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2010年3月31日 (水)

守護霊・守護神さまはいらっしゃる

  
    

私はこれまでに守護霊、守護神様の働のことをたくさん書いてきました。

みなさんはなんとなく何かに守られているような気がする、亡くなったお父さん、お母さん、あるいは、お祖父さん、お祖母さんがいつも観ていてくれているような気がしているという風に漠然とではあるけれどもその存在を感じているのではないかと思います。
 

という私も実際に守護霊、守護神様の声を聞いたわけではないのです。
 

ではなぜ、そんなに自信たっぷりにいらっしゃることを言えるのだ

 
と言われれば、聞いてないけど、わかるのだとしか言いようがないのです。

 
でも、それでは説得力に欠けますよね(笑)


確かによい事が書いてある(私の日記には)


だけど、守護霊とか守護神だとか霊的なものは信じられない!


それが多くの人の考えだと思うのです。

それが、一般的だとも思います。

ちょうど、そう思っていた時、絶妙のタイミングで西園寺昌美さん(世界平和の祈りの提唱者である五井先生の後継者)が守護霊・守護神様はいらっしゃるというタイトルの文章を書いておられたのです。


西園寺さんは最初は私たちと同じように神様の存在は信じていても守護霊・守護神さま、霊的なもの、宇宙人等は信じておられませんでした。


それがなぜ、わかるようになったか?を詳細に書いておられます。


興味のある方は、是非、読んでみてください。
本

 





守護霊・守護神さまはいらっしゃる

 



━ 霊的なものを否定していた私 ━

 



私は守護霊さま守護神さまの存在をハッキリ自覚しておりますし、そのお声を何百回何千回となくお聞きもしております。


小さな小さな日常茶飯事のことでさえ、こんな細かな所までも守護霊さま守護神さまは守って下さっている、ということがハッキリわかります。


またこれからの自分の天命、未来においても素晴らしい計画で自分の運命を決めて下さっている、という大きなお働きも本当によくわかっております。


というわけで、守護霊さまのこと、守護神さまのことを、私の体験を通しながらお話していきたいと思います。


私は病気になる二十歳前までは、守護霊さま守護神さまの存在も知りませんでしたし、もちろんその声も聞いたことはございませんでした。


友だちがクリスチャンでございましたから、教会に三年ばかり通っておりました。


それで神様は絶対に否定したことはございません。


両親はご先祖さまを崇拝し、お水やお食事を差し上げて拝んでおりました。


五井先生につながったのは高校一年生十五、六歳の頃でした。


青年部に入りまして、統一会にゆく前に、朝四時か五時に起きまして、団地にリーフレットを配りました。


何か世の中につくしたい、なにか可哀想な人たちのために役立ちたい、と思っておりましたので、一生懸命喜んでいたしました。


五井先生のお話を聞くにつれて、学校のお友だちに理解してもらおうと思いました。


ホームルームの課題で、神さまを信じるか信じないか、ということを話し合ったことがありました。


「神さまと信じる人は」 って聞かれた時 「ハーイ」 と二人手をあげました。


私は本当にそう思ったのです。


他の人が手をあげなくても、自分がそう思ったので素直にあげました。


他の一人はクリスチャンの親友ですが、四十八対二で神さまがいるいないで議論いたしました。


それなら五井先生という方がいらっしゃるからと、友だちをずい分お誘いいたしました。


その時、白光誌を配るのに、先生の教えはこんなに素晴らしいのに、村田先生の円盤(UFOのこと)の話はちょっと常識外れで困るな、これさえなければ・・・・・・・インテリはついてこないから困るなあと思いました。


霊的な話に対して実に反発を感じていました。


五井先生は哲学的だけれど、霊的な話になると五井先生のお話でも、私なりに反発を感じておりました。





 
 
━ 生死の境で大転回 ━


 
そのようにすべてにおいて霊的なことを否定しつづけてきた私が、病気になった時ガラリと変ってしまいました。


なんにも食べられなくなって、大変やせ細り、原因もわからない病気の状態になった時です。


両親が話しているのを一生懸命聞こうと努力しているんですけれど、だんだん聞こえなくなり、三ヶ月も食べないという状態がつづき、目が見えない、耳が聞こえないという、肉体的に最悪の状態におちいった時がございます。


そうなりますと、一言話をするのがおっくうだし、声を出すのも大儀で、目をあけて人の顔をみるのが辛いわけです。


その間ねておりまして、肉体離脱のような状態がおきたのだと思います。


肉体界で話している人の声よりも、あちらのボーッとした世界をさまよっているような、雲の上をフワフワ浮いているような自分になりました。


これで死ぬのかナ、という状態をずい分体験しました。


五井先生がいろんな方法でお浄めしてくださいました。


いわゆる肉体的な病気もありましたけれど、霊的にご先祖さまをお浄めする役目を授かっていたのです。


今まで神さまをみたとか、神さまの声を聞いたとかいう話を半信半疑で聞いておりました私が、初めて見たのは、神さまの姿ではなくて、今でも恐ろしくなるぐらい、肉体の人間でありながら、完全な形をしていない、顔がなかったり、手がなかったり、足がなかったり、目や鼻がなかったり、醜い人間像をいろいろな形でみせられました。


その時の恐怖といったら、どうやって恐ろしい顔や人たちから逃れようか、という想いがいっぱいでした。


その時五井先生が 「お祈りしなさい。神さま、守護霊さま守護神さまの中に入りなさい。守護霊さま守護神さまを呼びなさい」 と徹頭徹尾おっしゃって下さいました。





 


━ 太陽と一体になる ━



 
守護霊さま守護神さま助けて下さい。


とたたみこむように呼び、わらをもつかむ気持ちで助けを呼びました。


神さまという存在が自分と遠く離れた、つかめない存在でございましたけれど、恐怖におちいった時には守護霊さま守護神さましかございませんで、一生懸命祈りつづけました。


フッと外をみましたら、真昼でした。


太陽が照り輝いているのを私は凝視したわけです。


凝視していましたら、白光に輝いて、窓を通して太陽がズーッと私の部屋に入ってくるのです。


ああ自分の所に太陽がせまってきたナ、と思った時に、ワアーッとその中に入りきりました。


その時、守護神さまの姿がスーッと浮き彫りになって現われました。


私をつねに守って下さったのがわかりました。


そして、守護神さまのお声をききました。


「お前は一回死ななければならなかったけど、神さま方といろいろ相談した結果、やはりこの肉体界に残しておいて役目を果させることになった。 お前の役目は、他になんにもしなくていいから、肉体人間には必ず守護霊さま守護神さまが守っているんだ、それを知っている人は少ないから、守護霊さま守護神さまのお話をすることだ。その話をすることがお前の天命なのだ。 我々が常に後ろに控えていて、お前の運命を導くから、その体験を通して人々に教えてほしい」


みんなそれぞれ平等に守護霊さま守護神さまがついていて、みんなの運命を導いて下さるのだから、それを教えることが私の天命であることをハッキリ知らされまして、そして守護神さまの姿は消えました。


それから私は、よくなるな、生かされるんだと思いました。


今まで死が90%を占めておりまして、死後どうなるんだろうと、死というものが常に密着しておりましたけれども、守護神さまのお姿をみて以来、だんだん 「生」 のほうへパーセンテージが多くなりました。




 

━ 一挙手一投足に ━



 
そう体験してから、時々予言的なことを守護神さまがおっしゃるのです。


何時にこういう形をした人がお見舞いにくる、お花を持ってくる、とか、何時何分にはこういう状態に自分がおちいるとか、こういう時にはこういう治療をしてくれとか、予知的なことをお教えになるわけです。


私はその言葉を聞いて、両親なり先生なり、友だちに告げておりました。


母も半信半疑で信じられなかったのです。


何時何分にこうなるというので時計をどこかへ持って行きました。


けれど時計とは無関係に、一秒の狂いもなく、言った通りになりました。


それでこれは普通ではない、ということがだんだんわかってまいりました。



肉体人間は何気なく行動しているようでございますけれども、一分後、二分後、三分後のことでも守護霊さま守護神さまはみていて下さいますし、知っていて下さいますし、何十年、何百年、未来のことまでも計画をなさっていらっしゃるわけです。


ですから私たちは守護霊さま守護神さまを切りはなしては存在できないわけです。


私たちがこうやって、肉体をもって存在しているということは、つねに守護霊、守護神さまが働きかけて下さっているから、ここにこうやって生きているし、坐って話を聞いているわけです。


本当にいらっしゃるんですか? とふりむいて聞きたくなるでしょうけれども、それは逆なことで、守護霊守護神さまがいらっしゃるから、こうやって生きているんだということになります。


 



 

━ 厳しい守護神と優しい守護神 ━



 
守護神さまにも格があります。


私には何十人といらっしゃるのですが、私は優しい守護神さま、きびしい守護神さまというように分けております。


肉体に密着して肉体の経験をつまれた守護神さまがいらっしゃいます。


それから肉体の経験をつまれない守護神さまもいらっしゃるわけです。


そういう守護神さまは大変きびしいわけです。


肉体とか感情とかはお持ちになったことはないわけですから、わからないわけです。


肉体の経験をお持ちになった方は、ああ可哀そうに可哀そうにと、大変理解がおありになるのです。


きびしい守護神さまはパーッと現われて、命令を下してパーッといなくなってしまう、そのかわり位は高いですし、きびしい素晴らしい響きや力を持っていらっしゃいます。


反発もしないで、そんなことをいったって無理だ、ということもしないで、ハイ神さまの仰せですから、その通りにします、と守護神さまのいう通りに、その波にのっていれば、ほんとうに守護神さまが思うように運んでくれますので、私自身の運命も素晴らしく開きます。 といって今の運命が素晴らしくないというのではなく、大変素晴らしい運命なのですけれども、時折、磨くためにいろいろなご修行を与えて下さいます。


それによってまた経験をつみ、幅がひろがりますから有難いことです。



そういうわけで、これからもつねに守護霊さま守護神さまを呼びつづけ、つねに守護霊さま守護神さまと一体であることの自覚を深め、祈りつづけてゆきたいと思います。







                 西園寺昌美






  





  

2010年3月30日 (火)

神と人間 (五井先生の祈念法 3 )

  
  
  
間の肉体は細胞組織でできていて、その細胞は、陽子、電子の寄り集まったもので、

それをさらに細かく分析すれば微粒子となり、その微粒子は光の粒だという。


その粒も、もっと根本にゆけば、光の波動である、と科学者がいっているが、人間が真の

精神統一に入ると、自分自身が、無限拡の光であることがわかる。


私の想念停止は、自我を脱却したということなので、そこに肉体という物質体が存在してい

ようとも、それはただ光の媒介体があるので、私と対座した人の業生の因縁体(幽体、肉

体)に、本源の光が流れこむことになり、分霊にまつわる業因縁が浄まってゆき、分霊の体

が軽く清らかになってゆくので、度重ねて私と対座すると、知らず知らずに安心立命の境

地に近づいてゆくのである。


この黙想と同時または前後に、柏手を打つことが多い。


これは、相手の因縁の波が多種多様であるので、種々の印を結ぶ。


これは、相手を統一させるためと、こちらの光の波長に合わせるためである。


やさしくいえば、テレビのダイヤルを種々に切りかえるのと同じである。


この祈りは相手と向き合ってやったり、相手を後向きにさせて、祈ったりする。


前向きの時は、その人そのものの、過去世からの業因縁を浄めるのであり、後向きの場合

は、その人にまつわる祖先や縁者の想念の浄めなのである。


私は人の運命の方向を指示し、好転せしめるように祈念する。


大体私は易者ではないので、人の運命の過去を当てたり、先を予見したり、性格を指摘し

たりすることを本願としてはいない。


私の本願は、すべての人間に神の存在を知らせ、人間は業生ではなく、光の子、神の子な

のであることを知らせたいのだ。


どこまで悩んでも、いかに苦しんでも、救われぬのが人間である、という迷妄を覚させるた

めに、私は働いているのである。


であるから、ただたんに “おまえの運命はかくかくしかじかだから” と、その人の運命の

悪さを指摘したり、“おまえの心が悪いから、おまえの病気や不幸はなおらない” というよ

うな指導のしかたはしないのである。


ただひたすら、その人の運命の好転を祈る愛念だけで、人に対しているのである。



              つづく




   『神と人間』 私の祈念法 五井昌久 白光出版







 
  

感想


私たちは何でできているのか?

