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2010年3月28日 (日)

 神と人間 (五井先生の祈念法)

  
  
「神と人間」の本の感想はもう終わりにしようかとも思ったのですが、

「本当に人を救うとはどういうことか?」

「人を浄めるとはどういうことか?」

「人の運命を善くするとはどういうことか?」

「その人の魂にとって大切なこととはどういうことか?」

をもっと知ってもらいたいと思い

また、書くことにしました。


ある霊能家の人や念力を信じている人は

「病気を治します」 とか

「遠隔で気を送ります」 とか

言いますが

病気を治すのは、あくまでもお医者さんの仕事です。(正確には自分自身ですが)

それを簡単に

「医者なんかに何が出来るものか、俺の念力でそんなものは治せるのだ!」

と言っている人がいます。

でも、そんなときに自分の身うちが病気になると、慌ててお医者様に頼るのです。

つまり自分のやっている念力が本物ではないとわかっているのです。


そして必ず言うのです。

「あの医者は頼りない」

「あんな医者はダメだ」





人を救うってそんな簡単なものではないですし

五井先生は自分という我を無くして 空 になって相手に対しているのです。

う先生も命懸けで病気を治したり、人を救ったり、私たちのレッスンをしてくださっています。

五井先生とう先生には共通のところがあります。

それはご自分がという我が無いのです。

自分がよく思われたい

自分がよい思いをしたい

自分が良い生活をしたい

普通人が持つあらゆる欲望がまったくないのです。

ないから宇宙とつながり、神とつながって

その神通力を得ることが出来るのです。

「神通力が欲しい」

「人によく思われたい」

「感謝されたい」

という欲望が少しでもあったなら

それは神へは通じないのです。

そこまで行って初めて

神から認められ

無限なるエネルギーが降りて来るのです。ぴかぴか(新しい)

だからそこまで意識が行っていない人が簡単に

「私は人を救います」

なんて

軽々しく言ってはいけないのです。


話が長くなりましたが五井先生がどのように祈祷して人を救われていたか?を神と人間の

「私の祈念法」から抜粋していきたいと思います。


五井先生の姿は未来の私たちの意識(宇宙意識)を示すものであり、アセンションとは何

か? お釈迦様のいう 空 とは何か?を知るヒントになります。


そのつもりで読んでください。



 


私の祈念法


私は現在、毎日多数の人びとの相談に応じて、寧日(ねいじつ)ない有様であるが、ほとん

ど疲れが残ることはない。
 

業因の深い人と対座する瞬間、相手の業因が、電波の如く、私の肉体身に感応いしてくる

のだが、それもほんの瞬間に消えて、疲れがそのまま残っているようなことはすくない。
 

私の肉体の頭脳は常に 空 なのである。
 

私は肉体の頭脳でものを考え出すことはない。
 

必要に応じて必要を充たす智慧が、私の本体から自然と肉体に伝わってくるのである。

 
私は霊媒ではないから、霊動したり、霊言したりはしない。


普通の肉体人間となんら変わらぬ平々凡々たる人間に見えるし、常識を一歩も越えぬ生

活をし、行動をしている。
 

しかし、根本的にはまるで違っている。
 

それは私の本体が光であることを体験として知っていることであり、私の言動が、すべて神

(本体)から直接に支配されていることをはっきり認識しているからである。
 

普通、人間は、常になんらかの想念が頭脳を駆け巡っているのだが、私の肉体頭脳を駆

け巡る想念は何もない。
 

私はかつて、一切の想念を断絶する練習を私の守護神から強制的にやらされたのであ

る。


それは、普通の座禅や、精神統一の類ではなく、二十四時間ぶっつづけの練習なのであ

る。(このことについては、自叙伝“天と地をつなぐ者” を参照されたい)苦しいといえば、

これほど苦しいことはない。


ものを想わぬこと、念を停止すること、即ち、空になる練習なのである。

寝ても起きても、歩行していても、全時間、すべてこの練習なのである。

この期間約三ヶ月、自我を全部滅却して、神我に変えたのである。


霊媒ならば、肉体を、その支配霊に他動的に委ねて、自己の我はねむっていればよいの

だが、私の場合は、自己意志で、自己の我を消滅し去ろうとするのである。


いいかえれば、因縁の流動を超えて、自由自在心になるために練習なのである。


原因結果、原因結果と果てしなく輪廻する業因を超えるためには、その業因をつかんでし

まってはいけない。


いかなる業因縁が果として現われようとも、果として現われれば、その因縁はそのまま消

えるのだから、消えてゆくという念と、これで善くなる、という善念だけ出せば、運命はその

時、新しい善因を記録する。


そうした方法を根よくつづけて行けば、その人の潜在意識は、しだいに善因縁に変化して

ゆき、顕在意識の善なる想念と正しく交流して、その人の運命は好転する。


私は人びとに、そのような方法を教え、練習させながら、私自体は、私の想念をすっかり停

止して、相手の業因縁を、私自体の生命(心)の中に吸い込んでゆく黙想をする。


これは苦しい想念停止の練習によって、到達し得た空即実相の黙想なのである。


                       
                         
                     つづく




      『神と人間』より私の祈念法 五井昌久 白光出版








感想

これまでに神と人間とその感想を読んでくださっていた方にはなんとなく祈念法とは何か?

 がわかっていただけたのでは?と思っております。


わからなくても人を救うには常人には理解出来ないほど自分を滅していかないと出来ない

ことなんだと感じてもらえたのではと思っております。

「こんな凄いこと普通の人には出来ないよ」

と思いますよね。

実は五井先生のように空になるために想念停止を自己の意思でしなくとも勝手にそうなる

のが未来の私たちの姿なのです。

勝手になるといってもある程度の意識の高さと宇宙(神、本心)と波長を合わせることは必

要なのですが

そうなると人と人とは心で通じ合い、口から発する言葉はいらなくなるのです。

向かい合っただけで相手が何を考え、何を想っているかがわかるようになるのです。

そのときまでに私たちは自己の想念を綺麗にしておくことが大切なのです。


その想念を綺麗にする方法が五井先生が提唱されている


世界平和の祈りです。

自分の想念をすべて祈りの中に入れてしまえば

その想念は宇宙に行って

浄化されて自分に返って来るのです。

よって運命が善くなってゆくのです。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  


    

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