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2009年11月30日 (月)

気功サロンのお知らせ

 
   
12月は慌ただしいので今週の土曜日に行います。

今年もたくさんの人が来てくださいました。わーい(嬉しい顔)

大阪の人、奈良の人、名古屋の人、東京からの人サロンだけでなくオーラ・オーラにも来てくださり感謝、感謝です。泣き顔

みなさん来られるとせきをきったように話をされます。(笑)

よっぽど溜めていたのですね。

想いを放ってスッキリして帰って行かれます。ぴかぴか(新しい) わーい(嬉しい顔)

サロンではここに来なくても自分で溜まったエネルギーを流す方法をお教えします。

スッキリ爽やかになる方法をお伝えします。

エネルギーは自分で整えるものなのです。

これを波動調整と言います。

今年のうちに波動調整を覚えて、来年の初めには別人になった自分で新年を迎えてください。

サロンのスタッフはみなさんをお待ちしています。





  気功サロン オリエンタルウィンド


 12月5日(土)PM1時半~7時まで




カリキュラムの内容  
  
 
    ① 呼吸法(気持ちを落ち着かせる為)
    ② ストレッチ(心と身体を柔軟にする)
    ③ 姿勢を正す(気を通りやすくする)
    ④ 一日七回感謝する(プラス思考)
    ⑤ 全てのものとの調和(感謝出来るようになる)
    ⑥ 身体の力を抜く(感情のコントロールが出来る)
    ⑦ 明るく朗らかに穏やかなる(パワフルになる)



この7つの中からいくつかを体験していただきます。

   
この時間帯の間のお好きな時間にお越し下さいね。

 

場所:浪速区民センター 第4会議室
大阪市浪速区稲荷2丁目4-3
電話 06-6568-2171
地下鉄千日前線桜川駅より徒歩3分
 


http://osakacommunity.jp/naniwa/index.html


篠崎携帯 080-1444-0018
 

参加費:500円

気功ってどんなものかな?と思っても、
なかなかレッスンにくるのは敷居が高い、
という方、是非気功サロンにお越し下さい
オリエンタルウインドの講師がわかりやすくご説明いたしますよ (女性3名男性2名)


  (●^o^●)


 

http://orientalwind.info/2006/12/whats_new.html


オーラ・オーラもよろしくお願いします。


http://auraaura7.com/




  
 
 

生きがいのある人生

   
    
どんな環境でも生きがいはある

生きがいとは一体何であろうか。

多くの人が閉塞感を感じている現代社会において、生きがいを持って生きている人とは、一体どのような人なのであろうか。

昨今の若者に

「あなたの生きがいは何ですか?」と質問しても、大抵の場合、すぐには答は返ってこないという。

本当に生きがいを持っている人はわずか0.数パーセントしかおらず、ほとんどの人は生きがいを感じていないのが現状である。

しかし、自分が今どんな状況にあろうとも、どんな環境に置かれていようとも、どんな苦悩を抱えていようとも、生きがいを持って生きることは絶対に出来るのである。

病気で明日の命が判らない人や、会社からリストラされた人、また、充分に働けるのに定年を迎えてしまった人でも、真の生きがいを感じながら生きている人たちは存在しているのである。

彼らは何故、逆境の中でも生きがいを持ち続けることが出来るのか。

その答はただ一つ。

彼らは信念が強く、自分の天命や目的や夢をしっかりと持って生きているからなのである。

要するに、真の生きがいとは、自分が今、どんな環境にあろうとも、どんな苦境に立たされていようとも、それらに負けないように努力し、自分自身の力で目的に到達することなのである。

いかなる困難にも負けず、あらゆる中傷にも屈せず、目の前の障害を一つ一つ乗り越えようとする信念、そしてついに自らが掲げた目標に到達時に内より湧き上がる

「自分にも出来たんだ!」

「自分にはそれが出来るんだ!」

という喜び。

それこそが、人間にとっての真の生きがいなのである。

しかし、その生きがいの意味を取り違えている人が、世間には何と多いことか。

昨今の人々が抱く願望や目的、夢、憧れの大半は

「自分の仕事がうまくいくように」 とか、「自分の結婚がうまくいくように」 とか 「自分が成功するように」 とか 「人から羨ましがられるような生き方をしたい」 といった身近で外面的なものである。

自分のポジション(立場)がよくなれば、生きがいを感じられると信じているのである。

だが、そうした物質的・外面的な目的や願望を達成した時に得るのは幻想の喜びであって、魂の喜びではない。

そして自らの目的、夢が幻想であるならば、いくらがむしゃらに努力して、その目的地に辿り着いても、結局は何も残っていないことに気づくだけなのである。

欲しいものは手に入ったが、ただただ虚無感だけしかなく、そんな自分に対して

「何のための命なんだろう、何のために生きてきたんだろう。今まで自分はどれだけの人を蹴落とし、どれだけ汚い努力を重ね、人を傷つけて生きてきたことか・・・・・・」 とついには自己嫌悪や自己批判を始めてしまうのである。


このように、自分の成功物語や有名物語、社長物語をつくり上げ、その中のヒーローやヒロインになっても、本当の意味での生きがいを得られるわけではないのである。

もちろんいかなる体験にも学びはあるため、それらが誤っているとは決して言えないが、自分の成功物語を求めるだけの人生は、未だプロセス(過程)である。

やはり人から喜ばれることをして、自分も「本当にこの地上に生まれてきてよかった」 という魂の喜びを感じることが、人間にとって大切なのである。

この世界には、まだ少数ではあるが、今生に生まれてきた目的、達成すべきミッション(使命)をすでに判っている人たちがいる。

彼らは、真の生きがいを持って輝かしく生きている。

どんな状況に置かれていても、どんなに苦しくても、どんなに貧しくても、どんな障害を持っていても、生きがいを感じることが出来るのである。

自分の最終的な目標が、魂の喜びと一つにつながっているからである。

端から見れば哀れとか、変わっていると思われる状況にあっても、そうした周囲の反応に惑わされず、まっすぐに道を行くことが出来る人こそ、生きがいを持っている人なのだ。

彼らはなぜ、そのようなことが可能なのか。

自らの生きがいが欲望達成ではなく、ミッション達成であることを知っているからである。

ミッション達成への信念が魂を貫いているのである。

その自分自身の信念に従って努力を重ねることの尊さ、そしてミッションがクリアできた時の魂の喜びを知っているからなのである。

その喜びは、どんなにお金持ちになっても、どんなに有名になっても得られるものではない。

いや、お金の有無や有名無名に拘らず、真の生きがいを体得した人は、他から羨ましがられるためではなく、また他を羨むこともなく、ただひたすら自分の天命をまっとうするために生きていくことが出来るのである。


信念と生きがい


日本は今、世界で最も自殺者が多い国の一つと言われている。

会社に人生を捧げ、やがて定年が来てリタイア(退職)したあと、生きがいが何もなくなってしまう。

あるいは働き盛りでリストラされ、自分の家族の人生の先が見えなくなる。

どうやって生きていいかが分からず、他にも迷惑をかけたくない。

しかし、自分には目指すべき目的がない・・・・・・そうした人が孤独、絶望の底で感じるのは、「人生の挫折」 である。

しかも、それをクリアするだけの信念を持ち合わせていないため、結局、多数の人が安易な形で自殺を遂げてしまうという悲しい現状があるのである。

しかし、生きがいとは、会社からホープ視されることで得られるものではない。

それだけでは、人間の心は決して満たされないのである。

取るに足らない仕事しか与えられなくとも、地道に一生懸命仕事をこなすことに生きがいを見出す人もいるのである。

そういう人は、もし突然リストラされても、決して生きがいを見失ったりはしない。

コツコツ努力を重ねてきた過程で自分自身が磨き高め上げられているため、いかなる場にあっても、自分という存在が人々の小さな幸せを運んでいることを実感できるのである。

また、そういう人は、仕事量で褒められる時よりも

「なぜあなたはいつも微笑んでいられるの」 とか

「なぜそんなに優しいの」 とか

「なぜそんなに愛が深いの」

と感じてもらった時に、心からの喜びを感じるのである。

彼らは 「自分の存在価値を認めてもらいたい」 という意識を超えて

「自分の存在そのものが、人のために役立っている」 という実感があるのである。

そのため、たとえリストラになっても、年をとっても、置かれた境遇とは関係なく、逆にそれを生かして、自らの人生の中に生きがいを華咲かせることが出来るのである。

だが、そのような信念がない人たちは、リストラになった瞬間、自らの存在を否定されたと思い込み、生きる気力を失ってしまう。

そして目的もなくなる。

夢も破壊される。

そこに精神の喜び、魂の喜びが全くないのである。

今まで求めていたものは物質的欲望から発せられるものであり、それらが存在価値の中心になっているからである。


人を蹴落とし、人の分を奪ってまでして、自分が成功しようとする道を歩んでも、最終的にはむなしさが残るだけなのである。

そしてリタイアした時に、自分は人を喜ばせもしなかった、人にも優しくしなかった、人に感謝もしなかった。

その結果として、人からも無視され、人からも大事にされず、人からも助けてもらえないのだ・・・・・・ということに気づくのである。

人間は、幻想の生きがいに惑わされず、真の生きがいを実感することが大切なのである。


病気の人の生きがい


しかし、世の中には、ミッション達成が真の生きがいであると判っていても、現状ではそれが難しいと感じる方もおられるかもしれない。

病気の問題、生活の問題・・・・・種々さまざまな問題が、人々の妨げになっているのである。

しかし、冒頭でも述べたように、いかなる環境にあろうとも、生きがいを持つことは絶対に出来るのである。

以下に例をあげてみよう。

例えば、死が間近に迫っている方は、自らの生に生きがいを見出すために何をしたらいいのだろうか。

第一に 「死ぬことは恐怖ではない」 ということを知ることである。

そのためにも、死は自己の消滅ではなく光と一体となることであり、神様の世界に入ることである、という真理を自覚することが大切である。


第二に、余命が何日であろうとも、「生きている間には命がある」 ということを認識することである。

そしてその間、自らの生命をどのようにして生かすべきかを見つめるのである。

出来るだけ人の手を借りず、自分にも出来そうなことは自分でしたり、周りの人に感謝を捧げたり・・・・どんな状況でも生命を輝かせる方法は必ずある。

それが真に生きがいのある生き方なのである。

だが長期間の入院や介護生活を余儀なくされた場合は

「自分の存在が、家族の迷惑になるのではないか」 と負い目を感じる方もおられるであろう。

お見舞いや入院費の問題、手術の有無、また家族との別離に対する執着など、療養中はさまざまな不安が湧き起こってくるものである。

だが、その場合も全く同様に

「生きている間には命がある」 のである。

であるから、自分に出来る範囲で、家族に迷惑をかけないよう、介護福祉や看護師、主治医にも迷惑をかけないよう、自分自身の力を使って生きていくことを心がけるのである。

それぞれの状況の中で自立した生き方を目指すことほど尊いことはない。

病気になると、皆から存在価値を認めてもらえない淋しさ、孤独感、絶望に襲われることがある。

しかし、それを、人から認めてもらうことで解決しようとしてもダメなのである。

なぜならばそれは、他への依存だからである。

それを解決できるのは自分しかいないのである。

皆に感謝するのもいいし、「そんなに見舞いに来なくていいよ。自分は本を読んで過ごしているから」 と家族の人に言ってあげるのもいい。

これを機に、今まで自分が出来なかったことに挑戦し、依存しない生き方を選択するのである。

自分に命が残されている間は、今まで以上に凝縮した時間を過ごし、自分の生きる価値を、自分自身の中に見出していくのである。

そして、真理の書や哲学の本、あるいは世間で素晴らしいと言われる書をひもとき、自分の魂に栄養を与えることである。

病気の方に限らず、多くの人は肉体ばかりに栄養を与え、魂に栄養を与えていないのである。

いかなる人においても決して遅すぎるということはない。

今から魂に栄養を与えるのである。




高齢者の生きがい


次に、高齢になり、未来の夢がなくなった方の場合はどうであろうか。

それこそ今までの生き方を反省し、自分の余力を使って人のために尽くすことが、真の生きがいとなる。

ボランティアをするのもいいし、朝早く起きて近所を掃除するのもいい。

自分に出来ることを探し、それを率先してすることである。

その行為は、人に見せるのではなく、自分自身でそれを行った喜びを感じとれればいいのである。

陰に隠れて善行を積み重ねることほど、真の魂の喜びになることはないのである。

自分の健康のためにマラソンをしたり、自転車に乗ることも、もちろんいいことであるだろうが、それは真の生きがいにはならない。

なぜならば人は、自分という存在が人のために役立っていることを、自分自身が実感した時に、初めて真の生きがいを感じるものであるからである。

そのためには、小さなことでいいから、人のために尽くすことである。

それが魂の喜びになるのである。

最初はつまらないとか、こんなことが何になるのかとか、こんなことをしても人に認められないという不平不満が出てくることもあろう。

しかし、それを繰り返し行うことによって、自らの眠っていたDNAがオンになり、いいことをする喜びに目覚めるのである。

そして、自らがそこに幸せを見出すと、その幸せはどんどん大きく広がっていくのである。




仕事を失った人の生きがい



では、お金に困っている方は、どのようにして生きがいを感じればいいのであろうか。

明日の仕事もなく、家族が養えない状況の中で、思わず死を考えてしまうほどの苦境に立たされた方が、生きがいを感じて生きることは可能なのであろうか。

もちろん可能である。

そこに信念があれば、状況は変わるのである。

もし死ぬ気があるならば、一日十円でも百円でもいいから、土下座してでも仕事を与えてくださいというほどの意識になれば、その信念と気迫によって、必ず周りに助けてくれる人が現われるのである。

その時こそ、自我とプライドを捨てるチャンス(機会)である。

たとえ十円や百円の取るに足らない仕事でも、一生懸命仕事をすれば、家族の意識もまた変わるのである。

妻も子どもも

「お父さんが自分のステータス(身分、社会的地位)を捨ててまで頑張ってくれているのだから、自分たちも頑張らなければ」 と目覚め、一人一人の心の中に新たな生きがいが湧き上がってくるのである。

今の時代、楽してお金を儲けるための情報が氾濫しているために、却って生きがいを見つけにくくなっているのである。

楽をして何十億円儲けたところで、それは本当の生きがいにはなり得ないのである。

やはり、努力して汗を流して働くことが、魂の喜びにつながるのであって、努力もせずに運だけでお金を得ても、それはただのゲームである。

ゲームの人生など、うまくいくわけがない。

最終的には虚無感と絶望感にかられるだけである。

人間はどんな状況でもいい、コツコツと努力して自分自身を磨き高め上げ、人のために役立つことが一番の原点であって、楽をしてお金を稼ぎ、楽しい家族旅行をする・・・・・そういったマスコミが流す幸せな家族像は、みな幻想と思ってよい。

だが、その作られた幻想に惑わされる人類がいかに多いことか。

そのような中にあって、本当に自分自身を見つめ、地道に誠実に生きていけば、家族も自然にその生き方についてくるのである。



真の生きがいが輝かしい人生を創る


真の生きがいとは、自分の魂の喜びなのである。

自分の魂の喜びとは、自分がいかに有能であるかを人に認めてもらうことではなく、自分が人の役に立てているという実感なのである。

「あなたがそこにいるだけで周りが安らぎを感じる」

「あなたがいると幸せ」

「温かい感じがする」

「癒される」

と言われるような、そんな自分になることなのである。

有名でなくとも、賞を持っていなくとも、社長でなくとも、小さな善行やボランティアを通して、自分自身の魂が喜ぶことをコツコツ行うことなのである。

「これによって周りが助かるのだ」

「周りが喜ぶのだ」

という意識、愛、思いやりが溢れた時、人は自らの内に生きがいを見出すのである。

その愛や思いやりを発揮できる道を選んでいくことが、最終的には輝かしい人生となるのである。

このように、生きがいがあるかないかで最終的な人生が決まってくる。

宇宙究極の真理が判っている人たちは、常にその根底に生きがいを持っている。

真理を実践することが彼らの生きがいなのである。

だからこそ、彼らはどんな環境、どんな状況でも不平不満を言わずに輝かしく生きられるのである。


真の生きがいを見出すこと。


それが人間にとって大切なことなのである。
 



世界人類が平和でありますように

人類即神也



  



                     西園寺昌美





  


2009年11月29日 (日)

今日の日経新聞23面

   
  
今日の日経新聞23面にう先生のご著書の広告が掲載されています。

みなさん見てくださいね。わーい(嬉しい顔) 本


  

考え過ぎ

  
   
最近、色んな人と会って話をする機会が多いのですがみなさんに共通して言えるのが

考え過ぎです。げっそり

「私はこう想うのです」

というその想いはどこから来ているかというと自分の本心からではなく他の人の想念やたくさんの人々の集合意識です。

だから簡単に言うと想った時点であなたは別人になっているのです。

想うとは相手の心と書きます。

つまり相手の人の心が移って来ているのです。

これは目の前の人の相手ということだけでなく自分と縁のある人の想念が頭の脳裏に容赦なく入って来るのです。

肉体の頭は無防備なので遠慮もなくづかづかと入って来ます。

頭とは色んな想念の波をキャッチするセンサーなのです。

テレビの受信器が色んな番組の電波をキャッチしてチャンネルをかえると次々に違う番組が現われますよね。

それと同じような役目を頭がするのです。

想うということは頭でこれをやってしまっているのです。


だから余計なことをぐちゃぐちゃと考えてしまう、想ってしまうのです。

お釈迦様は座禅を組んで 空 になれとおっしゃいました。

それは頭を空っぽにして本心と繋がれ!

