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2010年2月28日 (日)

人生の軸

  
  
  
私たちは、いつも迷っています、何を優先させたらいいのか?

仕事か、家庭か、子どもか、プライベートで一番大切にしているものか、自分の直感か、世の中の常識か?・・・・・・・・。


でもどれを優先させたところでどれも違うとわかるのです。


「いや、何かが違う、もっと大切なものがあるはずだ」


しかしそのもっと違うものがわかない


だからいつも自分に自信を持てずに生きてしまう。


もっと楽にもっと大らかにもっと信念を持って堂々と生きて行きたい!


誰もがそう思っていると思うのです。


何が人生の軸になるのか?

何を基盤に何を中心にしていけばいいのか?


西園寺昌美さんや由佳さんの手記はよく載せているのですが由佳さんのお姉さんで里香さんという方がいらっしゃいます。

みなさん世界平和の祈りの提唱者なのですが、とにかく素晴らしいのです。

今日は里香さんのお話を掲載します。

みなさんも人生の軸とは何か?

読んで考えてみてください。


あなたの人生の軸は何ですか?







人生の軸



自分の内面と向き合う時間




この世の中で生きていると、この世的な常識に翻弄(ほんろう)されてしまい、自分の中心とすべき軸がぶれてしまうことがあります。

そうなると、あらゆることが空回りしてしまいます。


ですから、そういう時には、立ち止まって、自らの内面と向き合う時間を取らないといけません。


私は祈りや印を組む時間とは別に、自分の言動行為や考え方を客観的に見つめて、答を導き出す時間が必要になる時があります。


私は先日、久しぶりにそのような時間を取ることが出来ました。


今年から宇宙子科学における昌美先生の働きはますます大きくなり、私たちは昌美先生が集中できるよう、あらゆる面でもっとサポートしていかなければならなくなっています。


私は、昌美先生からそのお話を伺った時に、少し不安の気持ちが湧き上がってしまったのです。


昨年の8月に娘が生まれてから、私の意識は主に彼女に向けられ、その中で仕事との両立を必死に頑張る自分がいました。


しかし、時にうまく両立できていない自分がいて、自信を失っていました。

そんな中、昌美先生のお話を伺って、私は真剣に自分と向き合わないといけないと思い、その時間を取ったわけです。


そして、私は守護霊様、守護神様にこうお願いし、質問したのです。


「私は昌美先生のサポートを全面的にし、神々様に器を使っていただきたいと心の底から願うと同時に、自信を持って子育てに臨み、道を開いていきたいと思うのです。 どうか私にその道の歩み方をお教えください。私は何を中心に、あらゆる選択をしていけばよいのでしょうか?
私は何を一番大切にして生きていけばよいものか教えてください。仕事ですか? 家庭ですか? 子どもですか? 祈りですか? 平和活動ですか?」


私はこのようにずっと問いつづけました。


そうすると、私の内からそのどれでもないという答が出たのでした。


そしてただ力強く


「我即神也、我即神也、我即神也、我即神也」が響き、仕事、家庭、子育て・・・・・それらは自分がまっすぐ 「我即神也」に至るためのツール(手だて)にすぎないということが分かったのです。


仕事、家庭、それらのいずれも自分の中心軸になるものではなくて、中心軸とすべき意識は神そのもの、我即神也、つまり自分の中に神を見ること、神を顕すこと、自分の生き方の中に真理の法則を見出していくことだと分かったのです。


その法則をクリアーにし、自分のものにしていくことが自分の人生の軸になるべきものであり、一番大切にすべきものであることが改めて分かったのです。
 




すべては神とつながるためにある



自分の人生の軸は、子どもでも夫でも仕事でも祈りでもないということです。


それらは自分の人生に喜びや気づきや学びや目覚めをもたらしてくれるツールではあるけれども、それらが私の人生の本質、人生の答え、人生そのものになってはならないということです。


そのツールを通して、その与えられたツールを愛して、大切にして、感謝しながらも、もっと自分を見つめ、我即神也を顕現し、内から流れる叡智、愛、光、神様に軸をしっかりと置き、それを中心に生きなくてはならないということです。



私と同じように、多くの人は自分の人生の軸をどこに置けばよいのか迷い、何を一番大切にすべきか悩んでいると思うのです。


そして、自分の人生の軸を子ども、夫、仕事、お金、ステータス・・・・・などに置いてしまいがちになります。


それではこの世の執着を増やしていくばかりです。


そして、自らの大生命の本質を見出さないまま人生の終わりを迎えてしまうことになるのです。


自分の人生の中心軸となるものは、生命の本質を自分の中に見出し、経験し、顕していくことであります。


自分の生命をまっとうするために、自分の生命を見つめ、死ぬまでの時間をいかに密に、神を中心に置いて、考え、行動するかだと思うのです。


それはいかにあらゆるものへの執着を取っていくか。いかに自立して生きて行けるか。いかに自分の生命を輝かし、自分の責任をまっとうさせられるか・・・・・・・ということでもあります。


人に頼ることなく、何かに依存することなく、迷惑をかけることなく生命を輝かせていけるか。


それは自分と神との交流、つながり、対話なくしては叶えられないわけです。


み教えがあるのも、祈りがあるのも、印があるのも、すべてそのひびきを通して神様とつながるためにあるわけです。


それだけではなくて、自分がこの世で出合う人も、経験する出来事もすべて自分と神との対話、つながりを強めるためのものだと思うのです。





人生をまっとうする生き方




すべては自分と神とのつながりを密にするためにあるわけです。


この世のお金も問題でなければ、病気も問題ではないのです。


災難も事故も問題ではありません。


それらは本質ではないからです。


それらは握りしめておくべきものではないからです。


ただそこに一時的に存在するものであって、生命ほどのパワーも、生命ほどのエネルギーもありません。


なぜなら生命に宿る神様は宿っていないからです。


神様が宿っていないものに生命をかけても全く無意味であるわけなのです。


生命のあるものが一番大切で本質に近いもので、それらがパワーになるものであります。


多くの人はお金や物質に執着してしまっています。


それらを増やしたり、減らしたりすることに一喜一憂していますが、そのような変化は私たちの本質が望む変化でもなければ、進化でもないのです。


そのような変化を進化だと勘違いしていると時間を無駄に使うことになり、もったいないわけです。


「大切なものは何か」

「中心とすべき軸はどこの置くべきか」

「目的、変化、進化とは何か」


その本質を見つめながら生きること、自立しながら神そのものを見つめ、本質を見極めながら生きること、その生き方こそが人生をまっとうする生き方であるのかもしれません。


家族でも、仕事でも、お金でも、ステータスでもなく、神一点を見つめ、本来の自分を見出すこと、つまり我即神也ということなのです。


これを確信した私は、仕事と家庭を両立しようと無理に頑張る気持ちから解放されました。


そして、今与えられた瞬間を大切にし、その時に必要とされたことにベストを尽くし、後の不安や心配はすべて神様に託しながら、み心のままに動いていくことが答えであるということが分かったのです。


私は迷った時は必ず神様とまっすぐにつながった本来の自分の意識とつながり、選択することにしました。


すると必ずすべてはうまくいき、完璧に整っていき、執着や不安は消えていくのだと思うのです。


今年はさらに力強く我即神也! 我即神也! 我即神也! その一点一方向へ進んでいこうと思います。




無限なる感謝


人類即神也





  

神と人間 (正しい宗教 誤れる宗教 3 )

  

   
宗教とは哲学ではない。


哲学を越えた行の世界が宗教である。


また、宗教とは教団や教会や、伽藍ではなく組織でもない。


人間が神仏にそのままつながっている生命であることを、自覚させる行であり、教えであ

る。


真に宗教が世界に拡まり、世界人類が、真の宗教心、信仰心に生きたならば、この世は愛

に満ち充ちた天国となるのは明らかである。


愛とは神そのものであり、神と人間をつなぎ、人間と人間を調和させ、人間とあらゆる生物

を琴和(きんわ)させる最大の働きをもつ心である。


宗教に入って、愛の心が湧きあがらぬようならば、その人は真の宗教人ではなく、神に祈

りながら安心立命の道に入ってゆかぬならば、その人の神観は誤りであり、その祈りは正

しいものではない。


こうしたところから、正しい宗教と、誤れる宗教、正しい信仰心と、誤てる信仰心とを判断す

べきである。



 

神と人間 五井昌久 (正しい宗教と誤れる宗教) 白光出版








  
感想


今、色んな宗教、色んな思想に傾倒している人がたくさんいます。

混沌とした世の中であり、何かにすがりたい、何かを拠り所として気持ちを穏やかに落ち

着けさせたいというのは人間の本心、本能であります。


そこで色んな宗教、思想が生まれた。


時々、マイミクさんや読者の人から相談を受けることがあります。


「○○、こんな教え、宗教、考え方・・・・etc、グッドムーンさんはどう思われますか?

やってみてもいいのでしょうか?

それは信用してもよいのでしょうか?

△△は本物だと思いますか?やっぱり偽物でしょうか?


私はそれを聞いて、おかしい、あやしい、偽物だと思っていても


「私にはわかりません、やりたいと思うのだったらやってみられたらどうですか?」


と応えるのです。


相手の人はキョトンとしています。


「止めた方がいい」


「それは間違っている」


という答を期待していたみたいです。


でも決めるのはあくまでも自分です。


それを信じてみようと思ったならばやってみればいいのです。


そして違うとわかれば他を当たればいい

それを繰り返しながら本物がわかってきます。

決して廻り道では無いと思うのです。

やりもしないで頭の中だけで考えて

「あーでもない、こーでもない」

と迷っていても進歩も進化もないのです。

人間は宇宙と同じ(宇宙そのもの)で絶えず進化し続けているのです。

退化したり止まったりすることは出来ないのです。

だから失敗してもいいのです。

失敗を恐れては前に進まないのです。

そしてやるとしたら短期であったとしても集中してすることです。

「これ本物かな?」

「やっぱり違うのかな?止めようかな?」


と意識が分散していてはいくらやっても結論は出ないのです。


オリンピックでも集中力が大切なのはわかります。


一瞬のことにいかに余計なことを考えないかが勝負を分けるのです。


間を入れては魔が差すのです。


集中すると神とつながります、自分の本心、本体とつながるのです。


そのときにメッセージが降りて来るのです。


「それは正しい」

「それは間違っている」


その答は本当の自分(神界)から来ているので揺るぎようがないのです。


腑に落ちるし、なぜか絶対にそうなんだという確信が持てるのです。


その状態がお釈迦様のいう 空 です。


空の状態になり続けることを統一といいます。


宗教とはその状態になる 行(ぎょう)を体験して会得することなのです。




 世界人類が平和でありますように





 
追伸
 

正しい統一の仕方が書いてある本をご紹介します。(宇宙天使からの贈り物です)



無限なる勇気を体得する方法


 于(う)寿明 星湖舎 




  

 

2010年2月27日 (土)

27日の日めくり

  
  
  
名前を出そう出そうとあせるな


人につくすことだけを考え行動していると周囲が自然に押し上げてくれる






  
                五井昌久





     
            世界人類が平和でありますように



  
  



2010年2月26日 (金)

批判力

  
  
  
人は人を批判します、いけないことだとわかっていてもつい批判してしまうのです。

人はどんなときに批判したくなるのでしょうか?

ここに西園寺由香さんという人の文章があります。

よかったら読んでみてください。




 


批判力


人を批判するのは簡単です。


自分の気分が良い時は心も穏やかで、すべてをそのまま受け入れられそうな、そんな寛大な気持ちにもなれるのですが、急いでいる時や余裕がない時は、いとも簡単に相手を批判してしまう自分に気づきます。


道を歩いていて遅い人がいると、早くしてほしい!とか、レジではもっと手際よくしてほしい等々・・・・。


そういう時、瞬間的にそのような意識を消すようにしていますが、無意識にフッと出てくる自分の中の批判力というものに、改めて驚いてしまいます。


先日、ある講演会に行きました。その講演者は長年、成功者を取材してこられた方なのですが、その方がこうおっしゃっていました。


「批判力が強い人は成長しない。人を批判すればするほど自分の成長は止まる。どんな相手に対しても、あっ、自分はこの人と比べてまだここが足りない、ここがかなわないと思える心がある人は一生成長しつづける」


とその言葉に私はなるほどと思いました。


人を批判する時は、自分が一番正しいと思い込んでいる心があるのです。

その心は、他の意見を聞く耳を持っておらず、相手の意見や立場に隠された素晴らしいものを見出すことが出来なくなってしまっているのです。


そのような姿勢を続けていたら、確かにその人の考えは固執し、成長は止まってしまうのかもしれません。


この世に生まれているすべての人は神であり、それぞれがミッションを持って今生に生まれてきたのです。


私たち一人一人には、それぞれ素晴らしい特性や美しさがあるのです。


そして私たち自らその神なる力を見出し、それを引き出すとともに、他の神性も見出し、引き出していく使命があるのです。


こうやって言葉に書くと、とてつもなく壮大で、自分には到底無理(無限なる可能性!)と思うかもしれません。


でも、実は日常生活の何気ない行為や小さな一歩こそが重要なのだと思います。


他人の素晴らしさ、自分にはかなわないという部分を見つめては引き出していくと、相手のその素晴らしさを認めることによって自分自身もそれを吸収し、成長していく。


自分の世界が広がり、頭も柔らかくなっていく。


そういう行為こそが、我即神也であり、人類即神也であると思いました。





                    
西園寺由佳





世界人類が平和でありますように




  

26日の日めくり

  
   
  
   
  いつまでもいい悪いと自己批判をしないこと



  祈りを根底にして明るく大らかにやりたいことは堂々とやることだ






              五井昌久



 
         世界人類が平和でありますように




  
  

2010年2月25日 (木)

これから子育てをするご両親へ

  
   
   
    
これから子育てをするご両親へ


 


   
1.小さい時から自立する心を養い育てること。


1.子どもに大人の固定観念を植えつけないこと。


1.子どもは生まれた瞬間から進化創造しつづけている。


1.子どもを自立させたいのなら、まず親が子どもから自立しなければならない。


1.今、子どもが必要としていることを、後回しにしないで教え導くこと。その瞬間の学びこそ、子どもにとって必要な体験となる。


1.どんなに正しいことでも親の意見を一方的に押しつけず、子どもの意見を聞き、子どもに選択権を譲ること。


1.子どもの脳は無限なる可能性を秘めている。子どもにその能力を発揮できるチャンスを与えること。









            西園寺昌美
  




  

