意識のベース(基本)をどこに置くか?
マリナーズのイチローは中学生の頃、猛烈に勉強をした時期があったそうです。
学業も優秀でクラスで一番になった、だけど学年でどうしても一番にはなれなかったそうです。
そこで
「自分の天命は学問にあるのではない」と気づき、もう一つの才能である野球というスポーツに自分の生き方を集中させたのです。
学業をあきらめたことで野球一本で生きることが明らかになったのですね。
それも3次元のことを徹底してしたからこそ、野球に徹底して集中できたのです。
イチローが日本選手の中で超一流と云われているのは、高い高~い意識にあります。
もしかしたらイチローよりも才能がある人がいるかもしれない。
でもいくら才能があってもそれを自分で認めて意識を高い所に置き続けないと成就しないのです。
「あなたには素晴らしい才能があります、天才です」
とどれだけ人から云われても
「いえいえそんなたいしたことはないですよ」
と自己限定してしまってはせっかくの才能も生かされない。
宇宙はエネルギーで出来ています。
目に見えるものもみえないものもすべてエネルギー、波動です。
そこにエネルギーを集中させることでエネルギーが動くのです。
人間一人のエネルギーは大きな山をも動かすといいます。
その素晴らしいエネルギーを私たちはどこに使っているか?
エネルギーを生みだす意識をどこに置いているか?
どうにもならない、ただ消えていくだけの、今、現われて消えてゆこうとしている現象に無駄なエネルギーを使っていませんか?
人の感情に振り回されていませんか?
意識がマイナスにいっていませんか?
意識をどこに置くかがこれからの自分の人生を決めるのです。
そして地球の行方(いくえ)も決めるのです。
● 消えてゆく姿はみ教えの基礎
「消えてゆく姿」こそ、私たちのみ教えのベースとなるものです。
この中に、私たちが生命や人生をどう捉えればよいのかが集約されているのです。
苦しみはなぜ存在するのか。
なぜそれらを体験しなければいけないのか。
そのすべての答えが五井先生の「消えていく姿」の中にあるのです。
苦しいことが起きるのは、私たちが原罪を生まれ持っているからではありません。
そしてこの世に神様が存在しないからでも、すべてが不公平に作られているからでもなく、今生の自分の責任でもないのです。
では、多くの苦しみ、不幸、災難はどこから、そしてどうして起きるのでしょうか。
それらは自分が過去世から掴んでいた想いが、現われて消えてゆく姿なのです。
そして重要なことは、それらの姿(不調和や災難など)は、本来の自分の姿ではないということです。
“あなたは、あなたの目の前に起こる不幸それ自体ではないのです。あなたの身にいかなる苦悩が訪れようと、それは本来のあなたではない!”
五井先生はそれを私たちに教えつづけてくださいました。
では、私たちの本来の姿とは何か。
それは光輝いた神様と全く一つの分霊であります。
それこそが本来の私たちの姿なのです。
ですから、いかなる不幸や苦しみが訪れようとそれを自分だと勘違いをしてはいけないのです。
それは消えてゆく姿なのです。
それは本来の私たちの姿ではなく、私たちの過去世から現在にいたる誤てる想念が現われて消えてゆく姿なのであります。
私たちの想念というものは、その一瞬で消えているようで、消えることはないのです。
想念は蓄積され、それが時と共に形となって現われて消えてゆくのが法則なのです。
私たちの間違った考えが、自分たちが今までに発してきた想いが、苦しみとなって出てきているのです。
だからといって過去(過去世を含む)の自分を悔いる必要はありません。
それらは現われることによって消えるのであるから、これで消えるのだという喜びと感謝を持てばいいのです。
でも、もちろん苦しみを目の前に、ただ感謝して待てと言われても、普通は難しいと思います。
そういう時は意識を本来の自分の姿に向ければいいのです。
現われている過去の想いを掴むのではなく、本来の自分の姿を掴めばいいのです。
本来の、神の分霊である光そのものの自分を。
ではどうやってその自分の姿を掴めばいいかというと、世界平和の祈りをすることなのです。
世界平和の祈りと響き、心、意識はすべて光そのものであり、神の響きそのものなのです。
ですから、祈り言葉に身を任せると、自然とその祈り言葉にのって光の世界に入ってしまうのです。
そして本来の自分の姿を瞬時に取り戻すことが出来るのです。
この法則(真理)を知らない人は苦しみを掴みつづけてしまいます。
そして真理を知らないと、自分が不幸のヒロインになり、世の中、周りの人々、自分・・・・・と、すべてを批判するようになってしまいます。
人が信じられなくなり、生きる意味が分からなくなってしまい、惑わされてしまうのです。
そして、たとえその苦しみが消えたとしても、今度はその体験によるトラウマに把われてしまうのです。
その過去がベースとなってしまい、またいつ同じ不幸が自分の身に起きるか分からないという不安で、せっかく消えたその姿を自らが掴みつづけてしまうことになるのです。
自分の生きるベースをどこに置くかで、人生は本当に180度変わってしまいます。
● 生きるベースを真理に置く~消えてゆく姿で世界平和の祈り
しかし、生きるベースを真理に置き、「消えてゆく姿」を実践していくと、不幸や悲しみに把われ、惑わされることがなくなるのです。
「消えてゆく姿」は他に頼るものではありません。
あくまで自分の力で、努力で、自分の苦しみや迷いと向き合っていくのです。
真理を知り、さまざまな苦悩がなぜ現われるかが理解できたら、今度は世界平和の祈りを通してどんどん真っすぐ天とつながる意識を持ち、光で自分を包んでいき、現われている姿から離れていくのです。
他の誰かに不幸の原因を責任転嫁するのではなく、また誰かに救ってもらうのでもなく、真理と一つになっていくことで、本来の自分の姿に戻り、自らの中に内在するそれらを超えていく力を付けていくのです。
現われれば必ず消えるのであります。
その法則を知ることは、本当に大きな救いであります。
必ず消えるのであるから、苦しみが現われている時は意識を世界平和の祈りに戻して、必ず消えるのであると信じればいいのです。
そして、現われて消えてしまえば必ずよくなるのです。
これはすぐに体得できるものではありませんし、最初はとても難しいことであります。
しかし、この真理を本当に掴めた時、言葉では言い表わせぬ喜びと強さを自分の中に見出すのです。
そしてどんな困難の中でも、愛を掴み、赦しを掴める、本来の姿をそのまま現わしている自分に出会えるのです。
「消えてゆく姿」ほど、自分自身を支えてくれるものはないと思います。
み教えの原点がすべてここに存在しているのです。
今、私たちが「人類即神也」と言えるのも、この「消えてゆく姿」の教えがしっかりと自らに根づいているからこそと思っています。
本来の私たちは光そのもの、そしてその時々に暗雲が現われることもある。
でも、暗雲が私たちではないし、暗雲を掴んでもそれは実体ではないのであります。
だから意識を光に向けて、世界平和の祈りの中に身を任せ、その暗雲が私たちの前を通りすぎるのを待つのです。
なぜなら通りすぎてしまえば、それはあとかたもなく消えてしまうものだからです。
それが「消えてゆく姿」の真理なのです。
世界人類が平和でありますように
西園寺 由佳
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