


宇宙の波動になります。ぴかぴか(新しい)


肉体意識が宇宙の意識に変わるのです。


それが本当のアセンション(次元上昇)なのです。




 
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます





  


   

2010年4月11日 (日)

4月15日(木)は気功サロンの日

  

  
  
みなさ~ん、やっと暖かくなって来ましたね。わーい(嬉しい顔)さくらんぼ


季節が変わるのと同じように自分を変えるチャンスです。


是非、気軽な気持ちで遊びに来てくださいね。
わーい(嬉しい顔)








いのち生き生き気功サロン 


 
  4月15日(木) PM1時半~7時まで
  5月20日(木)   同じ



今年は毎月、第3木曜日に開催致します。


参加される人は連絡くださいね。



篠崎 (グッドムーン) 携帯 080-1444-0018



カリキュラムの内容  
  
 
    ① 呼吸法(気持ちを落ち着かせる為)
    ② ストレッチ(心と身体を柔軟にする)
    ③ 姿勢を正す(気を通りやすくする)
    ④ 一日七回感謝する(プラス思考)
    ⑤ 全てのものとの調和(感謝出来るようになる)
    ⑥ 身体の力を抜く(感情のコントロールが出来る)
    ⑦ 明るく朗らかに穏やかなる(パワフルになる)


この7つの中からいくつかを体験していただきます。

   
この時間帯の間のお好きな時間にお越し下さい。


 

場所:浪速区民センター 第4会議室
大阪市浪速区稲荷2丁目4-3
電話  06-6568-2171 06-6568-2171
地下鉄千日前線桜川駅より徒歩3分

 
 

http://osakacommunity.jp/naniwa/index.html
 

参加費:500円 (お菓子、飲み物付)
 


気功ってどんなものかな?と思っても、
なかなかレッスンにくるのは敷居が高い、
という方、是非気功サロンにお越し下さい
オリエンタルウインドの講師がわかりやすくご説明いたしますよ (女性3名男性2名)


  (●^o^●)


 


オーラ・オーラもよろしくお願いします。


http://auraaura7.com/



  

神と人間 (きつねとたぬき)

  
  
私たちはよく疲れたと言いますよね。
 

でもいくら身体を使ったり、睡眠不足気味であったとしても疲れないこともあります。

逆にたいして動いたり、神経を使っていなくても疲れることもある。


いったいどうなっているのだろう?


それは、疲れるとは憑かれるということなのです。


自分は人の影響は受けていないと思っています。


でも人間は例えば、170㎝、65㌔だけがその人ではなく、もっと大きいのです。


肉体とくっついて幽体があります。


これはオーラ写真などを撮ったらわかるのですが、人間は肉体の中からエネルギーを放っているのです。


大きい人ではビル一棟分の大きさがあるのです。


ということはビル一棟の中に人が百人居ると百人の人とエネルギーが重なり合っていることになります。


百人の中で3人ひどく落ち込んでいる人がいると、その3人の人のエネルギーを受けることになるのです。(もちろん良いエネルギーをもらうこともあります)


これが憑かれるということです。


人ごみの中に行くと疲(憑か)れるのは、そういうことなのです。


幽体の大きさがビル一棟もあるのなら


霊体、神体ってどれくらいあるのだろう?


本当の自分(本心)は神体のある神界にあるのです。


本当の自分がとてつもなく大きくて偉大な存在であることがわかります。


自分のことを知れば知るほど自分も他人も尊い、素晴らしい存在であることに気づくのです。


前置きが長くなってしまいました。(笑)



神と人間の中からとり憑かれるというのはどういうことか?



五井先生がわかりやすく説明されています。



  




問   俗に、キツネとか、タヌキが憑くといわれているが事実あることでしょうか。







答 


狐、狸といっても、動物の狐狸のことをいうのではないので、幽界に住む、感情霊、動物霊ともいう、霊魂のことなのである。


医学でいう精神病や、行者の一部には、こうした感情霊に憑依されている場合がたくさんある。


神詣りばかりしている人が、突然、種々の予言をするようになったりすることがあるが、この場合にも、この感情霊の作用が多い。


この感情霊は、霊と普通にいわれているが、実は魂(因縁の波の集り)つまり、迷いの念の波の中に生まれたもので、迷いの念の一つの現われともいえる。


すべて、興味本意、感情本意に行動していて、人間のように、愛(神)を内部に持っている霊魂ではないのである。


従って、人間の本体(本性)とは、まるで違った生物なのである。


いいかえれば、人間にとって一番大事な心、愛と知性を取り除いた、その他の念(おも)いでできているものである、といっても間違いではない。


人間の中にも、愛も知性もなく、利害や、感情のみで、敵になったり、味方になったり、やたら褒めたり、けなりしたりする徒輩(やから)があるが、こうした人たちは、人間というよりは、動物霊に近いというべきで、こうした念の人が、幽界に行くと、今度は、これらの動物霊と、一つになって、迷信家や、低い念の行者に憑依して、肉体の人間を面白半分に迷わせるのである。


形の世界は、すべて、想いが写ってできているので、狐のような想いは、そのような形に、蛇のような想いは、蛇のような形に霊眼に見えたりするのである。(心霊家や、研究家の一部では、天狗、狐、狸などを、自然霊と呼んでいるが、私はただたんに感情霊と呼んでおく。何故ならば、私の説明は自然霊と呼ぶ広範囲の説明ではないからである)



こうした感情霊の憑依を受けぬためには、私の最も主張する、守護霊、守護神への感謝と、愛と真心の行動をしていればよいので、いたずらに奇を好み、霊力を欲するような態度は、厳に戒むべきである。



懸命に信仰をしているように、自分も思い、人にも思われていながら、不幸が絶えぬ人や、信仰していることが、かえって家庭の調和を乱している人や、信仰しているその信仰のしかたや、日常の行動が、奇矯に流れているようでは、その信仰のしかたのどこか誤りがあるので、そうした家庭には憑依霊作用が多いのである。