神と人間 (正しい宗教と誤れる宗教 2)

  

    
しかし、この覚者たちが、肉体生命を終えた後、この覚者たちの教えを、種々な弟子たち

が、それぞれ独自な形で伝え始め、これが、何宗、何派、何教会、等々、世界全土に拡

まっていった。


日本では、仏教が最も盛んで、各宗派に分れ、しだいに教えの根本を忘れて、激烈なる宗

派争いをしながら信者獲得に狂奔した。


その他、神道、儒教があり、現在に至って、キリスト教が非常に盛んになってきた。


このように宗教が、各種の組織をもって、世界各国に拡まっていったのであるが、人類の

宗教心はその組織の拡大と正比例して深まってきている、とはいえないのである。


古代の人類は、宗教を学理的に知るよりは、行為で理解し、直接体験で、神を知ろうとして

いたが、中世、現代としだいに、宗教を行から哲学に移してゆき、学理究明が先になり、行

からくる直接体験は薄らぎ、本来の宗教心から、知らず知らず遠のいていった。


やがて宗教は、学理的究明者と、教団、教派の形式の踏襲者並びに、真に神仏と人間と

の関係を直接体験として知らんとする行の人、の三つの流れに分れてきた。


宗教は、学理的に究明しただけでは肉体脳髄に知識として残るだけで、先覚者の志を継ぐ

ものではなく、形式を踏襲したのでは、神仏のいのちが枯れてしまって生きて来ない。


神仏は生きとし生けるものであり、人間も生きとし生ける者である。


生きとし生きて自由自在に形の世界を造ってゆくものが神であり、人間である。


学理に固着し、形式に捉われた世界には、いくら神を求めても神はいない。


宗教とは哲学ではない。


哲学を越えた行の世界が宗教である。




『神と人間』 五井昌久 正しい宗教と誤れる宗教 白光出版








 

感想


やがて宗教は、学理的究明者と、教団、教派の形式の踏襲者並びに、真に神仏と人間と

の関係を直接体験として知らんとする行の人、の三つの流れに分れてきた。



の部分ですが学理究明者の人や哲学者の人が仏教などの宗教をひも解いているものを

読んでもそれは実体験ではなく頭の上での理解に過ぎないのです。

宗教とは何か?それは宇宙のしくみを説いたものなのです。

宗教とは、宇宙を示す教えということなのです。

宇宙とは宇宙神、神のことであり宇宙(神)の波動に触れた人でなければ本当の宗教は語

れないのです。

なぜなら真の宗教者のお釈迦様は金星の教えを伝えたのであり、キリストも地球よりずっ

と進化した星の意識を降ろされました。


だから地球意識ではなく宇宙意識の人でなければ宗教はわかるはずがないのです。

肉体人間の限られた頭(肉体意識)ではどんなに智慧を絞っても宇宙意識にはなれないの

です。


それから宗という字は もと という意味です。


つまり人間の根本、原点ということです。


自分が何者であるのか?

どこから来たのか?

その根本原理がわかっていなくてお釈迦様やキリストの教えの真髄を学ぼうとしてもどだ

い無理なのです。



自分が人間の原点である宇宙に波長を合わせ神とつながり、体験するしかわかりようがな

いのです。

宗教踏襲者の人もそうですよね、ただ代々続いた神社仏閣を守っているだけでは何も生ま

れてこないのです。


必死でそれこそ命懸けで一生懸命に神とつながろうとしない限り悟ることも安心立命する

ことも人の魂を救うことも出来ないのです。




今宗教がおかしな方向に行っているのにはこのような体験のない形だけのものが多過ぎ

るのだと思うのです。



私は本物偽物の違いとは神を求める真剣さだと思うのです。


真剣であればその波動は宇宙と共鳴します。


どれだけ純粋に神を信じ自分を信じ愛深く生きているか?
 

それが宗教者にも我々にも求められるものだと思います。

 
本物であるか偽物であるかはその真剣さだと私は思うのです。


私が五井先生を信じ、う先生を信じ、なお且つ自分を信じれるようになったのは多分真剣

に生きて来たからだと思うのです。


自分でいうのは変かもしれませんが(笑)だから私の文章が縁のある人たちに伝わって来

たのだと思うのです。




世界人類が平和でありますように わーい(嬉しい顔)





  

25日の日めくり

    
  


      
 真実に生きるためには己を
 

 空(むな)しく愛深くあることです






   
       

       五井昌久




 世界人類が平和でありますように




  
 

2010年2月24日 (水)

神と人間 (正しい宗教と誤れる宗教)

 
   
宗教っていったい何?

新興宗教、オカルト宗教、○○宗教・・・・・何か宗教というだけで何か胡散臭い、暗い、あ

やしい、ダーティなイメージがあります。

本当の宗教と偽物との違いは何か?

みなさんも興味があると思います。

『神と人間』 の本はその違いをわかりやすく説明してくれています。






 
正しい宗教と誤れる宗教



宗教とはいったい何か、ということが最初に問題になる。


宗教とは、神仏(絶対者)と人間との関係を説き教え、明らかにする道であると、私は解釈

する。


この原理に沿って、正しい宗教と、誤れる宗教とを区分し考えてみることにする。


神とは、人間理念の根本であり、智慧(創造力)、愛、生命の根源である。


従って、完全にして、円満、調和せる象徴である。


この完全円満なる力を内にもちながら、業因縁の渦巻きの中で、その渦巻、そのものが自

己であると誤認し、悩み、苦しみ、もだえながら、その渦を脱しよう、逃れようとしているの

が肉体人間の姿である。


そして、その業因縁の渦を脱して、内なる神性を完全に輝かせた人を、解脱者、仏陀といった。


釈迦はそうであり、イエス・キリストもそうである。


他にもそのような完全神性を現わした覚者がいたわけである。


最初にそうした人たちが、神と人間との関係を説き、人間は完全円満な神性であることを

明かし、行じて、人びとを安心立命の境地に導いていった。


自己が完全円満なる神性であることを悟ったら、この人間は業生を越えて救われたことに

間違いない。


この導師は、神の使徒たちであって、真の宗教家である。




 


『神と人間』 五井昌久 (正しい宗教と誤れる宗教) より








 



感想



神とは、人間理念の根本であり、智慧(創造力)、愛、生命の根源である。


この完全円満なる力を内にもちながら、業因縁の渦巻きの中で、その渦巻、そのものが自

己であると誤認し、悩み、苦しみ、もだえながら、その渦を脱しよう、逃れようとしているの

が肉体人間の姿である。




この上記の文章ほど人間とは何か?をズバリ書いてあるものは他にはないとわたくしは思

うのです。


人間とは神そのものであり、完全、完璧であるのにもかかわらず、自分はダメだ、人間なん

てどうしようもないものなんだと自己限定してしまっている。


渦巻とは海で言えば波にあたり、海(本体)を見ずに表面の荒れた波(枝葉)ばかりに目や

心が奪われて、動揺したり感情的になっているのです。

覚者は

「そうじゃない、あなたは、人間は、完全円満なる力を持っているのですよ、あなたは神そ

のものなんだから安心してください」 


と言いつづけていたのです。


でも覚者の弟子たちはそのことを人びとには、そのまま伝えなかった。


そこから誤れる宗教が拡がるようになっていったのです。



今現在、色んな宗教がありますが人間の神性や完全性を説いていない宗教がほとんで

あるということがわかります。
 

それどころか

「人間とはどうしようもないものだ、だから神様(私、自分のところの神様、仏様)にすがらな

いと駄目なんだよ」
 

と逆のことを教えている宗教がほとんどなのです。


でもこの宗教家の人たちの言っていることが


「何かおかしい」

「腑に落ちない」

「スッキリしない」


と疑問を持ち始めている人が増えて来ているのです。


これは非常に善いことだと思います。


目覚めて来る人が増えれば増えるほど救われる人が多くなります。


地上天国の来る日が近づいて来るのです。



  



 



  







  

2010年2月23日 (火)

23日の日めくり

   
  

   
 自分の生命を生かすということは
  

 人の生命をも生かすということです






     五井昌久





世界人類が平和でありますように




  




  

2010年2月22日 (月)

20、21、22日の日めくり

  

  
置かれた立場で全力をつくすことが

 神のみ心にかなう生き方である     






天命を信じて人事をつくせ





今日の自分が愛深く生きる

今日の自分が明るく生きる






  

   五井昌久  



世界人類が平和でありますように









 
感想


すいません、毎日掲載しないと日めくりの意味がないのに抜かしてしまいました。

以後気をつけます。涙




  


 

神と人間 (因縁因果を超える法 6 )

  
  
  

すいません、今から記述してゆく本文は、以前に書いた“夢はなぜみるのか?”

と重複しています。

しかし、非常に興味深く大切なことが書かれていますので、おさらいの意味でも読み返して

みてください。

よろしくお願いします。



 

本文




守護霊を信じ、守護神を想い、神に感謝しなければ、いくら因縁の転回や、心の法則を

知ったところで、人間は永久に救われない。
 

こちらが知っていても知らなくとも、守護霊はただ、黙って人間を見守ってくれる。
 

夢などはその顕著なるものである。
 

夢は何故見るか、この問題は世界の学者が種々と研究をつづけているのだが、いまだ

に、はっきりとわかっていない。
 

夢とは人間の業因縁の消滅する姿である、と私はいう。
 

想念は必ず現われる。
 

この法則は動かしがたい法則である。この法則のままに、想うことがそのままこの肉体に

現われたら、この人生は、もっともっと以前に滅びていたに違いない。
 

何故ならば、肉体の人間の心を奥底まで解剖すれば、愛は情に流れて執着となり、恨み

は恨みを重ね、悲しみは悲しみを追い、闘争心は常に戦火を絶やさず、情欲の業火は至

る所に燃え広がり、殺傷事件は眼に触れるあらゆる個所に展開されていることは明らか

である。
 

この業念の感情を、肉体脳髄の念の休止している間に、巧みに夢として肉体世界と離し

て、画き出してしまうのが守護霊の偉大なる一つの仕事なのである。
 

現われれば消えるのが想念の性格であるので、夢として画き出されてしまえば、その想念

は消えてしまう。
 

肉体世界に現われた場合は、その現われが、また頭脳にキャッチされて、再び同じ想念を

幽体に記録してしまうが(それでも現われれば幾分ずつか、消えてゆくのである。)

夢の場合はその想念(おもい)が巧みに劇画化されていて、いったいなんの想念であるか

判然としないので、夢から醒めた後で、いくら肉体頭脳で思ってみても、その夢に現われた

想念(おもい)は再び幽体に記録されることはない。


その想念は夢によって一度断ち切られるので、業因縁がそれだけ消えたことになる。
 

たまたまはっきり憶えている夢もあるが、守護霊が予知的に、その人に示す夢(霊夢)以外

は、その夢の画が、やはり、その想念の内容を察知できぬように描いてあって、判然とし

ない。


フロイトという精神分析学者は、この夢をすべて性欲(リビドー)の現われと解釈していて、

夢に現われる物質、風景、氏名等によって、それぞれの内容を解剖しているが、私の述べ

ていることとはまるで異なる解釈で、人間の救いには、あまり役立たぬものと思う。
 

判然としない夢は、そのまま判然とさせる必要はないので、ただ、簡単に、自分の業想念

が肉体の悪い運命となって現われるのを、守護霊がその夢と現わして消して下さったの

だ、と感謝すればよいのである。

 
このことを知ることは大きな救いになると思う。
 

この守護霊の働きは真に感謝しなければならぬものである。
 

守護霊は霊界、幽界、肉体界と三界を通して働ける者なので、幽界(潜在意識の世界)に

おいて、できつつ運命、あるいはすでにできあがって、時間の経過につれて自然に肉体界

(現界)の運命として現われようとする悪想念の結果(因果)を、あらゆる手段をもって、

その運命として現われぬように修正してゆく。

 
この守護霊の働きを、知っている人は、感じている人は実に少なくて、肉体人間の大半

が、この蔭の働きを知らないのである。
 

守護霊はその肉体人間が、守護霊の守護の力を知ろうと知るまいと、それは問わず、ただ

ひたすら、運命の修正に全力を挙げているのである。
 

いわゆる菩薩行なのである。




 



『神と人間』 因縁因果を超える法   五井昌久  白光出版




  



感想



すごい文章ですよね何回読んでもそう思います。

ところでここまで読んでみると潜在意識には過去世のとんでもない悪想念が溜まっている

ことがわかります。


そんなこと思いたくも考えたくもないのに次々に悪魔の考えが浮かんでくる。

そしてそんな自分自身が嫌いになったりします。


でもそれは過去世からの蓄積された自分の想念行為だったのです。


そして想ったことが現実になるとしたらその悪想念が現われて来るのです。

もし全部がそのまま出てしまったら大変なことになる。


それを夢にしてそこで映画のように上映させて出してしまう。

でもその映画?の内容は覚えてないのでもう繰り返されることはない。

「昨日、何だか恐ろしい夢をみたような気がするのだけどよく覚えていない」

というのはそれだったのですね。


凄いですよね、守護霊のされることは・・・・・・・。


肉体人間の自分や心配してくれている親にも絶対に出来ないことです。


常、日頃から守護霊、守護神に感謝してつながっていると悪いものが現われる前に消して

くださるのです。


これがほんとうに運命を変えるということなんですね。


運命を変えるには自分だけでは出来ない。


守護霊、守護神のバックアップ(応援)が必要なのです。わーい(嬉しい顔)手(チョキ)


神様と一体となることが大切なのです。(神我一体)



そして世界平和の祈りを祈り続けることが大切なのです。
 




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます





  
   

2010年2月21日 (日)

神と人間 (因縁因果を超える法 5)

  
 