余計なことを考えるな!

ということだったのです。

キリストは幼子のようになれ!

子どものように無邪気になって、いらない心配はするな!

とおっしゃったのです。


 
と言われても私たちはすぐに考えるくせがついてしまっています。

考え過ぎだと人から言われ

自分でも自覚をしているのですがついつい考えてしまうのです。

だったらどうしたらいいか?

考えない努力をするしかないのです。(これがポイントです電球

そして考えそうになったら祈りに切り替えていくことです。
 

「昨日はたくさん考え過ぎた

今日は昨日よりも考えることを少なくしよう」
 

でも考えずにいることは難しいから身体を動かしてみるのもいいことなのです。わーい(嬉しい顔)

身体を動かすと意識は頭から離れて(外れて)身体の一部に行ったりテニスなどでしたらボールに集中します。

頭から意識が外れるのです。

頭から意識が外れると結果的に客観視が出来るのです。

もう一人の自分が肉体の自分を見ている。

冷静になれるのです。

このときには頭では何も考えていません。

実はこの状態がまともな状態なのです。指でOK

祈ることはもっと効果があります。

本心と繋がるからです。

本心とは本当の自分がいる“場所” のことです。

人間の本体、本質は 心 なのでその心がどの場所にいるかが大切なのです。

迷いの世界の幽界なのか?

そこよりもスッキリした世界の霊界なのか?

天国のある神界なのか?

その先の宇宙なのか?

本心は宇宙にあるのでそこと繋がらないと心は安心しないのです。

安定しないのです。

本心と繋がっていないからいつも不安になるのです。

本心と繋がるには、繋がることを邪魔してる余計な想いを取り除いて、つまり考えないようにして

本心と直結している祈り言葉を唱えることが一番なのです。

私たちの心の故郷は宇宙にあります。

肉体の親は両親ですが心の親は宇宙にあります。

だから宇宙と共鳴する宇宙の願い事を唱えると宇宙と波長が合うのです。

すると宇宙から無限のエネルギーが肉体に入って来るのです。ぴかぴか(新しい)

これが悟った状態です。

心と吾(われ)が一つになるのです。

本心と肉体の自分が一体になるのです。

宗教とは宇宙を示す教えと書きます。

つまり本当の宗教とは宇宙と一体になることを説いていたのです。

お釈迦様もキリストも宇宙観を説いていました。

お釈迦様は金星の高い教えを地球に降ろした人?です。

キリストも地球よりもずっと進化した星から天下って来られました。

だから私たちも宇宙法則に乗ればいいのです。

宇宙の波動に共鳴すればいいのです。

宇宙の素晴らしい波動体になればいいのです。

それしか幸せになるメソッド(方法)はないのです。

宇宙の法則に乗るには

考えない努力をすること(波動の荒い今の地球の波動に合わさないために)

絶えず祈り続けて宇宙の素晴らしい波動と共鳴すること

この2つが大切なのです。

他のことはどうでもいいです。

後は枝葉だからです。

それでも

考えることにもいいことがあるのではないか?

考えることの中にも正解があるのではないのか?

そう想いますか?

考えている自分が好きですか?(笑)

そう想っているうちはまだ余裕があるのかもしれません。

インスピレーションとか直感はどこから来ているのでしょう?

それは肉体の脳からではなく、肉体を超えたもっと深いところから来ているのです。

頭で考えるとは肉体界の狭い境地でしか生きられないのです。

私たちは宇宙に生きているのです。

肉体界だけでなく幽界にも霊界にも神界にも宇宙にも同時に生きているのです。




宇宙心(本心)

神界(守護神)

霊界(守護霊)

幽界(想念、迷いの世界)

肉体界





だから肉体意識を超えて宇宙意識にシフトしていかないと生命が輝いてこないのです。

生命が活かされていかないのです。

それが真理なのです。

私たちは真理を識る(わかる)ために生まれて来たのです。




世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます







 
追伸
 

世界人類の世界とは地球世界だけでなく宇宙のすべての生き物を言っているのです。だから宇宙の願い事なのです。

守護霊、守護神は宇宙神(心)と肉体を繋げてくれる役割りをしてくださっています、だから感謝をすることでより繋がりやすくなるのです。そして人間の想念で汚れてしまった幽界を浄化してくれるのです。

過去世の因縁を消してくださるのです。

だから大難が小難になるのです。



  

 
 

2009年11月27日 (金)

いじめについて

  
  
いじめはこの世からなかなか無くならないものの一つのようです。

いじめとまではいかなくても人は他人のことを気にしてそして自分の存在を示そうとします。

自分の感情を制御(コントロール)出来ないことのはけ口を相手にぶつけようとします。

言葉はエネルギーです、いじめというマイナスのエネルギーをどう受けとめてそして何事もなかったように流して行くことが出来たらどんなに楽で快適だろうなと思います。

ここに西園寺由香さんという女性の手記をご紹介します。

みなさんも参考にしてみてくださいね。






  

いじめについて
 
 

このシリーズのテーマ案の中で、なかなか書き出すことが出来なかった一つが “いじめ” でした。

いじめといっても、さまざまな状況やそれぞれに深い問題があり、一言でまとめきれるものではありません。

また、いじめは良いか悪いかと言われれば・・・・・もちろん良いはずはありませんが、いじめるほうが悪いのか、いじめられるほうが悪いのかという議題も時には挙がります。

しかし、私はそういう観点でいじめを取り上げるつもりはありません。

今回は、私の個人的な出来事、体験から学んだことを書かせていただこうと思います。

私は本当に有り難いことに、子どもの頃から素晴らしい友人に恵まれてきました。

ですから、いじめで大きな打撃を受けたとか、心底悩まされたという経験が正直ありません。

それでも子どもならではの発言や、些細なことから起きる無視や仲間はずれの経験はもちろんあります。

海外にいた頃は、学校でも東洋人はまだ少なく、一重まぶたをからかわれたり、また、帰国直後はなまったような喋り方をバカにされたりしました。

しかし、それをいじめに発展させず、長続きさせない魔法の言葉が、きっと私にはあったのです。

これは個人の体験ですので、他の人にも適用するかどうかは判りませんが、その魔法の言葉とは、

「それで?」(“so?”)の一言でした。

「海苔を食べるなんて気持ち悪い~」 と言われたり、目を引っ張りあげて

「Japanese(ジャパニーズ)」というようなことをされた時は、内心ビクッとしますし、そのようなことでバカにされたくないという防衛本能も出てきます。

自分を守ろう、あるいはそれに対抗しなければという強い気持ちも湧いてきます。

しかし、そこは不安の感情を抑えて、決して反抗するわけでもなく敵対するわけでもなく、かといって自分を恥じることも、オドオドすることもなく、まるで

「今日は晴れだね」 とでも言われた時のように、きょとんとした顔つきで、落ち着いて

「それで?」 と言うのです。

こちら側が恥ずかしいとか嫌だ!!という激しい想いや自分を守ろうという拒絶感を持たなければ、あるいは少なくとも持っているように見せなければ、相手にとってはつまらないものです。

パンチを与えるのは、やはり跳ね返ってくるから面白いのであって、空気のようにすかされてしまうと、やり甲斐がなくなってしまうのです。

そして相手が予想もしていなかった私の反応に驚いている隙に

「ねぇねぇ、それより・・・・・・」と、笑顔で話題を変えて、逆に質問したり、頼るようなお願いをしてしまえば、いつの間にか立場を逆転させてしまうことが出来たのです。

これはあくまでも一例ですが、そういう小さなコツが私を守ってくれたのかもしれません。

それこそすべては現われれば必ず消えるのです。

自分がその否定的な言葉を認めなければ、掴まなければ、必ず自然と消えていってしまうのです。

その言葉に力を与えてしまうと、その相手にも余計に力を与えてしまうことになってしまうのです。

否定しても、反抗しても、対抗して攻撃することも、その言葉を自分で受け入れて、自分自身を傷つけて自虐的になっても、どちらも相手の言葉に力を与えてしまっているのです。

消えてゆく言葉を自分の中に受け入れてしまうことになるのです。

だからこそ、プラスにもマイナスにも反応せず、掴まないこと。

自分に影響させなければ、その場で流すことが出来れば、それは消えていくのでした。

それが私の個人の体験から学んだことでした。

 



世界人類が平和でありますように




 

2009年11月26日 (木)

真実の幸福

 
   
私たちは色んなことで悩みます、ストレスを感じます、気持ちの整理をしようとします。

でもそのときに少しは落ち着いたように感じていても本当に解決したことにはならない。

誤魔化しながら生きているわけです。

自分の心に正直に生きていないからいつも悶々としている、スッキリしないのです。

これから下記に書いた(書き写したですが)文章は仏教で言えば般若心経だと思うのです。


般若心経(はんにゃしんきょう)は素晴らしい教えなんですが意味がわかりません。

相当悟った人でないと理解出来ないのです。

それをわかりやすく説いたものがこの文章だと思うのです。

何回も読み返しているうちにきっと判ってきます。

腑に落ちてくるのです。

それは真理が書いてあるからです。

潜在意識の奥では知っていることだからです。

この潜在意識が納得しないと本当に幸せにはならないのです。

上辺だけでは何もわかったことにはならないからです。

人間とは奥の深~い存在だからです。

もう何回も読んだ人も

噛みしめてみてください。

きっと前回とは違う発見があると思います。わーい(嬉しい顔) ぴかぴか(新しい)

 











質問

人間の不幸は、人間の真実の姿を知らないところからくると思います。

たいていの人は幸福を外にだけ求めて、内にあることを知りません。

真実の幸福ということについて一言お願いいたします。





 
答 

本当の幸福というのは、一言でいえば、人間の本心を顕すということ、自分自身を知るということです。

ソクラテスじゃないけど、

“汝自身を知れ” というように、自分自身を知ることが一番幸せなんです。

自分の本体が分かり、本質が分かるということほど、幸せなことはありません。

もう不退転で、驚くことが何にもなくなるわけです。それには何も付け加えることがないんですよ。

それはどういうことかというと、まあ、自分というものは神様から無限に生命の波を頂いている。

いわゆるエネルギーがエネルギー源から常に流れてきて、必要な物はすべて与えられるんだということを知ることなんですね。

それが一番幸福なんです。

それを外から与えられるという形で思うからいけないけれど、内から━
もっと言い換えると、人間というものは、本当はこの五尺何寸という、そういう目に見えている形じゃないんですよね。

波動なんです。

光の波動なんだけれども、ふつう肉体にいる人は光と業想念の黒雲の波動が混ざって、少しまだらになっているのです。

その光の波動は大生命の根源から流れてくる。

宇宙子科学でいえば、宇宙子波動です。

宇宙子がたくさん集まって、この生命体になっているわけですね。

だから神様のほうを向いてさえすれば、神様につながってさえいれば、その人に必要なものは何でも与えられる。

ところが必要でないものを与えられると、非常に困ることがある。

例えば、今お金が必要でもないのに、百万円与えられた、千万円与えられた、一億円与えられたとする。

すると皆さん、どうやって使っていいか分かりませんよ。

もし、ここに五億ある。

「五億やるから、今月中に使え」 と言われたらどうします?