細胞でできているのは、わかります。

細胞は分子の集まりであり、その分子は陽子、電子でありもっと細かくしていくと微粒子に

なります。


そして最後は光の粒が漂っているのだそうです。


それを波動といいます。


人間は光輝いた光の波動でできているのです。


それを司っているのはもちろん宇宙なのです。

宇宙の心が私たちの故郷です。(宇宙心、宇宙神という)

肉体が自分ではなく、本心は宇宙にある。

宗教とは宇宙を示す教えだと何回も書きましたが


お釈迦様はこの宇宙観を説いていたのです。


私たちが迷い、悩むのは自分を肉体だけだと思っていてその狭い範疇で


「あーでもない、こーでもない」

と言っているのです。


そこを超えて自分の故郷である宇宙に入って行きなさい


「小我の自分を大我の自分に昇華させなさい」


空になって肉体意識を宇宙意識に変えて行きなさいとお釈迦様はおっしゃっておられまし

た。


空になると業生、業因縁の渦を超えて本心とつながるのです。


本当の自分(神)に出会えるのです。


でも、それは簡単なことではなく


これまでにたくさんの修行僧たちが挑んでいきました。


そしてことごとく失敗して来たのです。(正しい知識と方法を知らなかったから)


しかしその時期が来ました。


期は熟したのです。


それがアセンション(自分の次元上昇と人類の次元上昇)なのです。


ただ待っているだけでは宇宙意識にはなりません。


自分を肉体波動から宇宙の波動に変えないとダメなのです。


そのメソッド(方法)が祈りであり、印であり、統一なのです。


空になるには自分を宇宙に波動に合わせていけばいいのです。





 

 
補足

私たちは

肉体の頭でどうにかしようとします、でもそれではどうにもならないことは気づいているので

す。

どうにかなるんだったら何の苦労もありません。(笑)

それは想念もそうなのです。

「自分は愛深くなりたいのに憎しみが湧いて来る」

「こんなこと想いたくもないもないのに想ってしまう」

それは過去世において想ったことしたこと(想念・行為)が録音されていて頭脳を駆け巡っ

ているからなのです。

そこを超えないといつまでたっても同じことの繰り返しです。

このことを輪廻転生(りんねてんしょう)といいます。

ならば肉体の頭脳、想念、想いをどこかにやってしまえばいい。

消してしまえばいいのです。

その消し先はどこかというと宇宙です。

宇宙には無限のプラスのエネルギーが流れているのでそこに意識を合わせると綺麗に浄

化してもらえるのです。

これが自分で出来ることです。

そして後は守護霊様、守護神様にお願いするのです。

守護霊様、守護神様は霊界、神界におられて人間に溜まった潜在意識(幽界)を浄めてく

ださいます。

つまり自力(祈り)と他力(守護霊、守護神)で業因縁を浄化してゆくのです。

それが出来て初めて人間は本来の姿に戻り、人間が浄まると同時に地球も浄化されてい

きます。

それが、アセンションなのです。


すいません、補足なのに同じことを書いていますね(笑)




  

  

2010年3月29日 (月)

日々の指針

  
 
 
1. あなたが自分に向かって話す時は、常に積極的なよい言葉を用いることだ。

 

1. あなたが出来ない理由ではなく、あなたが出来る理由を考えることである。


 
1. 私は失敗しつつあるのではなく、成功しつつあるのだと考えること。


 
1. 「自分は成功するだろう」 と考える時、あなたの心は不思議に成功するために解決法を見出してゆく。


 
1. 「自分はきっとうまくいかないだろう」と考える人は、自分を過小評価し過ぎて、自分を正しく見ることが出来ないのである。

 

1. 人間は幾つになっても、もう今からでは遅すぎるということは決してない。


 
1. 自分を変えてゆくのは、死ぬ瞬間でさえも遅くはない。






             

                  西園寺昌美




   




  

神と人間 (五井先生の祈念法 2)

  
  
  
相手と向かい合って座る。

私の心には相手の分霊の光と、その分霊が過去から放ちつづけている想念の波が種々な

る波長をもって、幽体を流れているのが観じられる。
 

即ち、因縁の波を観じるのである。
 

私はすでに光体になっている私の中に相手の因縁の波が吸いこまれて、しだいに浄まっ

てゆくのを感じる。
 

ちょうど吸い取り紙のようなもので、吸い取り紙は吸い取ったインキを消すことはできぬ

が、私は、その人と対座を止めると、ほとんど同時に、その人の因縁の汚れを消滅できる。


私に来ている本源の光が汚れを消滅するのである。


私と対座した人は、なんだかわからぬが、体が軽くなり、清々しくなる、と異口同音にいう。


これはその人たちの業因縁が浄められたことによるもので、いかなる言葉の説教よりも、

はるかに早くその人たちを救いの道に導くことになるのである。




                  つづく



   

『神と人間』 私の祈念法 五井昌久 白光出版



 




感想



私と対座した人は、なんだかわからぬが、体が軽くなり、清々しくなる、と異口同音にいう。


これはその人たちの業因縁が浄められたことによるもので、いかなる言葉の説教よりも、はるかに早くその人たちを救いの道に導くことになるのである。


 

この文章を読んでいると、心の底から感謝の気持ちが湧いて来たのです。

と言いますのは、五井先生が相手の人(求めて来る人)を浄められていることを私はう先

生に月に2回もレッスンによって浄めて戴いているからです。


ハーモニーの人たちの器は物凄く大きいので、その器を浄められるう先生は、まさしく命懸

けなのです。(レッスンの後、髪の毛が真っ白になったり、足を引きずって歩いておられる

お姿をお見かけすることがあります)


そして、レッスンの後


「スッキリしたでしょ?」


と聞かれるのですがほんとにそれまでのモヤモヤがすっかり消えてしまっているのです。


ですがいつも取って戴いているのではなく、自分のエネルギーの処理は自分で出来るよう

にならないといけないのです。


それはたゆまない祈りと毎日の印、呼吸法などを地道に続けていくしかありません。


それでも取れないところは取ってくださっているのです。


アセンションとは自分で自分の器にあるエネルギー(波動)を自分で綺麗にすることが出来

るようになることなのです。



これを波動調整と言います。


エネルギーとは波動であり、心であり、宇宙そのものでもあります。


このことを神と言っているのです。


私の実践している調和波動気功法とは、気(エネルギー)を調和した波動に整えることなの

です。





  

2010年3月28日 (日)

 神と人間 (五井先生の祈念法)

  
  
「神と人間」の本の感想はもう終わりにしようかとも思ったのですが、

「本当に人を救うとはどういうことか?」

「人を浄めるとはどういうことか?」

「人の運命を善くするとはどういうことか?」

「その人の魂にとって大切なこととはどういうことか?」

をもっと知ってもらいたいと思い

また、書くことにしました。


ある霊能家の人や念力を信じている人は

「病気を治します」 とか

「遠隔で気を送ります」 とか

言いますが

病気を治すのは、あくまでもお医者さんの仕事です。(正確には自分自身ですが)

それを簡単に

「医者なんかに何が出来るものか、俺の念力でそんなものは治せるのだ!」

と言っている人がいます。

でも、そんなときに自分の身うちが病気になると、慌ててお医者様に頼るのです。

つまり自分のやっている念力が本物ではないとわかっているのです。


そして必ず言うのです。

「あの医者は頼りない」

「あんな医者はダメだ」





人を救うってそんな簡単なものではないですし

五井先生は自分という我を無くして 空 になって相手に対しているのです。

う先生も命懸けで病気を治したり、人を救ったり、私たちのレッスンをしてくださっています。

五井先生とう先生には共通のところがあります。

それはご自分がという我が無いのです。

自分がよく思われたい

自分がよい思いをしたい

自分が良い生活をしたい

普通人が持つあらゆる欲望がまったくないのです。

ないから宇宙とつながり、神とつながって

その神通力を得ることが出来るのです。

「神通力が欲しい」

「人によく思われたい」

「感謝されたい」

という欲望が少しでもあったなら

それは神へは通じないのです。

そこまで行って初めて

神から認められ

無限なるエネルギーが降りて来るのです。ぴかぴか(新しい)

だからそこまで意識が行っていない人が簡単に

「私は人を救います」

なんて

軽々しく言ってはいけないのです。


話が長くなりましたが五井先生がどのように祈祷して人を救われていたか?を神と人間の

「私の祈念法」から抜粋していきたいと思います。


五井先生の姿は未来の私たちの意識(宇宙意識)を示すものであり、アセンションとは何

か? お釈迦様のいう 空 とは何か?を知るヒントになります。


そのつもりで読んでください。



 


私の祈念法


私は現在、毎日多数の人びとの相談に応じて、寧日(ねいじつ)ない有様であるが、ほとん

ど疲れが残ることはない。
 

業因の深い人と対座する瞬間、相手の業因が、電波の如く、私の肉体身に感応いしてくる

のだが、それもほんの瞬間に消えて、疲れがそのまま残っているようなことはすくない。
 

私の肉体の頭脳は常に 空 なのである。
 

私は肉体の頭脳でものを考え出すことはない。
 

必要に応じて必要を充たす智慧が、私の本体から自然と肉体に伝わってくるのである。

 
私は霊媒ではないから、霊動したり、霊言したりはしない。


普通の肉体人間となんら変わらぬ平々凡々たる人間に見えるし、常識を一歩も越えぬ生

活をし、行動をしている。
 

しかし、根本的にはまるで違っている。
 

それは私の本体が光であることを体験として知っていることであり、私の言動が、すべて神

(本体)から直接に支配されていることをはっきり認識しているからである。
 

普通、人間は、常になんらかの想念が頭脳を駆け巡っているのだが、私の肉体頭脳を駆

け巡る想念は何もない。
 

私はかつて、一切の想念を断絶する練習を私の守護神から強制的にやらされたのであ

る。


それは、普通の座禅や、精神統一の類ではなく、二十四時間ぶっつづけの練習なのであ

る。(このことについては、自叙伝“天と地をつなぐ者” を参照されたい)苦しいといえば、

これほど苦しいことはない。


ものを想わぬこと、念を停止すること、即ち、空になる練習なのである。

寝ても起きても、歩行していても、全時間、すべてこの練習なのである。

この期間約三ヶ月、自我を全部滅却して、神我に変えたのである。


霊媒ならば、肉体を、その支配霊に他動的に委ねて、自己の我はねむっていればよいの

だが、私の場合は、自己意志で、自己の我を消滅し去ろうとするのである。


いいかえれば、因縁の流動を超えて、自由自在心になるために練習なのである。


原因結果、原因結果と果てしなく輪廻する業因を超えるためには、その業因をつかんでし

まってはいけない。


いかなる業因縁が果として現われようとも、果として現われれば、その因縁はそのまま消

えるのだから、消えてゆくという念と、これで善くなる、という善念だけ出せば、運命はその

時、新しい善因を記録する。


そうした方法を根よくつづけて行けば、その人の潜在意識は、しだいに善因縁に変化して

ゆき、顕在意識の善なる想念と正しく交流して、その人の運命は好転する。


私は人びとに、そのような方法を教え、練習させながら、私自体は、私の想念をすっかり停

止して、相手の業因縁を、私自体の生命(心)の中に吸い込んでゆく黙想をする。


これは苦しい想念停止の練習によって、到達し得た空即実相の黙想なのである。


                       
                         
                     つづく




      『神と人間』より私の祈念法 五井昌久 白光出版








感想

これまでに神と人間とその感想を読んでくださっていた方にはなんとなく祈念法とは何か?