       
しかし、これは一回の肉体世界即ち、五十年や六十年だけの想念をいうのでなく、

三回、五回、十回と生まれ変わった数百年、数千年、数万年間の想念の蓄積が順次縁

となり、果となり、また因となり縁を生じ果となって現われているので、この現在の肉体の

三十年、五十年の心の想念だけを自己の想念だと思って


“私はそんな悪いことを思わないのに、こんなに悪いことばかりある” という人がある。

また “私はお嫁に行きたい、といつも思っているのに、いつまでたっても嫁がれない

だから自分のままになるなどという法則は嘘である”等々

現在の肉体界だけの想念で判断すれば、なかなかうなずけない。


しかし、この法則は、自然の法則の、物は上から下へ落ちる、ということや、電流の法則と

同じように、絶対なる法則なのである。


想うことは必ず現われる。


この法則を知っただけでも、知らぬよりは進歩が早く運命改善ができやすいが

これを逆に応用し、反対に考えると、かえってその人自身や人を傷つけ、痛めてしまう。


想ったことは必ず現われる。 この言葉を真剣に考えている人で、自分は恐怖心が非常に

強い。自分のように恐れる心の多い者は、この心の法則の通り、必ず恐れる事態が起こる

に違いない。


恐れることはみな来るのだ、と、その法則を知ったことがかえって仇となって日夜恐れつづ

けている人がある。


またある人は、他人のために常に真剣になって心配苦労し、そのためいつも貧乏している

人に向かって、

 “あなた貧乏したい心があるからいつも貧乏しているのですよ。富む心を起こしなさい。

あなたが貧しい心があるから、貧しい人ばかり側によってくるのですよ” と説教した。


このため、この人は善事をなすことに対して、大きな疑いを抱き、それ以来、愛行が乱れて

いった。


これらの例に見られるように、心の法則(因縁)だけ思ったり、説いたりすると、実に間違っ

た逆効果になりやすい。


“あの人は、あんな心を持っていたから、あんなになったんだ” 式に、なんでも悪く現われ

ている場合は、その人の心のその悪い原因があるんだと、決めつけられたり決めつけたり

していたら、まことに愛を情もない人生になってしまう。


法則を知ったために、人を傷つけたり、自分を痛めたりするのは神の本性を知らない

無知から起こるのである。


神は愛である。 愛であるから、守護神を我らにつかわし、守護霊を任じて、人間世界の悪

因縁を消滅し去ろうとしているのである。


守護霊を信じ、守護神を想い、神に感謝しなければ、いくら因縁の転回や、心の法則を

知ったところで、人間は永久に救われない。


こちらが知らなくとも、守護霊はただ、黙って人間を守っていてくれる。




                    つづく


 


神と人間 因縁因果を超える法 五井昌久 白光出版




  
感想

心の親、魂の親である守護霊は、子どもであり孫である自分の守っている肉体人間をどの

ように導こうとしているのか?


それは肉体人間の親にはおよそ予想もつかないことなのです。


もし守護霊の親と肉体の親の意見が一致するとしたら


「かわいい子には旅をさせろ!」くらいがかろうじて一致するくらいだと思うのです。


守護霊とは子どもや孫が成長することならば非常に厳しくなります。


非情になるとかではなく守護霊は今現在、そして近い将来に重きを置くのではなく

ある程度の長いスパンであったりずっとずっと先の未来を見据えているのです。


だから魂にとって早く霊界に行った方がいいと判断したら、急死、突然死、事故死という形

になったとしてもそれを実行するのです。

遺された遺族の悲しみはたまったものではありません。


しかし、守護霊は肉体人間の死は永遠の死ではないことがわかっているので肉体界に居

るよりも霊界で学んだ方がいいと判断した場合は容赦なく転生(つまり死)させるのです。

ここで何回も書いていますが仏教では死を往生(おうじょう)といいます。

つまり生きて往(い)くという意味です。


肉体界の人間だけが死を永年の眠りだと思っているのです。(ほとんどの人が)


もちろん、守護霊は霊界に移行するときに肉体人間の親の情、悲しみを無視するわけでは

ありません。

しかし、その悲しみとその子の魂の成長を比べた場合、守護霊は、やはり魂の進化を取る

のです。


話が全然違う方にいってしまいました。


元に戻します。


上の文章で

私はそんな悪いことを思わないのに、こんなに悪いことばかりある” という人がある。


がありますが、これは今現われていることは今現在でなく過去の影絵(想念行為)が写って

来てるのだ ということがわかるのです。

今花が咲いているのは突然咲いたのではなく過去に種を撒いて水をあげたからだというこ

とは誰でもわかります。

3次元の今とは今と思った瞬間もう過去なのです。

つまり今とは過去のことなのです。

それもついこの間の過去ではなく前世のまたその前の前世の場合があるので簡単には運

命は変わらないのです。


よく巷で出されている本でこれを読んで実行すればすぐに成功する、奇跡が起こるという

心の法則を書いた本がありますが、この法則は簡単になるものではないのです。


プラスのことを想いつづけても前世、前世の前世、3つ前の前世もっと前の前世のマイナス

想念を消して消して消しまくってやっと運命が開けてくるのです。


それも守護霊、守護神に必死で幽界を浄めていただいての結果です。(肉体人間では潜

在意識を消すことは出来ません)


でも肉体人間はそんなに悠長に待っていることなんて出来ない。(笑)


だからすぐに結果が出る方法を探すのです。


それが幽界のオバケちゃんの憑依です。


だから清められていない神社仏閣などは幽界のオバケちゃんの住み家になっているの

です。


そして最初は多少の御利益があるのです。


でもそれは本物(浄化されたもの)ではなく邪(よこしま)なにせものです。(だからすぐ

にその御利益は無くなります)


そして次の文中の文章ですが

これらの例に見られるように、心の法則(因縁)だけ思ったり、説いたりすると、実に間違っ

た逆効果になりやすい。


心理学はこのように真理をしっかりわかった上ではなく今現在の心の持ちようだけで分析

しているから分析すればするほどわからなくなります。


そしてわからないのに簡単にカウンセラーになったりする。


無責任極まりないと私は思うのです。


カウンセリングを受ける人は藁をもつかむつもりで相談すると思うのです。


それを法則だけできっぱりを言い切ったりする。


非常に危険です。


そんなところに相談しなくても守護霊、守護神に感謝をしていれば守ってくださるのです。


そのために宇宙神は人間に守護霊、守護神を授けてくださったのです。






  

2010年2月19日 (金)

19日の日めくり

  

  

愛されたいより愛することが


 家庭調和の第一歩





  五井昌久 

 



 世界人類が平和でありますように





  

2010年2月18日 (木)

18日の日めくり


  

 過去の幻影をつかむな


 すべては消えてゆく姿




   

    五井昌久





世界人類が平和でありますように




  

神と人間(因縁因果を超える法 4 )

  
  
お祖父さん、お祖母さんが、自分の背後にいて、霊の眼で、霊の耳で、子孫である自分の

運命を予見し、悪い運命への道から、善い運命へ、導いて下さるのである。



それはちょうど、父母が小さな子どもの手を取って、あちらだ、こちらだと、引き廻してくれる

のと同じことなのである。


しかし、肉体の父母にはその子の将来の運命は一分後のこともわからない。 が


守護霊はその子孫の将来に起こる出来事をよく知っていて、その子孫の運命を幸福へ、

幸福へと導こうとしているのである。


個人の運命とはまず幽体に各自の想念が記録され、その記録された想念を現界に実現さ

すべき、各種の材料(環境)が自然に整い、幽界に一応原形ができあがり、やがて時を経

て、肉体界の想念が縁となって、この幽界の運命がその人の現実の環境に浮び出てくる

のであって、守護霊の修正がなければ、その想念の誤りは、誤りのままに現界の運命とし

て現われる。


守護霊を一応考慮の外において考えれば、その人の想念のままの環境が現象に現われ

るので浄まった想念の人は浄まった環境、汚れた想念の人は汚れた環境、憎しみに充ち

た想念の人は憎しみに充ちた世界を、盗み心の想念は盗み盗まれる世界を、淋しい想念

の人は淋しい環境を、それぞれその人の運命として現わしてゆくのである。


これは業生(ごうしょう)の法則なのである。



                 

                  つづく



 

  『神と人間』  五井昌久 因縁因果を超える法 








  感想
 


しかし、肉体の父母にはその子の将来の運命は一分後のこともわからない。


が、守護霊はその子孫の将来に起こる出来事をよく知っていて、その子孫の運命を幸福

へ、幸福へと導こうとしているのである。



の部分ですが、守護霊は霊界に通じている、守護神は神界に住んでおられる、そしてなに

よりも幽界のことも先刻ご承知なのです。
 


幽界(潜在意識)のことが肉体界(顕在意識)に写って来ます。


守護霊さんは肉体界で次の瞬間次の日などに何が起こるのか?すべてを知っておられる



だから肉体人間の孫が

「危ない!」

というときにメッセージ、インスピレーション(直感)として私たちに教えてくださっている

のです。


でも私たちが守護霊に想いを向けていないとその伝達は効果が薄いのです。


肉体の親は有難いものです、いつも心配してくれて見守ってくれています。

でも私たちは将来のことがわからないので子どもを本当に守ってあげることは出来ない


肉体人間の親の無力さを痛感します。


子どもにとってどちらが頼りになるか?


残念ながら守護霊に軍配が上がります。


私は肉体人間の親は子に守護霊の存在を教えてあげるのが大切だと思うのです。


「自分は肉体界では確かにあなたの親だ、でも本当の親は霊界、神界にいるんだよ、

それはね、守護霊であり、守護神様なんだよ」


こう云える親は立派だと思います。


云えた時点で肉体界の親は霊的な親と同じくらいの存在になるのだと思うのです。


子どもに本当の真理を伝える


そしてその子どもがその先安心して生きて行けるようになる。


そんな素晴らしい時代がやって来るのです。


その素晴らしい時代を創っていくのは私たちです。


私たちが地球を素晴らしい星にして行くのですね。






世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)


日本が平和でありますように


わたくしたちの天命がまっとうされますように



守護霊様ありがとうございます。


守護神様ありがとうございます。





 推薦図書

「あなたは世界を変えられる」 西園寺昌美 白光出版



  




  



 

2010年2月17日 (水)

17日の日めくり

 
  
  
 自分をせめ人をせめることを止めよ


 せめることから自分を解き放つと

 生命の光が豊かに流れ入ってくる







        五井昌久


 

世界人類が平和でありますように




 

神と人間 (因縁因果を超える法 3 )

 
  
現在、形の世界に現われている言動のみでその人の真価をはかることはできない。


それ故私は、その人、その人に最も適切なる指導をしているものであるが、その指導は次

に説明するような原理、法則を元としているのである。


この現界は潜在意識(ひそんでいる心)、と顕在意識(あらわれている心)とがぐるぐる廻っ

ているので、顕在意識(普通いう心)に想ったことは、すべてそのまま潜在意識(幽体に属

する心)に記録され、その記録された想いが、表面の心、顕在意識に記憶として浮かびあ

がり、ある時は、直接行動として、言動に現われる。


そして、その現われた言動がまた再び潜在意識に録音される。


こうした、ぐるぐる廻りが、その人、その人の運命となって現われているので、その理をまず

知った上、幽界、肉体界を通して各人の運命を修正している守護霊の働きを観じなけれ

ば、運命を善くすることはできない。


人間が普通、心は一つよりないと思っているようだが、心は、宇宙神の心から始まって直

霊(人間界における神)の心、分霊の心、幽体界の心、肉体界の心の他に、直霊と位を同

じくする守護神の心、それに各個人個人に常に附き添っている守護霊の心との七つの心

があるのである。


この守護霊に素直である人が神に素直であることになり、その人の進歩を非常に促進させ

るのである。


が、今までにこのことを知っている人はまことに少ない。


人の進歩は、ただ精神分析や、心の法則の活用だけではなかなかむずかしい。


まして、精神分析や心の法則はおろか、神も仏も何もなく、ただ肉体の自我だけで生活し

ている人が多い世の中で、真に素直な自分になることにはかなりの努力がいる。


誰でも幸福になりたくて働き努力するのだが、なかなか幸福にならない。
 

幸福になる秘訣は素直になることである。
 

素直とは肉体の人間に素直になれというのではない。
 

真理に素直になれというのである。
 

いいかえれば、神に素直になれというのである。


神というと何か遠い気がするし、つかみにくい気がするだろうから、守護霊に素直になれと

いうのである。


守護霊とはおおむね祖先の霊である。


お祖父さん、お祖母さんが、自分の背後にいて、霊の眼で、霊の耳で、子孫である自分の

運命を予見し、悪い運命への道から、善い運命へ、導いて下さるのである。



                    つづく


  

『神と人間』 五井昌久 因縁因果を超える法 


 






感想


ここに潜在意識と顕在意識が出てくるのですが、

この潜在意識を変えていくことが最も大切なことなのです。
 
潜在意識をわかりやすく言えば過去世からの想念や行為を録音している、録音機のような

ものです。

無くて七癖というようにどんなに単純で素直で癖がまったくなくて無邪気そのものと言われ

るような人でも7つは治すのが難しい癖があるというのです。(その上に自分が思っている

心が一つだけでなくなんと7つもあるのですね)



人間は、何十何百、千、何万回も輪廻転生して生まれ変わってきたということはそのときの

癖を潜在意識は覚えているのです。


短気が癖の人は


「怒ってはいけない、抑えなけばいけない」


といくら思っても次々に怒りが込み上げて来るのです。


他の人がなんであの人はあんなことで怒るのだろう?