興味本位の神廻りや、ご利益本位の信仰は、実に危ない気がするのである。


まず、よく自己の本心を顧みて、一生はおろか、神と真に一体になるまで、導いてくれる良い師に出会うよう、守護霊、守護神に祈るべきである。


守護霊は、自己と全く一つの者であるともいえるので、心の中で、常に守護霊、守護神を念じていれば、必ず、その人を邪道から引き出してくれるのである。


そうした心で、入った信仰や、集まりなら、たとえ、その入会の動機が、ご利益からであっても、ついには、真の浄まりにまで、その人を高めてくれるに違いない。


そうなれば、憑依霊の心配は勿論ないのである。




 

    『神と人間』  問答篇 五井昌久



 



感想


神秘的なものを求める人や神社仏閣詣でをするのが好きな人が世間にはたくさんおられます。


でも目にみえない世界のことを知ったら、

  
興味本位の神廻りや、ご利益本位の信仰は、実に危ない気がするのである。



五井先生のお言葉のように簡単には行動しないのです。



おどかすつもりはないのですがもっと慎重に行動してください。


この世(3次元)もあの世(4次元よりも上の世界)も波動の世界です。


良い意味でも悪い意味でも共鳴します。


簡単な気持ちで、欲を持ってそのような場所に行けば、幽界の不良霊のかっこうの餌食になるのです。


知らず知らずのうちにとり憑かれのです。


そうならないためには、自分自身でもある守護霊守護神と一体となる。


それが一番大切なことなのです。



 




 参考図書


ある方にもお薦めしたのですが、目にみえない想念の世界を描いたマンガがあります。劇画家されているのでリアルでわかりやすいのです。
 

幽界だけでなく、生霊(いきりょう)のことにも興味のある方は知ってください。



あなたの側にいる人も当然エネルギーを放っています。



だから、恨まれるようなことをすると、すぐに還って来るのです。


『陰陽師』 岡野玲子作 安倍晴明 の物語です。
 

近くの公立図書館に置いてあったのにはびっくりしました。



  
    

   
  

2010年4月 9日 (金)

あなたが働く理由

  
  
日頃、不思議なことを書いていますが、私は目に見えない世界(幽界、霊界、神界、4次元から多次元)も大切だと思っていますが、目に見える世界、肉体界、現世ももちろん、大切だと思っているのです。


私たちは死んでからも働き続けます。


進化、し続けると言ってもいいかもしれません。


だからこの世で働くことにもすごく意味があると思うのです。


神さまは、無駄なことはわたしたちにはやらせないのです。


そんな進化もしない、私たちの魂になんの意味のないことなどさせるわけがないし、宇宙は一寸の一瞬の無駄がなく創られているのです。



わたしたちがしている仕事ももちろんそうなのです。



でもわたしたちは仕事に関して余計なことばかりを考えます。


「もっと自分にふさわしい仕事があるはずだ!」

「こんな仕事面白くない、辞めたい!」

「これから先この仕事をずっとやっていてよいのだろうか?」

「この仕事は将来性がない、だから適当にして他を探そう」

「ろくなやつがいない、もっと環境のよい職場はないのか?」

「この先、仕事が無くなるのではないか?」


色んなことを考えます。


私も以前は色んなことが頭を駆け巡っていました。


でも、あれこれといらないことをたくさん考えていたように思います。


考えることが悪いことではない!


でも自分がどういう姿勢で仕事をしているのか?


そこがすごく大切なことだとおもうのです。


日経新聞に “あなたが働く理由” という興味深いコラムがありました。


みなさんも考えてみてください。わーい(嬉しい顔)




 



『あなたが働く理由』


あなたにとって 「働く」 とは、どんな意味があるのだろう。


生活していく糧?


自分を成長させる手段?


それとも、社会に貢献する一つの方法だろうか?



ある 「3人の男の話」 を紹介しよう ━


中世ヨーロッパの町。


建設現場で働く3人の男がいた。


そこを通りかかった人が彼らに


「何をしているのか」 と尋ねた。


すると、一番目の男は


「レンガを積んでいる」 と言った


2番目の男は


「カネを稼いでいるのさ」 と答えた。


そして、最後の男はこう答えた。


「町の大聖堂をつくっているんだ!」・・・・・ と。


つまり、仕事を単調に繰り返す 


「作業」として捉えるか、収入を確保するための


「生業」か、


大きな目的の中で行う「使命」 として位置付けるのか。


働くとはいう行為は、動物にはない、人間特有のもの。


それを自分の人生の中でどう位置付け、どういう道を選び、どんな志で向き合うかによって、仕事に取り組む過程や結果は異なってくるだろう。


もし毎日ワクワクした気持ちや使命感を持って仕事に向き合えるなら、成長や新しい出会い、感動を自らにもたらし、人生の大部分の時間は有意義なものになるに違いない。


そして、時に魂が喜ぶ瞬間を、時に世界とつながる架け橋を与えてくれるだろう。


とはいえ、自分にとって意義のある「道」をどうやってみつけ、進んでいけばいいのか、悩み、迷うこともある。


そこで、社会の第一線で活躍する3人の職業人にインタビュー。


仕事観を語ってもらい、彼らがどのようにして仕事と出合い、どんな意義を感じながら働いているのかに迫ってみた。





 

と興味深い記事は続いているのですが、私はどんな仕事も変りはないと思うのです。


その人が仕事に対してどんな意識を持っているか?


「作業」 「生業」 「使命」


この3つの意識にみごとに人びとの意識は分れると思うのです。


仕事を 「作業」 と捉えている人は輝いていません。


「生業」として家族のためにだけ働いている人も疲れ果ててくすんでいるように見えるのです。


でも同じ仕事でも 「使命」 ミッションとして捉えている人はいつも輝いているのです。ぴかぴか(新しい)


大きな目標があるので気持ちがブレることがないのです。


余計なことを考えていないので仕事に集中出来るのです。


エネルギーが集まっているので万事がうまく行くのです。


仕事が面白くない時って


意識の問題だと思うのです。


辞めたいと思っているときは


「作業」をしています。


休みが早く来ないかな~と思っているときは


「生業」をしているのです。


しかし「使命」 として働いているときは


何の不満もストレスもないのです。


だから意識を変えればいいのだと思うのです。


自分の仕事の意味を大きくして、意義のあるものにするのです。


そしてなんのために今この仕事をしているのか?