 がわかっていただけたのでは?と思っております。


わからなくても人を救うには常人には理解出来ないほど自分を滅していかないと出来ない

ことなんだと感じてもらえたのではと思っております。

「こんな凄いこと普通の人には出来ないよ」

と思いますよね。

実は五井先生のように空になるために想念停止を自己の意思でしなくとも勝手にそうなる

のが未来の私たちの姿なのです。

勝手になるといってもある程度の意識の高さと宇宙(神、本心)と波長を合わせることは必

要なのですが

そうなると人と人とは心で通じ合い、口から発する言葉はいらなくなるのです。

向かい合っただけで相手が何を考え、何を想っているかがわかるようになるのです。

そのときまでに私たちは自己の想念を綺麗にしておくことが大切なのです。


その想念を綺麗にする方法が五井先生が提唱されている


世界平和の祈りです。

自分の想念をすべて祈りの中に入れてしまえば

その想念は宇宙に行って

浄化されて自分に返って来るのです。

よって運命が善くなってゆくのです。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  


    

花園神社

  
  
プライベートなことは、最近書いていなかったのですが、私の息子が今年から東京の大学へ進学することになりました。

直前の入試対策が失敗した為、全滅だと思っていたのですが、奇蹟的に一校だけ受かりました。

う先生は、ハーモニーの人たち(それ以外の人たちのことも勿論ですが)の家族のことをいつも気にかけてくださっています。


私も息子のことでは、ひとかたならぬお世話になっています。


そして先日のレッスンのとき、下宿先に近く(新宿区)に花園神社の存在を教えて戴いたのです。


その神社には、ピースポール(世界平和の祈りが刻印されている柱)が建立されており、非常に波動のよいところなのだそうです。


波動が善い場所とは、そこに居るだけで自分の持っている業想念を洗い流してくれる“場”なのです。

感覚的に言えば、滝の側にいるような清々しい気持ちになれるところです。


昨日、東京に出発する息子にインターネットで調べて、そのコピーを手渡しました。


「地元の氏神様だから、きっと守って下さるよ」


息子は黙って受け取っていました。


多分、そこはう先生も浄められた場所なので癒しのスポットなのだと思います。

新宿という大都会の中にあって、心が休まる場所はとても大切で必要だと思うのです。


この日記を読んでくださっている方で東京にお住まいの方


是非、花園神社に行ってみてください。


そして東京での疲れを取ってくださいね。わーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)



 
 世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

 

 
http://www.hanazono-jinja.or.jp/mt/top/

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E5%9C%92%E7%A5%9E%E7%A4%BE





  
   

無限なる幸せを体得する方法

  
    
今朝の日経新聞朝刊23面に、う先生のご本が紹介されています。


無限なる幸せを体得する方法

~無限なる幸せの波動とは何か~
 宇宙神からのメッセージ
 大宇宙からのメッセージ
あなたはどんな時に幸せを感じますか

調和波動気功法Ⅳ于 寿明

星湖舎

定価2、100円



無限なる癒し

調和波動気功法Ⅱ于 寿明
星湖舎

━メソッド&メッセージ━ 定価2、635円




無限次元への誘い 調和波動気功法Ⅲ 于 寿明
星湖舎


━ピラミッドの秘密━ 定価2、635円

 


の3冊です。

各書とも調和波動気功法をまとめた実践CD・DVD付
いづれも星湖舎より発売しています。




もうすぐ『無限なる勇気』 が発売されます。

この本を読むと無限の勇気が湧いて来るそうです。

気とは神様のことであり、その神様が勇み出ることを

勇気というのだそうです。


自分の中には神様(宇宙)があります。

その神様が勇み出るのが、勇気であり、アセンションの始まりなのだと思います。

興味のある人は、是非読んでみてください。

そして幸せの波動を感じてくださいね。
わーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)




   


   

2010年3月26日 (金)

アセンション(宇宙意識)

  
    
肉体意識が宇宙意識(キリスト意識)になるとはどういうことか?


それは客観視が出来るようになるということなのです。


「今、すごく腹の立つ奴がいる」

「あいつのことが気になってしかたがない」


それは、肉体側からその人のことを観ているからです。

個人個人別に分れてしまってしまっている。(分離意識)

そこで肉体から観るのを止めて、ちょっと高い(遠い)ところからその人を観てみる。


するとその人は小さくなって、その他大勢の人たちの中に入ってしまいます。


ビルの上から観るとしたら、小さな豆粒のようになって誰が誰だか判らなくなる。


すると不思議なことに小さくなったたくさんの人たちに優しくなれるのです。

「みんな大変なんだろうなぁ」

「色んな苦労もあるのだろうなぁ」

そんな人たちの中にあなたが嫌いな人がいる

でもそんなこともうどうでもよくなるのです。

そのとき、あなたは肉体から意識が外れています。

宇宙意識とまではいかなくてもがんじがらめの肉体という鎧(よろい)から意識を脱皮したことになるのです。

そして、高いところから人々を観ているとその人たちが自分の中に入っていることが判ります。

自分の中にその人たちは居る。

つまり自分とその人たちは一体だということです。


誰が言ってたかは忘れましたがある本の中で



「月を観ている自分は月よりも大きな存在なんだ」


と書いてありました。


その通りなのです。


自分が観ているものは、すべて自分の外にあるのではなく内にあるのです。

自分の中に人がいて、地球があって、そして宇宙があるのです。


ちょっと難しくなってきましたか?(笑)


そこまで拡げなくても、自分を高いところに置いて(肉体でも意識でもイメージでもかまいません)地上の人や物を観てみてください。


その時点で客観視が出来ているのです。


肉体から意識が外れているのです。


親という字はうまく創られています。


木の上に立って、子供を観るという意味なのです。

自分の子どもを自分の所有物だ

自分の思い通りになるものだ

子どもは自分に従うべきだ

と思っていては自分も子どもも苦しむのです。

それは肉体の縛られた視野から子どもを観ているからです。

木に登って、ちょっと高いところから子どもさんを見てみてください。

他のこどもたちと一緒になって遊んでいる姿を見ると

自分の子も他人の子もないということがわかります。

そして自分の心の中にすべてのものが入っていることがわかるのです。

その意識に目覚めていくのが肉体意識から宇宙意識へのシフトなのです。


なに?今自分はそれが(客観視が)出来た!

という人がいらっしゃると思います。

それならもう私は宇宙意識になっているのではないか?


そうなのです。(瞬間ですが)


アセンションとは意識が変わるということなのです。

2012年を待たなくてももうあなたは宇宙意識(キリスト意識)になっているのです。


「そうなんだ」


と認めてあげればいいのです。


瞬間を継続させていつも宇宙意識(キリスト意識)でいることが大切なのです。


だからたゆまない祈りで宇宙とつながり続けることが必要なんですね。

わーい(嬉しい顔)



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます









補足


肉体を外して客観視をするということはすでに肉体界から外れていることを意味します。

つまり幽界、霊界、神界とつながれるということです。

幽界は肉体にくっついているので、そこは霊界、あるいは神界なのです。

霊界には守護霊様がいらっしゃいます。

神界には守護神様がいらっしゃいます。

ということは客観視をするということは守護霊、守護神と一体となっているのです。

自分を守ってくださっている守護霊、神と同じ場所に居る。

こんなに心強いことはありません。わーい(嬉しい顔)

自分で自分を守れるということです。


宇宙意識になるとはまさしく神と一体となるということなんですね。



我即神也



  



 

2010年3月25日 (木)

アセンション(次元上昇)とは?

  
  
アセンションについては色んな本が出ているのですが、どれを読んでも一番肝心なことが書いていないのです。

それは、今の肉体意識から宇宙意識(キリスト意識ともいう)に変わるということです。


変わるとどうなるか?

その変化は何を意味するか?


が大切なのです。


実は宇宙意識こそが、かの、お釈迦様のおっしゃっている


空 そのものなのです。


般若心経でいう、色即是空、空即是色ですよね。


私たちは肉体が自分だと思っています。


99.9999%の人がそうだと思っていると思うのです。


だから肉体の力しか出てきません。


しかし本当の人間とはそんな薄っぺらいものではなく宇宙とつながっているのです。


いや宇宙そのものなのです。


だから空になるということは肉体界を飛び越えて幽界、霊界も超えて、神界まで行けるということです。


神界とは天国であり、本当の自分が居る所なのです。(宇宙と神界は、ほぼ同じだと思ってもらっていいと思います)



ここ(神界)とつながることを悟るといいます。


本心と吾(肉体人間のこと)が一緒になるということですね。


肉体の限定された自分から、空になって意識は宇宙大に拡がっていく


こんな素晴らしいことはないのです。わーい(嬉しい顔)指でOK


意識が宇宙に拡がると肉体がここにあっても、宇宙のどこへでも瞬間移動出来るのです。


その意識は、当然、相手の人をも包み込むので、相手の想念(考えていること)が写って来てわかるようになるのです。


相手のことがわかるということは、空にならないと、宇宙意識にならないと本当はわからないのです。


それから宇宙意識になるということは、宇宙の心がわかるということです。


実はこの宇宙の心のことを神と言っているのです。


宇宙とつながるとは神とつながること


いつも言っているように 神 は愛です。


か~あ

み~い


つまり愛そのものの人になるということです。


宇宙意識になると宇宙心(神)そのものになる。


我即神也とはこうことなのです。


人間は神そのものである。


人間とは神であり


素晴らしい存在です。


どんな人にも物に対しても愛することしか感じられないようになるのです。


それが本来の自分であり、本来の人間の姿です。

 

自分が宇宙そのものであり、神そのものであることを実感するにはどうしたらいいか?


宇宙と一体になればいいのです。


こちらから宇宙に近づいていけばいいのです。


そのために祈りがあり、我即神也の印があり、統一をするのです。



 

世界人類が平和でありますようにぴかぴか(新しい)


無限なる愛

無限なる調和

無限なる平和



我即神也

人類即神也




  




  

2010年3月24日 (水)

メッセンジャーとしての役割り

 
  
私は自分を真理を伝えるメッセンジャーだと思っています。
 

だから本当の本当の真理を書いておられる五井先生、西園寺昌美先生、そして私のメンター(人生の師匠)であるう先生のことをご紹介しているのです。
 

でも最近、ふと気づいたのは、これから起こる近未来のことも伝えて行かないといけないのでは?ということです。
 

昨日のみなさんのコメントにありましたように、何故、お金が無くなるのか?に対しても
 

「そのうちにわかりますよ」 とか 「そのときになればあのときにグッドムーンが言ってたなぁ」と想い出しますよとかではいけないと思ったのです。

 
私のわかる範囲で文章で伝えていくことも大切なことだと思うのです。


でないと、これから起こること、それからアセンションの時になって、頭、意識が付いていけないからです。


お金が無くなる、病気も無くなる、あらゆる宗教も無くなる、人間は死ななくなる、自分の望む年齢になれる、男と女の性別も無くなる、子どもは3人寄れば生まれる・・・・・


これを聞いただけでもびっくりですよね。


それも後2年余りでそんな時代がやって来るなんて今の現状を観ている限りでは絶対に起こらないと思うのが普通です。


そんなことを言っている人がいたらおかしな人だと思うのが当たり前です。

私はあえてそこに挑んで行こうと思います。


でもそれが目的ではなくあくまでも真理を伝えるのが私のミッションです。

そのミッションの中に近未来を伝えることが含まれるだけなのです。


だから力むでもなく、わかってもらいたい!という強い願望もなく、淡々と述べていきたいと思っています。


そして最初にお断りしておきますが、私はアセンションを特別に研究、勉強しているわけでもないし、あまり興味もないのでアセンションに関する本もほとんど読んでいません、よって数字等、細かいところが弱冠間違って述べることがあるかもしれませんがご容赦ください(例えば13000年は16000年だったかもしれません)


では、少しずつ始めていきます。


それではみなさん、宇宙の中の地球を思い浮かべてください。


宇宙の中には無数の星があります。


地球もその無数の星の中の一つです。


当然、地球人類以外にも私たちと同じような生命体があるはずです。


そして地球よりももっと進化した星もあれば遅れている星もある。(文明や精神的なものがという意味)


私たちは色んな星の影響を受けながら生きているのです。


そしてそれぞれの星たちは常に進化しながら成長し続けているのです。


宇宙はどうやって進化していくかというとセパレート(離反)とユニティー(合一)です。


セパレートとユニティ―を繰り返しているのです。


地球もこれまでこの離反と合一を6回繰り返して来ました。(このことを集合離反といいます)


その周期は13000年毎に繰り返されているのです。


これを人間に例えると離反が分離意識、敵対意識でありユニティーが愛であり、自他一体感なのです。


そして2012年がちょうどその13000年目であり、愛の完成の時期に当たるのです。


しかしこれまで地球は愛の完成に失敗して来たのです。(マヤ文明など)


完結出来なかった。


そしてその度に地球は滅び、崩壊して来ました。

しかし、今回は7回目になるのです。

7は宇宙の完成した数字であり

いよいよ地球は完成した星になるのです。

それは何を意味するかというと今と次元の違う進化した星になるということです。

3次元から4次元、多次元へと移行するのです。

4次元には死も無く時間も存在せず、人間は自由自在心となり、人間同志はテレパシーで交信し、みな悟りの境地に至るのです。

今地球は、様々な次元の地があり高いところではほとんど4次元になっているところもあるのです。

先日書いたお金が無くなるとは、4次元にはお金が必要無いので4次元に近づくにつれ自然消滅するという意味なのです。


ここまで書いて来たことだけでもかなり神秘的ですよね。(笑)

今日はここまでにしておきます。

ただアセンション(次元上昇)は宇宙の法則でありもう決まっていることなのです。

太陽が東から昇るように2012年には必ず来るものなのです。


それが宇宙の法則なのです。

 
                  

                          つづく




  

2010年3月23日 (火)