一時は有難いな、と思ってみるけれども、使えませんよ。

人にやるよりしようがない。

ところが人にやるのはもったいない。

そこでこうやって抱いているか、あるいは滅茶苦茶に使ってしまう。

そうすると、全然、生命(いのち)が生きたことにもならなければ、人を生かしたことにもならなくなって、持て余してしまいます。



よくこういう話があるんですよ。ある人が土地があって、それを売ったわけです。そしたら何億の金で売れちゃった。

ところが税務署に何億と届けたんじゃ、税金をごっそり取られてしまう。

多ければ多いほど、取られるんですから、それで、何億って売ったものを何千万にして、届を出したわけ。

すると、あとのお金はどこに置いていいか分からないんですよ。

まあ、五億でもって、三千万という届を出したら、四億七千万の金が出来るわけですね。

それをどこへやっていいか分からない。

銀行にやっても、調べられたら分かってしまう。

その金を持って、困っちゃう。

どうしよう、と神経衰弱になってしまう。

金をあんまり持ったために神経衰弱になってしまう。

そういう話があるんですよ。

だから与えられたのはいいけれども、与えられたことがかえって病人にしてしまう。

あまり必要のない時に与えられたのでは困ります。

必要な時に、三千万いれば三千万パッと、百万いれば百万パッと与えられれば、もう何もお金のことを考えないで、スラスラ出来るわけでしょ。

そういう与えられ方が一番いいわけね。

だから神はなくてはならぬものを知り給うのだから、神様の中に全部入れておいて、それで、常に自分はなくてはならぬものは与えられるんだ、という考え方のほうがいいわけです。

常に神はなくてはならぬものを与え給う、お金にしても、力にしても、神様はすべて私に与えてくださるんだ、という信念があるほうが幸せですよね。

そういう信念がありますと、例えば、貧乏しても、ああ、貧乏、これでいいんだ。自分は与えられないけれど、これは経験なんだと思う。

お金が与えられれば与えられたで、使い道があるんだし、使い道がある時に与えられるんですからね。

私どももそうですよ。

例えば、お金をパッと出す。何かあると惜しげもなく出しちゃう。

そうすると必要なものはパッと来る。

もう時には一銭も違わないで来るんだから。

百万欲しければ百万。

百五十万欲しければ百五十万。 半端まで来ます。

何十円まで来ます。

必要なものはキチッと来るんですよ。

驚くように来る。

そういうものなんですね。

必要な物は絶対に来る。

だから必要でないものは来ない。

私どもは全然、無理しないです。

建物だって、必要でない時は建たないんだし、必要な時はお金が来るから建つ。

お金がなくなって必要がないから建てない。

もうそれだけの話です。

だから至極呑気です。

少しもアタフタしません。

お金が入るつもりでもって、先にでっかいものを建てちゃった。

さあ、後で入らなくなっちゃって、もう警鐘を乱打して、皆から絞り取るなんて、そんなことを他ではやっているわけですけれども、うちではしません。

それは必要ないから。

必要ないものはやらない。

神様から来ないものはやらない。

神様から来たらやればいい。

そういう考えでしょ。

少しも焦らないわけです。

それは個人としてもみなそうなんです。

だから一番の幸せな生き方というのは、神様と常に繋がっているんだ、自分は神によって生かされているんだから、自分の必要なものはすべて与えられる。

だから自分はその置かれた環境でただ一生懸命やっていればいいんだということです。

それが本当に分かっていると、こんなに呑気なことはありません。

それで、この世に必要がなくなれば、あの世に行くんだと、そこまで決めていれば、呑気ですよ。

みんな与えられているんです。

そこまで行くと一番呑気なんです。

そうなるんですよ。

すべて自分で生きていると思うから、神様と切断してしまう。

もう生まれた時はただなのにね。

私、いつも言うけれど、何のなにがしというお母さんとお父さんの間に女の子として、あるいは男の子として、生まれようとして生まれた人はないわけです。

魂的には分かっているけれども、肉体的には分かりゃしません。

それが知らないうちに生まれてくるんです。

貧乏な家に生まれようと、金持ちの家に生まれようと、それは肉体の自分としては分からないわけです。

生まれてきてしまうんです。

生まれた時に、何にもお金を払っていないです。

赤ん坊がお金払って、お父さんいくらあげます、お母さんいくらあげますから、生んでください、というのは聞いたためしがない。

ただで生まれてくるわけです。

初めからただで生まれてきたのに、何を欲張って金を欲しがるのでしょう。

一番の生命の元をただで生んでくれたんだから、この世を去るまではちゃんと生んでくれた人が知っています。

生んでくれたのは親ではありません。

親に働いた力、神様です。
 

神様が生んでくれたんだから、その生涯は神様が保証しているわけですよ。

それを保証されないと思って大体忘れてしまうんだね。

生んでくれた力を忘れてしまって、だんだん自分が自分が・・・・・、これは自分の考えだ、私のことは私が知っていますよ、って、こうきちゃう。大概、皆さんもやりますよ。

自分のことは自分が知っている、と言っても、何も知りゃしません。

「じゃ、あなた明日はどうやっているの、明後日はどうするの」 と聞かれても知りゃあしません。

自分個人というものは、常に世界と繋がっています。

日本の国ともつながっている。

例えば若い青年がいるとする。二十歳か二十二、三の青年がいたとする。

「俺のことは俺が知っているよ。余計なこと言わなくていいよ。俺の自由だ」 と言ったとします。

さあ、今度は日本が再軍備なら再軍備になったとします。

そして徴兵令が敷かれたとする。

たとえの話ですよ。赤紙一枚で、否でも応でも兵隊へ引っ張っていかれる制度になったとします。

「俺のことは俺が知っているよ」 と言ってて、明日、交通事故で死なないとは限らない。

飛行機に乗って死んじゃうかもしれない。自分で知りゃしません、一つも。

それをあたかも自分のことは自分で知っていると生意気なことを皆言うけれども、何も知っちゃいないんですよ。

何にも知っていない。

知っているのは誰かというと守護霊、守護神。要するに神様が知っていらっしゃる。自分の中の分霊の元が知っているだけです。

それを自分であたかも知ったような顔して、私はおかしくてしようがない。

顔を見ちゃう。何言ってるんだろうと、何も知らないくせしてね。

だから、どうせ知らないんだから、何も知りゃあしないんだから、全部まかせたほうがいいでしょ。

まかせて、ああ、生かされている生命だから生かされている間は生きる。

自分に与えられたものは出てくるんだ。

だから、「どうか神様、自分に与えられた力を充分に出せますように。

すべてを愛する愛深き自分にならしめ給え」 と、そういうふうに、人のために働けるような祈り言をすればいいんですよ。

「がっぽりお金が入りまして、地位がうんと上がりまして、どうぞお願いします、家内繁盛・・・・・」 そんなことばかりやっても、何にもなりゃしない。

「お前が言わなくたって、こっちでやっているんだよ」 って向こうで言うわけです。

神様のほうではね。向こうさんでやってくださるのに、こっちで余計なことを言わなくったっていいんですよ。

なくてはならぬものは与えられている。

生命が先に与えられているんだからね。

だから、いい悪いにかかわらず、生まれてしまったんだから、生まれたら、最後まで神様の責任なんだから、神様にまかせておけばいい。

それで与えられた才能を充分に生かして努力して真剣にやって磨いていけばいいのです。

与えられた生命をより良く生かすという、それだけが大事なんです。

それ以外のことはありませんよ。

それを「信仰している、私は宗教をやっている」 と言いながら、いつも神様を疑ってしまう。

“私はこんなにやっているのにダメなのかしら。与えられないのかしら。私はこんなに一生懸命、薬を飲んだり、養生をしているのに、いつになったら丈夫になるのでしょう” とか・・・・・・。

そんなことは向こうさんで知っているわけ。

丈夫になるだろうかとか、貧乏がどうだろうとか、何だかんだという余計な心配をする想いが、神様の生命がスーッと流れてくるのを邪魔しているんです。

邪魔しちゃって邪魔しちゃって、

「もうしようがない奴だな、余計なことを思いやがって、思わなければやってやるのに」 と、神様のほうで思っている。

守護霊、守護神のほうで思っている。

だから想いというものは邪魔なわけですよ。

そこでまた繰り返すけれども、お釈迦様は空になれ、空になれ、って坐禅させたんだし、老子様は無為だ、無為だ、無為にしてなせ、ってやっているわけです。

だけど空になれ、と言ってもなかなか空になれないし、無為になれ、と言っても無為になれないから、私は現われてくるものは消えてゆく姿ですよ、と言っているわけです。

消えてゆく姿なんだからそれに把われることはない。

しかし把られたら把われたでいいから、把われた想いを、もっと大きな高い所に、神様の中に入れてしまいなさい。

ただ神様、神様と言っても神様は見えない。

どこにいるかわからない。

神様どこです?

私の想いをとってください、じゃ分からない。

そこで “世界人類が平和でありますように” という神様のみ心ですね、神様のいわゆる理念といいますか、神様のみ心の世界人類が平和である、という所へこちらが 「世界人類が平和でありますように」 って持っていって入れてしまいなさい、というわけですね。

どんなことが出てきても入れてしまいなさい。

貧乏が出てこようと、病気が出てこようと、短気が出てこようと、妬みが出てこようと、そういうものは、みんな 「世界人類が平和でありますように、日本が平和でありますように、私たちの天命がまっとうされますように」 って、そこへ入れてしまいなさい、と言っているわけです。

楽なもんですよ。

入れてしまうと、邪魔する想いが、その目的の中へ入っていまうでしょ。

世界平和に祈りというのは、大光明、神様のみ心だから大光明です。

だから想いをどんどんどんどん消してくれるわけですよ。

ゴミを持って行って、捨てればいいでしょ。

そうすると空(から)になるでしょ。

それと同じで、神様は、もうパーッと燃え上っている溶鉱炉だと思えばいい。

鉄でもなんでも溶かしちゃう。

そういう溶鉱炉だと思えばいいですよ。

その中に、世界人類が平和でありますように、って入れれば、溶鉱炉がいっぱいに燃え上っているんだから、その中にどんなゴミでも、どんなものでも投げ込めば、みんなパーッと燃えて光になっちゃう。

そういうふうに思えばいいです。

本当にそうなんだから。

だから、どんな悩みがあろうと、貧乏があろうと、病気があろうと、自分がいけないと思う心があっても、あいつは嫌な奴だと思う心があっても、そんなものはみんな世界平和の祈りの中に入れてしまいなさい。

世界平和の祈りの大光明が、溶鉱炉がみんな焼き尽くしてきれいにしてくれる。

光一元にしてくれる。

そうすると、それがまたこっちへ流れてきて、こっちは光輝く人間になるんだから。

邪魔な想いをそこに捨てなさい。

“消えてゆく姿で世界平和の祈り” と一生懸命、私が汗を流して説いているわけです。


             (昭和41年3月)





  


日々の指針

   
  
  
1. 真理が判らない人は誰しもが、自らの言動行為の結果から逃れることは出来ない。
 

1. 真理を判らずして、必要以上の愛や独りよがりの思いやりを人に与えている人は、結果、その人を完璧に依存させ駄目にする。
 

1. 起こっていることを信ずるのではなく、自らが強く信ずることを起こすのである。
 

1. 真理において無知であることは、人生において最大の不幸である。
 

1. 何事においても、疑い深い人は、自らの幸せから遠ざかってゆく。
 

                  

                                                    西園寺昌美



  

感想

すごく厳しい言葉なのですが本当にその通りなのです。

人に甘え、業=マイナスのエネルギーに甘えていてはいつまでたっても精神的に自立出来ないのです。

自分を救ってくれるのは、他人でも神様でも宇宙人でもありません。

自分自身なのです。

そのことが判ることが、アセンション(次元上昇)するということなのです。



 

2009年11月25日 (水)

人格が変われば 運命も変わる

 
   
今の現状を変えようとする人がいます。

病気を奇跡的に治そうとする人がいます。

本当の幸せをつかもうとする人がいます。

そのために祈ったり

プラス思考になろうしたり

否定的なことを言わないようにしようとしたり

ありとあらゆることをしてみるのです。

でも一番大切なのはなんだと思いますか?

私は信念だと思っています。

自分は創造主(神)であること

どんなことでも自分で創造していけるという

絶対的な信念ですね。

それにはどんなことが自分の周りで起きても

どんなことが現われたとしても

揺るがない不動心がいるのです。

不動心になって初めて奇跡が起こり結果が出るのです。

私は最近そのことを痛感しています。

ガンジーの言葉がそれを語っています。

 

 
信念が変われば 思考も変わる
 

思考が変われば 言葉も変わる
 

言葉が変われば 行動も変わる
 

行動が変われば 習慣も変わる
 

習慣が変われば 人格も変わる
 

人格が変われば 運命も変わる





 

そうなんですね。

自分が変わらなければ運命は変わらないのです。

信念が本気なのか?

揺るがないものなのか?の試験が4回あるのです。

思考、言葉、行動、習慣、そしてやっと人格に現われる

そのときが自分が変わったとき(瞬間)なのです。

だから大器(大人物、悟ること)はちょっとやそっとでは完成されないのです。

大器晩成はそのことを言っているのです。

奇跡は人格が伴って初めて起こるのです。

結果をすぐに求めるのは自分が未熟だからです。

そのことがわかれば焦ることは違うのだとわかるのです。








  

追伸
  

私が今読んでいる本は、 思考のすごい力 ブルース・リプトン著 です。

凄い本です。 

本当のことが書かれています。

今までの科学も医学も考え方がすべて間違っていた、心がすべてを決めるのだ という人間の意識を変えてしまうような本です。

これを読めば私の書いた奇跡はどうしたら起こるのかが理解してもらえると思います。

是非、読んでください。

カルチャーショックどころではありません。 

意識が変わる本なのです。




  

気功サロン、調和波動気功セミナーのお知らせ!

 
   
次回の気功サロンは12月5日(土)、12月は慌ただしいので前半にすることになりました。

前回のオーラ・オーラとのコラボは大成功に終わりました。手(チョキ)  わーい(嬉しい顔)

何が成功したかと申しますと、来られた方全員が最高の笑顔をされていたということです。

真理の話をしてプラスのエネルギーを掴む方法をお伝えして、そのことによってその人の魂が喜んで輝き出したのです。
 

何故だか嬉しくなる  わーい(嬉しい顔)
 

自然と笑顔なる  ぴかぴか(新しい)わーい(嬉しい顔)
 

幸せってそんなものなのです。
 

理由とかいらないのです。
 

エネルギーが変われば心境も変わるのです。


みなさんも気功サロンに来て、幸せになってください。 わーい(嬉しい顔)





 気功サロン オリエンタルウィンド


 12月5日(土)PM1時半~7時まで




    カリキュラムの内容  
  
 
    ① 呼吸法(気持ちを落ち着かせる為)
    ② ストレッチ(心と身体を柔軟にする)
    ③ 姿勢を正す(気を通りやすくする)
    ④ 一日七回感謝する(プラス思考)
    ⑤ 全てのものとの調和(感謝出来るようになる)
    ⑥ 身体の力を抜く(感情のコントロールが出来る)
    ⑦ 明るく朗らかに穏やかなる(パワフルになる)



この7つの中からいくつかを体験していただきます。

   
この時間帯の間のお好きな時間にお越し下さいね。

 

場所:浪速区民センター 第4会議室
大阪市浪速区稲荷2丁目4-3
電話 06-6568-2171
地下鉄千日前線桜川駅より徒歩3分
 


http://osakacommunity.jp/naniwa/index.html
 

参加費:500円

気功ってどんなものかな?と思っても、
なかなかレッスンにくるのは敷居が高い、
という方、是非気功サロンにお越し下さい
オリエンタルウインドの講師がわかりやすくご説明いたしますよ (女性3名男性2名)


  (●^o^●)


 

http://orientalwind.info/2006/12/whats_new.html

 


サロンよりも前に調和波動気功セミナーがあります。

今回はゴールデンドア、ゴールデンドアとは4次元への扉という意味だそうです。

アセンションや未来の自分や地球に興味がある人はどうぞご参加ください。

う先生の楽しくてためになる講演があります。指でOKわーい(嬉しい顔)
 

参加申込みは下記の調和波動気功法の最新講座のご案内をご覧ください。
 

参加される方は私までご一報くださいね。(受付けの人に連絡しますので)


篠崎携帯 080-1444-0018
 
 


日   時:2009年年11月29日(日)  12:00~
         
会   食:          12:00~13:30
う先生講 演 会:       14:00~

場   所:中国料理 大成閣 (大阪市中央区東心斎橋)



http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/



 

 
オーラ・オーラもよろしくお願いします。


http://auraaura7.com/



 

心の中を覗くな!