と思っても人それぞれ癖が違うのです。(だから人を批判、非難、評価してはならない)

自分の癖も嫌になるときがあります。

「どうして自分はこうも気が弱いのだろう?強くなりたい」と思ってみても肉体人間の 我

 ではどうしようもないのです。


気が弱いのは潜在意識に沁みついているので本人の努力ではどうしようもないことが多い

のです。


そこで背後から応援してくれるのが守護霊です。


守護霊はその辺の事情をよく知っていて癖を小さくしたり消してくれるのです。

潜在意識の世界とは幽界です、守護霊、守護神はこの幽界を浄めることが出来るのです。

そんな有難い存在です。


そして守護霊、守護神と一体となるということは百万馬力の力を得たのと同じです。


これまで世に出て来た聖者賢者は守護霊の存在を知っていた。


今こそ私たちはそのことを知る時期に来たのです。

なんと嬉しいことではありませんか






 
世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



  



 

  


 
 

2010年2月16日 (火)

16日の日めくり

  


  
人の話を心からきいてあげられる


     ようになることです





         五井昌久

 


 世界人類が平和でありますように


  


  

神と人間 (因縁因果を超える法 2)

  
  

幽界や霊界においては、その想念は直ちに現われ、その念は、すぐに自分自身にかえっ

てくるので、どういう念が、どういう風に自分にかえるのかが体験としてわかるのであるが、

それでさえも、なかなか、その業因縁の念を消すことができがたいのである。


まして非常に粗い波の体をもつ肉体世界の人間の、

しかも、その人間と相手の間にある業因縁の種類さえも知らず、ただたんに一般論の心の

法則だけを利用して、指導しようとすることは実に危険なことであって、かえって相手の進

化を妨げ、浄化を乱すことになるのである。

 

“人を審(さば)くなかれ”

“愛はすべてを癒す”

“神は愛なり”




私はキリストのこれらの言葉をその人びとに与えたい。


自己の功名心の満足や、知識に偏した愛薄き人びとによる人間指導ほど逆効果なものは

ないのである。


愛深き人のみ、人間心理の指導者たり得るのである、と私は強くいいたい。


業想念は過去世の過去世から流れつづいている波の連続である。


この五十年、六十年の肉体にのみあるものではない。


まして、各人の肉体的環境(病気や幸、不幸)がその間の二年や三年に起こした念(おも

い)の現われとして、できあがったり現われたりしたものではない。


誰が見ても立派な心の人が不幸になっており、どこから見ても悪いように見える人が、

人も羨む幸福を得ている例は枚挙にいとまがない。


だから簡単に人を責めたり、審(さば)いたりすることはできないのである。


人間はそれぞれ、各種各様の因縁の心を持っていて、Aの善なる生き方を、Bが必ずしも

真似られるものではなく、Bが何気なくできる善行為をAがその通りにできるものでもない。



一字、一線においてさえ百人百様、千人千様なのである。


ただ、非常に似通った心の人とはなはだ異なる心を持つ人とがある。


これを想念の類似、あるいは因縁が合う、合わぬ、ということになるので、こんなためにな

る本をあの人は何故読まぬか、といって、その人が、自分の薦める本を読まぬ、という理

由で、その人を低級視する人があるが、それは低級視するほうが間違っている。


バッハや、ベートーベンの曲は素晴らしい音楽である、と思う人が、それらの音楽に無関心

で、流行歌謡に熱中している人を、ただそれだけのことで軽蔑したら、これも誤りである。
 

宗教に入って現在熱心な人であっても、その熱心さが利己心から発している人もあれば、

今、宗教に無関心のように見えている人の心が純粋な愛に燃えている場合もある。


現在、形の世界に現われている言動のみでその人の真価をはかることはできない。


それ故私は、その人、その人に最も適切なる指導をしているものであるが、その指導は次

に説明するような原理、法則を元としているのである。


                   

                      つづく





 『神と人間』 因縁因果を超える法 五井昌久 白光出版








 


感想


昔、人生相談のテレビ番組があって、電話で夫婦関係で困っている妻からの相談がありま

した。


夫が暴力を振う、生活費を入れてくれない、働こうとしない、浮気をする


すると相談者の人はそのことに腹が立ってきて


「奥さん別れなはれ!」 (何故か大阪弁なのです(笑))
 
と簡単に言っていました。


それを見て私は子ども心にそんなこと他人が簡単に口走っていいのかなぁと思っていまし

た。
 

今でもコメンテーターの人は何か意見をハッキリと言わなければならないと思って結構、無

責任なことを言っているようです。


真実を長いスパーンでみると、今の立場では相手が完全に悪いということがあったとしても

過去世やそのまた過去世の関係を観ると今の立場とまったく逆の立場であったりするの

です。

暴力をふるったり、浮気をされたりするのも前世では夫婦が逆で自分が夫だった頃に、

散々不貞をしていたのを今になってお返しをされていることもあるのです。

だから気が済んだら(お返しが終わったら)暴力や浮気が嘘のように無くなったりすることも

あります。(夫婦喧嘩は犬もくわないとはそういうことなのです。)

自分が今、されていることは、前世で自分がしていたと思って間違いないのです。


それから最後の方の文章で


現在、形の世界に現われている言動のみでその人の真価をはかることはできない。


は心にズシンを堪えます。


私たちはどうしても形にこだわってそしてその人を評価してしまうからです。


やはり真理(本当のこと)しっかりつかんでないと駄目だなぁと思うのです。





世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)









     




  

2010年2月15日 (月)

神と人間 (因縁因果を超える法)

  

    
次にはいかにしたら一日も早く、業因縁の波を解脱し得るかを説くこととする。
 

解脱するためにあらゆる難行苦行をした昔の求道者は、その意思において偉大なるもの

があったが、私は現代の人にそれを求めようとは思わない。
 

また、山に入り、滝にあたり、断食をする等の行は、今日の人びとには生活環境からいっ

てなかなかむずかしいことであって、ほとんど大半の人びと実行し得ないことである。


業因縁、即ち、物質(肉体を含む)を実在と観ている誤びゆうからくる、物欲、色欲、

執着欲、これら種々の欲望を消滅し去ろうとして肉体に与えた苦行も、方法が誤っていれ

ば、効果が少ない。


私は肉体に敢えて特別の苦行を与えず、与えられた生活環境をそのまま生活として行じ

てゆく普通人にでき得る解脱の道を説きたいのである。


その道は私自身を現在に成し得た道なのであるから。


“悟ろうとすればまず欲を捨てよ” とか、“あなたは短気だから、その短気をなくせばよい”

 とか、“その執着を断つのですよ” 等と簡単にいう人があるが、この人は人間の業因縁

というものが、いかに根深いものであるかを知らぬ人であって、指導者にはなり得ない。



また、人間の世界とは思う通りになる世界である、という念の法則を、現在だけの肉体界

の念と解釈して、


“相手を拝まないから、相手が悪く現われるのですよ。あくまで拝みつづけるのですよ。”

とか、


“夫がなんといおうと、あなたはあくまで、素直に夫に従うのですよ。ぶたれても、叩かれて

も素直に従うのですよ。みんなあなたの心の影なのです。” とか、


病気で苦しんでいる人に向かって、


“あなたの心の中に休みたい心、楽をしたい心があるから病気になったんですよ。

真剣に働く心になればなおりますよ。” とか、


“ぶつぶついうからおでき(腫れもの)ができるのですよ。”


“刺すような心があるから神経痛になるのですよ。”


等々、すべての想念は、その想念のごとき形を現わす。悪を想えば悪を生じ、善を想えば

善を生ず、という心の法則を、人を責め、審(さば)くことにのみ使っている人びとが、宗教

や修養をやっている人たちに非常に多数ある。


私は、これは実に困ったことだ、と思うのである。



   
                   つづく




 


  『神と人間』 因縁因果を超える法 五井昌久 白光出版



 








感想


離婚する一番の原因はなんと云っても性格の不一致だと思うのです。

でもその性格とは今作られたものではなく、または生まれてから今までの環境だけでなく

色んなものが混ざってそうなっているのです。


魂が入るときに色んな人の性格を受け継いで生まれて来ることもある、覚えていない前世

の性格が出て来ることもある、人類の集合意識が頭脳に入ってきて人の想いをもらって出

てくる性格もあるのです。


人間とはそんな単純なものではない!


罪を憎んで人を憎まずとはそういうことなのです。


だからシンプルになるために


そのようなもろもろのものが一切ないようになるために


お釈迦様は空になれ!


キリスト様は幼子のように単純になりなさい!


老子様は無為になせ!頭でごちゃごちゃ考えるな!何々の為にしようとするな!


とおっしゃったのです。


五井先生は肉体人間の不完全で複雑な状態を簡単に一言で解決するものではないとおっ

しゃっておられるのです。


でも複雑ではあるけれども実はシンプルなのです。


一本の糸が絡み合って大きな毛玉になっているだけで紐解いていくとそこには一本の糸し

かないのです。

元は一つなのです。

その元に意識を合わせばすべてが解決するのです。


何事も難しく考えたら難しくなります。


バカになってアホになってシンプルになりましょう 


進化した星の宇宙人はみんなシンプルでスッキリ爽やかなのです。



 


世界人類が平和でありますように





 
  

15日の日めくり

  
  
  
 人はその言葉に感心するのではない


  その行ないに感動するのだ







      五井昌久



 


世界人類が平和でありますように




 
  


2010年2月14日 (日)

森の会のお知らせ

  
 
  
私のしている調和波動気功のセミナーが来週の日曜日にあります。

 

調和波動に興味のある人?

グッドムーンに会ってみたい? 人

宇宙のことを知りたい人?

真理を知りたい人?


自分を変えるきっかけを探している人?


そして


幸せになりたい人? は是非、参加してください。
 わーい(嬉しい顔)





     

      森の会
 

★日時 2月21(日) 

12:00~13:30 会食

14:00~  う先生講演

★ 大成閣(中華料理)06-6271-5238(禁酒・禁煙)

★ 会費 8000円(小学生4~6年生4000円)


参加したい人はご遠慮なくグッドムーン三日月
 にメッセージくださいね。


携帯 080-1444-0018
 

詳しくは

 http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/sub1.html 





  

18日(木)は気功サロンの日

  
  
  
毎日寒い日が続きますが、寒いからと身体を小さくしていますと固くなっていきます。

身体と心はつながっていて身体が固くなると心までかたくなって行くのです。

かたくなとは頑な、つまり頑固になって行くのです。

心はやはり柔軟性が大切ですよね 

気功サロンではどうしたら心が大らかで柔軟になるか?

幸せを感じられるようになるかをお伝えしています。

今の現状に関係なく幸せを感じらるのが本当の幸せなのです。

それには幸せの波動の中に自分が入って行けばいいのです。

是非、気楽に遊びに来てください。

気功サロンのスタッフは心待ちにしていますよ。

 

いのち生き生き気功サロン 

 
 2月18日(木) PM1時半から7時まで
 3月18日(木) 同じ
 4月15日(木) 同じ

今年は第3木曜日に開催致します。

参加される人はメッセージくださいね。

カリキュラムの内容  
  
 
    
    ① 呼吸法(気持ちを落ち着かせる為)
    ② ストレッチ(心と身体を柔軟にする)
    ③ 姿勢を正す(気を通りやすくする)
    ④ 一日七回感謝する(プラス思考)
    ⑤ 全てのものとの調和(感謝出来るようになる)
    ⑥ 身体の力を抜く(感情のコントロールが出来る)
    ⑦ 明るく朗らかに穏やかなる(パワフルになる)

この7つの中からいくつかを体験していただきます。

   
この時間帯の間のお好きな時間にお越し下さいね。

 

場所:浪速区民センター 第4会議室
大阪市浪速区稲荷2丁目4-3
電話  06-6568-2171 06-6568-2171
地下鉄千日前線桜川駅より徒歩3分

 

http://osakacommunity.jp/naniwa/index.html
 

参加費:500円
 

気功ってどんなものかな?と思っても、
なかなかレッスンにくるのは敷居が高い、
という方、是非気功サロンにお越し下さい
オリエンタルウインドの講師がわかりやすくご説明いたしますよ (女性3名男性2名)

  (●^o^●)

 

http://orientalwind.info/2006/12/whats_new.html

オーラ・オーラもよろしくお願いします。

http://auraaura7.com/




  

14日の日めくり

  


  
 人間は素晴らしい

 いくらでも立派になれる

 いくらでも進歩向上出来る

 だから素晴らしい




     

        五井昌久



  

        世界人類が平和でありますように






  

2010年2月13日 (土)

坂本竜馬より

  

          
   
考えるな!

己の心をみよ!

 






吉田松陰


 







  

感想

 

先程、NHKで坂本竜馬の再放送をやっていました。

そこで黒船に乗り込もうとしている吉田松陰を初めは竜馬は止めようとします。

しかし松陰の意思は固く、自分の本心を貫くには命は惜しくないという言葉に竜馬は感動し、自分も一緒に連れて行ってくださいと言いました。


そこで松陰は、

「黒船に乗るのは自分の天命だ、お前には別にすることがあるはずだ」

と諭します。

そして
 

「考えるな! 己の心をみよ!」
 

と云うのです。


私たちは頭で考えようとします。


しかし頭と心は違うのです。


頭=肉体には本心はありません。


心の奥深いところに本心はあるのです。


それが統一です。


統一とは自己の想念が本心と一つになることをいうのです。



 

神と人間 (守護神守護霊について 5)

  

    
初めに分霊が、宇宙神の創造を顕現するため、その創造性を光の線と彩なして、幽界肉

体界を創造してゆく過程において、みずから発した念波の業因の中に、しだいに自己の

本性を見失っていったことは、前章においてすでに説明したのであるが、

これは一見、無限の智慧の持ち主である神の行為の失策の如く見え、この点を疑問に思

う人々が多数あると思うので、この点についてちょっと説明してみよう。


これはさきの述べた光と影、善がそのまま善ならず、悪がそのまま悪ならずの説明と同じ

原理である。


即ち、分霊は、一度びは、肉体の業因縁の中にもてあそばれ、自己の本性を見失ったか

のように見えるが、これは、直霊が分霊に命じて、宇宙神の創造を現象界に写し出そうとし

ている過程にすぎないものである。


しかし、かかる過程にあって苦悩している分霊を救い、肉体界を浄め、宇宙神の意思その

ものの世界とすることが、直霊の最初からの計画であった。


そこで、各直霊は自己の光を分けて、分霊たちの守護神となし、守護神は、最初に肉体界

の創造にあたった分霊たちを、業因縁の波から救いあげた。


この分霊たちは、守護霊となり、守護神に従って、ひきつづき肉体界に働く後輩の分霊た

ち、いわゆる、子孫の守護にあたることになった。


そして分霊の経験の古いものから、順次に守護霊となり、ついには各人に、必ず一人以上

の守護霊がつくまでになって、今日に及んでいる。(第三図参照)






 宇宙神


 神界 (守護神、直霊)


 霊界 (守護霊、分霊)


 業因縁の世界 (幽界、魂)

 業因縁の世界 (肉体界、魄)


  第三図


 