神と人間 (正しい宗教と誤れる宗教 最終章)

  
    

いかに真理の言葉であっても、聴く人の心が、その真理の言葉に遠い境界にあったり、

空腹に喘いでいる人に、高遠な理想を説いても、ほとんど効果はあるまい。



真理の眼玉よ  降りて来い

おまえがあんまり高すぎるから

世の中は暗いのだ



と歌った詩人がいるが、これこそ肉体人間一般の叫び声であろう。


この声を無視した教えでは人類を救うことはできまい。


一の因には一の縁をもって、この因を消し、二の因には二の縁をもって、この因を消すべ

きで、一の因に十の縁をもってきてもこの因は消えずにかえって深くなるであろう。(註・・・・

一を低い念いとし、十を高い理念とする)


牛肉(真理の言葉)が栄養があるから、といって、毎日牛肉ばかり食べさせられてはやりき

れないし、鯨が食べたい(真理が知りたい)といったから、といって、鯨をそのまま眼の前に

置かれても、どうにもしようがあるまい。


指導者は常に愛と智慧とに導かれていなければ、かえって人類を不幸にしてしまう。


以上で大体正しい宗教と、誤れる宗教の区別がついたと思うので、次には、私の祈念法を

書いてみることとする。



                      おしまいです。






『神と人間』 正しい宗教と誤れる宗教 五井昌久 白光出版




 




感想


宗教についてはかなり細かく分けて感想を書いてきましたが、書いているときに、これ読ん

でいる人は、すごく興味があって読んでくださっている人と全然面白くもおかしくもなく読む

気すらしない人とに分れているのだろうなぁと何度も思ったのです。


100人の人が読んで、いや、1000人の人が目を通して響いている人はほんの数人だと

思うのです。


それくらい特殊であり、ある意味偏っていると思います。


だからほとんどコメントもありません(笑)


それは覚悟の上でした。


でもたくさんの人に共感されて


「ああ、面白かった、為になった!」


で留まるのではなく


その人が救われなければ意味が無いと思ったのです。


感動する映画、本、為になることはどこにでも情報があります。


溢れかえっています。


でもその人の魂を救うほどの影響力があるものは少ないと思うのです。


そのときは救われた気持ちになってもすぐに戻ってしまう。


清涼飲料水のようなものです。


それも必要です。


でも魂が永遠に救われるものでないと人間は本当に幸せにはなれないと思うのです。


10000人の人が喜ぶものより一人の人でいい


本当の真理が伝わって、真の幸せを掴んで欲しい


私はこれからも伝達者(メッセンジャー)として日記を書き続けていきます。(宣言文でした) わーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)





世界人類が平和でありますように  ぴかぴか(新しい)


我即神也

人類即神也





  

商売繁盛の秘訣は?

 
  
先日の調和波動気功のセミナーで、銀行マンのハーモニーの人と話す機会がありました。

そのときに私は、

「2012年、後2年でお金が無くなるのですが、銀行とかにその兆候は現われていますか?」 と質問しました。


「いや、まだそんな兆候はないですね」 とその銀行マンの人は答ました。


「でも、これからインフレになることはないんでしょう? デフレが続くんじゃないですか?」


と言うと


「そうですね、もう景気が良くなることはないでしょうね」


と答えてくださいました。


今、大学生の就職先がないといわれています。


雇う側も優秀な人材が欲しくてもそれを活かすだけの体力が無いのです。


それがこれからは益々加速されていくと思うのです。


世の中は淘汰され、必要なものだけ、必要な企業、そこで必要な人材だけが残っていく。

そこで残る企業、残る人材とはどんな会社、人たちなのか?


それは、奉仕の精神と明朗さのある企業であり、人なのだそうです。


それが商売繁盛の基本であり、これが無ければどれだけスキルの社員教育をしても神社仏閣に繁盛をおがみに行っても、それは叶わぬ話なのです。


奉仕の精神と明朗さは商売だけでなく、人間関係をうまくやっていくのも家庭を整えて行くにも基本となることだと思うのです。


これからは会社のトップに立つ人の理念が大切になってきます。


トップの思想がそのまま従業員の人たちに浸透するからです。


なにも難しいことをする必要は無いのです。


「奉仕の精神と明朗さ」


これが出来る人が本物であり

本物しか残らない

本物の時代がこれからやって来るのです。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)



  

  

2010年3月22日 (月)

誰も自分の限界など知ってはいない

  
  
五井先生のご著書には、感銘することがたくさん書いてあるのです、それは他の本にはない真実が書かれているからです。

なぜ、スッキリしないのか?

なぜ、ストンと腑におちることが少ないのか?

は真実が語られていないからなのです。

ほとんどの本は真実が何なのかわからずに憶測や自分の浅い経験だけで適当に書いてあるだけなので読んでいる方は消化不良を起こすのです。


そして誰も自分の限界、本当の力はどこから出て来るのかもわからない。


真実がわかっていないからです。



ここに五井先生のご著書の中から『大決意』の文章の一部を抜粋します。


みなさんも自分の限界とは何なのか?


自分の限界を決めてしまっていなかったか?


考えてみてくださいね。わーい(嬉しい顔)





 



  

誰も自分の限界など知ってはいない━「大決意」より




 
自分の限界が来た
 

と世間ではいうけれど
 

本当は
 

自分の限界なんて誰も知らないのです


肉体の方の自分で


自分の限界とか 自分の力とか  いかにも知っている


ように思うけれども



実は


誰も自分の肉体の力というものを知らないのです


本当をいえば


あなたや彼として備わった力の



何分の一 何十分の一しか出していない


という程度であって


自分の力を全部出している人は殆どいないのです


限界というものは それこそ


守護霊  守護神のほうで知っているんであって


肉体の自分の方では


自分の限界を知らないのです


ただ、自分で想像して


自分はこれだけしか力がないんだ とか


自分はこれだけしか智慧がない


自分は頭が悪いとか


自分は度胸がない とか


といって勝手に自分が決めているだけなんです


その決めているものは何かというと


過去世からの習慣の想い いわゆる業(ごう)というんです


習慣の想いが勝手に決めているんであって


想いの習慣を変えさえすれば


生まれ変わったように違った人間になるのです


私などそうですよ


私は宗教家になり


祈りによる世界平和運動しようなんて


思ってもいなかった


少年の頃   何なろうと思ったかというと


学校の先生  音楽家  小説家


この三つを思っていました


青年になってからは


社会事業家になろうと思ったのです


自分の好むと好まざるとにかかわらず


いつの間にか


新しい宗教を始めるような


かたちにならされてしまったのです


音楽の勉強もしました


文学の勉強もしました


人もおだててくれるから


文学者か音楽家かどちらかと心に決めていました


しかし思ってもいなかった宗教家になったけれど


今まで勉強して来たことは役立ちました


声楽をやったから 声が鍛えられているから


いくらしゃべっても疲れない


ものを書く練習をしたから


原稿を書くのは苦にならない


一日に三十枚ぐらい楽に書ける



文章を書くのも しゃべるのも


本当の宗教をみんなに知らせる


世界を平和にするための一つの手段ですね


それは本業ではなかった


なかったけれど小さい時からやっていたことが


本業の助けをするように


天命を助けるようになって来たわけです


皆さんが日頃からやっていることは


自分で好き嫌いでやっているかもしれない


好きでやっている人もあるし


嫌いでやっている人もある


しかしそれは必ず


その人のいのちの成長のため


本心を開くために


必要なことをやらされているのです


どんな嫌いなことをやらされていても


それは必ず必要なこと


いやであれば


こういうことはいけないな


こんなものは無いほうがいいんだな


ということがわかるからそれもいいわけです


いのちの経験のために


いのちが本当に生き生きと生きるために


永遠の生命を得るために


いいことも いやなことも いろいろやらされている


だから


瞬間 瞬間の事柄をいやがってはいけません


どんなつまらないことが来ても


どんなつまらない役割りになっても


ああ、これも私がやらなければならないことなんだ


やりましょう! といって


それを甘受してやってゆく


好きなことをやらせてくれる時はそれも有難い


学校を出て社会に入る時は


とても希望を持っているわけです


ところが入ってみると


案外会社というところはつまらなかったりする場合があるんです


自分の気にそまないことがある


するといやになっちゃう


ところが誰も彼もやっぱりいやなことをたくさんやって来て


いやなことが九十九あって一つのいいことがあれば


それが玉のように輝くわけです


一つのいいことをやることが


楽しくて 嬉しくて 命をかけてやれる


それに熱意をこめてやれるわけですよ


あらゆるいやなことがあっても


一つのいいことがあれば


それは支えになります


そのいいことを一生懸命にやって


会社で働く人は会社で働く


家庭の主婦は主婦として


子供や夫のために尽していればよい


人間には必ず何かしら与えれているのです


その与えられた一つのことを


たとえ小さなことでも一生懸命やって 磨いてゆく


皆さん方でいえば


世界平和のお祈りをするとか


ということがとても楽しみなわけです


それが生甲斐になるわけです


その生甲斐を生かして輝かせる


そういう生き方をすれば


一生が非常に有意義に過ごせるわけです


また引っこみ思案の人で


とにかく人の中に出たくない


人と会いたくない


人と話したくない


ジーッと殻にこもっていたい という人がいます


そういう人はどうすればいいかというと


過去世の習慣の想いがそう閉ざしてしまったのだから


勇気をふるって


人と話すのがいやでも


社会に出て接触する


習慣を変えなければいけません


変えていかなかったら


その人は今生に生まれて来た役が立たないわけです


たとえば おしゃべりの人は言葉を慎んで慎重な行動をすることを


この世界で学ばなければいけない


引っこみ思案の人は 人と接触して


人間関係というものを学びとるようにする


そうしなければ


この世に生まれて来た天命が果せないのです


この世では大体 逆なことをやらせるわけです


逆なことをやっているうちに


両方が統合され 完成された人間


或いは完成に近い人間にだんだんなってゆくわけです



自分の不得意なことを不得意だと


つっぱなしてはいけません


得意でないことも得意になるように


やっぱり勉強して


自分を磨かなければいけないと思います


この世に生まれて来た場合には


過去世の因縁の 自分の得意な面が出ているわけです


不得意なこと いやなことがあると


いやなことをいやでなくなるよう


不得意なことも不得意でなくなるよう


守護霊 守護神が働いているわけです


それで完全にさせようと思う


右だけが出来て 左が出来なければだめなんです


左も右も両方が出来て


完全円満な人間になっていかなけりゃならないから


自分の得意でないことも


そういう立場に置かれたら 一生懸命


それを得意にするようにやらなければだめだと思うのです


そういう風にやってゆくよう


私もやりますから 皆さんもやってゆきましょうね


そして自分たちを完成させて それで


世界人類を完成させてゆく先達となって


働かなければと思うんですよ








  


神と人間 (正しい宗教と誤れる宗教 14 )

  
  
  
因縁を説いたら、必ず、その因縁の消え去る方法を教え、その本体の神仏であるところま

で説かねばならぬ。


これは、因縁を、想念(心)の法則と説いても同じである。


この不幸は、この病気は、みんなあなたの心の影ですよ、と指摘する類である。


形の世界の運命は、みんな心の影であるのは真理であるが、現在そこに現われた、病気

や不幸が、その人にとって記憶のある悪想念の現われであることは少なく、大半は、記憶

に出て来ぬ過去世からのものも含めた潜在意識にあったものであり、あるいは祖先や縁

者の悪想念に感応している場合も多いのである。


この理を考えずに、ただ、あなたの心の影だと説くことは、その人を救うというより傷つけ痛

めることが多いのを私はよく知っている。


これは愛の不足ということで、知識が智慧と離れた状態である。


心の温かい人、愛の深い人はどうしても相手の心の傷や痛手に、ぐさっと突きささるような

言葉は吐けないもので、まずその不幸にたいして、同情せずにはいられなくなるものでは

ないかと思う。


いかに真理の言葉であっても、聴く人の心が、その真理の言葉に遠い境界にあったり、

空腹に喘いでいる人に、高遠な理想を説いても、ほとんど効果はあるまい。



真理の眼玉よ  降りて来い

おまえがあんまり高すぎるから

世の中は暗いのだ




と歌った詩人がいるが、これこそ肉体人間一般の叫び声であろう。


この声を無視した教えでは人類を救うことはできまい。









『神と人間』 正しい宗教と誤れる宗教 五井昌久 白光出版




 


感想


人間は死んだらどこへ行く?

人間はどこから来たのか?

人間はなんのために生まれて来たのか?