 
  
先日、オーラの撮影会をしましたが、オーラにはそのときの自分の心の中のエネルギーが色に現われます。

そして透明感も出るのです。

頭の中がごちゃごちゃしていてスッキリしていないと顔や身体にモヤがかかったようになっているのです。

でもその状態はそのときのほんの一瞬のことであって心境の変化があればそれも一瞬に変わるのです。
 

私たちは、いつも相手の人の心の中を気にします。

「あの人は今、何を想っているのだろうか?」

「私のことをどう想っているのだろうか?」

「いい人だ、好きだと想ってくれているのだろうか?」

自分の心を見つめるよりも相手の人の心を読もうとしているのです。

恋愛などをしているとその気持ちは益々強くなります。げっそり

でもその人の心の中は絶えず変化しているのです。

それは心の中は無防備なので色んな人の想念が入ってくるからです。

想いとは相手の心と書きます。

つまり自分の本心ではなく人の想いをもらっているのです。

集合意識ともいいます。

ニュースとかはたくさんの人が観ているので見ている人のほとんどが想っていることが脳裏に入ってくるのです。

そしてあたかも自分が思ったんだと錯覚しているのです。

頭は色んな情報、想念、エネルギーをキャッチするセンサーなのです。

色んな電波をキャッチするテレビの受信器のようなものだと思ってください。

NHKも入れば、高尚な番組や、お笑いも入り、感動するドラマもあれば、残酷なシーン、エッチな場面もある・・・・・・・・。

だから色んなことを想い混乱するのです。

人の心をみる、読むとはこの混乱した想いを読むことなのです。

玉石混淆した頭の中を覗いたところで何になるでしょう?

そこにはその人の本心はなくただ混乱した想念があるだけなのです。

「心が綺麗だ」

という人がいます。

たった今はそうかもしれません。

比較的長くその状態を保っている人なのかもしれません。

でも次の瞬間には違う人格になっていることがあるのです。

光には闇が寄って来ます。

なやみとは闇が波のようにやってくることをいうのです。

人間はこの闇=マイナスのエネルギーを受けているので悩んでいるのです。

そして人間の間とは

完全なる神とカルマ、業という感情を持った動物との間に人間は居るという意味なのです。

だから偉いとかあの人は素晴らしいとかあの人の心は綺麗だと言っても50歩、100歩なのです。


人のことを批判しても自分とたいして変わりはないのです。

キリストが張りつけになってそれでも相手を赦したのは

業に包まれて人格が変わってしまった人を責めるのは違うとわかっていたからなのです。

キリストは真理を真実を識っていたからです。

キリストとは真理という意味です。

心は自分が自ら磨いていくものであって

それ(心の状態)を人に求めたり期待するものではないのです。

人の心をみる、読む、探る・・・・。

そのことがどれだけ無駄なことをしていたか?がわかりますよね。


だからもう人のことは気にしないようにしましょう。


無駄なエネルギーを相手に向けることはやめましょう。


自分や相手の心の中を覗いてがっかりしたり喜んだりするのはやめましょう。


自分がスッキリ、爽やかになることだけに集中しましょう。ぴかぴか(新しい)わーい(嬉しい顔)

  


  
 

2009年11月24日 (火)

幸せとは?

 
  
同窓会が終わってその感想を聞いたことがあります。

同窓会は学校で行ったのですがその女性は

「もう校舎に入っただけで懐かしくて涙が出てきそうになりました。だからそれだけで幸せな気持ちになって、その上にみんなのスピーチが聴けたり、先生のお話も聞けたし、もう最高だったよ」

と言ってくれました。

そうなのです、この人は同窓会が始まる前からすでに幸せモードに入っていたのです。

一方では

「知らない人が多かった」

「食事がいまいちだった」

「お酒が飲めないのでつまらない」

という人も居るのです。


「幸せとはその人の周りの状況ではなく、心の状態である」 というような意味の文章を読んだことがあります。

普段から不平不満の多い人は感謝する心の状態になっていない、準備が出来ていないのです。

幸せって案外こんなことなのかもしれません。

自分や自分の周りが悲惨な状況にあっても自分の心がプラスのエネルギーや愛で溢れていたらすべてのことどんなことにも感謝出来るのです。


「そんなバカな、そんなことで幸せになるくらいなら誰も苦労はしないさ」

と思います?

でも信じるものは救われるなのです。わーい(嬉しい顔)



私が組んでいる印で“地球世界感謝行”があります。

海、大地、山、食物、肉体、水、植物、動物、鉱物、天象、空気、太陽

全部で12あります。

以前、自分があることに対して感謝が出来なくなったときにW先生にそのことを告げると

「感謝行をしたらいいんですよ」

と言って戴いて ハッ としたことがあります。

そうなんです、感謝出来ない自分を責めてもどうしようもないし、意味のないことなのです。

それよりも感謝が出来る心の状態になればいいのです。


我即神也、人類即神也、光明思想徹底行、地球世界感謝行の印は

無限なる癒し 無限次元への誘い 無限なる幸せを体得する方法

いずれの本にも載っています。

みなさん是非、やってみてください。

そしてみなさんの心を感謝と愛で溢れた “状態” にしてくださいね。 わーい(嬉しい顔)




  



   

忙しいと心をなくすのです。

  
   
不景気な今にあって、仕事、プライベートなことも含めて忙しいのは結構なことだと思います。

でも忙し過ぎて自分を顧みる時間もないのはどうか?と思うのです。

忙しいの忙は心を亡くすと書きます。

つまり大切なことを見逃してしまうことがあるのです。

心に張ったアンテナがうまく機能しないのです。

忙しくすることでチャンスを掴んでいるつもりでも

逆にチャンスを逃していることがあるのです。

心のアンテナは天と肉体の自分とを真っ直ぐに縦に貫いていないと機能しないのです。


インスピレ―ション(直感)は天(宇宙)から頭のてっぺん(百会といいます)に縦に流れてくるのです。

それを邪魔するのは

「ああだこうだ」という余計な想念なのです。

お釈迦様は 空 になれと言いました。

頭をからっぽにして天と繋がれ!とおっしゃったのです。

それは自分の本心と繋がることをいうのです。

自分の本心は天にあるからです。

本心とは本当の自分の心でありここと繋がるともう迷いはないのです。

だけど忙しくしていると本心と繋がりにくくなるのです。

だからどんなに忙しくても一人になって心の中に入っていく時間を持つことは非常に大切なことなのです。

時間は作るものです。

無駄を省いて優先順位を決めることです。

どうしてもしなければならないこと以外は案外どうでもいいことが多いのです。

そして、今 忙しくしているお父さん

そんなに怖い顔をしないでにっこりする余裕を持ってください。わーい(嬉しい顔)

働き盛りの男性はほとんどの人が眉間にしわを寄せて怖い顔になっています。ぷっくっくな顔


リラックスしないと本来の力も湧いて来ないのです。


力んでいるとエネルギーが流れて行かないのです。ぴかぴか(新しい)


エネルギーが流れないと上手くいくものもいかなくなるのです。(無限なる成功)


  


世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)





生きる目的を紙に書いてみる

  
  
よく目的を持ちなさい、目標を持ちなさいって言いますよね。

でもその目的を、目標をどう持ったらいいのか?が、わからないのです。

目標があればそれに向かってエネルギーを注ぎ込むことができます。

そしてもう迷うことも無くなるのです。

でも、自分の目標がなんであるのかがわからない?

目的、目標を持つ前にどうしたらそれが見つかるのか?

を考えることが必要なんですね。

幸せになるためには目的を持つことが大切です。

それにはまず紙(神)に書いて(聴いて)みればいいのです。






生きる目的を紙に描いてみる



葬儀の場では、故人の人格や生きざまのすばらしさがとてもよくわかります。

ある人の人生に幕が下りると、残された人々はさまざまなエピソードを語り、思い出を分かち合い、故人がいかに潔く、誠実に、品格をもって生きたかが浮き彫りになります。

わたしは、追悼の儀式で行われる、故人がいかによく生きたかを称える弔辞やお説教には、いつも真摯に耳を傾け、故人の冥福を祈ります。

真に生きる目的を見つけた人の、一途な人生がのこした功績、密度の濃い歩み、生ききったという充足感は、ときにわたしたちを驚嘆させます。

ほんの数行でかまいません、人生の道しるべとして、自分はなんのために生きるのかを紙に書いてみましょう。

プライベートなことでも、職業上のことでもかまいません。

あなたは何をしたいのでしょう?

これまでの人生で喜びを感じたことで、これからの人生をかけて追求したいと思うのはどんなことですか?

なかには、人生の早い段階で生きる目的を自然に察知する人もいます。

自分にはどんな場所がふさわしく、どうすれば生まれ持った才能を発揮し、独自の道を探求することができるのか・・・・・、

知りたいことや疑問が次々とわいてきます。

いったいどうすれば、生まれてから死ぬまで、自分自身に正直にいられるのでしょう?

生きる目的、人生の旅の目指す地点が定まれば、行く手を明るく照らすことができます。

より大きな目的を果たそうとすれば、自分の生き方に責任をもち、決断力をもって、みずから大きく成長させることができるようになります。


 「天翔(あまかけ)るすべての鳥は巣をかける場所を知っている」という中国のことわざは示唆に富んでいます。

鳥は生きる目的を知っているのです。

人間は万物の霊長でありながら、生きる目的を知らずにいることが少なくありません。

このせわしない、成果主義の現代社会で、いったいどうしたら心穏やかに、どこへたどりつくかもわからない高い目的に向かってまい進できるのでしょう?

あなたがいつもしたいと思っていることは何ですか?

あなたは夢を追いかけていますか?

自分の職業を愛するようになれば、人生の目的が持てます。

あなたは天職を見つけましたか?

あなたはなぜ、今の仕事をしているのでしょう?

生きているあいだに、何を見つけたいのでしょう?

「人生の目的はこれだ!」と感じたときから、すべてが大きな環のなかにおさまるように見えてきます。

あらゆる物事が関連してくるのです。

それぞれの事柄には始まりも終わりもなくなり、ただ、あなたの開かれた心が織りなす絶え間ないひとつの流れとなります。

全宇宙のエネルギーが、あなたに味方するように集ってきます。

そして、大胆すぎるくらい、物事を大きく考えられるようになります。

あなたはもうそれまでの経験から、夢中になって生きることの高揚感も、人とは違う何かに挑戦し、試練を克服する方法も、知っているからです。

あなただけが体得した知識を気づきによって、他人には真似のできない生き方をし、務めを果し、人に与えれば、愛とひたむきさによって道はひらけます。

まるで奇跡のように、すべてがその目的のためにお膳立てされていたのだと感じることがあります。

小さなことが大きな意味をもって見えてきます。

幼い頃に手紙を書くことが大好きだった人が、作家になる情熱をもつこともあります。

自分が何に興味があるのかは、読んできた本、聴いてきた音楽、専攻した分野などからもわかります。

それに、自分がやり遂げたかったことが何なのか、あなたはわかっているはずです。

本当のあなたはどうあるべきだと思いますか?

なぜ、夢を追い求めないのでしょう?

あなたは何に一生懸命になれますか?

心が満たされ、気持ちが明るくなるのは何をしているときですか?

じっとしていられないくらい興味をかきたてられるのは何ですか?

何であれ、ものにするためには、必然的に生まれてくる疑問に目をつぶらないことです。

人生を賭けて、避けて通れない問いに対する答を探し求めなければなりません。

ライナー・マリア・リルケのいう

「問いを生きる」 とはこのことです。

あなたは生きる目的の果てしない広がりのなかに頭から飛び込んで突き進むことによって、その答を見つけるしかないのです。

ひとりきりになって、生きる目的を見定めてみましょう。

この訓練は、残酷なくらい自分に正直にならなくてはいけません。

あなたは何のために生きるのか、それがあなたという人間を決めます。

この道を行くと決めたら、納得のいくところまでその道ひとすじに打ち込み、すべてをささげなくてはなりません。








 
人類にとって、もっとも崇高な目的は、生命(いのち)という天からの贈り物を生かすことだ。


                   ノーマン・カズンズ






           自分自身の生きる目的をもち、

    その目的にしたがって生き方を律しましょう。

     そうすれば、振舞いも、言葉も、雰囲気も、

  この目的のために必然的に一貫したハーモニーを

            奏でるようになるでしょう。

     そしてわたしたちはこの調和を人類の責務、

つまりわたしたちの幸福と考えなくてはいけないのです。



              ニコス・カザンツァキス




  




2009年11月23日 (月)

自分の内面を毎日リフレッシュしましょう。

  
       
私たちは答が外にあると思っています。

そしてその答を自分の心酔している人、尊敬している人、人から凄い、素晴らしいと絶賛されている人に求めるのです。

でもどれも違う。

それは答は外にあるのではなく、自分自身の心の奥にあるからです。

私たちは自分が一番幸せだった頃をヒモ解いてみると幼い頃にたった一人で自分と向き合っていた時だと気づくのです。

それは自分の本心と出逢っていたからなのです。

本心は自分の心の中に入っていかなければ行くことは出来ないのです。

そのためには自分ひとりになることです。

自分だけの時間をつくることです。

そこに行かないと決して答も見つからないし、心の底から安心することもないし、本当の幸せ感を得られることはないのです。


ここに内面を見つめることの大切さを書いた文章があります。

どうぞ読んでみてください。

そして幼い頃の幸せだったときのことを思い出してください。

 









 

わたしは、もの心をつく頃にはひとりで自分だけの世界にひたることが好きでした。

マサチューセッツ州ウェストンにいた四歳の頃、農場の裏手の赤い納屋に千草置き場があり、よくそこにじっと隠れていたのを覚えています。

誰にでも、静かに考えたり、客観的に内省したりするために逃げ込める場所、つまり内的な生活が必要です。

ひとりきりになると、日々のごたごたではなく、たとえば 「美」に心を傾けることができます。

そこでは、外的世界の不愉快なことから逃れて、自分自身の良心に応えることがことができます。

どんなときでも、ひとり静かにしていると、自分の精神のしまわれている場所に入ってゆけます。

この、人間の内奥にある、個々人の生命の真髄は、「毎日」養分を与えて育んでいかなくてはなりません。

私たちは自分の内側にあるものを外に出すことによって、この世に生きています。

わたしたちは自分の魂が輝いているかどうか、成長しているかどうかに気を配らなくてはいけません。

たとえ群衆のなかにいても、なにかの行動をしているときも、人は孤独です。

心のなかで考えていることや願っていること、わかっていることなどが、完全に他者に理解されることは決してありません。

他人とは分かち合えない部分が、人間にはあるのです。

しかし逆に、孤独のなかに身をおくと、寂しさを打ち砕くことができます。

そして静かに、自分の内面に入ってゆけます。

そこにあるすべてと自分とが永遠に一体である世界に入ってゆくのです。

そこでは、この宇宙の広大さに気づくこともあります。

知識を超えた叡智があることがわかるようにもなります。

自分の内面の世界に養分をあたえているときには、宗教上のドグマや政治的な信条に対するこだわりも消え、本当の自分自身からあなたを引き離してしまうありとあらゆるしがらみがどこかへ行ってしまいます。

外の世界の何ものにも影響されず、心を大きく開き、この世の神秘を受け入れられるようになります。

物理的、肉体的な世界が人間の存在のすべてではありません。

すべての人に、なすべき内的な営みがあるのです。

自分自身の「全体」に充分気を配りましょう。

肉体的にも、感性的にも、知性的にも、自分を花開かせましょう。


内面を豊かにすることは、どんな行為にもまさります。

内的な営みが健全でないと、喪失感に襲われます。

毎日、自分だけの神聖な時間を過ごしましょう。

すぐれた詩や文学作品を読みましょう。

内面を成長させるための時間と場所を習慣としてもてるようになるまで、とにかく試してみましょう。

さまざまな義務や責任、妻として、母として、指導者として、上司として・・・・・・といった、あらゆる○○として役割りから離れて、静寂のなかで心を鎮めましょう。

完全にひとりになると、もう自分がバラバラだと感じることはありません。

あなたは、欠けたところのない「全体」として存在します。

何かを読んでも、静かに瞑想しても、祈ったり、歩いたり、踊ったりしてもよいのです。

静けさのなかで、肉体と精神は一体となろうとします。

わたしたちの魂は、熱心に気を配ってもらえるのを 「日々」待っています。

時間をみつけては自分自身の内なる声に耳を傾け、それを受け入れるようにすると、心のなかの自分と表に出てくる行動とを一致させられるようになります。

目にみえない内面の営みが活発になればなるほど、外に現われてくる行動はあなたの全存在を体現する力強いものになるでしょう。

内なる声の告げる真実に、真摯に耳を傾けましょう。






独創的な考えは脳から生まれるのではなく

その人自身の全存在から生まれる。



       ロバート・グルディン




 
幸せになる生き方  アレクサンドラ・ストッダード著






   

2009年11月22日 (日)

感謝は光

 
     

日常生活を送っているとつい不足していることに心が動きます。

「あ~いい車が欲しいなぁ」

「もう少しお金があったらなぁ」

「もっと自分のことを理解してくれたらなぁ」

自分は欲望が少ない方だと思っていてもこの欲望が無くなることはありません。

そしてその気持ちが起きた時に幸せから遠ざかってしまっているのです。

ここ何日かそんな気持ちになっていました。

そんなときこんな詩を読んだのです。



 



欲しいものを手に入れることは大いなる幸せだ、

しかし、もっと幸せなのは、

持っている以上のものを欲しがらずにすむことだ。


           メネデムス


 




そうですよね

今与えられている幸せに感謝することが出来なければ

今以上にどんなにたくさんのお金や物や愛を与えられても心を満たすことは出来ないのだと思います。

それは感謝でしか幸せ感を得られないからだと思うのです。

感謝は光なんだそうです。ぴかぴか(新しい)

そして人間の本質、本体は光で出来ているのだそうです。

だから光輝いていることが一番幸せなのです。ぴかぴか(新しい)わーい(嬉しい顔)

感謝しているときとはまさしくその状態なんですね。

だから、いつも感謝している、どんなことにも感謝出来る自分でありたい!