従って、原始時代より、闘いにつづく戦い、苦悩につづく苦悩の歴史が、繰り返されて、

現代にいたってもまだ、戦争への恐怖、老病貧苦の地獄絵の時代はつづかんとしている

が、この間、種々と人類に貢献せる聖者、偉人が数多(あまた)あったことは、分霊である

人間が守護神、守護霊の働きを悟り、これらと協力して、活躍したことを物語るものであ

る。


この力は精神文化、物質文明の発展に寄与することが大きく、守護神、守護霊と、分霊の

交流が、更に著しくなってくれば、この世界が真の発展に進むことになるのである。


しかし、現在はまだあくまで過程であって、この段階を過ぎた未来において、肉体人間の

世界が、神の計画通りの、完全調和せる光明世界になることは必至である。


それ故、現在の状態が、いかに破壊に瀕せんとする如く見えようとも、決して悲観すること

も、絶望することもないのであって、各人はひたすら自己の本分をまっとうしていさえすれ

ば、必ず、自己も救われる日が来るのである。


私は、その日の近いことを確信してやまない。




                     おしまい






『神と人間』 守護神守護霊について 五井昌久 白光出版

感想


今、映画で 『2012年』 とかをやっているのは神界(地球の未来)を見ているのではなく、

幽界の業因縁の世界をみて予想しているのです。


業因縁とは過去の終わったことを写しだしている世界、血迷っていた頃の人間の想念の

世界です。


でもその世界は現われては消えてゆく幻の世界なのです。


本当の今は霊界にあり、未来は神界にあります。


神界とは完璧な自分や人類が住む本当(実相)の世界なのです。


最後の文章の


それ故、現在の状態が、いかに破壊に瀕せんとする如く見えようとも、決して悲観すること

も、絶望することもないのであって、各人はひたすら自己の本分をまっとうしていさえすれ

ば、必ず、自己も救われる日が来るのである。


私は、その日の近いことを確信してやまない。


の部分がたまらなく嬉しいですよね


このことは地球全体にもいえることだし、個人においてもまったく同じです。


アセンションとは地球人類が本当に幸せになるときです。


もうすぐその時代がやって来るのです。




世界人類が平和でありますように




  




  

13日の日めくり

 

 
  
生命(いのち)は神の責任にあり、その使い方は人の責任にある。





  

              五井昌久




       世界人類が平和でありますように




  

   

2010年2月12日 (金)

神と人間 (守護神 守護霊について 4)


本文


 
   
この幽界における分霊を霊魂といい、肉体界にいる期間を魂魄(こんぱく)という。


いいかえれば、霊とは神であり、神性であり、魂魄を因縁性とよぶのである。


従って、分霊は、霊界に本住する神でありながら、因縁世界に降っては魂魄(こんぱく)で

あるといえるのである。


人間の本性としては、霊(神)であるので完全円満であり、行き通しであるが、分霊の念波

から生じた業生は、業因縁となり、幽界、肉体界を輪廻転生して生まれ変わり死に変わり

するのである。


仏教でいわれる、人間本来仏性なり、とは、どんなに業因縁の迷路にいる人間でも、その

中味はすべて仏のいのちである。


私流にいえば、分霊の光であり、直霊の光であり、宇宙神そのものの光(いのち)である、

というのである。


人間の性は善なるや、と今までに多くの人びとが、性善説、あるいは性悪説を唱え、論じ

あってきたが、人間の本来性には善も悪もない。


人間はただ無限の光(神)の創造性を行動に移し、神の姿を客観的に現わそうとしている

者であって、悪といい善というも、全面的に神が現象界に現われるまでに織りなす光と影

の交叉であり、悪(影)と現われている姿、行動も、より大いなる善(光)を現わさんとする一

瞬であり、善と現われている姿、行動すらも、より偉大なるすべてを含めた善(光)を現わさ

んとする過程の一瞬である。


初めに分霊が、宇宙神の創造を顕現するため、その創造性を光の線と彩なして、幽界肉

体界を創造してゆく過程において、みずから発した念波の業因の中に、しだいに自己の本

性を見失っていったことは、前章においてすでに説明したのであるが、これは一見、無限

の智慧の持ち主である神の行為の失策の如く見え、この点を疑問に思う人々が多数ある

と思うので、この点についてちょっと説明してみよう。



                  
                  つづく





『神と人間』 守護神守護霊について  五井昌久 白光出版









感想



人間は光輝いている光そのものである。ぴかぴか(新しい)


太陽はいつも光っているけれど地上から見ると雲がかかってくるとその光はさえぎられ

ます。

暗雲がたちこめて、昨日のように長雨が降ると太陽はどこに行ったのだろう?とその存在

を忘れてしまうこともあります。

でもいつかは雨はやみ、暗雲もどこかに消え去っていきます。

私たちが不幸とか悪とか思っていることとはこの雲のようなものなのです。

この雲をつかまずに

「いつかはこの雲(不幸、悪、病気など)は去っていくんだ、そして太陽(自分)はその雲とは

関係なく輝いていればいいんだ」


と思えばいいのです。


でもそれを忘れそうになったとき、守護霊、守護神が光を送って太陽の姿(本来の姿)を

見せてくれるのです。

そして意識は常に雲の上に高く持つことが大切なのです。

雲の上には太陽(本来の自分)を曇らせるものはないのです。

これが肉体意識ではなく、宇宙意識を持て!ということなのです。

素晴らしいとは素(もと)は晴れているということです。

素(もと)とは宇宙のことなので

宇宙には曇りがない晴れている。

それが素晴らしいの語源です。

肉体意識でもなく幽界(迷いの世界)の意識ではなく、霊界も飛び越えて神界(天国)に

意識を合わすのです。

それが宇宙意識です。

その為には宇宙の願い事を唱えると宇宙と共鳴するのです。


それが祈りです。


宇宙の願い事とは宇宙に住んでいる人類(地球だけの人類でない)がみんな仲良く平和

に暮らすこと。


それが


世界人類が平和でありますように


なのです。


この祈り言霊を発すると


宇宙神と共鳴します。


ものすごい光が降りて来るのです。ぴかぴか(新しい)


もうすぐ世界中の人たちがこの祈りを祈り始めます。


するとたくさんの人の器に光がたくさん降りるのです。ぴかぴか(新しい)


それがアセンション(次元上昇)です。





世界人類が平和でありますように


may peace prevail on earth.





  

2010年2月11日 (木)

幸せになる生き方

 
  
  
『本当の自分と、自分の魂を信じる』




あなたはこの世に存在するものの一部です。

 
そして、かつて存在したものの一部でもあり、これから存在するであろうものの一部でもあります。
 

あなたの霊的なエネルギーは、生涯を通じて充電され、輝き続けなければいけません。
 

あなたは万物の一部であることはやめることはできません。

 
死さえも、あなたを消し去ることはできません。


なぜなら、あなたの霊魂は今も、過去にも、未来においても、物質として存在するものではなく、無限の存在だからです。


あなたの存在は永遠の世界を構成する、不可欠なピースです。


あなたの魂は一時的にその肉体を得て存在しているのです。


あなたは、これから知ることや理解することをはるかにしのぐ存在です。


人は誰でも、人間としての能力のほんの少しの部分しか活用していません。


わたしたちの内部には、いつか発現するときを待っている、広大な知の宇宙があります。


人間は、取り出して使うべき多くのものをもっています。


すでにもっている以上のものは何も要りません。


生まれてから死ぬまでの生きている時間は、行動し、なにかを達成し、なにかを生みだし、この世界をともに創造するという役割を自認するためにあります。


大学三年のとき、ある友人がフランスに旅行しました。


彼女の父親は、出発のときにこう言いました。


「自分が誰だか忘れるんじゃないよ」。


自分が何者であるかを忘れずにいれば、世界は加速度的にわたしたちを導き、励まし、支えてくれます。


自分が何者であるかという問いに対する究極の答えを知り、理解を深め、その答えと真摯に向き合えば、人は自分自身を信頼して着実に成長してゆきます。


自分のなかにある高みを頼りにしましょう。


すべてはあなたのために、あなたの内部に生まれながらに備わっているのです。


自分のもっているもの、ありのままの姿を強く信じていれば、失敗することはないとわかるはずです。


その気持ちを自信にしましょう。


焦らず、粘り強く、あなたの行く手を照らす直観の力を信じて、成長しましょう。


この内なる知は、本能的なものです。


外からの知識や理屈などなしに、真実は絶えずあきらかになります。


人は自分の内部に、物事を認識する能力をもっているのです。


このかすかな、自然にわきあがってくる気づきが、あなたの本来のあり方をおしえてくれます。


ジョーゼフ・キャンベルは、人間の魂がもつ願望について次のように考えました。



「わたしたちが本当に求めているものは、生きているという実感だ。
そのために、単なる肉体的次元で体験したことが、わたしたちの存在の内奥と響きあい、現実と響きあう。それによって人間は生きている恍惚感を実感として味わうことができる」


自分が感じること、自分のエネルギーを信じましょう。


夢中になって生きれば、あなたは自分自身を信じ続け、生きていることの喜びをつねに感じていられるでしょう。






  幸せになる生き方 アレクサンドラ・ストッダード






  



本当の自分と、自分の魂を信じる

  
    
  
「魂は永遠だ」 と口にすることが間違いだとしても

わたしは喜んでその間違いを犯したい。


何人(なにびと)もこの確信をわたしから奪い去ることはできない。

「魂は永遠だ」 という確信が、

私に完璧な静けさと大いなる満足をもたらす。



            
キケロ




  




  

11日の日めくり

 
  
 
  
祈りとは神だけを自分の心の中に 


住まわせることである  






    五井昌久





世界人類が平和でありますように  







  

神と人間 守護神、守護霊について 3 

 
  
 

肉体が消滅した、ということは、肉体細胞の分離をいうのである。


肉体は何兆という細胞が種々の要素が仲介として組織体となっているもので、いいかえれ

ば、分霊の放射した光波(念)が、宇宙の物質要素と結合して、創りあげたもので、分霊の

光波(念)がそれらの物質要素に働きかけなくなれば、自然にこの組織体は解体してしまう

のである。


もっと端的にいえば、分霊が上衣である肉体をぬぎ捨てたのであり、着手のなくなった上

衣は、もう必要がなくなって焼かれてしまった、といえるのである。


上衣が破れたからといって、着手が滅びてしまったという人はいない。


ただ着手であり中味である分霊が、下着である幽界を着けたまま、別の界層に移転した、

ということなのである。


いいかえると、真の人間は死滅したのではなく、肉体界を離れた、のみである。


私はこの肉体要素を魄(はく)とよんでいる。



肉体を離れた分霊は、ある期間、幽界において生活する。


ここの生活は、肉体界の波動より細やかな波動の世界で、大体肉体界と同じような生活を

営む。


ただしこの世界は想うことがすぐに現われる世界であって、肉体界ように、念じたことが、

なかなか現れぬ世界とは違う。


想うことが直ぐ現われるということは、ありがたいようでなかなかありがたくなく、よほど心

が整い、浄まっていないと、非常に苦労するのである。


何故ならば、肉体界においては、相手を憎んでいても、顔に現わさねば、なかなかわから

ないし、ちょっとだましても、すぐにはわからない。


一生わからないこともある。


しかし幽界においては、喜怒哀楽ともに、すぐにその結果が起こり、憎む人はすぐに憎み

かえされ、だます人は、すぐにだましかえされる。


憎み、悲しみ、恐れ、不正直、こうした想念は、すべて直ちに苦しみの種となり実となる。


こうした体験を経て、肉体界から持ち越して来た悪想念、悪行為の習慣(業因縁)、これは

すべて幽体に記憶されてあり、記録されてある。


これらを浄めるべく努力することにより、その昔より、高い人格となり、よい因縁をなって、

肉体界に再生する。


今度は以前より立派な生活が肉体界において、営まれるのである。


かくして何度か再生し、悪想念、悪習慣を矯正して、やがて直霊と一つになってゆくので

ある。


この幽界における分霊を霊魂といい、肉体界にいる期間を魂魄(こんぱく)という。


いいかえれば、霊とは神であり、神性であり、魂魄を因縁性とよぶのである。


従って、分霊は、霊界に本住する神でありながら、因縁世界に降っては魂魄(こんぱく)で

あるといえるのである。



                     つづく





『神と人間』 守護神、守護霊について 五井昌久 白光出版








 
感想



魂(たましい)ってなんだろう?


心と魂はどう違うのだろう?とずっと思っていました。


肉体界では分霊(大生命の分れ)のことを魂魄(こんぱく)


幽界では分霊のことを霊魂(れいこん)


というのですね。


いいかえれば、霊とは神であり、神性であり、魂魄を因縁性とよぶのである。


従って、分霊は、霊界に本住する神でありながら、因縁世界に降っては魂魄(こんぱく)で

あるといえるのである。


なるほど、ここで前回見たそれぞれの界層を復習してみましょう。





  神界(実相)

  霊界(分霊)

  幽界(魂、幽体) 想念、行為の蓄積所(潜在意識)

 肉体界(魄、肉体) 想念、行為の表現所(顕在意識)


      第2図





前回見た図の意味がよくわかります。


そして神界の実相とはそこに本当の自分がいる、本当の世界は神界(天国)にあるという

意味なのですね。

そこに自分の本心があるのです。

肉体界において苦しむのはこの本心と肉体界での想いとが違うからなのです。

肉体の自分と本心がつながることが悟ったということです。

心と吾が同じになるということです。

人間が幸せになるとは、本心を肉体界に現わす(本心開発)ということなんです。


そのために統一(神様のみ心と一つになること)が必要なのです。
わーい(嬉しい顔)




 世界人類が平和でありますように



  



     

2010年2月10日 (水)

神と人間 (守護神、守護霊について 2) 

  
    
守護神は常に多くの守護霊の上にあって、守護霊に力を添えていた。
 

各正守護霊はしだいに一人の肉体人間に専属し、その主運を指導してゆくようになり、副

守護霊は、おおむね、仕事についての指導を受け持つようになっていった。

 
直感とか、インスピレーションとかいうのは、これら守護霊からくる指導の念である。

 
これは普通は自然的行動のように行われ、何気なくある家を尋ねたら、よいことがあった、

とか、ふと左に歩を運んだとたんに車がすれ違って、危うく難をのがれた、とか、というよう

に日常茶飯事の何気ない行為として守護している場合が多い。


このような組織状態が現代までつづいているのである。
 

人間とは一般の人びとが思っているような肉体だけのものでなく、このように複雑な組織を

もつ者なのである。
 

ここで私は肉体の生死について述べてみたいと思う。
 

“人は死んだらどうなる?”
 

“生まれる前にはいったいどこにいたのか?”