そんな大切な基本的なことを誰も教えてくれない

ただ知識を詰め込むだけの教育しか受けていない

そのつけが今まわって来ているのだと思うのです。

しかし、真理を誰かが言ったとしても

「あぁそうだったのか!」 とわかる人もほとんどいないのでは、広まることもありま

せん。


キリストが説き、お釈迦様が真理を弟子たちに伝えて来たことも未だに浸透していない

のです。


でもこれからはその真理が伝わるようになります。


それは宇宙から降り注いでいるエネルギーが細かいバイブレーションの宇宙の波動に

変わって来ているからです。


地球上の波動と宇宙の波動は全然違うのです。


地球上でも波動の良い(バイブレーションが細かい)場所と波動の悪い(バイブレーショ

ンが荒い)場所があります。


地球の波動が宇宙の波動に近づいて来ているのです。


でも人間の意識がついていけていない。


肉体意識と宇宙意識のギャップです。


そのギャップを埋めるには、世界平和の祈りしかないのです。

(このギャップが埋めれないと人間は非常に苦しむのです)


世界人類が平和でありますように

の世界は宇宙全体を言います、そして人類は宇宙のあらゆる生き物のことです。

宇宙(神)は愛なので、人類の平和と調和を願っているのです。


祈るということは宇宙神(心)に波長を合わすということです。


昨日の調和波動気功のセミナーでう先生がおっしゃっておられました。


「私たちは生まれる前からずっと世界平和の祈りを祈っていたのです、だから祈るのは当

たり前のことです、宇宙人はみな祈っています、地球人類だけが祈っていないので地球は

原始時代にいるのです」


私は今まで祈ること、祈れる人とは普通の人とはちょっと違う、特別の人たちだけだと思

っていました。


でも違うのです。


私たち地球人も宇宙人です。

だから世界(宇宙)人類の平和、調和、愛を祈るのは当然のことだったのです。

真理とは頭(知識)で識ることではありません。

行じて(祈る、印を組む、マンダラを書く)そして少しずつわかってゆくものです。

行じると自分の波動が変わっていきます。

宇宙の波動に近づいていくのです。

そして宇宙と共鳴したときに自分が何者であるのか?

どこから来たのか?

どこに行くのか?

がわかるのです。

人間は自分の本心のある宇宙と繋がらないと幸せになれないのです。


幸せとは本当の自分と出逢うことです。


宇宙(神)の波動がわかるということなのです。




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



 
無限なる愛


無限なる調和


無限なる平和


   
 
  

2010年3月20日 (土)

神と人間 (正しい宗教と誤れる宗教 13 )

  
  
  
現代のように唯物知識の盛んな時代に、ただ、人間は仏性であり無礙心ある、ということ

や、そのような実相論、本体論だけで、近代人を救いに導くことはほとんど不可能である。


本体論、実在論、実相完全論を説きつつ、人間因縁論をも同時に説き、肉体界、幽界、霊

界、神界(仏界)を知識として認識させ、本体はこうなのだが、因縁としては、こうこう、この

ように種々な界を経巡っているのであるから、本体を実際に確認し、実相界にて仏となる

にはいかにしたらよいか、ということを、教え導くようにするのが、宗教家であり、指導者で

なければならない。


その意味では、心霊学者や、心霊研究家の仕事も、大事であり、善い意味の霊媒者も必

要である。


また旧来の仏教や道教、キリスト教も役立っているが、その一つに捉われてしまうようだ

と、到底悟りに入ることはできないし、現象の生活環境すら真実の善さを現わしては来な

い。


であるから、各自、自己の因縁(性格を含めた)を知ることに努め、長所(善因縁)を見出し

て、それを伸ばして行くことに真剣になることで、悪因縁(短所)はそれを知った上で、それ

に捉われずに放してゆくことである。


宗教家や指導者はその人の長所、短所を認識し、その認識の上に立って、長所が伸びて

ゆくように導き、短所は何気なく打ち消し、打ち消し、してやって、消し去るように指導して

やるべきである。


因縁を説いて、その因縁を消し去ることを教えぬ宗教家は人を救えない。


それは、因縁、因縁と因縁を想う念に捉われさせて、人間の本来の自由自在性を失わせ

てゆき、安心立命どころか、不安心の生活にその人間を追いこんでしまうからである。


因縁を説いたら、必ず、その因縁の消え去る方法を教え、その本体の神仏であるところま

で説かねばならぬ。


これは、因縁を、想念(心)の法則と説いても同じである。


この不幸は、この病気は、みんなあなたの心の影ですよ、と指摘する類である。








『神と人間』 正しい宗教と誤れる宗教 五井昌久 白光出版



 




感想



因縁を説いて、その因縁を消し去ることを教えぬ宗教家は人を救えない。


そうなんです、そこが一番問題なのです。


占っている人に占ってもらってそれが当っていても霊媒師に過去世を教えてもらっても、た

だ、過去世がわかっただけではどうしようもないのです。


「あなたは過去世で散々悪いことをしてきた、今はそれが返って来ているのでどうしようも

ないのです」

それだけならまだしも

「もしどうにかしようとしたいのなら・・・・・・・・」


「この壺を買いなさい」


「清めてあげるから100万円を出しなさい」


の類です。


宗教が嫌われる、インチキだといわれるのはこういった類の宗教や霊媒師が多いからなの

です。


これなら、なまじ自分の過去世など知らずに今生を一生懸命に努力している唯物論者の

方がよっぽどよい生き方だと思うのです。


唯物論者とは、この世には目に見える物しか存在しない、神も仏もないと言っている人た

ちです。


今、地球が末期的状態にあるのは、悪因縁を消すことが出来ず、潜在意識に溜まった人

間一人一人の業想念がすごいマイナスのエネルギーになって渦巻いているからです。


このままではいけない、地球はまた過去のように崩壊してしまう。(6回失敗しています)


でも今回は完成のときなのです。 (7劫目、7は完成の数字)

201?年に崩壊の危機を乗り越えてアセンション(次元上昇)することになっているので

す。

それは幽界(潜在意識の世界)が浄化されて神界がそのまま肉体界に降りて来るのです。

それが本当の本当の真実なのです。

幽界を浄めることは、肉体人間には出来ない

浄めることの出来るのは、守護霊、守護神なのです。

そして私たちが祈り、印を組むことです。 (三位一体となって)

世界平和の祈りを祈ると神界、宇宙と共鳴し凄まじいばかりの光が私たちの肉体に降りて

来るのです。


すると私たちは光の柱になります。(光は縦に流れる)


そしておへその下、3.5㎝を下丹田(かたんでん)というのですがそこから光のエネルギー

は横に流れ始めるのです。


縦に入ったエネルギーが横に流れるぴかぴか(新しい)


横に流れた光を浴びて自分だけでなく、縁のある人たち、周りの人たちが目覚めて行くの

です。(悪業念も消えていきます)


これが十字架の意味です。(プラスという意味でもあります)


キリストはこのことをおっしゃっておられたのです。


悟った人はみんな天と地を貫いていました。


宇宙からの光のエネルギーを降ろしていたのです。


アセンションとは、キリスト、お釈迦様のように宇宙からの光のエネルギーを降ろせる器の

人がたくさん現われるということです。


世界平和の祈りを祈る、印を組むとはその器になることなのです。


これからたくさんの人が世界平和の祈りを祈り、印を組むようになっていきます。




 
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  

2010年3月19日 (金)

神と人間 (正しい宗教と誤れる宗教 12 )

  
  
   
なんでもまず、自己の心の指導者、行動の守護者である、守護霊に念じてみることであ

る。


必ず現界における、善き相手をその人の前に現わしてくれるのである。


自己の内に神があるのだから、他の誰の教えを受けなくとも良いのだ、と思いこんでいる

人が、友人たちに向かって

“君たちは、君たちの内部に神性があって、ひとりでに君たちを善きように導き給うている

のだから、どこの誰に教えを受けたり、浄めてもらったりする必要はないよ” と忠告してい

るのを時々耳にする。


これは真理の言葉のようで、非常に誤っているのである。


内部の神性は、常に人間や事柄をもって、その人を導いているのであって、ある指導者に

逢ったことが、内部神性の導きである場合がたくさんあるのである。


人間は真理に素直であることが、実に大事なことであり、その素直さは、常に内部神性

(守護霊を含めた)の導きに心を傾けている真剣な祈りの念に根柢を置くべきである。


内部の神性とは、常に守護霊、守護神を含めたものであることを忘れてはならない。


宗教教団そのものが立派で正しくあっても、その教えを説く人が正しくない場合がたくさん

あるので、その点も注意が肝要なのである。


また、その教えが、実に立派で、教えそのものとしては、それ以上の高さには誰にも説き得

ないほどのものであっても、その教えのままをこの肉体世界に実現せしめ得ぬようでは、

その教えが生(なま)である、といい得よう。


例えば、人間は本来形なく、姿なきものであり、神、仏と一つのものであって、光明そのも

のである。


実相身、無礙身であるから、幽界があるとか、死後の霊魂が生きているとか、いうことは全

然必要ないことである。


ただ、ひたすら仏を憶念すればよい。


といわれた場合、その理は真であって、返す言葉はないが、ただ、ひたすら仏を憶念する

だけで、安心の境界に入り得る人がいったい何人あるであろうか。


また、ひたすら仏だけを憶念できる人があるであろうか、という実際問題となるのである。


現代のように唯物知識の盛んな時代に、ただ、人間は仏性であり無礙心ある、ということ

や、そのような実相論、本体論だけで、近代人を救いに導くことはほとんど不可能である。










『神と人間』 正しい宗教と誤れる宗教 五井昌久 白光出版

 




感想


ここでの文章で私は大いに反省しなければならないことがあると気づいたのです。



 

自己の内に神があるのだから、他の誰の教えを受けなくとも良いのだ、と思いこんでいる

人が、友人たちに向かって

“君たちは、君たちの内部に神性があって、ひとりでに君たちを善きように導き給うている

のだから、どこの誰に教えを受けたり、浄めてもらったりする必要はないよ” と忠告してい

るのを時々耳にする。


これは真理の言葉のようで、非常に誤っているのである。


内部の神性は、常に人間や事柄をもって、その人を導いているのであって、ある指導者に

逢ったことが、内部神性の導きである場合がたくさんあるのである。





mixiやブログをしていると “苦しいときの神頼み” や神秘的な霊力などを求める人が、

あやしい、偽物と思われる人や思想に傾倒している姿を見ることがかなり多かったので

す。

そこで私は、そんなところには答はありません、答は自分の心の奥にあるのです。

だからそんなものに頼ったり、信じてはダメです。

自分の内の神性を信じてください

と書き続けてきました。


確かに間違ってはいないのですが、そこまでの心境まで行くには、やはり、

 “しかるべき指導者” が必要なのです。


その指導者には守護霊が会わせているのです。

その指導者が偽物で真のメンターでなかったとしても、あるいは本物でも、その指導者に

会って影響を受けて体験することが必要なことがあるのです。
 

失敗もしないと成功もないのと同じです。


守護霊はそんな一見、廻り道だと思われるような体験を私たちにさせるのです。


私はそこのところを深く考えず、ただ表面に現われた現象だけをみて判断していたので

す。



ここにここまで私の偏見に惑わされた人がいたとしたらお詫びをしなければならないと思っ

ています。


申し訳ありませんでした。 泣き顔


でも、失敗(経験)は最小限度にして、いい指導者に巡り合うことは守護霊様も望んでい

らっしゃることだと思うのです。


ですから前章で書いた、善い指導者に会うために

「私に適切な指導者を導いてください!」

と守護霊にお願いすることが大切なのです。




 
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます





  




  



 

2010年3月17日 (水)

神と人間 (正しい宗教と誤れる宗教 11)

  
  
  
それから、未来の予言をして、人を恐怖させ、それを入信の手段としているような宗教もま
 
た誤れるものである。


宗教とは人間を安心立命させることが本意なのであるから、その日常生活が、宗教に入っ

たために、かえって不安になったり、乱れたりしては、宗教が人間に害を及ぼすことにな

る。


真の宗教とは、業生を超えて神仏に直通する道を指し示し、導き上げてくるものであり、真

の信仰とは愛と真をますます深め高め、人類大調和創造のために、偉大なる勇気を湧き

上げさせるようなものでなければならない。


宗教に入って、不安動揺するならば、その宗教が間違いか、その人の信仰が間違いかの

どちらかである。


いかなる正しい宗教に入っても、直ちに安心立命の境地に入れるわけのものではないが、

それは、その人、その人の信仰の深さ、信行の真剣さによって、時間の短縮はいくらでもで

きるのである。


真の宗教家を求めるならば、まず自己の守護霊、守護神に心を傾けて熱心に頼むべきで

ある。


守護霊、守護神は、必ず、その人を一番適当な宗教家や指導者のもとに送りこんでくれる

のである。


その時は、何か、安心に似た感じか、懐かしい、嬉しい感じがするものである。


いかに高い教えを説く宗教に誘われても、守護霊、守護神に念じてみて、行きたくなかった

り、行っても心が不安であったりしたら、その時は、その人の心境に、その教えが適さない

のであるからである。


なんでもまず、自己の心の指導者、行動の守護者である、守護霊に念じてみることであ

る。


必ず現界における、善き相手をその人の前に現わしてくれるのである。








『神と人間』 正しい宗教と誤れる宗教 五井昌久 白光出版






 