そう思うのです。




  

2009年11月20日 (金)

幸せの定義

 
     
人によって幸せを感じる内容、定義は違うと思います。

そして人間関係において幸せを感じることもあれば不幸を感じることもあります。

でも私は同窓会をするようになって幸せ感を存分に味わっているのです。 わーい(嬉しい顔) ハート達(複数ハート)

そして気功でもハーモニーの人たちと幸せを感じる関係を持たせていただいます。

「なんなんだろう?このあったかい感覚は?」ぴかぴか(新しい)

そんなとき素敵な詩を見つけました。

私の心境にピッタリなのです。

よかったら読んでください。





  
 

人生に起こることの中でもっともすばらしいことは、
 

      時とともに深さと、美しさと、喜びが、
 

湧き出すような関係を築ける相手を発見することだ。
 

            わたしはそう信じている。
 

  二人の人間の内部で愛情が深まっていくさまは、
 

             とても不思議な現象だ。
 

                それは探しても、
 

     また、どんなに手に入れたいと望んでも、
 

             見つかるものではない。
 

    まさに、神の与えた運命のいたずらである。


 




               ヒュー・ウォルポール






  


  

2009年11月19日 (木)

よけいなことを考えるな!

  

  
  

1. 悟りというのはむずかしいものじゃない、よけいなことを思わなきゃいいんだ。




      

             続・如是我聞  五井昌久  



  


2009年11月18日 (水)

本当の幸せとは何か? 全文

 
   
私が最近読んだ本の中で最高に響いた文をご紹介します。

本当の幸せとは何か?

世界平和の祈りを祈ったらなぜ幸せになるのかがわかりやすく書いてあるのです。

最初はある人の質問に五井先生が答えるところから始まります。


どうぞ、お付き合いください。



  
 
質問

人間の不幸は、人間の真実の姿を知らないところからくると思います。

たいていの人は幸福を外にだけ求めて、内にあることを知りません。

真実の幸福ということについて一言お願いいたします。






 
 
答 

本当の幸福というのは、一言でいえば、人間の本心を顕すということ、自分自身を知るということです。

ソクラテスじゃないけど、

“汝自身を知れ” というように、自分自身を知ることが一番幸せなんです。

自分の本体が分かり、本質が分かるということほど、幸せなことはありません。

もう不退転で、驚くことが何にもなくなるわけです。それには何も付け加えることがないんですよ。

それはどういうことかというと、まあ、自分というものは神様から無限に生命の波を頂いている。

いわゆるエネルギーがエネルギー源から常に流れてきて、必要な物はすべて与えられるんだということを知ることなんですね。

それが一番幸福なんです。

それを外から与えられるという形で思うからいけないけれど、内から━
もっと言い換えると、人間というものは、本当はこの五尺何寸という、そういう目に見えている形じゃないんですよね。

波動なんです。

光の波動なんだけれども、ふつう肉体にいる人は光と業想念の黒雲の波動が混ざって、少しまだらになっているのです。

その光の波動は大生命の根源から流れてくる。

宇宙子科学でいえば、宇宙子波動です。

宇宙子がたくさん集まって、この生命体になっているわけですね。

だから神様のほうを向いてさえすれば、神様につながってさえいれば、その人に必要なものは何でも与えられる。

ところが必要でないものを与えられると、非常に困ることがある。

例えば、今お金が必要でもないのに、百万円与えられた、千万円与えられた、一億円与えられたとする。

すると皆さん、どうやって使っていいか分かりませんよ。

もし、ここに五億ある。

「五億やるから、今月中に使え」 と言われたらどうします?

一時は有難いな、と思ってみるけれども、使えませんよ。

人にやるよりしようがない。

ところが人にやるのはもったいない。

そこでこうやって抱いているか、あるいは滅茶苦茶に使ってしまう。

そうすると、全然、生命(いのち)が生きたことにもならなければ、人を生かしたことにもならなくなって、持て余してしまいます。



よくこういう話があるんですよ。ある人が土地があって、それを売ったわけです。そしたら何億の金で売れちゃった。

ところが税務署に何億と届けたんじゃ、税金をごっそり取られてしまう。

多ければ多いほど、取られるんですから、それで、何億って売ったものを何千万にして、届を出したわけ。

すると、あとのお金はどこに置いていいか分からないんですよ。

まあ、五億でもって、三千万という届を出したら、四億七千万の金が出来るわけですね。

それをどこへやっていいか分からない。

銀行にやっても、調べられたら分かってしまう。

その金を持って、困っちゃう。

どうしよう、と神経衰弱になってしまう。

金をあんまり持ったために神経衰弱になってしまう。

そういう話があるんですよ。

だから与えられたのはいいけれども、与えられたことがかえって病人にしてしまう。

あまり必要のない時に与えられたのでは困ります。

必要な時に、三千万いれば三千万パッと、百万いれば百万パッと与えられれば、もう何もお金のことを考えないで、スラスラ出来るわけでしょ。

そういう与えられ方が一番いいわけね。

だから神はなくてはならぬものを知り給うのだから、神様の中に全部入れておいて、それで、常に自分はなくてはならぬものは与えられるんだ、という考え方のほうがいいわけです。

常に神はなくてはならぬものを与え給う、お金にしても、力にしても、神様はすべて私に与えてくださるんだ、という信念があるほうが幸せですよね。

そういう信念がありますと、例えば、貧乏しても、ああ、貧乏、これでいいんだ。自分は与えられないけれど、これは経験なんだと思う。

お金が与えられれば与えられたで、使い道があるんだし、使い道がある時に与えられるんですからね。

私どももそうですよ。

例えば、お金をパッと出す。何かあると惜しげもなく出しちゃう。

そうすると必要なものはパッと来る。

もう時には一銭も違わないで来るんだから。

百万欲しければ百万。

百五十万欲しければ百五十万。 半端まで来ます。

何十円まで来ます。

必要なものはキチッと来るんですよ。

驚くように来る。

そういうものなんですね。

必要な物は絶対に来る。

だから必要でないものは来ない。

私どもは全然、無理しないです。

建物だって、必要でない時は建たないんだし、必要な時はお金が来るから建つ。

お金がなくなって必要がないから建てない。

もうそれだけの話です。

だから至極呑気です。

少しもアタフタしません。

お金が入るつもりでもって、先にでっかいものを建てちゃった。

さあ、後で入らなくなっちゃって、もう警鐘を乱打して、皆から絞り取るなんて、そんなことを他ではやっているわけですけれども、うちではしません。

それは必要ないから。

必要ないものはやらない。

神様から来ないものはやらない。

神様から来たらやればいい。

そういう考えでしょ。

少しも焦らないわけです。

それは個人としてもみなそうなんです。

だから一番の幸せな生き方というのは、神様と常に繋がっているんだ、自分は神によって生かされているんだから、自分の必要なものはすべて与えられる。

だから自分はその置かれた環境でただ一生懸命やっていればいいんだということです。

それが本当に分かっていると、こんなに呑気なことはありません。

それで、この世に必要がなくなれば、あの世に行くんだと、そこまで決めていれば、呑気ですよ。

みんな与えられているんです。

そこまで行くと一番呑気なんです。

そうなるんですよ。

すべて自分で生きていると思うから、神様と切断してしまう。

もう生まれた時はただなのにね。

私、いつも言うけれど、何のなにがしというお母さんとお父さんの間に女の子として、あるいは男の子として、生まれようとして生まれた人はないわけです。

魂的には分かっているけれども、肉体的には分かりゃしません。

それが知らないうちに生まれてくるんです。

貧乏な家に生まれようと、金持ちの家に生まれようと、それは肉体の自分としては分からないわけです。

生まれてきてしまうんです。

生まれた時に、何にもお金を払っていないです。

赤ん坊がお金払って、お父さんいくらあげます、お母さんいくらあげますから、生んでください、というのは聞いたためしがない。

ただで生まれてくるわけです。

初めからただで生まれてきたのに、何を欲張って金を欲しがるのでしょう。

一番の生命の元をただで生んでくれたんだから、この世を去るまではちゃんと生んでくれた人が知っています。

生んでくれたのは親ではありません。

親に働いた力、神様です。
 

神様が生んでくれたんだから、その生涯は神様が保証しているわけですよ。

それを保証されないと思って大体忘れてしまうんだね。

生んでくれた力を忘れてしまって、だんだん自分が自分が・・・・・、これは自分の考えだ、私のことは私が知っていますよ、って、こうきちゃう。大概、皆さんもやりますよ。

自分のことは自分が知っている、と言っても、何も知りゃしません。

「じゃ、あなた明日はどうやっているの、明後日はどうするの」と聞かれても知りゃあしません。

自分個人というものは、常に世界と繋がっています。

日本の国ともつながっている。

例えば若い青年がいるとする。二十歳か二十二、三の青年がいたとする。

「俺のことは俺が知っているよ。余計なこと言わなくていいよ。俺の自由だ」 と言ったとします。

さあ、今度は日本が再軍備なら再軍備になったとします。

そして徴兵令が敷かれたとする。

たとえの話ですよ。赤紙一枚で、否でも応でも兵隊へ引っ張っていかれる制度になったとします。

「俺のことは俺が知っているよ」と言ってて、明日、交通事故で死なないとは限らない。

飛行機に乗って死んじゃうかもしれない。自分で知りゃしません、一つも。

それをあたかも自分のことは自分で知っていると生意気なことを皆言うけれども、何も知っちゃいないんですよ。

何にも知っていない。

知っているのは誰かというと守護霊、守護神。要するに神様が知っていらっしゃる。自分の中の分霊の元が知っているだけです。

それを自分であたかも知ったような顔して、私はおかしくてしようがない。

顔を見ちゃう。何言ってるんだろうと、何も知らないくせしてね。

だから、どうせ知らないんだから、何も知りゃあしないんだから、全部まかせたほうがいいでしょ。

まかせて、ああ、生かされている生命だから生かされている間は生きる。

自分に与えられたものは出てくるんだ。

だから、「どうか神様、自分に与えられた力を充分に出せますように。

すべてを愛する愛深き自分にならしめ給え」と、そういうふうに、人のために働けるような祈り言をすればいいんですよ。

「がっぽりお金が入りまして、地位がうんと上がりまして、どうぞお願いします、家内繁盛・・・・・」そんなことばかりやっても、何にもなりゃしない。

「お前が言わなくたって、こっちでやっているんだよ」って向こうで言うわけです。

神様のほうではね。向こうさんでやってくださるのに、こっちで余計なことを言わなくったっていいんですよ。

なくてはならぬものは与えられている。

生命が先に与えられているんだからね。

だから、いい悪いにかかわらず、生まれてしまったんだから、生まれたら、最後まで神様の責任なんだから、神様にまかせておけばいい。

それで与えられた才能を充分に生かして努力して真剣にやって磨いていけばいいのです。

与えられた生命をより良く生かすという、それだけが大事なんです。

それ以外のことはありませんよ。

それを「信仰している、私は宗教をやっている」と言いながら、いつも神様を疑ってしまう。

“私はこんなにやっているのにダメなのかしら。与えられないのかしら。私はこんなに一生懸命、薬を飲んだり、養生をしているのに、いつになったら丈夫になるのでしょう” とか・・・・・・。

そんなことは向こうさんで知っているわけ。

丈夫になるだろうかとか、貧乏がどうだろうとか、何だかんだという余計な心配をする想いが、神様の生命がスーッと流れてくるのを邪魔しているんです。

邪魔しちゃって邪魔しちゃって、

「もうしようがない奴だな、余計なことを思いやがって、思わなければやってやるのに」 と、神様のほうで思っている。

守護霊、守護神のほうで思っている。

だから想いというものは邪魔なわけですよ。

そこでまた繰り返すけれども、お釈迦様は空になれ、空になれ、って坐禅させたんだし、老子様は無為だ、無為だ、無為にしてなせ、ってやっているわけです。

だけど空になれ、と言ってもなかなか空になれないし、無為になれ、と言っても無為になれないから、私は現われてくるものは消えてゆく姿ですよ、と言っているわけです。

消えてゆく姿なんだからそれに把われることはない。

しかし把られたら把われたでいいから、把われた想いを、もっと大きな高い所に、神様の中に入れてしまいなさい。

ただ神様、神様と言っても神様は見えない。

どこにいるかわからない。

神様どこです?