その仕事に就いているのには必ず理由があるのです。



苦手を克服するため?


前世でやった積み残しを完成させるため?


魂を成長させるのに最適なため?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・


なぜ、この仕事なんだろう?


そして

「あッそうか、そうだったのか!」 わーい(嬉しい顔)電球


とわかったとき


仕事は使命(ミッション)に変わるのだと思うのです。




  
 

人間の誕生について 2 

  
   
  
だから夫婦関係というものは非常に大事なもので、善良な立派な子供を欲するならば、胎教や、生後の教育よりも、性交時の夫婦の心の持ち方が、さらに一層大事なのである。


この誕生については、夫婦それぞれの過去世からの因縁や、性交時の想念などを、守護神が、観じて、その児を宿らせるのである。


また、生まれ変わりの年限は、その霊魂の因縁によって違うが、近来、非常にその年限が短縮されて、死後二、三年や七、八年で生まれ変わる人がたくさんできている。


しかし、霊そのものが生まれ変わるのではなく、魂(幽界に蓄積された想念、普通霊魂と呼ばれている)が魄(すなわち肉体となる原子)を、寄せ集めて、肉体界に生まれ変わってくるのである。



そのすべての原動力は、その人のみ霊元(たまもと)、いわゆる直霊から来て、守護神が、その誕生を、指揮するのである。


であるから、Aという人間が、肉体界に生まれ変わりとして生活していながら、前生からつづいているAという霊魂の想念は、幽界にも生活しているのである。


いわゆる二重写しのようになっているのである。


もっといいかえると、想念は霊、幽、肉の三界を貫いて活動している、ということになり、その想念活動の力は、分霊から発しており、その元は直霊にあるのである。


しかし、こうした説明は実にむずかしく、ややこしいので、普通は霊魂の生まれ変わり、と簡単にいっているので、そうした説明だけで、納得されていてもよいのである。


ただし、この現界を、現世(うつしよ)というのは写世(うつしよ)、霊界から写し出されている、という意味の言葉であるのだ。






              
                   おしまい

 



    『神と人間』 人間の誕生について 五井昌久 



 



感想


五井先生が


しかし、こうした説明は実にむずかしく、ややこしいので、普通は霊魂の生まれ変わり、と簡単にいっているので、そうした説明だけで、納得されていてもよいのである。


と語っておられるように、霊魂のことを無理に理解することはないと思うのです。


私も霊魂に関しては、本当はよくわかっていないのです。


しかし以前、こんなことがありました。


私は夜中に市場で働いているのですが、何事もなくその日の仕事を終えました。


ところがW先生のレッスンを受けている時に


「あなたは昨日、仕事場で非常に働かれましたね!」


と言って頂いたのです。


それはどういうことかと申しますと


3次元の現世では何もしてなくても、幽界、霊界で何かをしていたのだそうです。


本人はもちろん何も覚えていませんし、実感もないのです。


しかし、私たちは肉体界だけでなく、幽界、霊界、そして神界にも同時に生きていることだけは覚えていてください。


そのうちきっと腑に落ちる時がやって来ると思います。


寝ているときは肉体界を離れて他界に行っているのです。


守護神によって記憶は消されていますが・・・・


私たちは知らないことがたくさんあるのです。


でも、知ろうとすればどんなこともわかるようになっています。


それには宇宙とつながることが必要なのです。


 


宇宙とつながる祈り言葉


 
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます




 

  

2010年4月 8日 (木)

人間の誕生について

  
 
  
神と人間の本には、質問コーナーがあって、五井先生がお答するようになっています。

私たちは、なんでも知っているような気がしていますが、ほとんどのことはわかっていないのです。


ただなんとなく生きていて、どこから生まれて来て、どこへ行くのかも知りません。


そんな親からも学校の先生からも聞けない大切な人間として基本的なことを知っておくべきだと私は思うのです。


では、みなさんと学んでいきましょう♪ わーい(嬉しい顔)





 

質問 人間の誕生について教えて下さい。




 



人間は死後、その人の過去の想念や行動によって、その霊魂の幽界における生活が決まり、その霊魂が種々の苦難や悲哀、あるいは喜びを味わいつつ、進化に役立つ行をするのであるが、これ以上は幽界における経験よりは、肉体界における経験のほうが、よりその霊魂の進化を促進させるに役立つと、その霊魂の教育に当っている先輩霊(高級霊)あるいは守護神が思った場合、肉体界誕生の待合場へその霊魂は移され、そこで肉体界誕生の日を待つのである。


この場合、よほど高級な霊魂以外は意識を眠らされているのである。


意識があっては、幽界の微妙な波動の世界から、肉体界の粗い波動の世界に転移することが、非常に苦痛であって、普通の霊魂では耐え得られぬからである。


もっとも高級な霊魂の中には、意識したまま、この苦痛を耐え忍び、母体にある程度住して、あるいは、赤児と誕生して直ちに、再び霊界に還って、自己の業因縁を、すっかり解脱してしまうものもある。


普通霊の霊魂は、待合場に移されて以来、幽界の記憶を喪失したまま、誕生し、また再び肉体の死まで、過去の記憶を失ったままでいるのである。


そうして幾度びか、死から誕生、誕生から死へを繰りかえしつつ、業因縁を解脱してゆくのである。


この誕生の霊魂は、過去世において、その父母の、どちらかに深い因縁(関係)を持つ霊魂で、血縁が多く、その想念の周波数が、類似してる。



そのためにその子は親にその姿形がよく似ているのである。


しかし時には、血縁でない場合もあるが、これとて、その想念の周波数が類似している霊魂であることには違いない。


周波数が類似していても、その霊魂の光の大きさや、浄まり方の違い、過去世からの経験の違いによって、親子でありながら、親とは雲泥万里の差のある大人物も生まれ、小人物もできあがるのである。