 
この二問題は今まで述べてきたことによって、大体わかっていただけるとは思うが、さらに

詳しく具体的に述べたほうが、因縁因果を越えて、神性を顕現する道に近づきやすいと思

うので述べることにする。
 

現代人大半は、死んでしまえばそれまでである、と肉体消滅によって人間の生活は終了す

る、と思いこんでいる。
 

この考えほど、人間の神性を隠ぺいするものはないのである。
 

肉体が死ねば確かに肉体は人間の原形をとどめず、灰になってしまう。
 

肉体という形は消滅し去る。
 

肉体人間の眼の前から、その人の姿は永遠に消え去ってしまう。
 

しかし、はたしてその人は再びこの肉体界に現われることはないのであろうか。


                  

                              つづく







『神と人間』 守護神、守護霊について 五井昌久 白光出版











 

感想


最後の一番いいところでつづきにしました。(笑)


私は人の死について誰に教えられた訳でもなく、人間は死んでも心は生き続けるんだとある時期から思っていました。

だからこの神と人間を読んだときも

「ふむふむそうだろうなぁ~」と納得していたのです。

だから不謹慎かもしれませんが人の死に対しほとんどの人がさも永遠の別れかのように、

死んだらもう自分というものも未来永劫に無くなってしまうかのようにとらえ、嘆き悲しんで

いる姿がある意味異様に感じていたのです。

みんな死に対してすごい恐怖感を持っている

だけど死んだ後の世界のことを調べてみようとはしない。

そこに触れようとしない

子どもに

「おじいちゃんは死んでどこに行ったの?」

と聞かれてちゃんと答えられない げっそり

こんなことでよく生きていけるなぁと不思議でしかたがないのです。

死と生きることは同じです。

生の後には死があるのです。

未来のことがわからなくてどうして自信を持って生きていけるのでしょう?


死への恐怖が無くなれば、どんなことが起こっても生きていることが怖く無くなるのです。

これから人間の死に対して真剣に向き合っていく人が増えてくると思います。

それがアセンションの前の現象なのでしょうね。






世界人類が平和でありますように






 

10日の日めくり

  
  
  
自分を捨てきるということは

自分を真に生かすことである





   
      五井昌久





世界人類が平和でありますように










 


 

感想



自分が自分がと自分があるからしんどいのです。げっそり

自分という存在感を消して心だけで生きていると思えば楽になります。わーい(嬉しい顔)

私というのは神様にわたしをわたしてしまうという意味だそうです。

私は最近、自分の気配を消すくらいでちょうどいいんだなぁと思っています。

そうです、存在感なんて自分でいきんで出すものではないのです。

自分が出さなくても神様が必要なときに出してくださるのです。手(パー)





  

2010年2月 9日 (火)

9日の日めくり

  
   
  
 裸の心になることです
  

 そうすれば勇気も知恵も力も湧いてきます



  





         五井昌久


 



世界人類が平和でありますように





  


  
  

神と人間 (守護神、守護霊について 1 )

 

  
前章において人間本来神性であることを説明したが、現実として一番問題になるのは、

人間ははたして業の輪廻を越え得るか、越えるためにはいったいどうしたらよいのか、

ということなのである。

 
本来性でないといっても一度び生まれた業因は、縁となり果となり、また因を創り縁と結び

果となって、はてしなく転回して、この現象は業生の世界と成り終わせているように見え

る。


確かに分霊が肉体の因縁の中に閉じこめられた現在、各分霊だけの力でこの因縁を越え

ることはなかなか容易なことではない、というより不可能に近いことを思わせる。
 

何故ならば、一度発した念は必ず、その出発点に還る法則になっていて、この発した念、

即ち業因は還って果となり、因果の波は時を経るにつれてしだいにその層を厚くし、分霊

の肉体我を牢固としてぬくべかざるものにしていったからである。
 

肉体我は粗い波動が起こしている自我であり、肉体という物質によって、自己と他とを区

別しているものであって、まず各自が己れを守ろうとする意識を起こすため、どうしてもお

互いの利に反することが陰陽に分裂して男女となり、肉体人口が増えるにつれて、肉体我

は自己と自己の一族のみを守ろうとし、いよいよ業因を深めてゆき、この業因の隙間から

神の光が差し込まぬ以上、人間は本来の神性に目覚め得ぬような状態になっていった。

 
この時、神(直霊)はこれを知って、分霊の救いのために新たなる光を放射した。

 
これを守護神と呼ぶ。
 

この守護神の光によって、最初に幽界、肉体界を創った分霊は救われ、各子孫の守護の

任についた、これを守護霊(支配霊・コントロールともいう)と呼んだ。
 

この守護霊の中には正守護霊と副守護霊とが定められた。



               つづく




 
 

『神と人間』より守護神、守護霊について 五井昌久 白光出版






 
感想


女性はすごくわかってもらいやすいと思うのですが、今あなたが母親で小さな子どもを残し

て肉体界を去らねばならぬとします。

病気であるのか、突然の事故死であったとしても肉体界に残した幼子のことが気になっ

て、気がかりで死ぬに死ねない心境だと思うのです。

そんなときあなたが悟っていて我が子の守護霊になりなさい!と守護神から任命されたら

どんなに嬉しいことでしょう。

あなたはテレパシーでメッセージとして我が子にこれから起こる未来を伝えることが出来る

のです。(我が子が常に守護霊に注意を向けていることが必要ですが)


でも死後、すぐに人間の守護霊に付くということはめったになく、この場合の守護霊とは祖

先の古い魂の人たちなのです。

お釈迦様もキリストも実はこの守護霊、守護神について弟子たちに伝えていたのです。

でもみんながこの存在を知ってしまったら、真理がわかってしまったら問題は自分で処理

(守護霊と相談するので)出来てしまうので、時の権力者たちはこれを隠ぺいしたのです。


この世の運命を善くしていくには、守護霊、守護神の助けが絶対に必要なのです。

この世で起こっていることは、神界、霊界、幽界の写し世です。

特に今は幽界(潜在意識、迷いの世界)が現われています。

潜在意識に溜まった過去における想念行為を消していかない限りこの世は地獄図になり

ます。

そして未来を察知する予知能力もなければ不安でしかたがないのです。

守護霊は霊界、神界に通じているので今から起こること未来のことがわかるのです。

(幽界のことも手に取るようにわかるのです)

それを私たちに伝えてくれようとしているのです。

まさしく、愛そのものの人たちですよね。

そして前にも書きましたが守護霊、守護神は自分自身でもある。

つまり自分のことは自分で守れるのです。

それが我即神也ということなのです。

自分で何でも出来る

自分は無限の可能性がある。

素晴らしいと思いません?

勇気が湧いて来ませんか?

私は幸せだなぁと思っています。
わーい(嬉しい顔)



世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)





 


 

2010年2月 8日 (月)

神と人間(実在界・霊界・幽界・肉体界 4)

  
 
  
怒ろうとせぬのに怒ってしまい、不幸になろうとせぬのに、不幸になってしまう等々、すべ

て潜在意識(幽体、幽界)からの意識の流れによるのである。
 

この波が常に転回し、不幸の念の蓄積は不幸を呼び、喜びの念の蓄積は喜びを呼ぶとい

う風に、輪のように転回してゆくので、これが業の因縁、因果と呼ばれている。
 


このことは後の章において述べるとして、また分霊の説明にうつる。


分霊が最初に幽体、肉体を創造したのは、神が天地、山、海、草木を創造し、動物の創造

を司る神霊が動物を創造した、その創造過程が、霊、幽、物質としだいにその光波を物質

化した。


いいかえると、エーテル、微分子、原子(電子、電磁波)としていったと同じ原理で、直霊が

各分霊に自己の光を分け与えて、肉体人間の創造を山霊、海霊、木霊、動物を司る霊等

と協力して、なさしめたといえるのである。

 
従って人間(霊)が光波ででき、肉体が原子からできていることと、自然の法則とは範疇

(はんちゅう)の異なった、等しい原理によるといえよう。

 
ただ大いに異なることは、山海草木も動物も創造されたるものであって、自己意識、我(知

性)を持たぬが、人間は、創造者である分霊そのものが、肉体にあって、たゆまざる自己

創造をつづけていることである。
 

これは重大なることであって、釈尊(お釈迦様のこと)の言葉に


“人身得難し(じんしんえがたし)”とあるのは真である。


動物は神に隷属されたる物、人間は神そのものの分霊であること、本来自由自在なる者

であることを、よくよく考えて感謝しなければならない。

 
さて霊・魂(幽体のこと)・魄(肉体のこと)として三界に活動している分霊はしだいに肉体人

そのものになってきて、肉体外の六官(直感)直覚(神智)の衰えを見せ、すべてを五官の

感覚のみ頼ることが習慣づけられ、五官に触れぬものは無いものと思うようになり、人間と

は肉体であり、心(精神)とは、肉体の機関が生み出した働きであるとして、分霊そのもの

としては感じられぬようになっていった。


しかし、分霊と分霊とが本来は神において一つの者であったことが幽体に記録され、記憶

されているのが意識を超えて思われ、肉体においては、はっきり個々に分かれていながら

も、お互いが、お互いのことを思いあう感情、愛は消えることはなかった。


この愛の狭い範囲の働きは、親子、夫婦、兄弟の間に、ひろくは、人類、社会の範囲に及

ぼされている。
 

愛こそ神へつながる道であり、光であり、本来の自己を見出すただ一つの感情、行為で

あった。
 

分霊は物質の世界、形の世界において、己れ自身の本来身、光(神)を忘れかけながら

も、心の底から湧きあがってくる、人間本来一つの光の理念が、愛の思いとなり行為となっ

て、わずかにその光を保っているのであった。

 
神の心を愛と呼び、業因の働きを執着、と呼び、この二つの心が、人間の生活を、幸、不

幸とに分けていこうとしているのである。



 
 
『神と人間』 より五井昌久(実在界・霊界・幽界・肉体界)の章はおしまいです。 


  





 

感想


人間のことをこれだけ短く簡潔に書いた文章ってあるでしょうか?
 

学校の先生も家の人も多分、宗教家の人でも哲学者の人もほとんどわかっていないことを

理路整然と書ける五井先生の凄さを感じます。
 

まさしく神我一体になった人にしか書けない文章です。


文中の


ただ大いに異なることは、山海草木も動物も創造されたるものであって、自己意識、我(知

性)を持たぬが、人間は、創造者である分霊そのものが、肉体にあって、たゆまざる自己

創造をつづけていることである。

・・・・・・・・・・・・・・・は人間は神という光(心)に肉体を纏っているんだ。

肉体、幽体が無くなれば(清まれば)、神そのものなんだということがわかります。

私たちは神(完全者)になろうと努力します。

でも私たちは元々神なのです。

神(完全者)になろうとあがくからしんどいのです。

神である自分を信じればよいのです。

神への階段を上がって行くのではなく、神の自分を降ろせばよいのです。

それが自分が悟る本当のメソッドなのです。 わーい(嬉しい顔)
 

  
  

8日の日めくり

  

  
   
 時を待つことも大切である


 焦ったりうろたえたり心まどうより


 座って祈ることだ







         五井昌久





 世界人類が平和でありますように




 




   

2010年2月 7日 (日)

『神と人間』より (実在界・霊界・幽界・肉体界 3)

 
 
始め、肉体界をつくり、そこに神の創造を形づけようとして活動をつづけていた各分霊は、さながら繭(まゆ)をつくって、その中に閉じこめられた蛹(さなぎ)の如き状態に陥り、しだいにその光波が濁っていったのである。


それはちょうど、流れの早い川は澄み、流れの遅い川は濁っている、のと同じ原理である。


やがて、各分霊は自分たちの親である直霊にむける念を疎んじ出し、それまでに幽体と肉体に蓄積されていた光の波(念)だけに重点を置いて、楽な創造を営もうとしはじめたのである。

 
ここにおいて人間は、肉体界の生活を主とした自己限定をするようになっていったのである。

 
分霊の創造の始めにおいておこされた想い(光の波動)は神より来る本来因果(真善)であったが、肉体界に自己限定を始めた頃より生じた想いが業因となって、人類の悲劇が始められたのである。
 

即ち、自己限定した各分霊は、お互いの不自由性を解放しようとして、縦である直霊にむかわず、横につながる兄弟姉妹である分霊魂から、その自由を得ようとし始めた。

 
即ち縦取りをしないで横取りをしはじめたのである。
 

そして、幽体及び肉体に蓄積された想い(知識)並びに腕力を使い合って、闘争の歴史を繰り広げていったのである。

 
しかし時折、みずから閉じ込め、今は閉じ込められた肉体の隙間から、神の顔をその光明をちらりと観ては、蓄積された想念の中から、かつての自分の光を見出し、直霊にむかって救いを求める祈りの絶叫を挙げるのである。
 
 

これが信仰心の始まりであった。
 


  
神界(実相)

  霊界(分霊)

  幽界(魂、幽体) 想念、行為の蓄積所(潜在意識)

 肉体界(魄、肉体) 想念、行為の表現所(顕在意識)


      第2図
 



これまでの状態を図解して説明しよう。(第2図参照)
 

第2図の如く、各分霊は霊界に所属しながら、その心(念)をもって各幽体を創造しここに幽界ができた。
 

この幽体は各々の念が記録される場所となる。
 

即ち業因縁の蓄積所である。
 

ここに蓄積された記録や記憶が肉体の頭脳にキャッチされ、考えとなり行動となってゆく。

 
この蓄積された記憶を潜在意識といい、頭脳にキャッチされたものを顕在意識という。
 

怒ろうとせぬのに怒ってしまい、不幸になろうとせぬのに、不幸になってしまう等々、すべて潜在意識(幽体、幽界)からの意識の流れによるのである。
 

この波が常に転回し、不幸の念の蓄積は不幸を呼び、喜びの念の蓄積は喜びを呼ぶという風に、輪のように転回してゆくので、これが業の因縁、因果と呼ばれている。
 


                    つづく





 

  『神と人間』より  (実在界・霊界・幽界・肉体界)  五井昌久








 
 

感想


ここに書いてあるのは

「何のこっちゃさっぱりわからない」 というのがおおかたの感想ではないかと思います。(笑)

今までに聞いたこともない話ですよね。

でもね、みなさんは実は知っているのです、一番最初はわかっていた知っていた、だけど肉体生活を長くおくっていたからすっかり忘れていたのです。

そしてここにかすかな記憶が細い糸のようにあって何回も読んでいるうちに太い糸へと変わっていくのです。

この図を観ているとわかることがもう一つあるのです。

それは幽界は過去世のことが記録、記憶された所、肉体界はそれが現われている所・・・・・ということは私たちが今と思っている今は過去の写し絵なのです。(だから何が起こっても過去が写っているだけだと思えば楽でしょ)


