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2010年1月23日 (土)

神と人間 2

  
  
人間とはいったい、いかなる者であろうか。
 

この問にたいして、はっきりかくかくの者であると答え得る人ははなはだ稀なのではあるまいか。

 
一見なんとなく考えすごしてしまうこの問が、人間世界の幸福を創りだす最も根底になる問題であり、最もむずかしい答なのである。
 

人間とはいかなる者か、我とはいったい何か、これがわかった時、その人は永遠に救われ、多くの人間がこの問に答え得る時、人類は救われ、地上天国の実現が見られるものである。
 

今迄に幾多の哲人、宗教家がこの問題に立ち向かい、あるいは百パーセントその問題を解明し得て覚者となり、あるいは半ば知り得て学者となり、あるいはみずからの肉体生命を断ち、あるいは唯物思想家、唯物行動家となって、世界をますます混乱せしめた。

 
かくて人間の本性を知り得た人が時代別にすると僅少であったため、現在にいたるまで人類は混迷をつづけてきたのである。


私はここで、ひとまず、私の信ずる、救われに入る人間観を、簡単に述べて、しだいに本題に入ってゆきたい。
 

人間は肉体のみにあらず、肉体のうちに、生命となって活動している何かがある、と認識して、そうした方向に生きている人。
それは天国への階段を一歩踏み出した人である。



人間は霊が主であり、肉体が従である、という思いに入った人。
これは同じ階段を二歩、三歩昇った人びとである。
人間は神によって創られた者であって、あくまで神のしもべである、と、ことごとに神の審判を恐れつつ、しかし行いを謹んで神にすがっている人々、この人々は、真の人間観からいまだ遠いが、他人を傷つけぬ場合は、天国の階段を昇り得る。
 

人間は神によって創られた被造者であるが、神は愛であるから、愛の行いを積極的にしていれば、決して自己に不幸はこないのである、と確信している人。この人も天国の階段を昇っている。
 

神のことも、霊のことも、特別に考えぬが、ただ、ひたすら、素直な明るい気持ちで、愛他行ができ、しかも、神仏の存在を信じ、あわせて、この地上世界が必ず善くなることを信じて生活している人、この人は天国の住者である。
 

人間は霊であり、肉体はその一つの現れであって、人間そのものではない、人間とは神の生命の法則を、自由に操って、この現象の世界に、形の上の創造を成し遂げてゆくものである、と識って、それを実行している人。この人は覚者であって、自由自在心である。即ち、個の肉体を持ちながら、みずからが、霊そのものであることを自覚し、その霊とは神そのものの生命であることを識り、神我一体観、自他一体観を行動として表現してゆく人、例えば、仏陀、キリストの如き人々である。



                     つづく



        

            『神と人間』 五井昌久


 





 
感想


自分は何者であるのか?

自分と他人、そして神とはどんな関係であるのか? 

肉体が自分であり、死んだら終わりだと思っているのか?

肉体が無くなっても生命は生き続けるような気がするのか?

自分は何の為に今、生きているのか?

自分の今の心境がどの辺にあるのか?

どこまで何がわかっているのか?

を確かめてみるのも大切なことだと思います。



  


  
 

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