もっとも胎教や、誕生の教育の相違も、親子の差を違える力になっている。


ここで大事なことは、霊界の待合場には、多くの霊魂が、その誕生を待たされているのであり、その中にはA夫婦なら、A夫婦の関係霊魂も幾人かいるわけであって、肉体界のA夫婦の性交時の心の波動の高低や、想念の種類によって、その中の、その時のA夫婦の想念に一番適合する霊魂が、宿ってくるのである。


例えば、A夫婦が、高い浄らかな気持ちで、性交を営んでいる場合は、高い浄らかなる霊魂が宿り、争いの想念を持ちながらの営みの場合は荒々しい霊魂が宿るのである。


だから夫婦関係というものは非常に大事なもので、善良な立派な子供を欲するならば、胎教や、生後の教育よりも、性交時の夫婦の心の持ち方が、さらに一層大事なのである。


この誕生については、夫婦それぞれの過去世からの因縁や、性交時の想念などを、守護神が、観じて、その児を宿らせるのである。


              
                   つづく

 



    『神と人間』 人間の誕生について 五井昌久 





  


感想


五井先生のご本には、常に波動という言葉が出て来ます。


実はこの波動が私たちを創り、宇宙を創っているのです。


響きとでもいいましょうか、バイブレーション?


う先生は、波動のことをハーモニーウェービングモーションと言っておられます。


この波動を整えることが調和していくための秘訣なのです。


波動は共鳴します。


善い波動は善いものと悪い波動は悪いものと、素晴らしい波動は素晴らしいものと・・・・・


だから自分の心の波動を整えるということは、目にみえないものが整って行き(エネルギー)


そして形のあるものが整っていくことになるのです。


ですから赤ちゃんなどもそうなのです。


性交時の夫婦の波動が浄らかならば、いくつかの縁のある霊魂からそれにふさわしい霊魂が選ばれるわけですね。


そんなこと親は教えてくれませんよね。(笑)


産婦人科の先生は、ほとんどが妊娠してからのことだし


やっぱり事前に知っていて教えてくれる人が必要ですよね。



  

  


  
  

2010年4月 7日 (水)

過去の自分との訣別 2

  
   
すいません、過去の自分との訣別は、これから書いていこうと思っていたのですが、真理を実践、それもかなり勉強している人でなければわからない文章が多々ありますので、もう少し後に機会をみて、タイミングを見計らって、そのときに述べていきたいと思います。




               グッドムーン



   

2010年4月 6日 (火)

神と人間 (五井先生の祈念法 最終章 )

 
  
 
定まった一時刻(いっとき)の祈りよりも、常に常に心に抱いた想念のほうがよほど効果が

あるのである。


だから、いつも泣きごと、ひがみごとや、恨みごと、病気の不安などを想いつづけていた

ら、その想念の作用で、その人の運命は、いつも暗く不幸なものになってしまうのである。


想念は、運命に大きな作用を及ぼすことを忘れてはいけない。


“愛はすべてを癒すのである”


すべての不幸を打開するのは、愛の心が根柢にある行動である。


私の祈りは、愛の祈りである。


智慧は愛のうちに含まれていると私は思っている。


ただし、愛とは情ではないことを申し添えて置きたい。


情は愛から生まれたもので、愛情と一つに呼ばれているように、愛とは切っても切れぬ関

係がある。


そのため、仏教では、愛さえも業(ごう)と呼んでいて、迷いの本体である、と説いている。


そして神の愛を慈悲と呼んでいる。


私が今まで愛と書いてきたのは、情(執着)ではなくて、英語でいうCharity(チャリティー、

大慈悲心)のことである。


しかし、愛は善で、情は悪である、と簡単に割り切ってもらっては困る。


この現世では光に影が伴うように、愛には情がつきまとうのである。


切りがたい情を涙を呑んで断ち切ってゆくところに、人間の美しさがあり、愛の輝きがます

のである。


情を簡単に切れることが、その人の冷酷性の現れであったりしたら、情に捉われやすい人

よりなお悪いことになる。


愛深い人が情に溺れぬように自重してゆく姿には、美があるもので、そうした人の動きの

中に、神のこの現象界における生き方が示されているものと思われる。


私の祈りは、自分が相手と一体になって、相手を抱いたまま、神の世界に昇ってゆこうとす

る祈りである。


祈りとは、まず自分の心を空っぽにすることである。


それまでの自分をひとまず捨てて、神だけを自分の心に住まわせることである。


願いごとは、すべて後まわしにすることである。


神だけを自己に住まわせれば、その人に必要な願いごとは、すべて叶うのである。


小我の祈りは、その人をますます小さくするだけで、なんの得にもなりはしない。


ただ、神だけを想うことである。


愛だけを行ずることである。


愛は、時には峻厳を極める場合がある。


しかし冷酷とは全然異なるものである。


愛は全体を生かすとともに、そのもの、そのことをも、真に生かすために峻厳さを示すもの

であり、冷酷とは、自己や自己の周囲の利益のために、すべてを殺すものである。


愛の峻厳であるか、冷酷性からくる厳しさであるか、自己を省み、他を参考にしてよく自己

の道しるべとしなければならぬ。


愛の峻厳を装った冷酷、愛ともまごう情意(執着)、この二つの心を超えるためにこそ、人

は神に祈り、神と一体にならねばならぬ。


私はそうした人間の深い問題を、根柢から知らせる役目を神から受け持たされているもの

と信じて、毎日、空即実相の祈りを、多くの人びとともに祈りつづけているのである。


 
                  おしまい

 


 

『神と人間』 私の祈念法 五井昌久 白光出版







 

感想




神とは愛である。


私はここで


か~あ

み~い


とほんとにくどいほど書いてきました。(笑)



みなさんも


「また、グッドムーンの神は愛が始まった」 と苦笑いされているのではないかと思います。



でも、私たちはなんのために生まれてきたか?