私の想いをとってください、じゃ分からない。

そこで “世界人類が平和でありますように” という神様のみ心ですね、神様のいわゆる理念といいますか、神様のみ心の世界人類が平和である、という所へこちらが 「世界人類が平和でありますように」 って持っていって入れてしまいなさい、というわけですね。

どんなことが出てきても入れてしまいなさい。

貧乏が出てこようと、病気が出てこようと、短気が出てこようと、妬みが出てこようと、そういうものは、みんな「世界人類が平和でありますように、日本が平和でありますように、私たちの天命がまっとうされますように」って、そこへ入れてしまいなさい、と言っているわけです。

楽なもんですよ。

入れてしまうと、邪魔する想いが、その目的の中へ入っていまうでしょ。

世界平和に祈りというのは、大光明、神様のみ心だから大光明です。

だから想いをどんどんどんどん消してくれるわけですよ。

ゴミを持って行って、捨てればいいでしょ。

そうすると空(から)になるでしょ。

それと同じで、神様は、もうパーッと燃え上っている溶鉱炉だと思えばいい。

鉄でもなんでも溶かしちゃう。

そういう溶鉱炉だと思えばいいですよ。

その中に、世界人類が平和でありますように、って入れれば、溶鉱炉がいっぱいに燃え上っているんだから、その中にどんなゴミでも、どんなものでも投げ込めば、みんなパーッと燃えて光になっちゃう。

そういうふうに思えばいいです。

本当にそうなんだから。

だから、どんな悩みがあろうと、貧乏があろうと、病気があろうと、自分がいけないと思う心があっても、あいつは嫌な奴だと思う心があっても、そんなものはみんな世界平和の祈りの中に入れてしまいなさい。

世界平和の祈りの大光明が、溶鉱炉がみんな焼き尽くしてきれいにしてくれる。

光一元にしてくれる。

そうすると、それがまたこっちへ流れてきて、こっちは光輝く人間になるんだから。

邪魔な想いをそこに捨てなさい。

“消えてゆく姿で世界平和の祈り” と一生懸命、私が汗を流して説いているわけです。


             (昭和41年3月)



2009年11月16日 (月)

メールでも電話でもなく・・・・

  
    
最近思うことは大事なことはメールや電話で済ませるのではなく、やはり会って思いを伝えることが大切だと思うのです。
 

メールや電話は誤解を招きます。
  

それは相手の姿がみえないからです。
  

五感を働かせて判断出来ないからです。
 

第六感とは五感をしっかりと使った後にインスピレーションとして与えられるものだと思うのです。
  

目でしっかり見る、耳でしっかり聞く、鼻で匂いをかぐ、触ってみる、味わってみる、それをした後でないと目にみえない感覚(直感)は現われて来ないのです。
  

人と会うとこの五感がしっかりと使えるのです。
 

そしてそれだけでも十分に相手のことがわかるのです。
 

それから大事な話をしても決して遅くはないのです。
 

手探りでメールをしてみる、相手の顔色や状況がわからないのに電話をするくらいなら時間を取ってしっかりと向き合った方がいいのです。
 

その人の将来にかかわること、タイミングが大切なこと、どうしても伝えたいこと等は失敗は許されないのです。
 

「あのときちゃんと会って話しておけば良かった」 なんて悲し過ぎます。げっそり
 

あなたは結婚の申し込みをするのにメールでしますか?
 

電話で済ませますか?
 

しないですよね(笑)
 

それと同じだと思うのです。
 

だからやっぱり大切なことを伝えるときは
 

出来ることならば、会える距離に居るならば
 

会って言うべきなのです。わーい(嬉しい顔)


  

私が幸せを感じるとき

 
    
何が嬉しいかというと日記の読者の人が勇気を出して私に会いに来てくださることです。
 

昨日も東京の人から
 

「気功サロンのオーラに行きたかったのですがどうしても都合が付かなくて、でも他の日に是非、大阪に行こうと思っているんです」
 

という嬉しいお電話をいただきました。
 

わざわざ遠いところから、私やサロン、オーラ・オーラの人たちに会いに来て下さる。
 

こんなに嬉しいことはありません。
 

そして
 

「いつも日記を読ませていただいています。私の知りたいことがすごいタイミングで書かれているんです、ありがとうございます」
 

なんて言われた日には、それはもう飛び上るほど嬉しいのです。わーい(嬉しい顔)手(チョキ)
 

それは私が日記を書き始めてから(3年くらいになるのですが)なんとなく、将来的にそんなことがあればいいなぁとイメージしていたことだったのです。
 

でも、決して期待せず、みなさんの心がほっとするような、気づきがあってうれしくなるようなそして、元気が出るような日記が書けたらそれでいいと思っていたのです。
 

それが、会いに来て下さるなんて私にとっては奇跡なのです。ぴかぴか(新しい)
 

以前に東京から来られた人は、オーラ・オーラに行かれてそれから気功サロン、そしてう先生の大成閣にも行かれました。
 

そして東京に帰られた今もメールや電話で連絡を取らせていただいています。
 

魂と魂で繋がったご縁は深いのです。
 

心と心が繋がっているので、話は尽きることがありません。
 

時間があっという間に過ぎていきます。
 

最近、こんな嬉しい時間を過ごすことが頻繁に起こるようになって来ました。
 

私は本当に幸せ者だと思います。わーい(嬉しい顔)



  
 

2009年11月15日 (日)

お知らせです。

   
   
オーラ・オーラとのコラボの後もお知らせが目白押しです。


気功サロンは12月5日(土)、12月は慌ただしいので前半にすることになりました。

11月19日(木)に来れなかった人も是非、お越しください。
わーい(嬉しい顔)

 

http://orientalwind.info/2006/12/whats_new.html

 


サロンよりも前に調和波動気功セミナーがあります。

今回はゴールデンドア、ゴールデンドアとは4次元への扉という意味だそうです。

アセンションや未来の自分や地球に興味がある人はどうぞご参加ください。

参加申込みは下記の調和波動気功法の最新講座のご案内をご覧ください。

参加される方は私までご一報くださいね。(受付けの人に連絡しますので)




日   時:2009年年11月29日(日)  12:00~
         
会   食:          12:00~13:30
う先生講 演 会:       14:00~

場   所:中国料理 大成閣 (大阪市中央区東心斎橋)
 



http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/





オーラ・オーラもよろしくお願いします。


http://auraaura7.com/




  


 

これからは老子の時代?

  
       
この老子講義は去年の10月くらいにここに書いたものでした。

人間にとって、ものすごく大切なことが書いてあったのです。

でもそれを書くにはまだ早かったのかもしれません。

私たちは普段ものを考えるのに頭を使いますよね。

それが当たり前だと思っています。

ところが私は最近、頭で考えるのをやめた途端、次々に物事がスムーズにいい方向に流れることを実感しているのです。

それは業(ごう)つまりマイナスのエネルギーで動いているのではなく自分の本心から動けているからだと思うのです。

「最近、考え過ぎてしんどい」

「考えているとどうしていいのかわからなくなった」

という人は是非、読んでみてください。

きっと

「あ~そうなのか~」

という気づきがあると思いますよ。
 ぴかぴか(新しい) わーい(嬉しい顔)




      

           『老子講義』




  
老子の教えの根本は 無為に為し なのですがその言葉の意味は一言にして申しますと、為にしない、ということなのです。
 
 
何をしよう、かにをしよう、というように、肉体人間の頭脳でとやかく想いめぐらさないことが無為なのです。
 

これをしよう、あれをしようと考えつつするのではない、ということは、この肉体の頭脳智に頼って為すことは、することが小さくて、たいして人の役に立つことはできない、ということなのです。
 

何故かと申しますと、肉体人間というものは、只単なる先端の現れであって、人そのものではないということなのです。
 

人の生命というものは、肉体身を先端として、奥深くずうーとつながっているものであって、その一番深いところは、宇宙神のみ心の中なのであります。
 

ですから、肉体身として現われている、一番粗い波動の現れ、一番速度の遅い波動の現れだけを自己そのものと思っていますと、その自己だけに想念が集中していますので、その粗い波動、スピートの遅い、遅鈍な在り方の中で、その範囲、その中だけの知識や智慧で思慮分別して、自分の生き方や人の生き方を判断するわけですから、どうせたいしたことができるはずがありません。
 

小さな、こせこせした生き方や考え方しかできないのは理の当然です。
 

それはちょうど、世界という全体を知らない未開の国の人が、その国のしかも山奥の小さな土地だけの生活より知らないでいて、それだけをすべてとして他を顧みないでいるとしたら、その人の智能程度は非常に低いものであることはあたりまえのことです。

 
人というものの全体を知っている真人や聖賢の眼からみますと、人というものが肉体身だけの者だと思っているような人々の在り方をみていると、丁度そうした未開人の生活をみているようなものにうつるのです。
 

真の人の姿というものは、肉体身だけを人とみているような、そうした低い段階のものではなく、自由自在心をもつ生命そのものの存在者なのです。

 
人間生命の働きの段階は、それは非常に数多くの段階がありまして、肉体身のしかも、自己の利欲だけに想いを集中しているような人は、そうした最も低い段階の住者でありますが、人の為を想い、社会人類を想って行動しているような人でも、肉体界だけが、人間の世界だと想っている限りは、自己の肉体頭脳智だけで行動するのですから、宇宙の大計画から外れてしまう行為をしばしばすることになるのあります。


右翼の人左翼の人、何々主義と標榜して社会活動をしている人々の中には、自分自身の利害関係を度外視して、犠牲的な生活の中で行動している人も随分とあるわけです。
 

しかし、そうした善と想われるような行為であっても、人間の本質本体を知らずに行動している、いわゆる、神からみた無智の行為となることがあるのです。
 

人間の行為というものは、この肉体頭脳智で考えているうちは、どこかに抜けた、宇宙神、大生命のみ心から外れた行為になってしまうことが多いのです。
 

ですから、各自の集団が、自分の想念行為こそ、社会を善くし、世界を安定させる、と各自が想って、その行動をしているのですが、その各自の行動が、お互いにぶつかり合ってしまって、宇宙神のみ心の根本的な在り方である大調和を乱す争いごとになってしまうのであります。
 

そこで老子は声を大にして、無為にして為せ、無為にして治めよ、というのであります。
 

肉体の頭脳智に頼っている以上は、無為にはなり得ません。
 

無為になるためには一度、肉体頭脳智を何処かに無くさなければんりません。
 

私はその方法を世界平和の祈りをもってしなさい、というのです。

 
この地球界に住みついていますと、肉体身の頭脳ですべてを思考し行為するような習慣がついてしまいます。
 

そんなことは当たり前のことじゃないか、頭で考えないで一体何処で考えるのか、という反発がすぐにこだましてくるようですが、そこが、永遠の平和を地球人類にもたらすかもたらさないかの境目なのです。
 

肉体人間的な考えで、この世の中が、争いの一切無い、病気や貧乏人の姿の無い世界になると思いますか、なるとしたらどのような方法でしたらよいのでしょう、と問われたら、一体何と答えますか?
 

それは判らない、と答えられることでしょう。
 

確かに肉体頭脳智ではわからないことなのです。
 

判らないけど、誰の心にも世界平和ということと、人間の世界に老病貧苦の悩みの無い日の来るのを待ち望む心はあるのです。

 
ただ、どうしようもないので、そのことについてあまり深く考えずにその日その日の行動をしているだけなのであります。
 

それは肉体身の頭脳では判りようがないのです。
 

そこで古来の聖賢はみな、肉体智を捨てよ、空の心になれ、といい、老子は無為の道を根本の教として説いているのであります。

 
ところが人間は、頭脳で考えないでどうして行動ができようか、ということにひっかかってしまうのです。
 

それは無理もありません。
 

肉体身の頭脳の他に湧いてくるところなどありはしないと思いこんでいるからなのです。
 

しかし、私がいつも申しておりますように、人間の身体というものは、大きく分けて、肉体身、幽身、霊身、神体というように四つに分かれております。
 

それは七つの名称をつけて、七つに分かれているといってもいいし、細かく分ければ数限り無く分かれているのであります。

 
ですから、あらゆる体から智慧が湧きいで、あらゆる階層の知識もあるのであります。
 

肉体身は先程から申しておりますように、一番鈍なる体なのであります。

 
そこで肉体頭脳にまつわる知識や想念を、肉体身より微妙なる体のどこかの頭脳に一致させてしまえば、肉体身の頭脳で考えるより微妙な考えが湧いてくるのであります。
 

普通インスピレーションというのは、人の肉体身以外のどこかの階層の頭脳波動から肉体頭脳に伝わってきた智慧なのであります。
 

この智慧を一番深いところ、神体より伝わるようにするためには、やはり祈りの中に自分の想念を全部投入してしまうことがよいのであります。
 

そして、その智慧も世界人類の完全平和に役立つ智慧であり、そして力であるためには、世界平和の祈りのような、そのものズバリの唱えごとがよいのであります。

 
言(ことば)は即ち神なりきでありまして、こうした祈り言の中から出てきた智慧であり行為であるものが、無為にして為せというところとぴったり一つのものになってくるのであります。

 

老子の道に至る方法は世界平和の祈りなのであります。
 



世界人類が平和でありますように  ぴかぴか(新しい)

 


                老子講義  五井昌久 



  




  

2009年11月14日 (土)

自分を卑下しないでください。

 
    
私の周りにはご自分のことを卑下(ひげ)する人がいます。
 

「私のとこの会社なんて吹けば飛ぶようなものですよ」
 

「私なんてダメです」
 

「私はバカだから・・・」
 

聞いていて気持ちのいいものじゃない。
 

聞いている方はそれに対して答えようがないですよね。 げっそり
 

「そんなことないでしょ」
 

「ダメなんかじゃないですよ」
 

「あなたはバカではありません!」
 

そう答えるのもおかしいですよね。
 

だってご本人は卑下することがよいこと、美徳だと思っているのです。
 

五井先生は卑下慢は高慢よりも始末が悪いとおっしゃいました。
 

高慢は周りの人から指摘されたり、叩かれたりして本人が頭を打ちやすく気づきやすいからです。
 

でも卑下慢は本人に言いにくいのです。
 

ではなぜ、自分を卑下することが善くないことなのか?
 

それは2つあるのです。
 

自分のことをバカだバカだと言っていると本当にバカでダメになってしまうのです(笑)
 

言葉はエネルギーなので言った通りの自分になります。
 

だって自分の子どもに
 

「あんたはバカだからバカだから」って毎日言っていたらとんでもないことになりますよね。
 

それを人に言っているか自分に言っているかの違いだけなのです。
 

どちらもマイナスのエネルギーです。
 

2つ目はそうやってマイナスを掴んでしまうので、掴んでしまっているので自分が尊い存在であることに気づかないのです。
 

自分という存在は決してダメな存在ではなく、すべてのことを創造していくことが出来る素晴らしい存在です。
 
 

神の子なのです、神そのものなのです。ぴかぴか(新しい)
 
 

我即神也なのです。
 


自分を否定しているとその一番大切な真理、自分の本来の姿に気づきにくいのです。
 
 

みにくいアヒルの子の童話を思い出してください。
 
 

自分は白鳥(神)なのにアヒルの子(悪魔の子)だと思ってしまっているのです。
 
 

「私は白鳥なんかではない、アヒルなんだ!」
 
 

そういい聞かせているのと同じなのです。
 
 

自分のことを白鳥と思えるようになるにはまずは自分を否定しないことから始めてください。
 
 

否定することを止めてプラスのエネルギーを入れていくと本来の本当の自分がわかってきます。
 
 

そうなれば しめた  ものです。わーい(嬉しい顔) 手(チョキ)
 
 

本当の自分を識ると、楽しくてしかたがない毎日が待っているのです。
 


だって人間として生まれて来た目的とは
 


自分が何者であるのか?
 


