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2010年2月10日 (水)

神と人間 (守護神、守護霊について 2) 

  
    
守護神は常に多くの守護霊の上にあって、守護霊に力を添えていた。
 

各正守護霊はしだいに一人の肉体人間に専属し、その主運を指導してゆくようになり、副

守護霊は、おおむね、仕事についての指導を受け持つようになっていった。

 
直感とか、インスピレーションとかいうのは、これら守護霊からくる指導の念である。

 
これは普通は自然的行動のように行われ、何気なくある家を尋ねたら、よいことがあった、

とか、ふと左に歩を運んだとたんに車がすれ違って、危うく難をのがれた、とか、というよう

に日常茶飯事の何気ない行為として守護している場合が多い。


このような組織状態が現代までつづいているのである。
 

人間とは一般の人びとが思っているような肉体だけのものでなく、このように複雑な組織を

もつ者なのである。
 

ここで私は肉体の生死について述べてみたいと思う。
 

“人は死んだらどうなる?”
 

“生まれる前にはいったいどこにいたのか?”

 
この二問題は今まで述べてきたことによって、大体わかっていただけるとは思うが、さらに

詳しく具体的に述べたほうが、因縁因果を越えて、神性を顕現する道に近づきやすいと思

うので述べることにする。
 

現代人大半は、死んでしまえばそれまでである、と肉体消滅によって人間の生活は終了す

る、と思いこんでいる。
 

この考えほど、人間の神性を隠ぺいするものはないのである。
 

肉体が死ねば確かに肉体は人間の原形をとどめず、灰になってしまう。
 

肉体という形は消滅し去る。
 

肉体人間の眼の前から、その人の姿は永遠に消え去ってしまう。
 

しかし、はたしてその人は再びこの肉体界に現われることはないのであろうか。


                  

                              つづく







『神と人間』 守護神、守護霊について 五井昌久 白光出版











 

感想


最後の一番いいところでつづきにしました。(笑)


私は人の死について誰に教えられた訳でもなく、人間は死んでも心は生き続けるんだとある時期から思っていました。

だからこの神と人間を読んだときも

「ふむふむそうだろうなぁ~」と納得していたのです。

だから不謹慎かもしれませんが人の死に対しほとんどの人がさも永遠の別れかのように、

死んだらもう自分というものも未来永劫に無くなってしまうかのようにとらえ、嘆き悲しんで

いる姿がある意味異様に感じていたのです。

みんな死に対してすごい恐怖感を持っている

だけど死んだ後の世界のことを調べてみようとはしない。

そこに触れようとしない

子どもに

「おじいちゃんは死んでどこに行ったの?」

と聞かれてちゃんと答えられない げっそり

こんなことでよく生きていけるなぁと不思議でしかたがないのです。

死と生きることは同じです。

生の後には死があるのです。

未来のことがわからなくてどうして自信を持って生きていけるのでしょう?


死への恐怖が無くなれば、どんなことが起こっても生きていることが怖く無くなるのです。

これから人間の死に対して真剣に向き合っていく人が増えてくると思います。

それがアセンションの前の現象なのでしょうね。






世界人類が平和でありますように






 

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