それは愛を学ぶためだと思うのです。


愛にも色んな愛があります。


自分勝手な愛(執着の愛)、情の絡んだ愛、見返りを期待しない愛、与えるだけの愛、情を

絡めない峻厳な愛、それさえも超越したもっともっと深い愛・・・・・・。

 

宇宙が無限にあるように、愛の深さも無限にあるのです。



一つの愛を完成させたと思ったら、また次には違う愛がやってくる。



私たちはそうやって無限次元に進化向上して行くのです。


だから人間は素晴らしいのです。




 


 


  

 
 
  
補足


「人間は無限次元に進化向上して行くのです


だから素晴らしいのです」


この言葉は私が尊敬してやまない私のメンターであるW先生のお言葉でした。

私の心にずっと残っていて最後の最後にこのお言葉が出て来たことにびっくりしています。


心にズシンと響く、素晴らしい言霊だと思います。



 

  

  

2010年4月 5日 (月)

過去の自分との訣別 1

  
  
前の日記で自己肯定感を書いたのは実はこれから抜粋する文章を読んでいただきたかったからです。

これから厳しい時代に入っていきます。


それは本物の時代になるということです。

本物が顕われるにはにせものが消えてゆく過程(プロセス)があるのです。

でも素晴らしい時代がやって来るのに、消えてゆくプロセスが辛かったり、苦しかったりすると気持ちが萎えてしますのです。


ゴールが輝いたものであると知っていたら途中は頑張ることが出来るのです。


赤ちゃんが産まれることがわかっていたらお腹の痛さは我慢出来るのと同じなのです。












悩みとは、自分で解決するもの


今、多くの人が悩みを抱えています。

悩みの内容は人によってさまざまですが、その多くは自己否定によるものです。

例えば、私はダメなのではないか。

誰からも愛されていないのではないか。

両親にとって要らない子だったのではないか。

同僚から馬鹿にされているのではないか。

生きる価値がないのではないか。


そうした悩みを抱え込み、その答を知るために、多くの人が占いや専門家の元を訪れます。


しかし、悩みは本来、自分自身が解決しなければならないことなのです。


解決を他に委ねてしまうのではなく、自分自身で答を見出すべきなのであります。


なぜ私がこのような厳しいことを必死になって説くかというと、みな素晴らしいものを持っているからです。


持っているにもかかわらず、そのことを誰にも教えてもらえず、安易に専門家に頼る道を選択させられてしまうからです。


真理とはシンプルなものです。


すべては自分自身の想い以外にないのです。

悩みをつくったのも自分であれば、その悩みを解決できるのも自分です。

そして、この法話のどの部分を掴み、どの部分を自分のものにしてゆくかも、すべては自分自身、あなた自身にかかっています。





      つづく


  

      西園寺昌美  白光誌より





  

自己肯定感

  
  
今日、テレビを観ていたら、ハローワークの雇用問題を取り上げていました。

そこで、面接の極意を言っていたのですが、そのアドバイザーの人が

「今の人は自信を失っている、俺なんかどうせダメなんだ」というマイナスから始まっている。

「まずは自分を否定しないところから、一旦ゼロに戻してから雇用に臨んでほしい」

・・・・と


ほんとに今生きている人は大変だと思います。


会社は倒産する、年齢は重ねていく、仕事をしたくても雇用が少ない

会社に居てもいつリストラされるかわからない

リストラさせるために嫌がらせもあると思います。


こんな戦々恐々とした中で毎日を過ごしているのです、ナーバスにならない方がどうかしている。

躁鬱病は、誰もが持っているものだと思うのです。


そんな大変な中でどうしていったらいいか?


それは・・・・


どんな状況になっても

相手にどんなひどい事を言われても

「おまえはクビだ!」 と言われても


家族から

「明日からどうするんだ!」

と責められても


それでも自分を否定することだけはしてはいけないのです。


今までちゃんと生きてきただけで凄いことです。

ちゃんと生きていなかったとしても肉体を持ってここに存在しているだけでも尊いことなのです。


あなたという存在がなかったら地球も存在しないのです。


なぜならあなたの存在は地球よりも大きくて太陽系一つくらいの大きさがあるのです。(目に見えない霊的な意味で)


肉体のこの身体だけが自分ではないのです。


意識を宇宙に向けると人間は宇宙大に拡がっていきます。


意識を宇宙に向ければ、可能性は無限大に拡がってどこまでも大きくなって行くのです。(自由自在心になって何でも出来るのです)


だから自己限定をしないでください。


「自分はダメなんだ、ちっぽけなものなんだ」


なんて露ほども思わないでください。



もうすぐ自分が何者かがわかる時代がやって来ます。


そのときまで、誰がなんと言おうと


どんなに絶望的な状況に立たされようと


最後には絶対に大丈夫になるのです。(土壇場にならないと状況は変りません)


それには最後まで自分を信じることです。


人の言うことを信じずに自分の神性を信じてください。


自分を救えるのは自分しかいません。


それには自分は何者であるか?


を識ることが大切なのです。




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)


我即神也




  

2010年4月 4日 (日)

神と人間 (五井先生の祈念法 6 )

  
          
  
真摯な愛の祈りと、無邪気な明るさ、運命を信ずる楽天、こうした要素が、神に通ずる心で

あり、いかに祈っても、邪気ある心、暗い心、不安の念(おも)いなどがあっては、神の心に

触れることはできない。



不安の心多き人、暗い心の人たちは、常に天を仰ぐことを実行するがよい。


天からはいつも、陽気が降ってくる。


たとえ雨や曇りの日であっても、天に心をむけることが大事である。


天に心をむけると、いつの間にか、心が軽く明るくなるものである。



そして次のように祈るとよい。



“神様、どうぞ私の心に愛を充実せしめ給え、どうぞ愛深い私にならしめ給え”  と。



その祈りを毎日かかさずつづけていることは、細かい種々な願いごとをする神詣、仏参り

より、はるかに、はるかに、その人を高い境地に導いてくれるものである。



立っていても、坐っていても、歩いていても、寝ていても、そんな形のことはどうでもよい。



ただひたすら、愛深い自分になることを祈りつづければよいのである。



定まった一時刻(いっとき)の祈りよりも、常に常に心に抱いた想念のほうがよほど効果が

あるのである。








                 つづく

 




