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2010年3月22日 (月)

誰も自分の限界など知ってはいない

  
  
五井先生のご著書には、感銘することがたくさん書いてあるのです、それは他の本にはない真実が書かれているからです。

なぜ、スッキリしないのか?

なぜ、ストンと腑におちることが少ないのか?

は真実が語られていないからなのです。

ほとんどの本は真実が何なのかわからずに憶測や自分の浅い経験だけで適当に書いてあるだけなので読んでいる方は消化不良を起こすのです。


そして誰も自分の限界、本当の力はどこから出て来るのかもわからない。


真実がわかっていないからです。



ここに五井先生のご著書の中から『大決意』の文章の一部を抜粋します。


みなさんも自分の限界とは何なのか?


自分の限界を決めてしまっていなかったか?


考えてみてくださいね。わーい(嬉しい顔)





 



  

誰も自分の限界など知ってはいない━「大決意」より




 
自分の限界が来た
 

と世間ではいうけれど
 

本当は
 

自分の限界なんて誰も知らないのです


肉体の方の自分で


自分の限界とか 自分の力とか  いかにも知っている


ように思うけれども



実は


誰も自分の肉体の力というものを知らないのです


本当をいえば


あなたや彼として備わった力の



何分の一 何十分の一しか出していない


という程度であって


自分の力を全部出している人は殆どいないのです


限界というものは それこそ


守護霊  守護神のほうで知っているんであって


肉体の自分の方では


自分の限界を知らないのです


ただ、自分で想像して


自分はこれだけしか力がないんだ とか


自分はこれだけしか智慧がない


自分は頭が悪いとか


自分は度胸がない とか


といって勝手に自分が決めているだけなんです


その決めているものは何かというと


過去世からの習慣の想い いわゆる業(ごう)というんです


習慣の想いが勝手に決めているんであって


想いの習慣を変えさえすれば


生まれ変わったように違った人間になるのです


私などそうですよ


私は宗教家になり


祈りによる世界平和運動しようなんて


思ってもいなかった


少年の頃   何なろうと思ったかというと


学校の先生  音楽家  小説家


この三つを思っていました


青年になってからは


社会事業家になろうと思ったのです


自分の好むと好まざるとにかかわらず


いつの間にか


新しい宗教を始めるような


かたちにならされてしまったのです


音楽の勉強もしました


文学の勉強もしました


人もおだててくれるから


文学者か音楽家かどちらかと心に決めていました


しかし思ってもいなかった宗教家になったけれど


今まで勉強して来たことは役立ちました


声楽をやったから 声が鍛えられているから


いくらしゃべっても疲れない


ものを書く練習をしたから


原稿を書くのは苦にならない


一日に三十枚ぐらい楽に書ける



文章を書くのも しゃべるのも


本当の宗教をみんなに知らせる


世界を平和にするための一つの手段ですね


それは本業ではなかった


なかったけれど小さい時からやっていたことが


本業の助けをするように


天命を助けるようになって来たわけです


皆さんが日頃からやっていることは


自分で好き嫌いでやっているかもしれない


好きでやっている人もあるし


嫌いでやっている人もある


しかしそれは必ず


その人のいのちの成長のため


本心を開くために


必要なことをやらされているのです


どんな嫌いなことをやらされていても


それは必ず必要なこと


いやであれば


こういうことはいけないな


こんなものは無いほうがいいんだな


ということがわかるからそれもいいわけです


いのちの経験のために


いのちが本当に生き生きと生きるために


永遠の生命を得るために


いいことも いやなことも いろいろやらされている


だから


瞬間 瞬間の事柄をいやがってはいけません


どんなつまらないことが来ても


どんなつまらない役割りになっても


ああ、これも私がやらなければならないことなんだ


やりましょう! といって


それを甘受してやってゆく


好きなことをやらせてくれる時はそれも有難い


学校を出て社会に入る時は


とても希望を持っているわけです


ところが入ってみると


案外会社というところはつまらなかったりする場合があるんです


自分の気にそまないことがある


するといやになっちゃう


ところが誰も彼もやっぱりいやなことをたくさんやって来て


いやなことが九十九あって一つのいいことがあれば


それが玉のように輝くわけです


一つのいいことをやることが


楽しくて 嬉しくて 命をかけてやれる


それに熱意をこめてやれるわけですよ


あらゆるいやなことがあっても


一つのいいことがあれば


それは支えになります


そのいいことを一生懸命にやって


会社で働く人は会社で働く


家庭の主婦は主婦として


子供や夫のために尽していればよい


人間には必ず何かしら与えれているのです


その与えられた一つのことを


たとえ小さなことでも一生懸命やって 磨いてゆく


皆さん方でいえば


世界平和のお祈りをするとか


ということがとても楽しみなわけです


それが生甲斐になるわけです


その生甲斐を生かして輝かせる


そういう生き方をすれば


一生が非常に有意義に過ごせるわけです


また引っこみ思案の人で


とにかく人の中に出たくない


人と会いたくない


人と話したくない


ジーッと殻にこもっていたい という人がいます


そういう人はどうすればいいかというと


過去世の習慣の想いがそう閉ざしてしまったのだから


勇気をふるって


人と話すのがいやでも


社会に出て接触する


習慣を変えなければいけません


変えていかなかったら


その人は今生に生まれて来た役が立たないわけです


たとえば おしゃべりの人は言葉を慎んで慎重な行動をすることを


この世界で学ばなければいけない


引っこみ思案の人は 人と接触して


人間関係というものを学びとるようにする


そうしなければ


この世に生まれて来た天命が果せないのです


この世では大体 逆なことをやらせるわけです


逆なことをやっているうちに


両方が統合され 完成された人間


或いは完成に近い人間にだんだんなってゆくわけです



自分の不得意なことを不得意だと


つっぱなしてはいけません


得意でないことも得意になるように


やっぱり勉強して


自分を磨かなければいけないと思います


この世に生まれて来た場合には


過去世の因縁の 自分の得意な面が出ているわけです


不得意なこと いやなことがあると


いやなことをいやでなくなるよう


不得意なことも不得意でなくなるよう


守護霊 守護神が働いているわけです


それで完全にさせようと思う


右だけが出来て 左が出来なければだめなんです


左も右も両方が出来て


完全円満な人間になっていかなけりゃならないから


自分の得意でないことも


そういう立場に置かれたら 一生懸命


それを得意にするようにやらなければだめだと思うのです


そういう風にやってゆくよう


私もやりますから 皆さんもやってゆきましょうね


そして自分たちを完成させて それで


世界人類を完成させてゆく先達となって


働かなければと思うんですよ








  


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