本当の今は霊界だそうです。


そして私たちの未来は神界にある。


もうわけがわかんない? げっそり


この辺にしときましょ(笑)


 


 

7日の日めくり

  

    

  どん底の苦しみを暫らくの間じっと耐えていれば
 

     必ず運命はよくなる



  その人に耐えられない苦しみはない





           



               五井昌久





   
          世界人類が平和でありますように







  

2010年2月 6日 (土)

神と人間 (実在界・霊界・幽界・肉体界 2)

  
  
 
人間は本来、神からきた光である。
 

光は即ち心である。
 

神は、すべてのすべてであり、無限の知慧、無限の愛、無限の生命であるけれども、神そ

のものが、神そのままの姿で動いたとしたら、形の世界には何ものも現われてはこない。
 

無限はいつまでも無限であって、有限にはならない。
 

一つがいくら動いてもやはり一なのである。
 

無限が幾つかの有限になり、一が自己分裂して二になり、四にならなければ、形の世界は

創造されない。
 

この光そのものである神がある時、突然その統一していた光を各種、各様相に異なった光

として放射した。
 

この時から神の創造活動が始められたのである。
 

神まず天地に分れ、そして、その一部の光は、海霊(うみだま)、山霊(やまだま)、木霊(こ
 
だま)と呼ばれ自然界を創造し、活動せしめ、その一部は動物界を創造し、後の一部の光

は直霊とよばれて人間界を創造した。
 


ここにおいて神は、一であり、多であることとなり、一即多神となるのである。
 

さて、人間の直霊、即ち神の一部の光こそ、私が前章より書きつづけている人間そのもの

なのであって、この時にはいまだ業因は生じていないのである。
 

この直霊が動き出でて各種の光の波を出だし、霊界を創り、各分霊となり、各分霊が直霊

より分けられたる光(心)により創造力を駆使して幽界を創り、肉体界を創造して、ある時

は幽体という衣だけを着て幽界に生活し、ある時は幽体をつけたうえに、肉体という衣をつ

けて肉体界の創造活動を営んだ。
 


霊体が中味とすれば幽体はシャツであり、肉体は上衣である。
 

この三つの体はいづれも光の波動でできているのであるが、肉体はその光の波が非常に

粗く、流れる速度も遅く、その波は重い。
 

分霊は、精妙な光であり、本来自由自在に動きうる波動をもっているのであるが、肉体界

に出入りするうち、いつとはなく肉体の鈍い動きに同化されてきて、しだいにその精妙さが

失われてきた。
 

始め、肉体界をつくり、そこに神の創造を形づけようとして活動をつづけていた各分霊は、

さながら繭(まゆ)をつくって、その中に閉じこめられた蛹(さなぎ)の如き状態に陥り、しだ

いにその光波が濁っていったのである。
 


それはちょうど、流れの早い川は澄み、流れの遅い川は濁っている、のと同じ原理である。
 




                   つづく










 

感想


イザナギ(男の神様)とイザナミ(女の神様)が矛のようなものでかき回して、島や列島、日

本国を創造していったと神道にはあるようです。


ロマンがありますよね。


それから光を心と読み変えるとわかりやすくなるような気がします。


まず心ありきで、そこからその光(心)が神の姿を顕すために分かれて色んなものを創って

いった、そして人間は神そのものの光だったがそこに幽界、霊界、肉体界を創った。(人間

以外のものは神の創造物なのです)

だから人間は肉体界だけに生きているのではないのですね。

そして元は光(心)であることがわかります。

分霊は、繭(まゆ)をつくって、その中に閉じこめられた蛹(さなぎ)の如き状態に陥り、しだ

いにその光波が濁っていったのである。


とありますが今私たちは繭(まゆ)を作ってしまったのです。


アセンション(次元上昇)とは繭からの脱皮ですよね。わーい(嬉しい顔)手(チョキ)






 

6日の日めくり

 
 

 
   
   今日一日


   愛深い自分でありますように







            

                  五井昌久




       


              世界人類が平和でありますように










感想


愛が深いのとやさし過ぎるのは違うのであります。

相手の自立心を遅らすことは決してその人のためにならない。

相手の守護霊のしようとしていることを邪魔するものなのです。

人間の最後の目的はあの星のように一人でちゃんと輝けるようになることです。

依存させたり甘やかしては自分で輝けるようにはならない。

業(ごう)を認めて増長させるのは愛ではないのです。

愛が深いとはその人の将来をみること、その人の本質(神性)をみることが出来るということなのです。




  

2010年2月 5日 (金)

神と人間 (実在界・霊界・幽界・肉体界)

  
  
神と人間という本の中で一番難しい?しかし最も大切なところに入っていきます。

文章というのは一回読んでわからなくても2回、3回と読んでいくうちにわかっていくものと

があります。

今から書いていく文章は百回読んで心に刻みつけてもいいくらいものすごく大切なところで

す。

でも無理はしないでくださいね。






 
 
『神と人間』 より


実在界・霊界・幽界・肉体界


さて前章においては、総括的にやや抽象的に人間の説明をしておいたが、この章では、

具体的に突き進んで、人間とはいかなる者かを述べてゆきたい。


ある一部の宗教家は、人間業生説、因縁説を説き、人間は常に因縁因果の世界から抜け

きれぬとしているが、私はここではっきりと、人間は本来業生(ごうしょう)ではないといい切

りたい。

業生である以上、人間はいつ迄も輪廻転生しなければならぬことになり、一向に救われぬ

ことになってしまう。

これでは人間として生まれてきたことがまことに不幸であり、神とか仏とかの存在価値がな

くなってしまう。

現象(あらわれ)の世界は確かに因縁因果で動いているようだが、その底を流れている強

い神への憧れ、仏への思慕を思うとき、人間の本性の中に明るい光明をみないわけには

いかない。

私は人間の霊性を深く追求して、人間と神との一体を観じ得た。

即ち人間は神の子であり、神そのものでさえあるということである。

私が霊覚で悟り得た人間の発生について説いてみたいと思う。

人間は本来、神からきた光である。


光は即ち心である。ぴかぴか(新しい)





  



感想


この章はまだまだ続くのですが、私はこの最後の 

光はすなわち心である。ぴかぴか(新しい)

が気に入ったのです。

「あの人は輝いている ぴかぴか(新しい) 」

「あの人はキラキラしている ぴかぴか(新しい) 」

という言葉ほど人間の素晴らしさを現わしたものはないと思うからです。

私たちはいつどんなときにも輝いていたい!

そんな魂の願いが心の奥底には必ず流れているのです。

それが生まれて来た目的であり天命をまっとうすることだと思うのです。

明日からまたこの章の続きを書いて行きます。ペン

ちょっと難しくなると思いますが、お付き合いください。手(パー)




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

 








補足


それからここに出てくる業生(ごうしょう)ですが、ちょっとわかりにくいと思います。

 
仏教では業(ごう)と言われキリストではカルマと言われています。

つまり業、カルマとは欲、エゴなど汚れた想念のまま生まれて来たという意味です。

ですから人間は神様でも仏様でもない、人間とはどうしようもない生き物なのだという意味です。

本当はもちろん、違うのです。

神と人間ではそのことを、真実を、教えてくれるのです。

 

  

  

5日の日めくり

  


   

真剣に行じて余ゆうを失うな








    五井昌久






世界人類が平和でありますように




  






 


感想


生きていることが修行だと言われますよね、まさしく真剣に生きて行くと

「これは修行だなぁ」 と感じることが多々あります。

こんな辛い修行はやめたいと思うこともあるのですが、今の生活を止めて山に籠って人に会わないようにする煩わしいことから逃れてみても、魂(本心)が納得しないのです。


だからやっぱり頑張ろう!になるのですね わーい(嬉しい顔)

でも修行って辛く厳しいものばかりではありません。

その間に魂が震えるような感動があるのです。泣き顔

私の場合は?それがあるからやめられないのです。わーい(嬉しい顔) 指でOK




  




  

  

2010年2月 4日 (木)

2月18日は気功サロンの日

  
  
日頃難しいことばかり書いているのでみなさん私のことを気難しい怖い人だと思っていませんか?泣き顔
 

全然そんなことはないのです。わーい(嬉しい顔) (逢われた方はびっくりしていますが)
 

駄洒落が好きなただのおっさんです。手(チョキ)
 


気楽な気持ちで是非、サロンに遊びに来てください。
 
 

サロンはそんな所なのです。手(パー) わーい(嬉しい顔)
 


そして元気になって帰ってくださいね。手(チョキ)




 いのち生き生き気功サロン 


 
 2月18日(木) PM1時半から7時まで
 3月18日(木) 同じ
 4月15日(木) 同じ

今年は第3木曜日に開催致します。


参加される人はお電話くださいね。


篠崎 080-1444-0018

  





カリキュラムの内容  
  
 
    ① 呼吸法(気持ちを落ち着かせる為)
    ② ストレッチ(心と身体を柔軟にする)
    ③ 姿勢を正す(気を通りやすくする)
    ④ 一日七回感謝する(プラス思考)
    ⑤ 全てのものとの調和(感謝出来るようになる)
    ⑥ 身体の力を抜く(感情のコントロールが出来る)
    ⑦ 明るく朗らかに穏やかなる(パワフルになる)


この7つの中からいくつかを体験していただきます。

   
この時間帯の間のお好きな時間にお越し下さいね。

 

場所:浪速区民センター 第4会議室
大阪市浪速区稲荷2丁目4-3
電話  06-6568-2171 06-6568-2171
地下鉄千日前線桜川駅より徒歩3分
 


http://osakacommunity.jp/naniwa/index.html
 

参加費:500円

気功ってどんなものかな?と思っても、
なかなかレッスンにくるのは敷居が高い、
という方、是非気功サロンにお越し下さい
オリエンタルウインドの講師がわかりやすくご説明いたしますよ (女性3名男性2名)

  (●^o^●)


 


http://orientalwind.info/2006/12/whats_new.html 

オーラ・オーラもよろしくお願いします。


http://auraaura7.com/




  

潜在意識と顕在意識 6

  
  
このテーマの一番最初に私たちの考えや行動の95%は潜在意識が決めているんだ、後自分を変えるのは5%しかないと書きました。
 

この95%の潜在意識とは現在プラス過去世です。
 

割合からいうとほとんどが過去世かもしれません。
 

無くて七癖 といいますが、この癖とは今生のものではなく過去世からの遺産(持ち越し)なのです。
 

短気な人、怒りっぽい人は過去世でそういう世界で長い間生きていた、それが録音されて出て来るのです。
 

だから怒りたいと思って怒るのではない、怒っちゃいけないと自分を抑えようとしてもどうにもならないのです。
 

魂の中にその火種があるので縁のある人が同じようなものを持っているとそれと共鳴してしまうのです。
 

怒りの人だけでなく、癖は色々あります、怖がりの人、勇気のない人、ずるい人、泣き虫の人、感情的な人、マイナス思考の人・・・・・無限なる愛(マイナスの言葉を打ち消しています)




私たちは他人のそして自分のその癖を見て、振り回されています。
 

「あの人はなんでそうなんだ」
 

「自分はなんて情けないのだ」
 

現われて来たもの、人を見て一喜一憂しているのです。
 

でもそれは録音されているものがグルグル回って出て来ているのだからしかたがないのです。
 

出るものは抑えられないのです。
 

しかしそのままにしていては大変なことになります。
 

それが今戦争になったり色んな個人、国同志の争いごとになっているのです。
 

ではどうしたらいいか?
 

まず、現われてきたものに対して許すことです。
 

95%の過去世のことなんて肉体人間にはどうしようもないのです。
 

人を自分を赦してあげることです。 (そこと共鳴して怒ると又同じことが録音されて現われるからです)
 


五井先生はまず現われてきたものに対し、人よりもまず自分を赦しなさいとおっしゃいました。
 

それは自分をまず赦さないと人を赦せないからです。
 

この過去、過去世のものが潜在意識となって顕在意識(現在の肉体界)に現われて来ていると知ることはすごく楽になるのです。

 
寛容になれるのです。わーい(嬉しい顔)
 
 

明日又続きを書きます。ペン

 

  
  

守護霊、守護神は自分なんだ

 
  
 
私は守護霊のこと守護神のことをかなり頻繁に書いていると思います。
 

私のメンターである う先生は守護霊、守護神の話をされるとき必ず
 

「守護霊、守護神は自分自身なんですよ」 とおっしゃいます。
 

人間は何回も何十回も何千、何万回も輪廻転生しています。
 

その間に地球上に肉体人間として住んでいただけでなく
 

他の星にいたりずっと進化した星や反対に遅れた星にも居たのです。
 

そこで色んな経験を積んでここに居るのです。
 

私たちの生命は未来永劫に生き続けている霊(神)なのです。
 

私たちはいのちそのものなのです。
 

肉体は仮の宿です。
 

本体は幽界にも霊界にも神界にもいる。
 

それだけ色んな魂の経験をしてきているのです。
 

それを忘れているだけです。
 

そして私たちを守ってくださっている方々は私たちの祖先であるのですが自分もその祖先なのです。
 

つまり守護霊、守護神は自分自身なんですね。
 

霊界のことも神界のこともましてや幽界のこともちゃんとわかっているのです。
 

現界で行われていることは幽界が写って来ていると言われています。
 

潜在意識の世界が顕在意識の世界に現われて来ている。(幽界という迷いの世界が今現われているのが肉体界です)
 

守護霊、守護神は霊界、神界に通じているのでその世界のこともわかるのですが幽界のことも当然ご存知なのです。
 

そして幽界(迷いの世界)を清めながら人間を見守って下さっています。
 

その守護霊様、守護神様と私たちは同じなのです。
 

私たちは神そのものであると同時に当然守護霊、守護神でもあるのです。
 

違うと思うから一体感が出て来ないのです。
 

守護霊守護神だけでなく
 

私たちの周りすべてのものが自分自身なのだそうです。
 

私はまだその一体感を感じたことはないのですが
 

心の底からそのことがわかったとき
 

すべての垣根を越えて 空 になるのだと思います




 





  



 

4日の日めくり

  

  
  
  神様といつも二人






   五井昌久





世界人類が平和でありますように













感想


これまで日々の指針として書いてきたのですが、ここに書いてあるのは日めくりになっていて一日から31日まで毎日めくっていくようになっているのです。(よってこれから日めくりとします)

五井先生が大切なことを心に刻むために1日の指針にしたものだと思います。

1年に12回読むことがあれば潜在意識にも刻まれるのでしょう。

そして不思議と短い文章であろうが、胸に響くのです。

今日の 神様といつも二人  は 人間はどれだけ孤独であろうと周りに誰もいなかろうと決して一人ぼっちではなくあなたの傍には神様がずっと寄り添って守ってくださっているんだよ、自分でどうしようもないこと、自分ではコントロールできないことは自分でなんとかしようとせずに神様にお任せしたらいいのだよ と言っているようですごくホットするのです。


新聞には自殺者が3万人を越えて増え続けているとありました。

この人たちがもし神様の存在を知っていたらと思わずにはいられません。
わーい(嬉しい顔)






  

2010年2月 3日 (水)

潜在意識と顕在意識 5

 
  
昨日は気を鎮めることが大切なことなんだと書きました。
 

私たちは今、どんな精神状況にあるのか?
 