   『神と人間』 私の祈念法 五井昌久 白光出版







 
 

感想



私が以前、ノルマなどが非常に厳しい数字に追いかけられる仕事に就いていて、疲れ果て

ていた頃の思い出があります。


私は重たい荷物をしょっているように気持ちが落ち込んでいました。


そんなとき


「元気になるにはどうしたらいいんでしょうね?」


とある人に質問したのです。


その人は、満面に微笑みを浮かべて


「空を見たらいいんですよ」


とおっしゃったのです。


私はその人の無邪気さにわけもなく感動したのです。


そしてそれは真理を語っていたのです。


空の上は晴れています。


どんなに雨が降っていても、雲が重くのしかかっていても


その上はいつも晴れているのです。晴れ


私たちはその上を見ようとせず


暗い雲や雨だけを見ているのです。


宇宙からは絶えずプラスの波動が降りて来ています。


調和された、平和で、愛に溢れた宇宙の波動が降りて来ているのです。


宇宙に目を向けるとその波動が伝わって来るのがわかるのです。


素晴らしいとは、宇宙(素)が晴れているという意味です。


宇宙(そら)には、暗いものや悲しいもの辛いものはないのです。


でも、私たちは目の前に現われた幻を見てしまっている。


だから、これからは上を向いてください。


空を見上げてください。


それだけでも元気が出て来ます。


それが宇宙法則に乗る方法なのです。




  
 

2010年4月 3日 (土)

食べなくても大丈夫になる

  
  
  
私は、人間の食生活と関係のある市場関係の会社で働いています。(今まで言っていませんでしたが)


その市場では、驚くほど、出荷の量が減って来ているのです。


人口や若い人が減少している。


スーパーなどが潰れている。


そんなことも関係していますが


私は、あまり食べなくても大丈夫なように変って来ていると思うのです。


肉体人間のエネルギー源は、食べ物です。


食べた物をエネルギーに変えているのです。


物質エネルギーが今までの人間を生かしていた。


でも、本来の人間は食べなくても生きて行けるのです。


頭のてっぺんを百会(ひゃくえ)といいます。


手で触ると柔らかところです。


ここから宇宙のエネルギーが入って来るのです。


樹を見てください。


天に向かって真っ直ぐに伸びています。


天からの宇宙からの無限のエネルギーを受けて、そのエネルギーは幹を通り、枝葉に流れ、地面を這う根を通り、次には地球の中心に向かって流れて行くのです。


人間もまったく同じなのです。


百会に入ったエネルギーは60兆の細胞に行き渡り、そして同じように地球の中心へと流れて行くのです。


もう少し詳しく書くと樹は天からのエネルギーを上から授かり、地面からも土のエネルギーを受け取っています。


人間も宇宙からのエネルギーは同じなのですが、地球の中心からもエネルギーを得ているのです。


みなさんは地球の中心にはただマグマがあるだけだと思っておられるでしょうけど、実な地底人が住んでいるのです。(参考図書 超シャンバラ)


そこには地底人だけでなく地球霊王様がおられるのです。(人間は勝手に生きているのではない生かされていることがわかります)


だから人間は上と下からも同時にエネルギーを受けているのです。


王という字は 天は上の一 地は下の一 そして自分が真ん中の一を現わしており、エネルギーが天地を貫いているという意味なのです。


難しくなって来ましたか?(笑)


話を元に戻して


実はこの天からと地からのエネルギーが強くなって(正確に言うと強いだけでなく細かくなっている)のです。


そして百会も開いて来ているのです。


この百会のことをチャクラとも言います。


だから霊要素がたくさん私たちの器(体)に入って来ているのです。


水さえあれば、何日でも平気でいられる。


人間は本来そのような存在だったのです。


でもチャクラが閉じていき、肉体人間として生きているうちに食べ物から主にエネルギーを採るようになったのです。


それがこれからは昔に戻るということなんですね。


だから不況というのは、食べ物が流通しなくなることでもあるのです。


物欲がなくなり、食欲が少なくなるとお金が流通する必要もなくなるのです。


お金が無くなる、いらなくなるというということには


このようなプロセスがあるのです。




  


 

神と人間 (五井先生の祈念法 5 )

  
  
  
いかに達者な弁で真理の道を説いても、心に愛の薄い人は、その姿に光が薄いし、何も

説けずに、ただ黙ってその不幸な人の開運を祈っていても、愛の深い人の姿は、光輝いて

見えるのである。



愛は光であり、光は即ち神である。


真の行いは神の行いである。


愛の黙想は光そのものである。


愛に充ちた真理の言葉は神の言葉である。


あの人を善くしてあげたい、と思ったら、まず自分が光にならなければならない。


光になるとは、愛そのものになることである。


それは自分の立場がよくなるとかいう不純な心があってはいけない。


真に善くしたい、という、純粋な愛の心でなければならぬ。


その場合、純粋な愛は自己の想念停止(無我)と同じであるから、本源の光がその人を通

して、相手に流れ入るのである。


愛の純粋さの程度に従って、光の強さが違ってくる。


病気などの場合、なおしてやるんだ、という力みや、不安動揺の心は、光を乱し、弱める。


よく、霊治療家や、霊覚者になりたい、といって、修行する人があるが、私はそれに反対す

る。


そうした特別な力を得たい、と思う心は、神の心に遠いからである。


何故ならば、神はすでに、その人、その人に対して、天命を授けているのであって、正しい

霊能者や、霊覚者になる者は、自然にそうなるような方向に、守護神が導いてゆき、その

人に必要な修行を現象の心の否応なしにさせられてしまうのである。


私は音楽家で世に立とうと思って、音楽を勉強した者であるが、いつの間にか、種々と哲

学や宗教や、心霊学の道にひき入れられてしまい、ついに種々な修行をさせられて、現在

のような人生指導者になってしまったのである。


その間、私は友人の誰よりもよけいに勉強したわけでもなく、特別な能力が欲しいと願った

こともない。


ただ、常に、常に、神に祈っていたことは確かである。



その祈りは ━


“神様、どうぞ、社会人類のために、私のいのちをおつかい下さい。私に授けられた私の使

命を一日も早くなさしめ給え”