を識ることだからです。
 


本当の自分を識ることが一番の幸せだからです。
 





プラスのエネルギーがいっぱいに詰まった祈り言霊 わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)



 

世界人類が平和でありますように

 
無限なる愛

無限なる調和

無限なる平和

無限なる光

無限なる力

無限なる叡智(えいち)

無限なるいのち


世界人類が平和でありますように
 

無限なる幸福(こうふく)

無限なる繁栄

無限なる富(とみ)

無限なる供給

無限なる成功

無限なる能力

無限なる可能性


世界人類が平和でありますように

 
無限なる健康

無限なる快活(かいかつ)

無限なるいやし

無限なる新鮮

無限なるさわやか

無限なる活力

無限なる希望
 

世界人類が平和でありますように


無限なる自由

無限なる創造

無限なるひろがり

無限なる大きさ

無限なる発展

無限なるエネルギー

無限なる感謝
 

世界人類が平和でありますように
 

無限なる喜び

無限なる美

無限なる若さ

無限なる善(ぜん)

無限なるまこと

無限なるきよらか

無限なる正しさ
 

世界人類が平和でありますように
 

無限なる勝利

無限なる勇気

無限なる進歩

無限なる向上

無限なる強さ

無限なる直感

無限なる無邪気


世界人類が平和でありますように

 
無限なるゆるし

無限なる栄光

無限なる気高さ

無限なる威厳

無限なる恵み

無限なる輝き

無限なる包容力




 

月曜日の前の日、つまり明日から学校、仕事というときが、一番気持ちが落ち込みます。
 

こんなときは、光明思想徹底行を思い出して下さい。
 

これには宇宙のプラスの言霊が7×7 49個 入っているのです。
 

7 は宇宙の完成された数字です。
 

だからこれを一日10回唱えるだけで(心の中でも)なぜか元気になってくるのです。
  

元気になるのは理屈ではないのです。
 

自分の心の中をプラスのエネルギーで一杯にしたらいいのです。
 


今日は土曜日ですが、今からエネルギーを蓄えておくと明日の日曜日がとっても楽なのです。
 

みんなの
 

「明日から仕事(学校)か~嫌だなぁ」
 

というマイナスのエネルギー(集合意識)を受けないで済むからです。



 


  

2009年11月13日 (金)

日々の指針

 
 
 
1.自分自身が心して、意識して変わろうと努力しなければ、人生は何一つ変わらない。



1.チャンスは偶然向こうから飛び込んでくるわけではない。

  チャンスは自らが強い信念で引きつけるのだ。






           
                     西園寺昌美 さん


  
 

幸せってなんだっけ?

 
  
幸せって、なんだっけ~♪なんだっけ~♪
 

と明石さんまのコマーシャルが流れていますが
 

さんまさんも大竹しのぶさんと離婚されています。
 

同級生の女子も離婚している人がかなりいます。
 

もしかしたら4人に1人、いや3人に1人くらいかもしれない。
 

中には同級生同士で結婚している人もいます。
 

でも結婚を続けていることが幸せとは関係ありません。
 

離婚したから言って不幸なことももちろんありません。
 

昔は?(今も?)男が結婚を申し込むときに
 

「幸せにします!」
 

なんて言っていたようですが人を幸せになんて出来ないですよね。
 

経済的に困らせないようにすることやいつも愛情を注ぎ続けることが相手を幸せにすることではないと思うのです。
 

自分は幸せだ と思う尺度、感覚はそれぞれ違うのです。
 

はたから見ていて気の毒だなぁと思えるような人が案外幸せを感じていたり、うらやむような生活をしている人が不幸を感じることもあるのです。
 

同窓会をしていると輝いている人がいます。
 

その人は、はたから見ていると大変だなぁというような状況にあるのです。
 

でも明るく、愚痴らず、笑顔で生きているのです。
 

こんな人が幸せな人だと思うのです。

 

“幸せか不幸せかは自分が決めるもの”
 
 

昔、営業で行った老人ホームのエレベーターに乗ったとき中にその言葉が貼ってありました。
 

たぶん、愚痴の多いご老人に叱咤するために甘えるな!という意味で職員の方が書いたのだと思うのです。
 

本当にそう思います。
 

そして幸せを人に求めないで、人のせいにしないで、前向きに明るく生きている人を私は尊敬します。






 

 

追伸
 

今、高校の同窓会のHPに管理人の日記を書いているのですが、その文章を引用しました(笑)

それまでは全然違う内容というか真理の話は一般ではまだ無理なのでそこでは3次元的なことを書いているのです。

でも3次元の終わりが4次元であるように繋がっているのですね。

だから当然リンクしてもいいのです。

この話題は3次元ですが愚痴らない、明るく前向きに は悟りの境地なのです。

魂の高い人は私の周りにたくさんいらっしゃるのです。


 




  

2009年11月11日 (水)

宇宙(人間)はシンプルなのです。

  
   
最近、病気(精神的なことを含む)のことで相談を受けることが多くなってきました。
 

なぜ、病気になるか?
 

精神はどうやって出来ているのか?

 
肉体は?

それがわかればどうしたら健康になるかがわかるのですが
 

それはものすごくシンプルなのです。
 

宇宙はエネルギーで出来ていることはわかりますよね?
 

漢字で書くと気です。
 

このエネルギー、気のことをサムシング・グレート(何か偉大なもの)

神、大自然、宇宙心、道・・・・とか言っています。
 

つまり私たちの根源、故郷なんですね。
 

そして神(代表して)から創られた私たちも当然エネルギー=気で出来ているのです。
 

それも光の光体です。ぴかぴか(新しい)
 

そしてその光体は常に新陳代謝しているのです。
 

新しいエネルギーが入ってきて古いエネルギーが出て行っている。
 

これが本来の私たちの姿です。
 

このエネルギー体(魂、心)に肉体という荒い波動体を纏っているのです。
 

波動が荒いから目に見えるのです。
 

波動が細かい心は肉体の目ではみえない。(見える人もいます)
 

話を元に戻して
 

本来の人間の姿とはこのエネルギーが、サラサラと流れている状態なのです。

きれいな川のように、滝のようにです。


私たちは何かにとらわれるとこの川に大きな石(意思)を置いてしまうのです。


するとエネルギーが流れないので滞ってきます。
 

古いエネルギーが溜まって気が病んだ状態になるのです。
 

それが病気なんですね。


ですから、スポーツをして何も考えない状態にしたり、光の言霊である光明思想徹底行をするとそのエネルギーが流れ始めるのです。
 

水晶などの石も確かにパワーがあります。
 

だからほんの一時的にエネルギーが流れるのです。
 

その瞬間を写真(オーラ)で撮って
 

「ねッオーラが変わったでしょ」
 

と売りつけているのがその手の商売なのです。
 

騙されないでくださいね(笑)


手首に水晶を付けたところで気休めにしかなりません。
 

それどころか石は意思を持っているので
 

変なエネルギーを受けることがあります。
 

ですからそんなものを付ける必要もないし付けない方がいいのです。
 

自分のエネルギーは自分で整えるものです。
 

これを波動調整というのです。
 

自分の発しているエネルギーを常に流し続けてそのエネルギーに責任を持つ。
 

それが本当の意味で自立するということなのです。
 

だって宇宙も人間も目にみえるものもみえないものもすべてのものはエネルギーで出来ているからです。
 

このエネルギーを整えると目にみえるものが整って来るのです。
 

当たり前ですよね、目にみえないものが99.999999・・・・・%です。
 

これが整えば、目にみえる0.000000000000000%は整のうに決まっています。
 

でも私たちは自分の心を整えるよりも目にみえるものをなんとかしようとしているのです。
 

だからうまくいかない(笑)
 

目にみえないエネルギーはどこから入って来るかと言えば天からです。
 

頭のてっぺんに百会(ひゃくえ)といスポット(チャクラ)があるのですがそこから主に入ってくるのです。
 

そしてそのエネルギーは体中を巡って地球の中心に流れていく。
 

これが引力と呼ばれているものです。
 

エネルギーは縦に流れてそして体の中心のへそのあたり(下丹田といいます)から横に流れるのです。
 

↓ 縦  横 →  これがキリストの言う十字架であり、+(プラス)のことなのです。

 
ですから私たちは横どり(3次元)をするのではなく縦取り(4次元、多次元)をしないと(整えないと)いけないのです。


そのためには宇宙と波長を合わせて宇宙からの新鮮なエネルギーを入れていくことが大切なんですね。


そのために出来た祈りが世界平和の祈りなのです。


世界平和の祈りは宇宙の願い事なので、宇宙の波動とまったく一つなのです。
 

人間が本来の姿に還るために降ろされた言霊なのです。



世界人類の世界とは地球人だけでなく宇宙のすべての人類を言っているのです。






世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

日本が平和でありますように

わたくしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます






  

2009年11月10日 (火)

19日(木)は特別日

 
 
19日(木)のオーラとのコラボに出来るだけたくさんの人に来てもらおうと以前一度だけ会った人に電話してみました。

気功サロンでのオーラ撮影のことを言うと

「私オーラには興味ないんです」

との返事がありました。

でもオーラを撮ることが目的ではないのです。

オーラを撮ることを通じてオーラ・オーラのスタッフの人たちと是非お話をしたりして交流していただきたいのです。

なぜなら素晴らしい人たちだからです。

私も調和波動気功するきっかけになったのはオーラを撮ったことが始まりでした。

でも私は自分がどんなエネルギーを出しているのか?

色はどんな色なのか?

まったく興味がなかったのです。

でも誘ってくれた人がすごく波長の合う人だったので

「まあ行ってみるか」

くらいの感覚だったのです。

ところがそこで会った人との出会いは衝撃的でした。

「世の中にこんな爽やかな人がいたのか!」

その日を境に私は変わりました。

一日2~3箱吸っていたタバコをやめたのです。

というよりまずくて吸えなくなったのです。

それはその人が素晴らしいエネルギーを放っていたのでタバコの荒い波動と合わなくなったからです。

だからオーラに興味のない人でも来てください(笑)

オーラを撮ることは一つのきっかけに過ぎないのです。

大切なのは出逢いとこれからの未来のことだと思うのです。

私たちはみなさんと交流したいのです。

みなさんと幸せの波動を共有したいのです。わーい(嬉しい顔)








Oriental wind気功サロンにようこそ

日時 : 11月19日(木)2時pm~7時pm 
   
*お好きな時間を選び お電話下さい。 


篠崎 080-1444-0018

 



オーラ写真撮影特別日 

写真1枚1500円、2枚2500円あなたのオーラは何色ですか? あなたのエネルギーの状態をみてみましょう。又、気功をとりいれたらどのように変化するのか、みてみましょう。


調和波動気功法とは、調和波動気功法は中国古来より今日まで伝えられている二千数種類と言われている気功法の一つで、于寿明先生により日本に最初に伝えられ、単なる気功法の範囲を超えたものです。            
独自の呼吸法、リラックス法、イマジネーションによって、自己の気と天地の気を共鳴させ、「和」のパワーを引き出します。軽い体操で体をほぐし、呼吸法で波動を整え、心身ともにリラックスします。想いの力を抜き去って、イマジネーションによって身も心も明るく伸びやかにし、天地の波動と一つに溶け合いましょう。



カリキュラム  

1、呼吸法(気持ちを落ち着かせる)
2、ストレッチ 
3、姿勢を正す
4、一日7回感謝(プラス思考)   
5、全てのものとの調和
6、身体の力を抜く 
7、明るく朗らかに穏やかに 




場所 浪速区民センター  *会費 500円  
         
浪速区民センター:大阪市浪速区稲荷2丁目4番3号:

(地下鉄千日前線桜川駅⑦番出口から徒歩5分、なにわ筋沿い
JR難波から西へ徒歩12分)



   

健康になる気功教室 in 大阪
 


 http://orientalwind.info/


オーラ・オーラ

http://auraaura7.com/




 

あなたには責任はない!

  
    
何をそんなに思い煩っているのだ。
 
何もかも自分一人で背負うとするから混乱してしまうのだ。
 
あなたは一番根本なることを忘れている。

それはどんな人にも守護霊様守護神様がついておられるということだ。
 
そしてその守護霊様守護神様が必ずその人の運命をよくしようと、日夜努力し導いて下さっておられることだ。
 
あなたのすることといえば、ただその人の為に、その人の天命を祈ってあげさえすればよいのだ。
 
夫の為に妻の為に、愛する子供達の為に、友人知人の為に、両親、祖母父母の為に、ただそれだけでよい。
 
だがあなたはその人の心をあまりに思うあまり、その人の為を考えすぎる為に、すべての責任を自分一人で背負うことが正しいと思いこんでしまっているのである。

その人の運命はその人でなければ切りぬけられないものである。
 
思い違いをするな!

思いあがるな!




           
                日々の指針  西園寺昌美






 






感想


 
この文章を読んでいるとスカッと心の霧が晴れて行くようです。ぴかぴか(新しい)

私たちは人間関係で相手のことを考え過ぎます。

自分の言ったこと、したことで相手が傷ついていないだろうか?

その結果、その人の運命を変えてしまったのではないだろうか?

もっとこうしておけば良かったのではないのか?

でもそのどれも違うのです。

その人が傷つくのも運命が変わってしまうのもその人自身の問題なのです。

その人が自分の心をコントロール出来ていないから相手のせいにするのです。

その人がしっかりと感情の処理が出来ていれば他人の言ったことで傷つくことはないのです。

「私はあなたによって傷つきました」

は自分の心をコントロール出来ていないのですと言っているのと同じです。

もちろん、相手が不快になる言葉、マイナスのエネルギーを発することは論外です。

でもそんなつもりで言っているのではないのに相手がマイナスに受取るのはあなたのせいではないのです。

そしてそのことも相手の守護霊様はちゃんとわかっています。

それは相手の守護霊様と自分の守護霊様とは交流しているからです。

あなたが言った一言、あなたがとった態度でその人の運命が変わることなどありません。

そんな やわ なものではないのです。

守護霊様守護神様がその人を動かしているのですよ。

その人がどんなに悪い状況に見えても気の毒に見えても不幸そうに見えても私がどうにかしてやらないといけないと思うような状態であってもすべては守護霊様、守護神様のご計画通りなのです。

だから余計なことは考えなくていいのです。

そしてその相手の人、周りに居る人にあなたが何かを言ってしまってその人の立場、状況、環境が変わってしまってもそれはあなたには関係のないことなのです。

守護霊、守護神様の計画の通りなのです。

あなたが憎しみを持って、その人を悪くしてやろうという意思でしたことでなければそれでいいのです。

だからそのことに思い煩うことにエネルギーを注ぐことはもういらないのです。

すべては消えてゆく姿です。

未来に向かって、自分の心の内に向かってエネルギーを注いてください。手(チョキ)わーい(嬉しい顔)



  
  

2009年11月 9日 (月)

お会いして来ました。

 
   
今日、mixiというコミュニティーサイトで知り合った人と大阪の本町というところでお会いして来ました。
 

その人は以前、気功サロンにも来て頂いていて印を組まれてその後“無限次元への誘い”の本を購入され調和波動気功に興味を持っておられる方です。
 

お会いした主旨は、その方がされている語学喫茶(英語を教えておられるそうです)で私にスピチュアル講座をして欲しいというものでした。
  

そこは語学だけでなく色んな趣味(ダンス、スポーツ)などを広める場でもあるそうです。
 

http://www.freespacecflat.com/
 

私はこれまでマンツーマンで個人レッスンはして来たのですが、講義として話をしたことはありませんでした。

  

このことはわたしにとっても真理を広めていく上で必要だと感じました。
 

そこに参加してくださる人にわかりやすく説明する。
 

誰でもが納得する話が出来るようになる。
 

非常に勉強になると思うのです。
 

みなさんの気持ちが前向きで明るくなるような講義をしたいと思っております。
 

まだ日程は決まっていませんが、その時はよろしくお願いします。

  
その前に私にはオーラ・オーラと気功サロンのコラボを成功させるという大きな目的があります。

今はそこに全力投球ですが、すべては繋がっています。
 

気功サロンもオーラ・オーラもスピチュアル講座も私の中では同じように思えるのです。
 

それは空が一つであるような感覚かな?
 