 


感想





その時は、何か、安心に似た感じか、懐かしい、嬉しい感じがするものである。



私はここの部分が非常によくわかるのです。


自分に深い縁のある人、たぶん、前世でかなりお世話になった人だと思うのですが、その

恩人と再会したような気持ちになるのです。


幼い頃、母親にやさしく抱かれたような感覚なのかもしれません。わーい(嬉しい顔)


肉体人間の自分はなんにも覚えていないのに、自分の守護霊、守護神は自分の守ってい

る子どもや孫が命の恩人に会えたことがこの上もなく嬉しいのだと思うのです。


その喜びを守護霊は私たちに伝えて来るのです。


「お前にとってとても大切な人が目の前に現われたのだよ」


・・・・・・と。


そして守護霊、神は人生の指導をその恩人に任せるのです。


目に見える部分ではその恩人が居て、見えないところは引き続いて守護霊、神たちが受け

持つ。


肉体人間にとってこれほど心強いことはありません。


私には、う先生がそのような存在なのです。


みなさんにも人生の指導者(メンター)は必ずいらっしゃると思うのです。

でも、自分ではメンターだと思っていてもそうでない場合も少なくありません。

変な人もたくさんいるからです(笑)


その指導者が本物なのか、曲者(くせもの)、ニセモノなのか


普通は見分ける術がわからないのです。


ならば、どうしたらいい指導者に巡り合えるか?


方法は難しくはないのです。


守護霊、守護神に素直にお願いすればいいのです。


「守護霊様、守護神様、私にメンターと会わせてください」


と心の中で唱えるだけでいいのです。


守護霊はこの世(3次元)でのメンターに会わせたくてしかたがないのです。


人間の方からお願いされるとその機会(チャンス)を作りやすくなるからです。


みなさん、守護霊さん、守護神さんをもっと信頼して、頼みごとをしてみてください。(遠慮し

ないで)


みなさんの魂の成長になることだったら喜んで働いてくださるのです。


なぜなら、それが守護霊、守護神の役割りだからです。




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)



  
  

2010年3月15日 (月)

神と人間 (正しい宗教と誤れる宗教 10 )

   

  
この種の宗教の教祖はおおむね、女性や、学問的知識のすくない人が多い。


何故ならば、知性のある人びとは、相当素直な人でも、その言葉や態度に批判の眼(まな

こ)をむけずにはいないので、肉体を使おうとして憑く霊魂にとって、自由に使いにくいから

である。


この種の教祖や宗教家は、非常に尊大ぶった態度を取ったり、下卑た口をきく。


または知ったらかえって不安動揺するような予言をする。


予言されて、その通り防げば、防げる態(てい)の事件の予言ならよいが、その難を絶対除

かれようもない未来の予言をするようなことは神の心に適うはずはない。



これらの霊魂は幽界の生物であって、神から来る守護神、守護霊ではないので、ただたん

に面白半分に、肉体人間を驚かし、畏敬させて得々としているのである。


肉体人間でいえば、不良青年のようなものである。


ただ、予言が当ったり、人の心を見抜いたりするだけの奇蹟で、その人間を神が使ってい

る、とか、神様だとか、思ったりしてはいけない。


たとえ、その霊魂(宗教家)の言葉で事業や、商売がよくなった、としても、そのことだけで、

その人が救われの道に入ったのではない。


現世利益だけの目的で神にすがりつこうとするその姿(心)は、神の道をかえって見失って

しまう恐れがある。


生命を活かさず、心の汚れたままで、神に救ってもらおうとする人間たちの、卑しい心を助

長するような働きをする宗教は、誤れる宗教という他はない。


それから、未来の予言をして、人を恐怖させ、それを入信の手段としているような宗教もま

た誤れるものである。

 

  
 





『神と人間』 正しい宗教と誤れる宗教 五井昌久 白光出版




 






 



感想



この種の教祖や宗教家は、非常に尊大ぶった態度を取ったり、下卑た口をきく。


の部分ですが、宗教家だけでなく、テレビなどに出て来るスピリチュアル系の人や霊能が

あるという人には、こういう人が非常に多いのです。


冷静に見ていると

「あ、幽界のオバケちゃんが乗り移って遊ばれているな!」 とわかるのですが、異常に神

秘的なことを求めている人、肉体界以外の世界(目に見えない世界)に過剰に興味を持っ

ている人などは予言が当ったり、相手の人の考えていることがわかったりする場面などを

見ると


「凄い!この人は神様だ!」 と信じてしまうのです。


それはあたかも儲け話に何回も騙されてしまう人たちに似ています。


「お金が欲しい! どこかに楽をして儲けられる話はないか」 とアンテナを張っている人は

邪な儲け話に共鳴、感応しやすいのです。


そこで人間にはやはりある程度の洞察力と審神(さにわ)力が必要だと思うのです。


相手の心の奥を観察して見抜く力、神(本物)から来ているのかを審判する力


それがないと人間は、幽界の生物(つまりオバケちゃん)に振り回されることになります。


そうならないためには、ニセモノを見抜く力をつけることが大切なのですが低い意識(世

界)に合わさないようにするには

自分が最高の波動の世界である、宇宙とつながってしまえばいいのです。


宇宙とは神界であり、本当の自分(本心)がいる場所です。




宇宙(神界・本心)
 ↑
霊界
 ↑
幽界
 ↑
肉体界



幽界の低い世界に感応せず、本当の自分がいる心の故郷である宇宙とつながることが、

生まれてきた人類共通のほんとうの目的です。


そして、本心とつながってから初めて、本当の自分が開花されていくのです。


地球、肉体人間はまだその原点(出発点)に立っていないのです。 無限なる光!





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

 




  



 

2010年3月14日 (日)

神と人間 ( 正しい宗教と誤れる宗教 9 )

  

   
さて話を幽界に戻して、幽界において肉体界に悪影響を及ぼす、生物の話をしてみよう。


幽界には、肉体界を離れながら、いまだに肉体界に生活しているものと思いこんでいる人

間たちがいる。


この人たちは、肉体の死が人間の消滅である、と思いこんでいる人たちで、肉体への執着

が非常に強く、病気あるいは傷害で、肉体的に死にながら、われわれが通常夢みているよ

うな工合に、自分の肉体界当時の周囲の人びと、近親や、子孫の人びとを想念し、その人

びとの肉体の背後に密着する。


それは、自分自身の肉体が、すでに無いのに有る、と思いこんでいるので、幽体だけが想

念を包んで、肉体界をさまようのである。


この幽塊が肺病で死んだならば、肺病の念(おも)いを、そのまま持ちつづけているのでそ

の幽塊に密着された人は、しだいに、その肺病の念に禍され、その人もついに肺病になっ

てゆくのである。


それは親しい人や血筋ほど禍されやすいのである。


その他の病気や傷害も同じである。


生前の恨みを晴らそうとする場合も、恨まれた人は難を受けやすい。


また、幽界に転移しながらも、肉体界に異常に興味を寄せている霊魂と、幽界のみに生存

する感情霊、あるいは動物霊という、人間のような倫理観や道義など持ち合わせぬ生物

がいる。



これらの霊魂や生物は悟りから程遠いのであるから、俗事に非常に興味があり、自己の

神性を探求することよりも、何か、事件を起こして、騒ぎたかったり、崇められたかったりす

る心が強いので、肉体人間が、あまりに自己の欲望達成のための神頼みや、奇蹟に頼っ

たりしているのを見て(ある程度の幽界人は、肉体界がよくわかるのである)茶目気を出

し、ある種の霊媒素質のある(これは肉体の下衣である幽体の大きい人、霊魂が出入りし

やすい人)人たちに送念して、あるいは肉体を借りて口をきき “我々は何々の神である

ぞ” 式に現われ、種々と肉体世界の出来事の予言をするので、これはなかなか当るので

ある。


低い宗教、誤れる宗教にはこの種類が非常に多い。








『神と人間』 五井昌久 正しい宗教と誤れる宗教 白光出版



 





感想


神と人間の本の中で今回、ここに書いてあることはかなりの人が「なるほど!電球」と頷かれ

るのではないかと思います。


幽界の世界があることにピンと来ない人も


誰か知っている人の人格が急に変わったり、なにか変なものに取り憑かれているのではと

思われるような言動を取ったりする人は私たちの周りに結構居ると気づかれるのでないか

と思います。


という自分自身も急に怒りっぽくなったり、感情的になったときなどは


「いやいや、これではいけない」 と我に帰ることがあります。


私たちは自分自身の本心(神)と真っ直ぐにつながっていないときはその他のものとつな

がっていると思った方がいいのです。(別人になっている)


そして自然とその軌道修正をしようとするのです。(このことを波動調整という)


私たちはときに本心(本当の自分の心)と離れた言動行為をします。


すると本心から少しずつ離れてずれて行くのです。


そしてそのまま放っておくと本当の自分とは全然違う人になってしまうのです。


そうならないように背後で守って修正を助けてくださるのが守護霊、守護神です。


でもわたしたちがあまりにも勝手に欲望のままに突っ走ったり、幽界の感情霊、動物霊に

感応しているといつの間にか守護霊たちも手に負えなくなって、オバケちゃんたちの遊び

道具にされてしまうのです。


お釈迦様やキリスト、その他聖者、賢者たちはその世界(幽界)のことを充分わかった上

で、人間に対して常に注意を促していたのです。


私たちは日常生活で色んな出来事に遭遇するのですが、Aの行動を起こすB、C、Dのこと

をしたのちにほんとうの自分を見失わないように常に本心に戻る習慣をつけなければなら

ないのです。


Aのことをしたら本心に戻る、Bをしたらすぐに又本心に帰るということです。(一日一回は

静かなところで自分と向き合った方がいいとはこのことです)



それが私がいつも言っている“統一” です。


統一とは自分の本心とつながる、神である自分自身と一体となることです。



 
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)





  

2010年3月10日 (水)

神と人間 (正しい宗教と誤れる宗教 8 )

  
  
  

かくて、幽界において、ある程度浄化されると、また肉体界に誕生し、また異なる生活の経

験を得て、再び、三度、両界における体験を繰りかえし、しだいに、高度の生活に導かれ、

ついには、天界にいたり、神格を得て、神界に住し、あるいは、覚者(仏)となって、肉体

界、幽界の指導者となるのである。


結局、人間はその人自体が、すでに蓄積した悪想念をいかに巧みに消し去ってゆくかに

よって、その人の運命の度合が高度になってゆくのである。


桶が汚水で一杯になっていたら、人は必ず、その水をこぼして、新しい水に汲みかえるで

あろう。


しかし人間は、自分の運命の汚水(悪想念)をそのまま流さずにおきたがるものなのであ

る。


何故ならば、その汚水(悪想念)がこぼれると、その場が汚くなる(その人の生活に起こる

不幸や病気をいう)からである。


といって、次から次へと汚水(不幸や病気への恐怖、恨み、怒り等の悪想念)を出しつづけ

たら、その桶からは常に汚水がこぼれつづけ、その場は、汚水でいたたまれなくなるであ

ろう。


この汚水を消すには、まず清い水をその桶にそそぎこむ(善い想念、愛と感謝)ことが第一

であり、それと同時に、その場のふき掃除をすればよいのである。


人間はその忍耐力と勇気が必要である。




『神と人間』 五井昌久 正しい宗教と誤れる宗教 白光出版






 
  

感想



ここでの最後の文章のところで私は今巷で流行っている(昔からあるのですが)


プラスの言葉を発すると奇蹟が起こる式の法則を思い浮かべるのです。


ただこの法則は真理を最後まで伝えてはおらず、


潜在意識をプラスにしてしまえばマイナスは起こらない


で終わっていると思うのです。


しかし汚い水が入ったコップにきれいな水を注いでいくと汚い水はコップから流れ出て周り

を汚すのです。(その人の生活に起こる不幸や病気をいう)