という意味のもので、この祈りは常に、私の心を離れることはなかった。


霊能を得たい、ということは 我 である。


特別な力を得たい、という心も 我 である。


そうした我の祈りや願いは、低い霊魂に感応しやすい。


その祈りが通って、霊能者になったとしても、その人が、そうした我の心を捨てない以上

は、その人の運命は最後に行き詰ってくるであろうし、その人の力では、真に救われる人

は出てこない、と私は思っている。


真摯な愛の祈りと、無邪気な明るさ、運命を信ずる楽天、こうした要素が、神に通ずる心で

あり、いかに祈っても、邪気ある心、暗い心、不安の念(おも)いなどがあっては、神の心に

触れることはできない。




             つづく
 




   『神と人間』 私の祈念法 五井昌久 白光出版







 
 

感想


ここではもう何もいうことがありません。

五井先生の文章は、ひっかかることなく、スーッと心に沁みてゆくのです。

あえていうならば、ほとんどの人は 我 があることがさも善いことのように思っているので

す。


我 が強くなければ生きて行けない!

厳しい世の中を生きて行けない!

自分というものを強く主張するくらいでないと人に負けてしまう!


そして唾を飛ばして相手をなじり、個性豊かな人の方が頼もしく思えてそんな人を選挙で

選んだり、トップに立つ人に推薦したりする。


そしてイザ、そんな人が選ばれると好き放題、我儘放題して


「そんなはずではなかった」


と悔やむのです。


我が強いというのは、肉体人間の自分の力だけでなんとかなると思っているのです。

それは傲慢であり、驕りです。


ついこの間のう先生のレッスンで諭されたことがあります。
 






何事も自分がやるのではない


力んでいる


結果を求め過ぎている


もっと謙虚に


統一をして(神さまと一体となって)


守護霊、守護神の中に入りなさい




 


 

  

  

 
  
  

2010年4月 2日 (金)

神と人間 (五井先生の祈念法 4 )

  
  
  
どこまで悩んでも、いかに苦しんでも、救われぬのが人間である、という迷妄を覚させるた

めに、私は働いているのである。


であるから、ただたんに “おまえの運命はかくかくしかじかだから” と、その人の運命の

悪さを指摘したり、“おまえの心が悪いから、おまえの病気や不幸はなおらない” というよ

うな指導のしかたはしないのである。


ただひたすら、その人の運命の好転を祈る愛念だけで、人に対しているのである。


人の名前を聞いても、その人と対座しても、私の心には、その人の性格や運命が、鏡のよ

うに写ってくる。


何故写ってくるかというと、私の心に私自身の想念がないから(私自身が空だから)相手の

運命(潜在意識に録音されてある)がそのまま私の空の心に入ってくるのである。


しかし、私は、その事柄をそのまま、その人に告げることはしない。


そのまま告げても、その人を傷つけず、かえって勇気づける場合は別であるが、大体は勇

気づけるような内容だけを話して、少しずつその人の誤れる習慣の心、いわゆる、悪想念

の癖を善い想念に変えるように指導してゆく。


その間、勿論、私の祈念法をもって、祈念してやることは、いう迄もない。


いかに達者な弁で真理の道を説いても、心に愛の薄い人は、その姿に光が薄いし、何も

説けずに、ただ黙ってその不幸な人の開運を祈っていても、愛の深い人の姿は、光輝いて

見えるのである。



愛は光であり、光は即ち神である。ぴかぴか(新しい)




             つづく
 




   『神と人間』 私の祈念法 五井昌久 白光出版






 
 


感想


いかに達者な弁で真理の道を説いても、心に愛の薄い人は、その姿に光が薄いし、何も

説けずに、ただ黙ってその不幸な人の開運を祈っていても、愛の深い人の姿は、光輝いて

見えるのである。



愛は光であり、光は即ち神である。
ぴかぴか(新しい)



ここの文章を読んだだけで、五井先生というお方がどれだけ愛深く、人間の幸せだけを考

えていらっしゃったかがわかります。


普通、相手のことがわかるようになったり、その人の未来のことが見えたりすると自分の凄

さを誇示するために得々としゃべったりしたいものです。

でも五井先生はそんな3次元的なこと、自分の感情を喜ばすことなどは一切思ってもみら

れない。


そうでなければ真の人生指導等は出来ないのです。


私もちょっとでもそのような調子に乗ったところが出ると、う先生から強いお叱りを受けるの

です。


それがレッスンにおける、波動調整なのです。


みなさんも神と人間を読んでおられて書いてあることはよくわからない。


でも、心が何かしらホッコリして来る


と感じておられたらそれが良い波動ということです。


五井先生の文章は宇宙(神)からのプラスのエネルギーをそのまま降ろしておられるので

す。




   
 

自分を変えるにはどうしたらいいか?

    
  
自分を変えるにはどうしたらいいですか?