この一体感がなんともいえず、嬉しいですね  happy01




  

  

2009年11月 8日 (日)

あなたはこの世の創造者

  
    
以前、正しい親子関係を築くためにという日記を書いたときにある文章から引用したものなのですが、これは親子だけでなく他人との人間関係を理解する上で非常に参考になると思ったのです。


みなさんの中でもそう置き換えて

「なるほど」と頷いた人も多かったと思うのです。


もう一度復習してみましょう。







━ あなたはこの世の創造者


人は自分の想念の世界に住んでいる

地球人類を構成しているのはあなた方一人一人なのだ。

この世に世界というものが存在しているのは、あなた自身のためだ。

実際この世界は、あなたがそれを創り出しているのだ。

一般に、あらゆる人々は自分のまわりにあらゆる世界を創り出す。

その世界はその人の想い方次第で創られてゆく。

平和な世界を創り出してゆくか、また豊かな世界や調和の世界や孤独な世界を創り出してゆくかは、あなたの想い方一つで決まるのである。

家族がお互い一つ屋根の下に暮らしていても、家族それぞれ皆異なる世界に住んでいる。

確かに同じ建物、空間を共有し、同じ物を食べ、血で結ばれていてさえも、あなたたち家族は皆決して同じ世界には住んでいない。

みんな別々の世界に居を構えているのである。なぜならば家族皆、同じ思考を持っているとは限らないからである。

家族はお互い、同じ濃い血の絆で固く結ばれているので、一つの世界に住しているように思われるであろうが、否、決してそんなことはない。

家族であっても全く異なる世界に住しているものである。自分の子供が天国に住み、その両親が地上の世界に住んでいるかもしれない。

ところがあなたたちは、実際に自分たちが同じ世界に住んでいると思っている。

たとえ夫や妻であろうと、親や子供であろうと、想念が違っているのに、どうして同じ世界に住むことが出来よう。

人は自分の想念によって創っている世界に住み、その世界から離れることは出来ないのである。

またあなたの想いで創りあげた世界に、誰も住むことは出来ない。

それはあなたの世界だからだ。









私の感想


ここまで読んできて、人はみなそれぞれに、自分の想念の世界に住んでいることがわかります。


想念が透き通っていて天国の人もいれば、汚れていてドロドロした世界に住んでいる人もいる。

素直で明るくポジティブに生きている人もいれば、何でも悪い方に受取って、ネガティブに生きている人もいます。

そんな人たちが一緒に住んでいるのが今の地球なのです。

玉石混交(ぎょくせきこんこう)というのですが、宝石もあれば石コロもあるのです。

光輝いている人もいれば、光を業(ごう)が覆って光が隠されている人もいます。

アセンション(次元上昇)の時期になればみんな光に照らされるようになるのですが今はその前の状態なのです。

だから誤解が生まれる。

違う想念の世界にいるからストレートに言葉や文字が伝わらなかったりする。

好意が悪意になってしまう。

そんな意味ではないのにこんな意味になってしまう。

人はそこでなんとかしようとします。

自分の正当性を示そうとします。

そしてそれが出来なかったら

 

自分を責めるか、相手を責めるのです。



そのどちらもナンセンスなのです。

どちらが正しいとか間違いとかもないのです。

どちらが善い、悪いもないのです。

それは違う世界に住んでいるから違う想念の世界に住んでるから当然のことなのです。


想念が天国に住んでいる人と地上(地獄?幽界?)に住んでいる人とは近くに居ても、家族、友人、知人であっても同じ想念、考えにはならないのです。


だから、相手を変えることは出来ないのです。


不可能なのです。


相手を変えることにエネルギーを注ぐのではなく

そのエネルギーを自分に向けて

自分の心のエネルギーを整える

気を鎮める

穏やかになる

不動心になる

平常心になる

・・・・・・・

しかないのです。


他人をコントロールすることは出来ないのです。

でも自分の心をコントロールすることは出来るのです。

人間の幸せとは他人をコントロールすることではありません。

自分の心をコントロール出来た時

自由自在心になったとき


初めて
 

心の平安は訪れるのです。




   

2009年11月 6日 (金)

気にしない、気にしない

 
 
88歳の大往生(その頃では)で亡くなった一休さんは人生を楽しく?楽に、生き抜いて行くコツとして

「気にしない、気にしない、一休み、一休み」

とおっしゃいました。

最近つくづく

「そうだよなぁ」 と思います。

相手の想念に合わせていては自分の身が持たないのです。

それくらい人のマイナスのエネルギー(集合意識)は凄まじいのです。


「あーッもう嫌になるなぁ」 とため息をつきそうになったとき

自暴自棄になって投げ出しそうになったとき


いつも思い出して、そして元気が出て来る言葉があるのです。

みなさんも読んでみてください。

きっと心の底から温かくなって来ますよ わーい(嬉しい顔)手(チョキ)

 



 

正岡子規は

「さとりとは、いかなる場合にも平気で死ぬことかと思っていたのはまちがいで、さとりとは、いかなる場合にも平気で生きていることであった」 といっている。

全くその通りであって、完全に生をまっとうすることによって、はじめて死をもまっとう出来得るものである。

生を逃避することによって、死への恐怖を拭いさることは不可能である。
 
生への恐怖を乗り越えることによって、死への不安はまったく無くなる。
 
生と死とは別なものではなく
 
全く一つのものである。


                      西園寺昌美





 
 
私は釈尊の次の言葉が好きである。
 
「沈黙しているものも非難され、多くを語るのも非難され、少しを語るのも非難される。世に非難されない者はいない」

この世に生ある限り、何をしても人は非難の目、嫉妬の目をもって他人を見つづけるのである。

人の目を気にして生きていたならば、自分の身が持たない。

天の目を気にして生きてゆくことだ。


             
                   西園寺昌美




  

 

2009年11月 5日 (木)

受付け始まる!

 
  
オーラ・オーラと気功サロンのコラボまでいよいよ2週間前となりました。
 

みなさん興味を持って頂いていて予約も入って来ました。
 

午後2時からだいたい7時くらいで予定しています。
 

会社帰りの人が後半多くなることが見込まれますので
 

早く来れる方はお早目の時間に来てくださいね  わーい(嬉しい顔)

 

私が最近書いている日記は心の中をコントロールする、気持ちを整えることばかりの内容が多いのです。
 

それはすべてに通じるのです。
 

なぜなら人は心が主で肉体は従だからです。
 

だから主である心が整わないと肉体の健康も周りの幸せもないのです。
 

それは心の内が外に現われるからなんですね。
 

オーラは心の内が外に現われる(エネルギー)が見れるのです。
 

だからといって怖がることはありません わーい(嬉しい顔) 手(チョキ)
 

「真っ黒の色のオーラが出たらどうしよう」 げっそり
 

と言う人がいらっしゃるのですが(笑)
 

全然気にすることはありません。
 

写るのは一瞬のエネルギーなのです。
 

瞬間、色(エネルギー)は変わります。
 

だからあくまでも目安です。
 

大切なのは良いエネルギーを出すと良い事、良い現象、嬉しいこと、感動すること、奇跡的なことが現われるということです。
 

目にみえないエネルギーを整えると目に見えることが整って来るのです。
 

そのためにはどうしたらいいか?
 

その方法をお伝えするだけなのです。
 

過去はもういいのです。
 

今はもう過去です。
 

大切なのは未来をどう明るく輝かしいものにしていくか?ぴかぴか(新しい)
 

なのです。
 

ですから
 

これから良くなっていくようにするためにオーラを撮るのです。
 

そのお手伝いをさせていただくのが今度のオーラ・オーラとのコラボです。
 

よろしくお願いします。
 

たくさんのみなさんのご参加をお待ちしています。わーい(嬉しい顔)指でOK





 
Oriental wind気功サロンにようこそ

日時 : 11月19日(木)2時pm~7時pm 
   
*お好きな時間を選び お電話下さい。 


篠崎携帯 080-1444-0018
 




オーラ写真撮影特別日 

写真1枚1500円、2枚2500円あなたのオーラは何色ですか? あなたのエネルギーの状態をみてみましょう。又、気功をとりいれたらどのように変化するのか、みてみましょう。


調和波動気功法とは、調和波動気功法は中国古来より今日まで伝えられている二千数種類と言われている気功法の一つで、于寿明先生により日本に最初に伝えられ、単なる気功法の範囲を超えたものです。            
独自の呼吸法、リラックス法、イマジネーションによって、自己の気と天地の気を共鳴させ、「和」のパワーを引き出します。軽い体操で体をほぐし、呼吸法で波動を整え、心身ともにリラックスします。想いの力を抜き去って、イマジネーションによって身も心も明るく伸びやかにし、天地の波動と一つに溶け合いましょう。




カリキュラム  

1、呼吸法(気持ちを落ち着かせる)
2、ストレッチ 
3、姿勢を正す
4、一日7回感謝(プラス思考)   
5、全てのものとの調和
6、身体の力を抜く 
7、明るく朗らかに穏やかに 




場所 浪速区民センター  *会費 500円  
         
浪速区民センター:大阪市浪速区稲荷2丁目4番3号:

(地下鉄千日前線桜川駅⑦番出口から徒歩5分、なにわ筋沿い
JR難波から西へ徒歩12分)



   

健康になる気功教室 in 大阪

 http://orientalwind.info/



オーラ・オーラ

http://auraaura7.com/







  
 

2009年11月 3日 (火)

まず、自分のこと

 
  
同窓会のこととか、人とかかわることをしているとついつい自分の気持ちを落ち着かせたりとかエネルギーを整えることを後まわしにしたりおろそかにしてしまいます。

すると心の中のものが外(現象)に現われるので失敗をしたり慌てるようなことが起こるのです。

他人のことも今やらねばならないも大事です。

でも自分が出すエネルギーを整えることを優先しないとその他のことが整ってこないのです。

そう思っていたとき今読んでいる本にそのことが書いてありました。

よかったらお付き合いください。


 
 




まず、自分のこと


わたしは、誰でも自分のケアをきちんとするほうがよいと考えています。

自分の健康や幸福を顧みない人たちがいると、周りの人もそれに引きずられてしまうからです。

まず、自分が幸せで、健康で、生産的で、周りの人と喜びを分かち合えるようではなくてはいけません。

そのために自分自身をきちんとケアすることを目標にすべきです。

心身が健やかだと、豊かな心を持つことができます。

自分自身のケアを怠ると心が貧しくなります。

セルフケアができるかどうかは、あなた自身の手にかかっています。

礼儀正しい人のなかには、何でも自分を最後にする人が多いようです。

とくに、幼い子どもがいるお母さんたちは、自分のための時間をなかなかもてません。

誰かの面倒をみるということは、肉体的にも精神的にも負担が大きく、ケアする側が心身に支障をきたすこともあります。

母親や看護婦が、子育てや看護の果てに衰弱してしまうケースは少なくありません。

気分転換なしに誰かの面倒を看続けることは、負担と消耗を強いられます。

どんな責任を負っていようと、まず、自分のことを考えてください。

大勢の人があなたを頼りにしているから、自分の健康を第一に考えろというのではありません。

人は誰でも、自分自身を大切にし、他の人を大切に扱うのと同じように、自分を尊重するべきだからです。

あなた以外の誰でも、セルフケアのために時間を作ってはくれません。

毎日、自分で時間をとり、そんな時間がなくても捻出し、ときにはそう主張しなければいけません。

あなたは、どれほどストレスにさらされていますか?

もういっぱいいっぱいですか?

限界だと思うことがありますか?

あなたのリラクゼーションは何ですか?

イライラしたり不安になったりするようなら、状況を改善するために、選択肢を検討し直すチャンスです。

置かれた状況がたとえどう進展しようと、重視しなくてはならないのは、あなたがその状況をどう受けとめ、どう感じるか、という

「あなたの内面」 です。

空っぽの心では、他人に愛情を注ぐことはできません。

わたしたちは折に触れて瞑想したり、祈ったり、自然と触れ合ったり、学んだり、体を動かしたり、一人で静かに考えたりしなければならないのです。

ヨガをする、マッサージをしてもらう、精神に養分を与える時間をもつ・・・・・、何でもかまいません。

そうしたことは、自分でするしかないのです。

どんな状況に置かれようと、足をとられてはいけません。

あなたは自分自身を保って、穏やかに、よい気分でいることを、「選択できる」のです。

そうするための秘訣は、ここまでという境界線を引くこと、そして、物事に優先順位をつけることです。

自分が活き活きしている、自分の内面が豊かになっていくと実感するためには、息をつく場所が必要です。

一人で過ごす時間を必ずつくると、自分に誓いましょう。

誰かと過ごした後には、自分だけの「ミー・タイム」 を持って、リセットしましょう。

誰にでも、一人になれる自由にがなくてはなりません。

知性や感性や人間性の欠落した人生は、人生ではありません。

あなた個人の成長のために、内面の訴えに耳を傾けましょう。

自分との約束を守りましょう。

カレンダーに、空白の日をつくりましょう。

空を飛ぶ鳥が広い空間を必要とするように、わたしたちにも空白の時が必要です。

何も予定を入れなければ、空白の時間がもてます。

アリストテレスもジョーゼフ・キャンベルも、思慮深い人生は最高の生き方であり、長続きする幸福を見出す最良の方法であると信じていました。

カレンダーを見れば、その人がどのような時間を重ね、配分しているかがわかります。

とても多くの時間が、何らかの活動に充てられていることでしょう。

待ち合わせ、会合、連絡、車での送迎・・・・・・・。

絶えず動き回っていることが生産的だと考えるのはやめましょう。

仕事帰りに車を運転しながら携帯電話で話す、などというのは論外です。

その時間をつかって友人の様子を知ろうとするのはやめましょう。

あなたが知らなくてはいけないのは、あなた自身の様子です。

どんなときにも健やかでいようと思えば、時間を賢くつかえるようになり、日々、魂の充電ができるようになり、人生の意味があらためてわかるようになります。






あなたのためになさねばならぬことは、あなた自身のこと以外にない。

                   エマソン




  
  幸せになる生き方 アレクサンドラ・ストッダード 中央精版印刷
    



   

2009年11月 1日 (日)

幸せか不幸せかは自分が決めるもの

  
  
    
1.人生に試練などというものは決してない。試練と思えばそれが試練となる。人生の通過点と思えたならばそれは通過していってしまう。




                   
                        西園寺昌美






  

 
 
感想


人によって同じことが起こってもそれを死ぬほど辛いと捉える人と喜びで捉える人がいます。

ということは、幸、不幸は現象ではなくその人の心の中が決めているんですね。

人間の最大の悲しみである 死 でさえそれを自由自在心になる喜びと捉えることによって病気とか貧困に対しても平気になることがあるのです。

死は肉体の消滅であって魂の消滅ではない

魂、心は永遠に生き続けるのです。

仏教では肉体人間の死を

往生(おうじょう)といいます。

生きて幽界から霊界、神界へと往くという意味です。

真理を知ると今まで不幸だと思っていたことが喜びに変わります。

そして試練さえもただの通過点になってしまうのです。

心がすべてのすべてなのです。



    

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