だから祈れば祈るほど、唱えれば唱えるほど、前よりも悪いことが起こることもあります。


でもそれは善くなるためのプロセスであり、大難が小難にもなっており、潜在意識は以前よ

りも綺麗になっているのです。


しかし今の現状だけをすぐにどうにかしようとしている人にはそれが理解出来ないのです。


私は善い言葉、善い思想を広めようとする人はメリットばかりだけでなく、善くなるためには

消えてゆく姿があって(不幸にみえるもの)それから(コップの水がすべて綺麗になって)初

めて善くなっていくのだということを伝えるべきだと思うのです。


その真理を教えるのが本当の宗教家であり、指導者であり、覚者、賢者なのです。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)




 
追伸
 

世界人類が平和でありますように の言霊は宇宙の願い事であり宇宙のプラスの光輝い

たエネルギーが私たちの器に入って来るのです。ぴかぴか(新しい)


だから悪想念を早く清め、自分自身と地球上の生きとし生きるもの、地球人類、その他の

星の人類まで浄化するのです。

個人と人類が真の救いを体得出来る祈り言葉なのです。






 




  

2010年3月 9日 (火)

3月18日(木)は気功サロンの日

  
   

みなさ~ん3月に入って暖かくなって来ましたと言いたいところですが、まだまだ寒い日が続きます。


今日記に書いていることは『神と人間』の本に書いてあることを主に感想を述べています。


難しいかもしれませんが、本当はすごくシンプルで誰でもが潜在意識の奥で知っておられることなのです。


私は、ネットでも勿論よいのですが、出来れば、みなさんに直接会ってお会いしたいのです。


そして真理の話をしたいのです。(来られた人は確実に真理の理解度が増しています)


気功サロンとは、気軽に、リラックスして真理の話が出来る“場” でもあるのです。


来られたらきっとみなさんのハート(心)は、ホッコリ暖かくなりますよ。いい気分(温泉) わーい(嬉しい顔)





いのち生き生き気功サロン 


 
  
 3月18日(木)  PM1時半から7時まで

 4月15日(木) 同じ


今年は第3木曜日に開催致します。


参加される人はご連絡ください。


080-1444-0018 (篠崎)





カリキュラムの内容  
  
 
    ① 呼吸法(気持ちを落ち着かせる為)
    ② ストレッチ(心と身体を柔軟にする)
    ③ 姿勢を正す(気を通りやすくする)
    ④ 一日七回感謝する(プラス思考)
    ⑤ 全てのものとの調和(感謝出来るようになる)
    ⑥ 身体の力を抜く(感情のコントロールが出来る)
    ⑦ 明るく朗らかに穏やかなる(パワフルになる)


この7つの中からいくつかを体験していただきます。

   
この時間帯の間のお好きな時間にお越し下さいね。


 
 

場所:浪速区民センター 第4会議室

大阪市浪速区稲荷2丁目4-3
電話  06-6568-2171 06-6568-2171
地下鉄千日前線桜川駅より徒歩3分
 


http://osakacommunity.jp/naniwa/index.html
 

参加費:500円

 

気功ってどんなものかな?と思っても、
なかなかレッスンにくるのは敷居が高い、
という方、是非気功サロンにお越し下さい
オリエンタルウインドの講師がわかりやすくご説明いたしますよ (女性3名男性2名)


  (●^o^●)


 

http://orientalwind.info/2006/12/whats_new.html


オーラ・オーラもよろしくお願いします。


http://auraaura7.com/





  

神と人間 (正しい宗教と誤れる宗教 7 )

  
   
  
地界は、愛に背くもの、物質欲深きもの、執着強きもの、自我心強きもの、怠惰なるもの、

等々、神の心、すなわち本源の心に遠いものが、その業因縁を消滅せらるるために住む

世界である。


人界、地界(註・・・・この世界はお互いに幽体が見え合うのであって、その点肉体界と同じ

である。

ただ肉体界よりすべてにおいて速度が早く、善悪とも、思うことがすぐに実現する)におい

ては、業因縁の渦から脱しようと努力しながらも、肉体界以上に業因縁の渦は急速に回転

するので(それは、念波の周波数が肉体界より細かいから)なかなか、その輪をぬけ出る

ことはできない。


その渦の輪を抜け出すためには、一度、想念を停止すること、絶対の精神統一に入るこ

と、すなわち、神にのみ心を集中して、いかに業因縁の念が自己の周囲を回転しても、

見むきもしないことであって、その精神統一の深さに従って、蓄積された想念の消滅の仕

方が違い、その度合いによって、自己の住む圏(世界)が高くなるのである。

 

いいかえれば、いかなる辛さや、苦しみや自己に都合の悪いことが出て来ても、それは

今、自己を取り囲む業因縁が消え去ってゆく姿である、と観て、ただひたすら、神との統一

観に浸れ、ということで、これは肉体界における場合と同様であるが、肉体界のように、

その業因縁が緩慢に現われる世界と違い、烈しく、急激に現われるので、なかなかその苦

しさに耐え得られないのである。

 

このことを考える時、この肉体界に生活する期間中に、できる限り、自己の業因縁を消し

去っておくほうが、幽界において同じ業因縁を消し去るよりは、どれだけ楽であるかわから

ないのである。

 

例えていえば、百万円の借金(業因縁)をした人が、肉体界においては、五万円ずつの月

払いで済むとすれば、幽界では、一度に百万円を支払わねば、さらに百万円の利息がつ

く、というわけである。

 

幽界(人界、地界)においては精神統一が最大の悟道の法であるが、もう一方法、守護神

の指導に素直になることである。

 

肉体界において、守護霊、守護神の援(たす)けがあるように幽界においても、守護霊、守

護神(主に守護神の援助)の導きがあるので、この導きに素直に従ってゆくことが、自己を

救う、よい方法なのである。
 


この場合も、自己の眼前の利益を超えて導かれる場合が多いので、守護神の導きが、例

え、自己に不利のように見えても素直に従うべきである。


この場合でも、肉体界において、常に守護霊、守護神に感謝していた人は非常に益するこ

とが多いのである。


かくて、幽界において、ある程度浄化されると、また肉体界に誕生し、また異なる生活の経

験を得て、再び、三度、両界における体験を繰りかえし、しだいに、高度の生活に導かれ、

ついには、天界にいたり、神格を得て、神界に住し、あるいは、覚者(仏)となって、肉体

界、幽界の指導者となるのである。




  

『神と人間』 正しい宗教と誤れる宗教 五井昌久 白光出版




 

 

感想


ここに書いてある幽界のことをわかりやすくいうと、相手のことを「腹が立つなぁ殴ってやろ

うかなぁ」 と思ったら相手にはこちらの心がすぐにわかり、反対に即殴られることがあるわ

けです。

肉体界の場合はその想念があったとしてもすぐに相手にはわからなかったりします、だけ

どその相手への想い(エネルギー)は相手には確実に伝わっておりなんらかのお返しは後

から必ずあるのです。


幽界の場合、「殴ってやろうか」が2倍になって返ってくる。百万円の借金をしたら、さらに

百万円の利息がつくとはこのことなのです。


肉体界に今、いるということは本当に楽なのです。


殴られる前に、倍返しの2百万円を返さなければならなくなる前に、想念を清めることが出

来るからです。


その方法とは自己の想念を停止するという精神統一です。


統一とは神様のみ心と一緒になるということで業因縁の世界から離れることを言います。


神様の世界(神界)に入ってしまえば、業因縁の世界とは無縁になるのです。


それから守護神に素直になる、常に感謝することは業因縁を早く消すことになるのです。


なぜなら守護神は幽界を浄めることができるからです。


守護神は神界だけでなく霊界、幽界も網羅しているので人間の心に溜まった業因縁、潜在

意識を浄化することが出来るのです。


人間の運命は幽界(潜在意識)を浄めない限り、絶対に善くなることはないのです。


  
守護霊、守護神なんていらない、そんなものあるものか!自分一人で生きて行くんだ!と

いう人がいるとしたらそれは実に真理を知らない、おろかな生き方なのです。


肉体人間は明日自分がどうなっているかさえもわかりません。


でも守護霊、守護神は守っている人間がこの先どうなるのか、すべてお見通しなのです。


これまで輩出した聖者、賢者はこの守護霊、守護神の存在を知っていて、絶大な協力を

得ていたのです。



       
  


 

2010年3月 8日 (月)

肉体人間の親と守護霊の幸せ感は違う

  
   
 
タイトルを読まれてなんのこっちゃと思いますよね。


これはどういうことかと申しますと


肉体人間の親が子に幸せになって欲しいと思うことと魂の親である守護霊、守護神が人間を幸せにしようとされていることにはかなりの差があるのです。


例えば、自分の娘をある人のところに嫁がせるとします。


肉体人間の親は娘に嫁ぎ先で何不自由なく、苦労なく過ごしてもらいたいと願います。


しかし娘の守護霊は、3次元でのそのときだけの物質的なこの世的な幸せより、魂の成長を優先させるのです。


嫁ぎ先の姑が意地悪だった、夫が酒乱だった、子どもが悪の道に走った、貧乏な生活を送った、病人の世話ばかりさせられた、・・・・・etc 家庭的には恵まれていなくても娘の親が知ったら泣きたくなるようなことでもそれに耐えて乗り越えることが娘の魂にとって必要なことであれば守護霊はそれでよしとするのです。


とてつもない苦労をしたお陰で人の苦しみがわかり心優しい人になることがあります。


そうすると苦労させた人は魂の恩人になるわけです。



五井先生や私の師匠である う先生は決して3次元的な幸せで進む道をアドバイスされることはないのです。


その先で苦労することが待っていたとしても、さもその先には良いことが待っているように薦められることがあるのです。
 

でもそれはあくまでも魂の成長にとって善いことなのです。
 

このことは魂とは永遠でずっと生き続けるのだという真理があります。
 

だから今、私たちの中で起こっていることはどんなに悲惨であっても魂にとっては絶対に必要なことなのです。

 
神様が守護霊、守護神が無駄なことなどさせるわけがないからです。


私たちの運命は自分で創っている、進んでいると思っていますが、すべては守護霊、守護神の計画通りなのです。


と書くと守護霊、神に主導権を握られている、縛られていると思いますが、実は違うのです。


守護霊、守護神は自分自身そのものだからです。


我即神也とは自分も守護霊であり、守護神でもあるのです。


つまり自分の今の状況は、どんな状況であろうと自分が望んでそこに居るということなのです。







世界人類が平和でありますように 
ぴかぴか(新しい)







 

神と人間 (正しい宗教と誤れる宗教 6)

  
  
  
これを物理学的にいうと、霊体は非常に細かい周波数をもつ波長の体であり、肉体は粗い

周波数をもつ波長の体であり、幽体はその中間の周波数をもつ波長の体である、というこ

とになり、分霊はその三つの体を自己の体としているのであるが、肉体に入るには必ず幽

体をつけてゆかねばならぬのである。


それは霊体から肉体に移るには波長の周波数があまりに違い過ぎて合わぬからである。


幽体は霊と肉体を結ぶ役目をもっているのであり、霊の念と肉体人間としての脳髄の想い

とを、その体に録音しておく役目をもつのである。(この場合幽体を念体ともいう)


肉体人間の死によって人間(霊)は幽体をつけたまま幽界において生活する。


この幽界にも肉体界(現界)と等しく、種々な生活があり段階がある。


その生活は幽体に蓄積されている想念の通りに実現されてゆく。


この人の想念が憎しみに充ちていれば、憎しみに取りまかれた生活をする、というようにな

るのである。


従ってその蓄積された想念の種々相であるように、幽界の段階は細かくいえばかぎり無い

ほど分れているが、大別して、天界、人界、地界というように三段階に分けられる。


この段階の上位は天界で、愛深き人、物質欲少なき人、執着少なき人、等々、神の心に近

い人びとが住み、この界においてもさらに細かい段階がある。


人界とは、この肉体界における普通人であり、平均点の人びとの圏であるといえよう。


地界は、愛に背くもの、物質欲深きもの、執着強きもの、自我心強きもの、怠惰なるもの、

等々、神の心、すなわち本源の心に遠いものが、その業因縁を消滅せらるるために住む

世界である。





『神と人間』 正しい宗教と誤れる宗教 五井昌久 白光出版








 
感想


私たちは時々

「幽霊を見た」

「あの家は幽霊が出るらしい」


などと言いますが幽霊がほんとうに居るのか?


幽霊とはなんなのか?


幽界という世界が実在するのか?