といいますと
 

海の上に浮かんでいる船を想像してもらえればわかりやすいのです。

 
気候が穏やかなときは船は水面に浮かんで漂っています。
 

でもどれだけ穏やかでも波がまったくないことはなくロープを波止場にくくりつけておかないといつの間にか沖に流されることがあります。
 

または海の底が浅い時はイカリを下ろします。
 

イカリを海の一番底(最下点)まで降ろしていると船がどんなに動いても定位置がずれることはないのです。
 

嵐が来て大きな波が押し寄せて来て船を波がさらっていこうとしても降ろしたイカリが海底の一番下で動かずにいたら嵐の去った後には船はちゃんと元の定位置に戻っています。
 

実は私たち人間は海に浮かんでいる船のような存在なのです。
 

いつ嵐が来るかわからない状況で戦々恐々としている。
 

波が小さいから大丈夫だと油断しているといつの間にか知らない所を漂流している。
 

自分でどこが元の位置なのか?
 

自分の本当の居場所(スタンス)もわかっていない。
 

大きな波(出来事)があると意識が上がっているので風船のようにどこまでも飛んで(流されて)行く。
 

そして海を見ずに、表面の波ばかりを見て右往左往している。

 

海が実体なのに波が海(実体)だと思っている。
 

自分は神なのに駄目な肉体人間が自分だと思っているのです。
 

なぜそうなるか?
 

それは自分という船が波にただ浮かんでいるだけだからです。
 

イカリ(怒り)という感情を沈(鎮)めずに地に足が着いていないからなのです。
 

ヨーガとは暴れ馬を馬車にくくり付けることだと昨日書きました。
 

私たちの心の中にはこの暴れ馬が居るのです(笑)
 

どんなになだめてもどんなに気を落ち着かせようとしてもなかなか言うことを聞いてくれない奴なのです。
 


それをどうにかしようとしたら馬の鼻をヒモでくくってしっかりした所に結びつけないといけないのです。
 

人間の意識も無意識のままだとすぐに上に揚がって来ます。
 

そしてマイナスの想念(人類の集合意識)に共鳴したり幽界の感情霊に憑依されてしまうのです。
 

感情的になるとは憑依されるということなのです。
 

本当の自分とはまったく違った別人になってしまうのです。
 

でも自分ではまともだと思っています。
 

人のことは言えません、どれだけしっかりしている人でも肉体を持っている人は多かれ少なかれ憑依されているのです。
 

それは想うということでもそうです。
 

私たちが頭で何かを想うということは相手の心が写ってきているのです。
 

自分の考えだと思っていてもそれは人の想いです。
 

話がまた長くなってしまいました。げっそり



では、心がどこかに行ってしまわないように
 

心を鎮めるにはどうしたらいいか?
 

それは、自分の意識を自分の身体の最下点に持っていけばよいのです。
 

立っているときは足の裏
 

座っているときはお尻の肛門を意識します。
 

すると気持ちがスーッと落ち着いてくるのがわかります。
 

ここ(最下点)に自分の頭があるとイメージしてください。
 

そして最下点でものを考えようとしてもそこでは何も浮かんでこないことがわかります。


息を止めているのと同じ状態なのです。
 

実はこれが気が鎮まった状態なのです。
 

このままそこに居続けると正しい判断が出来る状態なのです。
 

自分の周りで嵐(大変なこと)が起きても地に足が着いていれば自分がぶれることはないのです。





今日のポイント


立っているときは足の裏

座っているときはお尻の肛門を意識してください。

そこに小さな自分が居ると思ってそこで考えるようにしてください。(何も浮かんで来ませんが(笑))


実はこの状態で呼吸法をするのです。
 

それは気が鎮まった状態でないと何をしても意味がないからです。


それでは、また、大切なことを書いていきますね。
ペン
 




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)


  
 

3日の日めくり




  
 肉体人間の生涯はそれが苦しみの連続であれ


 楽しみの連続であれ 宇宙からみれば一瞬である




      

        

                 五井昌久






      
世界人類が平和でありますように





  

2010年2月 2日 (火)

潜在意識と顕在意識 4

 
 
 
私たちがなぜ日々色んなことで悩むかというと自分の判断が正しいかどうかはわからないからなのです。

 
正しいと思ってしたことが違っていた
 

間違ったと思っていたら最後は良くなった (結果オーライ)
 

影響力のある人が言っているのだからそうなんだろうと思おうとするのだけど腑に落ちない (寄らば大樹)
 

こんなことって、日常茶飯事、しょっちゅうですよね。
 

自分で正しい判断が出来るようになりたい
 

人や状況に惑わされずに、不動心になりたい
 

実はこのことが私が調和波動気功をやり始めた動機なのです。
 

そしてわかったこととは、自分の気=感情を鎮めることにありました。
 

ヨガは気功から派生したと聞いているのですが
 

 「ヨーガ」の語源は、サンスクリット語で「暴れ馬を馬車に結ぶもの」という意味があるそうです。
 
 
暴れ馬とは私たちの感情を指します。
 
 
 インドでは感情を穏やかにコントロールできる手段としてヨーガは宗教哲学として広く一般に伝わっているのだそうです。
 

気を鎮めることがなぜ、そんなに大切なのかと申しますと
 

私たちは気が上がった状態が日常なのです。
 

気が動転しているとき、感情的になって泣いたり怒っているときとは心が鎮まっていないのです。
 

心があちこちに動いていて散乱しているのです。
 

実は、私たちは、ほとんど正しい判断が出来ていないのです。 (無限なる能力)
 

そこで正しい判断とはどんなときに出来ているか?と申しますと
 

もうここでは何回も書いているのですが
 

天と地は漢字の一と書きます。
 

正しいとは天(一)に止まると書くのです。
 

天(宇宙)には何があるか?
 

天には本当の自分が居るのです。
 

そこに本心があるのです。
 

だからそことつながらない限りは安心立命出来ないのです。
 

天とつながって初めて心が不動心になるのです。
 

不動心になって初めて正しい判断が出来るのです。
 

実は悟った状態とはこの不動心の状態をいうのです。
 

呼吸法もそのためにあるのです。
 

続きは又明日書きます。 
ペン



  




  


  

2日の指針

  
   

 
 
 いかに自分が正しくとも 人を傷つけてはいけない          




       

             五井昌久




     世界人類が平和でありますように  





  

2010年2月 1日 (月)

潜在意識と顕在意識 3

    

呼吸法とは、統一とは人間が 空(つまり悟る)ために最終的にするようになることなのです。

でも、祈りや印のこともまだ伝え切れていないのに呼吸法を述べていくのはどうなのかなぁと思案していたところ

偶然(偶然はなく、必然なのですが)今日めくった白光日めくりに

呼吸していると同じように 「神様ありがとうございます」 と思いつづけよう 

と書いてあり、そのときに

やっぱり呼吸法をお伝えして行っていいのだ

と確信したのです。


どういうことかと申しますと


呼吸をしている間にずっと神様に感謝をしているということは、その人の意識はずっと神界にいることになります。

つまりその人は天国の住人なのです。

天界には自分の本心があるので悟っていることにもなりますし、そうなればその人の言動、行為にはまったく迷いがなく魂はお釈迦様と同じなのです。

人間とは本来その姿が本当なのであり、そうなっていないのはまだそこに至るまでのプロセスなのです。

祈りも印も呼吸法も統一もそのためのツールなのです。

祈っているときは神様とつながっています。

印を組んでいるときも宇宙からのものすごいプラスのエネルギーが降りて来ています。

ただこれを継続しなければいけないのです。

宇宙意識からマイナスを含んだ肉体意識にすぐに戻ってしまうからです。

お釈迦様はこのことに一番苦労されたのだと思います。

キリスト教にも

教会に居る時は神の子なのに教会を一歩出ると悪魔の子に戻ってしまうという例え話があります。

つまりいかに宇宙のプラスのエネルギーを受け続けて、マイナスのエネルギーに共鳴しないかなのです。

呼吸は24時間してますよね、その呼吸と祈りを同時にするとは実はものすごいことなのです。

多分お釈迦様とその弟子でも出来ていたのはほんの数人だと思います。

今それが出来ているお坊さんは地球上に恐らくいないと思います。(だから神社仏閣は浄まっていないのです)


話がまた逸れましたが(笑)



しかし今はその段階に入って来ているのです。

お釈迦様と凡人の違いはそこだけなのです。

お釈迦様はずっと神界とつながっていた人?なのです。 

話は長くなりましたが呼吸法はなんのためにするか?

ですよね。

私たちは無意識に呼吸をすると前の日記に書きました。

病気になるのも、不調和な状態になるのはこの呼吸が浅いためになるのです。

正しい呼吸が出来ていないのです。

正しい呼吸法とは (あえて2回書きます)
 


 

静かに吸って 静かに吸って
 

穏やかに止めて 穏やかに止めて
 

爽やかに吐きましょう 爽やかに吐きましょう



 
 


えっそんな簡単なものなの?

と言われそうですがこの簡単なことが出来ていないのです。


意識して静かに息を吸おうとしていますか?

穏やかに息を止めることなんて考えたことありますか?

心を爽やかに息を吐いていこうとしたことありますか?


ないですよね(笑)


吸うときにエネルギーを中途半端に吸っているのです。

止めていないのでそのエネルギーが動いていないのです、つまり60兆の細胞に光、力が漲らない状態です。


そして吐くのも半端なので身体の中の老廃物(マイナスのエネルギー)が出て行きません。

病気とは気(エネルギー)が病むと書きます。

実は病気とはエネルギーが正常に流れていない状態を言うのです。


ここで今日のポイント 電球 ですが、息を吐く時に最後まで吐き切ることをしてみてください。

すると吸う息は意識しなくても自然と入って来ます。
 



呼吸法の長さですがヨガでは


吸気           「四」

腹の中に止める    「十六」

吐く            「八」

これを要約すると、一、四、二 となります。
 

または七、七、七でするように教えます。
 

正しい統一に入る時は自ずとその人によく合った呼吸法になりますので色々と試しながらやってみてください。


 

『無限なる幸せを体得する方法』 う寿明 星湖舎より

 



今日はここまでにします。










追伸


実はこの呼吸法の仕方や統一についてやさしく丁寧に指導してくれるのが

オーラ・オーラ なのです。

オーラで科学的(目に見える形で)にわかりやすく教えてくださるのです。

みなさん是非、行ってみてください。




http://auraaura7.com/


 



 









  


 
  

神と人間 (夢はなぜ見るか 終章)

  
   
また、現象に現われた、病気や、不幸を、これはいかなる過去の心の現われか、と精神分析して反省するよりは、現われた悪い事態は、すべて、過去の業因縁が、形に現われて、消えてゆく姿なのだから、この苦しみが済めば、必ず、一段善い環境になると信じ、それと同時に、守護霊さんが守っていてくださるのだから、必ず善いほうに、善いほうに向かっているに違いないと信じることである。
 

過去の因縁を分析すると、自分を痛めやすいし、気持ちが暗くなって、神から離れがちになってしまう。
 

神は光なのだから、常に明るい心の人を喜ぶ。
 

神は愛なのだ、光なのだ、私は常にその愛と光の中に生きているだ、しかも守護霊さんに守られながら生きているんだ。

 
過去はない。

 
過去は消えてゆく。
 

どんな苦しみも必ず消えてゆくんだ   と、過去の心の誤りなぞ、ほじくり返さずに、ただ、ただ、光明のほうに、心を向けていることが、自分を救い、人を救う、一番大切なことなのである。
 

愛と許(ゆるし)の世界をみんなで創ることが大切だ。
 


自分を愛し、人を愛し
 

自分を赦し、人を赦す、
 

これが業を越える最大の道
 

みんな、いたわり合い、励まし合い、
 

足りない智慧や力は、守護霊さんにおまかせしよう
 

守護霊さんがきっとうまくやってくれるに違いない。

 




              終わり




  『神と人間』より 五井昌久  白光出版










感想


とうとう最後まで書き写してしまいました。

ただ読んでいるのと読みながら書き写すのとでは理解度が全然違うことがわかりました。

やはり、読んで書く(肉体を使う、3次元的な努力をする)と天(4次元)につながりやすいのだなぁと納得してしまいました。



最後の章でみなさんがわかりにくいのは、消えてゆく姿という言葉の意味、含んでいる意味だと思うのですが、それはみなさんが本を買って自分で勉強されることをお薦めします。


大事なポイントなんですが、真理は自分で勉強し体得するものだからです。


後、五井先生のご本は素晴らしいものばかりでこれから五井先生ブームがやってくるそうです。

これは神界で起こっていることなのですが、幽界で起こっていることが肉体界で起こるように、時間を経て神界も肉体界に写ってくるのです。(神界が地上に降りることをアセンションといいます)

今までは波動が粗すぎて一部の人にしか理解出来なかった真理がたくさんの人もわかるようになる。

そうやって3次元から多次元へと移行して行くのですね。


本のほんのごく一部をご紹介します。



真理の基本(わかりやすく書いてある本) 


愛すること

真実の幸福

ハイスピリットは上機嫌



お釈迦様の教えに興味のある人


小説 阿難(あなん)


老子の教えに興味のある人


老子講義


自分が神と信じられない人


我即神也

西園寺昌美




  



 
  

1日の指針

    
 

 呼吸していると同じように 「神様ありがとうございます」 と思いつづけよう 


                       

   

                      五井昌久 



     
             世界人類が平和でありますように



   

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