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2009年9月29日 (火)

イエスキリストの愛

     
     
イエスキリストが、十字架にはりつけになった時、自分をはりつけまでに追いやった人のために

“神よ、この者たちを赦し給え。彼らは真理を知らざるがためにこの罪を犯したのですから”

という意味のことをいっています。

なんと深い、偉大なる愛の言葉でありましょう。

これこそ真の愛であり、人間すべてを感動させる聖者の心であったのです。

私はこの言葉を想い出すと、涙が出てならないのです。

ああなんという高い心境であろう、なんという澄みきった言葉であろう、とおのずから心が愛に充ちてくるのです。

愛とは単に言葉に現わしていうものではない。

自己の生命全体が、相手の生命ととけ合って、はじめて生まれてくる感情であり、その純粋感情によって行われる行為こそ、愛の行為といえるのです。





      
              日々の祈り  五井昌久








  

 

感想
 

感動したときの心の動きをどう文章にしたらいいのだろう?

どういうメカニズムで感動って起こるのだろう?

そんなどうでもいいことを頭で考えていました。

最後の文章で解決しました。
 

愛とは単に言葉に現わしていうものではない。

自己の生命全体が、相手の生命ととけ合って、はじめて生まれてくる感情であり、その純粋感情によって行われる行為こそ、愛の行為といえるのです。




  

 

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