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2009年10月29日 (木)

教育の原点

   
      
親は子どもが悩んでいるのをじっと見守ることが大切です。


そして前の日記に書いたように決断を子どもにさせないといけないのです。


それは自立させるためです。


私はう先生に


「二十歳までに子どもを自立させれなかったら親も子どもも不幸になります」


と言われました。


確かにその通りなのです。


年齢だけ大人になっても、精神的には、自立出来ない子どもを持った親ほど惨めなものはないのです。


困難を乗り越えようとする知恵や勇気がなかったらどんなに豊かな才能があったとしてもそれが生かされることはないのです。



だから簡単に、いや、決して助けてはいけないのです。


ここにそのお手本となるような例をご紹介します。


私の尊敬する西園寺昌美さんとそのお嬢さんの実話です。


西園寺昌美先生は、世界平和の祈りの提唱者である五井先生の後継者で、3人の娘さんの母でもあり、宗教者でもある方です。




母の教育方針


昌美先生は

「本来、結果や利害、世間の批判などを思い煩うことはないのである。それがマイナスの状況であったにせよ、それは一つの尊い体験として喜んで受け入れてゆくべきなのである」(「一人一人の運命と天命」より)と書かれていましたが


その部分を読んで、私は自分が小さい頃から受けてきた教育の原点にはこの信念があったことに気づいたのでした。


私たち姉妹は、小さい頃から母に


「あなたが思うようにしなさい、あなたが思うように生きなさい」 と言われてきました。


例えば成長の過程で両親とともに修行を行う機会がありましたが、ご神示であるそれらの修行でさえ一切参加を強制されることはありませんでした。


母は私たち一人一人にそれぞれの思いを確認し、私たちの気持ちを尊重してくれました。

両親のその姿勢は、私がどんな岐路にさしかかった時も変わることがありませんでした。


母はどんな場面でも私に選択を強要したり、決断を迫ったりすることはありませんでした。

私が決断を下すまで待ち続けてくれ、いざ決断を下すと、それが真理の法則からよほどかけ離れた決断でない限り、その決断を尊重し、支持してくれました。


私が通い始めたばかりの大学をやめて別の大学の医学部を受験しようとした時も、医師の研修を三重県でしようと決めた時も、医師を辞めて白光で働かせていただくことを決意した時も、その姿勢が変わることはありませんでした。


母は 「よくぞ決断を下せました。あなたの決断は正しいです。自分を信じてその道を進めば必ず素晴らしい未来が待っていますよ」


という言葉を投げかけてくれ、私の決断をサポートしてくれました。


従って、私は小さな頃から常に、自分で自分の人生を選択、決断、決行しつづけてこられました。



決断を他人に委ねることなく、しっかり自分がやるべきこと、したいことを自分自身で見つけ、進むことが出来ました。


進路で悩んでいた友人からある時


「真妃は悩んでも、すぐに真妃のお母様に相談に乗ってもらえるからいいな。真妃のお母様は相談するとなんて言うの?」


と聞かれたことがありました。


しかし、これまで述べたような教育のもとで育った私は、悩んだ時に自分で選択、決断しないで母に答をもらいに行ったことがないことに、友達の相談を受けて初めて気が付きました。


自分がどういう決断をしたかを報告しに行くことはありましたが、何も考えずに未来の道を教えてもらうようなことはしたことがなかったのでした。


また、母は私たちに、失敗を恐れて前に進めないくらいなら失敗をしたほうがよいと、失敗する体験の素晴らしさについても、いつも教えてくれていました。


失敗を責めるようなことはせず、どんな失敗をしても、それが小難として消されたことを喜び、またそれにより私たちが大きく成長できたことを喜んでくれました。


失敗をマイナスの経験だとは思わない教育を受けてきた私たちは、たとえ失敗しそうなことでも自分で選択、決断、決行し、とりあえず進んでみる生き方を身に付けることが出来ました。


とにかく進む、そして間違えたら早いうちに自分でその間違いに責任を持ち、修正する生き方を学ぶことが出来ました。


私が結婚する時ですら母は


「とりあえず一年間結婚生活を送ってみて、あわないと思ったら別れればいいじゃない」 というアドバイスをしてくれたのでした。


この話を聞いた私の友人は


「真妃のお母様って本当にすごいね」 とびっくりしていました。


結婚する前の娘に離婚の話をする親は確かにあまりいないと思います。


しかし私の母は、この話を通して私に、今まで行ってきた人生のさまざまな選択と同様に、結婚の選択ですら失敗してもよいのだということを教えてくれたのです。


そしてそれにより、人生のどんな大きな選択でも自信をもって決断、決行する力を与えてくれたのだと思うのです。


従って私は、失敗を恐れ、足を一歩踏み出せないような生き方ではなく、常に前に進む生き方をすることが出来ています。



取り返しがつかないことや、人に多大な迷惑をかける可能性がある時以外は、どんな危ない選択でもよい経験であるから体験しなさいというスタンス(姿勢)を貫いていたのが私の母であります。




子どもを見守りつづける忍耐力


そんな教育を受けてきた私も今は二人の子どもの母となりました。


私は母になり初めて、子どもの意思を尊重することがどれだけ大変で忍耐のいることなのかを知りました。


子どもの意思を尊重せず、失敗を未然に防ぐ子育て、親が選択をし、子どもに手を貸す育て方の方がいかに楽な子育てなのかということを知りました。


子どもが時間をかけて選択している姿、失敗をしている姿をずっとそばで見ていることがどれだけ忍耐の要ることなのかが母になり初めてわかりました。


子どもの失敗する姿を見ていると自分が失敗する以上に親の胸は痛み傷つきます。


心配な気持ち、不安な気持ちでいっぱいになります。


それでも私の母が子どもの意思を尊重する子育てが出来たのは、失敗や恥や痛み、苦しみという尊い体験を積まないまま惰性で生きるということは、今生における尊い人生を虚しく生きることになるという思いがあり、そんな生き方を子どもにはさせたくないという強い信念があったからなのだと思うのです。


子どもが人や物に依存するような人間ではなく、自分の力で生きられるような人間になるために、それが自分で責任を負える範囲の失敗であるなら、子どもの自立のためにただひたすら見守りつづけてくれたことを改めて感じ、感謝の心で胸がいっぱいになりました。


失敗は怖がることではなく、むしろ失敗してもその後、キチンと修正できれば失敗も成功であるということ、また、選択、決断、決行する強さ以上にその選択が間違った時に自分の間違いを見直す強さ、自分の失敗を認め、改める強さを持てるならば、失敗はマイナスなことではなく今生の人生を有意義に生きるためにエキスになるのだということを母の教育を受けて育った私は確信するのであります。


愛する子どもが失敗しそうな姿を見ても、失敗する前に止めさせることなく、その姿を見つづける強さを母が持っていたのは、やはり子どもの守護霊様、守護神様の存在を確信していることと、私たち子どもが親の所有物ではなく、神様からお預かりした尊い命だと思いながら子育てをしていたからなのだと思います。


神様からお預かりした尊い命だからこそ、母は子どもたちをきちんと自立した人間、自分で自分の人生を決断できる人間に育て上げるために強い信頼と確信を持ち、大きな忍耐の心でその成長を見守ってくれていたのだということを改めて感じたのでした。




世界人類が平和でありますように





 

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