ほとんどの人はわかっていません、ましてや肉体界以外に目に見えない世界があるとも

はっきりとわかっていないのです。


死後の世界も死んだ人たちがどうしているかもほとんどの人が知らないのです。



実は私は幽界のこと霊界のこと、そして神界(天国)のことを見て来たわけではないので

す。(笑)


何の霊感もないのです。


さも見て来たように、知っているかのようにしょっちゅう肉体界以外の世界のことを書いて

いますがみなさんと同じように見て来たわけではないのです。


でもそのような世界があることを心がはっきり知っている、五井先生のご本を読んでいて書

いてあることのほとんどが疑うこともなく

「なるほど!」 と納得出来るのです。


たぶん、潜在意識(前世での記憶)が納得しているからだと思うのです。


過去世において修行していてその世界(幽界、霊界、神界)のことは知り尽くしていたのだ

と思います。


目に見えない世界のことをまったく受け入れられない人は、その経験が無いのです。



けれども私は唾を飛ばして


「このような世界(幽界、霊界、神界)があるのです!」

と訴えるつもりもないし、信じない人を納得させようなんて思ってもみないのです。

では、なぜこのようなことを書いているかと申しますと

「目に見える世界を自信を持って安心して生きていくには、目にみえない世界のことがわ

かっていないとできないからです」

「肉体界以外に色んな世界があること、人間は自分一人で生きているのではなく守られて

いるんだということ、死は人間の終わりではないこと、つまり真理がわからないと生きてい

ても不安だらけになるからです」


幸せとは心の安定を言います。


心が安心立命していないと決して本当の幸せ感は得られないです。


目に見えることに一喜一憂して振り回されていては心は平和にならないのです。


私は真理を知るようになってから以前とは見違えるように心が穏やかになって来ました。


祈るようになって印を組むようになってから幸せ感が頻繁に起こるようになりました。


そしてこの幸せ感を自分のものだけにするだけでなく、縁のある人たちに真理を伝えてゆ

ことが私のミッション(使命)だと思ったのです。


目にみえない世界(幽界、霊界、神界)のことを知らないと幸せにはなれないからです。



お金持ちになるとか、欲しいものが手に入るとか何不自由しない生活を送るということだけ

が幸せではないのです。


人間は本当のことを知らなければ幸せにはならないのです。


そして幸せの波動(宇宙の響き)と共鳴しないとその波動をキャッチしないと絶対に心から

幸せだと感じられないのです。(このことを統一と言います)


3次元(目に見える世界)と4次元、多次元のバランスを取ることがこの地球に生きて行く上

で大切なことなのです。


そのためには頭で知ること(真理を学ぶこと)と宇宙に繋がること(祈りによって)を交互に

していくのです。


理論、実践、理論、実践です。


祈ってばかりでも駄目で、頭でっかちになってもいけません。


悟るとは、心(本心)と吾(肉体人間のこと)が一つになることなのです。


肉体人間の世界(肉体界)に居て、幽界、霊界、神界とも同時に住むことが出来て初めて、

自由自在心になれるのです。



アセンション(次元上昇)とは、肉体人間が肉体界を越えて他の世界に自由に行けるように

なることを言うのです。







  

2010年3月 4日 (木)

守護霊、守護神について

      
       
読者の人から時々相談を受けることがあります。

ある人がひどく落ち込んでいる

ある人が精神的にまいっている

どうしてあげたらいいですか?

普通はその人に対して何か言葉をかけてあげるか、助言、アドバイスをしようとするのですが3次元的にその人に直接何かをしようとしてもあまり効果はないのです。

といいますのは私たち肉体人間を動かしているのは、自分自身だとほとんどの人が思っていますが実は守護霊、守護神によって動かされているのです。(眼の玉を動かすのも手を動かすのも自分が動かしているのではないのです)

元気な人とは守護霊、神が光を一杯に受取っていてその光を受け持っている人間に送れている状態の人なのです。

私たちと守護霊、神は一心同体なのです。

だからその人に元気になってもらおうとしたらその人のエネルギー源である守護霊、神に光を送るのです。

すると光を得たその人の守護霊・神は力を得て守りやすくなるのです。

「もう死にたい、もうダメだ」

と思っている人とは光が闇で覆っていて守護霊守護神もどうしようもない状態にあるのです。(守っている守護霊、神が疲れ果てているのです)

そんな状態の肉体人間に言葉をかけてもなかなか心には響かないのです。


○○さんの天命がまっとうされますように

○○さんの守護霊様ありがとうございます

○○さんの守護神様ありがとうございます

○○さんの守護霊様よろしくお願いします

○○さんの守護神様よろしくお願いします


天命を祈るのは人間とは天命があってそれをまっとうするために生まれて来ています。

だからそれを祈るということは魂が一番喜ぶことなのです。


その人に代わってその人の天命を祈る、世界平和の祈りを祈る、そして感謝は光です、感謝すると光が強くなるのです。

私たちはみな一つの光でつながっています。

だから思い、想い、祈りは伝わるのです。

特に祈りは光そのものなので強烈な力が宿っています。ぴかぴか(新しい)

気になる人

元気になってもらいたい人

救って差し上げたい人

がいたらまず祈ってください

それから声をかけても決して遅くないのです。(その方がいいのです)

なぜならわたしたちは守護霊、神に動かされているからです。

その守護霊、守護神が輝いていないと私たちはまともに生きていけないのです。

わたしたちは守護霊、守護神と一体なのです。


 


世界人類が平和でありますようにぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




無限なる感謝 ぴかぴか(新しい)




  

 

神と人間 (正しい宗教と誤れる宗教 5)

  
  
  
私は肉体生活がある限り、肉体生活の利害を全然思わぬ、というような教え方は無理であ

ると思うので、肉体生活の利害も認め、その利益もあり、幽体の存在を認め幽界を知ら

せ、幽界における死後の生活の方法を教え、さらに一番大事で、肝腎な、人間は神そのも

のである、ということを悟らせる方法が、前者の各方法よりさらによいのではないかと思う。


私はここで、第三章で書き漏らした、死後の世界、即ち、幽界について、述べておきたい。

死後の世界をここで説明しておかぬと、誤れる宗教について述べる時に読者にわかりにく

いことが多いと思うからである。


人間世界におけるすべての不安の根底は死の恐怖にある。


いかなる種類の苦しみに直面したとしても、死への恐怖を超越した人にとって、その苦しみ

は、心の痛みにならない。


死ほど、人間の関心をそそる出来事は他にあるまい。


死は人間にとって終りなのか、転移なのか、この謎が解けることによって、人間の進歩は

一段と早まるに違いあるまい。


人間は肉体人間の消滅によって失くなってしまうものではない。


これは先章から私が説いていることなのである。


死とは幽界(以後は霊界を含めて)への転出なのである。


肉体の死とは幽界への誕生なのである。


死ぬことを往生(おうじょう)といったのはこのことを昔の人は知っていたからなのである。


肉体が死ぬ、ということは、その中の神につながる分霊が(後にはただ霊という)幽体をつ

けたまま、肉体を抜け出た後の状態をいうのである。


先きの章と重複するが、人間とは肉体ではなく、霊そのものをいうのである。


肉体とは霊の容(い)れものであって、霊の心のままに行動するものなので、ちょうど自動

車が運転手によって走っているように、霊の運転によって種々の行動をなすのが肉体なの

である。


ただ先きの章で述べたように、直霊(神)から分かれた分霊が、まず幽体を創り、その幽体

を下着やシャツのように着け、その下着をつけた上に、肉体という上衣(うわぎ)を着けた

姿を、普通は人間と呼んでいたので、その肉体の消滅を、人間の消滅、と残された肉体界

の人びとは思いこんでしまっていたのである。




『神と人間』 正しい宗教と誤れる宗教 五井昌久 白光出版







 
感想



死とは幽界への転出なのである。


肉体の死とは幽界への誕生なのである。


死ぬことを往生(おうじょう)といったのはこのことを昔の人は知っていたからなのである。


ここの部分が特にしびれますねぇ 


お葬式のとき、ほとんどの人が真理を知らずに悲しんでいるのに、真理を知っている人は

「よかったね~肉体という鎧(よろい)から解放されて、オメデトウ!」

と祝福を送り

死とはどういうものかを知って亡くなった人は次の世界(幽界、霊界、神界)への転移を喜

んでいるのです。

死ぬことが怖くなくなれば、もう病気もないも同然になり、生きることにも積極的になれるの

です。


私は早くその真理をたくさんの人が知るようになればいいと心から思っています。



アセンション(次元上昇)とは3次元(肉体人間の世界)と4次元(肉体人間の死後の世界)

がつながることをいうのです。




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)





 

2010年3月 2日 (火)

神と人間 (正しい宗教と誤れる宗教 4)

  
  
  
人間は古代から奇蹟を求め、新しい世界を求めつづけた。


人間の力以上のもの、知識以上の出来事、こうしたことを待ち望む心は、本来の神性、

自由自在性の顕れの一部であり、常に新世界を求める人類の心の底には、神の国が蔵さ

れていたのである。


この求むる心、希求する心が、一方では科学精神となり、眼に触れ、手に触れる物質から

物質へと探求してゆき、ついには現代のように物質波動説にまで進展し、一方では求むる

心をそのまま五感の世界を超越して、波動の世界にいたり、さらに超越してあらゆる波動

を発する本源の世界に突入した覚者を生んだのである。


そして、この二つの方法が必然性をもって近代の文化を開き、理想世界樹立を目指してゆ

きつつあるのである。


先覚者釈尊は、自己の肉体を超越して本源の光に達した時、自己そのものが、光明身そ

のものであることを悟ったのであり、それ以来、自由自在に神の力を駆使して、数多の奇

蹟を行い、その弟子たちも、霊界の守護神の力を借りて、それぞれの神通力を発揮した。


仏教学者は釈尊の偉大さを、その哲学的な説教におき、その奇蹟の面は、釈尊の偉大さ

を称えるための一つの物語的に解釈している向きが多いが、あの奇蹟があったればこそ、

仏教哲理が現在のように拡がったのであり、この点、キリストの奇蹟も真実そのものであ

ることを私は明言する。


奇蹟なき宗教は、あまりに広まらないし、人間を魅力しない。


といって奇蹟のみを喧伝(けんでん)する宗教には邪(よこ)しまなものが多い。
 

説教のみの宗教は、宗教の形骸に流れやすく、奇蹟のみの宗教は、かえって、人間を不

安動揺せしめる。


近代における既成宗教の大半は形式を教うるのみで魅力なく、新興宗教の大半は、奇蹟

的現世利益を説くが、人間の不安動揺の心を根底から救ってはくれない。


その場、その場の現世利益があったからといって、そのことだけで正しい宗教とはいえな

いが、宗教とは現世の利益など、どうでもよく、死後や未来がよければよい、というのも片

寄っている。


また、宗教に現世利益を求めることは間違いで、人間の本体を仏であると観ずること、

色即是空、空即是色(ものは即ち空であり、空の中にすべてのものがある)である悟りに入

ることのみが宗教なのだ、という人びともある。


これは真に正しい教えなのであるが、現世のように、肉体生活への執着の非常に深い時

に、ただ、肉体は仮想であって、実相ではない、と、全然、肉体生活の利害を無視したよう

に見られては、一般大衆との距離があまりにも遠く、これによって真に救われる人は僅少

のほんのわずかであると思う。




 
『神と人間』 正しい宗教と誤れる宗教 五井昌久 白光出版





 


感想


奇蹟というのは神(宇宙)とつながって無限のエネルギーが肉体身の器に入って来ること

であります。


それと間違えられるのが念力です。


念力とは想念の力であり、有限であり、神や宇宙とは無縁のものです。


多くの修行僧は、神とつながる前に想念の世界である幽界とつながってしまったのです。


幽界には人間を驚かせたり、奇蹟と思われるようなことや予言をして見せて喜んでいる

ヤカラがいるのです。(そこと共鳴してしまったのです)

そしてほとんどの人間はこのヤカラに騙されるのです。


でも最初は騙された人間も品性の無さや常識を外れた行為、嫌な雰囲気を放っているそ

のヤカラにいつかは不信感を抱き離れて行くのです。

今この幽界のオバケちゃんが非常に多いのです。

99%は幽界から来ていると思って間違いありません。 (ほとんどがニセモノ)


私はまず、奇蹟を期待したり奇蹟を望むことを止めるべきだと思うのです。

奇蹟というのは自分が精進して神とつながった結果として神から与えられるものだからで

す。



自らが欲するものではないと思うのです。


欲する気持ちがほんの少しでもあったならばそれは純粋なものではないのです。


余計なことを考えず、神様に感謝して世界平和の祈りを祈り続ける。


すると知らない間に神(神界、宇宙、本心)とつながっていた。


それがお釈迦様のおっしゃっている 空 になるということです。



    
 

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