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2010年2月16日 (火)

神と人間 (因縁因果を超える法 2)

  
  

幽界や霊界においては、その想念は直ちに現われ、その念は、すぐに自分自身にかえっ

てくるので、どういう念が、どういう風に自分にかえるのかが体験としてわかるのであるが、

それでさえも、なかなか、その業因縁の念を消すことができがたいのである。


まして非常に粗い波の体をもつ肉体世界の人間の、

しかも、その人間と相手の間にある業因縁の種類さえも知らず、ただたんに一般論の心の

法則だけを利用して、指導しようとすることは実に危険なことであって、かえって相手の進

化を妨げ、浄化を乱すことになるのである。

 

“人を審(さば)くなかれ”

“愛はすべてを癒す”

“神は愛なり”




私はキリストのこれらの言葉をその人びとに与えたい。


自己の功名心の満足や、知識に偏した愛薄き人びとによる人間指導ほど逆効果なものは

ないのである。


愛深き人のみ、人間心理の指導者たり得るのである、と私は強くいいたい。


業想念は過去世の過去世から流れつづいている波の連続である。


この五十年、六十年の肉体にのみあるものではない。


まして、各人の肉体的環境(病気や幸、不幸)がその間の二年や三年に起こした念(おも

い)の現われとして、できあがったり現われたりしたものではない。


誰が見ても立派な心の人が不幸になっており、どこから見ても悪いように見える人が、

人も羨む幸福を得ている例は枚挙にいとまがない。


だから簡単に人を責めたり、審(さば)いたりすることはできないのである。


人間はそれぞれ、各種各様の因縁の心を持っていて、Aの善なる生き方を、Bが必ずしも

真似られるものではなく、Bが何気なくできる善行為をAがその通りにできるものでもない。



一字、一線においてさえ百人百様、千人千様なのである。


ただ、非常に似通った心の人とはなはだ異なる心を持つ人とがある。


これを想念の類似、あるいは因縁が合う、合わぬ、ということになるので、こんなためにな

る本をあの人は何故読まぬか、といって、その人が、自分の薦める本を読まぬ、という理

由で、その人を低級視する人があるが、それは低級視するほうが間違っている。


バッハや、ベートーベンの曲は素晴らしい音楽である、と思う人が、それらの音楽に無関心

で、流行歌謡に熱中している人を、ただそれだけのことで軽蔑したら、これも誤りである。
 

宗教に入って現在熱心な人であっても、その熱心さが利己心から発している人もあれば、

今、宗教に無関心のように見えている人の心が純粋な愛に燃えている場合もある。


現在、形の世界に現われている言動のみでその人の真価をはかることはできない。


それ故私は、その人、その人に最も適切なる指導をしているものであるが、その指導は次

に説明するような原理、法則を元としているのである。


                   

                      つづく





 『神と人間』 因縁因果を超える法 五井昌久 白光出版








 


感想


昔、人生相談のテレビ番組があって、電話で夫婦関係で困っている妻からの相談がありま

した。


夫が暴力を振う、生活費を入れてくれない、働こうとしない、浮気をする


すると相談者の人はそのことに腹が立ってきて


「奥さん別れなはれ!」 (何故か大阪弁なのです(笑))
 
と簡単に言っていました。


それを見て私は子ども心にそんなこと他人が簡単に口走っていいのかなぁと思っていまし

た。
 

今でもコメンテーターの人は何か意見をハッキリと言わなければならないと思って結構、無

責任なことを言っているようです。


真実を長いスパーンでみると、今の立場では相手が完全に悪いということがあったとしても

過去世やそのまた過去世の関係を観ると今の立場とまったく逆の立場であったりするの

です。

暴力をふるったり、浮気をされたりするのも前世では夫婦が逆で自分が夫だった頃に、

散々不貞をしていたのを今になってお返しをされていることもあるのです。

だから気が済んだら(お返しが終わったら)暴力や浮気が嘘のように無くなったりすることも

あります。(夫婦喧嘩は犬もくわないとはそういうことなのです。)

自分が今、されていることは、前世で自分がしていたと思って間違いないのです。


それから最後の方の文章で


現在、形の世界に現われている言動のみでその人の真価をはかることはできない。


は心にズシンを堪えます。


私たちはどうしても形にこだわってそしてその人を評価してしまうからです。


やはり真理(本当のこと)しっかりつかんでないと駄目だなぁと思うのです。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)









     




  

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コメント

子どもの頃は記憶が残っていることもあるようですが、大人になるとほとんど忘れるようです、でもまったく無くなるのではなく、潜在意識の中にはそれが残っているのです、だから他の仲間がいじめをしていても自分はどうしても加われないとか、性格的なものとしてあるわけです。

前世でもうしまいと思っていたことは、心の奥底に残っているんですね。

それから神様は人を裁いたりはしません、悪い人を裁き、善い人を助けるとかはしないのです。

神様は人間を成長させるために悪いことも良いこともなんでも経験させるのです。

そして段々善い人になっていくのです。

だから今、仏様のように素晴らしい人でも前世では悪いことを散々していた頃があったわけです。

お釈迦様も菩薩様も色んな経験をしているのです。

テレビでも最初善い人が悪いことをするようになったり、悪い人が改心して素晴らしい人になるようなストーリーのドラマがあるみたいですよね(私はそのドラマを観ていませんが)。

だから善い人悪い人とはその役柄をいつ経験をしているか?の問題なのです。(罪を憎んで人を憎まず)

このことはナカナカ理屈で理解しようとしても割り切れないと思います。

何度も真理の書を読んでみてください。

『神と人間』五井昌久さんを繰り返し読まれることをお薦めします。


この本は人間というものの基本的なことが書かれています。

他にはそのような本はありません。


  


質問です。

前世の自分が悪者で、現世がその仕返しをされているのならば、何故、その時の反省するべき内容の記憶が無いのですか?

前世が可哀相だった人は、現世で残酷な事など何をしても構わないのですか?
神様はそうゆう残酷な人を許すのですか?


どうしてもわからないので教えてください。

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