というご質問を受けたのでお答えします。


 




人間として生まれて来たということは、誰しも、どんなに立派だと言われている人でも必ず未熟なところがあるのです。

前の日記にも書いたように人間というのは人(霊止)と動物が玉石混交している存在なのです。

つまり完全性(神)と不完全(動物性)が入り混じっているのです。

そんな未熟な存在ですが、意識を宇宙(神)に合わせると神意識になっていくのです。

それが宇宙と波長を合わせることであり、お釈迦様のおっしゃった空になることです。

しかし人間は宇宙に意識を合わそうとせず、自分で頑張って完全、完璧になろうとするのです。(今のあなたのように・・・)

「愛深い人間になりたい!」

「怠惰でない真面目で勤勉な人になりたい!」

「誰もを愛せるようになりたい!」

「やさしい人になりたい!」

「人から慕われるようになりたい!」



至らないところを探して今までと違う人格になろうとするのです。


しかし、意識が肉体意識のままではなかなか変らないのです。


と言いますのは、現在の状況、今の自分の性格的なもの、癖などは今自分が作り上げたものではなく、過去世からの想念(思っていたこと)行為(してきたこと)の結果なのです。


つまり潜在意識の中に溜まっている。

それが録音されていて、今再生されて出てきているのです。

ストップを押しても録音を消そうとしても変るものではないのです。

これを輪廻転生といいます。

だから人間は肉体に意識があったままでは、過去世からの同じことを繰り返すだけで何にも変ることが出来ないのです。


それを変えようとしたら肉体から意識を外して、宇宙の意識にならなければならないのです。


肉体意識、感情を超えなければいたらない自分のままです。


お釈迦さまは座禅観法して 空になれ! とおっしゃいました。


今こそ私たちは 空になって宇宙の法則に乗るのです。

私たちは宇宙人(神)なのに、宇宙の法則から外れていたのです。

まず、ここをしっかり理解してください。

そして

「自分は宇宙の法則に乗るんだ!」 と宣言してください。

すると覚悟が決まるので、お祈りをするのも、印を組むことにもしっかりとした目的意識が出て来るのです。


自分を変えるのは頑張って、我を張って変えるものではないのです。

本来の自分、本当の自分は素晴らしいのだから

その素晴らしい自分を天(宇宙から)降ろしてくればいいのです。

自分が上がっていくのではなく

天から降りて来てもらうのです。

その方がずっと簡単なのです。わーい(嬉しい顔)

そのためにはどうしたらいいか?

天と波長を合わすだけでいいのです。

ただ少しだけ祈って合わすのではあまり効果はないのです。(祈らないよりは比べ物にならないくらい素晴らしいことなのですが、現われるまではいかない、それは自分のものになっていないから)

自分の考え(マイナスの想い)やいつもの癖でマイナスを掴んでしまっている習慣を祈り中心に変えて行くのです。


それが自分を変えるということなのです。

頭でいくら変えようとしても変るものではないのです。

潜在意識、想いの癖を超えるには、宇宙と共鳴することしかないのです。

世界平和の祈りを祈り続けると自分の想いはすべて宇宙に行きます。

そしてマイナスのエネルギーがプラスになって返って来るのです。

すると自分は昔の自分とは違っているのです。

違っているのではなく、本当の自分が現われただけなのです。

いつの間にか、神さまのように愛に溢れた人になっている。

怠惰でない、完全な人になっている。

それは自分が頑張って、努力でそうなったのではない。

神である自分がそうさせたのです。

神性が顕われたのです。


ちょっと難しいですか?

でも何回も読んで理解してくださいね。



  


2010年4月 1日 (木)

お金が無くなる日

  
  
  
近未来にお金が無くなると書いてから、どういうプロセスを経てそうなるのか? という質問を受けました。

その方は、潜在的には無くなることはわかっておられるのです。


でもそれまでの経緯がイメージ出来ないのです。


そこで私なりのシナリオを書いてみたいと思います。


まず、今地球に降り注いでいるエネルギーが宇宙の波動になって来ています。


宇宙飛行士の人が地球の波動圏を出て宇宙に行くと、宇宙意識(神意識)に変わったりする。


地球に戻って来てから、穏やかになった、ボランティアをするようになった等はそのよい例だと思います。


だから人間は、段々と神に近づいているのです。


人間というのは、神さまと動物の間という意味です。 (人とは霊が止まるという意味であり、霊とはすなわち神のことなのです)


動物というのは、変な意味ではなく神が創った創造物なので神意識は宿っていないのです。

感情で生きているという意味です。(犬は違いますが)

だから精神が動物に近い人は感情的であったり、我が強く自分中心でものを考えている。

だから地球がおかしくなっていたのです。

しかしアセンションに向けて宇宙からの波動が地球の波動圏を抜けて降りて来るようになってから、地球人の意識が変り始めたのです。


まず、欲が無くなったり少なくなってきました。


欲といえば、金銭欲、食欲、独占欲、物欲、性欲などです。


ハーモニー(気功仲間のこと)の人たちと話していると近未来のことがわかるようになります。


「昔は、甘い物が好きで満足するまで食べていたのに最近は欲しくなくなった」

「お金に対する執着が無くなった」

「欲しい服や物が無くなった」

みなさんにも同じような体験があると思います。


そして最近は、草食系男子とか言われて性欲が無くなった?若い男性が増えているのです。


お金というのは感情です。

実は勘定のことなのです。

お金は欲や感情を充たすためにあったのです。


欲を充たすにはお金という媒介するものが必要であった。


食欲、物欲、性欲を充たすにはお金が必要だったのです。


しかしそれが徐々に少なくなって来ている。


それは心が穏やかになって来ているのです。


でもまだたくさんの人はそうではない!げっそり


確かにそうですね!


実はその人たちにとっては試練の時なのです。


心の中がお金のことで一杯の人


欲の塊(かたまり)のような人は宇宙から来るエネルギーに合わないのです。

波長が違うのです。


これから本当の世界が現われて来るまでに、消えてゆく姿があります。


欲が消えてゆこうとするときに最後に見せる世界です。


欲(感情)が消えるとお金(勘定)がいらなくなります。


それからは物々交換の時代がやって来るそうです。



自分の持っているものを欲しがっている人がいたら

差し上げる

するとその人はお礼にその人の持っているものを差しだす。


昔、近所同士ではそんな光景がありました。


お醤油を切らしたからお隣で借りる。


そのお礼に田舎から送ってきた野菜をおすそ分けする。


古き良き時代でしたよね。わーい(嬉しい顔)


なにか最初に書こうとしていたことと違うことを書いてしまいました。わーい(嬉しい顔)


また少しずつ書いていきます。




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)


  

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